■グローバルにならざるを得ない映画、音楽のコンテンツ制作
しかしインターネットやソーシャルネットがこれだけ発展し普及した現代に自国一国のマーケットだけ見ていればいいという見解はどう考えても時代遅れだ。実際日本国内の市場だけで映画や音楽コンテンツを回そうとすると相当苦しい運営を迫られる。
何よりも今までのグローバル化の流れに沿って情報、コンテンツが国境に関係なく動くことによってコンテンツーとりわけ映像コンテンツ制作の世界には劇的な変化が起きている。
例えばつい5-6年前だったら日本の俳優が「ハリウッド映画に出たい」などと云おうものなら周囲から「お前バカじゃねえか?」とか「身の程を考えろ」とかいわれて袋叩きにあったものだ。
だが今私の周囲のFacebookでつながっている俳優を含め、多くの日本人俳優が当たり前のようにハリウッド、や中国等の外国映画に出演する時代になった。そしてそれをくさす人間など殆どいない
先日、私はとある関係でかつて「B級映画の帝王」と呼ばれたロジャーコーマン氏の記者会見に出席した。コーマン氏プロデユースのヒット作「ピラニア」の新作「ピラニアジャパン」の製作発表パーテイーに出席したのである。

記者会見パーテイーでのロジャーコーマン氏と筆者の記念撮影
その記者会見でコーマン氏はいみじくも発言したのは「自国一国のマーケットだけを念頭に映画製作する時代は終わった」と明言し、日本の映画関係者の積極的な参加を呼び掛けた。決定ではないが、日本人監督の起用も考えているという。主演のクリストファーロイド以外のキャストはこれから決定し、勿論日本人のキャストも大量にキャステイングする予定だという
実際映画、アニメ、ゲームなどは(後者の2つは政府の「クールジャパン」政策も後押ししている)急速にグローバル化が進んでおり、映画もアニメもゲームも全世界の市場を念頭に置いたコンテンツ制作の方に流れが動いている。そしてその動きはもはや誰にも止められないだろう。
そうした流れの中で日本側でグローバル化する上で1つの障害が発生する可能性がある、それは既存の日本の芸能界のシステム、と海外のショウビズのシステムとの根本的違いである。
■「ガラパゴス」である日本の芸能界、音楽界のシステム
日本以外のショウビズは基本的にエージェント制をを採用している、エージェントというのは殆どが知的財産に詳しい弁護士が代理人となって映画製作会社、音楽制作会社、レコード会社に対してギャランテイやその他の条件を交渉する人間である。事務所と違うのは原則マネージメントは行わない(但しエージェント会社によってはマネージメントのオプションもある) 何よりも音楽事務所、芸能事務所と根本的に違うのはエージェントとアーチストが一対一の完全に同等な立場となっている点だ。
日本の芸能事務所、音楽事務所は言葉が悪いが親分対子分のような浪花節的な結びつきが強く、たいていの場合は事務所社長がタレントを事実上「支配する」システムを取っている。つまりエージェント制と芸能事務所等の芸能界のシステムはいわば水と油のようなものである。
だがおそらく日本の芸能事務所、音楽事務所の殆どが海外の製作会社や音楽制作会社に関して、著作権、肖像権、知的財産。その他、タレントの人権等を含む高度な法律的知識を持った人材を装備しているとは考え辛い。いたとしても超大手の芸能事務所だろう。 海外でエージェント業務を行う人間はそれだけの高度な法律的知識を有している人間でないと務まらない(だから弁護士がなるケースが多いのだ)
映画や音楽の世界がグローバル化する、ということはそういった既存のシステムを変えざるを得ない場合も当然出てくる。日本の芸能界や音事協を中心とした事務所のシステムはまさしく日本独特なものだが映画や音楽のコンテンツ制作がグローバル化する流れではこれら「既存のシステム」は寧ろ障害になる可能性が高い。そのため映画、アニメ、ゲーム等のグローバル化は日本の芸能事務所や音楽事務所の体制を根底から覆す可能性を持っている。その変化に対応できる事務所は生き残るが、従来のやり方に固執する事務所は新しい時代では生き残れない可能性の方が高いのだ
よく日本のシステム、(とりわけ日本の音楽がそうだが)は南太平洋の孤島の「ガラパゴス」に例えられることが多い。他の地域と隔絶していることで独自の進化をしてきた孤島の生態系を指しているのだが日本の芸能界や音楽事務所はまさにその「ガラパゴス」そのものなのだ。
だがこの流れを止めることはもはや不可能である。いわゆる芸能界のドンとか呼ばれる人間でもこれを止めることは不可能だ。そしてこのグローバル化のスピードは私の予想ですら超えるスピードで動いているのが現実である。
■新しいグローバリズムは誰にでも均等にチャンス、同時にセーフテイーネットも
さてこの映像制作のグローバル化について気を付けなければならないのは、経済政策で行ってきた同じ過ちを繰り返してはならない、という点だ。つまり新自由主義とグローバリズムを結び付けるという点だ。
