2021年12月29日 (水)

悪夢の2020-2021年が終わり、ポストコロナ時代の音楽や映像の時代を展望

コロナのパンデミックが2020年の春先から始まり、2年近く、ここ2年殆ど音楽のライブ演奏はもとより映画を始めとする撮影も中断を余儀なくされ、行ってもかなりの制約や条件の元に行わざるを得ない状況が続いた。

私個人の実績として昨年は「銀幕彩日」(中田圭監督作品)の音楽(併せて英語字幕の翻訳やエキストラとしても参加した)、そして今年はDare to Overcomeのテーマアンセムをようやく完成させたという程度で、正直昨年よりも今年の方がダメージが大きいのも事実。

とりあえず2021年12月の段階では表面上はコロナは一見落ち着いているように見えているものの、既に過去最強の感染力を有する「オミクロン株」の市内感染が東京、大阪を始め各都市で始まっており、年明けから「第六波」を覚悟した方がいいと思われる。

「オミクロン株」はワクチン接種済の人でもブレークスルー率が小さくないといわれており、今後予想される3回目の接種と先日認可された新型コロナウイルス感染症の飲み薬「モルヌピラビル」がどれだけ効果があるか次第で第六波の規模と時間がかかるだろうと思われる。「モルヌピラビル」はオミクロン株にも有効といわれており、この処方が広がればコロナのパンデミックの収束に対する期待も出てくる。

そして仮にワクチン接種とコロナ軽症者向けの「モルヌピラビル」でコロナが一定限度収まったとしよう。
パンデミックが収まり、これで世の中の全てが「コロナ以前」の状態に戻るか、とそう期待している人もいるようだが、残念ながらたぶん、そうはならない。

この2年間のパンデミックに対する対応において、日本では一部の会社は嫌々ながら進めていた「オンライン」による業務の定着はコロナが収まったからなくなるわけではない。業務効率上は「オンライン」で進めた方が経費の削減や業務効率が上がることがわかってしまったからである。会社というのは経費削減や効率が上がることがわかれば自然にそちらの方に動くものである。

大学等の授業も教室で行うよりオンライン授業の方が効率がいいことがわかってしまった。これを考えるとポストコロナの時代に入ってもオンライン授業がなくなるとは思えない。

そして何よりも映画や音楽の産業形態は「ポストコロナ」時代では「コロナ以前」と比べて大きく変わらざるを得ないだろう。

例えばアイドルの握手会などは「ポストコロナ」時代で復活するだろうか?レコード会社は「握手券」をCDに入れるあの「オイシイ」思いが忘れられずポストコロナで再度行う構えのようだが、CDという商品形態はもはや時代遅れなのは明らかであり、各レコード会社もサブスクリプションにあれほど消極的だったが、コロナのパンデミックの姿勢はその消極的な姿勢も変えた。2年前は音楽関係者に「プレイリスト」といっても何をいっているのか理解されなかったが、今や私の曲によるレコード会社の公式プレイリストも存在する等、姿勢は大きく変わっている。

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筆者の作品によるビクターエンタテインメントの公式プレイリスト

 

また今年はNFT (Non-fungeble Token) というデジタルの新しい商品形態が世界的に注目を浴びている。

ゲーム関係とアニメ関係は将来の新商品の形態として注目し、様々な商品の準備が行われている。NFTは初期は高値で取引される等で注目されているが、まだ市場の特性も私見ではかなり偏っている。一方で市場がまだ成熟していない段階では今後いくらでもチャンスは出てくると思う。

NFTはコンテンツ自体はまだ100MBが限度なので動画とかはあまりできないが静止画で音楽(3-4分の曲)なら十分に行ける。

その面ではNFTはある意味サブスク以上に音楽を売る有望な市場だと思うのだが、私がみたところNFTに関心をもっている音楽事務所は少ない。実際私が「現在NFTの商品を売ろうとしている」とある音楽事務所関係者にいったら「何ですかそれは?」と怪訝な顔をして聞かれた。全く日本の音楽関係者は本当に勉強しない。困ったものである。

とはいえ一部のIT系雑誌が書くようにNFTを出せば売れる、などという甘いものではない。実際売るのは難しい、かくいう私もいまだこの面で悪戦苦闘している、というのが実態である。この件については新展開があり次第報告する。

日本国内で日本人同士で話をしていると日本の外でどれだけドラステイックな変化が起きているか、なかなか実感できない。しかしここ10年でジェンダーやLGBTを含むデイバーシテイ(英語的には「ダイバーシテイ」は間違いーそれ使うと海外では通用しない)そして誰もが取り残されず持続可能な環境に配慮したSDGs、さらにコロナのパンデミックはデジタル化、オンライン化が日常的になるにつれて、これらの変化も助長した。

Netflixをはじめとする映画映像のサブスクリプションサービス、ストリーミングが完全に定着し今やNetflix. Amazon Prime, Disney Plusが映画の三大サブスクリプションサービスとして定着し、その他のストリーミングサービスも生き残りをかけて頑張っており、かつてのレンタルビデオなど完全に消えた。映画でもオンラインのストリーミングが完全に定着したのである。

むろんコロナ以前と変わらないものもある。例えば

1) 音楽のライブ演奏、これはどんなにデジタル化しても変わらない。一方でオンラインでのライブ演奏配信(有料も含めて)も今後定着していくだろう。

2)映画の劇場公開ーこれもなくなることはない。映画は完全に劇場かストリーミングか、の2つのチャンネルに集約されるだろう。

これに加えて前述のNFTが加わる。その意味では可能性が寧ろ広がったといっていいだろう。

コロナの第六波はおそらく目前に迫っているだろうが、この悪夢のような2年間の後、ポストコロナ時代の音楽や映像の時代は逆に多くの可能性があると考えていい。それを踏まえつつ来年は業務の完全な正常化を目指したいものである。

 

 

 

12月 29, 2021 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2021年3月12日 (金)

東日本大震災10年

東日本大震災で10年

あの時の記憶は今でも昨日のように覚えている。ちょうどとある自宅の仕事場兼スタジオで映画劇伴の作業をしていた時にそれは起きた。

その時の模様を記録した記事がある。

私の2011年3.11の備忘録

https://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/20140312

あの日から7年目 忘れてはならない日と鎮魂の思い

https://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2018/03/11/114005

そして昨年の今頃から始まったコロナウイルス禍

いまだ復興が道半ばの中、経済の面でも文化の面でもかなりの打撃をうけることになった。

そして東日本大震災もコロナも共通することは 「当たり前のことができなくなったこと」

当たり前のことができることがどんなにありがたいことか。そのことに感謝しなくてはならないということ。

当たり前のことができなくなった時に初めて気づくのである。人間とは愚かな動物だ。

われわれ音楽家にとって当たり前の事、それはライブ演奏ー生演奏ができなくなったこと。

いまだ100人単位で新規感染者が続く東京、ワクチン接種も思うように運ばず日本国内も思ったように入ってこない。このままでは3月21日の解除もおぼつかない。生演奏が再開できるのはいつのことだろうか

これが私が最後に行ったライブ演奏である。

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正直ものすごくライブをやりたい。でもできない。本当に次できるのはいつだろう?

 

 

 

3月 12, 2021 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2021年1月10日 (日)

緊急事態宣言再発令でエンタテインメントも再度緊急事態へ!

既にご存じの通り1月8日にコロナの第三波による感染拡大で政府が重い腰をあげ緊急事態宣言を行った。昨年の4月に続き2度目の発令となる。

私見では今回の第三波がこれだけ拡大した原因は日本政府による人災によるところが大きいと考える。

 二度目の緊急事態宣言ーGoToを強行し自粛といいながら会食三昧した政府首脳による人災である。
https://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2021/01/09/000000

しかも現在の状況は明らかに4月の状況とは違う。陽性者数の累計は東京だけで73,450 人、入院患者3,119 人、重症者数129 人 1月7日に2447人を出してから本日まで3日連続2000人代
ここまで人数が拡大してしまったら収束するには相当時間がかかるだろう。緊急事態宣言は2月8日までとなっているが、その時期までに到底収まりそうにない

このような状況でまたライブハウス、ジャズクラブ等、ただでさえ打撃を受けている音楽インフラが今回の緊急事態宣言でどうなるか心配だ。これから無観客の配信ライブに関しても真面目に検討して音楽のインフラを温存できることも検討する必要がある。

尚、ライブハウスでの無観客配信ライブについて都が公式見解を出したのでここでシェアさせていただく

https://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.lg.jp/attention/2021/0107_14118.html

 食品衛生法に定める飲食店営業許可を受けたライブハウスを運営しています。営業時間短縮の要請に協力し20時で閉店した後、施設内で清掃や練習を行っても協力金の対象となりますか?

 従業員による施設の清掃や練習、オンライン配信のための撮影などで施設に立ち入っても、営業していることには該当しません。必要な要件を満たすことで、協力金の対象となります。ただし、閉店後の使用であっても同時に複数の演奏者等が集まることを避けるなど、感染拡大の防止を徹底していただくことが必要です。

取りあえず私自身が関わっている映像の撮影、ライブ演奏等に関してソーシャルデイスタンスに基づいた対策を始め、映像や音楽コンテンツ制作に対しての影響を最低限に行う努力と、音楽の配信ライブに関して計画をたてることを考えるべきと考える

尚、このブログでも何回か書いた「文化庁継続支援」の共同申請、いまだに採択されていないし、もしかしたらもう不採択なのかもしれない、とも思うが【不採択なら不採択と云ってほしいのだが) もう今から2月28日までに事業終了、はもう今日の段階では物理的に不可能になってきているので、正直もはやどうでもよくなりつつあるが、今回の緊急事態宣言の発令でさらに影響を受けるのは必至と考える。

いずれにせよ見通しは明るくないが、要は今の日本は他人があてにならないので自分で乗り切るためにありとあらゆるオプションを考えるしかない

 

 

 

1月 10, 2021 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2020年12月31日 (木)

エンタテインメント試練の2020年ーポストコロナの新時代に希望の光を

2020年があと僅かで終わる。

わざわざ言う必要もないがエンタテインメントに関わるあらゆるアーチスト、クリエイター、スタッフクルーにとって苦しい試練の一年であった。そして残念ながらこのままいけば2021年の少なくとも前半くらいまではその試練が終わりそうにない。

映画。映像は撮影がままならず、役者さんパフォーマーは感染のリスクに絶えずさいなまされている。

ミュージシャンはライブ、コンサートの機会を奪われ多くは仕事すらできないでいる。

特に音楽は時間と空間の芸術だけに生演奏ができない、というのは致命的である。

コロナウイルスの第三波の勢いは凄まじく、大みそかには東京は一日の感染者が1300人を超えた。それに対して政府も行政も無策であり、日本の政治家はトップが自粛をよびかける一方で、自分たちは大人数で会食する。その緊張感のなさが国民一般に広がり感染者数がどんどん増える結果になっている。この流れは当分収まりそうにない。

ワクチン普及も待たれるが、日本で接種が始まるのは早くて2月下旬、一般に普及するには早くて2021年の年末頃ともいわれる。また現在あるワクチンがどれだけの効果があるのか、実際普及してみないと現段階ではなんともいえない

しかしネガテイブさの中にも未来への希望を見出さなくてはならない。

100年前の20世紀初頭には「スペイン風邪」が今のコロナ同様にパンデミックを起こし、世界人口の27%が感染、死者は1億人を超したといわれる。今回のコロナウイルスーCovid19は今日現在、世界の感染者数8280万人 死亡者は181万人とスペイン風邪ほどではないが、しかし深刻な状況であることに変わりはない。

だが1つだけよかったと思われることがある。

それはコロナウイルスーCovid19のパンデミックはインターネットが普及した後に起きたということである。このことは大きい。もし今の状況を考えると、インターネットが普及していない状態でこのパンデミックが起きていたら間違いなく社会は崩壊していただろう。

そして我々エンタテインメントに関わる人間としてはそれを利用しなくてはならない。

勿論、音楽に関わる人間として「生演奏の機会」-これの復活を願ってやまないし、音楽のライブ、コンサートというものは決してなくならない。映画も同じで劇場で映画を上映する、という形式は決してなくならない。

だが私たちは既に1つのオプションを手にしている。

それは配信、-サブスクリプションによるストリーミングという方法論を既に手にしている

音楽ならSpotify, Apple Music, Amazon Music etc

映画ならNetflix, Amazon Prime, Disney Plus  といったサブスクリプションが既にインフラとして整備されている。

さらに個人の動画ならYoutube showroom TikTok を始め自分のライブ配信のメデイアも多数存在している。

さし当りそれらに活路を見出すしかないだろうと思う。少なくともこれからのアーチストはこれらのインフラをフルに利用して活路を見出すべきである。いつまでもCDを始めとする古いメデイアに固執すべき時代ではない。

映画の世界は比較的ストリーミング、配信へのトランジションが進みつつあるのを感じる。しかし日本の音楽界に関して言えばこの新しいパラダイムに進むためのトランジションがうまくいっているとはいえない。とりわけSpotify, Apple Music, Amazon Music etcの業界の主軸の変化は特に日本は極端なほど遅れている。

 もう1つ私が気になるのは、このストリーミング中心にパラダイムが移行する、ということは従来の音楽産業の構造がそれこそ根本から変わっていくということだ。そのことに気が付いている業界関係者は驚くほど少ない。

今の日本人は日本の外で起きている大きな変化。ドラステイックな変化に無関心な人が多く、日本人同士の仲間うちで話が通じれてばいいと考えている人が多すぎる。

そしてそのことが日本がこのパラダイムが変わった時代に世界で一番後れをとってしまっている国になってしまっているのだ。そのことに気が付いている日本人があまりにも少ない。

しかしこのコロナ災禍はいつ収まるのか見当もつかないが、仮に収まったところで「昔に完全に戻る」と期待しているとしたらそれは誤りである。例えばコロナが収まって「テレワーク」がなくなるか、といったらたぶん無くならない。なぜなら大半の仕事は自宅での「テレワーク」ででてきてしまうことがわかり、そのことによって時間、経費等が大幅に削減できることを今の企業は理解してしまったからである。最近の企業は効率を求めるため、「テレワーク」で大きな経費削減ができるとわかると家賃の高い地域で広いオフィスを持つ、ということが物凄い贅沢となる、という社会になるだろう。

多くの日本人は日本の外で起きているドラステイックな変化を知らない為、日本人同士しか話しないから「大きな変化なんて起きていない」と思っている人が多い。

だがそういう人はおそらく2021年になって世界的な変化の波が訪れると生き残っていけないのではないか、と思う。

私ははっきりいって生き残りたい。そして日本の外でどういう変化が起きているかというのはSNSやその他のWebの情報で知っている。

2020年に私が得るものがあったとしたら、そのことに気づくことができ、まだ十分ではないにせよそのために動き始めた、ということかもしれない。

ということで2021年の抱負は明らかだ。この新しいパラダイムの時代、配信やネット通信というオプションによってできた流れに対応して新しい事業のベースを作り、このコロナ災禍を何とか生き残ることである。

最近の日本人は「カタチ」とか「ルール」とかにこだわりすぎる。そんなものは単なる手段に過ぎないということにいい加減気づけよ、といいたい

私はこのコロナ災禍を生き残る、生き残って見せる

そしてエンタテインメントの世界に希望の光をともしたい

 

 

 

12月 31, 2020 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2020年4月26日 (日)

緊急事態宣言下?ステイホームしていますが全然暇していません。寧ろメチャクチャ忙しいです

4月7日から(厳密には4月8日の午前0時から)の緊急事態宣言、私も駅まで買い物や金融機関へのお出かけ等は少しありましたがだいたい家にいました。

今のミュージシャンはライブはできない、ということでFacebookやZoomを使ってライブ配信とかやっている人もいますが、私も先日Zoomによってサブスク関係のイベントはやっていますが、実はライブ配信もやろうとしています。

結論からいいまして今確かにでかけてはいませんが、メチャクチャ忙しいんです。

一つは非常にありがたいことに一件小さな仕事があります。今これも進行中です。今月中に納品しようと思ってましたが来月にずれこむでしょう。

しかしそれ以外にも実はやることが山積していて、とてもステイホーム期間中にのんびり本でも読んでいよう、なんて悠長なことを云っていられませんでした。

ちょっと見ただけで上記の小さな仕事以外に

・ライブ配信(今機器がテクニカルな問題を出して苦戦しています)ww

・ズームによる打ち合わせ、(今度ズームによるオンライン交流会もやる予定です)

・自宅でのライブ演奏を録画 ➡ これから編集もしてYou tubeにアップ予定

・サブスク再生回数強化 (Spotify, Apple Music, Amazon 他)

(関連の配信強化グループ「サブスクリプション演奏回数増加、プレイリスト登録互助会管理人をしている以上、また先日この件に関してのオンラインセミナーもやった以上、私自身が大きな成果を収めないと体裁があわない、という面もあります。その関係で現在大きなプレイリスト5つと自分が主催するプレイリスト、これを毎日1回ストリームしなければならず、これ自体がかなり大変な作業ですww)

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・サブスクでの新譜(既に制作済)のリリース準備

先日のオンラインセミナーでも云ったのですがこの長期の休業要請で殆どのCDショップは壊滅的な打撃を受けます。またアイドルの握手会を始めライブでのCD手売りも不可能なります。つまりCDも駄目、ライブも駄目、となると本当にこの配信→ストリーミングの強化しか音楽関係者がこの苦境を乗り切る方法はないというのは事実です。残念ながら.

ということで自らのライブの配信、(生ライブと編集映像)と自分の作品のサブスクのプロモーション、ならびにリリースの準備、それだけでかなりの時間を割かれることになります。

実はこれ以外にもこのコロナ危機を乗り切るためにやらなければならないことがあります。

特筆すべきは先日東京都がアーチストの支援策「アートにエールを!東京プロジェクト」があり申し込みは5月になりますがその準備をしたいと臣ます。

文化振興 「アートにエールを!東京プロジェクト」

https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/bunka/katsu_shien/0000001441.html

5~10分程度を目安とする動画作品(3分以上、30分以内とする。)

登録期間  令和2年5月15日(金)~同年5月31日(日)

これ以外に

10万円一律給付ー 5月からですが一人全員がもらえるものなのでもらっておきましょう 郵送か電子申請

・中小企業 持続他給付金 ーこれも5月でしょう

といってももう26日(!)5月なんてもうすぐそこです

この時期ゆっくり本や次回作について練ろうかと思いましたが、どうも5月の中ごろまでいろいろと忙殺されそうです。

もっとも今日は東京の新規感染者72人でしたが、それは週末でそもそも検査数が少ないからその数字になっているのであって5月6日予定通りに緊急事態宣言が解除される可能性は厳しいといわざるを得ません。

また解除したところですぐにまた危険な状態になる可能性ありますね。ワクチンか少なくとも病状の特効薬が早くできない限り今の状態が続くかもしれません。

いずれにせよこの時期、対面とかプライドとかいっている場合ではありません。この時期を乗り切る事、生き残ることにあらゆる手をつくすべきです。はっきりいえば「生き残った人間が一番かっこいい」のです。

そのために今、特に配信関係でできることをどんどんやらなければなりません。のんびり暇している状況ではないです。

 

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4月 26, 2020 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2020年1月29日 (水)

「メジャーでない」「ベンチャー」であることのいきざま

本日とあるベンチャー企業で打ち合わせを行った。

大昔会社員している時にシリコンバレーの黎明期でもあり今でいうITの時代の前に多くのベンチャー企業を訪問したことがある。なかには本当に「ガレージ同然」の会社も本当にあった。

日本の企業も当時の急激に活性化しつつあるシリコンバレーやアメリカのコンピューターメーカーに興味は持っていたが、ご存じのとおり結局日本がその新たな産業の流れに乗っかることはなかった。

今世界を支配するプラットホームの企業、Google, Amazon, Apple, Microsoft, Facebook といった巨人はその中から生まれていった。日本からはそれら巨人に対抗しうる会社は生まれなかった。ソフトバンクも楽天もこのプラットホームの会社からすればものの数ではない。

そこが今の日本の大きな問題だが、実際今日そのベンチャー企業の社長(日本に長く住んでいる中国人だが)と話をしていて「大企業が絶対やらない仕事をやって新分野開発をやり遂げる。」という当たり前のひとことを聞いてはっとした。

今の日本人のマインド、あまりにも大企業とか音楽や映画ならメジャーな制作会社とか、そんなところしかみていないのではないか?

だが今の日本の大企業を見るがいい。まるでお役所のように「前例」という奴にこだわり新しいことをやりたがらない。「やらない」ことを正当化しようとするし、何をやるにも手続きだ、書類だ、などと面倒くさいことばかりである。

そして大多数の日本人はそれに疑問に思わず「そういうものだ」と思っている。

そして何よりも「長いものに巻かれよう」という体質が強いためか、「大企業でない」あるいはコンテンツなら「メジャーでない」人達を蔑む風土すらある。インデペンデントというだけで「シロウト同然」「ものの数ではない連中」と決めつけ目下のようにみる。

私は日本人のそういう体質がGoogle, Amazon, Apple, Microsoft, Facebook といった世界を支配するプラットホーム会社が生まれない状況を作ったのではないかと考える。

ベンチャー企業の社長をみると本当に毎日いろんなことを考えている。それに引き換え大多数の日本人は周囲と同調し、目立たずただただ周囲に流されて思考停止になる。今の日本人をみるとそんな人間ばかりである。

これじゃ国際競争力などとてもじゃないがつくものではない。

そのためにはベンチャーもそうだし、インデペンデントのコンテンツメーカーが大企業、メジャー会社とは違うものを生み出していく努力をしていかないといけない。私のようなコンテンツ屋はメジャーがやらない分野を大きくするためにあれこれ考え、全世界に通用する作品を作り上げる。

きちんと考えた奴が最後には勝つ。今日のベンチャー企業との話でいろいろと得られたものがあった。自分とは違う分野の人達との交流も大事である、と思った次第

繰り返す日本人の今の「思考停止」の状況、このままではどんどんこの国が没落するばかりである。

 

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1月 29, 2020 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2019年9月28日 (土)

制作屋一筋 〇〇年??(笑) マネージメントと制作屋の違い

何となく雰囲気で私に何人かのタレントやアーチストをまかせよう、みたいな雰囲気を感じるので今ここではっきり申し上げておきます。

私は芸能事務所ではありません。また芸能事務所やマネージャーにー少なくとも今さらーなろうとも思っていません。Facebookでキャステイング情報を掲載するグループの管理人をしておりますがキャステイング事務所をやるつもりなどありません。ただ現在3600人もエンタテインメントのプロフェッショナルが集まっているので、そこで何か制作案件を実現できれば、とは思っていますが.. 

私は昔から制作屋なのです。ぺーぺーのころから制作現場に立ちさまざまなことを経験させてもらいました。だから制作現場は映画でも音楽でもそこにいると精神的に落ち着きます。骨の髄まで制作屋で制作現場は私の家と同じです。

すでにだいぶ前の話ですが、確かにマネージャーのまねごとみたいなことをしていた時代は確かにありました。しかし自分には到底手におえない仕事だと感じました。そのおかげでマネージャー辞めた時に体調を崩しました。後にも先にも複数回入院したのはその年だけです。次そういうことが起きる時は死ぬときでしょう。まあまだ当分先だとは思いますが..

元々制作とマネージメントは全く違う仕事なのです。自分でやってみてわかったのは制作屋は基本マネージメントをやってはいけない、ということです。やっても決していい結果にはなりません。なぜなら制作とマネージメントは時々利害が反するケースもありますし、映像や音楽の良質なコンテンツを作るということと、アーチストそのものをサポートする、というのは経験上両立は極めて困難だと感じているからです。

だから仮に事務所を探しているアーチスト、役者さんいても私は芸能事務所ではなくエージェントを推奨します。芸能事務所とエージェントは全く違います。これから制作のグローバル化がどんどん進んでいく現代では古い芸能事務所の体制はもはや日本のエンタテインメントにとっては障害にしかならない、というのが私の持論です。なぜなら日本以外、ほぼ全ての国はエージェント制を取っています。芸能事務所と違いエージェントはアーチストと同等の立場なのでアーチストも自立した意識が求められます。会社の社員のような感覚は捨てないといけないのです。

このように私は芸能事務所をやるつもりなど、ハナからないといいましたが、但しそのアーチストさん、役者さんその他が絡んでいる制作ー音楽でも映画でもーに関しては私はオープンです。新規の制作案件はいつでも歓迎しますしご相談には乗ります。

私は死ぬまで制作現場にいるつもりですから

 

 

9月 28, 2019 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2019年6月29日 (土)

大多数の日本人はいまだ気が付いていないが時代の一大変革期に差し掛かっていることに触れー特にコンテンツ制作の分野

最近の日本人は「安定第一」-変化というものを忌み嫌う傾向が強い。驚くべきことは若い世代、10-20代ほどこの傾向が強い。そのため安倍政権がどんなメチャクチャなことをしても支持しているし、政府や社会の作った「ルール」を絶対視することによって「思考停止」や「無関心」の風潮の根強く日本社会に定着してさせた。文部省と自民党が長い時間かけてようやく日本国民の完全な洗脳計画が成功したのだ。実に見事なものだ。

かくして殆どの日本人は気が付いていないが日本という国は先進国から完全に後進国に転落してしまった。また先進国に戻るためにはどこから手を付けていいのかわからないほど多分野での改革が必要である。しかし変化を忌み嫌う最近の日本人には難しいかもしれない

どうしてこうなってしまったのかについては以下の記事をご覧いただくとしてここでは触れない

■「ルールが絶対」という「正義の暴走」-日本のあらゆる病巣、諸悪の根源がここに凝縮
http://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2019/06/16/143250

■日本という国があらゆる観点からみて著しく劣化したことを実感する今日この頃
http://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2019/06/08/152903

■安倍政権の支持率がなぜ下がらないのか?の分析を読んで「不都合な真実に目を背け偽りの夢を見続け破滅」に向かっている日本人の姿を見た
http://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2019/06/03/214958

なぜこの話を持ち出したかというといわゆる「メジャー」の音楽業界も映画業界も昨今の日本の風潮をもっとも強く反映しているために停滞しているからである。メジャー会社のデイレクターといっても実質的には単なる「サラリーマン」である。本来はサラリーマンであっても仕事の意識の上でサラリーマンであってはならない分野の人間まで身も心も「普通のサラリーマン」になってしまった。これではその辺の商社マンとたいして変わらない。これはレコード会社や映画会社だけでなくマスコミ報道各社、テレビ局、全てそうである。(特にレコード会社の実態は酷いものである)

日本はもはや一億総思考停止の国になってしまった。

 海外に長く住んでいる知人と話していて出てきたのは日本人に啓蒙活動をしても無駄だという話になった。

理由は大半の人が思考を停止しているからだ。残念ながらそれは事実といわざるを得ない

日本人が変わることができるとすれば、誰がみても「凄い」という結果を出すしかない という。そこで私も今の業界がどうこう、というより具体的な形で実行に移そうと思う。

詳細はここではいえないが、今海外がらみの案件を2つ抱えている。ダマー映画祭のおかげなのだが、いずれのプロジェクトもビジネス的に「グローバルスタンダート」のスタイルを貫こうと思う。つまり「日本の業界スタイル」で制作を進行させない。(勿論日本のミュージシャンやアーチストを参加させない、という意味ではない)もっとはっきりいうと「日本人のために作らない」「日本の市場のために作らない」ということである。それをやったらどうなるか。理屈でどうこういうより具体的な実績例を作るしかないと考える。

それをここ1-2年以内に何らかの形で実現しようと思う。今はそれ以上はいえない

 

 

6月 29, 2019 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2019年5月 5日 (日)

平成から令和とかは関係ありません。これから原則西暦でいき、グローバルの制作体制構築にまい進します。

先月の4月1日に平成のあとの新元号が発表されて以来、別にそれで日本社会の何かが変わるわけではないのにまるでお祭り騒ぎではしゃぐ日本の姿を見て正直嫌な印象を持った。そして前天皇が退位する日と新天皇が即位する日はあまり日本にいたくない、という気持ちが出てきた。

そんなこともありGWの10連休を前に私が少年時代を過ごしたNew Yorkに行った。いわゆる「帰国子女(年齢的には帰国ジジイだが...)」であり社会人になっても1年以上住んでいたこともあり、私にとってはNewYorkは第二の故郷といっていい

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個人的な事情だが、前回この街を去る時に「次回は音楽の仕事でこの街に来る」と誓っていた。今回はその関係で久しぶりに来た、といいたいところだが、完全なプライベートな旅行だ。勿論仕事ではないので昨年の11月のポルトガル→スペインの出張旅行と比べれば気楽ではあるんだが.. しかし誓いはまだ果たされていない。

日本という国ではこんなことをいうと笑われるか、「夢想家」というレッテルを貼られてしまう。日本という国はいつしか夢を語ることを「大人げない人間」とか下手すりゃ「バカ」といわれる。夢を語ることは現実を見ないアホというイメージがすっかり定着してしまった。

私はそういう風潮が今の日本を閉塞状況、停滞状況に追い込んでいる。だからこそ私はそういう風潮を打破してやろうと考えている

それに以前と違い日本にいながら外国と仕事を取ることは決して非現実的なことではない。実際私はいくつかそれを実現している。Facebookを始めとするソーシャルネットが以前だったら不可能だったことを可能にしている。Facebookやったことない人に理解しろといっても難しいだろうが、何度もこのブログで書いているように今映像制作現場では「革命」といっていいことが水面下で起きているのだ。映像、音楽の「グローバル化」「ボーダーレス化」は想像以上に進んでいるといっていい

まあここでそういうことをいっても理解されないだろうから、私はそれを実践しようと考えている。今年は特にその活動に力を入れる所存だ、

ちなみに「グローバル化」ではないけれど本職の映画音楽制作で1つ作品が完成した。これから映画祭等に提出したりする予定だが、年内に一回だけ5月22日に渋谷La mamaにてイベント上映する。ご興味ある方は是非

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正式な公開(劇場公開)は来年の予定

 

5月 5, 2019 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2019年3月29日 (金)

2018年平成最後の年度末

一応本日をもって2018年度が実質的に終わったんだけど冷静に今年度の内容をもう一度みるとやはり今また転機にさしかかっているのかな、という気がした。個人的には仕事の上で今から7年くらい前に1つの転機があってそれが現在につながる仕事の流れが出て来たんだけど、それがある意味終わり次の新たな動きの方にさしかかっているように感じている。
まあうまくいえないけれど1つの仕事の流れが永久に続く、ということはなくてある時点でその流れが終わる、ということは残念だけど避けられない。
ただプラスに考えるとある意味、以前の仕事の「卒業」の段階に来ているというような気がする

とはいえ基本的な仕事の内容が今すぐ大きく変わるわけではないけど、いつまでも同じレベルの仕事をしていたら何の進歩もないので、これから次のレベルの仕事に本格的に動こうと思う。つまり仕事のレベルを上げていくー例えば打ち込み系をもうやらないわけではないけれど、基本生音の録音案件を中心にこれから増やしていきたいし、規模も大きくしていきたい。
昨年に生音のレコーデイングでCMをやったけれどやはり打ち込みだけで仕事をしていると、いろんな意味で音の感じ方が鈍くなることを昨年実感したためだ。だから打ち込みの作業はツールとしては必要だけど、やはり本番はなるべく生音で録るように今後はもっていきたいと思っている

そして勿論映像音楽の仕事をしている、ということもあって映像コンテンツのグローバル化をにらみこれから全世界向けにいろいろと手を打っていこうと思う。今はそれがネットやSNS経由でそれができる時代だからね

それから作家としてただ「仕事」として自分の作品の制作を「消費」していくのではなく、そろそろ「自分の代表作」といえるレベルの仕事をしないと、と思っている。今まで仕事の量や種類はたくさんこなしてきたけれど、「代表作」といっていいレベルの仕事はしていない。どの作品もまだとても人に「代表作」といえるものではとてもない。
だからそろそろそういう仕事をしていかないと、冗談抜きにこれから第一線で、今の状況であと何年仕事できるだろう、などとそろそろマジにそういうことを考えなきゃいかん年齢になっているので..

まあそんなわけで幸か不幸か今転機に差し掛かっているので、それも考えてこれから自分の代表作を作るために死にもの狂いでやっていこうか。歴史に残る作曲家も代表作はある一時期に集中してできていることが多いので、私もそれを念頭にこれから勝負に出ます。

まずは これから5年くらいをめどに考えます。

 

 

 

3月 29, 2019 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2019年2月28日 (木)

今年はグローバルな人脈拡大を主目的にしようと思うー国内外で活躍する映像クリエイターの作品を見て

昨日ある方のお誘いでNIONという映像グループのトークショー兼短編上映会があるとのことで渋谷のユーロライブに行った。

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早めに来たので観客がそんなにいない印象を持ったかもしれないが会場はほぼ満席で途中休憩がはいったが人は大勢いた。

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NIONはハイクオリティーな映像作品を世に送り出す新鋭のクリエイティブ集団で世界で活躍する外国人ディレクターそして海外で活躍する日本人デイレクターを始め優秀な人材が集結した集団だ。主に国内外でコマーシャル、広告映像の制作に従事した人が多く、その関係で上映されたのはそのCM映像と自主制作した短編だった。昨日はMackenzie Sheppardと関根光才氏の作品とトークショーが行われた。

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まあ映像はCMも広告映像とはいえ、アート性が高く今日常で頻繁にインデペンデントの映像を見ている私がみても桁違いにクォリティが高い。(広告の関係でバジェットがあるものもあるけど)
何がすごいってったけど、桁違いにクォリティが高い。(バジェットがあるものもあるけど) 特にイマジネーションが凄い。今の日本人にあれだけ想像力があるかな?と思った

例えば日本からカンヌやベネチアに提出されているものは殆どただ同然の予算で作られ、ポスプロもいい加減なレベルで制作されていることが多いのだが、NIONのクリエイターからすればこのクオリティが彼らのスタンダードらしい。はっきりいって日本在住のクリエイターはもっと凄まじいイマジネーションを育てて作品を作らないと到底太刀打ちできないと感じた。
但し彼らの大半が広告畑ということもあるのだろうが、なぜかあれだけクオリティの高い短編を作ってもあまり映画祭に積極的に出そうという姿勢がないようだ。どうも広告、CM畑で長い間仕事をしていると短編映画祭は彼らの目には「マイナー」にみえるらしい。だがカンヌやベネチア等の世界三大映画祭に入選しただけでかなり映画界では注目されるんだけどね、その辺りが映画畑と違いずーっと広告畑で仕事していた人たちの感覚なのかもしれない。

とはいえ、NIONは制作受注を主とする仕事だけの毎日に疑問をもち最終的にはFeature Film(長編劇場公開映画)を撮りたいという気持ちはあるんだろうと思う

彼らNIONについての記事があるにでこちらを参照されたい

■全員に好かれなくていい。誰かの人生を変える映像制作に挑むNIONの姿勢
https://job.cinra.net/special/nion/

この記事を読んでも非常に共感できる。

今の日本人は「みんなから好かれよう」として逆に世界から相手にされてない作品ばかり作っているように思う

「みんなから好かれよう」と思うとみんなから好かれなくなる。全員に好かれなくていい、と思うと大勢の人に支持される
そんなもんじゃないだろうか?

