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2015年7月 9日 (木)

角川歴彦「グーグル、アップルに負けない著作権法」レビュー

先日の角川会長の「クリエーターズEXPO/プロダクションEXPO」での基調講演の時に先着300名に配られた本

幸いなことにその先着300名の中に入ってこの激動のコンテンツの経済環境においてクリエーターとしてコンテンツプロバイダーとしてどのような生き方を考えねばならないか、それに関する啓示的な本を読むことができた。

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まず何よりも出版業界と映像業界に身を置く方とはいえ、70を過ぎた方がITや昨今のコンテンツ業界に関してかくも深く、かつ将来に対して明確なビジョンを持っておられること自体に感心し、驚愕した。

アマゾンやアップルとの交渉に関する経験があるにせよ、ドワンゴとの合併を始め株式会社カドカワの推進するEPUB3を打ち出したり等意欲的にこのコンテンツの激動時代に対応されている角川会長だが、IT技術や業界の理解と同時に著作者への保護、クリエーターへの保護の視点が感じられたこともあり、クリエーターの端くれとしては何か安心して読むことができた。実はIT関係の著作物にはそういった視点で今後のITの動きについて論じている本は私の知る限り殆どないといっていい。

本ではアップルのiCloudや先行するGoogleのクラウドシステムがもたらすITとコンテンツ世界への激変状況に加え、「スマートテレビ」やITに将来的に地上波のテレビが組み込まれることを想定した事態について相当のページを割いている。

実はこの本に関するキーワードは目立たないが「プラットホーム」である

情報化社会では「プラットホーム」を確立した人間が支配をし、コンテンツプロバイダーはその「プラットホーム」の支配者に管理されてしまう、というメカニズム

さらにステイーブジョブスにいたってはその「プラットホーム」をクローズド(閉鎖された)もので1つの生態系(エコシステム)を確立し、ある意味ジョブス(アップル)は独裁者になっているという現実である。

このようなシステムではコンテンツはプレミアムコンテンツ(付加価値のあるコンテンツ)までコモデイテイ(セール品)の扱いとなり、かくしてこのシステムではいかなる商品もいずれは単なる消耗品になってしまうという我々クリエーターにとっては死活問題となる問題を内包している。

この本ではITの4巨人を「ギャング4」という表現をしていることが面白い。いうまでもなくGoogle, Apple, Amazon, そしてMicrosoftのことである。そう彼らは日々厳しい競争にあけくれ生き馬の目を抜くような毎日を送っている。日本にも崇拝者の多いステイーブジョブスだがジョブスを勿論含めこの「ギャング4」の中には聖人など一人もいないということは頭にいれておくべきだろう。

彼らの頭にあるのは音楽、映画、本、そして最終的なテレビ番組を可能な限り安価(安物)として売り、著作権を含めあらゆる権利を全て自分たちの思い通りにコントロールしていきたい、という野望である。「ギャング4」はそれぞれ検索エンジン、革命的な機種販売、EC,とスタート地点は違うが最終的な目標は同じなのだ。

角川会長はそれに対して「エコシステム2.0」を提案する。それはコンテンツ事業者自らがコンテンツプロバイダーとなりアプリ開発とプラットホームを作る構想で、早い話がコンテンツプロバイダーが「ギャング4」と対等にわたりあえるためには、IT技術を装備するしかない、ということでドワンゴ買収もそうした背景があったと思われる。

最後のドワンゴの川上氏やMIT教授の伊藤穣一氏他3名の対談では、クラウド化やプラットホーム化が進む時代の中では現行の著作権がもはや時代遅れになっている点を指摘し、私もそれには同感である。

尚、余談だがこの本ではグローバリゼーションの波についても頻繁に記述が出るが、よく「グローバリズム=世界中が金太郎飴のように同質になること」と受け取れるような言質をよくみるが、その根源は「ギャング4」の関係者、もしくはその崇拝者から出てきている言葉らしいことがわかり、実は妙に納得してしまった。

勿論「ギャング4」にそのような文化の違いを無視した画一化したコンテンツ施策を推進させてはならない。

またコンテンツプロバイダーも我々クリエーターも並居るITによる変化の波にただ怯えるだけではダメだ。コンテンツプロバイダーやクリエーターが連帯して「ギャング4」の権利搾取に対して対決するくらいの強い意志がないとダメだ

