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2024年12月 4日 (水)

ネット関係のインフラが一通り整備されて、結局作品届けを著作権期間に登録する

インターネットが普及して四半世紀がゆうに超え、SNSを始めさまざまなインフラが整備された今日このころ、SNSについては先日の兵庫県知事に関する問題、そしてとりわけネットユーザー,SNSユーザーに蔓延るリテラシーのなさ、といった問題が出てきている。

その意味ではネット関係はさまざまな問題や課題が生じてきているが、一般にはコンテンツを拡散するという意味ではもはや欠かせないものになっている。だがそのコンテンツのありかた、とりわけコンテンツの権利の管理方法についてはネットが普及する前と大きく変わると思いきや、実際には従来の権利管理機関ー著作権信託期間もしくは委託期間が従来通りの体制で寧ろ強化されている現状がある。

実はインターネット黎明期には音楽の著作権を始め権利の概念が変わるだろう、といった考え方はコンテンツメーカーの間でも強くあった。そのため同時期に作ったクラブ系のアンビエントの作品を私はあえて著作権信託せず、権利の扱い方がどうなるか、見てみようと思っていた。いわば乱暴な言いかただが自作をネット時代における「実験台」としてあえてネットの状況にまかせるままにしたのである。

だが得た結論はある意味では「インターネット革命の伝説」を信じ、著作権やコンテンツ権利が革命的に変わる、などと期待する人たちから見れば寧ろ失望する内容かもしれない。例えばネットの新たな権利の管理の「クリエイテイブコモンズ」なるものは実はたいして役に立たないこともみえてきたし、何かと風当たりが強く、当ブログでも何回か批判をしたJASRACを始め、本来ならJASRACと信託機関として二分しなければならないNext-toneも著作権の重要な権利である「演奏権」の管理ができないため、どうしても脆弱な面は否めない。日本の著作権の信託問題はこの「演奏権」がいまだJASRACの事実上独占状態になっている点が問題である。

つまりひとことでいって旧態依然なのである。

そうして登録しないまま20年の月日が流れていった。3年前にもアンビエントのアルバムを出したが、それも同様に登録しなかった。以下の作品である

そして結論からいって本日上記のアルバムの作品の全ての作品届けを提出した。当たり前だが著作権というのは亡くならないどころか更に重要性をおびてきて、最終的に権利を持った人間が強くなる、という当たり前のことに気づいていたためである。

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自分の会社の出版部を通しての作品届けだが、もう一つ従来の著作権出版での管理を決断させた理由として、先日のSpotifyの決定のように一カ月1000回再生しない作品は分配対象からはずす、ということもあるのと、音楽の不正ダウンロードや権利を無視した使用方法も後を絶たないのも事実。それらを鑑みるとやはり権利を守る音楽出版社は必要である、という結論に達した。

しかし「レコード会社」はもういらない。ストリーミング(サブスク)がメインになった時代だと、配信だと単価が安すぎるためにクッションが間にあるとアーチストの取り分はただでさえ少ないのが減ってしまう。だからサブスクのプラットホームに流す代理店のようなものさえあればいい。つまりTunecoreとかCD Baby とかOrchard とかで十分である。

とはいえ、権利を守る会社というのは必要である。だから音楽出版を通し自作を管理する。

一方映画やドラマの音楽をある出版社経由でリリースして現在ストリーミングだしているが、これがライセンシングを中心にそこそこ使われている。

 

ということでこれから形は時と場合によって違いますが、世間に発表した作品は著作権の信託期間に作品届けを出しますよ、というお知らせでした。

12月 4, 2024 パソコン・インターネット音楽 | | コメント (0)

2024年8月24日 (土)

注意喚起ー映画業界で詐欺が横行しています。内容をきちんと調査確認してから応募しましょう。

先日「名古屋国際映画祭」なる実体のない映画祭が問題になりました。

https://mainichi.jp/articles/20240822/k00/00m/040/242000c

愛知県名古屋市のミニシアター「シネマスコーレ」は22日、公式X(ツイッター)で、同館の住所や写真が無断で使用されたと発表しました。架空の映画祭でエントリー料をだまし取ろうとする詐欺とみられ、映画を作りたいという気持ちを踏みにじる行為で許せないと思います。小生の知り合いでもエントリー料をだまし取られた人がいます。