そして世界レベルで仕事をしている日本人と海外のクリエイターが当たり前のようにコラボし、当たり前のように作品の意見交換をする。まさしく映像制作のグローバル化、ボーダーレス化の傾向がこういうところにも見ることができる。

今週初めのオスカーにもメキシコ人監督の"Roma"が外国語映画賞、だけでなく監督賞、撮影賞も受賞したが、アルフォンソキュアロン監督もいっていたようにそのうち「外国語映画賞」というものが意味をなさなくなっているのではないか、という発言まで飛び出した。

上記の文章にも書いてあるように映像業界は変換期に入っているといえる。さまざまな面で

特に面白いと思ったのはインターネットやSNSのおかげで、小さな看板でも実力さえあれば勝負できる時代になっている、という点。これは私自身も感じていることでクリエイターのスキルを磨き、SNSというツールで人脈を広げ実力をつけていくことで、フリーランスでも以前では考えられないほどの大きな仕事を取ることができる時代になっているということ。(私見ではドラッカー氏のいう産業革命の鉄道に匹敵するのはEコマースよりも私はSNSではないかと考えている) それゆえ、私は映像の中の「映像音楽」の分野の人間だが、そのスキルと実力をどんどんつけていこうと考えている

トークショーの後はユーロライブの近くのクラブエイジアでアフターパーティー

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すごい人

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映像、映画関係のイベントはどこも活気がありますね。それに引き換え音楽イベントは最低の動員数すら確保もままならない状態、あまりの違いに愕然とする
先日のオスカーではないが映像制作のグローバル化が活性化の要因になっているのは間違いない。

そんなことで私はSNS経由の交流会によく参加してきたが、今年はグローバルな人脈拡大を主眼に置こうと思っている。自分が主催者になっているのを除き国内向けの交流会はあまり出席しないと思う。グローバル、ボーダーレスの時代に適応すべくそちらの方面を徹底的に強化する。

それが自分の実力をつけるために重要だと考えるからである。

 

 

 

2月 28, 2019 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2019年2月22日 (金)

交流会、SNSその他もろもろのひとりごと

SNS(いうまでもなく「ソーシャルネットワークサイト」のこと)を始めたのは2005年の初め、当時は今は亡きmixi (一応まだサイト自体は存在しているけど)だった。

程なく気が付いたのはSNSというネットのツールでありながら、実際にはリアルに人に会う機会が増えたことである。

その結果交換する名刺の数が2005年を境に激増したことだ。要するにオフ会、そして「交流会」なるものが増えたからだ。SNSはイベントで人を集客するには非常に便利なツールだった。

その関係で当時のmixiのコミュニテイー、Facebookの現在の「グループ」にあたるー経由でずいぶん多くの交流会に参加した、グループ交流会、異業種交流会 etc etc いくつ参加したか覚えてないくらいだ。

だが言うまでもないことだが全ての交流会が有益有効だったわけではない。特に異業種交流会などは我々エンタテインメント産業に関わる人間と他業種ではあまりにも接点が少ないため殆ど具体的な案件に結び付くことはなかった。そして酷いものになると先物業者、MLM関係者等、名刺交換などしたくもない連中がいた最悪の交流会もあった。いうまでもないがそんな人間がいた交流会には二度と参加していない。

その中で自分にとって有効な交流会もあったが、結局エンタテインメントーとりわけ音楽や映像関係の交流会といった分野に限定していった。ついでにいうと音楽関係者は今でもそうだが決して交流会というものに積極的な方ではなく、例えば映画関係と比べると遙かに開催される回数も少なく、出席する人間も一部をのぞいて少な目であることが多い

そうして数多くの交流会、オフ会に出席した私だがそうしているうちにまさか私が主催する立場になるとは思ってもいなかった。

ターニングポイントは私がFacebookグループの管理人を始めたころである。その中でグループのオフ会、交流会というものを時々開催するようになった。またそうしているうちに「映画人交流会」の幹事ということにもなってきた。

「映画人交流会」は私にとって非常に有益だった交流会で私が今映画音楽関係の多くの仕事につくことができたのもこの交流会がきっかけである。そのため恩返しの気持ちもあって「映画人交流会」の手伝いもしている。決して頻繁に開催しているわけではないが最も多くの動員を誇る交流会となっている。

交流会は一見ただの飲み会のようにも見える。

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そして結構楽しい(^o^)

 

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だが我々のようなフリーランスにとっては交流会は格好の「営業」の機会である。どうどうと自分の資料をキーパーソンとなる人間に渡すことによって新たな仕事に結び付くことができる。14年間それを続けてきたおかげで一定の成果をおさめることができた。これに関しては感謝している

 

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だがここからは私の個人的な状況に基づく見解になるのだが、長くこの業界で交流会に参加していて、14年前のスタンスと今のスタンスは大きく変えて行かざるを得ない、という事情がある。

例えば営業用の資料(プロフィールと音源)は昔ならできるだけ多くの人に渡そうと考え、映画関係の交流会では自分にそれを課してきた。

だが今は違う。大変申し訳ないのだが渡す人を選ばせていただいている。もはや映画関係者なら誰でもいい、というわけではなくなったのだ。

具体的にいうと自分の現在のランクより上のステップに結び付きそうな方、に限定させていただいている。例えば商業映画、海外の映画製作に関わりそうな方、etc etc 映画音楽作家として本格的に活動し始めて9年目、そろそろ「自主映画レベル」は卒業したいと思っている。

と同時に先日の記事のように日本の映画制作現場のブラック化を何とか止めたい、という気持ちも強くなり、以前のような「安請け合い」をすることをやめようと考えるようになったためである。(ちなみに今まででも私自身は「自主映画」でもギャラなしの仕事は1つもやっていない。)

関連記事

■低予算で作るなんてまったく自慢にならないーそろそろコンテンツ制作現場の「ブラック化」をやめるべき
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2019/01/post-6259.html

こうしているうちに14年前の2005年を境に名刺交換数は激増していた。以前ならせいぜい100枚未満だったが今では多い年には500枚近い年もあった。

だが当然ながら実際仕事その他で長いお付き合いができるようになるのはその中のほんのごく一部である。残念ながら

そういうこともあって自分にとって今後必要な交流会か、そうでないかそろそろ絞り込ませていただくし、人脈も今後あまり具体的な案件に結び付く可能性が低い方との距離もとることになるだろう。経験上仕事しようといろいろと努力している取引先はどんなにがんばっても仕事に結び付かないことが多い。逆に仕事になるところはあっさりなるものである。

無論私はドアを完全には締めない人間であり、状況その他が変われば対応も変化する。フリーランスは臨機応変でなければならないのである。

 

 

2月 22, 2019 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2018年9月30日 (日)

メーカー系のスタジオに久々に踏み入れて思う事

今日はまた台風が来ますね。今年は地震や台風と災害の多い年ですが被害が最小限になることを祈ります

さてもう一昨日の話しになりますがキングレコードの関口台スタジオにてレコーデイングではなく撮影があり、その関係でミュージシャンを何人か呼んでのセッションになりました。

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日中台の合作映画でテレサテンの生涯を描いた映画だそうです。コンフィデンシャルな現場という認識でしたが、もう既に記事として情報が出ていました。

■女優ミシェル・チェンが「アジアの歌姫」テレサ・テン役、注目の伝記ドラマが3月クランクイン―台湾
https://www.recordchina.co.jp/b563159-s0-c70-d0044.html

時代設定は1974年ですが、このコンソール。観る人がみればわかっちゃいますね(笑)
さすがにpro toolsとかマック関係は片づけたようですが

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主演女優のミシェルチェンさんを撮りたかったんですけどやはりいろんな意味で差し障りあるんで断念しました。
でも台湾のトップ女優だけにさすがに綺麗でしたね。意外に小柄でしたけど

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撮影自体は順調すぎるくらいに順調でした。夕方までかかることを覚悟していましたが、午前中ちょっと過ぎるくらい終わり昼食をとって解散という感じです

何度もいいますように映画、映像制作はグローバル化しており、海外のスタッフと日本のスタッフが共同で作業する、ということがもはや当たり前になりつつあります。そしてグローバル化こそが映画にしても音楽にしても業界を活性化するほぼ唯一の手段ということができます、

そんなことで関口台スタジオの撮影は終わりましたが、1974-75年という設定なのでさすがにpro tools や最近あまり使われなくなった3348とかはマシンルーム行きでした。本来ならアナログマルチの24チャンネルはあってもいいと思うんですが、関口台にはありませんでした、その替わりにアナログ2チャンのStuderがありましたが..

私自身はメジャーレコードとのおつきあいは結構あったんですが、キングさんだけはなぜか機会がありませんでした。関口台スタジオも私は初めて来ました。

普段は殆どの作業を自宅スタジオにて作業をしているんですが、7月にもメイカー系のスタジオでのレコーデイングがありました、かつて私が根城にしていたビクタースタジオでの作業で

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弦のレコーデイングでした。

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いつも、ですがスタジオ入るとテンション上がります

当たり前の話しですが、どんなにソフトシンセが進化してもどんなに巧みに打ちこみでごまかしても本物の楽器の音には勝てないという当たり前のことを実感。エレクトロニカか打ち込みに徹した曲を作るのでない限り打ち込みソフトシンセは単なるツールに過ぎません

今考えているのはこういう生音のレコーデイングの機会を今後なんとか増やしていきたいと考える次第です。
上記でも書きましたようにソフトシンセがどんなに進化してもそれは「フェイク」の域を出ないからです。まあバジェットがどうにもない時は仕方がないですが、

来月からまた長編の映画音楽をやることになりそうです。その時は相当のバジェットがあると期待します。映画はグローバル化が進んでいます。そして音楽も映画もグローバルなコンテンツを作っていくことしか生き残る道はありません。その関係で世界どこに出しても恥ずかしくないものを作る必要があります。

とはいってもこれからの作業の大半がこちらになるでしょうが.

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9月 30, 2018 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2018年9月 1日 (土)

ピアノの低音弦 二本目が切れました

4年前にグランドピアノの最低音の弦が切れたことを当ブログの記事に書きましたが、先々週の金曜日にまた低音の弦が切れました。一度経験しているので音ですぐにわかりました。

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前回は連休中だったために時間がかかりましたが、今回は平日、とはいえ金曜日のしかも夕方(!) すぐさま担当の調律師に連絡して手配しましたが、週末をどうしてもはさむためやはりなんだかんだいって一週間近くかかりました。弦は工場から取り寄せなければならず、在庫がすぐあればいいのですが、必ずしもそうとは限らないからです。

前回は再低音のCでしたが今回はG音ー一番低いGとはいえ、ここは結構使う音なのでかなり練習に支障をきたします。

そして弦が到着、修復作業が始まりました。

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調律師といろいろ話をしまして、グランドピアノの低音の弦はかなり太いので丈夫そうにみえますが、意外に振動に弱いということがわかりました。低音の一本弦は強い張力が働いているので大きな振動(例えば和太鼓、大太鼓の振動等)が外部から来ても切れることがあるらしいです。私も低音弦を多用するので気をつけようと思います。特にダンパーペダルを使いながら低音を強打する時は気を付けた方がいいという話でした。

グランドピアノは最低音と最高音の弦が切れやすいそうです。

修理が完了して、鍵盤楽器の鍵盤から全て音が出るっていいですね。 当たり前か..(笑)

 

 

 

 

9月 1, 2018 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2018年7月21日 (土)

「音楽世界最後進国」の国から世界に追い付くための対策を始めます

先日の記事でアメリカ最大のCDショップであるBest BuyがCD販売をとりやめ、かつては欧米の音楽産業を支えたHMVやTower も今はなくCDーCompact discという商品が世界から消え失せるのは決定的となったことを伝えた。

このこと自体は以前から可能性が指摘されてきたし、小さいフラッシュメモリーですら5Gの時代に750MBしかない大きな媒体の存在自体がもはや時代遅れだ。だからそのこと自体は驚くことではない。しかしこのニュースを聞いて「いよいよ来たか」というのが専らの感想

先日私が管理するFacebookのコミュニテイでもこのことを伝えたが、グループメンバーの中にはパニックに陥っている人間も少なくなかった。実際日本の音楽産業はいまだにCDの販売を中心としたビジネスモデルにこだわっており、Apple MusicSpotifyを始めとするストリーミングサービスも正直まだ「嫌々ながらやっている」というのが実情だ。だが欧米ではこのストリーミングサービスによって音楽産業がV字回復しており、音楽不況は既に過去のものになっている。そして日本のレコード会社、音楽業界関係者はこれに対して信じられない 嘘だ  ありえないという反応しか返ってこない

もう何回も示しているが欧米のストリーミング状況と売上の推移だ

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残念ながら日本はもはや音楽に関しては完全な後進国となりはてている、音楽のクオリティの面でもインフラの面でも.. これは残念ながらもはや否定しようもない事実だ

音楽業界の状況についてはだいぶ前から私は述べてきたが、業界では誰一人聞く耳をもたなかった。だから今さらこのことについて業界関係に何かを云おうなどとは思わない。過去のビジネスモデルにあくまでこだわりたい奴は勝手にこだわっていればいい。私はそれに従う義務などない

というわけで音楽後進国となりはてた国から世界に追い付くために私自身はどうすべきかについて考える。

まずは私の事務所のウエブサイト
http://www.hybridmusic.jp/

それと私の公式サイトの新時代に向けた更新作業は必須だ

http://www.kyojiohno.com/

製作会社のウエブページの更新、改革

とりわけ私の事務所のウエブサイトは音楽制作会社のウエブページだが事業の大幅な見直しを余儀なくされる。とりわけパッケージ製作事業だ。

実は20年近く前から私の事務所もCD製作事業を行ってきたが、実際ここ一年マスタリング関係を除けば殆どCD製作関連の作業をしていない。マスタリングはストリーミングや配信の時代でも必要だからだ。だがCD製作ページとかはもはや不要になるだろう

勿論先程の記事に書かれているように、全てのパッケージ製作がなくなるわけではない。現在考えるべきはアナログレコードの製作体制の構築を急ぐべきだろう。勿論今アナログレコードの生産力には限りがある。特にカッテイング技術は職人的な能力が要求されCDのカッテイングとは雲泥の差である。この技術は経験がものをいうからで、そう簡単にカッテイング技術者が育つわけではない。実際今日本でもカッテイング技術者が不足している。東洋化成とか生産体制を拡充しようとしているが膨れ上がる需要に全く追いついていない。今全世界に対して生産体制の拡充が行われているようだが、いずれにせよ弊社もこれに対応できる体制は作っておかないといけない

あとあまりこういうケースはないと思われるが、以前プレスしたCDの再版、あるいは新規CDプレスについては少なくとも当面は対応できる体制にはしておく。問題はその体制がいつまで維持できるか、だ。なぜならそもそもCDプレス工場自体が今なくなっているためである

いずれにせよ

1.パッケージ事業関係のウエブページを大幅削除、もしくは縮小

2.コンテンツ、ストリーミング関係のページを拡充、コンテンツ制作の体制はなくならないのでこちらを拡充していく

コンテンツ、とりわけストリーミングしているコンテンツのプロモーション体制の拡充

実はサイドバーにみることができるだろうが、私にはmetanatureというアンビエントのアルバムがある。今から16年前に作ったアルバムで、インターネット時代、e-commerceその他を睨み、実験用の音素材として制作されたものだ。そしてCDBaby 通じてSpotify でだいぶ前に曲を出していた。しかし認識不足もあり、かなり長い間ほったらかしにしておいた。セルフプロモーションは殆どしていないに等しい

 

Metanature

Kyoji metanature (TREE-3000)

 

http://hybridmusic.my-store.jp/shopdetail/000000000002/

そしてこれを機会にmetanatureを新時代に適応するための実験素材として再度活用しようと思う.。具体的にはストリーミングの再生回数を増やすための方策である

ストリーミングの一回の再生回数に対するロイヤルテイは一回0.5円に過ぎない。それが日本の音楽産業関係者の殆どがストリーミングに対して否定的な理由である。しかしそれでも再生回数が億単位となれば話は別である。昨年は「デスパシート feat. ジャスティン・ビーバー」の13億回再生がトップだったが、勿論日本国内だけでそれだけの再生回数を得るのは不可能に近い。

つまり新しい時代の音楽ストリーミングは最初からワールドワイドに全世界でストリーミングできる体制を作らなければならない。それを行うためのノウハウ蓄積を遅まきながら始めている。欧米のアーチストにとってはもはや当たり前のことですが、たぶん日本人の大半は知らないだろう。それだけ日本は遅れているのだ

metanatureはアンビエントのインストのアルバムだからジャステイン・ビーバーやエドシーランのような億単位の再生回数は望めそうにないが、ソーシャルネットその他ウエブサイト経由でそれをどれだけ伸ばすことができるか、いろいろと試行錯誤をしてみる価値はありそうだ。

ご参考までにSpotifyでのストリーミングです。よろしければお聴きください

ストリーミングの再生回数を増やすためにSpotify Apple MusicそしてAmazonの3つは抑える必要があります。
これからの作曲家もアーチストもSpotify,Apple music あるいはAmazon等のツールを使っていかに世界中の多くの人に自分の音楽を聴いてもらうかを第一に考える。そのためにソーシャルネットやウエブ等をフルに利用して再生回数を増やすことに全力を揚げる。プロモーションしてお金をもらうと考えればいい。というわけでまだこの面ではシロウトに近いですが、いろいろとやってみようと思います。

 

 

 

 

 

7月 21, 2018 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2018年4月22日 (日)

革命前夜ー音楽、映像制作現場のグローバル化は日本の幕末と同じ

気が付けば4月もあと一週間、23日からの週はGW前夜ということもあり、あまり動かないだろうと思われる。向こう2週間は仕事にならんな、

というのが今までドメステイック中心のマーケットで仕事をした場合のこと

今月は中国のネットドラマの仕事をしたこともあり、先日の海外のストリーミングの情報を含め、もはやコンテンツ制作をグローバルに推し進めないと音楽も映像も復活はない、という結論に達したと書いた。そのため必ずしも日本の暦に合わせて動く必要もなくなってきた。

Facebookグル―プの管理人をしていて募集投稿を当グループに投稿していてわかるのは、単に参加者に有益な募集投稿やオーデイション情報を提供するだけでなく、何よりも音楽や映像の業界の流れ、動きを読み取ることができるようになったことだ。それによって今日本の音楽や映像の業界にとんでもないことが起きつつあることがわかったためである。

例えて言えば、音楽業界、映画界、芸能界の今はまさに幕末の状況と同じといっていいと思う。日本社会全体が従来の価値観をドラステイックに変えないといけないのだが、とりわけ今の音楽業界にはそのような発想の転換を要求するのはほぼ不可能に近い。そのためグローバルな発想を理解できる人間でグローバル路線を突き進むしかないだろう。くどいようだが音楽も映画も産業として復活するにはドメステイック中心の発想を捨て、グローバル路線に転換するしか生き残る道はない。このことは私の中でほぼ確信に変わっている。

こうした流れをこころよく思わない勢力は音楽界にも芸能界にも存在する。この勢力はそれぞれの業界では多数派といっていい。しかしその彼らをもってしてもこの流れはもはや誰にも止めることができない。そのくらい世の中の動きは早いし、従来のガラパゴス路線に固執する勢力は多かれ少なかれ滅亡の道しかない。なぜなら今から20-30年後には確実に今の日本の人口は現在の3分の2近くまで減る。国内マーケットはこれからどんどん減少していき、少なくなっているパイを取り合い、最後にはそのパイではお腹を満たせなくなる時代はすぐそこまで来ているのだ。どう考えても全世界に発信するという前提で作品を作らないとやっていけなくなるのは火を見るより明らかだろう

そのため私は映画音楽作家として完全にこれからグローバルにシフトしていく所存、今の日本での最大の啓蒙はこのグローバル路線で業績が大きく伸びたとことを知らしめることだと思う。どこの音楽事務所も規模がどんどん小さくなっている現状の中で一人勝ち組ができればみんなそれを注目するだろう。言葉でいくら今のやりかたじゃダメだと思っても誰も聞く耳を持たないが他と比べて群を抜く業務実績を持てば変わっていくだろう。その時に日本の業界的な圧力をかけても無駄だ。なぜなら日本の業界を相手にしているのではなく海外を相手にしているから

でも冷静に考えると実に面白い時代に今生きている、ともいえる。音楽、映像ともに日本の幕末のような大きな変革期がやってきた、と考えるとワクワクする。その変革期に薩摩長州のように世の中を変える側に立ちたいものである

 

 

 

 

4月 22, 2018 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2017年12月29日 (金)

2017年も終わりに当たり音楽産業の今後に少し変化を感じた今日この頃

今年もあと数日で終わり今朝ほどいろいろと残務の処理も終わり2017年の業務も事実上終了いたしました。

今年も多くの仕事をさせていただきました。とりわけ映画関係とオペレッタを丸々編曲する等いつになく多忙な一年を過ごさせて頂きました。

具体的にあげますと

・長編映画: 「再恋(さいれん)」中田圭監督 来年劇場公開予定* 劇中音楽制作
・中編映画: 「もしもに愛を」  宮本ともこ監督 来年公開予定* 劇中音楽制作
・中編映画: 「」 村松健太監督 来年公開予定 劇中音楽制作ならびに挿入歌作詞
作曲
・短編映画: 「別れ詠」(制作中) ショートショートならびにカンヌ出品予定

・上海国際映画祭 劇場内CM  長編+短編  鳴鳳堂 音楽制作

・オペレッタ "Miss シカゴ公爵"  日本初演版編曲

・その他海外版音楽教材制作

音楽家はなかなか仕事が取れないといわれる中、これだけの仕事をさせていただきありがたい次第です。

さて20年も低迷して右肩下がりが続いている音楽の世界ですが、少し変化の兆しが見えているようです

音楽の世界はSNSに対して消極的、場合によっては敵対的とすらいっていい状態でしたがユニバーサルミュージックとFacebookが提携を発表。

Facebook上で再生される音楽ビデオについて、グローバル契約を結んだと発表しました、

■【海外】ユニバーサルミュージックとフェイスブックが提携を発表
https://www.musicman-net.com/business/72129

しかもユニバーサルだけでなくソニーミュージックとワーナーミュージックも交渉中とのこと

、これが進むとSNS自体が実質的にストリーミング媒体となり、SNSでどれだけ多数に音楽を聴かすことができるかというのがポイントとなりSpotifyやApple Musicと同様なストリーミングチャンネルになっていく。おそらくAmazonプレミアムのような有料でストリーミングを行うというものになると思われます

新しいことを進めることを極端なほどに嫌っていた音楽業界にしては画期的な動きといっていいでしょう。少し何かが変わりつつあるのを感じます。

一方ではこんな情報もあります。正式発表ではありませんが、私自身も複数の情報源で確認しましたのでまず間違いはないと考えますが

■Appleが音楽のダウンロード販売を2019年までに終了させてストリーミング配信を本格化との予測
http://gigazine.net/news/20171210-apple-terminate-music-downloads/

 

つまりこれまでiTunesを通して行ってきた音楽のダウンロード販売を2019年までに終了させ、ストリーミング配信サービス「Apple Music」へ一本化させる動きがあるといわれています。私も複数の情報源からこれを確認いたしました。

 

ストリーミング配信への移行が始まると、iTunesを通じてダウンロード販売された音楽データは新しくなるApple
Musicのアカウントへと統合されることになる模様。その後、3カ月の無料トライアル期間を経てストリーミング配信へと完全移行され、ユーザーが作成していたプレイリストや、各種設定などはそのまま引き継がれるとのことです。

 

事実とすれば音楽配信の時代が事実上終了することになり、インターネットでのサービスはストリーミングのみになっていく可能性が高くなってきました。

 

ところで私は一部のIT系論客のようにストリーミング サブスクリプションが音楽の最終アウトプットの形だとは考えていません。音楽を真に楽しむということを考えるとそれはありえないと考えます、

 

SpotifyにせよApple Musicにせよ、Amazonにせよ、そしてこれから始まるFacebookのストリーミングにせよ、私はラジオに近いメデイアと考えています、いってみればオンデマンドのラジオという認識の方が正しいと思います。

 

だいたいネットでITのシステムから音楽の配信やストリーミングを論じる人たちの殆どはたぶん特定のアーチストのファンになったことはないのではないか。と思うことがあります。特定のアーチストのファンになればもっと別の発想が出てくるからです

 

結局ファンはアーチストの作品に対する「所有欲」というものを必ずもっていますから私はネットでのストリーミングのみで音楽配信もなくなるとなると結局パッケージの時代に戻る可能性が高いと考えます。

 

勿論全ての人がアーチストの音楽に対して「所有欲」を持つとは考えにくいので、究極的には「流行ものーミーハー的な人」はストリーミングに留まり、アーチストのコアのファンだけアルバム(アナログorCD)を購入するという方向になるのではないかと思います。何でも両極化するというのが最近のネット社会の傾向で私は必ずしもいいとは思っておりませんが、業界的にはそちらの方向に行く可能性が高いです

 

ではパッケージの話しですが、CDか? というとどうでしょう? 案外アナログレコードに戻るかもしれません、CDもあるでしょうけどね

 

実際信じられないかもしれませんが実はオープンリール、テープが復活しているのです。かつてのテープレコーダーメーカーも増産を開始しておりティアックは12月20日、ティアックストアにて販売しているオープンリールテープ「RECORDING THE MASTERS」に新製品を投入開始しました。

 

http://ascii.jp/elem/000/001/606/1606675/

 

 

 

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映画の世界でもフィルムが復活しており、クリストファーノーランなどは全てフィルムで作っています。

 

 

 

但しこうした「アナログ回帰」は決して単なる懐古趣味、デジタル絶対主義に対するより戻しというレベルの話しではないと私は考えます。レコードプレーヤーにUSBを接続できるようにデジタルを扱った上でのアナログ使用ということで、当然ながらかつてのようなアナログの使い方では決してないということができます。

 

それを考えると新しいデジタル技術を消化した上でのアナログを含むパッケージの時代が復活しつつあることを意味しており、その意味では音楽界は長い間のトンネルから抜け出せる可能性もできています、2018年、2019年はその「始まりの年」になるかもしれません。

 

とはいえ、これは昔の音楽業界に戻る、という意味ではありません。なぜなら音楽業界の低迷が始まった20年前と比べあまりにも市場、ハードウエア、システムの環境が大きく変わってしまっているからです。

 

そして何度もいうように映画、映像の制作現場のグローバル化、音楽もそれについて行こうとしない限り置いてけぼりを食ってしまいます。昔と同じ発想では生き残ってはいけないと思います。

 

そういったこともふまえて来年から少し音楽の方も少し面白くなるかもしれません。もっとも日本の音楽業界人は内向きにあまりにも慣れ過ぎており、意識改革をするのが簡単ではないとは思います。

 

日本人全体が「ムラ社会」的意識を卒業する必要があります。これが一番難しいことかもしれませんが..

 

2018年も映画人兼音楽人として制作活動を行っていく所存ですが、音楽業界のこうした動きにも注目していきたいと考えております

 

 

 

 

 

12月 29, 2017 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2017年11月16日 (木)

オペレッタ編曲、映画二本終わりようやく一段落

9月初頭から殺人的な忙しさが続いた

昨日長編映画のMA(マルチオーデイオ作業ーこれは和製英語で音声、音楽、音響効果等の最終作業を行う)が終了して一段落したけど、ここ二か月半の間に

・オペレッタ"Missシカゴ公爵"ー編曲作業 (一部カットされたとはいえ2時間40分のステージ)
・中編映画「弔い」(57分+主題歌)
・長編映画「再恋(さいれん)(80分)

の3作品の制作が終了した、

この間、予想もしなかった一週間の入院があり、それがいろんな作業へのしわ寄せになり、結果的に殺人的スケジュールに輪をかけた

とはいえ、ミュージシャンで仕事がない人間がいっぱいいることを考えるとやはりありがたい、感謝しなければならないことだけど、今回の一連の作業で今後の制作方針に変更を行おうと考えている

実は今後は短編映画(15分ほど)の音楽をやることになっているし、次回の長編の音楽制作もそう遠くないうちにやる可能性あるけど、たぶん「自主映画」の音楽制作はそれをもって卒業としようと思っている。

自主映画には可能性はある。それを否定するつもりはない、
確かに大化けするケースが決して多くはないがあることも事実

しかし一方では特に日本の場合、限界もかんじているのも事実だし、とりわけスタッフ関係の集まり等総合的に判断してそろそろメリットを感じなくなってきたということもある。大化けするかどうかというのは一種のカケでもある。
昨今は映画がデジタル時代で比較的安価に制作できることもあって、制作件数は急激に伸びているが、その分競争も激しくよほどの内容でない限りは「大化け」する可能性が低くなっていることも事実だ

何よりも昨今の風潮で「映画がデジタルで安くできる」という情報だけが日本国内で一人歩きしていて、プロフェッショナルなクオリティを保つための最低限のコストに対する意識が著しく低下しているのを感じる、例えば映画でもロクに整音せず平気で出品しているところも少なくない。

勿論メジャーだからいいとはいうつもりはないけどね

ここ数年劇場公開系の仕事を結構やらせていただいているのと、そろそろ自分の価値を高めることを考えないといけないので

というわけで一段落したけど、、次のステップに関して考えなければならないと考えた次第

 

 

 

11月 16, 2017 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2017年6月 1日 (木)

Kurzweil K1200昇天 新たなマスターキーボード購入

小生の音楽制作を長年支え、愛用していたKurzweil K1200の電源が入らなくなりました。

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よく見ると電源が入っていないのではなく、液晶の表示が薄く、しかも文字化けしたような文字が表示されていることがわかり、逆に事態の深刻さが浮き彫りになりました。つまり音源発振の基盤部分に不具合が生じたということになります、

これは大変だと思いカーツエルジャパンに問い合わせたところ、K1200はもはや部品がなく修理不可能といわれました。大手楽器量販店に聞いてみますと、あまりお勧めではできないが「非公式な」修理屋に問い合わせるしかないようでした。

いずれにせよこれでは仕事にならないので急遽マスタキーボードを探さなければなりません。

まず作業を最低限続けるための応急処置としてテンポラリーにDX7を引っ張り出してマスターキーボードを代用しました。

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最寄りの楽器屋に手配して、新しいマスターキーボードが入るまでの時間、2-3日は応急処置としてこれで作業します。しかしK1200は88鍵ありましたが、DX7は当然ながら88鍵ありません。

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悲しいことですが、昇天 ⇒ 納棺 (T_T)

K1200は本当に長い間私の音楽制作の中心的な存在でした。特にK1200のピアノ音源は他に代用が聞かないほど素晴らしいもので私にとっても極めて重要な音源でした。

正直自分の体の一部を失ったような想いです

一応うまくいくかどうかはわかりませんが「非公式」な修理業者にも問い合わせてみようと思います。もっともモーグやローズのような「ヴィンテージ」の範疇に果たしてK1200が入るのかどうかわからないのと、基本デジタル機器で音源もRomにデータが貯蔵されていますので、音源Romの代用品が果たしてあるかどうかも保証の限りではありません。まあ一応聞くだけきいてみますが解決の保証はない点と、リスクも一定あることを覚悟して聞いてみないといけません、

また仮に万事うまくいって復活したとしても購入後二十数年たっている機種ですから日常の業務のマスターキーボードとして使うのは現実的とはいえないと思います。ただKurazweilのピアノ音源はやはり捨てがたいので何とか復活できればうれしいですが..

マスターキーボード調達はやはりここ

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イシバシ楽器の立川店です。

導入したのはYAMAHAのCP4 midiのコントロール機能とピアノやその他の音源も内蔵していて、なおかつ88鍵あるということで導入いたしました。

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ピアノの音はカーツェルほどではないけど、まあまあです。
でもレコーディングにはあまり使わないかなぁ、という感じです。ソフトシンセの音源にベーゼンの音が出るのがありますので.. たぶんこれからそちらを使うと思います。

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鍵盤は一応本物のピアノと同じものを使っています。タッチも限りなくピアノのそれに近づけています。鍵盤部分だけに関して言えばアップグレードといえるかもしれません

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無事打ち込みのmidiデータのやりとりも確認
これで中断した作業を再開できます

シンセサイザーKBDはどんなに名器でも部品がなく修理不可能になったらお手上げです
モーグとかローズとか「ヴィンテージ」の機種は部品に対する対応をかなり行っていますが、K1200もどこか非公式の業者がそういったサポート体制をとってくれることを今では祈るしかありません。

その点ピアノを始めとしたアコースティックな楽器は古くて故障しても修理可能だしもっとよくなったりもする。電子楽器はアコースティックに勝てないのでしょうかね?

いずれにせよ私にとって新しい音楽制作のシステムの始まりになります。

 

 

6月 1, 2017 日記・コラム・つぶやき音楽16-23 | | コメント (0)

2017年2月25日 (土)

音楽文化、音楽ビジネス復活をめぐる私の闘い

まず「お知らせページ」にもありますが、JASRACの音楽教室からの「演奏権」に基づく著作権徴収に反対しています。よろしければご署名いただければと思います、

元々JASRACはネットでは評判が悪いのですが、私は今まではこうした動きからは寧ろ距離を取ってきましたが今回だけは明らかに「超えてはならない一線」を超えたと考えます。例えJASRACから除名されても私はこの動きには断固反対いたします

さて音楽に関する状況は悪くなっていく一方ですが、前にも書きましたように今さら音楽業界がどうか云々については語りません。というよりもはや「音楽業界」なるものは殆どないに等しい、もはや「業界」というのもおこがましいくらいに機能していないからです。

今のメジャーのレコード会社、音事協や音制連等の音楽業界の既存の体制は例えて言えば応仁の乱以降の室町幕府と同じです。まさしく有名無実、官位はあれど統治機能は0、の状態。まあ応仁の乱以降も信長に滅ばされるまで形の上では室町幕府は100年ちょっと続いたわけですが、まさしく形の上だけ既存の体制は続いている、そんな状況です。いっそのこと信長のように完全に誰か滅ぼしてほしいですけどね

しかし音楽業界の体制が滅んでもそのこと自体私は悪いとは思いません。というのも既存の音楽業界の体制が崩れたから音楽がなくなるわけではありませんし、音楽のビジネス自体がなくなるわけではありません。

現にお陰様で私もお仕事をいろんなところからいただいているわけですので、その意味ではもはや関係ありません。

といっても音楽がかつてのようなビジネスとして大きく発展していく状態に戻すのは簡単ではありません。私はそのためには次の点が必要だと考えます

1.映像その他コンテンツのグローバル化の動きをにらみ音楽のグローバル化を推進。世界に通用する真の意味での魅力的アーチストを育て、音楽作品の制作

2.そのために歌唱力その他を含む演奏技術スキルの底上げ化

3.急速なグローバル化に動く映像、演劇その他の表現メデイアのコラボを頻繁化

これらを推進すべく実は今後は更に一歩踏み込んだ活動を現在計画しなければならない、と考えるようになりました。

それは「グループで映画、アニメ、ミュージカル等の企画から制作までを行う」計画を考えることで、その資金獲得方法の1つとして映画、アニメ等の企画を募集している自治体、団体に当たってみようと考えています

勿論すぐに形になるようなものではありませんが、せっかくミュージシャン、エンジニア、シンガー、女優、俳優、映像デイレクターや監督、撮影クルー等が同じグループにいるわけなのであらゆる分野の参加者がWin Winになれるケースを作れればいいな、とも考えていますし、何よりも音楽からみれば「映像というメデイアなしには音楽は絶対に広がって行かない」これはどうしようもない現実として存在しますからね

まあ取りあえず今自分の持っているスキル、そしてソーシャルネットを始めとしたネットツールを可能な限り有効に使うことによって私の音楽文化、音楽ビジネス復活をめぐる闘いは続きます。私が生きている間には実現できないかもしれないですけどね。

 

2月 25, 2017 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2016年12月31日 (土)

音楽人であると同時に映画人であり続けることー来年もよろしくお願いしますということで

2016年ももうすぐ終わります。
まず今年も多くの皆様のご協力やご尽力をいただきました。この場を借りて御礼を申し上げたく存じます。

今年はプライベートでいささかゴタゴタがあったり、途中営業的にもいろいろ苦戦したり等いろいろありましたが、昨年も書きましたように映画音楽作家としての「第二段階」ーいわゆる商業映画、メジャーに相当するレベルの仕事をする、という意味では劇場公開の映画の音楽を2つ担当する等一定の成果があったことは事実でしょう。最近は映画を劇場公開をさせること自体が簡単なことではないので、その意味では「第二段階」を維持できたのでよかったと思っております。

涙の数だけ笑おうよ

「中野JK 退屈な休日-boring holiday」

私自身のピアニストとしてのライブ活動も引き続き行わせて頂きます。基本は演奏や作曲を行いますので、音楽家=音楽人としての活動を行っていきます。

しかし一方で映画音楽をやっておりますし、映画関係者とも密接に活動しておりますので、同時に「映画人」という意識も私の中にあります。

良質の短編映画の上映の後、映画監督を交えての交流会を実施します。実は料理でも定評があるCom Cafe音倉の料理を交えながら映画をみたあと楽しく新年会も兼ねます

映画というのは元々演技、音楽、衣装、メイク、美術等が関係する総合芸術です。それぞれの分野で関わりあう人たちは全員「映画人」です。またそういう意識をもたないと映画の中でいい仕事はできないと思います。

ただ困ったことに音楽関係で「自分は音楽人であると同時に映画人でもある」とまでいう人はまだそれほど多くないような気がします。

とりわけクラシック音楽のアカデミズムでは「映画音楽」「劇伴」といってかつては差別用語同然に使っていた時代があり、現代でもそういう雰囲気がなくなってはいないようです。そのため佐藤勝先生などは「劇伴」という言葉を激しく嫌ったわけですし、伊福部昭先生もかつてはアカデミズムの作曲家から激しい罵倒を浴びせられていたようです。

ただ映画音楽制作の仕事をそのような目で見るのはほぼ例外なく自分では映画音楽の作業をあまりやっていない人です。やっていてもたいした成果を収められなかった人でしょう。

私は映画やドラマの音楽に対してそのような偏見でしか見れない人を寧ろ可哀相な人だと思っています。そのような狭い音楽観でしか語れず、音楽を偏見でしか見ない人は私にいわせれば時代錯誤といわざるを得ません。本当に音楽をそういう目でしかみれない人は気の毒としかいいようがありません。

まあ確かに音楽家は映像関係者と比べると自らの殻に閉じこもりがちであり、視野も狭くなりがちです。

私の音楽についてはいろいろいう人がいるでしょう。唯音楽に対して広い視野を持ち続けながら制作活動に取り組んでいこうという基本姿勢は持ち続ける所存です。 

年明けからとあるコメデイ映画の音楽制作に着手いたします。それ以外にも映画に関する案件がいくつかあります。まだ制作スケジュールが見えてませんので現段階ではわかりませんが、いくつか長編の劇場公開モノを引き続きやっていくことになるでしょう。

よい映画音楽を作る音楽人として、 そしていい映画作品を作ろうとする「映画人」として

というわけで来年もよろしくお願いします。案件内容によってはグループ関係者及び私の音楽家仲間にお願いする案件も出てくるかもしれません。その節はよろしくお願いします

 

 

 

 

12月 31, 2016 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2016年3月11日 (金)

あの日から五年ー「祈り、悲しみ、政府行政や原発再稼働強行勢力への怒り」 忘れずに 風化させてはならない

今日はいわずもがな、未曾有の大震災から5年の日

毎年そうですが午後二時四十六分には黙祷をしようと思います。

今も私はドキュメンタリー映画の音楽やアレンジの作業に従事していますが、5年前のあの日もちょうど作業部屋で作業していました。
ものすごい揺れで仕事場のモニターや機材を必死に抑えていました。関東は震度5強との話でしたが明らかにそれ以上に感じられました。
テレビをつけてこの国にとんでもないことがおきたことを悟るのに時間はかかりませんでした。

あれから5年、福島は復興とはほど遠い状況にあります。
原発の事故が復興の作業を阻んでいるのです。

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一昨日バドミントンのオリンピック選手の大堀彩選手(写真)が震災時に通学した中学の映像を見て愕然としました。大堀選手は福島県富岡町出身。福島第一原発の20km圏内なので避難生活を余儀なくされました。
その番組の中で大堀選手が富岡第一中学校を訪れた時の映像がテレビで流れ愕然としました。

何と震災時の状況が5年前たった今も手つかずのままでした。体育館の照明は落ちたまま、教室も教科書始め机その他が散乱したまま。大堀選手は教室の中の自分の教科書もみつけました。

復興をとめているもの。それは紛れもなく原発事故です。
いまだに福島第一原発は危険な状態にあり、収束しているどころか事態はどんどん悪くなっています。東電の幹部はメルトダウンの事実を隠蔽する等、保身のために犯罪行為を行っています。

そんな中昨日大津地裁で稼働中の原発の運転指し止めの仮処分決定がなされました。

,高浜3、4号機に運転差し止め 稼働中の原発では初
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000070005.html

福島原発の事故の原因すらきちんと究明しないまま、原発再稼働を強行し、さらに福島原発がいまだ深刻な状況を脱していないにもかかわらず、原発はアンダーコントロールされている、などという大嘘をつく安部政権

最近の日本のひじょうによくない傾向として、失敗の存在を認めない、失敗から何も学ばない

という傾向が非常に顕著です。政治家、役人は勿論大企業の幹部まで頭にあるのは自らの保身のみ、責任逃れ、臭いものにただひたすら蓋

日本人は一体いつからこんな無責任な国民になったのでしょうか?