今後のデジタル化の波に対して1クリエーターとしてそのような取り組み方が正しいと確信する。特に日本はこれから「クールジャパン」と称して日本のアニメ、ゲームを始めとする日本独自のコンテンツを世界に打ち出していくプロジェクトがある。

しかしそれが「ギャング4」に思うようにやられるようでは成功もおぼつかないことは確かであろう。

この本の最後の文章。たぶん角川会長はこれを一番いいたかったのではないかと思う。

『健全な競争を維持しつつ、モンスター化するクラウドプロバイダーの暴走をいかにして止めるか。警鐘を鳴らして、本書の結論としたい」

コンテンツプロバイダーやクリエーターの方には是非一読をお勧めしたい

7月 9, 2015 書籍・雑誌 | | コメント (0)

2013年4月21日 (日)

レビュー:なぜゴッホは貧乏でピカソは金持ちだったか?

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まず最初に断っておく。この本はアート関係の本ではない。 またアートを始め今問題となっているコンテンツの市場の今後について語ったものでもない。

実は「お金」というものは本当はどういうものかを本質的に論じ、それを過去、から今後のありかた、ソーシャルネットを始めとするこれからの形でどうありかたが変化していくかを論じた本であり、実際ピカソについてはこの本を通じてトータルでも数ページ分しか裂かれていない。したがってピカソとゴッホに関して芸術家の人生の面で何か興味深い比較がかかれているのか、本の題名からその辺りについて期待した自分としては正直期待はずれの面はあった

本のタイトルにいささか騙された感はあるものの、だからといってつまらない本かというと決してそうではない。なぜならこれほど「お金」というものの本質をある意味哲学的に論じ「価値」と「信用」の積み上げ、という観点で論じた本はないかもしれないからだ。

この本でピカソが出てくるのはピカソはゴッホと違い「お金」の本質、自分の「価値」の本質を実によく理解しており、自分の「名声価値)」をいかにあげるか、そしてそれをより多くの「お金」変えられるかを熟知していたという。そのためピカソは芸術表現としても歴史の残る作品を残すと同時に巨万の富も築いていたのである。この本の筆者はピカソのその戦略を例にとって「お金とは」「価値とは」「信用とは」というものを的確に分析し、人は何に対してお金を払うのか、ということを客観的に分析する。ソーシャルネット時代からグローバル、な今後の時代でそのありかたがどう変わるかについて論じている。

その意味では音楽を始めコンテンツの価値バリュー)と信用クレジット)を上げるために何をしなければならないか、考える参考にはなるかもしれない。

筆者は元外資系の金融コンサルタント会社に勤務した経験から、会社の過去の実績や会社の従業員が単純な数字で売り買いされている実態に疑問を感じ始めてから。「お金」について考え始めたらしい。結局その風潮はリーマンショックという危機を生み出すことになる。

しかしこの本は私が読む本ではなく、やはり投資関係や経済関係の人の本だろう。その関係の人が読んだ方がより面白く読めるかもしれない。

個人的に思ったのはこういう本はKindleで読んでおけば良かったかな。と後悔している。題名だけで本を買うのはやはり危険かも
でも今回の週末は冷たい雨だったし、まあ読書の週末というのはよい週末の過ごし方である。


4月 21, 2013 書籍・雑誌 | | コメント (0)

2012年9月30日 (日)

歴史に残る作曲家はみな「職人」であり「職業音楽家」だった

取りあえず激務から解放され久々にのんびりとした毎日を送っていますが...(^^)

激務の間に気になる本がありましたのでこれに関して述べさせていただきます。

聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ) [新書]

 

 

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聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ)

この本は基本的にはクラシック音楽を好きになるための本ではなく、社会人として知っておきたい常識を身につけるための本。レコード会社が勝手に名付けたから売れたあの名曲、セールスマンと異名をとった巨匠・カラヤンの技…ビジネスでも使えるネタを満載した本ではあるんですが、ここで一点面白い記述があります。