また広島、大阪にもあるという話で、このようなことが続くと日本の映画界は国内的にもそして勿論国際的にも信用をなくす事態になってしまいます。これは深刻な事態として受け止めなくてはいけません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/99ba0758d8fc34e5f3c05575a20cb8ec19aeb1eb?f&

また最近オーデイション、キャステイングコールでもあたかも「普通の」キャステイングを装うって登録料を強制的に徴収するといった詐欺募集も頻発しています。それだけでなくキャステイング会社、制作会社で経営不振に陥り結果としてギャランテイを払えないケースも増えており、日本の監督も役者もまさに詐欺師に狙われている現状といっていいです。

そんな状態で私もFacebookのキャステイングやお仕事情報のグループ(秘密のグループです。検索しても出てきません)の管理人をしていますが、最近の日本の特にインデペンデント系のキャステイングコールは怖くて掲載できません。特に過去問題を起こした業者が「覆面」で関わっているケースも少なくなく、募集主の背景がよくわからない案件の掲載はリスクが高すぎる、という判断を下さざるを得ません。

これというのも日本は欧米と違い、特にインデペンデントの世界ではキャストやクルーに「契約書」を提示してからクランクイン、というケースが殆どない、という問題があり、それが結果として業界同士の馴れ合いーナアナアな状態になり、契約とか結ばずに役者の撮影が始まったりというのは常習化していますがこれはやはりよくないと思います。

海外のように必ず「契約書」から始まり「契約書にサイン」してからすべてが始まる、という形式を普通にしなくてはなりません。必ず文書で、というと面倒くさがる人も少なくないのですが、それは徹底しないとこういうトラブルに発展する可能性もあります。

どれも「仕事」なのですから、そこは自主映画によくある「何となくナアナアで撮り始める」という形式から卒業すべきだと思います

 

 

8月 24, 2024 経済・政治・国際音楽 | | コメント (0)

2024年6月23日 (日)

Mrs. GREEN APPLEのMV炎上事件から昨今のキャンセルカルチャー/コールアウト・カルチャー 化の風潮に一石を投じる

この件は私は基本的には部外者なのだが、この事件はSNS時代の表現のありかたに関係するのであえて記事を投稿する。

初めにお断りしておく、私は世界的に定着しつつある多様性(diversity)を認め、人種、ジェンダー、身体障害、その他いかなることが原因による差別に明確に反対するものである。世界的に多様性(diversity)の流れが定着し、あらゆる差別がなくなることを非常に望ましい動きであると考え称賛する。

 しかし問題はその多様性(diversity)の動きの運用方法である。

先日炎上したMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオが、歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたことで炎上したのは記憶に新しい。これはヨーロッパの歴史上の有名人に扮したメンバーが類人猿にピアノを教えたり等、「植民地主義を肯定した人種差別的表現」と受け取る表現があったことが問題視された。

Mrs. GREEN APPLEのメンバーには悪気はないように見える。それだけに事態が深刻なのだが要は日本人が歴史認識の点でさまざまな問題があることを世界に示してしまった例となった。今はこのミュージックビデオは公開されなくなったようだが、こういう特定の人物・団体の反社会的言動を人々が問題視し、追放運動や不買運動などを起こす可能性のあるキャンセルカルチャーの問題となってきている。

最近の多様性(diversity)の問題を含め、以前とは違って社会的に受け入れられない言動を批判されたり、説明を求められたりすることが多くなってきている。その関係でMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオの公開禁止はある意味当然の結果として受け止められている。逆に同グループの追放運動や不買運動にまで発展しなかっただけ傷口は浅いのでまだマシである。

だがここでこのキャンセルカルチャーの扱いを間違えると逆に危険な事態に発展するのではないかと危惧する。

昨今の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」の流れを受けて、ミステリーの女王と呼ばれるアガサ・クリスティの小説において「現在 不適切」と判断された表現が2023年に改訂されたという。また映画「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」がストリーミングサービス「HBO Max」の配信ラインナップから削除されたり、世界的バンド ザ・ローリング・ストーンズ / The Rolling Stones が、彼ら自身の曲「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」をステージでは演奏しないと宣言すると言った事も起きている。