5年目の今日もまだこんなことを書かねばならないことがとても残念です。これでは1万五千人を超える死者がとうてい浮かばれる状況ではありません。
そもそも震災から5年、いまだ死者数すら最終的に確定できない状況にあります。

これは津波による死者と原発の状況がそうさせている、ともいえます、そんな中一音楽家として、できること、それは震災の悲惨さを音楽にすることしかありません。

この音楽はもともと報道写真家の豊田直己さんの災害や戦争での子供達の写真にインスパイアされたものですが、大震災で家や家族を失った人たちにもささげたいと思います。

五年前のあの震災の記憶を風化させてはなりません。祈りも忘れてはいけません。

しかし今悲しみだけでなく政府だけでなく、原発再稼働を強行する経団連をはじめとする勢力に対する怒りが同時にあることは不幸としかいいようがありません。
あの大震災のこの国が行った後処理は残念ながら最悪だったと言わざるを得ないのです

 

 

 

 

 

 

3月 11, 2016 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2016年1月 1日 (金)

謹賀新年2016-私の音楽制作、ソーシャルネット、コンテンツ制作の取り組み方、基本的な考え方

2016年になりました。日本の状況はいろんな意味で難しい状況ですが、本年もどうぞよろしくお願いします。
近くの橋から富士山が見えましたので縁起ものということで.. 今年も皆さんにとって素晴らしい一年になりますように

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今年は昨年より仕込んだ映画、劇伴音楽におけるレベルアップ、を始めプロジェクトチームやいくつかの事務所との提携等、ただでさえ厳しい業界環境を生き残るべく精進していきます。またFacebookでのグループ「音楽家&音楽及び関連業界キャステイング」の内容もさらに充実するべく業界のツールとして活用していこうと思っております。

その中でどのような考え方で取り組んでいくか、どのような方針で作曲や制作活動、制作会社としての方針をやっていくかについて述べて行こうと思います。いささか抽象的な内容ではありますが...

1.既存の枠組み、ジャンル、ビジネスモデルその他の「かたち」に一切こだわらず、オープンな考え方で取り組むこと

音楽業界というのはご存じ非常に「カタチ」というものに固執する傾向が強いということは既に述べました。そのために思考が硬直化した人間が多いというのが現実。だが思考が硬直化したらそれはもはやクリエーターではありません。最近は「パクリ」の仕方とか、流行のサウンドはこう作るとか、音楽をクリエイテイブではなくマニュアルで作るパターンが多く、そのやりかたを若い人に指導したりしていますが、こういうのは感心しませんね。

2.新しいことに果敢にチャレンジすること

最近に日本という国が閉塞している1つの原因として「失敗を恐れる」「失敗というものに対して極端なほど不寛容になっている」傾向があります。一度失敗したら業界的な死を意味する。そんな風潮があります。

それが新たなことへの挑戦を躊躇させ、新しいことへの挑戦を阻んでいます。この傾向は音楽だけでなく日本社会全体に及んでいるのを感じます。日本がさまざまな面で新しいものを生み出さなくなり、クリエイテイブな面でも人間の質の面でも劣化しているといわざるを得ない傾向があります。

私はその傾向を変えないといけない、と思います。音楽の世界でも「売れセン」などという訳のわからない形で音楽を作り、結果的にテレビ番組のプロデユーサーの所に来るデモテープはどれも同じような曲ばかり、こんなので(番組制作費から見れば)スズメの涙ほどの協賛金で番組に全然合わないつまらない音楽を使うくらいなら自分たちで作った方がいい、という傾向に現在なりつつあります。

はっきりいってこんなことをしてきたから音楽がつまらなくなった。ということができます。

そうではなくもっと人を引き付けるすごい音楽を作ってみようという風に思いませんかね?そのために様々な試行錯誤を行い、新しい表現を創造するのに果敢にチャレンジする必要があるように思います。

3.視野を可能な限り広く見る。異分野、異業種とのコラボレーションや制作チームを積極的に作る

これだけ世の中が多様化し、多くのメデイアのメデイアがミックスされるのが当たり前な現代では、異分野、異業種のコラボレーションを積極的に行う、というのが非常に重要になります。私などは映画音楽をやっている関係で映像関係者との接点が多いですが今後さらにそれを発展させていこうと思います。音楽ーとりわけ日本の音楽界はジャンルが違う、というだけで交流を避けたりする傾向が非常に強いです。海外では異ジャンルのミュージシャンのコラボレーションが当たり前になりつつあるのに対し、日本ではまだまだそういうのが行われていない、というのは問題です。

これからの世の中は可能な限り視野を広く持つ、ということがとても重要だと思うのです。

私はクラシックだからクラシック以外興味ない、とかジャズだからジャズの演奏だけやっていればいい、 

勿論それでもいいとは思いますが、それではそこから大きく音楽が発展したり世の中に広がっていくというのはこれからの社会は難しいと思います。

あと一人でできることは本当に限られます。それよりはいろんな分野の人とチームを組んだり、提携することでそれが会社の営業上プラスになればその方がいいに決まっています。実際私は自分の会社単体だけでやってきて、うまくいっている時はいいのですが、そうでない時は結構営業上も苦戦してしまいます。それよりも他の事務所との提携、映像制作会社やキャステイングとの提携やプロジェクトチームを作った方が一人で動くより多くの仕事を作ることが可能になります。

この3つの方針でこれから音楽、ソーシャルメデイア、コンテンツ制作事業を行っていこうと思います。

ということで本年もよろしくお願いします

 

 

 

 

 

 

 

1月 1, 2016 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年12月29日 (火)

2015年仕事納めと総括そして来年の目標

うちも今日で事実上全ての仕事が終わった。

今年は事業的には前半はやや苦戦したものの後半はまずまずの成果も収めることができた。また手掛けたテレビドラマ「鉄子の育て方」のオンエア、や以前てがけた短編「この坂道」Short Short Film Festival Asia(米映画アカデミー公認映画祭)の入選という思いがけない成果もあった。特に後者の影響は大きく今後の大きなはずみとなった。

今年の初めに書いたブログにて今年の私のテーマはいかに自分の価値を高めるか、だった。「価値を高める」というのはケースバイケースなのでどういうのが「価値を高める」ことになるのか議論があるところだが、映画音楽の作家という立場で考えれば、従来の「第一段階」から「第二段階」に進むことができた、という点が大きい。「第一段階」は主に自主や独立系の仕事を中心とする段階であるのに対し、「第二段階」とは商業映画、いわゆるメジャーの仕事が中心となることを意味する。勿論自主や独立系を一切やらないという意味ではないものの、従来と比べると必然的にハードルが高くなる。基本的にノーギャラの仕事は一切受けないし、短編も教育映画等の仕事を除いては原則としてよほど高いクオリテイのもの(カンヌ、ベネチア、ベルリンで入選できるレベル)でない限りはやらない。

これは自動的に自らの映画作家の価値をたかめることにもなるので、事実上今年の目的は達成できたことになる。勿論まだ始まったばかりで、本格的に「第二段階」に定着できるかどうかはこれから次第である。

もう1つ、今年の自分の課題として今後は各仕事において「チーム」を作り進めて行くという目標もたてた。そのために気をつけなければならない点も自戒した。

■これからチームを作って仕事したり取引する際に避けるべきタイプの人
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20150125

「チーム」といっても必ずしも会社組織を大きくする、とかそういうことではない。

ただ人ともっと組んで協力関係を広げて行こう、ということに我々フリーランスの場合なるだろう,ということで今年は「提携」関係を広げて行った。既にとある音楽事務所と提携関係を結んでいるし、近々もう1つの会社とも提携関係を結ぶことができる見通しである。

少しでも自分の営業チャンネルを広げる、という意味もある。ネットとかいろいろ使ってるがやはり一人でやっていくには限界がある。

同時に映画関係のプロジェクトでも大きな仕事に結び付けるためにプロジェクトチームを形成した。そのことによってかなりいろんな可能性が広がったと思う。

その意味では今年は贅沢をいえばきりがないが、今年の初めに設定した目標をほぼ達成できたといっていいと思う。

問題はこの体制を維持し、具体的な成果、結果を出していくこと。それが来年の課題になるだろうと思う。

いずれにせよ今年の様々な出会いに対して感謝するとともに、来年はみんなでハッピーになるような結果が出るように鋭意努力をし続ける、という目的を設定して今年の業務を終了することにする。

引き続き来年もよろしくお願いします

 

 

 

 

 

 

 

 

12月 29, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年10月21日 (水)

故松本英彦氏の奥様のライブにおじゃましました

私の住んでいる多摩市は実はジャズがとてもさかんな地域でもある。
それは日本の世界的テナーサックス奏者の松本英彦先生が多摩市在住だった、という背景もある。

 

 

 

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松本英彦 1926-2000

 

 

 

旧松本先生の自宅は私の自宅から歩いて5分ほどの距離、現在も駅に向かう時にほぼ毎日通る。現在は売却されて別の方の持ち物になっていますが..

 

奥様の佳子さまもジャズボーカリストとして著名な方で地元のジャズイベントでは何回か拝聴していますが、実は直接お会いしたことは一度もありませんでした。

 

今回さる人のご紹介で虎の門にある老舗のライブハウスでの先生のライブにおじゃましました。

 

 

 

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最近、打ち込みpro toolsばかりやってるせいかこういう空気感に飢えている感があります。どんなに打ちこみ音楽があふれようが、音楽の基本は生音を録ることです。最近音楽業界はこういうサウンドをあまり重んじなくなっている傾向があります

 

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ジャズのスタンダードとはいえ、さまざまな試みもしていました。今回のコンサートを聴いて」ちょっとジャズスタンダード曲である曲をビアノ一台でやって見ようかな?、と思いつきました。 ジャズをよく知っている人がきいたら無謀と言われるでしょうけどね。でもだからこそやってみたいし私の弾き方なら不可能ではないと思います。私はドラムのようなピアノの弾き方をしますからね

 

 

 

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松本先生と記念写真(^_^) 

 

 

 

ジャズの生き字引のような方なのでとても光栄です。

 

同じ多摩市民でありながらなかなか直にお会いする機会がありませんでした。今回をきっかけにさらに音楽について勉強させていただければ幸いです。

 

 

 

10月 21, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年10月18日 (日)

映画音楽作家として「第二段階」に突入。これからが本当の勝負です。

先程もお知らせしましたように さんみゅー主演の「退屈な休日」が昨日完成し強行スケジュールとはいえ何とか月末のプレミア上映に間に合わせることができました。

 

詳しいことはまだいえませんが中田圭監督とはいくつかのプロジェクトが他にも進行しており、今後いっしょに仕事をしていくことになります。実はこのお仕事の依頼を受けた時に今回の「退屈な休日」の話よりも中田監督の今後の活動、今後の仕事の意気込みのお話の方を伺っており、監督が映画で世界に対して勝負する強い決意を感じました。私もその意気を感じ取り今回のローバジェット作品から今後大きなバジェットの作品、メジャーや国際的に打ち出す大作製作を目的に動き出す流れを共に歩んでいこうと決めました。

 

これは私自身が正式に映画音楽作家として「第二段階」に突入することを意味します。

 

確かに「鉄子の育て方」”Viva! Peru!"のテレビでの実績があったにせよ今までは自主/インデペンデント系の作品が中心でした。それはそれで重要なステップであり今後も内容によっては関わっていくでしょう。

 

しかしやはりそれなりの制作バジェットとまた世界に対して打ち出そうとする段階に打ち出すべき時期に来ていると感じました。特に今年初めのShort Short Film Festival Asiaに入選してからは、

 

この映画祭より上、となるとカンヌ、ベネチア、ベルリンといった世界三大映画祭しかないですからね。

 

従来の「第一段階」から「第二段階」にまで移行するのに一年のブランクがありました。
逆にいうと一年のブランク程度で済みました。これはかなり順調といっていいと思います。

 

というわけで完全にヒーリング癒し系の作曲家から映画音楽作家に完全にこれから脱皮することになります。映画音楽を自分の作家活動の主軸に置こうと考え始めてからここまで来るのに5年かかりました。

 

これからが本当の勝負です。

 

 

10月 18, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年9月11日 (金)

NPO法人理事長 故鈴木健士氏のお別れ会出席

旧知の仲だったミュージックソムリエ協会理事長の故鈴木健士氏のお別れ会がSpiral地下のCayにて行われた

 

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鈴木氏はミュータントというCM音楽制作会社で数々のCM音楽やアーチストのプロデユースを行ってきた実績があり、最近ではミュージックソムリエ協会を設立しCDショップ大賞Record Store Days Japanの運営も行っていた人物である。

 

業界で多くの、しかも長い間の実績があることもあり。お別れ会は満員の状態。入口から長蛇の列だった

 

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正直、鈴木氏とはいつも意見があったわけではなかった。いや寧ろ合わないことの方が多かった。口論もした

 

しかし音楽業界をよくする、音楽文化をよい方向に持って行きたいという思いは共通していた。そのためお互い対立することはあっても妙な連帯感があった。

 

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かつて「ポッパーズ」で一世を風靡したインターFMのあの方も来ていた

 

私も正直同志を失った、という思いでいっぱいである。享年54はいくら何でも早すぎるだろう?

 

昨年我々は佐久間さんを失った、そして鈴木氏も全く突然召されてしまった。正直大きな牽引者を失ったという意味は大きい。

 

音楽業界の状況は年々悪くなっていくばかりである。そしてこのまま根本的な対策を取らない限りこれからはもっと悪くなるであろう。

 

残されたものでこの厳しい状況を何とか切り抜ける努力をしなければならない。
でないと鈴木氏に「おめえら、なにやってるんだ バカヤロー」とどやされてしまうだろう

 

 

 

 

 

9月 11, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年9月 6日 (日)

チャンスのない日本を少しでも変える。-自分の制作案件の募集をして思う事

実はもう募集は締め切ったがとある案件で女性ボーカリストを募集していた。

 

某通販化粧品メーカー新商品のロゴジングルでの女性ボーカル募集で、別に地上波のテレビとかでオンエアされるものではない。その通販会社のインフォマーシャル(通販番組でオンエアされる商品説明のビデオ)内で制作されるジングル。ギャラも決して高いとはいえない。

 

しかしそんな案件の募集に予想以上の応募が殺到した。、一部の人は「どうしても参加したい」との人がいたので受理したが、既に締め切ったと宣言した後にも募集が来た。

 

それにしても今回の非常に限られたクローズドなチャンネルで流れるジングル、そのレベルの仕事でもこんなにも応募者が殺到するとは思わなかった。

 

そういえば以前Eテレの「シャキーン」の仕事をした時も感じたのだが、Eテレの「シャキーン」は「面白い企画であればオンエアの採用していくれる」という噂がクリエーターの中であっという間に広まり、その結果プロデユーサーの机がたちまちクリエーターのデモ資料で山積みであふれるようだった話を聞いた覚えがある。おかげで私の企画のオンエア頻度が激減してしまったのだが(笑)要はそれだけ今の日本は「チャンス」が少ない、ということなんだろうね。みんなチャンスに餓えているのだ。

 

例えば音楽業界というところは一般に 「おいしいところ」というのを大手の制作会社か一部の限られた人間だけで囲ってしまう、というところがよくある。その場合外部の人間がきちんと入り込める余地はまずない。しかしそういう風潮は正当な競争を阻害し、本当に実力のある人間にチャンスが与えられなくなってしまう。

 

まあやはり不況が長く続いているというのもあるんだろうがでもそれじゃ音楽も映像のコンテンツの世界もいつまでたっても活性化しないし、よくならないと思う。

 

Facebookで「音楽家&音楽及び関連業界キャステイング」というグループの管理人もやっているが、私のこのグループが音楽業界、芸能界のそういう体質に一石を投じることができれば、と考えている。非公開のグループなので投稿は参加者しか見ることができないFacebookをやっている人で音楽業界、ならびにそれに関連する業界で仕事をされている方なら誰でも参加することができる。

 

ちなみに10月24日に「音楽家&音楽及び関連業界キャステイング」の音楽業界交流会を行います。ミュージシャンと音楽業界関係者(プロデユーサー、プロダクション及び制作会社関係者等々)が交流できるイベントで今後の皆さんの活動や人脈の幅を広げるのにお役にたてれば幸いである。

 

日時:10月24日(土) 18:00  開場  18:30ー Start

会費 ¥2500(予約) 
   ¥3000(当日ー当日予約なしでいきなり来られた方)
    フード+ドリンク代別

 

会場:Jazz Spot J

http://www.jazzspot-j.com/index.html

 

前回の出席者の職業
ミュージシャン、シンガーソングライター、作曲家、作詞家、アレンジャー 演奏家、女優 俳優 音楽プロデユーサー、レコード会社デイレクター プロダクション社長 芸能プロ関係者、映像デイレクター 広告代理店関係者 演劇舞台関係者、フラメンコダンサー、クラウドファンデイングサイト運営者、音楽コミュニテイネットワーク主宰者、日本音楽ソムリエ協会

 

Facebookをやっていればグループ参加者でなくても交流会参加は可能です

 

https://www.facebook.com/events/630548410314953/

 

 

 

 

9月 6, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年9月 1日 (火)

コンテンツ制作の価格意識ー少額の金額でできると思われているコンテンツ

個人的な話ですがここ一年近くやや事業上は停滞の時期を過ごしていました。(だからブログ記事も増えているwww)

 

しかしおかげさまでようやく長いトンネルを抜けた、といいますか充分とはいえないものの業務が多忙になってきたのはありがたい、のですが。

 

私の会社は従来の音楽業界のビジネスモデルである、大手製作会社、広告代理店関係、テレビ局関係の仕事、も勿論やってはいるのですが..
それとは別に直接企業様から制作の受注を受けるケースもあります。

 

それがいいコンテンツ制作のビジネス実例になる場合もあります、二年前やってコーセーのコスメデコルテのケースなどがそれにあたりますが、(たぶん大手広告代理店を通すとかえって実現しなかった可能性の方が高いビジネス実例です)

 

しかし必ずしも残念ながら全てスムーズにいくわけでもありません。

 

実は前々から感じていたことなんですが、映像や音楽のコンテンツの制作に当たって当然見積りを作るわけですが、弊社としては極力コストパフォーマンス的に勉強しているつもり、ではありますが、どうもクライアントさんの考えていた予算の範囲から大きくはずれているケースがままあります。

 

そのクライアントさんの当初イメージしていた予算、というのが 何と

 

5万ー高くて10万だったりするわけです。

 

10万なんてインストでVPや教育映像の音楽の制作レベルの予算、でこれは自宅の作業場で全ての作業を賄う、という条件の元なら可能な予算です。

 

しかしクライアントさんの販促ソング、とかジングルとか、となると音楽家を読んで、さらに多くの場合クライアントさん立ち会いになりますから、スタジオもそれなりの場所を使わないといけない、ミュージシャンのギャラ、 等々、 40-50万くらいすぐいっちゃいますね。

 

さらに10万で映像を作れ、大学の映画サークルの自主制作だって今もっと予算使いますよ。こっちは一応プロを使うんですし、本格的に映像を撮るなら大勢のスタッフが必要なので100万くらいすぐ行きますよ。

 

なのに、クライアントさんによってはそれが法外な予算、 のような印象を持つ方がいらっしゃる。

 

以前の記事のようにクリエータ―を強制的にボランテイアにしたり、仕事の依頼はしたけどギャラはビタ一文払わない、 などという会社は言語道断ですが、
どうも映像も音楽も安く、簡単に作れる、なんかそんなイメージを持っているクライアントさんが残念ながら少なくないですね。

 

まあ一応私たちはプロなんで、可能な限りわかりやすいご説明をクライアントさんにしようとは思っていますが、 それなりのクオリティのものを作ろうとしたらそれなりのコストはかかってしまう。この理屈を是非ご理解いただきたいものです。
以前も比較的私たちの業界に近い事務所がそういうことをして愕然としましたが
■コンテンツ制作に「正当な」費用を払おうとしない人たち、コンテンツ制作は簡単にできると思っている人たち
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2015/06/post-0580.html

 

5万―10万等の二束三文でコンテンツを作っても二束三文レベルのクオリティにしかなりません。たまに石が宝石に化ける時もありますが、それは柳の下のどじょうと同じ。そんなことを最初から期待するのは愚です。

 

奇跡でもおきない限り二束三文の予算では二束三文のクオリティにしかなりません、

 

コンテンツはモノではなく形のないものではありますが、それだけにクオリティに対してお金を支払っている、という意識は是非ご理解いただきたいものです。

 

 

 

 

 

 

9月 1, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年6月14日 (日)

Short Short Film Festival & Asia以後の私の映画音楽作家の生き方について

既に記事を何回か書いているように今回の短編映画「この坂道」(宮本ともこ監督)のShort Short Film Festival & Asia入選は私にとっても大きな意味を持っている。

 

映画音楽作家として本格的に生きていくことを決心したのは今から5年前ーその前にいくつかの映画、ゲーム等で音楽を作ったことはあるものの、5年前に本腰を入れてから劇場公開映画や多くの映画の多くのDVDの全国発売、多くの映画祭での入選、上映等、大きな成果を収めることができた。これは素晴らしい仲間に出会える幸運に恵まれたためで、そのことに関してはただただ感謝の思いしかない。その意味では私は非常にラッキーだったと思っている。

 

しかしプロフェッショナルである以上、たえず上を目指さなくてはいけない。

 

なぜなら満足してしまえば、そこで終わってしまうから

 

しかしこれ以上のレベルに自分をさらにあげるのは今まで以上に困難で難しいものになるだろう。本当のハードルはこれからやってくるのかもしれない。今までのように順調というわけにはないだろう。

 

既にそのために水面下ではいろいろと仕掛けてはいる。どれが身を結ぶかはわからないけれど

 

あとはっきりいえるのはこれから短編に関わる機会は減っていくだろうな、ということだ。

 

勿論私は仕事として主に東映さんの教育映画の音楽とか、普段頻繁に映画の仕事をする監督との「お付き合い」的な作品とかが、あるのでそういうのは例外だ。それは仕事関係だし、仕事は大事だからね。それはこれからもやっていく。

 

だけど映画祭提出目的での短編制作に関わるのは、よほど「すごい!!」と思える作品でないとやらないだろうな。今回のSSFFで賞を狙える作品とか、三大映画祭に入選→入賞する可能性の高い作品とか...   だがどこかのレ〇ー〇大賞のように特定の事務所やレコード会社の圧力によって決まる賞などは、世界のトップクラスの映画祭にはない。賞など狙って取れるものではないのだ、そんな甘いものではない。だからあとは私の勘に頼るしかない。

 

来年の今頃、自分はさらに映画音楽のプロとしてランクアップした存在になっているだろうか? そうなって欲しい、いやそうなってなければならない、と思いながら仕事をしていくしかないだろう。

 

 

 

 

6月 14, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年5月26日 (火)

汐留べヒシュタインサロン訪問

午前中新橋の某MAスタジオにて仕事を済ませてから、近くの汐留にあるべヒシュタインサロンに行ってきました。

 

世界三大ピアノの1つのべヒシュタインのショールーム兼、ホールや練習スタジオがあるところです。

 

Bechstein_salon00

 

実はこのべヒシュタインサロンに入ったとほぼ同時に地震(!!)

 

埼玉から茨城にかけて震度5、東京でも震度4を記録しましたが、あまりのタイミングにこれって何かの吉兆それとも凶兆 と思ってしまいましたが..  (^^:)

 

とはいえ、私は三大ピアノの1つのべヒシュタインは昔から好きなピアノでした。
世界三大ピアノとはスタインウエイ、ベーゼンドルファー、そしてこのべヒシュタインのことをいいますが、なぜか前者2つと比べるとべヒシュタインは知名度の点でやや劣るところがあります。海外ではかなりの評価を得ているんですけどね。日本ではまだまだ知られているとはいえない状況です。ちなみにオスカーを取った映画「戦場のピアニスト」のピアノはこのべヒシュタインでした。

 

Bechstein_salon02

 

東京汐留にあるべヒシュタインサロンの入口部分

これというのもべヒシュタインはドイツのメーカーでナチスドイツの庇護も受けていた、というのがマイナスな要因になってしまい。工場も解体され会社として再生するのにかなりの時間がかかってしまい、それがスタインウエイ、ベーゼンドルファー、の世界市場開拓に遅れを取ってしまった原因になっていると考えられます。一方でドイツに工房があるもののスタインウエイはアメリカの会社ですので、アメリカの影響下のもと、日本ではスタインウエイのブランド化が進み、現在のように三大ピアノでもトップの知名度を得るに至ったといわれています。

 

折角きましたので試弾しました。

 

Bechstein_salon01

 

Bモデル

 

Bechstein_salon03

 

Cモデルです

 

やはりいい!!!

 

最近のべヒシュタインのモデルはベーゼンドルファーを思わせる音の柔らかさを兼ね備えていて、同時にスタインウエイに負けないダイナミックスさも持っていますので、柔らかい音とダイナミックな音両方を表現できるようになっています。それがとてもいいです。

 

このサウンド、是非皆さんに味わっていただきたいと思いました。

 

ドイツのマイスター的に職人技を感じます。Klaviermeister (ピアノ職人のマイスター)という資格がちゃんとあります。

 

Bechstein_signature

 

べヒシュタインの職人のサイン入りです。職人魂を感じます。

 

ここの会員になるとピアノの練習室だけでなく、汐留のべヒシュタインサロンの小ホールを借りることができ、その使用料は下手なライブハウス借りるより安いことがわかったので今度ここでライブ計画しようかと思います。昨日の記事にも書きましたグランドピアノによるピアノライブ のシリーズをここでやろうかと考えます。

 

皆さんに世界最高のピアノのサウンドを満喫していただきたいので、究極の癒しサウンドと私独自の演奏スタイルによる自分のオリジナル作品を流そうと思います。

 

 

 

 

 

5月 26, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年5月 5日 (火)

コンサート、イベントの企画ーお客様が来る理由について考えて活動すること

コンサートやイベントの企画を本来の音楽制作とは別に昨年から本腰入れて始めている。

 

実は私自身はイベントの人集めとかは決して得意ではない、いやはっきりいって苦手である。
しかし本来の音楽制作とは別にライブ活動を頻繁に行う、ということを考えるとそうもいっていられないのである。

 

しかし昨年から始めていたイベントの殆どはほぼ満席状態にすることができた。
それはそのためのいろんな方策を考えたからでもある。
ライブ活動をする人間としてガラガラの会場で演奏するほど惨めなものはない。

 

残念ながらまだ私は名前だけで人を呼べる存在にはなっていない。そのためには比較的人を呼べそうな人とジョイントするというのも手だし、さまざまな手を使って動員を考えなければならない。

 

しかし結局は当たり前の話だが、

 

人が行ってみたいと思わせるような魅力的な企画でないとダメだ。 

 

という当たり前の結論に達する

 

先月私が管理するfacebookグループ「作曲家アレンジャーミュージシャン演奏家キャステイング」の交流会が行われ盛況のうちに終了した。
正直、グループの参加者数を見るとまだ時期尚早という気もしないではなかったが、参加者の要望も強かったこと、そして私自身も実験してみたかった点もあいまり実行した。結果として会場のキャパいっぱいーほぼ満席のうちに終了した。

 

これは私が志したオープンな交流会にすること。 そして業界関係者と音楽家が自由に交流できる機会を作るという私の主旨がグループ参加者に支持されたからだと思う。横の流れが結構ある映像業界と違い、音楽の世界は縦割り的な性格が強く横の流れというのは作りにくいという事情があるためである。

 

同じように今月1日に開催した名曲喫茶ヴィオロンで行われたラグタイムコンサート、急きょ決まったライブであるにも関わらず満席の状態でとりおこなうことができた。(ライブの2週間前に急きょ決定)

 

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会場の人の話だとホンキートンクピアノというピアノの音を聴いてみたい、ラグタイムとはどんな音楽か聴いてみたい、という方が多数来場して下さった。

 

つまりどこにでもあるコンサートではない、ということが結局良かったのだろうと思っている。

 

まあ私は別に今後ホンキートンクピアノだけの演奏をするつもりはないが、今後本来のグランドピアノで演奏するにしてもそうした頭を使った企画をした方がいいということだろう。

 

お客さんに行きたい、と思わせるようなコンサート、イベント企画を行うということだろう。

 

これから夏→秋くらいにかけて例によって映画音楽の制作の話があり、それらが動き出すとまた仕事場に引きこもり状態になってしまう。

 

しかしネットの暇人でもそうだが、引きこもりというのは精神衛生上もよくない。だから音楽制作は音楽制作として時々ライブ活動も行う。そうすることで精神のバランスを保つことができる。

 

 

そのためにはライブの方も少し頭を使って人が行きたくなるコンサート、ライブの企画を行うべきなんだろう。

 

ちなみに今月1日の名曲喫茶ヴィオロンでの私のオリジナル曲の演奏、"Lost Forest"というだいぶ前に熱帯雨林保存活動にて私が書いた曲である。まあこんな曲をホンキートンクピアノでもグランドピアノでも演奏するということで

 

 

 

 

 

 

 

5月 5, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年4月16日 (木)

送別会ーカナダ女優武者修行する勇気と行動力を讃えて

当ブログでもいくつか記事を書きましたが舞台等で活躍している友人の女優さんが単身、カナダのトロントまで行って、女優の武者修行を今月の18日から一年半の日程でしてくるということで同じ映画や劇に関わるものとして、その勇気と行動力を讃え応援の送別会をしてあげようではないか、ということで渋谷の某店で集まりました。

集まったのは俳優仲間、映画プロデユーサー、ミュージシャン等々

 

Sobetsukai00

 

彼女は牡蠣が大好物ということで渋谷の「かき小屋」での送別会(笑)

 

Sobetsukai01

 

念願の生牡蠣に舌鼓をうち幸せそうな顔です。(^^)

 

 

 

 

 

最近停滞した雰囲気の日本ですが、彼女のように思い切って海外に自らを修業に行くというのはなかなかできそうでできないものです。

 

先日の光武監督にせよ、交流会に参加したKenji Nakaiさんにせよ、最近私は海外で活躍している日本人のクリエーターと会う機会が増えています。まだ数は多くはないですが世界に挑戦していく日本人がいるんですね。そういう人たちとの交流は非常に大きな刺激になりますし、グローバルな現代ではそういうことは頻繁に行われてしかるべきです。

 

しかし日本にはまだまだ島国根性といいますか、そういう海外に日本人が出ていくという行為に対して否定的な見解を持つ人も少なくありません。

例えばプロ野球選手がアメリカ、メジャーリーグに挑戦するというのは今や全く珍しくなくなりましたが、今から20年前当時の野茂英雄投手がロサンジェレスドジャースに入団した時は当時のマスコミは徹底的に野茂投手を叩きました。「身の程知らず」「無謀」「けしからん」といった言葉がスポーツ新聞の紙面を踊り、まあ本当に酷いバッシングでしたが、その後の野茂投手の活躍はわざわざここで言うまでもないと思います。完全に鎖国状態だった日本の野球が今や当たり前のようにメジャーリーグに日本の野球選手は挑戦していきます。

 

サッカーなどは海外に選手が行くのを「おかしい」などといった方がバカにされます。サッカーの世界を知らないことがばれてしまうからです。

 

まあ経験上そういうバッシングを行う人間はだいたい自分では何もやろうとしない人間が多いです。自分では何もできないから、何かやろうとする人間の邪魔をしようとするんでしょう。そういう人間のいうことは無視するに限ります。

 

だから私はこれから1年半、カナダのトロントで武者修行する荒木英里ちゃんを応援したいと思います。

 

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花束贈呈!!

 

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頑張ってねー応援してるよー(^^)

 

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記念写真ー(^o^)

 

実は結構久しぶりに飲む人も多かったので、このあとの二次回ではとにかく何か映画作品を1つ作ろうなどという話になりました。

 

とにかく何かを進め、何かをやろうとすることを続けないといけません。口あけて待っていても道など開きません。

 

さて英里ちゃんが帰国する頃には果たしてどうなっておりますかーww

 

 

 

4月 16, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年4月13日 (月)

グループ交流会に込めたもう1つのメッセージ

一昨日の「作曲家アレンジャーミュージシャン演奏家キャステイング」音楽業界交流会から週が明け、参加者の方から「参加してよかった」「また開催して欲しい」との多くの声をいただき、私としても今回実施して本当によかったと思っております。

 

音楽業界の中での交流会はないわけではないんですが、単なる飲み会だったりライブショーケースがあってもどこか偏っていたり等、どこかオープンではないところがあったのでそういう意味では今回の出来るだけオープンな交流会にするという方針がよかったのかな、とも思います。

 

また音楽の世界は元々縦割りの体制になっていて横のつながりというのは確かに作りにくい、ということもあります。そこをソーシャルネットというメデイアを使いながら構築する意味でも「作曲家アレンジャーミュージシャン演奏家キャステイング」というグループはよいツールになるかもしれない、とも思います。まあ次回開催するにしても、いつになるか現時点ではまだ全くわかりませんが、追々考えて行こうと思います。

 

参加者の皆さんは初め少々戸惑いというか遠慮がちだったんですが、会の最後ではかなり盛り上がっていたのであまり私の締めの演奏の時のメッセージが伝わっていなかったようなのでそれだけここで書いておきましょう。

 

交流会のエンデイングの時に「酒とバラの日々」「ライムライト」と最後のコメントを唱えながら同じくチャップリンの「モダンタイムズ」で締めましたが、ご存じの通り「モダンタイムズ」は1936年のチャップリンの映画で人間が機械を使うのではなく「使われている」様を面白可笑しく風刺した映画です。

 

しかるに昨今のネットを中心とする情報社会を見ていて思うのは

 

我々はインターネットを使っているのではなく使われているのではないか?

 

という点です

 

まあ音楽コンテンツに関していろいろいう人はいます。著作権に関してネットやIT関係者で無責任にいろいろいう人もいますが、ネットに関する状況ははっきりいって年々ひどくなる一方です。

ネトウヨが幅をきかしネットの情報はデマやゴミ情報があふれている現状

 

コンテンツだっていくら無料であってもゴミ同然のクオリテイのものしかネットになければ

 

どんなにインターネットのツールが発展しようがインターネットを中心とした情報社会は崩壊します。

 

はっきりいって今のネットは既にそうなり始めています。IT関係者は認めたくないでしょうが紛れもない事実です。

 

ネットではいろいろと無責任なことをいう輩がいますが

 

しかし私は最後には質の高いコンテンツを作る人間が勝利者になると思います。

 

ヘイトスピーチをばらまくネトウヨや他人の揚げ足や粗探しに命をかけているネットの愚かな暇人が勝利者になることは絶対にありません、

 

映画「モダンタイムズ」ではチャップリンはあるメッセージを私たちに伝えているように思います。
それは例え私たちに「例え機械に使われていても人間は知恵と志と優しさがあればそれを乗り越えられる」ということだと思います。

 

音楽は今厳しい状況にありますが、「モダンタイムズ」にあやかって「質の高い音楽コンテンツを作り続け知恵と志と優しさこの困難な状況を乗り切りましょう」というメッセージを込めました。

 

まあそんなわけで少しでも音楽の状況がよくなるようにいろんなことをやり続けていきます。

 

 

 

4月 13, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年3月28日 (土)

ピアノルーム防音工事とその効果

ご存じの通り昨年長年使っていたアップライトからグランドピアノに変えたわけですが、当然ながらグランドはアップライトと比べものがないくらい音が出ますので家の防音対策が急務でした。

 

私のライブを見た人なら分かると思いますが、私のピアノのキータッチは強いです。特に自作を弾く時は独特の弾き方をするので一戸建てとはいえ近所対策が急務ということもありましたがようやくその工事を開始しました。

 

Img_1181

 

といつても主にドアと窓部分中心で、あとドア側の壁に追加のパネルを壁の強度と防音を強化するために張りました。。音漏れの8割くらいは窓とドア対策で何とかなる、といわれますが、勿論プロスタジオ程のレベルではありません。

 

そして昨日それが完成

 

Koji1

Koji2

工事終了後に試弾

 

結果は音が完全に消えているわけではありませんが、(外からでもピアノを弾いている、というのはわかる)しかし外に対しては騒音というレベルの音量にはなっていないと思います。

 

工事業者に聞くとだいたい- 50dbくらいは落ちているはずだ、といいます。

 

うちは一戸建てですのでまあその範囲なら許容範囲といっていいと思います。

 

試弾はかなり激しい音が大きくなる曲を弾きましたが、たぶんどんな曲を弾いているのかというのはわかると思いますが、近所迷惑というところまでは近所によっぽどウルトラ神経質の人がいない限りたぶんなんとかなるとおもいます。(うちの近所にはたぶんそういう人はいません)

 

勿論このレベルですとレコーデイングブースとして使うのは厳しいとは思いますけどね。

 

まあ贅沢はいえません。まあ何かで大儲けできれば(!?) プロスタジオの遮音で高級ピアノを弾く環境ができる、といいですが果たして??