よく作曲家の作品に「誰々に献呈」という書き込みがありますがこれを始めたのはベートーヴェンで、楽譜の表紙に書かれています。かくしてベートーヴェンの傑作の中に「クロイツエルソナタ」とか「ワルドシュタインソナタ」とかいう名前のついた作品があるんですが、実はこれは営業用で、「献呈」された貴族達から「報酬」をもらうというビジネスだったわけです。
しかしちゃんと合意がないと「報酬」が貰えなくて、ロシア皇帝に「献呈」したところ、皇帝は曲を貰ったものと勘違いして? ベートーヴェンは「報酬」を貰えずウィーンにきた皇后に、1曲献呈すると書いた手紙に「十年前の謝礼金をまだ貰ってません・・・」と書き添えて、やっと「報酬」を貰ったというエピソードがあるそうです。
つまり我々が知っている大作曲家というのは殆どの場合、「ビジネス」として作品を作っていたわけで、ベートーベンは独立した「個人事業主」としてそれをやる能力があったわけで、当時の彼のギャラは現在の金額に換算すると億単位のギャラをもらっていたようです。ちなみにベートーベン以前の作曲家はみな貴族や教会の「雇われ作曲家」だったわけで「音楽を作る職人」という使用人の役割を担っていたわけです。

実は作曲家として「個人事業主」としてやっていこうと最初に始めたのはモーツアルトといわれていますが、これはモーツアルト自ら望んでそうやったのではなく、音楽好きで知られた当時のオーストリア皇帝の啓蒙君主ヨーゼフ2世の死後後を継いだ弟のレオポルト2世が発端で、レオポルト2世は兄と違い音楽にそれほど興味を示さなかったため宮廷の経費削減のため抱えていた音楽家の多くをリストラ対象にしました。その関係でモーツアルトもリストラ対象になり「自営業」をやらざるを得なくなったという事情もあったようです。その関係で一般的にはモーツアルト極貧の中で死んだ、などというイメージが根強くありますが、実は最近の研究でそのイメージが誤りであったことがわかっています。実際宮廷楽人の職を解かれたあとも結構多くの作品の依頼が舞い込んでいますし、モーツアルトが「レクイエム」作曲中に妻のコンスタンツエは温泉療養にでかけています、極貧の生活の人間がやることではありません。(笑)

・最新の研究結果が明かしたモーツァルトはセレブ?!説
http://sky.geocities.jp/pape1625/page008.html

・墓もないモーツアルトの年収。病死の年に<5672万円><br</br
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/44087971.html

このように「クラシック」の作曲家で現在私たちが知っている人の大半が実は「職業音楽人」なんですね。わずかにシューベルトとか20世紀に入ってからのシェーンベルク等の無調音楽派などがむしろ例外で、少なくとも19世紀のロマン派までの作曲家は殆ど「職業音楽家」でした。特に「オペラ」の作曲家の殆どは劇場付の「音楽を作る職人」でした。それがいつのころから極貧」というイメージにされてしまったモーツアルトとか、死後ようやく作品が評価されたシューベルトの生き方などが音楽歴史家によって変に美化されてしまい、「職業で音楽を作る」とか「お金で音楽を作る」といった考え方があたかも犯罪行為であるかのような見られ方がされてしまったわけですね。 クラシック系の世界ではまだそういう考え方が根強く残っています。変な話、彼らの方が音楽の歴史をきちんと理解していないように思いますね。

しかし大事な点がもう1つあります。この「職業音楽人」 である歴史に残る「クラシック」の作曲家は単にビジネスというだけで作品を残していたわけではありません。当然ながら歴史に残るほどのクオリティの高い作品を残していたわけで、いわばビジネスと芸術性が両立していた、ということがいえます。これは全てのジャンルのよい音楽についていえることで、私たちがスタンダードという名前の古典にしているジャズスタンダードナンバーにしても、60年代ー70年代ロックにしても興業的な成功だけでなく、「芸術性でも歴史に残る音楽になっていることはいうまでもありません。勿論中には作曲家の死後に評価を受けたり、評価が変わったりというケースもあります。しかしいずれも「芸術性「商業性(あるいは大衆性)」が両立した音楽であることは事実といっていいと思います。

しかしながら最近のJ-popをはじめとする音楽については残念ながらこれにあてはまる音楽ではないといわざるを得ません。音楽を「作品」ではなく「製品」として作るという考え方ーつまり「芸術性よりは「商業性」の論理が優先された世界になっており、かくして今音楽業界で「高い芸術性の音楽を」などといったら嘲笑と罵倒が待っているのが実情です。 私は音楽文化を復活させるにはそういう世界から一線を画したものにしなければならないと思っております。

聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ) という本で歴史に残る音楽を作った作曲家は「芸術性「商業性」が両立した音楽を作っていたという理解が広まればいいと思っております。

 

 

 

 

 

9月 30, 2012 書籍・雑誌音楽11-15 | | コメント (0)

2010年10月30日 (土)

音楽ビジネス革命-「残響レコードの挑戦」レビュー

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実はここしばらく自分の会社のレーベルに関して手詰まり感があった。かなり悩んでいた時にマーケテイングの専門家の友人に勧められて読んだ本、その彼いわく「マーケテイングのバイブル」といっていい本だという。

というわけでAmazon経由で購入した。とても読みやすくすぐに読破できる。

基本的な考え方はこのブログで書いていることと殆ど変わらない。扱う音楽のジャンルは違うにせよ、音楽とそのビジネスに関する取り組み方、志向しているベクトルは私とほぼ同じといっていい。しかし河野氏はフリーターから年商2億のレコードレーベルにまで成長させた手腕の持ち主だが、私の方はなかなか頭で考えていたように物事が運ばず悶々としている、その違いはどこにあるのか、何かヒントがないか、と思い読んでみた。

結論からいうと読んでいて私の方で反省点が多く見えてきた。なかには私自身かなり耳の痛いことも書かれていた。ホント反省しきり、である。

1.まず音楽の見せ方、打ち出し方に詰めの甘さがあった。

手前味噌だが音楽のクオリテイには自信があるつもりだ。しかしその「見せ方」「打ち出し方」に第三者に対してインパクトがまだ足りなかったのではないか。

2.ライブその他イベントに関する戦略の詰めの甘さ

河野さんは結果的に赤字のライブでもその1つ1つに明確な目標を決め、それを着実にプラスに運んでいった。そこの部分がきちんとできていなかったように思う。

3.いわゆる「インデイース」であるにも関わらずどこか「メジャー」的な感覚でプロモーションをしていた傾向がある、

河野さんは「音楽業界を知らなかったから今の成功がある」と自分でいっているが、その面でいうと自分はいわゆる「メジャー」の世界で中心に仕事をしてきた関係で、どこかまだその時の感覚でプロモーション等の仕事をしていたのではないだろうか? 結果的にそのためどこか中途半端になってしまったのではないか?

いずれにせよ自分に甘い面がずいぶんあったと反省している。

特に第五章の「河野式ビジネス哲学」は私としても共感する点が多い。共感と私自身の反省と両方感じた本である。

このブログを読んでくださっている方にも是非お勧めしたい本である。

 

10月 30, 2010 書籍・雑誌 |

2009年8月22日 (土)

死語とされている「IT革命」という言葉

■もう「死語」?なネットの言葉 http://news.ameba.jp/cobs/2009/08/43797.html

まあアメブロなんで例によって2ちゃん用語とか多いし、サンプル数も少ないのでどこまであてにできる記事か、というのも正直あるんだが、その中の「死語」リストに「IT革命」という言葉を見つけた。

確かにこの「IT革命」という言葉は一時やかましいほどマスメデイアをにぎわしたし、自分も不覚にもこのマスメデイアの煽動に乗ってしまい、一時は大きな期待をかけていた。しかし結局世の中は殆ど変化せず、正直いって失望感しか残らなかった。これに関して日経BPのある記者は「筆者を含むジャーナリズムは、IT革命が来る、と思って盛り上げたものの、世の中があまり変化しないので飽きてしまった。」と書いているが、まあいつもながら無責任マスコミ記者らしい発言、騒ぐだけ騒いで泰山鳴動すらしないでねずみの一匹も出なかったということだろう。

実際「今使うとかなり痛い[腐語]大辞典」の中にもこの「IT革命」という言葉は入っている

■死語とまではいかないが、すでに腐りかけ……[ビジネス・IT用語]の部 http://spa.fusosha.co.jp/feature/list00000636_2.php

しかしだいぶ前の記事だがこうした風潮に反論するがごとく「ITによる革命は緒に就いたばかり 」と主張する本が現れていた。
テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編)上田惇生編訳、ダイアモンド社)  である。2年くらい前の記事だが非常に参考にはなった。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070601/273297/?ST=biz_biz&P=1

