2026年4月11日 (土)

拙作「デビュー作?」”Music in DNA”LP(Vynil)発売

日付変わって昨日になりますが、工場の都合で発売が遅れてました拙作 "Music in DNA"のLP,ビニール盤が発売されました。655065136_26189490984004671_683523227940190019439_20260411002601

合わせて遅まきながら弊社サイト内に"MUSIC IN DNA"のページを作りました。

https://www.hybridmusic.jp/musicinDNA.htm

変な話、アナログレコードを出したのはMusic in DNAの自主盤を作って以来なんですが、42年の月日の中CDは完全に衰退の道を歩んでいるのに対し、アナログレコードはその40数年の荒波をくぐって生き残っているわけで、すごいと思いますね、今や音楽産業の形はSpotifyやApple Music といった配信とアナログレコードの2種に集約されてきています。

ある意味アナログレコードはジャケットを始め存在感を示せるのでいいと思います。

今日ようやく発売されたアナログレコードは全国のアナログレコードの売場で買うことができます。

Disc union, HMV、Tower Record, Discogs, ハイファイ・レコード・ストア、その他アナログレコード売場にて絶賛発売中です、

レコンキスタレコードから恐縮するような評価をいただきました
https://www.facebook.com/.../yasuhito.../1272227988442882/

素晴らしいです!Yasuhito Ohnoが1984年に自費出版した幻のシンセ作品がリイシュー!

シンセ1台とヴォイスのみで表現されたロウファイな電子音作品といった趣のサウンドが凄く格好イイですね!80年代初期ニューヨークのアヴァンギャルド・ムーブメントに触発されて制作されたという作品で、フックの効いた様々なアイデアが生々しく熱を帯びて奔流していくようなサウンドがとても魅力的ですよ!また、空間が歪んでいくようなある種のサイケデリアや和的なエッセンスを用いた無邪気かつユーモラスな展開も◎!

それから、収録曲の一部は初期CGのデモ映像のバックグラウンド音楽に使われ、本作のジャケットは初期のCGアートとのことですが、やはり初期CGと連動しているかのようなプリミティブなサウンドもとても魅力的ですね!

何気にニューウェイブやポストパンク、それからアウトサイダー・ミュージックなどが好きな人も楽しめるかもしれません!いずれにせよ、奇妙にポップでエクスペリメンタルなロウファイ電子音作品の傑作です!自身によるライナーノート付!オススメ!

ありがとうございます。ここまで絶賛していただけるとは思ってもいませんでした。
というわけでご興味がありましたら是非お買い求めいただければ幸いです

 


 

Yasuhito Ohno [ Music in DNA ] LP
 
3,850円(税350円)

 

ご購入

 

 

Yasuhito Ohno [ Music in DNA ]CD
 
3,850円(税350円)

 

ご購入

 

 

4月 11, 2026 音楽 | | コメント (0)

2026年3月14日 (土)

久々ラジオ出演ー私の「旧作アルバム」復刻版発売に合せて

先日発表しました拙作の初自主アルバムの復刻版"Music in DNA"に関して、東京江東区のレインボータウンFMの番組、「岡村洋一のシネマスクエアに出演してきました。

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レインボータウンFMはもう20年以上前に一度出演させていただいたことはありますが、本当に久しぶりでした。以前コミュニテイFM番組の制作に関わっていた私ですが最近ではすっかりラジオはご無沙汰になってしまいました。

今回はいつも一緒に仕事をする映画監督の中田圭さんの計らいで、こちらも監督の長年の盟友で俳優の岡村洋一さんの番組に出演させていただきました。

目的は勿論先日当ブログでも告知させていただいた復刻版の宣伝が目的です。フライヤーができましたのでお見せします

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Flyer2

まあ何度もいいますが、まだプロの音楽家になるための十分なスキルなどなく、まさしくまだ初心者といっていいレベルで、作品を久々に聞くと、本当に稚拙,音創りなども今聴くと殆どシロウトレベルで穴があったら入りたいくらいのレベルですが、そんな曲をなんと5曲もオンエアしていただきました。
正直恥ずかしくもありましたがありがたかったです。意外ですが曲は好評でした。(笑)

番組はこんな感じで始まりました。

3月27日に発売ですのでよろしくお願い申し上げます。現在予約注文受付中です。

LP
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=190019428

CD
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=190019439

<お詫び>
お世話になります
拙作の超初期の作品"Music in DNA"の発売日になりました。
しかしながらCDは予定通り発売されていますがLPが工場の都合で皆さまのお手許に届くのが4月10日以降になります。
ドイツのプレス工場を使っているというのもありますが、大変申し訳ないことながらLPをご注文の方はもう少しお待ちいただくようにお願い申し上げます m(_ _)m

3月 14, 2026 音楽 | | コメント (0)

2026年3月 1日 (日)

まだプロになる前の超初期の作品の復刻版"Music in DNA" が3月27日に発売!! 予約受付中!!

3月に入りました。実は今月下旬の27日に自分の初期の作品がなんと復刻版にて発売されます。

まだプロの音楽家になるための十分なスキルなどなく、まさしくまだ初心者といっていいレベルで、作品を久々に聞くと、本当に稚拙,音創りなども今聴くと殆どシロウトレベルで穴があったら入りたいくらいのレベルですが、そんな未熟の作品に対してオファーをいただける、ということは本当にありがたいことなのでオファーを受諾させていただくことにしました。 

190019439
Yasuhito Ohno /Music in DNA
[EM Records EMC-029CD, 2026年] LP

https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=190019439

80年代初頭にニューヨークに一年ほど住んでいました。
80年代というと音楽ではニューウエーブとかいうイメージがありますが、当時の私はアバンギャルドのムーブメントにのめり込んでおり。83年-84年はいわゆる「パフォーマンス」という語法でローリーアンダーソン、メレデスモンクといったアーチストの作品に触れていました。当時日本の音楽状況に半ば絶望を感じていた私にとってそれらは救いであり、音楽家のくせにアートシーンに興味を持ち、Sohoのギャラリーなんかもよく覗いていました。

そんな80年代の刺激をうけつつ当時まだ20代のトンガった若者だった私が、クリエイターの駆け出しとはいえ何か音楽作品という形で発散しないはずがありませんでした。その発散したものが本アルバム。当時買ったばかりのカセットの4チャンマルチトラックレコーダーとポリシンセ1代―当時愛用したローランドのJUNO60によって作られました。そうJUNO60一台のみで作品を作ったのです

何度もいいますが、本当にまだプロといえるようなスキルなどまだなく、まさしくまだ初心者といっていいレベルで、作品を久々に聞くと、本当に稚拙,音創りなども今聴くと殆どシロウトレベルといっていいかもしれません

しかし同時に粗削りでも生の自分がそこにい、といえます。20代前半の若造だからこそ許される表現だと思います。今同じ音を作れといわれてもたぶんできません。(笑)

当時は今作曲家として使っているペンネーム-「大野恭史」(おおの きょうじ)も存在しませんでした。そのためアルバムは自分の本名”Yasuhito Ohno”(ヤスヒトオオノ)にさせていただいております。まあまだプロとして活動していない時期の作品だからそれでいいと思います。引き出しの奥にしまわれたよみがえったとんがった自分、習作の自分の姿がここにあります。

5年前にも自分が出した環境音楽、ヒーリング音楽が復刻版としてリリースされました。この時は全て配信でしたが、大量な曲数が復刻版として再リリースされました。正直これらの殆どの作品は一度廃盤になり、私も一時は日の目をみることを完全に諦めていたのですが、どなたかが復刻版を出すことに推薦して下さったのかもしれません。ありがたいことです。

■超初期の作品の復刻版が出ることが決定ー2021年に続いてまた..
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2025/06/post-a103ad.html

ビクターエンタテインメントの大野作品の旧作ーサイコジェネシス他ヒーリング音楽アルバムを中心とした25タイトルのリリース詳細 https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2021/04/post-1342aa.html

この5年前の復刻版に続き、今回はLP, CDとパッケージが発売されます。現在予約注文受付中です。

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よろしくお願いします

 