 

 

 

3月 28, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2015年3月11日 (水)

東日本大震災から4年ー祈りの日と音楽で震災を語ることについて

今日はいうまでもなくあの日から4年経った日

 

とてつもない津波が東北地方を襲い未曾有の被害を出した東日本大震災
私の周囲で東北でチャリテイーコンサートをやっている人間がいるが彼らから入ってくる情報だと復興は全く進んでいない。

 

津波で生徒14名が犠牲になった閖上(ゆりあげ)中学校 取り壊しが決まっているが4年間放置されたままの音楽室のピアノが痛々しい。現在このピアノをどこかで行かせないか相談を受けているが、実際のモノをみてみないとわからないがホコリをかぶり、4年もの間放置されていたこと、海水を被った可能性もあればかなり厳しいコンデイションになっていると推察される。いずれにせよ移動するだけで費用がかかるので支援団体による費用捻出が必要だろう。

 

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また福島原発の実情を見ると事態は寧ろ悪くなっていることがわかる。実際に昨年の10月だが現場で実際に作業していた人の生の声が掲載されている。

 

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=258305920983690&id=100004128522276&pnref=story

 

これを見る限り安部首相が原発も放射能もコントロールされている、というのが大嘘であることがわかる。

 

そして今日のこの日。

 

この大震災に対して音楽家として何か表現しなくてはならない、という思いがずっとあった。しかしこの深刻な状況、一向に進まない復興、のことを考えるとどんな音楽のフレーズも薄っぺらで表面的なものに感じてしまう。とてもそんじょそこらの音で表現しきれるものではない。

 

そんなことで今日の私にできることは午後二時四十六分に黙とうー祈ることだけである。もどかしい

 

「ここは日本から捨てられたとこなんだよ」 ーNHK特集ドラマ LIVE! LOVE! SING! 生きて愛して歌うことより

 

 

 

3月 11, 2015 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年12月 5日 (金)

ピアノの弦が切れましたーそして本日修理 その他ピアノの音質の問題解決

実は今から二週間前、ピアノの練習中に突然「ガシャーン」という大きな音がして、最初は何か大きなものが落ちたか、倒れたかしたのかと思いました。

しかしそういう様子は何もない。、変だなと思ったらピアノの低音が変だ。

蓋をあけてみたら..

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何とピアノの低音Cの弦が切れてました。実はよりによって連休中、だったわけです。

それでもお仕事でもおつきあいのあるカワイさん、すぐに来てくれました。

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とはいえ弦は工場から取り寄せなければならず、その日は応急処置のみでピアノのハンマー保護のため最下のC音の鍵盤は音が出ない状態にしています。少しへこんでいるのがおわかるになるでしょうか?

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面白いことにペダル踏むと勝手に上下に動くので「オバケ」状態です(笑)

まあ最下のCなんて19世紀の後半から一般的になってきたから、ベートーベンのソナタとか弾く分には全く支障がありません。普通のジャズスタンダードも殆ど問題なく弾けるので自作品を弾く以外はそれほど影響ありませんが、やはりないと気になります。

それにしても高音の小さい弦はなく一番ぶっとい低音の弦が切れるとは(汗)

まあ私の新シリーズの作品はバルトークのようなピアノをパーカッションのように(自分の場合 正確にはドラムのように弾く)ところがあるのですが、バルトークでさえピアノの弦は切ってないでしょうね。(汗)

そう、実は まさに自作品「ロックンロールソナタ」を弾いているときにそれは起きたのです。

ロックし過ぎてやっちまった、でしょうかね?(^^:)

結局調律師のスケジュールもあったのですが、実際に変わりの弦が来たのは二週間後の今日でした。(汗)
理由はわかりませんが工場の方でもだいぶ時間がかかったようです。

修理作業開始

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作業工程

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2週間ぶりに低音Cの弦が復活。

おかげさんでこれで自作の練習がまた可能になりますが

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実はこれ以外にかねがね気になっていたことがありました。

実は前々からある特定のキー(音) に少し雑音(共振音?) が聞こえるので実際に自分で弾いて確認してもらい対処してもらつてます。

そして原因がわかりました。

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設置時にペダルを支える棒の固定が少し緩かったことが原因で雑音が出ていました。

きつく固定したら雑音がなくなりました。
ピアノというのは本当にデリケートな楽器なのです。ちょっと一か所調整がまずいとこういうことが起きるんですね

とにかく解決してよかったです。

調律も近日本格的にやります。

私がどれだけ激しい演奏をするか、ご興味ある方は先々月の私のライブ(ハロウイーンなのでドラキュラに扮装してますが(^^;)) をご覧ください。



12月 5, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年10月 1日 (水)

スマイルFM(朝霞76.7MHZ)「わんにゃんミュージックオアシス」出演の収録をしてきました。

本日は久々にFM番組の収録のために埼玉県朝霞市のスマイルFMのスタジオに行ってきました。FM番組はなんと3年前のFM戸塚の番組の企画運営をして以来なんと3年ぶり!!

10月31日の私のアートカフェフレンズでのライブでジョイントを組む「バジル」のボーカルShinoさんがパーソナリテイを勤めるわんにゃんミュージックオアシスの音楽とペットをテーマとした番組の収録で、Shinoさんは「犬猫の殺処分0を目指す活動」を勢力的に行っており、番組で犬や猫たちの命の重さを感じてもらえるような活動をされております。

そうしたこともあって私は2000年にビクターエンタテインメントより発売した愛犬と飼い主がいっしょにリラックスできるペットミュージックという作品を発表していますので、今回はライブのお知らせと合わせてそのご紹介も行わせて頂きました。30分の番組ですが内容が盛りだくさんの番組になったと思います。

オンエア日時          ;2014年 10月6日 午後八時半ー九時

FM朝霞スマイルFM  76.7MHZ (朝霞市、和光市、志木市。新座市のコミュニテイFM)

クリックしますと放送を聴くことができます→放送を聴く
音声 (64K)

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このペットミュージックは和太鼓のゆっくりとしたビートがワンちゃんを落ち着かせるということを発見し、それとヒーリングミュージックと組み合わせることによって、愛犬と飼い主がいっしょにリラックスできるような仕掛けを作っています。

ペットミュージックの簡単な説明がyou tubeで掲載されています。再生回数が2万回を超えるほど注目されています。

さらにご興味のある方は以下のページをクリックしてください。

大野恭史のペットミュージック

Relax

                           

ペットミュージック-リラックス(VICG-60258) 税込\2160

http://homepage1.nifty.com/hyb-music/pet.htm

スマイルFMは埼玉県の朝霞市、和光市、新座市、志木市の4つの自治体のコミュニテイFMですが、複数の自治体をバックに運営するというのは基本的に正しいやりかただと思います私の地元にもかつてFM多摩J-windがあったのですが閉局してしまいました。やはり1つの自治体でコミュニテイFMを支えるのはいろいろと無理があると思いますね。実際私もコミュニテイFMの番組を制作して肌で感じたことです。

埼玉県の人は少なくとも東京の人間よりは結構ラジオを聴いているらしいのは埼玉のNack5(79.5MHZ)が高い聴取率を誇っていることからもわかりますので、今回の収録には期待しております。

番組ではほかにワンちゃんと音楽に関する話題として、一昨年作った"So Happy Dream"流されました。

この曲もおかげさまで好評です。

あと今月末のライブの紹介のために前日のアートカフェのセプテンバーコンサートで演奏した曲も放送します。'(ライブ録音のため音は悪いです(汗))

ピアノのための3つのリフ 第一リフ

ピアノのための3つのリフ 第二リフ

ピアノのための3つのリフ 第三リフ

収録後Shinoさんと記念写真 (^o^)/

Shino00

改めてShinoさん擁する「バジル」とのジョイントライブのフライヤーです。

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改めて私が出演するスマイルFMわんにゃんミュージックオアシスの放送日程です。

オンエア日時          ;2014年 10月6日 午後八時半ー九時

FM朝霞スマイルFM  76.7MHZ (朝霞市、和光市、志木市。新座市のコミュニテイFM)

インターネットサイマル放送

クリックしますと放送を聴くことができます→放送を聴く

よろしくお願いします


10月 1, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年8月 3日 (日)

私の近況とこれからー音楽文化のかつてない危機的状況における私なりの闘いについて

私ごとだが、来週にも子供のころから使っていたアップライト(写真ーアメリカBaldwin製)を手放し、新しいグランドピアノを家に入れる。

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理由は家庭の事情その他もあるのだが、先日の私の記事にも書いたように、ピアノソロのシリーズ作品ーそれもたぶん今までのどのジャンルにも入らない音楽ーを本腰で取り組むために予定外の出費だが、貯金をはたいて購入する。

今回これを整備するにあたり、父親の遺品や昔の私の所有物の多くを処分した。上の写真のピアノも子供のころから様々な思い出があるピアノではあるが、一方では今の私には郷愁に浸っている暇はない。過去を振り返るのではなくこれからの未来に向かってつきすすまないといけない。

なぜならこれから少なくとも10年の間、私が音楽家として作曲家としてどれだけの成果を揚げられるかで私の人生、人物の評価がほぼ決まるといっても過言ではないからである。

だから年寄じみた、オッサン的なノリの郷愁は私には不要だ。笑われるかもしれないが気持ちは実年齢の20年くらい若いつもりでやる。幸にして私は実年齢よりかなり若く見られるのでその気持ちにはなりやすい。

なぜなら私は今後10年仕事を続けるために2つの闘いを強いられることになる。老け込んでなんかいられない

1、自分との闘い

これは自分がどれだけの仕事、どれだけのクオリティの高い作品を創れるか、残せるかという問題。これは最終的には自分との闘いであり、私自身の問題なのでこれ以上は述べない

2.音楽文化存続の闘い

実はこれがもっとも大変な戦いになる

歴史的にみて今日ほど音楽文化が危機的な状況になったことはないだろう。それは単にCDが売れなくなったとか、音楽配信が頭打ちになったとか、そういう問題だけではない。もっと根本的な問題がある。

具体的には

(1)  音楽というものが昨今の問題として「軽い」それほど重視された存在でなくなっている点
「音楽が好きか?」と問われたら嫌いと答える人は少ないだろう。だが「音楽はあなたにとってどれだけ重要なものか?」というときちんと答えられる人はどれだけいるだろうか?昨今のメデイアやネットでの音楽の扱われ方を見ると音楽というのが非常に「軽い」存在として扱われているのを感じる。音楽を社会の中での価値を認める人というのが少ないように感じる。

(2)  それに合わせて音楽家という存在が非常に軽視された存在になっていること
1千万のスタインウエイを買う金がありながらプロの演奏家に「当然ボランテイアで演奏してくれるよね?」などと平気でいう輩がいたという。この件に関しては別記事でも書いたし近々また音楽家のボランテイアについて書くが、「技術」や「能力」を売る人間に対するボランテイア強要を始め、何か音楽家に対する敬意など微塵も払わず、音楽家を人間扱いしていない人が少なくない。こういう風潮からも音楽家というものがいかに軽視された存在であるかがわかる。

(3)  何よりも次の時代の新しい音楽の温床(サブカル的音楽)が今なくなっていること
そしておそらくはこれが最大の問題かもしれない。いつの時代でも音楽のアンダーグラウンドシーンでは次の時代の温床となるサブカルチャー的な音楽が存在した。今ではメジャーで当たり前のように使っているトランス系、ミニマル系の音楽もかつてはサブカルチャー的な音楽であった。しかし2000年代に入りそれに相当する音楽がなくなってしまった。これは非常に深刻な事態である。以前ここでも触れた新垣氏を始めとするアカデミズムの現代音楽は到底サブカルチャーとはいえない、(永遠のマイナーな音楽である) ポピュラー音楽のサウンド制作は実質80年代から進歩していないし、音楽の新しいエクリチュール(作曲技法)はミニマル以来新しいのは出ていない。

勿論、これは私一人でできる仕事では到底ない。だが私が一人の音楽家としてできることは少しでも自分の音楽によって、新しい音楽の息吹、音楽というもの価値、音楽というものの素晴らしさを一人でも多くの人が感じてもらう作品を創ることだけである。

私とFacebook等でつながっている人でそれぞれのやりかたで危機的な音楽文化の現状に対して何とかしようと考えている人たちが少なからずいる。そういう人たちに対しては私は同志だと勝手に思っている、(向こうは迷惑かもしれんがww) そういう人たちと何らかの形で協力できる余地があれば私はいつでも協力する用意がある。

このままでは20世紀末から21世紀は音楽文化の暗黒時代、になってしまうだろう。それくらい今の音楽文化は歴史上もっとも深刻な状況である。

長くなってしまったがそれが私の第二の闘いである。音楽文化存続の闘い

この大変な戦いをこれからしなければならない。過去のノスタルジーなどに浸っている暇などないのである。


8月 3, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年7月27日 (日)

今後の自分の作曲家、クリエーターとしての作品群

先程拙映画音楽作品の短編「この坂道」が短編ノミネート作品(入選作品)として参加したSkipシテイ国際Dシネマ映画祭での受賞結果が発表された。わが宮本とも子監督は残念ながら受賞にはいたらなかったけれど、他の短編作品が予想以上にクオリティが高い作品ばかりだったので仕方ないかなとも思っている。また手前味噌ではあるけど並居るクオリティの高い他の作品と比べてもそれほどそん色がない作品であり。今回のノミネートで映画監督として名乗りをあげたことになるので私自身はとてもよかったと思っている。何よりも大事なことはこれで「次の見通しがたつ」ということは素晴らしいこと。音楽でもそうだし、映画はなおさらだと思うけど「次の見通し」すら立たない人の方が多いんだからね。

とにかく映画の音楽の仕事は気が遠くなるくらいに地道な作業をしていかなければならない。私は久石穣氏のスタジオをよく使い、久石氏もかなり前から存じ上げているが久石氏が今日の地位をきづくためにどれだけ長い、遠い道のりをしていたかを知っている。今では映画音楽作家として映画の詳しくない人ですら知っているジョンウイリアムスやエンニオモリコーネも一日で地位をきづいたわけではない。何事もそうだが「ローマは一日にしてならず」なのだ。

映画音楽作品に関しては既に盟友監督となっている竹藤監督の8月30日公開の「傷女子」から短編「深夜駆け込み」そしてまだ不確定ながら10月の映画祭で上映される竹藤監督のリメーク作品が控えているし、あと詳細はいえないがアメリカ人監督との作品に音楽をつけることにもなっている。

このように映画音楽や劇伴音楽の制作は今後も続けていくし、まあどうせなら極められるだけ極めてみようと思っている。「ゴジラ」のテーマで有名な伊福部昭先生は80代まで映画音楽作品を作っておられた。私がその年齢に達するまでには数十年あるので、最低でもその年になるまでがんばってみようと思う。

では私は映画音楽専門の作家にこれからなるのか、というとどうもそういうことにはならない、というかさせてもらえそうにない。

昨年のコーセー化粧品コスメデコルテのヒーリングラプソデイー、の一連の作品。一応成功と思われたようで、かつて私が作家としてスタートしたヒーリング音楽の分野で複数のオファーが舞い込み現在その内容の詰めが行われている、かつていろんな理由で個人的に嫌気がさしてやめようとすらしていたのだが、どうも周囲がやめさせてくれそうにない。

総合すると私の音楽作品は基本的に次の3つの流れになりそうである。

1.映画音楽作品

基本的には劇伴音楽ー背景音楽ではあるが、副産物としてテーマソング、うたものを作ることもありうる。既にこの分野に関連して数曲うたものを作曲している。

2.ヒーリング音楽作品

詳細はまだいえないが、たぶん近々新作を出すことになるでしょう。結局「癒し系音楽」の作家という私の業界内イメージは消すことはできないのかもしれない。

3.ピアノソロ作品

一応プロで仕事しているので音楽制作、作曲はどれも「仕事」には違いない。映画音楽もヒーリング音楽も自分の作品ではあるが、「仕事」のために作っている。しかし自分のピアノ作品、とりわけインプロビゼーションや私独自の弾き方によるものは「仕事」ではあるもののどちらかというと「自分のために」作っている要素の方が強い。ここがクラシック系のピアニストと違うところだが、私が自作をピアノ演奏している時は自分を100%開放している時なのだ。今年のセプコンでもやるだろうけどね。特に今日本が集団自衛権の問題で戦争に巻き込まれる可能性が非常に高くなったので今年はいつにない危機感で参加すると思う。

尚、結果的に私のピアノソロ作品のいくつかが「ヒーリング音楽作品」になる可能性は否定しない。

勿論この3つ以外に突発でCM音楽その他を作ることは排除しない。またボーカリストやオーケストラ等の編曲、アレンジの仕事も随時やると思う。(実は1つ話が出ている) だが基本的にはこの3つの流れだろうな。

まあ何にせよ大事なのは続けていくことだ。継続は力なり、というのは間違いなく正しい。活動を続けるだけ続けて最後はどの立ち位置にいるか、それは神のみぞ知る。だ


7月 27, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年6月11日 (水)

私の昔の作品と「ヒーリング系」の作品、それと今後作曲活動について

ご存じの通り私は最近自分の作曲活動を劇伴音楽、映画音楽の作曲中心にシフトしているが、いわゆるメジャーシーンの作曲家として定着したのはヒーリングやアンビエント音楽の作家で1989年に発表した眠りのための"Sleeping Music"が最初である。

一応現在でもこのCDに収録されて一般市場に出てはいるのだが

Stress

ビクター Colezo! Best! ストレス解消(VICG-41168)
税込\1850

正直この手のCDではかなりのセールスを記録したといっていいだろう。(30万枚) また音楽ではいわゆるニューエージミュージックのような曲もあったが、基本はアンビエントー環境音楽を音楽療法的に特化した音楽である。今では誰でも普通に使っている「受動的音楽療法」なる言葉を最初に使いだしたのはたぶん私だと思う。昔の音楽療法の学会を始めとする音楽療法士といわれる人たちには「そんな種類の音楽療法は存在しない!!」などと怒鳴られたものだが.(笑).

だいたい2000年頃を境にメジャーメーカーが続々とヒーリングの分野から手を引いている中でこうしてまだ廃盤にもならずに残っているのは奇跡的ともいえるが、私自身もここ10数年はいわゆるヒーリング音楽なるものから精神的にも、そして当然ながら売上も下がっていることから離れていたのは事実である。だから正直昨年、コーセー化粧品の「コスメデコルテAQMW」の「ヒーリングラプソデイー」なるキャンペーンのための作品の依頼を受けた時も一瞬躊躇したのは事実である。結果的に好評だったのでよかったけど..

実はヒーリングものから私の心が離れたのは単に売れなくなったという理由だけではなく、いろんな事情がある。例えばヒーリング系をやっていると「スピリチュアル系」「ニューエージ系」の分野の人たちとの接点がどうしても出てくる。しかしこの人たちは多くの場合私にいわせればトンデモ系の人たちが多く、私はこの人たちとの接触にどうしても違和感を禁じ得なかった。同じことが音楽療法学会なる学会にもいえ、きちんとした科学として音楽療法を論じるのではなく、どちらかというとダレダレ先生の学閥とか上記の「スピリチュアル系」とか科学よりは宗教の世界に近く、正直全般的にこの分野の人たちと関わりを持つことが嫌だった。また個人的にこの分野ーとりわけ「スピリチュアル系」の人たちに酷い目にあった経験も何回かあった。

つまりひとことでいえば、ヒーリング系「スピリチュアル系」の人たち全般に非常に幻滅してしまったのである。私はある意味ヒーリングや音楽療法の分野では殆ど一匹狼だったといっていい。

そうはいっても結構長い間この分野の仕事をしていたために業界的には「癒し系音楽の作曲家」などというイメージが定着したため、結構この手の仕事が多く舞い込んだのも事実で例のコーセー化粧品もきっかけは8年前、その時が好評だったようなので昨年もさらに大きなプロジェクトで依頼がきたわけだ。

とはいえこのシリーズに関する情熱は長い間冷めてしまった点は否定できない。

しかし本日とある会社との打ち合わせでそれが変わる可能性が大きくなった。また別案件も実は出てきており、長い間「お蔵入り」だった音源を復活させられる可能性が出てきたし、新規の制作案件も出てくる可能性が高くなった。その会社とはかなり基本的な部分で私と方針が一致しており、いろんな意味で違和感なくこのヒーリング音楽の分野に取り組める可能性を感じた。

詳細はまだ発表できる段階ではないので本日はここまでしか書けないけれど、私の昔の作品の多くが私がかなり理想とする環境で復活できる可能性も出てきた。

勿論映画、劇伴音楽の制作の活動は今まで通り、いや今まで以上に続けるので、まあ私の作曲活動は今後映画音楽とヒーリング音楽の二つに特化されることになりそうだ。

勿論うたものを一切やらない、という意味ではない。機会があればやるし映画やドラマ音楽をやっていれば主題歌、挿入歌などという話も場合によっては出てくるだろう。

しかし長い間止まったいた私の仕事の流れが復活することになりそうである。昔の私の曲を知っている方にも朗報になってくれれば、と考える。

発表できる段階になれば当ブログにて告知します。


6月 11, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年5月28日 (水)

明るいお別れ会ードクター丸野廣を偲ぶ会

実はインターネット経由でかつて私のヒーリングシリーズ「サイコジェネシス【マインドコントロールミュージック)」の音楽の推薦文を書いて下さった精神科医師の丸野廣先生の訃報を聞かされました。葬儀は近親者のみの密葬だったらしく、先生にお別れをいえず悶悶とした日々を送っていました。

 

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丸野廣 1931-2014

丸野先生の経歴についてはこちらをご覧ください
http://www10.plala.or.jp/minamishinjuku/

丸野先生に推薦文を書いていただいた一連の私の作品

SleepDiet

これら一連の作品に推薦文を書いて下さりその後もいろいろとお世話になりました。

しばらくご無沙汰でしたが先日訃報を聞き急遽こういう恰好で駆けつけたのですが...

Kyoji052714

実は...

 

今日は「お別れ会」といっても気楽に楽しみながら「偲ぶ会」で喪服を着ていたのは私ぐらいでした(汗)

いかにも気楽でイージーゴーイングだった生前の先生の人柄を反映しています。丸野先生は精神科の先生ですがジャズの重鎮マーサ三宅さんに支持してジャズシンガーとしても活躍されたユニークな先生でした。

その先生にふさわしく、「湿っぽい」お別れ会ではなく半分飲み会といっていい「偲ぶ会」でした、会場の告知板もこんな簡素なものです。

 

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会場では丸野先生にまつわる詩の朗読会それと丸野先生と同じマーサ三宅門下生のジャズライブがとりおこなわれました。

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気楽で楽しい「偲ぶ会」という名のパーテイーでした。いかにも丸野先生らしいお別れ会です。

丸野廣先生は単なる精神科の医師だけではなく、音楽文化を始めとする文化に精通していました。私も先生とお仕事ができて心からよかったと考えております。

80を過ぎたときもとても80過ぎの老人には見えないほど若々しかった先生だけに残念です。

改めて心からご冥福をお祈り申し上げます

 

 

 

 

5月 28, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年5月13日 (火)

スタジオの液晶モニターTVがダウン!!、新機種購入で復旧

私の作業場スタジオにMAC用のモニター兼ケーブルテレビやビデオのモニターとして長年使っていたモニターテレビがあったが、昨日大河ドラマ「軍師官兵衛」を見ているうちに急に画面が落ちて音声だけになってしまった。居間の大型テレビもケーブルチューナーを使っているがこちらは全く異常がない、念のためMAC PROを立ち上げたが、一時的に移ってもすぐに画面が落ちてしまう。どうやら液晶自体が死んだらしい(汗)

仕事が一段落している時でよかったー(汗)

Old_display

液晶がダウンしたらもうお手上げだ。考えて見れば10年近く使っているから寿命かな (T_T)
保証期間などとっくに過ぎているしだいたい2005年モデルの商品で部品があるという保証はない。あっても取り寄せに時間がかかる、ということで新規購入を前提に関連機種を調べた。条件としては「20インチ以上でDVI-D端子とHDMI端子を備えたもの」で、できればビデオデッキ(なんとまだ持っていて使っていたのだwww!!) がつなげられるアナログ端子付き、などと思ったが、調べているうちにここ10年でオーデイオビジュアルの環境が劇的に変わったことを改めて痛感させられた。

もうMacのモニターにできてなおかつアナログのコネクターがある奴ってもうないことが判明。Apple専用機出ない限りDVI-Dとテレビ(特にBSとケーブル)が見たけりゃHDMIを中心に使うしかないようだ、いろいろ調べていくうちに結局オフィスの映像設備関係(DVD テレビ)周辺を総入れ替えするしかないらしい。もう腹をくくるしかないかな。予想以上の出費になる(汗)

まあそんなわけでいろいろ検討した結果、Princeton社PTFBIF-23Wを購入前のより画面サイズが大きいのでよかったかな、という感じ。

Newdisplay1

仕事には欠かせないPro toolsも動作確認、実は今まで推奨画面より小さい環境で使っていたのだが今度は前より大きいのでこれで少しは快適になります。まあ禍転じて福となすと期待しましょう。

Newdisplay_pt

ちなみにHDMIコネクターは付属品としてあるかと思いきやついてなかったのでまた買いに行かなくてはならない。もうハイビジョン仕様はすっかり社会的に定着してるはずなのでHDMIコネクターくらい付けてくれよと思うのは私だけ?

おそらくまだHDMIコネクターは単価が高い、ということで付属品にならないのだろうが、どちらにせよ今までケーブルのテレビも見ていたので、急きょ駅の電気屋(Bicカメラ)にまた直行、うちは高台にあり易から15分以上歩くのだが、今日は少なくとも3往復した。日頃運動不足がちなので今日は少しはいい運動になったか。

そんなこんなだHDMIコネクターを購入、接続して一応テレビもHDMI経由で見ることができて完全復旧。とはいえもはやHDMI経由でないとテレビや昔のビデオを見れないのでDVD/VHSプレーヤー (そう、まだVHS持ってるんです(汗))もHDMI経由で見ることにする。

Tv1

CNNを見ているときの感じ

Tv2

NHK 本日は大相撲5月場所二日目

それでこのPTFBIF-23W、画面は前より大きくなったし映像もキレイなんだが実は購入後、難点が1つみつかった。それは内臓スピーカーの音質の悪いこと。

まあいわゆる市販テレビではなくPCやMacのモニターを主要用途として設計されているから仕方がないといえばそうなのだが、隣にあるWindowsのノートパソコンの方が実は音がいい。このノートパソコンのスピーカーもかなり質の低いものを使っているんだけどね。

というわけでケーブルテレビを見る際にオーデイオについて何か考えないといけないかもしれない、正直ここまで音が酷いとは思わなかった。ただ懸念はHDMIの映像でオーデイオだけ別系統で出したとしても時間差が生じてしまうのではないか、と思うがそれは折々やってみて考えるとしよう。

取りあえず業務の環境はおかげさんで復旧。MAC Proの作業環境は寧ろ改善したといっていいだろう。

というわけでお仕事お待ちしております(笑)

5月 13, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2014年4月11日 (金)

昨今の日本の音楽ー世界の音楽状況に対するクリエーターの放談

いつもいいたいことは書いているつもりだけど今日は特に本当にいいたい放題書きます。
かなり表現もきついので、こういうのが苦手な人は決して読まないでいただきたい。

昨日こんな記事をみつけたけど
どうしてこんなに人気なの? EXILEが好きになれない理由
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140409-00000212-cakes-peo

まあたぶん「いいとも」のあとに入った「バイキング」などというどうでもいい番組のMCにAtsushiが入った云々のことをいっているんだろうけど、正直私にとってはどうでもいいことだ。「J-pop滅亡宣言」なる記事まで書いている私からすればEXILEファンには申し訳ないが「Atsushi 大好きなの」などと某女性ファンがいっても「あ、そう」

だから何?

ぐらいにしか思わない。

同じように当ブログで何回も記事を書いている佐村河内守にしたって、その事件の背景にある諸問題について述べているだけであって佐村河内守自身は私にとってどうでもいい。なんだかんだ能書きを記者会見で述べてもゴースト作家を使ったという事実は消えないし、私はゴースト作家の存在そのものに反対している。音楽業界からゴースト作家なるものをなくしたいが、ご存じの通り音楽業界は再発防止の対策を打ち出す素振りすら見せていない。

要するに今の日本の音楽の状況には全く興味がなくなったのだ。日本の音楽は世界的に見て「ガラパゴス」といわれるが、「ガラパゴス」だったら貴重な種の動植物が生息しているが今の日本の音楽に貴重なものなど何もありゃしない。尊重すべき文化といえるものなど全くないし、そもそも音楽文化を創るなどといおうものなら罵倒と嘲笑が待っているのが日本の音楽業界だ。作品にしたって「パクリ」しかなく創造性など欠片もない。こんな日本の音楽を「ガラパゴス」なんていったらガラパゴス島の人に失礼だ。

別にグローバリズムなどという言葉を持ち出すつもりはない。ていうか私はIT系やエコノミスト連中がいうグローバリズムなんて胡散臭くて嫌いだ。だいたい本当のグローバリズムなどというものをこの連中が理解しているとは思えない。こいつらの言い分みていると世界中が金太郎飴のように欧米と同じになることがグローバリズムだなどと考えているとしか思えないところがある。だからこんな連中と同類に見られるのは耐えられない。

しかしインターネットの時代は情報やコンテンツが国境に関係なく広がる時代だ。日本の音楽だって否応なしに世界中に流れる。そして私が頭に来るのは日本の音楽、-J-popも当然含むが、に対する嘲笑や軽蔑が世界中から聞こえてくるのがわかることだ。

日本人としてそりゃガマンならんね。

音楽に関して言えばお隣の韓国にすら日本のJ-popはバカにされていることをご存じか?

そんな状況だが、よく見ると日本だけでなく世界に目を向けても今の音楽文化は本当に危機的な状況にある。おそらく歴史上みてもこれほどまでに音楽文化が危機的な状況に陥ったことなどないかもしれない。

例えば昔はメジャーとインデイースが明確に対比関係にあり、インデイースはひどいものもあったが次の時代の音楽の息吹のようなものがあった。それが80-90年代にはサブカルチャーというものに発展し次の時代の音楽文化を育てる素地を作ったのである。今メジャーシーンで当たり前のように使っているトランス系やドラム’ンベース系の音楽もかつてはアンダーグラウンドなサブカルチャーとして発展してきた。

ところが、である。今その次の時代の音楽のサブカルチャーになりうるものがないのだ。見当たらないのだ。

あるのはアンダーグラウンドでも独りよがり、マスターベーション的な自己満足的音楽。サブカルチャーというレベルには到底発展しそうにないものばかりだ。例の新垣隆が属しているクラシック系の現代音楽もこの類の中に入る。

つまり今次の時代の音楽の息吹となるようなサブカルチャー的音楽がないのだ。つまりこのままいけば音楽文化は過去の遺産のみしか残らず文化としては死に絶えてしまうことになる。

クリエーターの端くれとしてはそれだけは避けなければならないと思っている。

これは音楽配信とか海賊版違法コピー云々という問題ではない。情報化社会がコンテンツに対する考え方を大きく変えたのは事実だが、結局魅力的なコンテンツにはネット時代だろうがなんだろうがファンはお金を払うのである。音楽配信の時代にパッケージは無用の長物だなどという人がいるが、そんな時代でもファンの人はちゃんとCDでもDVDでも買うのである。

ジャニーズ事務所はアーチストの音楽配信をしない。これはジャニーズが時代遅れだからではなく戦略としてわざとそうしているのだ。わざと情報をネットで拡散しないことで逆に価値を高めることに成功している。そして嵐のようにコアのファン層を巨大化させてCDやDVDだけでなくその他のグッズもファンに買わせて膨大な利益を稼いでいる。情報化社会を逆手にとった戦略であり、いわゆるIT革命論者がみれば地団駄を踏むようなマーケテイング手法だろう。

そして本当に音楽が好きな人、音に対してこだわりを持っている人は寧ろ音楽配信でダウンロードなどしない。グッズとしてではあるがパッケージも買うし場合によってはアナログ盤ですら買う。最近のマーケットの状況はまさにそれを示している。

つまり我々クリエーターは次世代のコアなファン層がお金を惜しみなくかけられるような魅力的なコンテンツを創造しなければならないということ。

そしてその答えは売れセンとか、何が流行云々という観点には絶対にないということだ。

私はそんなものは捨てた。というかそんなものに惑わされていたために結果的に90年代半ばから昨年まで20年近く失われた時代を過ごした。

昨年庄野真代さん率いる国境なき音楽団主宰のセプテンバーコンサートに二年ぶりに出た。一昨年は体調不良→緊急入院のために出れなかったのだがその時に自分の演奏スタイルを貫いた。友人の多くは感動してくれたが何よりも勇気をもらったのは初めて聴いた人からも「すごいよかった」という反応をもらったことだ。

 


昨年のセプテンバーコンサートで初演した新作「ピアノのための3つのリフ」

 

その時にふっきれた。あ、自分独自のスタイルに徹すればいいではないか。嫌いな人もいるかもしれないが、自分の音楽を受け止めてくれる人は確かにいる。

 

それ以来、日本の音楽業界連中のいう「売れセン」とか奴らのいう常識とかいうくだらん考えを躊躇なく捨てられた。そんなものに惑わされたから自分に失われた時間ができてしまったということを

 

今は映画劇伴音楽の仕事は1つの流れとしてやっているが、同時にいくつかの作品の構想が頭の中に次々と浮かぶようになった。こんなにいろんな作品の構想がわいたのは久々かもしれない。それがファンがお金を出してくれるような魅力的なコンテンツかどうかは音楽を聴いた人に判断してもらえればいいと思う。

 

まあそんな感じでピアノライブもやっていくだろう。お知らせにも書いてあるが明後日ライブをやりますので興味を覚えた人は是非会場にお越しください。日曜日の午後一時からです。

 

樹 紫苑 ;As We Wish" - Kyoji Ono & Milt Joint Concert

 

●開演 4月13日 13:00~(15:30 頃終了予定)

 

クラシックライブハウス Casa Classica
東京都港区赤坂3-19-9
オレンジボックスビルB1

銀座線、丸の内線「赤坂見附駅」
千代田線「赤坂駅」  いずれも徒歩およそ5分

●Music Charge 3000円(税込)
+ 1ドリンクオーダーをお願いいたします。
乳幼児:無料 小学生:半額

【ご予約・お問い合わせ】
赤坂カーサクラシカ  TEL: 03-3505-8577
http://casa-classica.jp/top/home.html/

 

 

 

contact@office-itsuki.com

 

 

 

4月 11, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (3)

2014年1月21日 (火)

佐久間さんの遺志を継いでー音楽文化を復活させようという流れを途切れさせてはならない

映画を始めとする映像業界も音楽業界も厳しい経済環境であることに変わりはないけど、音楽業界の現状は本当に絶望的でより深刻な状況といっていい。なぜなら映画もテレビ番組を始め少なくても業界として回っているが音楽業界はもう何年も前から回っていない、本当にごく一部を除いて業界の体すらなしていない。驚くなかれいわゆるメジャー契約しているアーチストでもアルバイトしないとやっていけないくらい酷い状況だ。

レコーデイング環境などメジャーでも殆ど宅録が当たり前の時代になっており、よりクオリティの高い音源を作るよりは「可能な限り安くあげる」ことが何よりも優先される。そしてメジャーの音源のクオリティは年々低下しており、最近はテレビ業界もあまりの音源のクオリティの低さにそっぽを向き始めている。

そんな酷い状況でもこの現状を改革しようなどという動きがレコード会社、大手制作会社から出てくることは殆ど皆無である。驚くなかれ、つい最近まで「音楽業界は衰退している」という事実すら認めようとしなかったのだ。

亡くなった佐久間さんはこの現状に異を唱え警鐘を鳴らした数少ない良心的な音楽プロデユーサーの一人だった。61歳はあまりに若すぎるけど、音楽文化を復活させようという流れを途切れさせてはならない、と微力ながら思う次第。

しかしそれには私自身がもっと力をつけなくては駄目だ。それもここ数年で嫌というほど実感したこと。今の状態でどんな批判しても負け犬の遠吠えの域を出ないからだ。

残された者がどれだけ佐久間さんの遺志を継げるか、これからが正念場かもしれない。
1クリエーターとして与えられた制約の中でいかに良心的な音楽制作を続けられるか、だろうと思う。自分なりに頭と体を使って創意工夫で乗り越えるしかない。


1月 21, 2014 日記・コラム・つぶやき | | コメント (2)

2013年12月31日 (火)

2014年に向かい 音楽業界云々よりはクリエーターとしての自分の生き方を構築

年末に入り大瀧詠一さんの訃報には本当にびっくりした。とともに偉大なミュージシャンの突然の逝去に残念な気持ちを禁じ得ません。改めてご冥福をお祈りいたします。

ところで当ブログ、私の音楽ブログについて「最近記事が減っていませんか?」なることをいう人がいました。確かに一時ほどは書いていませんね。でも別にさる筋から圧力とかあったわけではないですよ(笑)

日本の音楽業界の現状について「このままでは危機的な状況になる」と訴えてもう10年以上になる。当時は誰一人聞く耳を持つ者はいなかったどころか、業界関係者から袋叩きにあった、ある業界人には人格を傷つけられるほどの誹謗中傷も受けた。

しかし結果として音楽業界は私が予測した通りの酷い状況になった。当時私を批判、非難した人は現在の状況について私に対してどうコメントするか興味ないわけではないが、まあ今となってはどうでもいいかな、という感想だ。仮に現在あっても何だかんだ自らを正当化するようなコメントをするだろうし、まあそもそもそいつらが業界にまだ残っているかもわからない。

私が今彼らにいいたいことは、少々きつい一言かもしれないが

「早くお宅の会社つぶれてくれ。その方が音楽文化のためだ」 ということかな

でも私などがいうよりは佐久間さんが云った方がはるかにみんなが耳を傾けるだろう。

音楽プロデューサー・佐久間正英氏が語る「音楽業界の危機的状況」
http://blogos.com/outline/42056/

残念ながら日本では何をいったか、ではなく誰がいったかの方がはるかに重要なのだ

まあ私は勿論のこと。、佐久間さんにしてもミュージックソムリエ協会の鈴木さんにしても音楽業界ではまだ圧倒的少数派だ。でも少数派で結構だと思っている。

そして当ブログではだいたいいうべきことは云ってしまったし、結局10年も同じことを云い続けても、一向に音楽業界自体を改革しようなどという動きが業界筋で本格的に起きない現状では、もう云う方がはっきりいって空しくなってくるんだね。

それにここ数年気づいたのは、今の音楽業界の現状を嘆くより、その状況で自分はどうするのか、どうやって自分の作品を仕事をしていくのか、そこを私なりのやりかたで構築することにエネルギーを注ぐ方がより重要だ、ということに気づいた。勿論従来の音楽業界の常識、とやらに全くとらわれない形でね。

ということで3年前くらいからいろいろ仕込んできて、昨年、そしてもうすぐ終わっちゃうけど今年とまあおかげさんで一定の成果は収められたんではないか、と自負している。

要は他人は他人、俺は俺、で徹底しているわけ。他人を批判して何か変わるわけではない。実際10年やって全く変わっていないのだから

そんな中昨日の記事、のように自分がクリエーターとしてアーチストとしてどういう表現を世に出すか、これからの音楽作品、音楽コンテンツのあるべき姿は何か? ということに集中する方がよほど有効な業界の改革になる、と思っているわけです。

結局作曲家、クリエーターは自分の作品で主張しないとね。

とにかく何かを改革するにも私自身がもっと力をつけないといけない。でないと単なる犬の遠吠えに終わってしまう。まあ遠吠えを10年も続けていてそんなことをいうのは今更と思うかもしれないけど..