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早速本屋に行き購入。この本は、テクノロジーのマネジメントに関する論考を集めたもので、「理系のためのドラッカーであり、かつ文系のための技術論」(「編訳者後書き」より)となっている。基本的にはマネジメント中心の本だが特に第四章の「IT革命は産業革命になれるか」という項目は面白かった。要は産業革命の進展の仕方と今の情報革命の進展のしかたを照らし合わせているのだが、IT革命と産業革命を比較すると、コンピューターの誕生に相当するものとして、蒸気機関の発明がある。蒸気機関は社会や産業に大きな革新をもたらしたが、ドラッカー氏の見立てによると「産業革命前から存在していた製品の生産の機械化だけだった」。真に世の中を変えたのは鉄道である。蒸気機関の実用から鉄道の出現まで、ざっと50年かかっている。

 コンピューターによるIT革命も同じだとドラッカー氏は指摘する。つまり本格的なコンピューターが生まれて50年がたったが、やったことは大きく言えば機械化であり、これからいよいよ「鉄道」が出現する。ドラッカー氏によれば、鉄道に相当するものが、インターネット上のエレクトロニックコマース(EC、電子商取引)であるという。まあECという言葉も死語に近いが、しかしこれは必ずしもAmazonや楽天のようなものを指すとは限らない。それにこの指摘は確かに思い当たることがある。

 現代の我々にとってインターネットという便利なツールが出現したのが事実だが、まだ以前のビジネスの形をそのツールをつかうことによって「機械化」したに過ぎない。だから情報の数は多くなったが社会のしくみは殆ど何も変わらずに今日まで来ている。しかしそれらは単なる前ぶれに過ぎない、とドラッカー氏は指摘する。

ドラッカー氏は、鉄道が登場した10年後あたりから、「蒸気機関とは無縁の新産業が躍動を始めた」と述べる。それは電報や写真、光学機器、農業機械、肥料であった。一連の新技術の登場の後に、郵便や銀行、新聞などが現れ、鉄道が登場した30年後には、近代の産業と社会制度が確立した。ドラッカー氏は来るべき社会にも同じことが繰り返されると主張する。


 今後20、30年の間に、コンピュータの出現から今日までに見られたよりも大きな技術の変化、そしてそれ以上に大きな産業構造、経済構造、さらには社会構造の変化が見られることになる

 IT革命からいかなる新産業が生まれ、いかなる社会制度、社会機関が生まれるかはわからない。(中略)しかし絶対とまではいかなくとも、かなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に、相当数の新産業が生まれることであろうことである。しかもそれらの多くがIT、コンピュータ、インターネット関連ではないであろうことである。

 上記の最後の赤字の部分が非常に面白い。確かに産業革命では鉄道よりもその周辺の事業が大きく発展し、大もうけをした。IT革命も同じことになるだろう、というのがドラッカー氏の主張である。この本は正直、マネジメントの専門用語も多く、私には難解な部分もあったが、非常に興味深く読ませてもらった。少なくともIT関係者のよく書く「IT夢物語」的なIT革命論より、ドラッカー氏の文章の方がはるかに説得力があると思う

つまり IT技術の出現=即IT革命 では決してない、ということである。今は単にインターネットを始めとするITのツールが出現したに過ぎない。要はこのITツールを有効に使っていかに本当の意味で「革命的」な新産業を作るかで、それは我々にかかっている。産業革命の時代の鉄道のように、それは決して現代の鉄道であるIT企業からは生まれないというのは面白い。

 さて、私のようなコンテンツ屋などはITではないが、ITとかなり密接にならざるを得ない産業の1つである。「全てのコンテンツは無料であるべきだ」というのがあたかも正論であるかのように語られ、ネットユーザーの大半がそう考えている現状を考えると、映画、音楽等のコンテンツ業は寧ろ存亡の危機にすらたっているように見える。しかし現在あるITツール等を使った全く新たなコンテンツ新産業が果たして生まれる可能性があるのかという点についてコンテンツ屋の端くれとして考えたいと思う。これは必ずしもi-tunesのような配信事業ばかりとは限らない、もしかしたらi-tunesですら新しいコンテンツ産業誕生の前奏曲に過ぎないのかもしれない。

 またプロダクションや制作会社の形も変わって行くかもしれない、それがどういう形かはわからないが...

