先日炎上したMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオが、歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたことで炎上したのは記憶に新しい。これはヨーロッパの歴史上の有名人に扮したメンバーが類人猿にピアノを教えたり等、「植民地主義を肯定した人種差別的表現」と受け取る表現があったことが問題視された。
Mrs. GREEN APPLEのメンバーには悪気はないように見える。それだけに事態が深刻なのだが要は日本人が歴史認識の点でさまざまな問題があることを世界に示してしまった例となった。今はこのミュージックビデオは公開されなくなったようだが、こういう特定の人物・団体の反社会的言動を人々が問題視し、追放運動や不買運動などを起こす可能性のあるキャンセルカルチャーの問題となってきている。
最近の多様性(diversity)の問題を含め、以前とは違って社会的に受け入れられない言動を批判されたり、説明を求められたりすることが多くなってきている。その関係でMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオの公開禁止はある意味当然の結果として受け止められている。逆に同グループの追放運動や不買運動にまで発展しなかっただけ傷口は浅いのでまだマシである。
昨今の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」の流れを受けて、ミステリーの女王と呼ばれるアガサ・クリスティの小説において「現在 不適切」と判断された表現が2023年に改訂されたという。また映画「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」がストリーミングサービス「HBO Max」の配信ラインナップから削除されたり、世界的バンド ザ・ローリング・ストーンズ / The Rolling Stones が、彼ら自身の曲「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」をステージでは演奏しないと宣言すると言った事も起きている。
むろん「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」は人種差別が当たり前のように存在する南部アメリカを舞台とした映画であり、ストーンズの「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」は奴隷制に言及する部分があるのも事実である。多様性(diversity)を推進する立場から問題視されるのはある意味当然のことである。 だがここであえて問題を提起したい。歴史上かつてイギリスからアメリカで奴隷制度が存在していたのは史実であるし、その奴隷制度を推進したアメリカ南部(のちにこれが南北戦争の原因になる)の人種差別的体質が根強くあり現代でも決してなくなってはいない、という事実をとらえる時、映画や音楽でその「奴隷制度や人種差別を描いた部分」を「不適切な表現」として全て削除するのは果たして正しい選択なのだろうか?、という点だ。
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