でも業界のトップがどういおうが、これから音楽ビジネスのいろんなことが根本的に変わっていかざるを得ない、これは事実だ。そしてその変化は誰にも止められない。

まあそんなわけで2014年も引き続きがんばっていきます。是非みなさんも応援よろしくお願いします

12月 31, 2013 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2013年9月28日 (土)

今後曲を作る上での作曲家としての私のスタンスー業界的観点より

業界的観点より、などというたいそうなサブタイトルをつけてしまったけれど
私はもう「売れセン」とか「おいしいメロデイをぱくる」とかそんな世界とは未来永劫関わりたくないと思っている。

今私が考えるのはとにかく「いい音楽」を作りたい だがそれは極めて抽象的な表現だ、ある人にとって「いい音楽」が別の人にとって「悪い音楽」というケースは十分にありうる。だけど「いい音楽」には1つ共通点がある。それは聴いている人の心に何らかのインパクトを与えること。多くの場合それはプラスの影響である。

例えばこのアーチスト、

 


Kraftwerk - Live in Concert

 

私はこのグループが好きだ。サウンドが好きだ。私が一時テクノ小僧になった原因はこのグループにある。YMOより先だった。このビートを聞くだけでノリノリになる。明らかに大きなパワーを持っている音楽である。

そうかと思うとこういうのも好きだ


Oscar Peterson - C Jam Blues

 

伝説のピアニストである。私は史上最高のピアニストだと思っている。

だがこの2つの音楽、少なくとも形式においては水と油である。実際テクノ好きでジャズが好きでない人も少なくないし、逆にジャズが好きな人でテクノを毛嫌いする人も少なくない。

だけど大事な点は音楽は形式じゃない。形じゃないという点

私はどちらの音楽も好きだ。どちらも聴いていて心が動かされる、それがどのジャンルの音楽だ、などということは私にとってどうでもいい。大事な点はどちらも文化として間違いなく残る音楽だということである。

私は文化としての音楽が好きだ

そして今後はそんな音楽を作り続ける活動をしたい、ただそれだけ。

だから日本の音楽業界から事実上離れた。愛想をつかしたね。はっきりいって

音楽とは音を楽しむという意味だ。
今音を心から楽しんでいる人はどれだけいるんだろうか?

一つだけはっきりしていることがある。

それは今の音楽業界のトップにいる人間で心から音楽文化を愛している人間はおそらくほとんどいない。ということ

実際音楽文化を心から愛していればあんなゴミ同然の音楽をどんどん作り続けよう、などという発想にはならない。

そういう連中が日本の音楽文化をダメにした。だからこういう連中とは私は関わりたくない。二度とね

今後どういう作品を作る機会があるかわからないけど、ここ20年くらいの音楽業界の悪しき習慣を断ち切り、自分が考える高いクオリティの音楽を作り続けることに残る音楽人生、全力で傾けていきたい。

少なくとも文化を作るクリエーターでありたい。

そう考えて今後の仕事に臨む所存である。

 

 

 

 

 

9月 28, 2013 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2013年9月13日 (金)

自分の縁、人脈、そして自分の音楽活動

私はあまり縁、とか運命というものは考えないようにしている。いや、昔は考えていた時代があり易学に傾倒した時代もあった。しかし結局アホらしくなってやめた経緯もある。

実は昨年から手掛けている海外向け音楽教材の関係で今やうちの主要取引先となった某楽器メーカーの音楽教材の制作部門に昔の知り合いがいる。それは取引を始めてしばらくしてからわかったのだが今日また新たなことがわかった。その楽器メーカーの国内向け教材を作っている会社のデイレクターが何と私の旧知の元V社のデイレクターだったことがわかった。

昔某V社で仕事をしていた時(一時は殆ど専属に近い形でV社中心に仕事をしていた)にいっしょに仕事をしていたんだけど、まさかこの仕事で再びつながることになろうとは...

一昨年末に問い合わせが来てから、昨年初めより一連の制作をしているけどこうも立て続けに昔の知り合いとこういう仕事で再会するとは、いくら音楽業界が狭いといってもやはり何か運命的なものを感じざるを得ない。
仕事をするところって案外あっさり仕事になるけど、仕事にならない事務所とか会社っていくらつついてもならないことが多い。だからやはり縁というのは存在するんだろうな、と実感する。今やうちの会社の主要取引先に実質的になったこの楽器メーカーはやはり縁があったのだろう。そうとしか思えない部分がある

そういうことがあったかと思うと実は決別もあった。夢たっぷりにスタートしてのだが、双方で話し合い、これ以上いっしょに仕事を続けていくのは困難という結論に達し、プロジェクトを見合わせた人間もいる。前回の仕事の途中で違和感を感じていたのだが、別にケンカ別れしたわけではない。双方お互い納得して円満にそれぞれの道を行くことになった。

そうかと思うと昔失敗した経験があるにも関わらずその仲間から相談を受け新たな案件が発生し、ひょっとしたら今度はうまくいくのでは? というものもある。一方では自分ではいい仕事をしているつもりでも自分で空回りして結果的に断念せざるを得ない案件もあった。(自分が昨年体調を崩した原因の1つはたぶんこれ)

要は結局人生なるようにしかならない

                         と最近思うようになった。

最近よくも悪くも自分の今後の仕事の方向性、人間関係がある程度整理されていく方向に動いているような気がする。個人的には非常にいい傾向だと思う。その中で自分にできることはその時その時の仕事、案件の1つ1つに自分が最善と信ずる仕事を1プロフェッショナルとしてやっていくこと。それさえ心がければ結果はついてくる、と感じるようになった。

 また先日のセプテンバーコンサート、久々のライブで自分の中でもある種、ふっきれた部分がある。自分の人生振り返ると、あまりにも多くの回り道をし過ぎた。若い頃の回り道は経験を積むという意味では重要だが、おっさんになってからの回り道はただの時間の浪費でしかない。

先日のライブをやってわかった。あ、自分は結局これに徹すりゃいいじゃないか、と。

今まで音楽業界の訳の分からない雑音にあまりにも惑わされ過ぎていた。それがいろんな迷いにつながり自分をも見失っていた。また自分が本来向いていない分野の仕事にまで手を染める結果になってしまった

しかし昨日のライブで自分のスタイルで十分に人を動かせる手ごたえを感じたので,, とにかく自分がにらんでいる道を今度は迷わず突き進むのみ、という結論に達した。

これからクリエーターとして成功していくためには視野も広くならないといけない。いろんなことも知らなくてはならないし、挑戦もしていかなくてはならない。しかしそれは自分の向いていないことまで無理してやらなければならない、という意味ではない。

 

最近になってようやく自分が何に向いていて何に向いていないのか、はっきりわかるようになってきた。そしてこれからは自分に向いていることしかやらないつもりでいる。

たとえば私自身、この仕事を始める時に正直やや躊躇はしたのだが、結局この仕事はむいていたんだろうな、たぶん

一昨日から急にアクセスが増えだしたコスメデコルテ関係の記事。
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/hybridmusic/2013/08/aqmw-252b.html

Healing_rhapsody

何かメデイアに情報が流れたんかね? 見た感じウエブのポータル系でもないし200程度だからたぶん地上波のテレビじゃない、FMラジオ系の可能性が高いかも。

まあ今の所「おまえの作ったのはひでえ音楽だ」(笑)かのような反応はかえってきていないのでまあ問題ないんだが、私は昔、音楽療法に関わったことがあるのでわかるのだが基本的に100人が聴いて100人が気に入る音楽だとこの世に存在しない。ベートーベンやモーツアルトのような名曲ですら例外ではない。それは研究していて実感したこと。

だからどんな反応がかえってきてもそんなに一喜一憂する必要はないんだが、商品や企業イメージを損なうようなものだとまずい。でも調べた限りではそういうレベルの反応はないようなので私にはそれで充分だ。

まあそんな仕事を続けて行こうと思っている

 

 

 

 

9月 13, 2013 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2013年9月11日 (水)

セプテンバーコンサートに二年ぶりに参加@アートカフェフレンズ

昨年緊急入院という事態が発生したために出演を断念せざるを得ませんでした「セプテンバーコンサート」(国境なき楽団主宰),ですが、今年はおかげさまで無事問題なく出演することができました。

場所は昨年演奏する予定だった東京恵比寿のアートカフェフレンズです。  http://www.artcafefriends.jp/

出演者は
1組目  ダブルドリブルさん
2組目  おおき まさとさん
3組目 大野恭史
4組目  大城杏花さん・大城梨花さん
5組目  新井千恵さん・室伏琴音さん

Ohno2

昨年の体調不良のリベンジとして参加させていただき以下の曲を演奏いたしました。

1. ピアノのための3つのリフ(新作)
2. Short Story
3. イン ア センチメンタル ムード(スタンダード=デユークエリントン)
4. Gotham City Waltz
  5.What a wonderful world (スタンダード)

その中で意外にできたてのホヤホヤの曲「ピアノのための3つのリフ」が予想以上の反響でした。殆ど書き下ろしの曲なんですが昨日来れなかった方皆さんにも聴いていただきたく動画をyou tubeでアップしています。

今回はたくさんの方にご来場いただき本当にありがとうございました。とてもうれしかったです。

1年半以上ライブから遠ざかっていたんですが、やはりライブはいいですね。スタジオばかり籠っているのはやはり精神衛生上悪い(笑) ミュージシャンはやはりライブしないといけないですね。

そんなわけでまた懲りずにこういう機会をもうけたいと思います。
その時はまたぜひぜひおつきあいのほどをお願い申し上げます. m(_ _)m

9月 11, 2013 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2013年8月10日 (土)

佐久間さんのショッキングな癌告知を聞いてー自分がもし余命僅かだとしたらどんな作品を作るかと思う

昨日拙ブログでも何回か記事で引用させていただいた音楽プロデユーサーの佐久間正英さんがブログにてご自身が末期の癌であることを告白された。非常に驚きショックを禁じ得ない

goodbye world
http://masahidesakuma.net/2013/08/goodbye-world.html

佐久間さんには是非お大事にしてほしいし、末期癌でも奇跡の復帰を果たした例もありますので同じことを祈るしかありません。彼ほど良心的な音楽プロデユーサーはそうは業界にいないし、今の音楽業界には必要な人と考えます。

私も昨年二回の入院を始め胆嚢炎も併発した、という点がありますので決して他人事ではありません。やはり我々は体が資本ですから..

佐久間さんはこれから「死」というものを見つめながら仕事をしていくと思われますが、考えてみれば私は今まで「死」というものに対してリアリテイを感じたことはありませんでした。昨年も最初の入院の時は今思うとかなり私自身は深刻な状況だったんですがそれでも「死」に対するリアリテイは感じませんでした。

しかし私もそれほど若いという人間ではありませんし、あと何年現場で仕事を続けられるかもわかりません。私の気持ち的には少なくともあと20年は現場で仕事するつもりではありますがそれも健康が許すかどうかは何ともわかりません。

もし自分の命があとわずかだとしたら自分はどんな仕事をするか、ということを考えますと自分はまだそれを残せるようなしごとをしていません。それを考えるとやはり自分が死ぬ前に絶対に完成させておきたい音楽作品を作ることをそろそろ本気で考えなくてはならないのかな、という気がしています。

世間はもう「お盆休み」モードですが、お盆の間に止まったままの「新しいサウンドコンテンツ」や次の自分の作品について本腰いれて取り組もうと思っています。

8月 10, 2013 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2013年3月22日 (金)

プロフェッショナルと真の意味の一流の人たちとはー自分の中の教訓を見て

今年度ももう10日を切りました。2012年度はおかげさまで久々に充実した内容の年度を過ごすことができそうです。4月からは昨年殆ど実質お留守になった「新しいサウンドコンテンツ」の推進も含め、現在進めている仕事の流れをより推進して行きたいと思っております。

今はその意味では大きな転機でもあるわけですが、実は6年前にも自分なりに「転機」と位置付けた時期がありました。結局その時に始めたことほぼ全てが失敗に終わったわけですが..

6年前も「転機」と位置付け多大なるチャレンジ精神をもって臨んだわけですが、今回と違い6年前は今思うと「手さぐり」や目に見えない部分も多かったような気がします。目標はあるにはあったのですが、その目標のために何をしなければならないか、どのくらいかかるのかといった点が全く不明確でした。

今の場合も勿論完全に見えているわけではありませんが、前回と違うのは「何をしなければならないか」についてはかなりはっきりと見えている部分ですね。それをやるのにどのくらいかかるか、についてはさすがにわかりませんが..

私は業界で仕事をしてそろそろ30年くらいたちます。はっきりいって失敗の連続でした。今思うと穴があったら入りたいくらいの恥ずかしいこともたくさんありましたし、作品としてもずいぶん稚拙な失敗作も多く作りました。それらの経験の中で今後自分が「転機」に臨む上で自分に対して2つの大きな教訓を自分に対して言い聞かせています。

第一二流以下の人間といっしょに仕事をしてはならない。必ず一流といっしょに仕事をすべき という点

まずここでいう一流とは、必ずしも「有名人」とか、「どこかで賞をとっている人」とか高学歴とかいわゆるメジャーレーベル所属とか、そういうこととは全く無関係です。

ここでいう一流とは、仕事の仕方、進め方が一流であること

進め方が一流の仕事ぶりとは

自分自身が一プロフェッショナルとして責任を持って仕事を進め与えられた条件や制限の中でもプロフェッショナルとしての最高の仕事を全うできる人。自分の仕事に対して責任とリスクをきちんと負うことができる人

いわゆる高学歴とかメジャーとか有名な賞の受賞経験者であっても必ずしもその責任を全うできる人とは限りません。

非常に残念な話ですが、いわゆるメジャーの人だったり、有名芸能人だったりしてもこの範疇にあてはまらない人に私は結構今まで会ってきています。

こういう人たちを私は一流とは呼びません。はっきりいわせていただきますと二流以下の人たちです。

こういう人たちと組んで仕事をしても決していい結果にはなりません

幕末の坂本龍馬は今我々が見れば、西郷隆盛や木戸孝允等の明治の元勲の多くと交流があったように思いますが、

実は龍馬が会っていた当時は木戸も西郷も別に有名人でもありませんし、藩の中でもそんなに高い地位にいた人物ではありません。でも坂本龍馬はこの二人を一流と見做しそして歴史を動かすことを行いました。坂本龍馬は人を見る目が本当にあった人です。

私もかくありたいと思っております。

第二の教訓として特定の人をけなしたり悪口をいうネガテイブなことしかいわない人とは決して組んではならない、という点です。

ネガテイブなことしかいわない人は周囲にマイナスのエネルギーをばらまいている人です。こういう人ははっきりいえば不幸、不運をばらまいている人です。

ネガテイブな発想からは何も生まれません。勿論現状を批判し、現状否定から出発することは時には必要です。

ただしその場合は現状否定のあとにチャレンジ、新しいものを構築、というプロセスが必ず必要になってきます。

ただ現状を否定するだけ、誰かのやっていることを批判するだけだったら誰でもできます。問題は現状を否定してその代わりにどうするのか、を考えることが重要なのです。

ネガテイブな人というのはそれができない人たちです。

またこういうネガテイブな人は問題が発生しても決して自分が悪いとはいいません全部他人のせいにすることが多いです、かくしてネガテイブな人からは他人に対する悪口しか出てきません。

でも本当のプロフェッショナルは決して他人のせいにはしません。自分がまかせられた範囲の仕事はプロとして責任をもって完遂します。それがプロフェッショナルのあるべき姿です

だからネガテイブな人と仕事をすると仕事がスムーズに運ぶことはまずありません。こういう人は業務の停滞を招き、周囲の足を引っ張る存在です。

この二種類の人たちとは決していっしょに仕事をしないことです。無理して仕事しても決していい結果にはなりません

なぜならこの二種類の人たちはどんなに高学歴であろうが、どんなに有名人であろうが、どんなに周囲からもてはやされる存在であろうが、二流以下の人たちだからです。

私が現在取り組もうとしているプロジェクトですが、非常に楽観的になれる理由の1つとしてこの二種類の人が今のところ見当たらない点です。これは非常にラッキーなことのような気がします。

今まで振り返ると私の周囲には二流以下の人たちがいっぱいいました。勿論それだけが原因ではありませんし、私自身の至らなさもありましたが、数々の失敗の一因にはなっていたような気がします。

来年度は自分の目標に向かってプロフェッショナルとしての仕事を全うし、すべてのことに最善を尽くしておそらくは私の人生にとって最後の「転機」となるであろう時期に臨もうと考えています。

3月 22, 2013 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2013年3月14日 (木)

「新しいサウンドコンテンツ」プロジェクトの再起動と新サイト立ち上げの準備

昨日一年間実質的に止まったままだった「新しいサウンドコンテンツ」のプロジェクトを再度動かすべく打ち合わせを行いました。

まだ実現できるかどうか不透明ではありますが、取りあえずは夏休みのテレビの特番の企画からスタートします。一応それを呼び水として将来的にはレギュラーのコーナーにまで発展するといいと考えています。

「新しいサウンドコンテンツ」といってもどんなものかわからないと思いますがそれは追々発表することとしまして、比較的時間的余裕がある現在のうちのそれの新しいウエブサイトの構築に着手しようと思います。

その「さわり」のようなものを「シャキーン」という番組でやりましたが、今度はより踏み込んだ内容にしようと思っております。

これは音楽、サウンドをテーマとしたものですが、単なる音楽の企画ではありません。また特定のアーチストや音楽作品をプロモーションすることが目的ではありません。

しいていえば全く新しい音楽コンテンツのコンセプトのプロモーションを目的としています。

といっても何をいっているのかわかり辛いと思います。
だからこそ、具体的な形を示すために地上波のテレビの企画に入れようと考えています。それには理由がありまして

1. 「誰もやったことがない(たぶん)」ことのため具体的な事例を示さないと一般の人にはわかり辛いこと

2. 「点から点」へのウエブだけでなく、地上波での露出での企画を通した方が波及効果が違うこと

新しいコンセプトを広めるにはウエブサイトだけでは不十分です。

ウエブサイトがあれば地上波テレビなどいらない、などという論調がいまだに根強いですが、ネットとリアルのメデイアをことさら対立関係で考えるのではなく両者をいかにバランスよく使っていくかが重要だと思います。白でなければ黒しかないという二者択一の発想では視野が狭く底の浅い戦略になってしまいます。

勿論この企画が実現できれば、の話ですが...

1つの企画を通すことがどれだけ大変なことか、私一人だけでは到底できないか、は一度経験していますのでよくわかっています。

だがここでどうこう話したところで雲をつかむような話にしか見えないと思いますので

まずは新サイト立ち上げてその内容をみていただいてから判断していただこうと思います。

1つだけいいますと、このプロジェクトは今まで私がやってきた音楽やサウンドに関するありとあらゆるノウハウを結集したものです。最終的にはこのメソードを使った全く新しい音楽作品を作るのが目的です。

それは新サイトの中身を見ていただければわかると思います。

できあがったらここで発表させていただきます。

3月 14, 2013 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年12月29日 (土)

音楽家の活動、会社の事業の「転機」の一年を締めくくって

ここ一か月、特にここ二週間は殺人的といってもいいほどの忙しさだった。そのためブログ更新もだいぶ遅れてしまったが,,

ようやく今日納品も済ませ、ようやく仕事納めができるようになった。ここ一か月はここ数年ないハードスケジュールで。恐ろしいほどの量の業務をこなした。 とにかくホッとした

今年は音楽家としても会社としても大きな転機の一年だった。2000年代中頃から続いていた一連のことに終止符をうつことができた、まだ「後始末」をしないといけないが気持ち的に終止符をうつということで気持ち的にもフンギリがついた。数年前か仕込んでてきた映画劇伴音楽を中心に作曲活動を行うという部分もまだ盤石とはいえないが、順調にシフトが進んでいる。

そして何よりも大きかったのは会社の取引先の中心に大手企業との定期的な取引を行える状態になったこと。これによって事業の柱ができたこと。

それ以外にももう1つ仕事の流れを作ることができた。これらのことが2000年代中頃から続いていたいくつかの件について終止符を正式に打たせるきっかけになった。その意味で大きな転機となった一年だった。そしておかげさまで業務はここ数年ないほど順調だ。

来年は今年できた流れを盤石にして、可能な限り拡大していくことを考えていこうと思っている、そうした仲で自分が考えている「新しい音楽コンテンツの形」というものを実現できれば、とも思っている。その意味で心の余裕が出てきた、といってもいい。

だがこの流れは今思うと二年前くらいから画策していたものであった。正直昨年度と一昨年度は非常にきつい時期だった、一時は廃業まで真剣に考えた。

だが一昨年、業績が芳しくない時期に清水から飛び降りる思いでボーカルブースを改造した..

結構多額な投資でもあったので心の中で格闘があった。

Studio0

Studio

しかし今思うとこの時にこれをやっていなかったら今どうなっていたかとも思う。これを取り入れコスト対応可能にしたから現在の状況になったともいえる。

今の転機に対する準備はこの時に始まっていたのだと思う。

そして今年、それを一応形にすることができた。

しかしまだ始まったばかりである。本当に大変なのはこれから

というわけで来年も現在以上に発展することを祈って今年の仕事納めをしたいと思います。

来年 2013年もよろしくお願いします

12月 29, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年11月 6日 (火)

制作会社の「営業」とそれにまつわるもろもろのこと

ここ数か月ほどおかげさまで多忙な毎日を過ごさせてもらっている。特に映画劇伴関係の仕事はかなり軌道に乗り始めているといっていいかもしれない。明日は東映教育映画の短編二本のMAを一度にやるため一日中MA室にいることになる。映画音楽をやっている人間でMA(マルチオーデイオ作業ーちなみにMAは和製英語)に立ち会う人間は私くらいらしいけれど、やはり自分の音楽が映像にきちんとはまるのを確認するまでが自分の仕事だと思っているので可能な限りは自分で立ち会うことにしている。

実は3年ほど前からこれに関しては水面下で動いていて今ようやくその成果が出始めているのだけれど、映画、ゲーム、その他の映像音楽、劇伴関係の仕事はそれ以前にも時々はやっていた。.しかし仕事の主軸にまで持っていくことはなかった。しかし音楽の分野としては自分に一番合っていると思うので音楽のキャリアが続く限りこの分野の仕事をし続けようと思っている。またそれ以外に久々に大手会社がうちの仕事のメインクライアントになりつつあり、一時は絶望的な状況だった営業状況も今大きく持ち直している。音楽不況とか言われている現状を考えるとありがたいことだと思う。

音楽制作の仕事を取るための「営業」はなかなかすぐには結果が出ないことが多い。忍耐力も必要である。しかし一方で仕事ができるようになる事務所や制作会社等は案外すんなり仕事になることが多い。そしてまた一方ではどんなにつついても仕事にならないところはならない。そういうところはどんなに働きかけても時間と経費の無駄になるから結果が出なければさっさと次を探す方が効率的である。私が映画関係やその他の業界関係の交流会にマメに顔を出しているのもそうした背景があるからである。成果の出やすい交流会に絞って顔を出せば結構成果は出るもんである。

音楽業界が非常に厳しい状況で、「これから悪くなることはあってもよくなることは絶対にない」という観点からそれに対する事業の面での対策をすべくここ5年くらいさまざまなことを手掛けてきた。はっきりいって大半が失敗に終わったけれど、その反省点を整理すると大きく分けて二点あるように思う。

1.必要以上に他の分野に手を広げすぎたこと

2.自分に向いていない仕事、自分本来の仕事ではないことに取り組んだこと

「もう音楽だけでは食えないかもしれない」という点で音楽とは無関係な分野に進出しようとしたこともあったし(あくまでコンテンツ屋として、ではあったけれど)、また自分本来向いていない「営業」や「プロモーター」の仕事もやった。そしてここ5年間で実感したのは自分に向いていないことはやはりやるべきではない、ということだ。

結局今の自分はある意味「原点に戻った」という状態で結果的にそれがいい方に向かっていると思う、もともと映像音楽はCMやVPと映画の違いはあるにせよ自分がクリエーターとしてスタートした分野なので現在の仕事は全く何の抵抗もなく取り組むことができる。私はマネージャーでもプロモーターでもない。私は制作現場で育った人間で骨の髄まで制作屋である。だからそれに徹するべきなのだ。

勿論制作屋にも「営業」は必要である。しかし過去「営業」を募集したが結局長続きせず結局は自分自身でやらざるを得ない状況が続いている。この厳しい音楽業界の状況の中で制作の仕事や音楽のプロモ^ションとかの能力に自信がある人ならいつでも募集しているけれど、まあそういう人間はそういないのが実態である。我こそはと思う人はいつでも受け付けますのでお問い合わせください

私の会社は音楽会社としてはウエブでの「営業」業界では「先駆け的」といってもいいくらいに展開してきた。音楽業界はご存じのとおりウエブに対しては現在でも非常に消極的な体質を持っており、よく私のサイトなどは音事協あたりから横槍を入れられたものだ。だから最近は面倒くさくて音事協から離れている。その成果もあってかウエブでの「営業」経由で2000年の中頃まではそれで一定の成果を上げることができた。ウエブサイトは一時は私の会社の「営業」係だったのだ。しかしワンクリック詐欺やスパム、ウイルス等の影響もあってここ数年はウエブ経由の「営業」は極めて低調になった、理由は私の会社のビジネスダイアリー記事をご覧いただくとして、その関係で「営業」の基本戦略を根本的に変えざるを得なくなったのだ

だがネットばっかりやっていると忘れがちだが、結局ネットのバーチャルな世界中心ではなくリアルな世界でどれだけ実績を収めるかというのが最も重要なことである。よくオリンピック選手がtwitterにつぶやいてメダルを取った事実を「ネットでつぶやいたためにメダルを取った」などというバカげたことをいう輩がいるが、彼らはリアルの世界でメダルを取ったのでネットとかtwitterとかは全く関係ない。ネットばかりみてリアルな世界に目を向けないと人間はどんどんバカになり、平気でとんちんかんなことを云ってしまう典型的な例である。

だから結局はリアル経由のつながりで仕事を取った方が、信頼関係を構築でき関係も長続きする。ネット経由でもそれが可能で勿論信頼関係を構築した会社も多いが、時々「人間関係」よりは「コスト」という数字何よりも優先するクライアントがいる。ベンチャー系、IT系にこういう会社が多いがいわゆる「市場原理主義者」がクライアントの時は多くの場合取引は長続きしない。そもそもビジネスをやったとしてもクライアント側が「数字」しか見ていないのできちんとした「人間関係」にはならないことが多い。正直いってネット経由でビジネスをしたクライアントでこの手のクライアントは決して少なくなかった。そしてその中で長くビジネスのつきあいをした会社は皆無である。

当たり前だが制作、というのはクリエイテイブな仕事であるためお互いの信頼関係、コミュニケーションというのは極めて重要である。当たり前だが人間と人間が仕事をするのだから、人間を見なくてはいけない。全部の会社がそうではないけれどベンチャー系、IT系の会社で時々こういう面をバカにする会社とかがある。でもそういう会社ってどうなのか、とも思う。なかにはそこそこ名の知れた会社でも「ブラック企業」の中にカテゴライズされている会社も少なくない。

というわけで現在の営業方針をしばらくは続けようと考えています。

 

 

 

 

 

11月 6, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年10月11日 (木)

作曲活動その他についてー劇伴だけではないです

ちょっとこれからまた激務モードに入りそうな関係でしばらくブログ更新ができないかもしれません。

先日の映画祭の記事にも見えますように私は今作曲活動を主軸だけでなく私が経営している会社も完全に劇伴制作関係にうつしています。これはここ数年やってきたプロモーターの仕事から事実上足を洗ったのと、その他いろんな事情があったのですが、劇伴関係を作曲活動の中心にしようと思ったのは実はだいぶ前の話ですが、本格的に動き始めたのはここ2-3年です。

実は私は元々CMや映像その他店内放送BGMの制作会社からクリエーターとしてのスタートを切りましたので、映画音楽の分野の仕事はいわば「本来の仕事に戻った」という感覚なので私からすればとくに目新しいことは何もないです。またここ2-3年本格的に動き出したとはいえ、それ以前にも映画や劇伴、ドラマCDやゲームの仕事は時々していましたから、別にかしこまって「劇伴中心に主軸を動かします」というほどではないんですけどね。

ただ私自身はある期間「ヒーリング音楽」「癒し系音楽」の仕事をしていた関係でそういう作家のイメージがやや定着してしまった感があります。しかしそれは私の作家としての一面にすぎません。もともと「ヒーリング音楽」を作曲しているときもこの分野だけの仕事をしようなどとは全く思っていませんでしたし、音楽療法の世界とかスピリチュアル系の人とかにかなり幻滅した経緯もありますので、実はこの分野から離れたいと思っておりました。

私はプロの作曲家としてのスタートは人より遅かったため、人よりは長く仕事をしようと考えています。劇伴関係に主軸を置こうとしているのも人より長く仕事をするための活動の1つで、先日の映画祭の話ではないですが、グラビアアイドルはせいぜい20代後半までしかできませんが、作曲の仕事ならどんな爺さんになってでもできる、というのもあります。ジョンウイリアムスなど今年80歳ですがまだ立派な現役ですし、まあ健康に問題なければその年までは何とか現場でがんばろうと思っております。

しかしだからといって私の活動は劇伴関係だけにするつもりは毛頭ありません。

というか私はまだ着手したとは言い難いある仕事が残っています。それは昨年「シャキーン」で少し実験しましたが、音楽コンテンツの新しい形の追及です。この仕事が業務その他の関係でもう半年以上ストップしたままです。業務多忙はありがたいことなのですが、おそらくまだ誰もやっていない新しい音楽の形を追求する、というかねてからの命題は何とか実現したいと思っております。その意味では業務多忙を理由にサボっていてはいけませんね。

というわけで今後の自分の活動を続けていきたいと思います。

10月 11, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年9月28日 (金)

怒涛の9月を乗り切って

今日で事実上9月が終わります。

twitter前の記事でも書きましたようにここ一か月あまりにいろんなことがありました。こんなにいろいろあった月はそうないのではないかと思いリストアップしました。

1.先月末から今月初めにかけてのイレウス(腸閉塞)での再手術、再入院

2.スタジオミキサーが突然電源部の故障でダウン(修理→接続取り外しと再接続→ランニングテスト)

3、業務超多忙による激務

  具体的には (i)  海外向け教材制作の修正及び追加作業(量が膨大)
          (ii) ウエブ用音楽レッスンコンテンツのファイルデータ制作
          (iii)  短編映画のフィルムスコア

            (前の記事にもありますように10月5日に上映会があります) 

特に3、ですが病み上がりで体調が万全でない時にこれだけの量の業務をこなしたわけですが、昨夜未明全ての業務の納品が完了しました。

まさに怒涛の一か月でした。

まあ3、の激務状況はありがたいですがの入院、2、の機材故障は願い下げですね。あまりにいろんなことがあった一か月ですが、取りあえず何とか乗り切りました。

週末は久々にゆっくり休ませていただきます。(^^)


9月 28, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年9月11日 (火)

緊急入院と業務多忙に関するつぶやき

実はさっき気づいたんですが、今日で退院してまだ一週間なんですね。

退院してから山積した業務に没頭した関係で、退院したのが相当前のできごとのように思えますが、自分自身セーブしているつもりでも結構ハイペースで仕事を続けています。 仕事は可能な限り滞らせたくはないですから

とはいえ、まだまだ100%には程遠い体調です。日常的な生活は基本的には問題ないですが、先ほどの記事のようにO2Rの修理のための接続解体→再接続→ランニングテスト、等の作業をやるだけでかなりの疲労感を感じました。体調のいい時はそんなのなんでもないんですけどね。

そんな関係でtwitterでもお知らせしたとおり、本来、緊急入院がなければ今日は毎年恒例に参加するセプテンバーコンサートのライブ当日だったんですが、緊急入院のおかげでライブ参加を断念せざるを得なくなりました。まだまだコンデイションがそこまで行かなかったんですね。2007年から毎年参加していましたが本当に無念です。

オーガナイザーでアーチストの庄野真代さんから「またよろしく、待ってます!!」と温かい言葉をいただきました。ありがたいです。真代さんには毎年本当にお世話になっているんですが、来年はきちんと健康管理をして今年の思いも含めて倍のエネルギーで臨ませていただきますので、よろしくお願いします。真代さん。

このライブの埋め合わせはそう遠くないうちにどこかで、と考えています。いくらスタジオでの作業、仕事がメインだとはいえ、やはり時々ライブをやらないとなんか「音楽家をしていない」感じがしますんで

現在通常の音楽制作業務以外に、作曲家としてはうたもの1曲、そして短編、長編等を含む3本の映画音楽の作曲案件を控えています。すでに1つは現在制作中ですが、一刻も早く体調を100%に戻したいと思っています。

それにしても同じ病気(イレウス)で一年のうち二回も入院する羽目になるとは...  私自身忸怩たる思いがいたします。

 

 

 

9月 11, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

YAMAHA O2R 修理

先週退院してから数日後、急にスタジオのデジタルミキサー YAMAHAO2Rがダウンしてしまい、使用不能になってしまいました。何回か電源のオンオフを繰り返し、騙し騙し使っていましたが結局、もう完全に電源もきちんとした形で入らなくなり、結局YAMAHAのサービスを呼んで修理依頼ーそして本日その修理が完了し無事に電源が入り、再稼働できるようになりました。

 

O2r

うちのO2Rは初期のモデルでもう16年使っていますが、まだまだスタジオの司令塔として機能しております。Macのpro toolsと同様に重要なものなのでまだまだ働いてもらわないと困るんですが、原因はその古いモデルのために電源部分の基盤のハンダにクラックが生じ、一部ショートしてしまったために起きた現象だそうです。YAMAHAのサービス側としてはよくある症状らしく修理はものの1時間程度で終了。

先ほど無事ランニングテストも終わり、スタジオ再開、という状況です。

O2Rがダウンしている間、pro toolをスタンドアローン状態で、ヘッドフォンしながらの作業を行っていました。それでもそこそこ何とかなりますがやはりヘッドフォンしながらの長時間作業は正直疲れます。病み上がりの身には正直、少々しんどかったですね・

それにしても、緊急入院退院のあと、ライブ中止、そして今度はスタジオのミキサーが故障でダウン、とどうもここのところよくないことが続きますね。ひょっとして呪われている? などと思わないでもないですが...

まあとにかく問題なく直ってよかったです。

 

 

 

 

9月 11, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年8月17日 (金)

ブログ記事を書く意味について

すでにご存じのとおり私は2つのブログ記事を書いている。いわゆる典型的なブロガー、しかもかなり重症なレベルにまで来ている。

■Kyojiの音楽ひとりごと(当ブログ)
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/


■Kyojiのよろずひとりごと
            
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/

しかし書いているうちに何のためにこんなことをしているのだろう、という迷いのようなものも自分の中にあった。ひどい時は2日に一度くらいの頻度で書いていた時もあった。

そんなに書くのは「ヒマ人」の証拠ではないか? とも思った。特にこのことによって私自身が特に嫌悪するネットの「バカでヒマ人」と同類に思われてしまわないか?

そういう懸念をなかなか払拭できなかった。

しかし今日友人がブログでそんな懸念は実は杞憂であると思わせてくれる記事を紹介してくれた。

内田樹氏の著書「期間限定の思想」からの一節である。

僕が毎日沢山のものを書くのは、基本的には理解したいからなんです。なにか自分に言いたいことがあって、それを皆さんにお伝えするためではないんです。たとえばあるニュース記事に違和感をおぼえるとします。とりあえず、パソコンに向かって、それについてだらだらと書いていくうちに、自分が違和感をおぼえたみちすじというのがわかってくる。最初から何か「意見」があって書きはじめるわけではないんです。じつは書き出す前は何もわかっていなくて、最後まで書いてみてやっとわかる、そういうものってあるじゃないですか。
それがぼくにとってはひとつの「おはなし」なんです。
その「おはなし」を書かなければ、僕はそのことについて理解できなかった。「おはなし」を通じて自分が何かを知ったということです。書くというのは、自分の内面にあるメッセージを伝える、というのではなく、自分が何を考えているのか、ということを確認する作業なんです。自分が間違っている時は、文章に書くと変なんです。だから書くということは自己発見・自己修正のための大事な手続きだと思います。
(同書251ページより)

なるほど と思った。

 

 

 

自分が何のため書いているか、といえばやはり「自分の考え」をまとめる意味の方が大きいことにこの一節は気が付かせてくれた。


そもそもなぜブログを2つに分けているかといえば、■Kyojiの音楽ひとりごとは主に音楽業界を初め音楽関係の記事、当然ながら専門的な話が多く、音楽業界その他に対して一定の理解を持った人でないと理解が難しい記事が多い。

もう1つのブログ■Kyojiのよろずひとりごとは社会ネタや他愛もない日常の記事。

だがいずれも「人に読ませるため」に書いたものではない。勿論ブログ記事として公開はするわけだから人が読むことを想定はするけど「人のために書いている」のではなく「自分のために書いている」ー、もっといえば「自分の考えをまとめるために書いている」という方が正しいかもしれない。

これは女性の皆さんがブログを書く場合と大きく異なるかもしれない。だが私はそのために書いている。

■Kyojiの音楽ひとりごとは今や存続すら危ぶまれている音楽業界、や音楽文化の現状について書いている。いうまでもなく問題がありすぎるし、その問題も解決方法の目途すら立っていない。はっきりいえるのは今や音楽文化といえるようなものがない、といってもいいほど現代の音楽文化は目を覆うほどの惨状である、という点である。

そして社会ネタ等を書く

■Kyojiのよろずひとりごと
にしたって現代の日本があまりに多くの問題を抱えすぎているという現状を見るとそれに関する記事も書くだろう。今の日本は政治家は勿論のこと、官僚、財界、-いわゆる日本のエリート層といわれている人たちによって構成されている組織がどれも機能していない
そしてこの人たちは現代の日本を明らかに間違った方向に導こうとしている。

原発をはじめとするエネルギー政策、TPP  教育 医療

こうした現状に対してやはりきちんとした考えを個人個人がまとめるのはこれからは重要であると考える。マスコミや政治家、その他の情報を鵜呑みにして「思考停止」に陥るのは極めて危険な状態である。

特に最近感じるのは、日本人は理屈よりもイメージや外見にとらわれやすい、という点である。これは非常に危険な兆候である。

その意味でも「自分の考えをまとめる」内容のあるブログをみなさんも書くことを私は推奨したい。

私の昔の記事には確かに無駄な記事も多かった。その点はこれから気を付けたい。

あまりにも問題がありすぎる現代だからこそ「ブログ記事」で自分の考えをまとめるのは重要なことになる

 

 

 

 

8月 17, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年7月29日 (日)

音楽大学への進学と実際のプロフェッショナルの仕事

実は現在中学一年生の娘の進路について悩んでいる。

私自身は最初からそんな意図はなかった。寧ろ私自身などは最近の実情を知りすぎているだけにあまりこちらの方に進んでほしくはなかったのだが、娘は音楽大学付属高校のピアノ科への進学を望んでいる。

とはいえいわゆる音大がよくやっている「子供のための音楽教室」などには今まで参加したことはなく、町のピアノ教師に「おけいこ」レベルのピアノレッスンを受けていた程度だが、本人の強い希望で無謀とは知りつつ、とある音大の「夏期講習」に参加している。

まあ実際行ってみて自分がどれだけ周囲と力の差があるのか、を実感するのもいいだろうと思い参加させたのだが、いずれにせよ今後本人とはじっくり話し合わなくてはならない。今から音高に行こうものなら今までの生活を根本から変えなければならず、しかも音大は入ってからの生活もきつい、そして何よりも卒業してからはもっときつい。私はその事実を知っているからあまり行ってほしくはないのだが...