ひとつだけはっきりいえるのは絶えずそのために知恵をしぼり、頭を使うことである。音楽界、芸能界に顕著だが、実は「頭を使う」ということを極端に嫌う体質がある。業界全体が思考停止、アナログ頭という状態で、だから総務省や経済産業省のようなところでIT官界企業や役人にいいようにバカにされるのだが、そういう古い頭の人たちに早くご退場願うしかないのが悲しいところだ。そのためにも来るべき時代のためにあれこれ知恵をしぼり頭を使い続けるのが得策だろう。

 

 

 

8月 22, 2009 パソコン・インターネット書籍・雑誌 | | コメント (0)

2008年6月 3日 (火)

ヒーリングミュージックの元祖はロックだった!?

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という名前で私がインタビュー受けた記事が日経BP社出版の「大人のロック」という雑誌で発売されました。

http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/

これは先月に取材を受け「癒し系ヴォーカリストを探せ!!」という特集で私に白羽の矢が当たってしまいました。業界で「癒し系」というと私のところによく来ます(^^:)

もともと「ロック音楽」と「癒し系」というのは相容れない部分もあるので最初は悩みましたが,「環境音楽」のブライアンイーがもとロキシーミュージックだった、という観点から「ヒーリングミュージックの元祖はロックだった!?」という記事になりました。

記事では12人の皆さんよくご存じのロックボーカリストとその曲に私がコメントをつけています。どんなアーチストでどんな曲が出ているかは読んでのお楽しみ... まあ異論がある人もいるかもしれませんが..

というわけで全国の書店の音楽雑誌のコーナーで販売しています(^^)

6月 3, 2008 書籍・雑誌 |

2006年6月 2日 (金)

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先日からだが前々から読みたかった本を ようやく読むことができた 「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」

この本の主役はビリービーンというアスレチックスのゼネラルマネージャーだが彼はそれまでの業界の「常識」-古い慣習、古い野球観にとらわれずに独自の視点から他球団が目もくれなかった人材を雇い、そして事実本当にメジャーリーガーとして活躍させていったプロセスに焦点をあてる。いかにして貧乏球団オークランドアスレチックスが金満球団ヤンキースに匹敵するチームを作ったか。 いかにお金を効率的に使って金満球団のヤンキース(日本の○売巨○軍みたいなもの)に勝るとも劣らない球団を作ったかというルポである。(年俸総額はヤンキースの1/10といわれる)。

嘘みたいと思う人もいるだろうがフィクションではない。実際本当に起きたことである。要は「勝つためには投資の金額ではなく、いかに賢くお金を使うか」ということだが、こういう考え方が今の日本にあまりにも少ないのではないかと思うのである。

私はこの考え方を今の音楽業界に応用できないものかと考えている。勿論、野球と音楽業界、いろんな意味で違うので単純にはいかない。しかしこの本には何かヒントがあるのではないかと考えている。

音楽業界もヤンキースや○売巨○軍同様、湯水のようにお金を投じてタイアップだーなんだとやってきた。某アーチストは100万枚単位がうれることを前提にプロモーションなんてことをやってきた。そのツケで今どこのレコードメーカーも経営難にあえいでいる。その意味で今のメジャーリーグに構造も体質も非常によく似ている。

しかしそうでないやりかたで成功する方法があるのではないのか? 何も地上波のCMや番組のタイアップに何千万、何億という広告費を費やす以外に方法はあるはずだ。私はずーとそう思っていた

Hえもんをはじめいわゆるバブル世代の経営者は「とにかく金を流し込め」というやりかたをする。A社のM氏も同様。彼らのやりかたは一見センセーショナルに見えるが基本的な手法に新しさはない。寧ろ日本そのものを傷つけたあのバブルのやりかたそのものだ。そこには過去の日本の失敗から教訓を学ぼうという姿勢が見られない。(某L社のように自社の主力商品は自社株なんてことをやっているようじゃ話にならない。)

大手が見逃すようなアーチストはどのようなアーチストか、
実際リスナーはアーチストに何を求めるのか、どういう音楽を求めるのかービリービーンのように「常識」や「慣習」「固定観念」といったものにとらわれず新たな視点で全てのことを見直すことが必要だろう。時代の変革期には「常識」などかえって邪魔になる。私もビリービーンのように常識を根本からくつがえすことをやってみたい。

笑われることを承知の上で書くが、広告費0で10万枚CDが売れる方法とか(笑)
決して不可能ではない、 かもしれない


マネーボールに興味ある人はこちら

6月 2, 2006 書籍・雑誌 | | コメント (0)