むろん「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」は人種差別が当たり前のように存在する南部アメリカを舞台とした映画であり、ストーンズの「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」は奴隷制に言及する部分があるのも事実である。多様性(diversity)を推進する立場から問題視されるのはある意味当然のことである。
だがここであえて問題を提起したい。歴史上かつてイギリスからアメリカで奴隷制度が存在していたのは史実であるし、その奴隷制度を推進したアメリカ南部(のちにこれが南北戦争の原因になる)の人種差別的体質が根強くあり現代でも決してなくなってはいない、という事実をとらえる時、映画や音楽でその「奴隷制度や人種差別を描いた部分」を「不適切な表現」として全て削除するのは果たして正しい選択なのだろうか?、という点だ。

史実は史実として伝えることも映画や音楽の責務ではないか、とも思うのだ。

例えば「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」ではナチスがユダヤ人を差別し侮辱する表現が多く出ている。これらを全て「不適切表現」としてしまうとこの2つの映画は上映不可能になる。だがこのナチスの行った卑劣で残虐な行為を映画やドラマで表現することも重要だと考える。その場合いちいち「不適切な表現」として削除を要求するのはいかがなものかと考える

戦争責任がある我が国でもそうだが、過去の行った犯罪を史実として認めようとしない勢力は日本にもドイツにも存在する。実際「アウシュビッツは事実ではない」と主張するドイツ人もいるし、我が国では「南京大虐殺」や関東大震災での朝鮮人虐殺、太平洋戦争時の朝鮮人強制連行を史実として認めることを頑なに拒否する勢力が存在する。日本の場合困ったことにそのような勢力が自民党を中心とする権力機構に少なからず存在するのも事実である。

そうした人間がこの「キャンセルカルチャー / Cancel culture」の風潮を利用して過去の「不都合な史実」を不適切と判断される事象/言動/物として削除や廃除を要求するようになったらどうだろう?実際トランプ元大統領で現在共和党の大統領候補が奴隷を所有していたことで建国の父祖founding fathersとよばれる合衆国建国時の政治リーダーたちの像の撤去を求める運動の時に「暴徒たちの行為はアメリカの文化を否定する“キャンセルカルチャー”だ」となじった。

トランプがこの言葉を発した時私は背筋が寒くなったことを覚えている。この男は気に入らない表現、本人にとって不都合な史実を全て「キャンセルカルチャー / Cancel culture」として排除を要求する可能性がある。(実際2021年の議会乱入事件など「不適切な事実」として葬ろうと思えば可能だ)そうなるとトランプの独裁制が完成することになる。
ついでにいえば3年前のアメリカ議会乱入を煽動したのは間違いなくトランプであり、民主主義を破壊する行為を平気で行う人物をまた大統領候補に選ぶ、という暴挙をアメリカ人は行おうとしている。この意味をもう少し考えるべきだ。トランプこそ民主主義の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」として排除すべきである。

ネットには暇人が洋の東西を問わず多く、何か話題の表現が出てくると重箱の隅をつつくように「不適切な表現」を捜そうとする。そして彼らがそれらしい表現を見つけたらまるで鬼の首を取ったかのように拡散する。だが本当の意味の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」は慎重に議論をした上で認定すべきである。何よりも例え結果として差別表現や不都合な史実が出てきても、それが実際にあった史実であればそれは伝えるべきである。

でないと史実を知らないまま無邪気に「不適切表現」をしてしまうMrs. GREEN APPLEと同じ失敗を犯すことになるだろう。

 

 

6月 23, 2024 経済・政治・国際音楽 | | コメント (0)

2024年6月 9日 (日)

人生は「未完成」なのがもしかしていいのかな、と

まず現在の業務状況をいうと、現在国内物の長編映画の音楽制作案件が一件進行中。実は基本的な部分はできているのだがこれから最終(かどうかわからないけど)の編集があがるのを待っている状態で、いずれにせよ短くなることはあっても長くなることはなさそうなので、とにかく編集の上がり待ちである。足すのは大変だけど削るのは簡単である。

そしてもう1つ、これが大きな問題でここ数年海外の映画の音楽制作の機会を作ろうとしていたけど、ようやく契約書を締結するところまで行きそうだけど、ようやくできるかと思ったら投資家の一人が中国出張中で来週になることが決定。海外映画、特に国際映画プロジェクト(映画のグローバル化を反映して違う国の合作の方が多い)はインベスター全員の承認が必要らしい。日本とは違った難しさがあるわけだが、そんなわけでまた待たされることになる。