とはいえ、私も自分が子供のころを考えるとあまりえらそうなことをいえない。だから困っている。
私はピアノ科や器楽などの「演奏家」ではなく最初から「作曲科」志望である。実は「作曲科」は楽理科なんかもそうだが、「演奏家」などと比べると結構いい加減な学科である。
勿論、和声、対位法、管弦楽法とやることは結構あるのだが、最終的には本人の元々もっている能力に依存する点が大きい。

実は高校3年の初めくらいは大真面目に芸大の作曲学科を受けることを考えていた。しかし結局やめて普通の大学に進学した。理由はいろいろあるが「アカデミックな作曲教育」というものがどうしてもなじめなかったのである。加えて今はそれほどでもないが、当時の音大ー特に芸大ーはポピュラー音楽に対して強い偏見を持っていた。当時すでにプログレシヴロックにはまっていた私は、教師や芸大関係者に眼下でプログレ、やロックそのものを否定する言動に接したのである。これは私にとって到底 受け入れられるものではなかった。そしてこういう人たちと今後4年間付き合うことに耐えられる自信がなかったのである。

そして普通の大学に入った。不思議なことに普通の大学に入っても自分が作曲家になるという目標は少しも揺るがなかった。むしろ強くなっていったかもしれない。大学に入ってバンドに参加したりして自分で作品も書いて、コンクールとかに提出したりして(全部落選したが) 結局は知人の紹介で青島広志という作曲家の門をたたいた。傍から見たら変な学生に見えただろうな、と自分でも思う。そして社会人になりいったん普通のサラリーマンを経験してからBGMやCMを作る会社に移籍しプロのクリエーターとしてのスタートを切った。

それからもう四半世紀と数年、おかげさんでまだ一応プロとしての仕事は続けられている。プロの作曲家、編曲家になればどこの音大出たなんてのは全く関係ない。プロの仕事人として何かできるかどんな実績があるのか、の方がはるかに重要なのだ。制作会社も広告代理店も基本的にはそこしか見ない。 芸大出たから仕事がバンバン来る、といった甘いもんではないのだ。
その意味で作曲家というのはアカデミズム的な観点からみれば非常にいい加減な分野の職業なのである。そしていい加減だからこそクリエイテイブな仕事ができるのだ。芸大を主席で卒業しようが、アカデミズムでがちがちになってしまうと柔軟性に欠け、作家として融通の利かない人間になってしまう。それでは真の意味でクリエイテイブな仕事などできない。多額の投資をした結果、クリエイテイビテイという面ではむしろ能力に乏しい人間になる可能性が高くなっているのが現状だ。(アカデミズムな考え方でがちがちになると、、アカデミズム的な手法から少しでもずれると「シロウト的」と彼らは決めつける。だが多くの場合はその考え方がプロフェッショナルな仕事をする場合に障害となる)

演奏家でもプロになると事情は似たようなものである。但し作曲家と違い演奏家の場合は専門教育をきちんと受けないとなかなか難しいのは事実だ。但しどこの音大出た、なんてことは基本的に関係ない。問題はプロフェッショナルとして仕事しやすい人かどうか、演奏家としての腕がいいかどうか、である。
私は結果的には音大出身者とよく仕事をするが、やはりプロフェッショナルなアプローチできちんと取り組んでくれる演奏家を優先して使う。なぜならそういう人と組んだ方が現場がスムーズに動くからである。

うちの娘がそういう人間になれるか、ちょっと親としては正直疑問なのだが...

何にせよ現実をよく知っているだけに、できれば考え直してほしいのだがかといって変に親が夢をこわすのもいかがなものか、という考えもある。自分もそうやって現在の道に進んできたという背景もあるので.............  難しいところだ。

まあじっくり話し合いながら進めていくしかないか、とも思う

7月 29, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (1)

2012年7月22日 (日)

昨今の風潮と自分の状況を鑑みて作曲家として、クリエーターとして思うこと

昨日も映画交流会とかに参加したが、私の今後の作曲活動の内容をより充実したものにしたいと思っており、そのための戦いには終わりはないと思っている。

何のためにこういうことを続けているかというと私の今までの作曲家の人生に関して自分でも大きな問題があると考えているからである。私はプロとして仕事を初めてもう四半世紀をとうに越している。その間いろんな現場を経験し、ノウハウの多さ経験の幅広さについては人には負けない自負がある。

しかし仕事の数はこなしてはいるものの、まだ「これだ」という仕事はしていない、できていないのである。 まだ何の仕事もしていないのに等しい。

いくつかの仕事についてはwikiの個別のページに私の名前は乗っているものの大野恭史といえばこういう仕事をした作曲家、というのがない。 そのため今それを確立すべくここ数年格闘しているというのが現実

今思うと穴があったら入りたいほど恥ずかしいが、私が「作曲家」というものを意識しだしたのは10歳くらいから。小学校の低学年は年がわかるがGSブームだったのでGSや歌謡曲を普通の子供らしく聞いていたが父親がクラシック好きだったことから、毎日のようにクラシックを聴かされいつのまにかクラシック少年となっていった。それによりモーツアルトやベートーベンの曲に親しみ、自分もこういう作品を残せる「作曲家」になりたいなどという、いかにも子供らしい憧れを持ったものだった。

小学校高学年から中学校までアメリカにいたのでアメリカのロック音楽やR&Bには自然になじんではいたものの、まだ基本的にはクラシック少年であり続けた。転機が訪れたのはクラスメートが持ってきたピンクフロイドのアルバム「おせっかい」を聴いた時である。

この音楽を聴いた時に後ろから頭をガーンとなぐられるような衝撃が走った。

「こんな音楽は聴いたことがない」

それがプログレッシブロックの私との出会いだった。同時に私が音楽の道にはずれるきっかけを作った音楽だった。それからピンクフロイドだけでなくキングクリムソンELP イエスといったバンドの音楽に傾倒し、クラシック少年はシンセ小僧に変貌した。

そのあとリターントウフォアエバーやバッドパウエルといったジャズにも傾倒した。その時に学んだのは よい音楽は様式に関係なく存在する。 ということだった。

実際これらの音楽は今聴いてもそうだが、心が揺さぶられるというか一度聴いてもまた聴きたくなるような衝動にかられる音楽である。

よい音楽、歴史に残る音楽というのはジャンルに関係なくそういうものである。

しかし実際にプロになると、音楽を楽しむということ以外にビジネス的な観点もどうしても出てくるから、ある意味「音楽をする」というよりは「仕事をこなす」ような状態となる。そうしてだんだん初心というものを忘れていくのである。

しかし我々プロの音楽家はとりわけここ10年余りに「音楽文化の創造」という面でどれだけ貢献してきたか甚だ疑問である。とりわけ2000年以降に生まれた音楽で後世から語られるような音楽作品は今殆どないのではないか、と思うのだ。最近はカバーが全盛だが2000年以降に生まれた曲が後の時代でカバーされるなんてことが起きるだろうか? あっても片手に数えられる程度ではないだろうか?

「残るために曲を作る、と考えるのはナンセンスだ」という人がいる。歴史のみがそれを決めることができる、と。そうかもしれない。だが自分の仕事が後世から語られるようになってほしいと願うことは別におかしなことではないのではないか?。少なくとも残るようないい作品を作るというスタンスは作品のクオリテイを保つ意味でも今の音楽に必要なのではないか? と思うのだ。そう願うことは道義的に悪いことであるはずがない。

残念ながらこのままいけば2000年以降音楽文化にとって暗黒時代である、と後世からいわれるのはほぼ避けられないだろう・

今ネットの状況を初めCDが売れない、とか音楽のビジネスモデルが破たんしているとかいろいろいわれているけど問題の核心はむしろそちらの方にあるような気がする。とりわけ今の10-20代の若者で音楽によって人生が変わった、心を揺さぶられるような音楽体験をしたという人たちがどれだけいるだろう?

音楽によってそういう経験を持たない人々に音楽を大事にしろ、クリエーターに敬意を持て、といっても馬の耳に念仏なのではないかと

その責任は間違いなく今の音楽業界や我々プロの現場で仕事をしている作曲家ークリエーターにある。

 

 

 

 

こうした状況で私はどういう仕事ができるか。いろいろ頭の中に考えはあるがそれらの仕事が音楽の暗黒時代に何とか終止符を打たせるようなものであれば、と考えている。むろんうまくいく、などという保証はどこにもないが...

 

残りの作曲家人生。そのための仕事に専心したいと思っている。

 

7月 22, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年4月10日 (火)

原点にもどってー制作屋にもどって正解と実感する今日この頃

今から5年前から昨年末くらいまで、「音楽業界の変化に対応」という名目でいろんなことをやってきて私の本来の仕事でないものを数多くやってきた。しかし何でも経験という若い頃ならともかく人生の勝負をかけようか、という人間が自分に向いていないことなどやるべきでない。そのことを昨年の後半辺りから嫌というほど痛感してきた。特に自分は制作屋であってマネージャーでもなければプロモーターでもない。今さらながら「営業」は私が最も苦手とする分野の仕事だということを実感する。それを5年前あることがなりゆきでやらざるを得なくなってしまった。しかし結果としてそれは大失敗だった。

そしてもうこのことを精算していい時期だ。


 自分は制作屋である。クリエーターであり職人である。職人はやはり営業苦手なのだ。そしてもう私の年齢になったら苦手なことはやるべきではない。

 自分は作曲、編曲、デイレクター、サウンドエンジニアからマスタリングやオーサリングを含むCDやDVDのパッケージの工程等には自分でいうのも何だが自分はその各分野に精通して内容も熟知している。そこが私の戦場であり、私が勝負すべき分野である。この仕事をやれば誰にも負けない自負がある。人生の勝負は自分の得意分野で行なうべきだ。だからこの範囲から逸脱すべきではなかったのである。

 これから制作屋に徹しようと昨年末に考え始めてから、いろいろ紆余曲折もあったが、今のところ順調に物事が動き始めている。昨年やろうとしたことで目標どおりにならなかったものもあるが、それはまた再挑戦すればいいだけのこと。自分が昨年始めた新しいサウンドコンテンツのありかたについては引き続き取り組んでいく。誰もやっていなかったことだからそう簡単にできるはずなどない。どんなに時間がかかろうがこれだけはやってしまわないと死ねない

 昨年まで自分がマネージメントのまねごとをしていた娘は、今後の自分が昨年より始めた新しいサウンドコンテンツの企画(実はNHK以外にも企画がある)の中ではめこむことができればはめ込むし、今後の制作案件で歌モノが必要になるケースも出てくると思うのでそういう場合に起用を考える。でももうプロモーターはできない。やるべきではない。自分は本来その仕事ではないし、自分で向いていないことも嫌というほどわかっている。

 とにかく現在の制作案件の工程、今の所は順調である。結局元の仕事、元の鞘にもどった方が結果がいいのかもしれない。それをふまえた上で衰退の道を進んでいる音楽業界を少しでもいい方向に動くように取り組んでいく。

4月 10, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

旧山手どおりと西郷山公園を通って

今日は4つもそれもいずれも渋谷界隈で打ち合わせがあったのですが、一部打ち合わせと打ち合わせの間が空いていたのでかつて自分が住んでいた場所の近くの旧山手通りの近辺を少しぶらつきました。

Yamate1

この目黒区の大橋ー青葉台方面に私は10年くらい住んでいました。現在の実家に引っ越してからもう13年の月日が経ち街は変わってしまいました。

ずいぶんお店も変わりました。しかしこの旧山手通りは思ったほど変化していません。モンスーンカフェも健在でしたし

Monsoon_daikannyama

旧山手通りには多くのアパレル本社が今もあります。

Yamate2

しかし特に以前も書きましたが大橋と246の辺りは巨大なインターチェンジができた関係で大きく変わりました。大橋近辺はもはや私が住んでいた時とは全く違う街です。

勿論物事がいろいろと変化していくのは避けられません。どんなものでも同じ状態でいることなどありえません。ただ問題はよく変化するか、悪く変化するか、です。 

そして音楽の世界はいうまでもないですが悪い方向に変化してきました。そして良くなる兆しは現在の段階全く見えていません。私がこの大橋ー青葉台地域に住んでいた時は音楽業界がまだ健在な時期で、私自身羽振りもよかった時代でした。そういうこともあってか何となくこの地域にまだ愛着がありますし、引っ越して十数年たつにも関らずこの地域に来ると何か落ち着きます。しかしその時と現在ではまさに隔世の感が正直あります。その意味でも街の変遷ぶりは私にとって何か象徴的です。

正直いって私がこの地域に住んでいる時と現在では現在の方がかなり内容のある仕事をしているように思いますし、仕事の頻度も多いかもしれません。しかしいかんせん、制作予算がこの時期と比べるとひどい場合は1/10(!!)になっています。だから仕事の手間の割りには売上、収入額は格段に低くなっているわけです。

さらにはこの時期と比べ仕事の範囲が格段に広がっています。現在は私自身、作曲や編曲だけでなくサウンドエンジニアやデイレクターの仕事を同時にこなしています。昔と違い今や音楽では1人何役が当たり前になっています。

たとえば映画では映画監督が撮影や音声とかを同時にやる、なんてことはまず不可能です。物理的に不可能です。せいぜい脚本を兼ねるくらいですね。映画や映像を作るには大勢の人間が必要なのです。

しかし音楽は1人で創ろうと思えばできます。まあボーカル等は複数必要ですがインストなら一人で充分制作可能です。またInter FMはDJが自らミキサーのフェーダーを握りデイレクションも行ないます。(アメリカのラジオの大半はそれで番組を作っています)このように音楽はかなり少ない人数で創ろうとしても可能です。

つまり予算削減、とそれに対応した徹底したコスト削減、 一人何役当たり前

これが今の音楽制作の現状です。
これだけのコスト対応、適応して果たして今うちの会社がかつてのように大橋ー青葉台地域にオフィスを構えて維持できるかどうか

たぶん無理でしょうね。残念ながら音楽制作というのはそれほどまでにもうからない仕事なのです。

しかし私は何とかそれを変えたいと思っています。そのための方策を現在ない知恵を絞って対策をたてようとしています。

気分を変えて西郷山公園です。私が音楽やアレンジの構想を練っている時によく仕事場からここまで散歩していました。この西郷山は文字通りあの西郷隆盛の家の一部でした。

ここからのながめは最高です。

Saigoyama0

今日は花見の人たちでいっぱいでした。

Saigoyama2

公園内でのグリーンカフェ、私が住んでいた頃にはこんなものはありませんでした。

Saigoyama1

またこの地域に住んでいた頃のような音楽コンテンツがもうかる世の中にしたいものです。私は引き続きそのための戦い(悪あがき?)を続けたいと思っております。



4月 10, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年3月20日 (火)

母校の大学が100周年

私の大学が今月で創立100周年だという。

■成蹊学園 100周年特設サイト
http://www.seikei.ac.jp/gakuen/100th/index.html

その関係で創立者の中村春二に関する映画「たしかなあしぶみ」が作られ式典にて上映されるという。(中江裕司監督) 早稲田の大隈重信や一万円札の慶応の福沢諭吉などと違いうちの大学の創立者など誰も知らないと思うが、大正デモクラシーの流れの中で「真の自由人の教育とは何か」ということを模索した人物だという。人物伝を読むと共感できる面も多く、「自由」「自分勝手」の差が理解できない人間が増えている昨今の日本の現状を見ると、もっと中村春二の教育理念が知られてもいいと思う。  

在学中にチラッと耳にしたことはあったが、私が在学当事のうちの大学は(というか今でもそうだと思うが)某三菱グループがスポンザーになった大学で(毎年相当数の学生が「推薦」三菱グループ各社に就職している。就職だけはいい大学だった)教授も東大の学閥で占められていた。しかも安倍晋三元首相のような国家主義者(自民党代議士も複数輩出しているがなぜかいずれも「タカ派」である)も輩出した大学なので私の中で「リベラル」なイメージは大学に対して残念ながら残っていない。寧ろ私が大学でゼミを囲んだ教授は「思想の科学」で活躍した市井三郎(公式サイト:http://www.ichiisaburo.com/)で、思想各界で活躍し本来なら大学の看板教授になってもおかしくない人だったが、そうであるがゆえに東大学閥に煙たがられ大学の中では「窓際」に追いやられていた。そういうこともあって創立者の基本理念なども私に中では忘却の彼方にいってしまったのである。

ちなみに余談だが安倍晋三元首相がなぜリベラリズムを憎み国家主義に走ったかについてはOBの中で有名な逸話がある。もう首相はとっくに辞任したし、もはや政権政党にすらいないので発表しても差し支えないと思うが、安倍晋三が国家主義に走ったのは幼い時の「いじめ」トラウマが原因である。祖父である岸信介が当時60年安保の政策で大きな批判を呼んでいた時に、晋三の当時の小学生の同級生が「安保!! 反対!!」と晋三の席の周りを執拗に行進して周る事件が発生。晋三は毎日泣いて帰宅していたという。これは当時の成蹊小学校のPTAでも問題になり、「安倍君の近くで「安保!! 反対!!」と云わないようにとわざわざ生徒に対して指導をしたという。安倍晋三はこれが今でもトラウマになっているようで、かくして父親の故安倍晋太郎以上にタカ派になり、本来ならA級戦犯で収監されなくてはならないはずの岸信介の影響を最も強く受けた人物となってしまった。まあ大正デモクラシーの思想で創立された大学のOBとしては、どうであろうか?  

話がそれてしまったが、式典には「有名人」となった多数のOB OGが駆けつけコンサートも行なわれる。うちの大学はカシオペアの鳴瀬さんを始め本田俊之さんそして大御所では服部克久先生等、OBにミュージシャンが多い。しかしオープニングセレモニーで演奏する東儀秀樹がOBだとは知らなかった。その他司会進行のMCはアヤバンこと高嶋彩(政治学部卒業) アヤバンは元ミス成蹊で放送部だったから在学中から放送局に目をつけられていた。だからフジテレビに入局しても誰も驚かなかったのである、そして中村春二の映画「たしかなあしぶみ」の主演は鶴見辰吾もOB(これも知らなかった) なぜか映画のナレーション役にとどまっている今ドラマで人気の中井貴一は学部が違うが同期である(在学時によく見かけた) たいした大学ではないと思っていたがこうしてみると意外に有名人が多い。  

さて100周年記念式典、OBは早いもの勝ちで申し込めるようだが、さてどうしようか。100周年なんていう機会はそうそうあるもんじゃないので、行ってもいいかなと思うが正直卒業した学部と今全然違う仕事をしているのが大学に足を運ぶ動きを鈍らせている。どうするかはもう少し考えよう。そもそも式典なんて得意ではない、というか正直苦手なのだが式典で上映される映画は見てみたいと思っているので迷っている。  式典は5月12日、その前に短い曲とはいえ50曲の編曲→レコーデイングの仕事を済ませなくてはいけないので今はそれで頭がいっぱいではあるのだが,,

3月 20, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年2月 1日 (水)

退院一週間で自分の生活革命中

突然の緊急入院から退院、今日でちょうど1週間になる。加えて月も改まりこれから反転攻勢に出るべく動こうと思う。体調は100%とまではいかないが、普通に打ち合わせしたり動いたりすることはできるようになった。とにかく1月分の空白を何とか埋めようと努力している。

今回の入院をきっかけに特に食生活で劇的な変化を余儀なくなれた。というのも今回の入院の原因である腸閉塞というのは再発性の高い病気である。別の医師からのセカンドオピニオンだと開腹手術をするとどんな手術でも腸の癒着のリスクは生じるという。そのリスクを最小限にする方法はただ1つ、ー 減量することである。

恥ずかしながら今までは食に関しては殆ど自制心のないくらい、美食や量をむさぼっていたが今回の入院をきっかけにそれをパタッとやめた。食事に可能な限り時間をかけるようにし量も可能な限り少なくしている。実際にどこまで減量できるかわからないが腸閉塞再発のリスクを最小限にする意味でもこれをやらなくてはならない。

このブログでも私は現在人生の勝負の時期に来ていると書いた。そしてその勝負の年に動こうとした矢先に今回の緊急入院ーもし神様というのがいるとすれば私はこれは神様よりの警告ではないか、と思っている。自分の人生をかけることをこれからやるのであればまず生活習慣から改めて体調の面からもそれに備えよーということかもしれない。実際現在の映画、劇伴関係の作家としての活動や今までにない音楽コンテンツに発展していこうと思うプロジェクト、そしてもう1つ時間がかかるかもしれないが音楽の新たなビジネスモデル構築の仕事ー最終的な結果はわからないが、いずれもこれをやりとげないと自分の人生に終止符を打つことはできない、と考えている。

さらにこの3つとは別に1曲だけ、ポップカルチャー、ジャズ、クラシック等の要素を取り入れたオーケストラによる芸術作品の構想がある。これも完成させてからでないと死ねないと思っている。なぜなら作曲家として生涯に一曲くらいは大作といわれる芸術作品を残したいと思っているからだ。

少なくともこれをやりとげるまでは入院などできない。だから苦しくとも自分の生活習慣を革命的に変えるしかないのだ。あることをやりとげるためには自分から代償を差し出さなくてはいけない。自分にとってはそれが代償かもしれない。

ちなみに私が成年後見人をしている伯母も腸閉塞の手術を一昨年行なっている。伯母の場合は私以上に深刻だ。小腸を切ったのだから。伯母の方が再発する可能性が高い。ここのところ毎年入院しているが今年はそういうことがないのを祈る。しかしアルツハイマーでもある。こちらも心配だ。

いずれにせよこんな状況なので、緊急入院という事態を二度と引き起こさない意味でも生活革命を実施するしかあるまい。

2月 1, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2012年1月 4日 (水)

2012年サウンドコンテンツ事業展望ー今年も激動に立ち向かいます

改めて明けましておめでとうございます。

今日から官庁の仕事始めでもあり、多くの会社で仕事始めになったようです。
今年も音楽業界は言うに及ばず、サウンドコンテンツ全般もよりいっそう厳しい環境になると思いますが、ひるまず挑んでいこうと思います。

既に何度も書いていますように昨年立ち上げた二つのプロジェクトがあり、今年のトッププライオリテイとしてこの2つの流れを大きくしていくのが目標ではありますが、それ以外にもう1つ可能であればプロジェクトを立ち上げようと思っております。というのも事態は私が予想している以上に動いている感があり、ここでもっと大きな流れを急いで作らないともしかしたら手遅れになるのではないか、という危機感も持っています。

CDが売れなくなった、といわれてから久しいですが、かといって音楽配信音楽業界の救世主になるというのはあらゆるデータを見てもそれは違うと思います。やはり音楽やコンテンツ全般の事業を復活するには根本的な発想の転換が必要だと思います。勿論私は音楽配信を否定するつもりはないですし、CD等のパッケージが無用の長物になったとも考えておりません。ただ、CDのパッケージのありかたは以前の形と大きく変わらざるを得ないということはいえると思います。いずれにせよ以前のような音楽業界のビジネスモデルが有効になることは「たぶん」二度とありません。

そこで今年は実現できるかどうかわかりませんが音楽の新たなビジネスモデルを作る試みを1つやってみようかと考えております。そのため現在企画をブレスト中ですが、企画なので通るかどうかはわかりません。でもトライする価値はあるのではないかと考えます。私的には決して非現実的な企画を書こうと思っているわけではありません。寧ろこちらの方がすぐに大きくなる可能性はあります。

とにかくいろんなことを仕掛けていかないとこの2012年は昨年よりもっと厳しいかもしれません。口開けて待ってたって仕事なんか来やしません。どんどん仕掛けることが重要だと思います。仕事はもらうもんじゃなく、作るもんです。

世界情勢や経済情勢を見ても今年が昨年よりよくなると考えられる材料は少なくとも今現在では何一つありません。そして今年は多くの国で選挙があり政権交代の可能性があります。私は日本も今年は解散総選挙の可能性がかなりの確率であると考えています。いずれにせよ激動の一年になるのは避けられないですし、たぶん円高株安の傾向がすぐに収まるとは到底思えません。ただ昨年の震災や原発のようなことは起きて欲しくないと思いますね。これは皆さんもそう思っているでしょう。

というわけで今年も精一杯がんばろうと思いますし、結果的には楽しい一年だったといえるような年にしたいと思いますので本年もよろしくお願いします

 

あけましておめでとうございます
   本年もよろしくお願い申し上げます

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1月 4, 2012 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2011年11月20日 (日)

備忘録ー本来の職務、職種に復帰するにあたって

実は2006年の暮頃、だいたい5年前の今くらいから現在まで本来の自分の仕事である作曲、編曲その他「制作」の仕事とはだいぶわき道にそれた活動を多くしていた。

自分は業務としてはさまざまな分野に対して対応可能な能力はあるつもりだが、基本は制作屋である。音楽だけでなく音声、音響、その他サウンドコンテンツを制作するのが私の本来の仕事であり私が最も得意とする点である。しかし音楽業界が衰退し既存の業務による売上が大幅に減ることを予想(ただ事態は私が想像した以上に深刻に展開している)した関係もあり、本来の私の仕事でないことを行なうことを余儀なくされてきた。

それがマネージメントやプロモーターとしての仕事だったり、ハードウエアをも巻き込んだシステムを売るビジネスマンだったりしていた。後者はもう2年前から事実上失敗に終わったし、奥津恵のプロモーターとしての仕事も、いくつか小さな成果はあったものの決して芳しくはない。特にビジネスマンとしてはともかく、私はマネージャーとプロモーターには向いていないことは自分でわかっているし、正直もう私の年齢くらいになるとあまり向いていないことはやるべきではないと思っている。特に私はただでさえ人よりは遠回りした人生を送ってきた。若い頃そうした遠回りは大いに役に立ったと思っているが、もういい加減そんなことをする必要はないだろう。もう充分すぎるくらい自分本来の仕事以外の経験を積んできたと思っている。

昨日FM戸塚"のBIGTIME Music Cocktail”のライブ公開録音が終了したことで一つの区切りができた。奥津恵のプロモーターの仕事を完全にやめるわけではないが、今後は私の制作の仕事(特に劇伴、映画音楽関係)の中で奥津恵の能力が発揮できる部分に参加してもらおうと考えている。今後ライブ活動を一切やらない、という意味ではないがリスクとメリットとの兼ね合いで充分にメリットがありそうなものだけをやるつもりである。(尚、奥津恵FMのパーソナリテイーとしてはかなりいいセン行っていると思うので、その方面のプロモーションは引き続き行なおうとと考えているーこれも「制作」の仕事である)今まで月1-2回のペースで行なってきたライブの回数も必然的に減っていくが仕方あるまい。

とにかくこれからは私は完全に本来の自分の仕事である制作屋に戻ろうと思う。そうした中で自分のノウハウ、能力を発揮し、他の制作会社との明確な差別化、コアコンピタンスを全面に打ち出していく。多種多様のノウハウを持っている点では誰にも負けないと自負している。

<蛇足> 例によってネットの連中に突っ込まれたが、私は一般的に使われるコアコンタンスコアコンタンスと書いている。これは実際の英語の発音はコアコンタンスの方が近いからである。 それにしても粗捜しに執念を燃やす輩はネットには多い(笑+汗)

11月 20, 2011 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2011年9月28日 (水)

事業、音楽家としての転換期

人生の転換期というのは誰でも訪れるものだが、今自分は人生で何回目はわからないがその転換期を迎えているのを感じる。

音楽家としてはかつての「ヒーリング音楽」「癒し系音楽」の作家というのはもはや過去のものになりつつあるし、今10月5日にてNHKのコーナー企画を皮切りに形になるのがいつかわからないが、今までにない(と思われる)音楽作品の創造への手順を始めている。たぶん形になるには1-2年はかかると思われるが、うまくすれば私の代表作になるかもしれない作品になる。ここで詳しくはいえないがエンタテインメント性も芸術性も両方そなえたものになるだろう。

そして元々私はこれから出発はしているのだが、映画、劇伴作家としても完全にシフトしていく。勿論うたもの等もやらないわけではないが、奥津恵のようなアーチストを少なくとも1からプロデユースするのはたぶんもうやらないかもしれない。

一方会社の経営という観点からいうと特に東日本大震災以降経営環境は厳しい状況が続いている。問い合わせの案件も減り、事業展開も厳しい。その中でいくつかの事業から撤退することにした。

■インペグ(音楽家派遣)事業
http://homepage1.nifty.com/hyb-music/impeg.htm

お客様各位
 
いつもお世話になります。
 
今まで多くのお客様のご愛顧をいただきました弊社のインペグ事業でございますが、昨今の市場状況(特に東日本大震災以降)ならびにブッキング等のトラブル も多発している現状も踏まえ弊社としては収益性の低下もさることながらリスクも大きくなっていると判断し、勝手ながら本年(2011年)8月末日を持って インペグ事業から撤退することにいたしました。
 
今後は本業の音楽制作とサウンドコンテンツ事業に専心し業績の回復を図る所存でございます。
 
お客様には今まで格別なお引き立てをいただきましたことを心から御礼を申しあげると同時に、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
 
2011年8月31日
 
有限会社ハイブリッドミュージック
代表取締役
大野泰史

さらにパッケージ事業も大幅縮小し、本業の音楽制作とサウンドコンテンツ事業に専心しようと考えている。

9月 28, 2011 日記・コラム・つぶやき | | コメント (2)

2011年5月 1日 (日)

音楽制作の海外への展開

前にも書いたように日本の音楽、映像の業界関係者の殆どは日本国内だけを見て海外への展開など考えたこともない、あるいは考えたにしても周囲から叩かれたり馬鹿にされたりするので口に出せない、といった状況にもある。先日のJIN-仁-のような例は本当に例外的な事項である。

だけど私自身も本当にクリエイテイブな仕事をしようと思ったらやはり日本では難しい、少なくともそれをやろうとした場合活動の範囲は非常に限られる、ということを実感している。

たまたま私がこれから頻繁に仕事をするだろうと思われる映画監督も日本脱出を大真面目に考えて具体的な行動に移している。その監督とは「みんなでレッドカーペットを歩きましょう」プロジェクトを推進しようとしている、

こんなことをいっただけで「何寝言云っているんだ、バカじゃねえかおめえ?」などと日本だといわれてしまう可能性が高いけど、前にもいったしもう一度いいますが「我々は大真面目ですww」

その監督とは差し当たり3つの短編映画(1つはアニメ)の制作を予定しており、そのうちの1つが以前公開して制作費の公募を行ったパイロットCGアニメ"Yama-Oni "の本バージョンである"Legend"である。特に"Legend"は音楽が作品のポイントになるため、昨日監督から「音楽を先に作って欲しい」といわれたので、しばらく構想を練ることになる。あとの2つについても考えなければならない。

いずれにせよインターネットの存在もあり、コンテンツは国境を簡単に越えて伝わる。もう日本という狭い国の範囲にこだわる必要はないというのも事実である。

5月 1, 2011 日記・コラム・つぶやき |

2011年4月25日 (月)

大賀典雄氏を悼む

先日の田中好子さんに続いてまた訃報の記事を書かねばならないとは、

■元ソニー社長・大賀典雄氏死去

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1104/25/news030.html

CDを事実上作った人といっていい。

東京芸術大学卒業後声楽家として活躍しながら、実業界に転身した異色の人物。東京フィルハーモニー交響楽団の会長・理事長を務め、指揮者としても活躍した人で、ソニー創業者、井深大、盛田昭夫両氏から誘われて入社した方。面白いのは大賀氏が「こんな音しか出ないんじゃいい音楽は聞けない」と盛田氏に面と向っていったら、「じゃあ君もソニーに入れ」といわれ入社したという話だ。どちらも器の大きい人物である。まだソニーが町工場同然の会社だった頃だ。

大賀氏の訃報は昨今の音楽業界の状況を考えても何か象徴的な感じがする。

CDが72分になったのも大賀氏が「ベートーベンの第九が丸々入るように」と考えて決まったもの、芸術とビジネスの両面に長けていた人物で私も大いに尊敬していた。私自身ソニーミュージックとのつきあいはあったものの、大賀社長(当時)など雲の上の人だったのでついにお会いする機会などなかったが、声楽家出身らしく声も通りとても明るい人だったという。

ソフトあってのハードだ、ということをよく理解していた人であり、コロンビア・ピクチャーズを買収し、ハード・ソフト両輪の事業を推進した人だ。旧家電メーカーが続々ソフト事業から撤退する中、ソニーは家電のハードと音楽や映像のソフト(コンテンツ)の両輪の流れを維持する事実上最後の砦といっていいかもしれない。

とかく日本人はソフトを論じるときもハードウエアの観点ばかりに目がいきがちである。その傾向は今でも変わらず、ネットのコンテンツといってもコンテンツを扱うシステムにばかり目が行って、コンテンツの中身の議論などほったらかしにされることが多い。しかしそれではソフトウエア(コンテンツ)の本質的な議論など不可能である。その意味ではネットの世界で大賀さんのような存在が今必要かもしれない。

情報源がどこからだったかわからないが、大賀さんがソニーミュージックの社長を退任するとき「今のレコード産業はどこかおかしい」と発言したと聞いたことがある。もし事実だとすると今の音楽業界の惨状を予見していたのかもしれない。実際音楽業界の状況は悪くなるばかりだ。

改めて心からご冥福をお祈り申しあげます

4月 25, 2011 日記・コラム・つぶやき |

2011年3月28日 (月)

Vienna Ensemble フル稼働

久々に純粋な音楽日記です。

 

さて現在CGアニメのフィルムスコア作業中ですが、昨年の10月に導入したVienna Ensemble (Vienna Instrumentのマルチテインバー) 、今まではどちらかというと既存のソフトシンセのプリセットを補う感じで使っていましたが、今回のフィルムスコアでは完全にフル稼働です。というのも今回完全にクラシックオーケストラベースの映画音楽を作っていますので、従来のQuantum Leap のCollossusのみではとても対応できないからです。

 

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クラシックのフルオーケストラ用の私なりのセットアップです。

 

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各音色やアーテイキュレーションの選択ができます。

曲はだいたいできあがり、これからmidiデータのチェックとpro toolsのダビング作業に移ります。今回は殆ど3菅編成の大規模なオーケストレーションになりました。まさにジョンウイリアムス的なサウンドです。僕の曲を知らない人はこれだけ聴くとクラシックの作曲家と勘違いするでしょう。これだけ大規模なオーケストレーションをするのは久しぶりです。まさにハリウッド調の映画音楽になりました。

ちなみにもう1つ短編映画、こちらは時代劇(コメデイ) ですがこちらはVienna Ensemble Quantum Leap のCollossusを併用すると思います。

 

 

 

3月 28, 2011 日記・コラム・つぶやき |

2011年3月21日 (月)

不謹慎ではない。大震災と計画停電の間でも仕事をしなければならない。

皆さんお元気ですか? ご無事ですか?
福島の原発もまだ予断を許さない状況ですがようやく収束の方向に向っているようです。
東北の私の友人は取り合えず全員無事が確認できて安心しています

それにしても震災から10日、あまりにも多くの人命が失われあまりにも多くのものを失いました。しかしその失うものを取り戻すためにも、再び立ち上がるためにも仕事をしないわけにはいきません。それを不謹慎だなどという人の方が寧ろおかしい。

友人のミュージシャンはライブ、イベントその他の多くがみんなキャンセルになってしまい、業界関係者の大半が震災以後、仕事になっていないと思います。震災の犠牲者や被災者の方がいるとはいえ、東京は計画停電があるとはいえ被災していませんので、そもそも買いだめデマに振り回されること自体がおかしいのです。東京の放射能の値が上がったなどと騒いでいる人がいますが、通常の1.4倍に上がった程度でそれが人体に影響を与えるなどということはありません。レントゲンや胃カメラの時に受ける被爆値より低いです。

そんな中私は現在 CGアニメ短編時代劇(コメデイです)の映画の2つのフィルムスコア(劇伴)を手掛けています。一昨年から劇伴映画音楽の作家として主軸を動かすという方向で動いており、一応仕事としてやっていますのでまだ他のミュージシャンと比べると恵まれている方かもしれません。

しかし計画停電というものがあるので、これがあるとかなり仕事の進行に影響を受けます。残念ながら4月の初めくらいまで覚悟しないといけないかもしれません。あとは東電が少なくとも春場計画停電をしないで済むくらいに、いつ電力供給力を復旧してくれるか、ですね。何せ我々音楽は仕事で電気を使いますから電気がないと仕事になりません。明日も昼間計画停電が実施されますので、その間はピアノの練習にあてます。