<お詫び>

お世話になります
拙作の超初期の作品"Music in DNA"の発売日になりました。
しかしながらCDは予定通り発売されていますがLPが工場の都合で皆さまのお手許に届くのが4月10日以降になります。
ドイツのプレス工場を使っているというのもありますが、大変申し訳ないことながらLPをご注文の方はもう少しお待ちいただくようにお願い申し上げます m(_ _)m

3月 1, 2026 音楽 | | コメント (0)

2026年1月 8日 (木)

AI 時代の音楽アカデミズムはもはや無用の長物 「マニュアル」的「アカデミック」なクリエイテイブはAIに駆逐される

さてここで好むと好まざるに関わらずこれからの人類社会に大きく影響を与えるだろうAIについて考えたいと思う。なぜならこれは避けて通れない問題だからだ。

そもそもAIのメカニズム、基本理論はコンピューターの「パターン認識」である。この基礎理論は私も大学で少しかじったのでわかるが昨今の膨大なデータ処理を「パターン認識」に導入して「何のあとに何が来る」というパターンをビッグデータをベースに覚えさせて限りなく本物に近いものを作り上げる。

これは画像だけでなく動画、音楽も歌、ヴォーカルの「パターン」を覚えさせて存在するビッグデータに基づき、あたかも本物の音楽作品のように作り上げる。最近注目されているSunoによる音楽制作に関して以前当ブログで書いたことがあるので関連記事としてご紹介させていただく。

Sunoによる音楽作品を聞いて、音楽業界の未来その他に対する所感
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2025/06/post-81d845.html

この記事にも書いたが以前日本の音楽業界で「売れセン」などというおかしな言葉がはやり、J-popを徹底的にパターン化、マニュアル化した作り方が、あたかも業界で正統な音楽栄作のマニュアルであるかのような言質が広まった。しかしちょっと前のビーイングやエイベックス系から最近にいたるまでもう殆ど生成AIで表面上はできてしまう、というのが証明されたことになる。

つまり「売れセン」化の曲を作るのであればそういう曲はAIの方が確実にうまく作れる、ということになる。

https://suno.com/home

一方音楽大学の作曲家のアカデミズム。これも学生に「マニュアル化」「方程式化」した音楽作品もこの「売れセン」と同様、AIの方が確実にうまく作れる、と断言できる。
これは私が音大に行かなかった最大の原因の1つでもあるのだが、そもそも作曲という工程を「マニュアル化」「方程式化」すること自体がナンセンスである。マニュアル化「既存の音楽」の形式や作曲手法(エクリチュール)を絶対視すること自体がすでに既存の音楽表現の焼き直しであり、そこにクリエイビテイはない。そして「既存のパターン」で作るわけであるからAIにとってはお手の物である。

つまりAI時代に入ると音楽作曲のアカデミズムはもはや無用の長物になる。

人間のクリエイターがAIに勝つ方法は1つ、それは既存の「パターン」を崩す、つまり「マニュアル」や「方程式」ー既存のエクリチュールを「破壊」することである。既存の「パターン」に沿わないものをAIは作ることができないからである。

そこに人間の活路がある。

大学の作曲家の教授の教えた通り、マニュアル通りに作ってもAIの方がより複雑で高度なエクリチュールで作曲できる。

そしてそのようにしかトレーニングされていない作曲家はおそらく未来はプロの作曲家としてはやっていけないだろう。

ハンスジマ―風に作れといってもAIにハンスジマ―の手法を覚えさせて作らせた方が確実である。だがそんなものは発注した映画監督は満足するかもしれないが、聴衆としてはどうか?結果としてつまらない映画音楽ができるだろう。

いくら曲のクオリテイは確かによくても、やはりずーっと聞いているとAIの曲はつまらないというのが正直な印象。
また「生の気持ちのこもった」表現はAIにはできないだろうな、というのが正直な印象。人間の感情のデータとして「パターン化」した試みも行われているが、やはり我々人間が聴いていてやはり違和感がある。やはりそこに人間の表現が入る余地があるので、やはりAIが完全に人間の演奏する音楽に取って代わるということはないと思う。

「マニュアル通り」「売れセン」そして「音楽のアカデミズム」ーいずれもAIが全て代行してしまうので人間の作曲家に出る幕はない。

生き残るつもりがあるのなら、そういったものにこだわらない作曲技法が必要になるだろう。

1月 8, 2026 パソコン・インターネット文化・芸術音楽 | | コメント (0)

2025年8月25日 (月)

サブスクで音楽の価値を下げるのをやめろ!ーただ同然でなくアーチストへの敬意を感じさせる分配を

「サブスクの時代」の入って久しい。

確かにもはやCDの時代ではない。しかし特に日本ではそうだがサブスク配信で大儲けした人、というのはどれだけいるのだろうか?海外でエドシーランとか有名アーチストで10億回ー20億回再生とかいう人がいるが、こういう人は全体の本当に一握りの人たちである。

海外でも大多数の人はサブスク配信で悲惨なほど低い収入しか得ていない。

なぜか?それはサブスクの再生によるアーチストへの還元額である。以前もこのリストを提示したが

サービス 1再生あたり収益(円)
Amazon Music Free 0.14
Amazon Music Unlimited 0.87
Amazon Prime Music 0.38
Apple Music 0.81
AWA 0.82
Deezer 0.40
dヒッツ powered by レコチョク 1.24
iTunes Store 0.10
LINE MUSIC 0.67
Rakuten Music 1.87
Spotify 0.27
TOWER RECORDS MUSIC powered by レコチョク 3.92
うたパス 1.59

まあ本当にこんな程度である。特に業界最大手のSpotifyが一回の再生で0.27円(!!)である。はっきりいうが殆どタダ同然である。

そんな状況で、誰かがこういう運動を起こすと思っていた。今のストリーミングはアーチストに正統な報酬を与えていません。ただ同然でアーチストを使うのをやめろ!ということでしょうね。

音楽の価値を下げるのをやめろ!アーチストにリスペクトを
https://www.change.org/p/streaming-is-broken-and-we-re-fixing-it?signed=true

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署名運動が始まりました。私は全面的にこれを支持します。
日本人ってどうしてもこういう署名運動をネガテイブに受け取る向きが少なくないんですが、やはり声を上げなきゃいけない時は揚げるべきだと思います。

英語ですが私は署名しました。よろしければ皆さんも署名を!!

8月 25, 2025 音楽 | | コメント (0)

2025年8月17日 (日)

久々夏休み記事ー映画音楽にはなっていないが、映画音楽にしてもいいクラシック曲

気分転換に久々に「夏休み」的な記事を書きましょうか?

まあ一応映画音楽というジャンルに手を染めていますが、その中で映画の中で使うクラシック音楽の話がよく出ています。クラシック音楽を好んで使う映画監督としてすぐに思いつくのはSキューブリックで「2001年宇宙の旅」はほぼ全曲クラシック音楽、「時計仕掛けのオレンジ」なんか一応映画音楽担当にウエンデイ(当時はワルター)カルロスがいるにも関わらずベートーベンの第九を始め多くのクラシック音楽が使われました。

この例に限らず映画音楽とクラシック音楽は密接な関係を持っていますが、今日は映画音楽になるのに映画に使われていない曲として集めてみます。勿論ここでいう「映画に使われていない」というのは劇場公開された有名な映画という意味で、例えば「映画学校の学生が短編映画に使った例」は割愛させていただきます。そういうものを入れると映画作品というのは星の数だけありますので..

無論全ての映画音楽がこれにあてはまると言い切れない部分もありますが、だいたいのケースで映画音楽に使われやすい音楽というのは以下のような特徴を持っています。

1.表現豊かなメロデイやフレーズを盛った作品であること
2.ドラマチックな、起伏にとんだ音楽表現であること
3.印象に残る、耳に残る音楽であること

では私の知る限りでは映画音楽には使われていない音楽の例を揚げます。但し先ほどもいいましたように映画といっても星の数だけありますので私が把握していない例もありますので、もし以下にのべられている音楽が皆さんの知っている映画に使われていた例がございましたらご一報ください。勉強になりますので..