行き過ぎた新自由主義のグローバリズムは結果として投資関係や大企業のように「持てるもの」に恩恵が集中し、「持たざる者」には大した恩恵をもたらさなかった。このシステムに根本的に欠けている観点は「誰にでもチャンスが訪れるー機会が均等に訪れる」という点である。
つまり本来グローバルで自由な社会のはずが必ずしも「誰でも機会均等に」富を追求するシステムではなかった」という点を抑えなければならない。だからこそ格差が生じたのであり、貧民層を中心にグローバリズム=自分たちを不幸にするシステム、というイメージが広がり、トランプのような人種差別主義者の大統領就任を始め、イギリスのEU離脱、そして欧米各地で極右政党が台頭する結果をもたらした。
だからTPPのようにグローバル企業のみが恩恵を被るようなシステムでは、例えば貧民層の少年が自分の力で巨万の富を手に入れる、などということはたぶん起きないであろう。 日本でいえばロクに学校も行けなかった人間から巨万の富を手にした松下幸之助や田中角栄のような人物はこのシステムでは絶対に、といっていいほど出てこない。
世界の1%の人間しか幸せになれない、それが新自由主義と結びついたグローバリズムの結果である
そういうグローバリズムは否定しなければならない。
新しい映画や音楽の世界のグローバリズムは特定の人間のみが潤うシステムではなく、誰にでも均等にチャンスが訪れ、誰でも均等に成功者になるチャンスが訪れるようなものでなければならない。
現在私は現在ソーシャルネットというツールを用いてそれを行おうとしているが、インターネットだからこそそれが可能になるはずだと考える。
一方で弱者が弱者のままで終わらないように支援しなくてはならない。セーフテイーネットの構築も必要である。政府の経済政策を推進する新自由主義者はそのセーフテイーネットを構築するのを怠った。わざと怠ったといっていい。それが自らの立場を利すると考えたからのようだが、その結果が全世界的な「反グローバリズム」の動きにつながった。
グローバリズムと新自由主義は切り離さなければならない。切り離さないとせっかくネットでつながった世界でのコンテンツや情報の動きは機能不全に陥ってしまう。そのため新自由主義的なエコノミストを政策立案者から追放しなければならないはずだ
■全ての「ガラパゴス」が悪いわけではない
最後に全世界的に広がっている極右勢力の台頭には私は極めて危険なにおいを感じ取っている。一つ間違えると第二次大戦前のような危険な方向に人類は向かってしまう危険性もある。これというのもグローバリズムというものを誤解している向きがあるからではないか、と思う
過剰な新自由主義と合わせ、どうも国別のローカライズや国の風習、慣習そのものを否定しているとしか思えない自称グローバリストが時々いる。特にグローバル派エコノミストとかITマーケテイング系とかにこういう輩が多いような気がする。まるで全世界が金太郎飴にように均質化することがグローバリズムであるかのように考えているとしか思えない連中だ。だからアメリカが成功しているものが日本で成功しないと「日本が遅れているからこうなった」みたいな言い方をする人間も少なくない。
だがそれはとんでもない誤りである。いくらネットで世界でつながっているからといって日本とアメリカの国事情は全く違う、だがそういう点を全く見ようともせず、一律に論じる論調がネットでは多すぎるのだ。
あえていうが「全てのガラパゴスが悪」ではないのだ
勿論上記で述べた日本の芸能界のシステムのようにグローバリズムの観点から障害になりかねないものもある。だが物は考えようで「ガラパゴス」と「その国独自の特徴」というのは紙一重でもあるのだ。よって日本独特=ガラパゴスという短絡的な発想で行うとまた極右勢力台頭のきっかけになる可能性がある、
どうもネットでは左でなければ右、白でなければ黒といった単純な二者択一の議論しか出ない傾向があるが、世の中はそんなにすべてが白黒で分けられるような単純なものではないことは少しでも社会経験がある人間ならわかるはずだ。だから日本という特徴を生かすために「尊重すべきガラパゴス」と「障害になるガラパゴス」を見極めなければならないのだ。白や黒ばかりではなくグレーもある、ということをきちんと理解して「日本独自の表現」「日本の特徴を生かす」ということを考えないとこれからのグローバルな市場では生き残れない
ネットの様々な論調もグローバリズムをおかしくしてしまっている面もあるようだ。
以上のことをふまえて、今後ますます推進されるだろう映画、アニメ、ゲームコンテンツのグローバル化の波に乗っていきたいものである。
そして勿論音楽もこの波に乗り遅れないように。取り残されないように音楽家の端くれとして全力を挙げる所存である。
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