私の住む地域では計画停電は少なくとも3月の平日は間違いなく行なわれるでしょう。それを前提に作業工程を組むしかないです。



 

 

 

3月 21, 2011 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2010年12月20日 (月)

NHK「私も一言!! 夕方ニュース」出演

本日NHKのAMラジオ ラジオ第一の私も一言!! 夕方ニュースに出演しました。テーマは「2010CD売上ランキング AKB48・嵐 ベスト10独占 ~音楽の明日はどうなる?~」と題して音楽業界とオリコンの年間ランキングのシングルが「嵐」「AKB48」の2アーチストに事実上独占されている異常事態を元に昨今の音楽業界の問題について論じました。

オリコン記事「AKB48がシングル1、2位独占…TOP10はAKB48と嵐の2組のみ」
http://www.oricon.co.jp/news/rankmusic/83085/full/?from_todaysnews

オリコン年間シングルチャート
http://www.oricon.co.jp/music/special/2010/musicrank1220/index02.html

 

まあ番組でも発言しましたが、雰囲気的には何となくわかってはいましたがいざデータとしてみるとやはり驚きであると同時に、これは事務所、プロデユーサーの戦略の勝利といえるかもしれません。

あともう1つ特筆すべきはベスト20の中にAvexのアーチストが1人もいない、という点でしょうか。これは異変といってもいいかもしれないですね。これに関してはいろいろと思うところがあり、個人的には実は予想されたことなんですがこの件について詳細に発言すると影響が大きすぎるのでここでは触れません。

とりあえず正味1時間弱出演しましたが、結構それでも時間ってないもんですね。あっという間でいいたいこともかなり時間の関係でいえませんでした。

今回の番組のサイトです。  http://www.nhk.or.jp/hitokoto-blog/1000/

この番組では視聴者のメールや掲示板も公開しています。書いている内容はだいたい私が予想した範囲の内容の発言でした。

https://cgi2.nhk.or.jp/hitokoto/bbs/form2.cgi?cid=1&pid=5251

実はラジオは何だかんだいってもまだAMラジオの方が視聴率が高いです。NHK第一の場合、北海道から沖縄、そして離島まで全ての地域で視聴可能で、TBSラジオ(平均1.2-15%)、ニッポン放送(平均1^1.3%)の次の視聴率を誇ります。つまり少なく見積もっても100万人位の視聴者がいるということを考えて、かねてから視聴者にお願いしたかったことで番組を締めました。実はこれだけはどうしてもいっておきたかったからです。

それは

「地上波のテレビやキー局で流れている音楽が世の中の音楽の全てではありません。

実は見えないところでよい音楽がたくさん隠れています。CSやインターネットサイトを捜せば、目立たないところによい音楽をたくさん見つけることができます・

どうか騙されたと思って、そうしたところからあなたの好きな音楽を捜してみてください。きっとあなたの好みの音楽を見つけることができると思います」

番組スタッフ側にはよい印象を持たれたようですが、実際に視聴者の方はこの発言をどのように受け止められたんでしょうか? そちらの方が気になります。

NHKに行ったのは本当に久しぶりですが、実は今考えているある企画もNHKがらみになる可能性があります。結構NHK関係で何回か仕事もしていますので、比較的私はこの3文字に縁があるのかもしれません。結構久々なんで少し疲れたかな(^^;)


12月 20, 2010 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2010年12月 1日 (水)

今年もあと一ヶ月ー工事終了に伴う雑感と今後の自分の方向性

もう11月が終わる。

例のエコポイントが来月から半分以下になることもあり昨日家のリビングルームのエアコン取替え工事が昨日終了し、これで4月から始まっていた我が家及び事務所の一連の内装、外向、及び防音ブース等も含め全ての工事が終了した。

今年は家のこと、そして親戚の成年後見の件(既に家裁から成年後見人としての審判は下り、順当に行けば今週中に登記が完了する見込み)と家やプライベート関係の件でずいぶん時間は取られてしまった。またここしばらくやってきた会社の事業に関して大幅の見直し、戦略の変更も余儀なくされた。その反面これから自分がやるべき方向、目指すべき仕事、作品について見えてきた面もあるので、これからはそれに絞ってやろうと思う。さらに今後の展開次第では、現在まだ中止するに至ってないプロジェクトのみなおしや終了の決断をしなければならない場合が出てくるかもしれない。

その意味では結果が出なかったもの、今後結果が出そうにないものをある程度見切りをつけ、軌道修正し新たな出発に備えなければならない。そのためには環境の変化も大切だ。だから今回家のリホームをかなり大胆に行なった。

また事務所のスタジオを整備したのも、制作における凄まじいほどのコストダウン要求を対応可能にし、ボーカルレコーデイングや音声、ナレーションコンテンツに関しては自宅で完全に納品レベルのクオリテイで制作可能になるようにした。これでかなりコスト的には強くなったと自負している。

そして私自身の今後のクリエーター、作曲家としての目指す方向性

いずれにせよ自分がクリエーターとして他者と差別化できる部分や、内容はいえないけど「まだ誰もやっていない作品」を具体的な形に来年はしなければならないと思っている。口あけて待っていても仕事なんか来やしない、自分で積極的にいろいろ働きかけて「仕事を作る」ようにしなくてはならない。そして日本の景気、経済状況がよくなる材料は残念ながら見つかっていない。それどころか国際情勢が景気に悪影響する懸念の方が多い。

今日本における情勢は厳しい。先日の北朝鮮の砲撃事件も、中国の尖閣問題にしてもああいう独裁国家が海外に対して強硬策をとるのは国内の情勢が深刻になっている証拠だ。北朝鮮の経済は実質破綻状況であり、キムジョンイルがいつまで軍を抑えきれるかわからない、という。中国は13億市場という幻想をいまだに持っている人がいるが、中国国内で同じ国かと目を疑うほどの貧富の差(実際には経済発展の恩恵を受けているのは中国全国民の3割程度といわれる)とチャイナショックの噂(実際にはチャイナバブルは既にはじけており、中国共産党が隠しているだけに過ぎない、という話がある)、日本を取り巻く情勢は懸念材料でいっぱいである。

最悪のシナリオはチャイナショックで世界的な景気低迷につながる点である。例えそれが起きても何とか吹き飛ばされずに生きていかなければならない。

その意味で環境を整備し、足もとを磐石にしたつもりだ。

これから再出発を行なおうと思っている。


12月 1, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年11月24日 (水)

スタジオ防音ブース完成

月曜日からうちの防音ブースの取替え工事が始まってましたがつい先ほど無事終了しました。前のブースと違い、遮音もばっちりです。
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私の音楽制作室です。コントロールルームと打ち込みの作業を行い、奥のドアが防音ブースです。吸音材はグラスウールを使い遮音機能が向上しました。

Cimg1513ブースの入り口です。


Cimg1511_2

中はこんな感じです。正味一畳程度の広さですが、ボーカルや簡単なナレーションコンテンツ等を納品レベルで仕上げることが可能です。あまりやりたくはないですが2人のナレーション収録もやってやれなくはないです。しかしソロのレコーデイングならこれで十分ですね。

というわけでこれから制作作業をどんどんやれるようにしたいと思います。昨今の風潮からコストダウンを要求がすさまじいんですが、もう最低限これ以上下げられないところまできましたね。私1人で作曲、アレンジャー、サウンドエンジニア、デイレクターの4役を殆どのケースでこなすと思います。

ちなみに弊社の音楽制作のお問い合わせはこちらへどうぞ

http://homepage1.nifty.com/hyb-music/Inquiry.htm

11月 24, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年11月22日 (月)

防音ブース取替え工事開始

さて、今まで弊社ハイブリッドミュージックのスタジオには半畳分のブースがあったのですが、やはり空間が狭くて音がどうしてもこもりがちになってしまうこともあり、また昨今のコンテンツ制作費用の凄まじいほどのコストダウン要求から、より遮音機能もよい防音ブースの必要性が生じていました。今年の春頃からの家のリホーム工事をきっかけにスタジオの防音機能も向上させることを決断し、本日からその工事が開始しました。

これによってブースも今まで高さ180cmくらいしかなかったのが220cmくらいまで高くなり、ブースも半畳から一畳くらいの大きさになります。これによって納品レベルのボーカルやナレーション収録が可能になります。

本日はまずいままでのブースを解体(一時間もしないうちに終了)、現在すでに新ブースの設置工事が始まっていますが、今日は含めて2-3日工事がかかるそうです。

こういう不景気の折、弊社としては本当に思い切った投資を行ないますがこれも生き残るためにやむを得ません。

というわけで完成しだいまた記事にします。


11月 22, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年10月30日 (土)

前田憲男先生のジャズトリオコンサート

昔ちょっとつきあいのあった事務所から度々誘われていたんですが、所用等が重なったこともあり、またいつもお断りするのも失礼に当たると常々思っていたので、たまたま時間が空いていた本日伺うことにしました。

場所は浜離宮朝日ホール

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勿論演奏している時は写真は撮れません(笑)

ピアノ、ドラム、ベースといういわゆるジャズトリオで曲はスタンダードナンバー中心でした。前田先生はたしか今年76歳だった(間違えていたらゴメンナサイ)と思いますが、ああいう年齢まであのくらい弾けるといいですね。

ピアニストは指を使いますが、指を使うのはやはり健康にいいようです。特に脳を刺激するので認知症の防止には確実に役立つようです。私もどんなにジジイになってもピアノだけは弾き続けようと思っています。まあそれくらいしか人よりとりえがない、というのもあるんですが..

拝聴していてやはり音楽のファンダメンタルズは大事だと改めて思いましたね。最近の音楽の世界はそれを大事にする風土が薄れてきている傾向があります。特にポストモダン論云々で「本物というものの意味がなくなったー何が本物かがわからなくなった」などという議論が出ていますが、結局その考え方では後世に残るような文化は生まれない、と思います。まあその辺りは近々考えをまとめてこのブログに書こうと思っていますが...

いずれにせよ私もジャズトリオでも久々にやってみようかな、という気になりました。前田先生は正統派的、といいますかよく言えば無駄のない弾き方をされていますが、私はかなり手数もおかずも多いので好みが分かれるとは思いますが...


10月 30, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年10月22日 (金)

Vienna Ensemble 追加導入

先日導入したソフトシンセのVienna

やはりマルチチンバーでないと使い辛いのでVSL(オーストリアの会社)のホームページからVienna Ensemble vers 2 をダウンロードしました、

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現在Vienna の日本代理店のクリプトンフューチャーメデイアVienna Ensemble PROというのが発売されていますが、これはメモリーを補うために複数のマックをクラウド的につなげるためのソフトです。というのもVienna のライブラリーをmidi16チャンネルフルに使うのはメモリーの大きさからいって一台のマックでは到底不可能、という現実問題があるためですが、まあ大オーケストラの場合は現実問題として一度にマルチチンバー再生というのは無理かもしれません。
まあどっちにしろ、Vienna Ensemble PROはIntel Mac以降の動作環境なので、私のG5 dual (メモリー増設8G)ではどのみち使えませんが、

私がダウンロードしたのはフリーソフトのVienna Ensemble vers 2です。いまだTigerの私ではこれでじゅうぶんです。非常に快適にマルチチンバーができます。プラグインも使ってないですがあります。たぶんあまり使わないかな。

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まあTigerで現行のPTも快適に動いているので特に変えるつもりはないですが..


10月 22, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年10月18日 (月)

Vienna Special Edition Full 導入

かねてからお知らせ通り、先日Emu社のEmulator IIIを処分したこともあり、もっとも普及しているソフトシンセの1つのVienna Special Edition のフルライブラリーを導入、本日インストールしレジストレーション、アクテイベーションまで終了しました。

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ソフトのインストールから最終のレジストレーション作業まで何だかんだいって半日かかりましたね。その中でいろいろ戸惑ったり、特にライセンスの取り方をめぐって新たなソフトをダウンロードしなきゃいけなかったり..いろいろと面倒でした。

音質はさすがに全てのライブラリーをチェックしたわけではないですが、オーケストラのサウンドはさすがに幅広いですね。しかしバイオリンソロのスタカット、ピチカート、トレモロ等はすごくいいですがキレイなメロデイを弾かせようとすると以前から使っているQuantum LeapColossusの方がキレイだったりします。しかし管楽器系はやはりVienna の方がいいかもしれません。

完全に自由に使いこなすには少し時間も必要でしょう。

これでVienna と先ほどのColossus、そしてドラムのBFDの3種類のソフトシンセを装備したことになりますが、これから自分だけのサンプル素材もストックしておきたいので、もう1つくらい手軽なサンプラーの導入も考えています。私独自のサウンドを作るためにも必要ですので..

これで打ち込みや音楽制作のワークステーション側はできました。あとはブースの改造、これがもっとも大きいかもしれませんね。

10月 18, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年10月12日 (火)

Emulator III 見納め

20年以上にわたって愛用していたハードサンプラーキーボード Emu社のEmulator IIIがとうとう旅立ちます。

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お名残惜しいですが、時代の流れでやむを得ません。
長い間ありがとう、といいたいです。このEmulator IIIがあってこそ私のサウンドが支えられました。

これからは新たな私のサウンドメソードの再構築をしたいと思います。
そのためにはまたいろいろとハードシンセやソフトシンセとのからみで再度検討をしなければなりません。

改めて長い間ありがとう、そしてお疲れ様、といいたいです。


10月 12, 2010 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2010年10月11日 (月)

Emu EIIIへのオマージュと最近のレコーデイング事情に関するつぶやき

昨日仕事場のレイアウト変更完了、あとはソフトシンセのバージョンアップとブースの業者の工事が控えているがブース工事はまだ一ヶ月くらい先になるかもしれない。

今回長年のEmuE IIIを断腸の思いで処分したり、場所をとっていたキーボードスタンドもかたし、かなりコンパクトにした、うちってこんなに広かったっけ? と思うくらい広くなった。

殆ど最近使っていない機器も処分する、近くのハードオフ行きだ。
キーボード類を部屋から運び出したりすると昔を思い出す。(←ジジイの証拠だが..)

大昔、レコーデイングをする場合パソコンやキーボード類一式をスタジオに持ち込んでいた。レコーデイングはどかた作業でもあったのだ。大変な思いでスタジオのコントロールルームにキーボード、パソコン(シーケンサー)等を持ち込んでセッテイングする、これだけで一時間以上はゆうにかかった。そしてダビング作業ー打ち込み関係を入れるだけで丸一日、ちょっとリズムやタイコ系の音でつまると一日じゃ終わらない。

もっといえば昔はシンセの音、タイコ系の音質ーそれを決めるだけで一日かかった。いや、一日じゃ終わらないこともあった。デジタル機材は今ほどではないが、その分創意工夫レコーデイング現場にあった。

いずれも今じゃ考えられない。
音楽業界衰退の原因は多くあるが、今クリエイテイブになる=ひとりよがり、自己満足、などと短絡的に決め付ける風土が業界の中ですっかり定着してしまった感がある。
使うシンセの音も殆どがプリセット、しかもそれが「今流行っている」かどうか、という基準だけで決められる。そこに創意工夫などあったもんじゃない。
賢いリスナーはそこの部分をちゃんと見抜いている。だから「音楽がつまらない」といってだんだんCDを買わなくなる。

少なくとも90年代の中ごろまではレコーデイングといえばそういった作業だった。今は生音を録る必要がある時だけpro toolsのデータを持ち込むだけ、キーボード類の運び込み、設置することなど殆どない。まさに隔世の感がある。

EmuE IIIはまさにそういっ時代を共にレコーデイング現場で共に闘った「戦友」でもあった。しかし時代の流れは残酷なものである。

業界はもう事実上崩壊している。形だけ辛うじて残っているが実態はもはや形のみだ。もはや昔の業界には戻らない。いったんさら地になるのを待つしかない。
とりあえず機器を整備して次の時代に向けて取り組むしかないだろう。1プロフェッショナルとしての矜持を示す仕事をやり続けるしかない。


10月 11, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年10月 9日 (土)

スタジオ新レイアウト

新ブース導入に伴い、仕事場のレイアウトを変更しました。

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より操作性を考えました。機材等はそんなに変わってないんですが...

これで打ち込み、アレンジ、作曲作業や波形編集の作業も行ないます。

モニターがちょうど目の前にあるのでわかりやすいです。

というわけで作曲、編曲のお仕事、いつでも承っております。(笑)

お知らせ:明日予定されていた拙作のフィルムスコアのCGショートアニメ”Yama-Oni”が入選している取手野外映画祭ですが、雨のために11日に順延されました。雨で順延になる映画祭というのも面白いですね。(「野外」映画祭ですからね)どの位置での受賞かは月曜日にわかることになります。」


10月 9, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年10月 6日 (水)

スタジオ改造に着手します

まあ「スタジオ」といってもそんなおおげさなもんじゃないんですが(笑)

実は自宅の「スタジオ」ブース(半畳)はもう12年くらい使っているんですが、やはり老朽化もそうですし、天井が低いんでデモ用とか簡単な「音声コンテンツ」を作る面では十分ですがやはり空間が狭い分何か音が篭ってしまうし商品レベルとしては正直辛い、ということで家のリホーム作業も行なっている折、ついでにこのブースも一畳くらいにして天井も高いのに変える方向で現在検討しています。

これによって、最近うちでよく受注するボイスオーバー系を始めとする音声コンテンツの制作作業を、クライアントの要望がない限り殆どを事務所内のスタジオで行なうことが可能になります。また簡単な歌モノやCMソングも外のスタジオを使わずここでできるようにして、コスト力をつけようと考えています。昨今のコスト要求状況は本当にきついですからね。

今日その業者の下見等が行なわれましたが、その結果ブースを広くする分スタジオのレイアウトをかなりいじらないといけないことがわかり、その作業も着手、いろいろとそろえなければならないことが判明。 まあ自宅のリホームの時もありましたが、いろいろと想定しなかったことが出てきます。考えてみればスタジオのレイアウトなど自宅にもどってから一度も変更していないのですが、当時はA-dat(もう忘れている人もいるでしょう?)中心のスタジオだったのだが現在はPro tools ,よく見るとそれに伴い使わなくなっている機材も結構あるんですね。この機会に全部処分しようと思っています。

尚、実はこの中で断腸の思いで処分しないいけなくなったのはEmuE III です。電源を入れても「System Error」が出て立ち上げることができない。修理するところはなくはないですが、診るだけで二万円、しかも直る保証はなく(HDだったらもうお手上げ)、しかも修理する場所は家から結構遠方に位置しています。電源故障という話もありましたが、どうもハードデイスクがシステムを読み込めなく電源自体は問題なく入っている、ということでHDの可能性が高いと判断、しかも部品自体がもはや存在しない、ということもあり修理作業はかなりリスクが高いと判断せざるを得ませんでした。

 このE III はある意味自分にとって「戦友」に近いほど自分の作品の多くに関わっており、処分するのは断腸の思いですが、この状況下ではもはやいたし方ない。当面はソフトシンセ、特にViennaのライブラリー強化を考えますがもう1台くらいラックマウントでいいからハードのサンプラーの導入も考えています。自分の独自のサンプリングライブラリーも構築したいので...

とにかく折角の機会なので思い切ってやってしまおうと思います。EmuE III はお名残おしいけど...


10月 6, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年6月25日 (金)

大橋ジャンクションと東山ー中目黒の変遷にふれ、

今日は中目黒の某スタジオにてレコーデイングでした。
以前も書きましたがかつて自分は池尻大橋ー中目黒に十年間住んでいました。だからこの界隈は殆ど自分のフランチャイズみたいなもんだったんですね。
自分の音楽キャリアでも順調な時代をすごしたこともあり、引っ越してから十一年たっていますが、まだこの地域には愛着があります。

ここはかつて多くの音楽事務所や制作会社があった地域でした。今でも多少はあるようですが昨今の業界の状況からかなり減ったのは事実のようです。

十一年という年月は町を大きく変えてしまいました。

かつて博覧会の仕事や映画関係の仕事のポストプロ作業を行なったSONY PCL というスタジオがありましたが今はその跡地はドンキホーテになっています。

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そしてかつてポリドールレコードの本社(キテイレコードも)があったところは現在大橋ジャンクションの高架から地下に入る螺旋状の通路の敷地になってしまい、今は跡形もありません。ここのスタジオは結構いいスタジオだったんですけどね。オーケストラなどもよく録れたスタジオです。

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ちなみに見えている木は桜の木です。桜の季節は満開でとても綺麗になります。いつのまにか高層マンションになっていました。

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ちょうどここの位置にかつてポリドール本社がありました。

上記の建設物はこんな感じで首都高速三号線(東名につながる)に連結します。

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まあこの計画は私がまだこの辺りに住んでいた時代から聞いてはいたんですが、とにかく町の変わりぶりは驚きます。

十年間住んでいた間、前半は良かったんですが後半、ちょうど90年代中ごろから業界の風向きがおかしくなり始めました。後半は悪戦苦闘の連続だったんですが、今はその悪戦苦闘の時代より遥かに悪くなっています。まあよくここまで辛うじて持っているなというのが正直なところです。他の方策も取っているんですが、昨今の不況の状況からこれも思うようになっていません。まあとにかくもがきながら何とかやっていくしかありません。

時代の変遷というのは時には残酷なもんです。

 

6月 25, 2010 日記・コラム・つぶやき |

2010年4月 4日 (日)

仕事仲間が減っていく...

私の長年の仕事仲間で映像会社のプロデユーサーをやっていた仲間で、普段は温厚でおとなしい人間なのだが、それにも関わらずハードロック、ヘビメタ関係が好きな友人がいる。(L.Zeppelinのジミーページが好きなことからみんなから「地味な」ページ君といわれていた)昨日、その友人の最後のライブが西荻窪の某ライブハウスでやるというので見にいった。

お互いまだペーペーだったころからのつきあいで、この友人との仕事は私の仕事のキャリアの中でもかなり重要な仕事がある。それだけに多くの思い出もあるのだが、来月長年いた映像の制作会社をやめ、何と屋久島に移り住むという。

彼としてはいろいろ考えてあげくの決断だろうが、映像の世界も音楽と同じく売上が右肩下がりの状態となりここ十年近く殆ど給料は上がっていないという。そしてリストラの嵐も強い、という点では音楽業界と同じ。結局彼はこの業界に見切りをつけたらしい。屋久島では何と自給自足の生活をするという。

同時に彼との話で同じく長いつきあいのゲームプロデユーサーも長年いたゲーム会社を退社していたことがわかった。ゲーム会社もごく一部のものをのぞいてきついのだ。

音楽のみならずコンテンツ業界全般の厳しい現実である。

私は残念ながら基本的にはこの世界で生きていくしかない。しかしそれでも音楽関係のみの売上ではやっていけないことはわかっているのでさまざまな対策を取ろうとしている。今ホームページの更新作業も、新規事業や新規マーケットに活路を見出そうという観点から始めている。現在進めている案件がこけても、まだ踏みとどまるために第二、第三のセーフテイーネットを作るという意味もある。

全てのコンテンツはただであるべきだもっといえばコンテンツに金を払う奴はバカだ。 そんな考えがあたかも正論であるかのようにはびこっている限りこのビジネスモデルの崩壊は止まらない。例え理屈の上ではそれが暴論だとわかっていても、一部のおばかな人間がそれを吹聴するだけで、そういう雰囲気がネット内で広がってしまう。コンテンツ産業にとってはそれだけで充分すぎるほどのダメージなのだ。

それが結果的に多くのかつての仕事仲間が去っていく原因にもなっている。
自分はそうならないように、これから死に物狂いであがくことになるだろう。
それを悪あがきとか、もがきとかいう人がいるかもしれないが、自分はそれしか選択肢がない。


4月 4, 2010 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2010年3月 9日 (火)

今日の天気のように寒い「仕事がない」音楽業界

もう3月の中旬に入ろうかというのに寒いですね。もう1つのブログにも書きましたが私の住んでいるところはです。 駐車場に車を入れる時にタイヤが一瞬から回りしました。(汗)

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さて、昨日は久々の音声コンテンツの収録だったんですが、スタジオ関係者や制作会社関係者の話を聞くと、やはり業界の状況もお寒い限りですね。 どこも本当に仕事がないようです。かなり大手のところもそうで、私なんか逆に「仕事ない?」て売り込まれる始末です。(汗)

先日の音楽配信の売上が減少傾向になった、そしてCDが相変わらず売れない、と業界はお先真っ暗です。もっと明るい話をしたいんですけど本当にそういうネタがありません。

まあそんな中で私もそれなりの手は打っているんですが、私に限って云えば今日あるアーチストの新曲のアレンジの仕事が入りましたし、近々イベントで使う奥津恵新曲レコーディング、そしてCDの企画と、ありがたいことにとりあえず向こう3-4ヶ月はかなり忙しくはなりそうです。加えて「事業構造の変換」による新事業(コンテンツのコンサルテイング)も動かします。これら全てにおいて結果を出すべく全力を揚げます。

外は寒いですが家の中は暖房で今は暖かいです。例え業界は真冬が続いても、自分は暖房をつけ続けることができるようにとにかく全力を揚げるしかありません。


3月 9, 2010 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2010年1月 5日 (火)

今日から始動、今年は原点に返りますー「仕事はもらうもんじゃない、作るものだ」

さて、今週は新年会とか年始の挨拶とかになりますがいよいよ今日から2010年を始動します。今年はいろんな意味で転機の年になると同時に個人的にはここ3年間やってきたことに対して結果を出さなければいけない年となっています。

私の会社は今までネット経由で結構多くの仕事を取ってきましたが昨年はうちの会社がパッケージ業務等の間口を拡大して以来最低の成約率に終わりました。景気の冷え込みは深刻で、すぐにその情勢が回復する兆しはありませんが、一応万全は期します。とはいえとてもあてにはできない状況です。

今年は自分が業界に入った時の原点に返り、自ら今まで仕掛けてきたことを含めいろんなことを仕掛けていこうと思います。不況になると大企業は「新規」とか「前例のないもの」というものをやりたがりませんが、しかしどの会社も全く何もやらないわけには行かないはずです。だから知恵をしぼっていろいろ仕掛けます。自分は業界に入った時のように仕事がないのなら作るしかないー そう 「仕事はもらうもんじゃない、つくるもんだ」 という考えで進めます。

私は音楽業界とも芸能界ともコネらしいコネは全くない状態から始めました。そこを自分から企画したりして音楽業界人の仲間入りができました。そして25年、この業界で仕事することができました。しかし音楽の仕事をこなしているうちにそういった初心をいつのまにか忘れていた、という風に思うんですね。そして未曾有の音楽不況、口を空けて待っていたって仕事なんか来やしません。大企業は守りに入っていますがうちのような零細企業は逆に攻めていかないといけないですね。頭を使い、創意工夫でこの状況を乗り切らないと今年こそ、本当に冗談抜きにヤバイと思います。

実は音楽業界ー芸能界もそうですがーは頭を使うことを極端に嫌う体質があります。それが音楽業界がこんな状況になっている一因でもあります。残念ながら音楽のビジネスモデルは既に実質的に崩壊しており、全く新たな発想でやるしか生き残る道はないと思います。しかし音楽業界人の大半は狭い業界の中しか見ていない傾向があり,まだ既存のビジネスモデルに殆どの人がこだわっています。

だからタイアップの広告費に数百万出していながら、CDはいわゆる「メジャー」であっても数百しか売れないなどという状態になっても、まだ同じことを繰り返そうとするんですね。他人ごとながら「もう少し頭を使ったら」と内心思っていますが、それが今の音楽業界の現状です。

「回収できるタイアップ」というのはいわゆるビッグアーチスト系のプロダクションとテレビ局で抑えていますから新人が入る余地は殆どないです。つまりはっきりいってメジャーレコードにはもはや新人アーチストを育てる力を完全に失ったといってもいいわけです。

まあこういう人たちが「メジャー」という肩書きにこだわるのはこの人たちにはこれしかないからですが、音楽業界から一歩でたらもうそんな肩書きは関係ないんですね。別にメジャーレコードだからそのCDを買うわけじゃない。「好きなアーチスト」のCDだから買うんです。 

だから音楽の既存のビジネスモデルはもはや機能していないわけです。そして今年は昨年よりさらにタイアップの効果が薄れていくのは避けられないです。

まあ音楽の既存のビジネスの形にあくまでこだわりたい人はこだわればいい。但し2011年まともに年を越せるかわからないですね。まあ他人は他人。しかし幸いなことに、この音楽業界の現状に対して何とかしようと考えている人たちは私の周囲に結構います。そういう人たちとの連携、コラボレーションも積極的に行なっていきます。その中から次のステップや活路が生まれてくると信じています。

1月 5, 2010 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2009年12月24日 (木)

クリスマス狂騒曲

はい、今日はクリスマスイブですね。

この日をワクワクした思いで過ごす人もいるでしょうが、ユーウツな気分で迎える人も多いのではないでしょうか? まあテレビやラジオのCM等を聞いて何か1人でクリスマスイブを過ごすのがあたかも最低の人間であるかのようなキャンペーンにうんざりしている人も多いでしょう。

今年たまたまある仕事でスペインのクリスマスソングの編曲をする機会がありました。日本では殆ど知られていない曲で、日本のクリスマスソングとあまりに雰囲気が違いますので戸惑う人も多いでしょう。


Ven a Belen

Campana_sobre_campana

Ven a Belen (降誕人形の来場) とCampana sobre Campana (鐘の上に鐘)の2曲です。編成はソプラノ、ピアノ、バイオリン、チェロですが、ソプラノパートはシンセになっています。(打ち込んだものです) いずれもスペイン民謡です。

あと伝説のチェロ奏者のパブロカザルスの十八番だった「鳥の歌」(カタローニャ民謡)も実はクリスマスソングであったということは意外に知られていません。この「鳥の歌」は日本人の感覚だとクリスマスソングというにはあまりにもの悲しい印象を受けますが、これはカザルスの出身地のスペインのカタローニャ地方が歴史的に虐げられてきたからです。このカタローニャ地方というのはスペインの都市バルセロナがあるところですが、他にもピカソ、ミロ、ロルカといった著明なアーチスト、詩人を多く輩出しています。歴史的に虐げられてきた人たちがイエスキリストに希望を見出し、明日の幸せを祈ったせつないクリスマスソングです。

どんな曲か知りたい人はこちらをお聴き下さい。放送の中間部にその「鳥の歌」を聞くことができます。

■「クリスマスの癒しの音楽」(「癒しの音楽チャンネル」2008年12月放送)

http://www.iyashi-channnel.com/2008/12/post-563f.html

日本では本当にうんざりするほど「恋人と,,,」なんていうキャンペーンが繰り返されますが、スペインや南イタリアのようなカトリックの国では日本のようなギラギラした飾りなど殆どなく、あまりに地味なので拍子抜けする日本人も多いと思います。そもそもイルミネーションやクリスマスツリーはプロテスタントのものでカトリックのものではありません。カトリックの人にとってはクリスマスは厳かで神聖な日なので、日本人のように「恋人とホテルで...」なんていう発想すらないんですね。まあだからあまりマスメデイアのキャンペーンに踊らされる必要はないと思います。

クリスマスはイエスキリストの誕生日とされていますが、そもそも12月25日は本当のキリストの誕生日ではありません。この12月25日というのはローマ帝国時代の原始宗教であるミトラス教の習俗を尊重し取り入れ融合した可能性が高いといわれ、本当の誕生日は1月8日とも、4月7日ともいわれ実はわかっていません。そもそもキリストの誕生した年を紀元0年としていますが、実際にキリストが誕生したのは紀元前4年であることはほぼ間違いないといわれています。

つまりクリスマスというのは作られたお祭りなんですね。そして商業主義によってどんどん拡大していった。というのが実態です。

まあそんなわけで今日明日の「クリスマス狂騒曲」あまり気になさる必要はないのではないかと...

12月 24, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2009年11月10日 (火)

同じ職種でも全然違う世界がある

さて、昨日の記事のCD製作で、私の会社はマスタリングだけでなくジャケットデザイン、も含むCD製作の事業を行なっています。

CDもアーチストのアルバムもあれば販促品用のCD、いわゆるCD-ROM (実行ファイル付のものも含む)までやっています。同じCDでもプラットホームが違ったり、全く違う用途に使ったり等非常に幅広いです。当然ながら音楽関係者以外の業者とのつきあいも出てきます。音楽事務所以外には広告代理店だったり、IT関係企業だったり、勿論個人の場合もあります。(どちらかというと「個人」の方が多いかもしれません)

しかし正直今まで「デザイン関係」の仕事の進め方は基本的には同じという認識でおりました。しかし同じ「デザイン」でも全く違う仕事の進め方があるということがわかりました。

現在の仕事はとある音楽事務所からの発注ですが、実はジャケットデザインをやっている方は普段はファッション雑誌関係の仕事をしていらっしゃる方で、その進め方が私たちCD屋が普段取り組んでいるやり方と全く違う、はっきりいって180度違うことがわかりました。詳しいことは専門的な話になるので割愛しますが、要は雑誌関係はデザイナーの手間を最小限にとどめる仕事の進め方をします。そのためAdobeのイラストレーターのバージョンは任意、トンボの塗り足しなし、画像が埋め込みといった仕事のやりかたをします。おそらく印刷屋の方があとはそのデザイナーの仕事をバックアップする体制を整えているようです。

一方我々は印刷屋の手間を最小限にするために、デザイナーに入稿データに関してはかなり厳しいルールを守ってもらっています。つまりAdobeのイラストレーターのバージョンも範囲が指定され、トンボ塗り足しは必須、画像は埋め込みではなくリンクにする、というルールがあります。そしてそのルール、規格に合わないものは印刷屋から突っ返されます。

これは我々の仕事の場合「単発」fが多いためにコストを削減するためにも印刷屋の手間を最小限にする必要があるためですが、雑誌の場合は定期刊行物なので印刷屋としてもバックアップ体制を組みやすく、逆にデザイナーの手間を最小限にしてデザイナーのコストを下げることが重要視されます。したがって同じデザインでもこの両者は全くベクトルとしては180度逆の方向性で仕事を進めます。

だからいろんな面で感覚が違います。私たちは「データのチェック」とはいっても印刷屋に提出する妥当な形式がどうかをチェックするので、内容そのものについて、そしてデータそのものは一切タッチしません。だから簡単な修正でもクライアントから依頼されない限り一切いじらないのですが、雑誌関係の仕事をしているのは「データのチェック」というと我々が自由に修正をしてくれるものだ、と思ってしまう傾向があります

そういえば広告代理店と仕事をしている時には、広告代理店側の方から「そのくらいお前のところでやってくれないのか」ということをいわれたりもしたことを思い出しましたが、それは普段雑誌関係の仕事をしていてそういう感覚になるんでしょうね。

いろいろとクライアント側のデザイナーと話をしているうちにそれが見えてきたんですが、なるほど同じデザイナーでも仕事の分野が違うと全然住んでいる世界が違うんだなあ、ということを改めて認識しました。

でもよく考えれば音楽にも同様のことがあります。例えばクラシックの人たちとポップスの人たちでは同じ音楽用語でも全然違います。音(ノート)の読み方もポップス、ポピュラー側は英語読みのドの音をC(シー) ソの音をG(ジー)と読みますがクラシックはドイツ語読みでC(ツエー),G(ゲー)と読みます。 小節の途中から演奏を始めることを弱起(じゃっき)といいますが、クラシックの人はアウフタクト(auf takt)といいます。その他にポップス系はコード譜をつけるのが当たり前ですが、クラシック系の人は殆どコード譜を使いません。(コード譜を読めない人も多いです)

同じ職種だからといってみんな同じ仕事の進め方とは限らない、ということですね。どの職種にもそういうことはあるのかもしれません。

いろんな仕事をしているといろいろ勉強になることがあります。

ちなみに昨日のマスタリング、クライアントの要望でまた修正することになりました。詳細は明日また書きます。

11月 10, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2009年9月27日 (日)

「よい音楽」が正当に評価される世の中に

金曜日から体調を崩し、今も必ずしも本調子ではないですがそうも言っていられない業務状況もあり、明日から通常の業務を開始します。

今年度も相変わらず厳しい状況で、この状況から脱すべくもがいている、というのが正直な状況ですが10月からの反転攻勢の見通しも少し出てきましたのでそれに賭けてみようと思っています。

ところでmixiでもマイミクになっていてプロダクションを経営しているT君のブログに以下のような記事がありました。後半はやや彼の事務所の宣伝となっている部分がありますがおおいに共感しましたので引用させていただきます。

■「いい音楽」は評価されるのか?
http://ameblo.jp/eternalstage/entry-10351805569.html

まあはっきりいって、こんな言葉を平均的な業界人にぶつけたら嘲笑の嵐が帰ってきますね。だからこそ今の音楽業界は衰退しているのです。

彼の文章でこんな下りがあります。

(メジャーで求められているのは)「メディア乗りのいい曲」や「番組等で使いやすい曲」


でした。

そしてレコード会社は「そこを目指せばメディアに使って貰えて、その結果販売数が伸びる」という所に着眼し、音楽自体のマーケットを作るという可能性を捨てて、メディアに依存する道を選びました。

この「メディアに起用される事」を頂点に考えて音楽を作って行く体制が、日本の音楽のクオリティを下げた一番の原因だと言われています

全くそのとおり。メジャーレコード会社は聴衆、リスナーのためではなくいつの間にかメデイアのために音楽を書いていたのです。もっというとメジャーレコード会社は音楽を真に愛する人たち、音楽ファンのために音楽を創ることを放棄したといっていいでしょう

国内最大手のレコード会社の元代表は、10年近く前にこの事に気付き「今のメジャーのレコード会社は全て病気にかかっている」と言い、自ら代表を降りました
恐らく、大手レコード会社の経営側の方々はこの事に気付いて居ながら、音楽業界の構造上何かを変える事も出来なく、今に至って居るんだと思います。


そしてこのメジャーの崩壊が指しているのは「商業音楽の崩壊」です。
売ろうとして作った音楽」は、売れなくなっていると言うのが現実です。

はい、この自ら代表を降りた偉大なO社長は私の尊敬する人物の1人でした。またかつてはレコード会社で優秀なプロデユーサーでありながら現在の体制に嫌気が指し組織を去っていった方を私はおおぜい知っています。まだ業界に数少なく残っている方はまるでタイタニック号の船長のように沈むとわかっていながらどうすることもできない、そんな状況なのでしょう。