1.リスト:前奏曲 F Liszt : Le prelude

リストのこの作品はフランスの詩人ラマルティーヌの詩「前奏曲」に触発された交響詩で「人生は死への前奏曲」というテーマで架空の人物の人生をドラマ仕立てにした作品です。それゆえ音楽はドラマチックであり、複数の印象的なメロデイを持っており、華麗なオーケストレーションの曲です。なぜこの曲がドラマや映画に使われて来なかったのか不思議です。

2.ブラームス:交響曲第四番第二楽章の一部

ブラームスも映画音楽としてよく使われており、一番有名なのは交響曲第三番の三楽章が「さよならをもう一度」に使われており、他にも「ハンガリア舞曲」を始め、かなりヨーロッパ映画では常連といっていいですが、交響曲第四番の二楽章が使われた例は聞きません。
いわゆる「フリギア旋法」というグレゴリオ聖歌に使われているメロデイラインばかりが注目されていますが、交響曲第四番の緩徐楽章はブラームスの他の交響曲の緩徐楽章よりも美しく個人的にはお勧めです。
イメージですか?例えばこんな感じ(笑)
壮年になるまで結ばれなかった男女が最後にようやくめぐり合い抱擁するシーンとか(笑)


ブラームスもう1曲あります

3.ブラームス:悲劇的序曲

先ほどのラヴシーンの音楽とは打って変わって、今度はサスペンス調、「悲劇的序曲」というテーマ同様、何か大変なことが起きていることを描いた音楽としてはどうでしょうか?

ブラームスのこの曲は同時期に書いた「大学祝典序曲」と並んでブラームスにしてはきらびやかで効果的なオーケストレーションで創られており、まるでハリウッドのサスペンスドラマのテーマ曲のような感じだと思います。

4.マーラー:交響曲第五番第五楽章

マーラーも映画音楽として使われる常連で、ビスコンテイの名作「ベニスに死す」のテーマ曲(交響曲第五番第四楽章)やアニメ銀河英雄伝説のテーマ曲(交響曲第三番第一楽章、第六楽章)等がありますが、特に「ベニスに死す」の曲が強烈な印象を与え、当時ハリウッドの映画プロデューサーが「ベニスに死す」の音楽は誰が作ったのかビスコンテイに訪ねて「マーラーです」と答えると「これからの映画音楽は全てマーラーに作らせよう」という笑い話があるくらい(ベニスに死すは1971年公開、マーラーは1911年に逝去」)マーラーの音楽は劇的で感情をもりあげる、という面で映画音楽に最適な作曲家といっていいかもしれません

この曲は個人的にはSFとかの映画で同盟軍が帝国軍を破るときの勝利の音楽(笑)でいいのではないかと思います。スターウオーズの見過ぎ(!?)

5.ラフマニノフ:幻想的小品集~前奏曲 嬰ハ短調

ラフマニノフは映画音楽としても人気の作曲家で代表的な作品の大多数が映画とかドラマとかに使われているため、映画に使われていない曲を捜すのが大変でした。天性のメロデイ―メーカーであり、音楽がドラマテイックな要素がふんだんにあることからもう少し遅い時代に生まれていたら映画音楽作家の第一人者になっていたかもしれません。

有名な「ピアノ協奏曲第二番、第三番」などはあちこちで使われていますし、交響曲第二番の第三楽章はポピュラー曲のヒットソングにもなりました。名曲ヴォカリーズもどこに使われているかリストアップするだけでも大変な作業です。そのくらい映像用の音楽に多くの曲が使われているため、正直もう目ぼしい曲は殆ど残っていないのが現状です。

この曲はラフマニノフの有名なメロデイーの作品ではありませんが、代表作の1つでラフマニノフらしいムードを備えた作品でサスペンスやスリラーな映画のテーマ曲になるかもしれません。

6.ワグナー:「神々へのたそがれ」

ワグナーの楽劇の音楽は非常に映画音楽的に作られています。やや音楽の専門用語的になりますがワグナーの書く「動機」というのが各キャラクターのテーマになっています。例えば「ニーベルングの指環」の重要な登場人物であるジークフリードが登場すると「ジークフリードの動機」が演奏されます。そのキャラクターごとの「動機」の組み合わせで壮大な「楽劇」というものが生まれます。

この手法を踏襲したのがジョンウイリアムズが「スターウオーズ」で随所に「レイア姫のテーマ(動機?)」「ダースベーダーのテーマ(動機?)」が鳴ることで映像を盛り上げる手法です。

ただしこの曲は非常に映画音楽的に書かれているものの、楽劇ーオペラとあまりに密接な創られ方をされているので、実際の映画音楽の使用例はないと思います。あってもいろいろとアレンジ、というか曲として変形された形で使用されるケースが多いと思います。

7.シェーンベルク:「グレの歌」

シェーンベルクといえば「十二音技法」という無調音楽を始めあまり聞いていて心地よくない音楽の代表みたいにいわれますが、初期の作品は非常にロマン派的です。ストラビンスキーなんかもそうですが、初期の作品が代表作みたいにいわれてしまい、「十二音技法」は作品よりも「手法としてやってみた」という事実だけが取り上げられている感じです。
 初期の作品、ということでちょうど映画「ベニスに死す」でマーラー(役柄は「エッシェンバッハ」になっていますが、明らかにマーラーをモデルにしています)と毎日のように音楽議論をしていたのがシェーンベルクをモデルとした青年でまさにこの「グレの歌」や「浄夜」を書いていた時期ということができます。

いかがでしょうか?勿論映画音楽に使われそうな音楽はまだまだあると思いますが、有名な曲で印象的な曲は映画音楽としてよく使われるんだと思います。
私たち映画音楽作家はこういった歴史上の名曲に負けないような曲を書かないといけません。これは簡単なことではありませんが、私たちに課せられた命題です。

8月 17, 2025 音楽 | | コメント (0)

2025年6月24日 (火)

超初期の作品の復刻版が出ることが決定ー2021年に続いてまた..

実はまだ情報解禁でないのでまだ詳細をここで発表することはできません。

ただあまりにすごいことなのでここで近々発売の情報として書かせていただきます。実は私がまだプロになる前のインデイースのアルバムが復刻版として発売されることになりました。なにせ〇十年ぶりに発売される作品なので、自分がまだまだ全然未熟の時代、作品も稚拙で正直穴があったら入りたいくらいの恥ずかしい面もあるのは否定できません。

それでもそんな未熟の作品に対してオファーをいただける、ということは本当にありがたいことなのでオファーを受諾させていただくことにしました。

おそらく殆どのミュージシャン、サウンドクリエイターは初期の作品、昔の作品などは忘れ去られてしまう、というのが普通だと思います。しかし例え初期の未熟な時代の作品でもその時は自分の全身全霊を込めて作曲していたのは事実なので、こういう形で復活できるというのはしあわせなことだと考えます。勿論人によっては「未熟な時代」の作品を全て廃棄や燃やしてしまうということもあると思います。(たぶんそういうケースの方が多いかもしれません)しかし作品というのは自分の子供と同じ、と考えると例え未熟な作品でも大事にすることも作家の基本姿勢ではないかと考えます。但し現在の私の筆名「大野恭史」ではなく初期の作品なので私の本名"Yasuhito Ohno"で発売することにしようと思います。

実はこういうことは4年前にもありました。

かつて私がビクターエンタテインメントで出していたヒーリング音楽、環境音楽が復刻版として配信オンリーですが発売されました。2021年のことです。

大野恭史デイスコグラフィーhttps://www.jvcmusic.co.jp/-/Discographylist/A004591.html

正直これらの殆どの作品は一度廃盤になり、私も一時は日の目をみることを完全に諦めていたのですが、どなたかが復刻版を出すことに推薦して下さったのかもしれません。ありがたいことです。

復刻版として復活したのは以下のタイトルです。

これだけ復活できたのは、ある意味奇跡だと思います。そして今回の初期の作品の復刻版

感謝したいです。

6月 24, 2025 音楽 | | コメント (0)

2025年6月15日 (日)

Sunoによる音楽作品を聞いて、音楽業界の未来その他に対する所感

入院するとヒマなので最近話題の音楽生成AIであるSunoによる音楽作品を聞いてみた。

https://suno.com/

人が作った曲を何曲か聞いたのだが、成程噂にはきいていたが予想以上のできばえである。曲、ミックスの完成度はかなり高い

正直いってちょっと前のビーイングやエイベックス系から最近にいたるまでのJ-POPはもう殆ど生成AIでできてしまう、という実感である。はっきりいっていわゆる典型的なJ-popスタイルしか書けない人の仕事は不要になるかもしれない、とも思った。