もともとせっかちな性格なので「待つ」というのは性に合わないのだが、この状況はどうにもならない。
このプロジェクトだけではないんだが、最近の海外の映画制作の進行は本当に遅い。遅くてイライラするくらいだが、そんなことで気がめいっているので、クラシック音楽でも聴こうする。ロックやポップスだと何だか仕事の延長になってしまう気がするからである。

Franz_schubert_by_wilhelm_august_rieder_それでたまたま聴いたシューベルトの未完成交響曲(!) 実はシューベルトの作品の大半は一部を除いて実質「遺作」のようなもので交響曲も番号が安定しない。私の子供の頃は「未完成」は8番だったのだが、今は7番とかになっている、そもそもシューベルトの交響曲で未完成なのはこの曲だけではなく他にも何曲かあり、本当の番号も研究者によってまちまちである。例えばシューベルトの交響曲の最高傑作といわれるハ長調の「ザ・グレート」も7番から9番の間を研究者によってずれているため、どれが本当かはわからない。
ただ1点。これは私見でシューベルトファンを怒らせるかもしれないが、個人的にはいわゆる「未完成」といわれている交響曲と「ザ・グレート」といわれている2曲を除いてはシューベルトの交響曲は習作の域を出ていないように思う。本当にシューベルトらしくオリジナル性がはっきり出ているのはこの2曲しかないと思うのだ。まあ異論がある人も多いと思うので、この件はここだけの話にする。実は当ブログ記事の本題はそこにはない。

 このシューベルトの「未完成」交響曲には昔、個人的にいわくつきな事情がある。といっても今考えると他愛もない話ではあるのだが..(笑)

私は子供の頃から音楽を聴いて、この曲はどうやって作られていくのか、ということに強い興味をもっていた。古い話だがプログレッシブロックでシンセサイザーが使われている時に、当時まだ高値の花だったシンセをいじりに楽器屋に入り浸っていたし、オーケストラ曲を聴くときはスコアとにらめっこしていた。その様子は当時の同級生にも知られていて、いろんな話しているうちに「シューベルトの未完成交響曲を完成させてみろ」という話になり、まあ子供同士のやりとりで「よし、やってやろうではないか」みたいな話になった(笑)ww

参考記事

https://mag.mysound.jp/post/692

クラシックのアカデミズムでガチガチな人から「シューベルトを冒涜するのか」などという人が出てきそうだが、まあそこはさておいてください(笑)。しかし先ほども「未完成」といわれている交響曲と「ザ・グレート」の2曲がシューベルトの交響曲の中で突出している、と書いたが実際この「未完成交響曲」といわれている曲ー第一楽章と第二楽章は完成しているのだが、この2つの楽章は音楽作品として完成度が極めて高くまたシューベルトらしい抒情性とダイナミズムを兼ね備えた作品である。これだけで十分に高い芸術性の作品なので、だからクラシックの演奏会でもよく演奏されるのだが、三楽章以降シューベルトがなぜ完成しようとしなかったのか不明である。

しかし第三楽章のスケルツオと思われる部分の初めの部分は書いており、

Schubert_unfinished_score

これを参考にして三楽章を作ることは可能ではある。

シューベルト「未完成」の第三楽章のピアノスケッチ

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Unfinished12

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ピアノスケッチをベースに作業したので、なにやら音大作曲学科の「オーケストレーション」講座の課題のようにも見えるが、これらを参考にして作ったものはあったのだが、その楽譜自体はもう紛失して今どこにあるのかわからない。まあ子供の遊び以上のものではないので、どうでもいい、といえばどうでもいい

だが同時にこれをやってみて、あることを思った。シューベルトのこの交響曲は二楽章のみの「未完成」だからいいのではないかと。

自分で曲を作ってみて思うのは、本当の意味で「完成した」作品を自分はどれだけ作っているのかと思うことがある。自分の作品はもしかしたら「未完成」だらけなのではないか、とも思う。だから私の曲には「ナントカバージョン」といったものが結構ある。それは以前作ったバージョンで自分は満足しておらず、作品として「完成されていない」からやったことではないか。とも思う。