ただし曲のクオリテイは確かによくても、やはりずーっと聞いているとAIの曲はつまらないというのが正直な印象
例えば曲のボーカルはかなりいい感じだけど、やはり表情に乏しいていうか物足りない。そこにAIの限界があるように思った。やはり「生の気持ちのこもった」表現はAIにはできないだろうな、というのが正直な印象。そこに人間の表現が入る余地があるので、やはりAIが完全に人間の演奏する音楽に取って代わるということはないと思った。

ただし、演奏とか作曲のマニュアルというか、方程式通りのことをやる、再現するというのはAIは人間より優っているといっていい。

つまり作曲でいえばエクリチュールの複雑さを競ういわゆる現代音楽、や芸大の作曲学科が教える作曲技法でしか曲を書けない作曲家は確実にAIに負ける、といっていい。やはり音楽にパッションや自分の感情表現、情念を盛り込める人でないとAI時代の音楽家は生き残れない、といっても過言ではない。

マニュアルといえばかつてJ-popでは「売れセン」に即した歌を作る、などということが公然と行われてきたが、それらは完全にAIに取って代わるかもしれない、私の昔の知り合いの音楽デイレクターででAIだけで全て曲を作ってヒットとばしてやると息巻いていた輩がいたが、しかし曲ができるのと曲がヒットするのは全く別の話

「ヒット作」のマニュアル通りに作ればヒット曲が作れると考えるのは甘い、というのは過去経験したと思うが、実際音楽マーケットなんてそんな甘いもんじゃないのだ。まだ過去の教訓を学んでいない人が多いとみえる。(私見ではそれで「ヒット曲が作れる」などと考えるのは音楽ユーザーをなめた態度だと考えるーよく考えれば非常に無礼な話だと思う)

いずれにせよ前にもこのブログで書いたと思うがこれだけAIがクリエイテイブな分野に入ってくるとクリエイテイブで一番重要な点についてまだ何の規定も決められていないことが大問題だ。これは今すぐに音楽業界の著作権、テレビ業界や映画業界の肖像権等に関するAIの規定を早急に決めるべきである。私も業界関係者にこの件に関して声を挙げているんだが日本では反応鈍いというのが実態。このままだと手遅れになるかもしれない

正直、役者や他の作曲家仲間に話してもなんか他人ごとのようにしか思っていないようである。困ったものである。

SunoによるAIの作品とそのクオリテイを見るにつけ、危機感を感じた次第

 

6月 15, 2025 パソコン・インターネット文化・芸術音楽 | | コメント (0)

2025年2月11日 (火)

続 サブスクプロモ奮闘記 youtubeを使った新しい試み 「癒しの音楽チャンネル」復活

ご存知の通り私はサブスクリリースしている曲数だけは多いが、殆どがインストで長いというサブスクではもっとも向いていいないという曲なので再生回数を増やす点で悪戦苦闘している。

現在ビクター系が118曲、私のインデペンデントが19曲、あと劇伴音楽を中心にある音楽出版社に委託している音源が20曲、計157曲がリリースされている。それらの音源を使ってさまざまなテーマのプレイリストも作ったりしている。

https://www.hybridmusic.jp/playlist.html

サブスクで再生回数を稼ぎやすいのは一般的に

1) ボーカル曲であること。
2) 演奏時間が3分以内
3) なるべくいきなり「サビ」イントロもできればない方がいい

いずれにせよ私の曲はこれらの特徴と真逆である。

だが最近ある傾向も出てきていることがわかった。それはyoutubeをBGMプレーヤーとして使う人が非常に多いということ。その場合逆に曲は長い方がいい。BGMだから何かをしている間に音楽が鳴っていることが必要だという。

この場合誰がアーチストとか、誰の作曲家ということよりもこのプレイリストの音楽がいい曲なのか、リスナーにとって気持ちがいい曲かどうか、が重要とのこと。

それでひとつ作ってみた。

この動画をアップロードするときに一番気を使ったのはハッシュタグで、今回は「眠り」をテーマに関係するものをハッシュタグとしてならべた。

これから「眠り」だけでなく「ヒーリング」や「リラックス」だけでなく「カフェノマド」音楽「作業BGM」のプレイリストもやってみようと思っている。

そこで15年前まで主宰したネットラジオ「癒しの音楽チャンネル」を復活させようと思い立った。Youtube「癒しの音楽チャンネル」の復活でいくつかプレイリストを出してみようかと思う。

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勿論各チャンネルには既にSpotify ,Apple Music のサブスクプレイリストのリンクも表示する。あくまでこのサブスクの再生回数のプロモーションが主目的である。

これがサブスクのプロモーションの効果になるかどうか、やるだけやってみようと思う。何もしないで失敗するより何かして失敗する方を私は選ぶ

2月 11, 2025 パソコン・インターネット音楽 | | コメント (0)

2024年12月15日 (日)

サブスクの本格プロモ4年たって...

日本の音楽業界では一部まだCDにこだわる向きがあるようだが、CDの時代からサブスクの時代に本格的に世界的に移行している。

特にコロナ禍に入ってからその向きは拡大した。一方ではコロナ禍に入り新作も発表できたし(配信のみだが)ありがたいことにビクターエンタテインメント(現JVC ケンウッドエンタテインメント)が私の昔の旧作を大量に復刻配信してくれたおかげで商品ラインアップだけはかなりの数が現在Spotify, Amazon, Apple Music, Youtube 他主要プラットホームにて配信され聴くことができるようになっている。

https://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A004591.html

下手な鉄砲数撃てば当たる、ではないがおかげ様でActiveな音源はビクター系が118曲、私のインデペンデントが19曲、あと劇伴音楽を中心にある音楽出版社に委託している音源が20曲、計157曲ある。

そのためさまざまなテーマのプレイリストも作ったりした

https://www.hybridmusic.jp/playlist.html

だが残念ながら期待したほどの成果をあげることができないでいる。

そもそも私の曲がサブスク向きではないのはわかっている。理由は

1) インストである。
2) 演奏時間が平均5分以上(長いのは20分ゆうに超えるものもあります)

その意味では成果が揚げられないのも仕方ないのかもしれないが、それらはエクスキューズにすぎない

私自身のインデペンデントで出した作品もいろいろと試行錯誤して再生回数を増やす努力はしている。主に私のアルバム"metanature"の中の VisionFlo- について行っている

Spotifyはだいたい年末くらいにまとめをしてくれるが現状はこの程度。正直サブスクとしてはたいしたことない。私のインデペンデントが19曲についてのデータである。

Spo2401

Spo2402

2万回じゃ全然少ない、少なくともこの2桁多く再生されないとまともな数字にはならないのだ

ただし唯一よかったのは自分の音楽を聴かれているのが日本だけではない、ということ。これは少しいい気分になる

Spo2403

Spo2404

だがこれがある意味環境音楽としては限界なのかもしれない。

最近はこれらの大多数がインストということもあり、映像やネットでのBGMのライセンスの方にシフトしている。特に劇伴音楽の20曲については出版社のライセンシングを始め、私自身もライセンシングを打ち出しているので一定の成果をおさめつつある。

何にせよ音楽にとって難しい時代に入ってしまったものだと自分で音源を配信していて実感する次第

12月 15, 2024 パソコン・インターネット音楽日記22ー | | コメント (0)

2024年12月 4日 (水)

ネット関係のインフラが一通り整備されて、結局作品届けを著作権期間に登録する

インターネットが普及して四半世紀がゆうに超え、SNSを始めさまざまなインフラが整備された今日このころ、SNSについては先日の兵庫県知事に関する問題、そしてとりわけネットユーザー,SNSユーザーに蔓延るリテラシーのなさ、といった問題が出てきている。

その意味ではネット関係はさまざまな問題や課題が生じてきているが、一般にはコンテンツを拡散するという意味ではもはや欠かせないものになっている。だがそのコンテンツのありかた、とりわけコンテンツの権利の管理方法についてはネットが普及する前と大きく変わると思いきや、実際には従来の権利管理機関ー著作権信託期間もしくは委託期間が従来通りの体制で寧ろ強化されている現状がある。

実はインターネット黎明期には音楽の著作権を始め権利の概念が変わるだろう、といった考え方はコンテンツメーカーの間でも強くあった。そのため同時期に作ったクラブ系のアンビエントの作品を私はあえて著作権信託せず、権利の扱い方がどうなるか、見てみようと思っていた。いわば乱暴な言いかただが自作をネット時代における「実験台」としてあえてネットの状況にまかせるままにしたのである。

だが得た結論はある意味では「インターネット革命の伝説」を信じ、著作権やコンテンツ権利が革命的に変わる、などと期待する人たちから見れば寧ろ失望する内容かもしれない。例えばネットの新たな権利の管理の「クリエイテイブコモンズ」なるものは実はたいして役に立たないこともみえてきたし、何かと風当たりが強く、当ブログでも何回か批判をしたJASRACを始め、本来ならJASRACと信託機関として二分しなければならないNext-toneも著作権の重要な権利である「演奏権」の管理ができないため、どうしても脆弱な面は否めない。日本の著作権の信託問題はこの「演奏権」がいまだJASRACの事実上独占状態になっている点が問題である。

つまりひとことでいって旧態依然なのである。

そうして登録しないまま20年の月日が流れていった。3年前にもアンビエントのアルバムを出したが、それも同様に登録しなかった。以下の作品である

そして結論からいって本日上記のアルバムの作品の全ての作品届けを提出した。当たり前だが著作権というのは亡くならないどころか更に重要性をおびてきて、最終的に権利を持った人間が強くなる、という当たり前のことに気づいていたためである。

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自分の会社の出版部を通しての作品届けだが、もう一つ従来の著作権出版での管理を決断させた理由として、先日のSpotifyの決定のように一カ月1000回再生しない作品は分配対象からはずす、ということもあるのと、音楽の不正ダウンロードや権利を無視した使用方法も後を絶たないのも事実。それらを鑑みるとやはり権利を守る音楽出版社は必要である、という結論に達した。

しかし「レコード会社」はもういらない。ストリーミング(サブスク)がメインになった時代だと、配信だと単価が安すぎるためにクッションが間にあるとアーチストの取り分はただでさえ少ないのが減ってしまう。だからサブスクのプラットホームに流す代理店のようなものさえあればいい。つまりTunecoreとかCD Baby とかOrchard とかで十分である。

とはいえ、権利を守る会社というのは必要である。だから音楽出版を通し自作を管理する。

一方映画やドラマの音楽をある出版社経由でリリースして現在ストリーミングだしているが、これがライセンシングを中心にそこそこ使われている。

 

ということでこれから形は時と場合によって違いますが、世間に発表した作品は著作権の信託期間に作品届けを出しますよ、というお知らせでした。

12月 4, 2024 パソコン・インターネット音楽 | | コメント (0)

2024年8月24日 (土)

注意喚起ー映画業界で詐欺が横行しています。内容をきちんと調査確認してから応募しましょう。

先日「名古屋国際映画祭」なる実体のない映画祭が問題になりました。

https://mainichi.jp/articles/20240822/k00/00m/040/242000c

愛知県名古屋市のミニシアター「シネマスコーレ」は22日、公式X(ツイッター)で、同館の住所や写真が無断で使用されたと発表しました。架空の映画祭でエントリー料をだまし取ろうとする詐欺とみられ、映画を作りたいという気持ちを踏みにじる行為で許せないと思います。小生の知り合いでもエントリー料をだまし取られた人がいます。

また広島、大阪にもあるという話で、このようなことが続くと日本の映画界は国内的にもそして勿論国際的にも信用をなくす事態になってしまいます。これは深刻な事態として受け止めなくてはいけません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/99ba0758d8fc34e5f3c05575a20cb8ec19aeb1eb?f&

また最近オーデイション、キャステイングコールでもあたかも「普通の」キャステイングを装うって登録料を強制的に徴収するといった詐欺募集も頻発しています。それだけでなくキャステイング会社、制作会社で経営不振に陥り結果としてギャランテイを払えないケースも増えており、日本の監督も役者もまさに詐欺師に狙われている現状といっていいです。

そんな状態で私もFacebookのキャステイングやお仕事情報のグループ(秘密のグループです。検索しても出てきません)の管理人をしていますが、最近の日本の特にインデペンデント系のキャステイングコールは怖くて掲載できません。特に過去問題を起こした業者が「覆面」で関わっているケースも少なくなく、募集主の背景がよくわからない案件の掲載はリスクが高すぎる、という判断を下さざるを得ません。

これというのも日本は欧米と違い、特にインデペンデントの世界ではキャストやクルーに「契約書」を提示してからクランクイン、というケースが殆どない、という問題があり、それが結果として業界同士の馴れ合いーナアナアな状態になり、契約とか結ばずに役者の撮影が始まったりというのは常習化していますがこれはやはりよくないと思います。

海外のように必ず「契約書」から始まり「契約書にサイン」してからすべてが始まる、という形式を普通にしなくてはなりません。必ず文書で、というと面倒くさがる人も少なくないのですが、それは徹底しないとこういうトラブルに発展する可能性もあります。

どれも「仕事」なのですから、そこは自主映画によくある「何となくナアナアで撮り始める」という形式から卒業すべきだと思います

 

 

8月 24, 2024 経済・政治・国際音楽 | | コメント (0)

2024年6月23日 (日)

Mrs. GREEN APPLEのMV炎上事件から昨今のキャンセルカルチャー/コールアウト・カルチャー 化の風潮に一石を投じる

この件は私は基本的には部外者なのだが、この事件はSNS時代の表現のありかたに関係するのであえて記事を投稿する。

初めにお断りしておく、私は世界的に定着しつつある多様性(diversity)を認め、人種、ジェンダー、身体障害、その他いかなることが原因による差別に明確に反対するものである。世界的に多様性(diversity)の流れが定着し、あらゆる差別がなくなることを非常に望ましい動きであると考え称賛する。

 しかし問題はその多様性(diversity)の動きの運用方法である。

先日炎上したMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオが、歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたことで炎上したのは記憶に新しい。これはヨーロッパの歴史上の有名人に扮したメンバーが類人猿にピアノを教えたり等、「植民地主義を肯定した人種差別的表現」と受け取る表現があったことが問題視された。

Mrs. GREEN APPLEのメンバーには悪気はないように見える。それだけに事態が深刻なのだが要は日本人が歴史認識の点でさまざまな問題があることを世界に示してしまった例となった。今はこのミュージックビデオは公開されなくなったようだが、こういう特定の人物・団体の反社会的言動を人々が問題視し、追放運動や不買運動などを起こす可能性のあるキャンセルカルチャーの問題となってきている。

最近の多様性(diversity)の問題を含め、以前とは違って社会的に受け入れられない言動を批判されたり、説明を求められたりすることが多くなってきている。その関係でMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオの公開禁止はある意味当然の結果として受け止められている。逆に同グループの追放運動や不買運動にまで発展しなかっただけ傷口は浅いのでまだマシである。

だがここでこのキャンセルカルチャーの扱いを間違えると逆に危険な事態に発展するのではないかと危惧する。

昨今の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」の流れを受けて、ミステリーの女王と呼ばれるアガサ・クリスティの小説において「現在 不適切」と判断された表現が2023年に改訂されたという。また映画「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」がストリーミングサービス「HBO Max」の配信ラインナップから削除されたり、世界的バンド ザ・ローリング・ストーンズ / The Rolling Stones が、彼ら自身の曲「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」をステージでは演奏しないと宣言すると言った事も起きている。

むろん「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」は人種差別が当たり前のように存在する南部アメリカを舞台とした映画であり、ストーンズの「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」は奴隷制に言及する部分があるのも事実である。多様性(diversity)を推進する立場から問題視されるのはある意味当然のことである。
だがここであえて問題を提起したい。歴史上かつてイギリスからアメリカで奴隷制度が存在していたのは史実であるし、その奴隷制度を推進したアメリカ南部(のちにこれが南北戦争の原因になる)の人種差別的体質が根強くあり現代でも決してなくなってはいない、という事実をとらえる時、映画や音楽でその「奴隷制度や人種差別を描いた部分」を「不適切な表現」として全て削除するのは果たして正しい選択なのだろうか?、という点だ。