シューベルトの「未完成」といわれている交響曲で現在よく演奏されている二楽章は極めて完成度の高い作品である。しかし三楽章以降はスケッチのみで実際にシューベルトがどう作ろうとしたのか今となっては知りようもない。だがその残りの2楽章がないからこそ、ある意味我々の想像力をかきたて、「あとはどうなるのだろう?」といった我々が子供の頃に考えたように想像するのも楽しいかもしれない。

たぶんよほどのことがない限り、今週くらいには今度こそ海外のフィルムメーカーと契約をかわすことになると思うが、実際に映画音楽作品に着手したらまた「未完成」の作品ばかり作るのかもしれない。でも結果的にそれが映画作品を引き立てるものであればそれでいいのである。

 

 

 

6月 9, 2024 音楽日記22ー | | コメント (0)

2024年5月 3日 (金)

ピーターガブリエルの新アルバム、I/Oボックスにサブスク時代の「音楽の商品」の形を見る

サブスク時代に入ってから長いが、日本の業界筋ではいまだにCDに固執する向きが根強く存在する。それどころか「アナログレコードを出す」といっただけで嘲笑する向きすら存在する。

しかしそうした雰囲気を持っているのは日本の業界筋だけであるということを私は何度もいっているがいまだにそれを理解しようとしない人がいる。正直どんだけ頭が硬いんだと言わざるを得ない

先日発売されたピーターガブリエルの新アルバム I/O ボックスは以下のような商品になっている。あちらのアーチストの音楽の売り方の1つとしてご参考になればと考える

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ボックスで販売
(1) アナログレコード3枚
(2) ライナーノーツノートブック+CD3枚
(3) 写真集

全て合わせて123スターリングポンド(約2万5千円)

ちなみにサブスクでは3曲のみリリース(シングルカットと同じ)
ファンで結構買っている人がいるようです
いろいろと議論があるところでしょうがあくまで参考まで、

確かにサブスクに偏ると収入が増えないのもまぎれない事実
特にSpotifyの先日の支払いルール変更があれば余計にそうなるでしょうね

 尚、サブスク時代だけでなくCDの末期からこの傾向が出ていましたが、アルバム一枚をじっくり聴くということをしなくなっている人が増えているように思います。特に最近の日本人にその傾向を感じます。しかしアーチストの曲をじっくり聴くというのは必要なことだと思います。その意味でも改めてアルバム一枚じっくり聴こうという風習を復活させるべきだと考えます。

 

 

5月 3, 2024 音楽 | | コメント (0)

2024年4月12日 (金)

Spotify 収益ルール変更に関する世界の反応と今後の戦略に関する考察

この件に関しては昨年の11月にSpotifyが発表していたようだが、実際に内容を詰めて発表したのは4月1日になってからである。

サブスクプラットホームの最大手のSpotifyが収益化に関して以下の「ルール変更」を発表した。

1. 楽曲販売収益の分配対象を1年間で少なくとも1000回再生した楽曲のみに限る

Modernizing Our Royalty System to Drive an Additional $1 Billion toward Emerging and Professional Artists
https://artists.spotify.com/blog/modernizing-our-royalty-system

2 不正再生操作に対する課徴金をもうける。プレイリストへの登録、フォロワーやストリーム数を増やすためにプロモーション料を支払う行為を不正操作とみなす
人為的に操作されたストリーミングと、再生数の獲得を保証するサードパーティーの有料サービスは正当なサービスではありません
https://support.spotify.com/jp/artists/article/third-party-services-that-guarantee-streams/

3 楽曲が「ノイズコンテンツ」とみなされた場合は販売収益が発生しないか、一再生0.3円⇒0.2円に変更する

特に大きな問題は「年間1000再生しないと収益が受け取れない=収益受け取れない曲を持つアーチストがたぶんわんさか出る」ことになる点ではないだろうか。
日本のインディーアーチストでSpotifyで無駄に流してピタ一文お金が入らない、という事態連発ならどうなるであろう?Spotifyで流しても1000回の再生を達成できないトラックは結構あるものである。特にアルバムの中の全曲がそれを達成するケースは特に私のようなインストが多いアーチストだと難しくなる。

これアーチストの組合で問題になる可能性もあるのでは?実際ハリウッドでのSAGで映像ストリーミングのプラットホームがこれをやったらたちまちストライキになる可能性があると思い、Facebookの海外アーチストやストリーミングプラットホーム関係のコミュニテイにこの件に関してどう思うかきいてみた

そうしたら「これはインデペンデントアーチスト」に対しては不利な決定だろう、という受け止め方があったものの、おおむね冷静な受け止め方をされていることに驚いた。

いわく「年間1000再生でも30円くらいにしかならないのだから、別にそれがなくなってもたいした影響はない」 

確かに数字上ではそうだ。ただ果たしてそういう問題だろうか?