史実は史実として伝えることも映画や音楽の責務ではないか、とも思うのだ。

例えば「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」ではナチスがユダヤ人を差別し侮辱する表現が多く出ている。これらを全て「不適切表現」としてしまうとこの2つの映画は上映不可能になる。だがこのナチスの行った卑劣で残虐な行為を映画やドラマで表現することも重要だと考える。その場合いちいち「不適切な表現」として削除を要求するのはいかがなものかと考える

戦争責任がある我が国でもそうだが、過去の行った犯罪を史実として認めようとしない勢力は日本にもドイツにも存在する。実際「アウシュビッツは事実ではない」と主張するドイツ人もいるし、我が国では「南京大虐殺」や関東大震災での朝鮮人虐殺、太平洋戦争時の朝鮮人強制連行を史実として認めることを頑なに拒否する勢力が存在する。日本の場合困ったことにそのような勢力が自民党を中心とする権力機構に少なからず存在するのも事実である。

そうした人間がこの「キャンセルカルチャー / Cancel culture」の風潮を利用して過去の「不都合な史実」を不適切と判断される事象/言動/物として削除や廃除を要求するようになったらどうだろう?実際トランプ元大統領で現在共和党の大統領候補が奴隷を所有していたことで建国の父祖founding fathersとよばれる合衆国建国時の政治リーダーたちの像の撤去を求める運動の時に「暴徒たちの行為はアメリカの文化を否定する“キャンセルカルチャー”だ」となじった。

トランプがこの言葉を発した時私は背筋が寒くなったことを覚えている。この男は気に入らない表現、本人にとって不都合な史実を全て「キャンセルカルチャー / Cancel culture」として排除を要求する可能性がある。(実際2021年の議会乱入事件など「不適切な事実」として葬ろうと思えば可能だ)そうなるとトランプの独裁制が完成することになる。
ついでにいえば3年前のアメリカ議会乱入を煽動したのは間違いなくトランプであり、民主主義を破壊する行為を平気で行う人物をまた大統領候補に選ぶ、という暴挙をアメリカ人は行おうとしている。この意味をもう少し考えるべきだ。トランプこそ民主主義の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」として排除すべきである。

ネットには暇人が洋の東西を問わず多く、何か話題の表現が出てくると重箱の隅をつつくように「不適切な表現」を捜そうとする。そして彼らがそれらしい表現を見つけたらまるで鬼の首を取ったかのように拡散する。だが本当の意味の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」は慎重に議論をした上で認定すべきである。何よりも例え結果として差別表現や不都合な史実が出てきても、それが実際にあった史実であればそれは伝えるべきである。

でないと史実を知らないまま無邪気に「不適切表現」をしてしまうMrs. GREEN APPLEと同じ失敗を犯すことになるだろう。

 

 

6月 23, 2024 経済・政治・国際音楽 | | コメント (0)

2024年6月 9日 (日)

人生は「未完成」なのがもしかしていいのかな、と

まず現在の業務状況をいうと、現在国内物の長編映画の音楽制作案件が一件進行中。実は基本的な部分はできているのだがこれから最終(かどうかわからないけど)の編集があがるのを待っている状態で、いずれにせよ短くなることはあっても長くなることはなさそうなので、とにかく編集の上がり待ちである。足すのは大変だけど削るのは簡単である。

そしてもう1つ、これが大きな問題でここ数年海外の映画の音楽制作の機会を作ろうとしていたけど、ようやく契約書を締結するところまで行きそうだけど、ようやくできるかと思ったら投資家の一人が中国出張中で来週になることが決定。海外映画、特に国際映画プロジェクト(映画のグローバル化を反映して違う国の合作の方が多い)はインベスター全員の承認が必要らしい。日本とは違った難しさがあるわけだが、そんなわけでまた待たされることになる。

もともとせっかちな性格なので「待つ」というのは性に合わないのだが、この状況はどうにもならない。
このプロジェクトだけではないんだが、最近の海外の映画制作の進行は本当に遅い。遅くてイライラするくらいだが、そんなことで気がめいっているので、クラシック音楽でも聴こうする。ロックやポップスだと何だか仕事の延長になってしまう気がするからである。

Franz_schubert_by_wilhelm_august_rieder_それでたまたま聴いたシューベルトの未完成交響曲(!) 実はシューベルトの作品の大半は一部を除いて実質「遺作」のようなもので交響曲も番号が安定しない。私の子供の頃は「未完成」は8番だったのだが、今は7番とかになっている、そもそもシューベルトの交響曲で未完成なのはこの曲だけではなく他にも何曲かあり、本当の番号も研究者によってまちまちである。例えばシューベルトの交響曲の最高傑作といわれるハ長調の「ザ・グレート」も7番から9番の間を研究者によってずれているため、どれが本当かはわからない。
ただ1点。これは私見でシューベルトファンを怒らせるかもしれないが、個人的にはいわゆる「未完成」といわれている交響曲と「ザ・グレート」といわれている2曲を除いてはシューベルトの交響曲は習作の域を出ていないように思う。本当にシューベルトらしくオリジナル性がはっきり出ているのはこの2曲しかないと思うのだ。まあ異論がある人も多いと思うので、この件はここだけの話にする。実は当ブログ記事の本題はそこにはない。

 このシューベルトの「未完成」交響曲には昔、個人的にいわくつきな事情がある。といっても今考えると他愛もない話ではあるのだが..(笑)

私は子供の頃から音楽を聴いて、この曲はどうやって作られていくのか、ということに強い興味をもっていた。古い話だがプログレッシブロックでシンセサイザーが使われている時に、当時まだ高値の花だったシンセをいじりに楽器屋に入り浸っていたし、オーケストラ曲を聴くときはスコアとにらめっこしていた。その様子は当時の同級生にも知られていて、いろんな話しているうちに「シューベルトの未完成交響曲を完成させてみろ」という話になり、まあ子供同士のやりとりで「よし、やってやろうではないか」みたいな話になった(笑)ww

参考記事

https://mag.mysound.jp/post/692

クラシックのアカデミズムでガチガチな人から「シューベルトを冒涜するのか」などという人が出てきそうだが、まあそこはさておいてください(笑)。しかし先ほども「未完成」といわれている交響曲と「ザ・グレート」の2曲がシューベルトの交響曲の中で突出している、と書いたが実際この「未完成交響曲」といわれている曲ー第一楽章と第二楽章は完成しているのだが、この2つの楽章は音楽作品として完成度が極めて高くまたシューベルトらしい抒情性とダイナミズムを兼ね備えた作品である。これだけで十分に高い芸術性の作品なので、だからクラシックの演奏会でもよく演奏されるのだが、三楽章以降シューベルトがなぜ完成しようとしなかったのか不明である。

しかし第三楽章のスケルツオと思われる部分の初めの部分は書いており、

Schubert_unfinished_score

これを参考にして三楽章を作ることは可能ではある。

シューベルト「未完成」の第三楽章のピアノスケッチ

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ピアノスケッチをベースに作業したので、なにやら音大作曲学科の「オーケストレーション」講座の課題のようにも見えるが、これらを参考にして作ったものはあったのだが、その楽譜自体はもう紛失して今どこにあるのかわからない。まあ子供の遊び以上のものではないので、どうでもいい、といえばどうでもいい

だが同時にこれをやってみて、あることを思った。シューベルトのこの交響曲は二楽章のみの「未完成」だからいいのではないかと。

自分で曲を作ってみて思うのは、本当の意味で「完成した」作品を自分はどれだけ作っているのかと思うことがある。自分の作品はもしかしたら「未完成」だらけなのではないか、とも思う。だから私の曲には「ナントカバージョン」といったものが結構ある。それは以前作ったバージョンで自分は満足しておらず、作品として「完成されていない」からやったことではないか。とも思う。

シューベルトの「未完成」といわれている交響曲で現在よく演奏されている二楽章は極めて完成度の高い作品である。しかし三楽章以降はスケッチのみで実際にシューベルトがどう作ろうとしたのか今となっては知りようもない。だがその残りの2楽章がないからこそ、ある意味我々の想像力をかきたて、「あとはどうなるのだろう?」といった我々が子供の頃に考えたように想像するのも楽しいかもしれない。