これは思うにサブスクに対する意識が日本と欧米で違うからではないだろうか?サブスクというものとどうとらえるか、によってこの事態に対する姿勢が違うかもしれない

実は日本ではいまだにこれをいうと笑われたり、「嘘だ」といわれるのだが、実は海外ではCDが完全に絶滅してアナログレコードにとって替わられている。CDは本来アナログレコードに取って代わるはずのものが、サブスク時代に入って皮肉なことにCDにアナログレコードが取って代わったのである。

 ■10年で市場規模が10倍に 「アナログレコード」復活の理由をUX観点から考える
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2306/09/news007.html

日本では大手のアナログレコードショップといえばデイスクユニオンを思い起こすが...

ロンドンもナッシュビルも完全にアナログレコードが今や主流である。

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ナッシュビルのレコード店

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ロンドンのレコード店

日本はサブスクでなければ相変わらずCDを考えるが、海外ではサブスクとアナログレコードが完全にセットになっているのである。

しかし相変わらず時代が変わったことを認めたがらない日本の業界筋は海外と同じ路線に行くことを拒否する向きが多い。

つまりどういうことかというと、ニュアンス的にサブスクに対して認識が違うのである

日本: サブスクで最大限の収入を目指す

欧米: サブスクは収入より「宣伝」である。それでも全世界のストリーミングで数億から場合によっては10億回再生する場合もある

これを考えると今回のSpotifyの決定で1000回未満再生トラックのオミットなどどうってことはない、と考える向きもわからなくはない。「賞品」のメインはあくまでアナログレコードかツアーコンサートなのである。

とはいえ、日本もサブスクで最大限の収入を目指すにしろ、日本国内だけの市場ではおぼつかない。やはり全世界の人に聞いてもらうためにどうするか、ということも考えるべきであろう。

 

 

 

4月 12, 2024 音楽 | | コメント (0)

2024年2月11日 (日)

偉大なマエストロー小澤征爾の残したもの、次世代が引き継ぐべきもの

既に報道されているように、日本が生んだ偉大な指揮者の小澤征爾氏が6日、東京都内の自宅で心不全のため死去。88歳

■「世界のオザワ」指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 カラヤン、バーンスタインに認められ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/308485

2006年頃から体調を崩し始め、一時持ち直したものの、2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり以来、闘病生活が続いていた。そして先日天に召されてしまった。
小澤征爾の日本の音楽に対して遺した功績は数知れない。その中でも特筆すべきは

ウイーンフィルのニューイヤーコンサートの模様。
you tubeも早くも追悼メッセージ
この映像は日本人として誇っていいと思う

また長らく常任指揮者を務めたボストン交響楽団(BSO)の小澤征爾への追悼セレモニーの動画
J.S.バッハのG線上のアリア演奏後に黙祷 。思わず涙が出た。

日本人の音楽家でこれだけ世界中からその死を悼まれた人物がいただろうか?

いや、坂本龍一氏、高橋幸宏氏の訃報も世界中から死を悼まれ、リスペクトも得ていたが記憶に新しいが、小澤征爾氏は音楽のジャンルや国籍に関係なく世界中からリスペクトと死を悼まれている。

それは次の映像でわかるのではあるまいか

ベルリンフィルとジャズトリオの共演。「楽譜を忠実に」という発想ではこの演奏は理解できないかもしれない。だがこの演奏はガーシュインの意図から少しも離れていない、ジャズミュージシャンだからこの演奏になり、これこそが音楽である。小澤さんはそれをよく理解していた、だから偉大な音楽をプロデユースできたのである

「小澤征爾が遺したもの」とは何か?

小澤征爾がその膨大な演奏の記録、録音から動画まで残してくれたもの。
いうまでもなくそれらは人類への文化遺産であるが、そこには小澤征爾という一人の音楽家の音楽に対するひたむきな情熱、音楽によってリスナー(聴衆)へのコミュニケーションの軌跡ではないかと思う。

先ほどの動画にも出てきたが、音楽のジャンル、に関係なく音楽の中にある「メッセージ」によるコミュニケーション。「メッセージ」といっても具体的な言語やテキスト情報ではなく、音楽そのものによって伝えるサウンドーいわばハートによる表現によって伝わるメッセージである。
うまくいえないが、演奏する音楽ーサウンドによって聴く人に伝わる演奏が人に感動や情動を伝えることができるーそういった演奏を数えきれないほどやってきた、それが人類への文化遺産として残してくれたし、それが可能になったため「音楽の素晴らしさ」を伝えることができたのである。

つまり音楽はただロボットのように「正確に音符を演奏する」ようなものではなく、一音一音に気持ちを込めそれを人に伝えようという気持ちで演奏しなければならない。俗にいう「ハートが入っている演奏」のことをいう。

そういう「ハートが入っている演奏」を無数に残してくれたのが小澤征爾氏であり、だからこそ彼がマエストロと世界中から音楽のジャンルに関係なく尊敬を集めることができたのである。

私たちはこの小澤征爾と同じ時代にうまれることができたことを感謝し、その遺産を宝物として次の世代にうけつがなければならない

「次の時代に引き継ぐもの」

小澤征爾の遺産である無数の「ハートが入っている演奏」を遺産として引き継ぐことはいうまでもない。

だが一番重要なのはその「遺産」を作った精神をひきつぐことである。

小澤征爾は建前上、クラシックの演奏家である。しかし彼は「ハートが入っている演奏」ーつまり生きた演奏であればクラシックだろうがジャズだろうが、場合によってはロックでも関係なく取り上げる。

大事なのはカタチではない、大事なのは音楽のサウンド1つ1つにこもった気持ち、メッセージを伝える姿勢である。

それが生きた音楽、人々の心をつかむ演奏になるからである。

あとに残されたものとして少しでもこの偉大な音楽家の精神を受け継ぐことができるようにしたいものである。

Matsumoto

R.I.P> マエストロ

 

 

 

2月 11, 2024 文化・芸術音楽 | | コメント (0)

2024年1月18日 (木)

当ブログ20年ーほぼ改革0の音楽業界ー10年後に日本の音楽業界は存在しているのか?

今年に入りいきなり能登半島の大地震と津波、2日目に羽田での日航機と海上保安庁の衝突事故とのっけから大変なことが立て続けに起き、今年はどうなってしまうのだろう?という風に思ったが、とにかく能登半島の被災者の避難と保護、そして生活再建に向けた動きが加速できればと思う。お亡くなりになった方のご冥福と被災者の方に心からお見舞いを申し上げます。

そんなことですっかり忘れてしまったのだが、今年はこのブログを立ち上げて20年だということに気づいた。当時はまだブログというプラットホームが出始めたばかりであり、SNSも現在のような社会的影響力を持ち合わせていなかった。そんな中当時から既に衰退し始めた当時の音楽業界に関して危機感を表明していた。

■音楽業界の現状を憂う
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2004/04/post-4b03.html

しかし20年前から、そして勿論現在も、だが誰一人聞く耳をもたなかった

そして20年前から日本の音楽の世界がどうなったか、今更いうまでもないだろう。

J-pop?そんなのまだあるの?

かつて音楽業界を「支えた」といわれるアルファベットの3文字や坂道などはCDというメデイアの事実上の衰退により機能不全となり、もはや完全に有名無実である。

今そして日本の音楽界はもはや完全に業界の体をなしていない。事実上K-POPに支配されており、それ以外の日本の音楽は一部のアニソンを除けばもはや海外ではゴミ扱い、というのが実情である

そしてこうなることはだいぶ前から予想ついたはずだ。だが誰も現状を変えようとはしなかった。日本の音事協を始め芸能界、音楽界の変化を極端なまでに忌み嫌う体質もあって日本の外の激しい変化に対応することを考えていなかったのである。

そして私の持論である日本の音楽界をダメにした件が余計に日本の音楽の世界の惨状を象徴するものとなった。

いうまでもなくタイアップである

■タイアップ状況異変!! クオリティの低いメジャー会社の音源と番組に合わない曲不要論台頭
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2014/01/post-bcaf.html