たぶんよほどのことがない限り、今週くらいには今度こそ海外のフィルムメーカーと契約をかわすことになると思うが、実際に映画音楽作品に着手したらまた「未完成」の作品ばかり作るのかもしれない。でも結果的にそれが映画作品を引き立てるものであればそれでいいのである。

 

 

 

6月 9, 2024 音楽日記22ー | | コメント (0)

2024年5月 3日 (金)

ピーターガブリエルの新アルバム、I/Oボックスにサブスク時代の「音楽の商品」の形を見る

サブスク時代に入ってから長いが、日本の業界筋ではいまだにCDに固執する向きが根強く存在する。それどころか「アナログレコードを出す」といっただけで嘲笑する向きすら存在する。

しかしそうした雰囲気を持っているのは日本の業界筋だけであるということを私は何度もいっているがいまだにそれを理解しようとしない人がいる。正直どんだけ頭が硬いんだと言わざるを得ない

先日発売されたピーターガブリエルの新アルバム I/O ボックスは以下のような商品になっている。あちらのアーチストの音楽の売り方の1つとしてご参考になればと考える

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ボックスで販売
(1) アナログレコード3枚
(2) ライナーノーツノートブック+CD3枚
(3) 写真集

全て合わせて123スターリングポンド(約2万5千円)

ちなみにサブスクでは3曲のみリリース(シングルカットと同じ)
ファンで結構買っている人がいるようです
いろいろと議論があるところでしょうがあくまで参考まで、

確かにサブスクに偏ると収入が増えないのもまぎれない事実
特にSpotifyの先日の支払いルール変更があれば余計にそうなるでしょうね

 尚、サブスク時代だけでなくCDの末期からこの傾向が出ていましたが、アルバム一枚をじっくり聴くということをしなくなっている人が増えているように思います。特に最近の日本人にその傾向を感じます。しかしアーチストの曲をじっくり聴くというのは必要なことだと思います。その意味でも改めてアルバム一枚じっくり聴こうという風習を復活させるべきだと考えます。

 

 

5月 3, 2024 音楽 | | コメント (0)

2024年4月12日 (金)

Spotify 収益ルール変更に関する世界の反応と今後の戦略に関する考察

この件に関しては昨年の11月にSpotifyが発表していたようだが、実際に内容を詰めて発表したのは4月1日になってからである。

サブスクプラットホームの最大手のSpotifyが収益化に関して以下の「ルール変更」を発表した。

1. 楽曲販売収益の分配対象を1年間で少なくとも1000回再生した楽曲のみに限る

Modernizing Our Royalty System to Drive an Additional $1 Billion toward Emerging and Professional Artists
https://artists.spotify.com/blog/modernizing-our-royalty-system

2 不正再生操作に対する課徴金をもうける。プレイリストへの登録、フォロワーやストリーム数を増やすためにプロモーション料を支払う行為を不正操作とみなす
人為的に操作されたストリーミングと、再生数の獲得を保証するサードパーティーの有料サービスは正当なサービスではありません
https://support.spotify.com/jp/artists/article/third-party-services-that-guarantee-streams/

3 楽曲が「ノイズコンテンツ」とみなされた場合は販売収益が発生しないか、一再生0.3円⇒0.2円に変更する

特に大きな問題は「年間1000再生しないと収益が受け取れない=収益受け取れない曲を持つアーチストがたぶんわんさか出る」ことになる点ではないだろうか。
日本のインディーアーチストでSpotifyで無駄に流してピタ一文お金が入らない、という事態連発ならどうなるであろう?Spotifyで流しても1000回の再生を達成できないトラックは結構あるものである。特にアルバムの中の全曲がそれを達成するケースは特に私のようなインストが多いアーチストだと難しくなる。

これアーチストの組合で問題になる可能性もあるのでは?実際ハリウッドでのSAGで映像ストリーミングのプラットホームがこれをやったらたちまちストライキになる可能性があると思い、Facebookの海外アーチストやストリーミングプラットホーム関係のコミュニテイにこの件に関してどう思うかきいてみた

そうしたら「これはインデペンデントアーチスト」に対しては不利な決定だろう、という受け止め方があったものの、おおむね冷静な受け止め方をされていることに驚いた。

いわく「年間1000再生でも30円くらいにしかならないのだから、別にそれがなくなってもたいした影響はない」 

確かに数字上ではそうだ。ただ果たしてそういう問題だろうか?

これは思うにサブスクに対する意識が日本と欧米で違うからではないだろうか?サブスクというものとどうとらえるか、によってこの事態に対する姿勢が違うかもしれない

実は日本ではいまだにこれをいうと笑われたり、「嘘だ」といわれるのだが、実は海外ではCDが完全に絶滅してアナログレコードにとって替わられている。CDは本来アナログレコードに取って代わるはずのものが、サブスク時代に入って皮肉なことにCDにアナログレコードが取って代わったのである。

 ■10年で市場規模が10倍に 「アナログレコード」復活の理由をUX観点から考える
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2306/09/news007.html

日本では大手のアナログレコードショップといえばデイスクユニオンを思い起こすが...

ロンドンもナッシュビルも完全にアナログレコードが今や主流である。

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ナッシュビルのレコード店

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ロンドンのレコード店

日本はサブスクでなければ相変わらずCDを考えるが、海外ではサブスクとアナログレコードが完全にセットになっているのである。

しかし相変わらず時代が変わったことを認めたがらない日本の業界筋は海外と同じ路線に行くことを拒否する向きが多い。

つまりどういうことかというと、ニュアンス的にサブスクに対して認識が違うのである

日本: サブスクで最大限の収入を目指す

欧米: サブスクは収入より「宣伝」である。それでも全世界のストリーミングで数億から場合によっては10億回再生する場合もある

これを考えると今回のSpotifyの決定で1000回未満再生トラックのオミットなどどうってことはない、と考える向きもわからなくはない。「賞品」のメインはあくまでアナログレコードかツアーコンサートなのである。

とはいえ、日本もサブスクで最大限の収入を目指すにしろ、日本国内だけの市場ではおぼつかない。やはり全世界の人に聞いてもらうためにどうするか、ということも考えるべきであろう。

 

 

 

4月 12, 2024 音楽 | | コメント (0)

2024年2月11日 (日)

偉大なマエストロー小澤征爾の残したもの、次世代が引き継ぐべきもの

既に報道されているように、日本が生んだ偉大な指揮者の小澤征爾氏が6日、東京都内の自宅で心不全のため死去。88歳

■「世界のオザワ」指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 カラヤン、バーンスタインに認められ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/308485

2006年頃から体調を崩し始め、一時持ち直したものの、2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり以来、闘病生活が続いていた。そして先日天に召されてしまった。
小澤征爾の日本の音楽に対して遺した功績は数知れない。その中でも特筆すべきは

ウイーンフィルのニューイヤーコンサートの模様。
you tubeも早くも追悼メッセージ
この映像は日本人として誇っていいと思う

また長らく常任指揮者を務めたボストン交響楽団(BSO)の小澤征爾への追悼セレモニーの動画
J.S.バッハのG線上のアリア演奏後に黙祷 。思わず涙が出た。

日本人の音楽家でこれだけ世界中からその死を悼まれた人物がいただろうか?

いや、坂本龍一氏、高橋幸宏氏の訃報も世界中から死を悼まれ、リスペクトも得ていたが記憶に新しいが、小澤征爾氏は音楽のジャンルや国籍に関係なく世界中からリスペクトと死を悼まれている。

それは次の映像でわかるのではあるまいか

ベルリンフィルとジャズトリオの共演。「楽譜を忠実に」という発想ではこの演奏は理解できないかもしれない。だがこの演奏はガーシュインの意図から少しも離れていない、ジャズミュージシャンだからこの演奏になり、これこそが音楽である。小澤さんはそれをよく理解していた、だから偉大な音楽をプロデユースできたのである

「小澤征爾が遺したもの」とは何か?

小澤征爾がその膨大な演奏の記録、録音から動画まで残してくれたもの。
いうまでもなくそれらは人類への文化遺産であるが、そこには小澤征爾という一人の音楽家の音楽に対するひたむきな情熱、音楽によってリスナー(聴衆)へのコミュニケーションの軌跡ではないかと思う。

先ほどの動画にも出てきたが、音楽のジャンル、に関係なく音楽の中にある「メッセージ」によるコミュニケーション。「メッセージ」といっても具体的な言語やテキスト情報ではなく、音楽そのものによって伝えるサウンドーいわばハートによる表現によって伝わるメッセージである。
うまくいえないが、演奏する音楽ーサウンドによって聴く人に伝わる演奏が人に感動や情動を伝えることができるーそういった演奏を数えきれないほどやってきた、それが人類への文化遺産として残してくれたし、それが可能になったため「音楽の素晴らしさ」を伝えることができたのである。

つまり音楽はただロボットのように「正確に音符を演奏する」ようなものではなく、一音一音に気持ちを込めそれを人に伝えようという気持ちで演奏しなければならない。俗にいう「ハートが入っている演奏」のことをいう。

そういう「ハートが入っている演奏」を無数に残してくれたのが小澤征爾氏であり、だからこそ彼がマエストロと世界中から音楽のジャンルに関係なく尊敬を集めることができたのである。

私たちはこの小澤征爾と同じ時代にうまれることができたことを感謝し、その遺産を宝物として次の世代にうけつがなければならない

「次の時代に引き継ぐもの」

小澤征爾の遺産である無数の「ハートが入っている演奏」を遺産として引き継ぐことはいうまでもない。

だが一番重要なのはその「遺産」を作った精神をひきつぐことである。

小澤征爾は建前上、クラシックの演奏家である。しかし彼は「ハートが入っている演奏」ーつまり生きた演奏であればクラシックだろうがジャズだろうが、場合によってはロックでも関係なく取り上げる。

大事なのはカタチではない、大事なのは音楽のサウンド1つ1つにこもった気持ち、メッセージを伝える姿勢である。

それが生きた音楽、人々の心をつかむ演奏になるからである。

あとに残されたものとして少しでもこの偉大な音楽家の精神を受け継ぐことができるようにしたいものである。

Matsumoto

R.I.P> マエストロ

 

 

 

2月 11, 2024 文化・芸術音楽 | | コメント (0)

2024年1月18日 (木)

当ブログ20年ーほぼ改革0の音楽業界ー10年後に日本の音楽業界は存在しているのか?

今年に入りいきなり能登半島の大地震と津波、2日目に羽田での日航機と海上保安庁の衝突事故とのっけから大変なことが立て続けに起き、今年はどうなってしまうのだろう?という風に思ったが、とにかく能登半島の被災者の避難と保護、そして生活再建に向けた動きが加速できればと思う。お亡くなりになった方のご冥福と被災者の方に心からお見舞いを申し上げます。

そんなことですっかり忘れてしまったのだが、今年はこのブログを立ち上げて20年だということに気づいた。当時はまだブログというプラットホームが出始めたばかりであり、SNSも現在のような社会的影響力を持ち合わせていなかった。そんな中当時から既に衰退し始めた当時の音楽業界に関して危機感を表明していた。

■音楽業界の現状を憂う
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2004/04/post-4b03.html

しかし20年前から、そして勿論現在も、だが誰一人聞く耳をもたなかった

そして20年前から日本の音楽の世界がどうなったか、今更いうまでもないだろう。

J-pop?そんなのまだあるの?

かつて音楽業界を「支えた」といわれるアルファベットの3文字や坂道などはCDというメデイアの事実上の衰退により機能不全となり、もはや完全に有名無実である。

今そして日本の音楽界はもはや完全に業界の体をなしていない。事実上K-POPに支配されており、それ以外の日本の音楽は一部のアニソンを除けばもはや海外ではゴミ扱い、というのが実情である

そしてこうなることはだいぶ前から予想ついたはずだ。だが誰も現状を変えようとはしなかった。日本の音事協を始め芸能界、音楽界の変化を極端なまでに忌み嫌う体質もあって日本の外の激しい変化に対応することを考えていなかったのである。

そして私の持論である日本の音楽界をダメにした件が余計に日本の音楽の世界の惨状を象徴するものとなった。

いうまでもなくタイアップである

■タイアップ状況異変!! クオリティの低いメジャー会社の音源と番組に合わない曲不要論台頭
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2014/01/post-bcaf.html

特にCDからサブスクが主な時代に入り、従来のプロモーション方法を根本から変えざるを得なくなった。それはサブスク時代に入り構造的にタイアップを取る=ミリオンセラーになる、なんていう時代はもう終わっているのだ。

ではサブスクの時代にミリオンセラーは可能か? いやビックアーチストならミリオンセラー=100万回再生は可能だろう。だが100万回再生したところでサブスク時代ではいくらの収入になるのか? ちょっと考えればわかることだ。

Spotifyで一回再生したところで0.3円である。100万回再生したところでせいぜい30万(!!) これじゃ事務所代も出ない

しかし日本の音楽界は変化というものを極端なほどに忌み嫌う業界である。そのため「従来からのカタチ」に固執する傾向が強い。

「以前からこういうやり方でやってきたから引き続きこのやりかたでやる」

「以前このやりかたでミリオンセラーで成功したんだ。これからもこのやり方で成功するはずだ」

......     申し訳ないがあまりにも思考停止の度がすぎる。

そこで以前も書いたが、海外では作曲家の収入においてストリーミングではなく別のチャンネルからの収入に主眼を置き始めている。

それがライセンシングである。

ライセンシングとは(使用許可を与える)ことで映画やテレビ、CM等での音源使用料をロイヤルテイとして徴収するしくみで、特にハリウッドの映画やテレビだと下手すりゃ億単位の金になる。私は映画音楽制作の面で海外の映画音楽事務所とつきあいがあるが、もう海外の作曲家もアーチストもサブスク関係の分配額があがらない限り、そのチャンネルの収入よりはライセンシングに主眼を置いた戦略に切り替えている。

ところが日本ではそれをやりたくてもできない事情がある。

なぜならタイアップがあるからである。

日本のタイアップは作曲家が日本国内でライセンシング収入を得ることをほぼ不可能にする。JASRACは建前上一つの曲にタイアップを一回のみに限定、としているがタイアップ契約を作るときに権利ががんじがらめになり(それも訳の分からない「代理店」以外の会社があたかもタカリのように集まってくる)そして事実上他のところでライセンシングを行うことを不可能にしてしまう。

特に東京オリンピックで元電通プロデューサーが逮捕されているがこれもオリンピックよろしく自分では何もしないくせにマージンだけわんさか持っていく利権構造がある。はっきりいうが、これはいかにも「昭和」の発想でありストリーミング時代になればこれは作曲家を事実上殺すシステムとなる。

これも以前に書いた記事である。詳しくはこちらで

■音楽業界総スカン覚悟でいうがサブスク時代に入りメデイアとの「タイアップ」はやめるべきだ。このシステムでのタイアップは作曲家を殺す https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2022/12/post-918fb9.html

それゆえ、私はタイアップというものを廃止すべきだ、という持論をもつに至ったが、いうまでもなく業界からは完全無視されている。

だが状況はますます危機的になっている。そして音楽のクオリテイもますます酷くなっている。

そして映画の世界ではようやくビジネスの「グローバルスタンダード化」に向けて動き始めているが、日本の音楽業界はビジネスのグローバルスタンダート化に向けた動きはほぼ皆無。おかげでジャニーズや松本のセクハラ騒ぎ(松本は欧米ならレイプになり逮捕されてもおかしくない)も全く無関心。現場ではいまだに旧態依然のセクハラ、パワハラが当たり前のように存在している。

もはやどの世界からも置いてけぼりの世界になっている日本の音楽界だが、それらを変えようという動きは皆無といっていい。そして(おそらくは)業界の大多数が波風がたつので世界の変化に対応しようなどとは思っていないんだろう、

はっきりいって私は相当前からこのことを訴えていたが、もう訴える気にもならない。どうせ誰も聞く耳もたんしいうだけ無駄だろう。とも私自身も思っている。どうせ最近の私は音楽業界人というよりは映画業界人に変わりつつある。その方がやりがいを感じるからである。

このブログも日本の音楽の惨状に対しては無力だったわけだ。

10年後、「日本の音楽業界」はもう存在しているだろうか?

 

 

 

1月 18, 2024 音楽 | | コメント (0)