特にCDからサブスクが主な時代に入り、従来のプロモーション方法を根本から変えざるを得なくなった。それはサブスク時代に入り構造的にタイアップを取る=ミリオンセラーになる、なんていう時代はもう終わっているのだ。

ではサブスクの時代にミリオンセラーは可能か? いやビックアーチストならミリオンセラー=100万回再生は可能だろう。だが100万回再生したところでサブスク時代ではいくらの収入になるのか? ちょっと考えればわかることだ。

Spotifyで一回再生したところで0.3円である。100万回再生したところでせいぜい30万(!!) これじゃ事務所代も出ない

しかし日本の音楽界は変化というものを極端なほどに忌み嫌う業界である。そのため「従来からのカタチ」に固執する傾向が強い。

「以前からこういうやり方でやってきたから引き続きこのやりかたでやる」

「以前このやりかたでミリオンセラーで成功したんだ。これからもこのやり方で成功するはずだ」

......     申し訳ないがあまりにも思考停止の度がすぎる。

そこで以前も書いたが、海外では作曲家の収入においてストリーミングではなく別のチャンネルからの収入に主眼を置き始めている。

それがライセンシングである。

ライセンシングとは(使用許可を与える)ことで映画やテレビ、CM等での音源使用料をロイヤルテイとして徴収するしくみで、特にハリウッドの映画やテレビだと下手すりゃ億単位の金になる。私は映画音楽制作の面で海外の映画音楽事務所とつきあいがあるが、もう海外の作曲家もアーチストもサブスク関係の分配額があがらない限り、そのチャンネルの収入よりはライセンシングに主眼を置いた戦略に切り替えている。

ところが日本ではそれをやりたくてもできない事情がある。

なぜならタイアップがあるからである。

日本のタイアップは作曲家が日本国内でライセンシング収入を得ることをほぼ不可能にする。JASRACは建前上一つの曲にタイアップを一回のみに限定、としているがタイアップ契約を作るときに権利ががんじがらめになり(それも訳の分からない「代理店」以外の会社があたかもタカリのように集まってくる)そして事実上他のところでライセンシングを行うことを不可能にしてしまう。

特に東京オリンピックで元電通プロデューサーが逮捕されているがこれもオリンピックよろしく自分では何もしないくせにマージンだけわんさか持っていく利権構造がある。はっきりいうが、これはいかにも「昭和」の発想でありストリーミング時代になればこれは作曲家を事実上殺すシステムとなる。

これも以前に書いた記事である。詳しくはこちらで

■音楽業界総スカン覚悟でいうがサブスク時代に入りメデイアとの「タイアップ」はやめるべきだ。このシステムでのタイアップは作曲家を殺す https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2022/12/post-918fb9.html

それゆえ、私はタイアップというものを廃止すべきだ、という持論をもつに至ったが、いうまでもなく業界からは完全無視されている。

だが状況はますます危機的になっている。そして音楽のクオリテイもますます酷くなっている。

そして映画の世界ではようやくビジネスの「グローバルスタンダード化」に向けて動き始めているが、日本の音楽業界はビジネスのグローバルスタンダート化に向けた動きはほぼ皆無。おかげでジャニーズや松本のセクハラ騒ぎ(松本は欧米ならレイプになり逮捕されてもおかしくない)も全く無関心。現場ではいまだに旧態依然のセクハラ、パワハラが当たり前のように存在している。

もはやどの世界からも置いてけぼりの世界になっている日本の音楽界だが、それらを変えようという動きは皆無といっていい。そして(おそらくは)業界の大多数が波風がたつので世界の変化に対応しようなどとは思っていないんだろう、

はっきりいって私は相当前からこのことを訴えていたが、もう訴える気にもならない。どうせ誰も聞く耳もたんしいうだけ無駄だろう。とも私自身も思っている。どうせ最近の私は音楽業界人というよりは映画業界人に変わりつつある。その方がやりがいを感じるからである。

このブログも日本の音楽の惨状に対しては無力だったわけだ。

10年後、「日本の音楽業界」はもう存在しているだろうか?

 

 

 

1月 18, 2024 音楽 | | コメント (0)