ただ、一つだけ付け加えるといわゆる「商業音楽」というのと上記の話でいう「メデイアに合う商業音楽」というのは少しニュアンスが違います。私はテレビCMやVP用の音楽、ジングル等のいわゆる本当の意味での「商業音楽」を長く作って来た経験がありますが、こうした制作現場は少なくとも私の周囲の制作スタッフはみんなプロフェッショナリズムにあふれ、いわゆる「創る」というのをきちんと考えて仕事に取り組んでいる人たちばかりですね。先日も某医療機器メーカーのDVDのための体操の音楽を作りましたが、やはりクオリテイはそれなりのものでした。

つまり、「商業音楽」だからクオリテイが低いのではなく、問題はその内容かもしれません。メジャーレコードが、「商業音楽」として提出している先はテレビ局、-そう昨今著しい視聴率低迷に喘いでいるテレビ局です

実はテレビ局の体質とメジャーレコード会社の体質は驚くほど似ています。はっきりいえば今のテレビ業界は十数年前の音楽業界の状態と全く同じです。そして見るのが苦痛なほどくだらなく内容のないバラエテイ番組ロコツな情報操作をする報道つまらないドラマ、つまりテレビ番組自身のクオリテイが落ちています。、そしてそのクオリテイが落ちている番組に合う音楽しか求められていない、これが連鎖反応を呼び昨今のメジャーレコードの音源のクオリテイの低下に拍車がかかっている。というのが実態でしょう。

よく、日本人は実は音楽が好きじゃないのではないか?という議論を聞きます。実は私もそう思いたくなる時が何回かありました。でもやはりそれは違うと思います。若者以外はレコード店に行かないといいますが、若者以外の人たちが買いたくなるCDが売っていないからレコード店に行かないんです。卵が先が鶏が先がという話ににていますが、究極は買いたい音楽がないからレコード店に行かない、というのが本当じゃないかな、という気がしています。

ちなみに今から十数年前にあるレコード会社のプロデユーサーに「音楽業界は金のある中高年層のマーケット開発をするべきだ」と云ったことがあります。帰ってきた答えは「何考えてるんだ? バカじゃないのかおまえ?」でした。またこんな発言もありました。「音楽バブル時代より今の音楽業界の方が健全だ、どこが悪いんだ?」 たしてこの人たちは今音楽業界がこんな状態になっても考えが変わらないんでしょうか? とても興味があります。

このT君は若いながらとてもしっかり物事を考えられる人物で、細かいやりかたは違いますが、日本の音楽文化をよくしたい、という思いは同じです。だから勝手ながら同志のようにも思っています。

「いい音楽」という定義は個人によって違うと思いますし、表現が抽象的すぎると思いますが、音楽で人を感動させられるような曲を文化として伝えられるシチュエーションをもう一度復活させたい、少なくとも復活させる道筋を何とかつけないといけない

そういう思いで仕事をしてきました。これからも目的が達成されるまではそういう気持ちでいるつもりです。

残念ながらいまだそうした具体例を作れていません。しかし諦めずに続けるしかありません。

ただT君のブログを見て私のような思いの人間は私だけではない、ことがわかりましたし、彼のような人間がどんどん果敢に音楽ビジネスを変えることに挑戦して欲しいです。

音楽文化の未来のために

9月 27, 2009 日記・コラム・つぶやき |

2009年8月15日 (土)

音楽で平和のメッセージを

さて本日は終戦の日、第二次大戦に日本が敗戦してから64年の月日が経つ。平和への思いを新たにして、二度と戦争に日本という国が巻き込まれないように祈りたいものである。

 戦争体験の風化とかネットウヨによる「普通に戦争できる国にしたい」などと公言してはばからない輩が増えているというのも問題だが、そう主張する人間はおそらく想像力の極めて希薄な人物と考えざるを得ない。実際そんなに戦争というものを体験したいのならイラクでもアフガニスタンにでも行ってみるがいい。少なくとも彼らが考えているようなものではないことが実体験としてわかるはずだ。

 さて、そういう風潮に危機感を感じたのだろうが、日本を代表する漫画家たちが中心になってい展示した「私の八月十五日展」が千葉で開かれている。(明日8/16まで)http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/090727/chb0907272243007-n1.htm

南京虐殺記念館で日本漫画展=ちばさんら戦争体験描く-中国http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009081500217

戦争を知らない世代に戦争体験と平和の大切さを伝えようと、先の大戦の記憶を持つ漫画家や作家らの有志でつくる「八月十五日の会」の協力により、旭市が主催。ちばてつや、さいとうたかを、やなせたかし等有名漫画家が多く参加した。

日本ではこういう「重い」テーマのものを敬遠する傾向がある。音楽の世界ではこういうテーマで曲など書こうものならレコード会社が必ず渋い顔をする。しかしビッグアーチストが平和とか反戦を語れば多くの人は注目するし、それが社会を動かす原動力にもなる。しかし最近そういった動きが日本国内で本当に目立たなくなったのは非常に残念である。その意味では60代、70代(やなせたかしはもう90歳!!)の偉大なご老人たちに日本の音楽家たちは明らかに負けている。

本来ならアーチストはこういう時にこそ声をあげるべきである、しかも自分の作品で声をあげるべきである。ジョンレノンはイマジンによってそれを実行した。

 その替わりといったらなんだが8月15日の終戦日ではないが、例の911にちなんだイベントでシンガーソングライターの庄野真代さんとNPO「国境なき楽団」が主宰するセプテンバーコンサートに今年も参加して、私なりの平和のメッセージを音楽で表現したいと思う。やはり音楽家としてこういう訴えを続けることが重要だと考えるからである。今年はまだ出演日は正式に決定していないが、決定次第当ブログで発表します。

NPO法人「国境なき楽団」 http://www.gakudan.or.jp/

セプテンバーコンサート  http://www.sepcon.jp/

8月 15, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2009年8月 5日 (水)

八ヶ岳での休暇

3日から本日まで家族と八ヶ岳での休暇に出ていました。天気はおおむねよかったですね。

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私は長野県とか、山関係のリゾートへ行くと頭の中にブラームスの音楽が結構なるんですね。クラシック音楽も結構好きなもんで...  それで小淵沢インターに入ってからBGMはブラームスのバイオリンソナタト長調、そして交響曲第二番二長調にしました。

ブラームス自身、結構避暑地で作曲をよくしており、そのせいかそういう雰囲気が何となく音楽の中に入っているんでしょうね。おかげですっかり避暑地気分になりました。

しかし今回八ヶ岳に来た目的の一つが「中村キースへリング美術館」です。前々から行って見たかったんですねー。建築も独特の美術館です。

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普通美術館というのは中で写真撮影できないもんなんですが、今回は貸切状態だったので思いっきり撮れました。

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じっくり見ても一時間ちょっとで見て堪能できます。
さすがにキースの作品の時はブラームスではなく、HIP-HOPかテクノ系のサウンドがうかんできますね。

八ヶ岳は音楽祭も時々行なわれ、美術館も多いところです。高原ということで空気も勿論おいしいですが、野菜類が何よりおいしいですね。

八ヶ岳といえば、今から5年前にセラビリゾートの「大地の園」でインペグ関係の仕事をした思い出がありますが、今回はそちらの方には行きませんでした。一応まだセラビリゾートの施設ーコッテージと花ホテルーはまだ残っているようですがかつてのように音楽家が大量に演奏することはないようです。もう一度仕事をしたかったですね。

八ヶ岳にはいいレストランもたくさんあります。下記は富士見町にある「カントリーキッチン」 バイエルン地方の地ビールも飲めますが、車で来たので飲めなかったのが残念

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石窯で焼いたパンも売っています。数に限りがあるのであらかじめ予約しておいたほうが確実です。

宿・ホテル予約ならじゃらんnet

8月 5, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2009年6月23日 (火)

バリウムによる憩室炎(けいしつえん)のその後

もう今から一年半前の当ブログの日記に以下のようなものがありました。

■何とバリウムが緊急入院の原因ーブログ更新できませんでした

https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2008/01/post_bda7.html

この当時は現在のように「音楽関係」と「その他」の記事を分けていませんでしたので、このブログの記事としてアップしたわけですが、テーマが分かれた現在では本来なら私のもう1つのブログ「Kyojiのよろずひとりごと 」に記すべきものなのでしょうが、当ブログでアップした関係上このブログにてその後について述べたいと思います。(念のためもう1つのブログKyojiのよろずひとりごと にもアップしておきます)

結局は急性虫垂炎ということでとりあえず一週間強で退院、その後約二週間で仕事に復帰したわけですが、現在は肥満体によくあることらしいですが、腹壁瘢痕(はんこん)ヘルニア という状態になっています。これは手術あとの腹壁の瘢痕部(傷口)が癒合せず、腸管が脱出して、皮膚を押し上げるもので、肥満体系の人間によく起こることらしい。皮膚自体はくっついているので腸がそのまま飛び出ているわけではありません。幸い今のところ症状は軽いのですが、現状で再手術しても再発の可能性が高いと(お腹の脂肪の「圧力」でまた開いてしまう)いわれ結局は「ダイエット (!!!)」」するしかない、といわれてしまいました。ある程度お腹の脂肪がなくなってから、再手術を考えましょう、ということになっていますが、実は根が食道楽ということもあり、なかなか減量できず手術までに至っておりません。

まあしかしそれは私の体質の問題で今回のそもそもの原因とは無関係です。

要はこの急性虫垂炎が胃カメラに使うバリウムが腸や虫垂にたまり炎症を起したのが原因ということで、健康のためにやったことが逆に病気の元になってしまった、というのが問題だと思いました。特に問題はバリウムを使った検査にはこういうリスクがあるということが人間ドックの説明やがん検診の説明のどこかに書いてあったという記憶がないという点にとても大きな問題を感じました。

そこでそのブログのコメントを通して独立行政法人 医薬品医療機器総合機構といういわゆる特殊法人の存在を知り、そこへ問い合わせてみました。
 http://pmda.go.jp

この独立行政法人は薬品における副作用によって被害を受けた患者を救済するという制度(健康被害救済業務)を始め、薬事法に基づく医薬品や医療機器などの承認審査等の業務を行なっている特殊法人です。詳細は以下をご覧下さい。http://www.pmda.go.jp/guide/outline/business.html

私も一年半前の手術をきっかけに初めて知ったのですが、その中の「医薬品副作用被害救済制度」から今回の事態について申請をしました。その被害制度の概要を以下に引用します。

医薬品は、人の健康の保持増進に欠かせないものですが、有効性と安全性のバランスの上に成り立っているという特殊性から、使用に当たって万全の注意を払ってもなお副作用の発生を防止できない場合があります。このため、医薬品(病院・診療所で投薬されたものの他、薬局で購入したものも含みます。)を適正に使用したにもかかわらず副作用による一定の健康被害が生じた場合に、医療費等の給付を行い、これにより被害者の救済を図ろうというのが、この医薬品副作用被害救済制度です。この医療費等の給付に必要な費用は、許可医薬品製造販売業者から納付される拠出金が原資となっています

詳しくは以下をご覧下さい。http://www.pmda.go.jp/guide/outline/business.html

そこでここに申請をするために例によってお役所ですから実にたくさんの書類を用意しなければなりません。私の場合は

・医療費医療手当て診断書(主治医によるもの)

・投薬証明書(地方医療機関)

・受診証明書

・自己負担額の領収書のコピー

の4つを提出しましたが、申請内容によって提出する書類も違ったり別の書類も必要になりますので詳細は以下のページをご参照下さい。http://www.pmda.go.jp/kenkouhigai/help.html

そしてこういうのが究極のお役所仕事なのだな、と思いますが申請する時に審査が降りて救済金が下りるのは何と平均八ヶ月!!!!

さすがに一度は申請を躊躇しましたね。本当に忘れた頃に出るわけですが、でもこのままなき寝入りするのは嫌なのでとりあえず書類をそろえましたが、書類が全部そろうのに三ヶ月以上かかりました。

そして昨年の5月頃ようやく申請、まあ八ヶ月だから2008年度内に下りるかどうか、という感じでしたが、 

実はもっと時間がかかってしまいました。

この医薬品医療機器総合機構から追加書類の提出をしろ、というのが5-6回来た覚えがあります。そして最近知ったのですが私の虫垂炎を担当した医師の所にも2-3回医薬品医療機器総合機構から今回の症状に対して執拗なまでに問い合わせが来たらしく、何か私の方で主治医に迷惑をかけてしまったようで申し訳なく思いました。(医師自身も「これ以上の協力は困難」と書類に書いておりました)

そして当初言われた八ヶ月を過ぎても下りる様子はない、正直もうどうでもいいや、という感じになりましたね。ダメならダメでいいや、と思ってしばらくして医薬品医療機器総合機構から救済金が降りるという連絡が来たのは今月始め、そして先日入院費の実費のみですが、救済金が降りました。

しかし昨年の申請から一年と一ヶ月余り、なぜ通常より時間がかかったのかについては医薬品医療機器総合機構から一切の説明はありませんでした。

まあ救済金が降りたからいいではないか、と思うかもしれませんが何かこの一年強、何となくお役所仕事に振り回された感もありますね。本当にお役所仕事の最たるものといっていいでしょう。

ところで今回のケースから、バリウムによる検査から憩室炎(けいしつえん)、虫垂炎のリスクがある、という情報は広く知らされるんでしょうか? 私もこういう事態になるまでそういったリスクについて全く知りませんでしたし、おそらく殆どの人がそうでしょう。

救済金(手術費の実費)が降りたからそれでいいではないか、という問題ではないと思います。

6月 23, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (2)

2009年6月16日 (火)

私のもう1つの失われた十年

本日はうちの業務の1つであるサウンドコンテンツの音声収録のためクライアント立会いの元目黒区青葉台のスタジオに行きました。昨年まで別のスタジオを使っていましたが、今回のスタジオの方がコストパフォーマンス上いいので、今回はこのスタジオを使っています。

収録自体は順調に思ったより早く終わりましたが、実は目黒区青葉台→大橋近辺はかつて私が住んでいた地域で元地元といってもいい場所です。ちょうと10年前まで246と山手通りの交差点の所に住んでいたのですが、ここ十年で首都高の大橋ジャンクションの工事や池尻大橋駅近辺の再開発ですっかり街は変わってしまいました。

Building181

 

Photo_3

ところどころでは昔の面影は残っていますが、特に目黒川沿いにかつてポリドール(ポリグラム)レコードの本社とスタジオがあったのですが、もうまったく跡形も残っていません。あそこのスタジオは結構いいスタジオだったんですけどね。それと高層マンションがやたらに建ちました。まだ未完成ですが「入居者募集中」と大きく掲げています。世間ではマンション不況といわれていますが、この辺はそういった流れとは無関係なんでしょうか?

10年前、私のプライベート事情と仕事の事情両方の都合で実家のある今の場所に引っ越してきましたが, 自分がこの地域にいたときは会社的にも音楽的にもいい時代だっただけに割とこの地域に今でも愛着があります。桜の時期とか目黒川沿いはきれいですしね。

それにしてもこの十年、自分がどれだけの成果を収めることができたのか、と考えると愕然としてしまいます。仕事の種類はこの時代よりいろいろやったような気はするのですが成果、仕事の結果というとやはり物足りなさを感じてしまいますね。また業界の状況は私が大橋→青葉台地域を去ってからひどくなる一方であることを感じています。十年前、音楽業界の衰退は既に始まっていましたが、正直ここまでひどくなるという予想はさすがにできませんでした。

最近は業界の状況に関してはもうはっきりいって開き直ってますが、何か久しぶりにかつて自分が住んでいた地域に足を踏み入れ、自分にとってのもう1つの「失われた十年」を考えずにはいられませんでした。

 

 

6月 16, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2009年3月29日 (日)

子供のピアノ発表会

年度末もいよいよ近づいていますが、今日は子供のピアノ発表会。3年ぶりで親戚なども来たりして対応に追われました。そして例によって私はビデオ係りーこのあわただしい時に家族サービスです。

私が覚えている限り「ピアノ発表会」なるものに参加したのは中学生だったような気がする。モーツアルトかハイドンを弾かされた覚えがある。今日の発表会はちっちゃな子から高校生まで幅広い、一生懸命練習したらしい子、全然練習してなくて弾けなかった子、まだ指もろくに動かないけどがんばった子、さまざまである。

演奏曲はクラシックから童謡、アニメソングからJ-popにいたるまであった。ピアノの各先生が生徒用に編曲したものらしい。個人的には何もそんなに流行りものにこだわらなくとも、と思わなくもなかったがここまでしないと取り組んでくれない生徒もいたのだろう。

こういう子たちを見て思うのは「音楽をやることの楽しさ」というものを理解して欲しいということ。そして心の底から音楽を好きになってほしいこと。それだけである。

音楽を文化として認めない人たち、編曲、作曲という「クリエートする作業」は簡単ではないということを理解しない人たち、苦労してコンテンツを作ったクリエーターに対して尊敬や敬意もこれっぽっちも感じていない人たち

こんな人たちが社会の多数派になってほしくはない、今日ピアノ発表会で演じた子達にそれぞれ演奏して拍手をもらった、花束をもらった、その思い出から音楽文化を愛し、その価値を理解する人たちが増えてほしい

そう願ってやまない。残念ながらネットの世界に関してはそうでない人たちが多数派になっているように見える。

悲しいことである。音楽を文化ではなくただのファイルとしか考えていない人たちのいかに多いことか。

今日演奏した子供たちにはそうなって欲しくない


3月 29, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2009年3月15日 (日)

怒涛の一週間が終了して

先週一週間は本当に怒涛の一週間でした。作業は毎日午前2時ー3時まで行い少々睡眠不足です。それでも昨夜ようやく全ての作業が終わりました。
しかも殆どが「自社もの」関係での業務です。いずれも既にお知らせしている件ではありますが

まず奥津恵の残りの曲のTD作業、かなりポイントは抑えていたので比較的順調に行ったと思います。ミニアルバムは6曲入っており、手前味噌ですが曲のクオリテイではどこにも負けない自信があります。

明日マスタリング予定です。自社ものには当然シングルビットの高品位マスタリングで行ないます。

そしてこれが一番大変でしたが、4月4日のコンサートの楽譜作業とアレンジ作業、アレンジは1曲 Smoke on the water、さらに以前行なった曲(バッハのシャコンヌ)ですが少し手を加えました。そして今回運営側から早めに楽譜を提出するようにいわれましたので、この作業に忙殺されました。

普通我々バンドマンですとだいたいコード譜だけ書いていれば済むんですが、クラシックオーケストラの場合はそうはいきません。楽譜を、それもかなり詳細におたまじゃくしを記入したものを書かないと、クラシック系の人たちは何もできないので、以前、アレンジした曲の楽譜チェックから始まり、新曲や手直しもの等のパート譜を作る等メチャクチャ手間がかかります。

今回はベルリン風サロンオーケストラなので比較的パート譜の数は少なくて済んでいるんですが、(これがジョンウイリアムスのような大オーケストラだと数倍の手間がかかります) それでもフルート、クラリネット、弦楽5部の楽譜を作らねばならずこれが手間でした。オーケストラというのは演奏家の人件費だけでなく、こういう作業も必要ですからお金がかかるんですね。とにかく生のオーケストラほどお金がかかるものはありません。

しかしできあがった音はやはりそれだけの手間をかけても十分価値のあるものにはなります。だからソフトシンセやDTM DAW がどんなに発展しても生音の作業はなくならないんですね。またこういう音の価値を理解する風土は残さないといけません。

以前「ジャンクフード文化症候群」なる記事を書きましたが、本物の生音の価値を理解できる感性を退化させてはならないと思っております。どんなにソフトシンセやサンプリングが発展しようと、それをもって「生音は無用の長物だ」などと考える向きがあるとしたらそれは音楽文化にとって自殺行為だと思います。

というわけで是非一度生のオーケストラの音を体験することをお勧めいたします。

4月4日のライブ詳細はこちら
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2009/03/44-b7dd.html

明日月曜日はマスタリングと、こちらは請負の方ですが音声コンテンツの収録と現場が2つあります。請負の方の売上ももっと伸ばさなければなりません。明日もハードな一日になりそうです。

3月 15, 2009 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2008年9月11日 (木)

911から7年ー音楽家として表現者として

既にお知らせしている通り明日私はうちのアーチスト奥津恵とともに高井戸倶楽部にてセプテンバーコンサートに参加します。(私の演奏は午後7時頃です)

そして本日はあの悲劇から7年目の日を迎えます。本来ならこういう政治や社会情勢の話は私のもう一つのブログ「Kyojiのよろずひとりごと」にて書くべきことかもしれませんが音楽の表現にも関っていることだと思いますのであえて私の本来のブログでかかせていただきます。

ヨーロッパでは「大砲が火を噴けばミューズは沈黙する」という格言があります。ミューズはギリシャ神話での学芸の神ですが、7年前のあの悲劇が起きてから世界は戦争に突入していきました。日本は小泉政権たけなわということもありタカ派的な論調が優勢になりリベラリズムや平和を語る人間は社会の隅っこに追いやられる日々が続きました。またアフガニスタンやイラクの戦争に疑問を投げかけるブログなどは、ネットウヨや一部の悪質2ちゃんねらーの荒らしによって言論を封殺されるという例も数多くありました。(今でもそういう例はなくはないですが)

しかし私は音楽家であり表現者であります。こういう時こそ音楽家なら言葉ではなく音楽で主張を発表しなければならない、そういう思いは強く持っていました。しかしどのような機会でどのような表現をしたかについてなかなか頭の中でまとめることはできませんでした。

ようやくそれができたのは昨年の9月のセプテンバーコンサートにおいて、そして昨年演奏したポイントとなる曲を明日のセプテンバーコンサート(通称セプコン)でまた演奏します。よく考えればそのセプコンでポイントとなる2曲の詳細をこのブログで述べていなかったので、この機会に説明させていただきます。

・まず私のピアノソロ曲" To the victims of 911 and after"(911事件とそれ以後の戦争の犠牲者に捧ぐ) について

この曲は戦争の悲劇と平和の祈り、そして世界が平和と愛情に満たされるように祈ったものです。この曲には実は有名な曲のメロデイが3曲ちらばめられています。(勿論数小説単位で)1曲はアメリカの第二の国歌の"Oh Beautiful" そしてジョンレノンの平和の象徴の"Imagine"、そしてこれはよほど気をつけないとわかりませんが、"God Bless America"です。(尚、著作権のない"Oh Beautiful"を除きいずれも著作権法にふれない程度の1-2小節単位の引用になっています) これはアメリカ政府やアメリカ国民に対する抗議の意味が入っています。特にジョンレノンの"Imagine"、は911以降アメリカの多くのラジオ局で実質「放送禁止」(「自粛」という名の「禁止」ですが) になっていた曲です。(今でも一部の局では禁止であり続けているようです) アメリカという国は私に自由と民主主義のすばらしさを教えてくれた国ですが、ある時期アメリカはとても自由の国とは呼べない雰囲気があったのは事実です。今はかなり雲行きが変わってはきていますが、まだジョンレノンの平和と愛の精神の音楽が完全に復権したとはいえない状況です。そうした思いを込めた曲を演奏します。

・そして奥津恵の曲「君の笑顔を見てみたい

この曲は私の作詞作曲によるもので、元々はフォトジャーナリストの豊田直己さんの写真展「イラク・戦火の子どもたち展」を大野が見てインスパイアされた曲です。戦火の子供たちの実情を音楽家として歌にしようと考えこの曲を作りました。戦禍の子供たちへの愛情とこういう子供たちがいることを奥津恵の歌を通して知っていただければと思います。私なりのプロテストソングです。

「イラク・戦火の子どもたち展」に関しては次のページをご覧下さい。
http://senka-kodomotachi.cocolog-nifty.com/

豊田直己さん 公式サイト
 http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/

最後に私たちが住んでいる日本は平和ですが大砲がなっていなくとも学芸や芸術の神のミューズは日本国内では沈黙しているような気がします。こういうものを語るのが「ダサい」という雰囲気が確かにこの国にはあるからです。そういう意味でもこのセプテンバーコンサートのような機会は日本のような社会に必要であり、重要だと考えます。このような機会を作ってくださった「国境なき楽団」とシンガーソングライターの庄野真代さんに心から感謝の意と敬意を表したいと思います。

国境なき楽団 公式サイト http://www.gakudan.or.jp/

9月 11, 2008 日記・コラム・つぶやき |

2008年9月10日 (水)

仕事場のモニターアンプがこわれました。

作業中に仕事場(スタジオ)のモニター用のアンプがイカレてきました。あるレベル以上になるとリレーがかかって音が出なくなります。
仕方ないから音量を小さくして仕事しています。

このモニターアンプ、もう20年近く使っているので当然主だった部品はもうありません。半導体類なら代替品は可能ですがリレー関係だったらアウトです。機種はYamahaのA100

修理に持っていってもいいんだけど、YAMAHAのサービスセンターは平和島の倉庫街にありうちからは遠い。さらに修理もいくらかかるのか想像もつかない感じ。やっぱり買い換えた方がいいかなあ。二十年も使ってればもう寿命ですしね。別に真空管のアンプというわけでもないから無理してこれを使う必要もないし

それにしても先日はEIII そして今度はモニターアンプと結構機材が寿命に近づいているのが多い。録音設備も20年すると大変です。

でも25年前のビンテージシンセのJuno-60そして初期のDX7はまだ現役で時々つかってまーす。ソフトシンセたけなわの現在ですが、まだハードシンセの音を大事にしたいと思っている私です。

9月 10, 2008 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2008年5月 7日 (水)

取材を受けました

本日音楽雑誌「大人のロック」の取材を受けました。

「大人のロック」日経BP社

http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/

これは60年代、70年代のロック音楽黄金期のアーチストの情報を中心に取り上げている雑誌で、公称10万部発行の季刊雑誌です。ターゲットは勿論30代以上の世代です。私ももろに「ロックオヤジ」世代に入るものですから、雑誌を時々立ち読みはしておりました。

ここで今回「癒し系ヴォーカリストを探せ!!」という特集で私に白羽の矢が当たってしまいました。業界で「癒し系」というと相も変わらず私のところに来るパターンですが、もともと「ロック音楽」と「癒し系」というのは相容れない部分もあるので最初は悩みましたが、しかし中には心に残る名曲、いわゆるヒーリングの範疇に入れてもおかしくない曲というのは確かにあるので、その中の12人のアーチストの12曲を取り上げました。

どの曲かは読んでのお楽しみですが、結果的に割りとみんながよく知っている曲のリストになってしまいました。まあ人によって異論等いろいろあるかとは思いますが...

・掲載号」「大人のロック」15号(5月31日発売)

特集「癒しロックヴォーカリストを探せ!」

・日経BP社

全国の本屋でお買い求め下さい。

5月 7, 2008 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2008年1月27日 (日)

弊社及び私へのお仕事依頼について-スピリチュアル系、宗教系の方のご依頼はご辞退させていただきます

さて、私は音楽家であると同時に会社の経営者でもあるわけですが、

特にヒーリング音楽という分野に手を染めていると普通の音楽家と違い音楽とは違う分野の人とコラボレートする機会が多くなります。その意味で普通の音楽業界に閉じこもっている人よりは広い視野でものを見ることができたと自負しております。今まである面ではそれが大きくプラスに働いてきたと思っております

しかし残念ながらいつもそれがプラスに働いているとは限らないのも事実です。

実は一昨日ある仕事の件、ある分野の人からの発注を全く理解不能な理由でドタキャンを食らいました。CDのマスタリング作業にサブリミナル作業をするというものですが、音源の具体的な形ができたのは前日、それまで当然どういうものができるかわかりようがありません。それで明らかになった時点で「確認」やお願いをしたわけですが、それが「なんで土壇場でそんなことをいう」と来る。また今回のマスタリングの事前に「確認」や「覚え書き」等も提出していた。ところがよくわからないのですがそれが先方が気に入らなかったようです。しかも全く初めて聴く内容についても「以前話したでしょう」の一転張り、情報が一方通行でこちらの言い分も聴く耳もたず、とこれだけいえば「まともな人でない」のは明らかだと思います。普通の制作の確認のプロセスが気に入らないというのなら話になりません。

だいたい音源が前日になってできたのにどうやって「事前にもっと早く言え」というんでしょうね? 超能力でわかれとでもいうんでしょうか?

我々音楽の世界ではドタキャン、それも当日のドタキャンというのは一番やってはいけないことであります。これをやったら業界内で信用をなくし、ドタキャンした会社名が業界に流れれば音楽業界の人間と仕事をするのは難しくなります。制裁の意味で名前を公開してもいいのですが... 

実は今回のこのことがきっかけで残念ではありますが以後次の分野の方とはいかなる分野でもうちの会社でも私個人でもお仕事をお受けしないことにいたしました。実はこの分野の人とのトラブルは今回が最初じゃないんですね。それでも今までは何とか紆余曲折があったにせよ納品までたどり着いたわけですが、今回はこういうドタキャン、さすがの私も今回は切れました。

以下の分野の方のいかなるお仕事の依頼もご辞退させていただきます。

1.いわゆるサイキック系、もしくはスピリチュアル系、オカルト系(いわゆるトンデモ系)と思われる人たち

2.新興宗教、もしくは弊社もしくは私が「カルト的」と判断した団体、法人

私は「サブリミナル」とか「催眠」というメソードにも関っていましたし、ヒーリング音楽の音楽家として活動はしてきましたが、上記の2つの分野の人たちとは今まで一線を画して来ました。それでも音楽のプロとしてマスタリング、音質調整、CDのパッケージ製作とかを会社として何回か請け負ったことがあります。単純に請負の仕事としてやっていました。しかし必ずトラブル、いざこざ、無理難題ーそれも殆ど実現不可能な要求、とかがありました。

まあ一人や二人なら、「たまたまそういう人に当たった」だけと思えますが、今までうちがつきあったスピリチュアル系(いろんな人がいましたよ、超能力から気功、チャネリング etc etc)全てがなんらかのトラブルが起きるとなると単なる偶然とはいえないですね。

この上記の分野の人、私が会った人を見ると共通点があります。勿論、全ての人がそうだとはいえないかもしれませんが、私が今まであってきた人は見事なまでにあてはまります。

1.第一点は極めて思い込みが激しい人たちであること。 
 そのためこちらの説明や言い分を受け付けないということがよくありますね。こういう人は必ずどこかでトラブルを起します。特にスピリチュアル系や宗教系の人は殆ど危険なレベルまで思い込みが激しいです。また今回も顕著でしたが、「聴いた覚えがない情報」を「以前言った」と強硬に主張する場合が多く、当然いった言わないという不毛な話になります。しかも始末に悪いのは自分が絶対正しいと思い込んでいるために話し合いにすらならない場合が多いです。

2、二点目は社会常識に少し欠けている人が多い
 結局上記の部分常識的なビジネスの論理が簡単にひっくりかえることがよくあります。また話が知らない間に180度変わる、なんてことも珍しくありません。はっきりいってこういう人たちとは恐くて仕事ができません。

この2つの理由だけでも仕事をしない理由としては充分だと思います。過去3-4回、トラブルがありながらもキャンセルを食らわずに何とか納品したクライアントがありますが、はっきりいいます。この人たちとも二度と仕事をしたくありません。

まあサブリミナルというものに関っているため、どうしてもこの筋の人たちとの接触があったりもするんですが、世の中はサブリミナルというものを正しく理解していない人があまりに多いために、こういうわけのわからない方向にいっちゃうんですね。特にサブリミナルはいつか詳しく述べますが魔法でもオカルト現象でもなくれっきとした心理現象なんですね。また私は現在万引きを防止する防犯BGMシステムという分野でサブリミナルな刺激による行動学の実験を行っております、はっきりいってこの面ではどこの大学の先生よりも実験回数を重ねていると自負しています。それでサブリミナル刺激による行動学ーサブリミナル行動学といいますが、その刺激によるサブリミナル効果の強さ、限界というのが少しずつ見えてきました。それについては近日このブログで発表する予定です。

特に声を大にしていいたいのは、ニューエイジ、ヒーリングにしてもサブリミナル、催眠にしても安易な神秘主義やオカルテイズム的な観点ではなく、もっと客観的に科学の目で語る必要があるということです。もう精神医学や心理学、社会科学の分野では1メソード、現象として普通に論じられています。そういう時代なんですね。そろそろ日本はこういう「とんでも」系の人を相手にしない風土を作るべきですね。かえってヒーリングや「サブリミナル」をはじめとする心理現象というもののイメージを悪くしていますから

ついでにいえば私は世の中にある「トンでも本」に関しては極めて批判的な見解、というか論ずる価値すらない低俗な書物だと考えています。今度の世界滅亡は2060年だって? よくもまあ都合よく世界滅亡の日がくるくる変わるもんです。ノストラダムスとかどこいっちゃんたんでしょうかね?そんなに世界が滅亡して欲しいんでしょうか? たいした根拠のない「資料(なかにはでっちあげもかなりあるでしょう)」で終末観を煽り、社会不安を煽り(これってちなみにカルト宗教の常套手段ですーオウム真理教参照)そういう阿漕な手段で金儲け。
最低の連中ですね。

たぶんこれだけでスピリチュアル系、宗教系の人たちのかなり人たちとは相容れない部分があると思います。
相容れなくて結構、 はっきりいって「サブリミナル」に関っているというだけでこういう人たちと同類に見られるのが私は死ぬほど嫌なんですね。

というわけで繰り返しますが、サイキック系、もしくはスピリチュアル系、オカルト系、宗教系、のみなさんからのいかなる分野の依頼は弊社ハイブリッドミュージックといて、そして私個人としてもお受けすることができません。
仮にお問い合わせいただいてもご返信しない場合もございます。
あしからずご了承下さい

本当は今年は景気後退が間違いなく起きる年、あまりお客を選んでられないはずだけど、仕事上でトラブルが起きるのはもっと願い下げなので、だって他の仕事に影響しますからね。

1月 27, 2008 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2008年1月15日 (火)

何とバリウムが緊急入院の原因ーブログ更新できませんでした

お断り:当ブログは「音楽関係のブログ」のため本来は私のもう1つのブログ”Kyojiのよろずひとりごと"に転載すべき内容ですが、この記事を書いていた当時はブログをかき分けていなかった点と、記事の反響が予想以上に大きかった点ともあり、記事をこのままにしておきました。念のためこちらにも同様の記事を掲載しております。
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20080115

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実は先週の9日、突然朝から腹痛を覚えまさかノロウイルスかと思い町の医院に出かけ薬をもらったのですが、全く効果なし、痛みは増す一方なのに、吐き気や下痢の症状は全くないので思い切って家の近くの病院の夜間救急に行きました。

それでCTやレントゲンを取ってみたら、何と、憩室炎(けいしつえん)と虫垂炎を併発していることがわかり緊急入院。ということで結局盲腸でした。それもかなりひどい虫垂炎だったようで処置が遅れたら腹膜炎となり命にかかわる事態になった可能性がありました。
おかげで新年会や打ち合わせ、収録等の予定を全てキャンセルしたりしなくてはならず新年早々入院という事態になってしまいました。

その後手術、(幼少時の脱腸以来)点滴という毎日で丸々一週間過ごしました。特に9日-11日の三日間は全く何も食べず、点滴のみという辛い時期を過ごしましたが何とか本日無事退院の運びになりました。

実は今回のこの虫垂炎の原因がとても意外なものだったのでこのブログに書きます。

私は年に一回は人間ドックにいって胃カメラでバリウムを飲みます。
これをやった人なら分かると思いますが終わった後必ず下剤と大量の水分を飲みますよね。
一応それをしっかりやっていたつもりだったのですが........
だがCTスキャンとレントゲンて憩室(けいしつー大腸の表面のくぼみ)と虫錘にバリウムが入り込み炎症を起こしたというのです。

こういう事は時々起きるようで。健康のためにやったことが逆に病気の元になってしまった、というのが今回の緊急入院の原因でした。皆さんもバリウムを飲む時は気をつけましょう。

実はこの病院の医師の話だと私のようなケースは月に一度くらいの頻度であるようです。

まあ今回のケースは薬害C型肝炎のようなケースとは違うし、医療事故ともいえないかもしれませんが、問題はバリウムを使った検査にはこういうリスクがあるということが人間ドックの説明やがん検診の説明のどこかに書いてあったという記憶がないのです。

私の周囲でそれを知っている人は一人もいなかったし、おそらく一般社会的にもバリウムのリスクというものが認知されているとは思えません。

勿論バリウムを飲めば誰もが私のような症状になるわけではありません。ですから即バリウム=危険、といっているわけではありませんが今回のようなリスクがあるということは注意を喚起するなんらかの方法は講じるべきでないでしょうか?

薬害エイズなどは言語道断の事件でしたが、薬害C型肝炎も要は官僚の怠慢が招いた事態です。 今回のバリウムの件もそうした厚労省の体質が反映されているような気がしてなりません。どうも厚労省の官僚には基本的に患者への視点が欠けているように思えます。

1月 15, 2008 日記・コラム・つぶやき |

2007年12月23日 (日)

映画「俺たちの世界」忘年会

今年のぴあフィルムフェステイバルで三部門受賞した中島良監督作品「俺たちの世界」の関係者による忘年会が開かれました。監督と出演者の小川君以外は7月の上映会以来の久々の再会でした。(結構初めてお会いする人もいましたが..)

 

 

この「俺たちの世界」昨年のバンクーバー国際映画祭に続き、年明けにはオランダ、ロッテルダム国際映画祭の招待作品、アメリカのサンフランシスコインデペンデント映画祭、そしてメキシコ国際映画祭と次々に海外の映画祭で上映されることが決まっています。

 

ちなみに監督が忙しくて監督のブログをなかなか更新できないようなので、替わりにバンクーバーで「俺たちの世界」の反響について述べましょう。バンクーバーの観客からは映画の質もさることながら、映画のテーマそのものに観客は興味津々といったところで、内容についての質問が相次いだそうです。
 日本の観客と違うのはカナダの人はわからないことがあると、それに対して積極的に質問をしてきて、内容を積極的に理解しようという姿勢が見られるらしいです。日本は割りと好みや印象で評価する傾向がありますが、海外で上映されて、一番そこがよい経験になったようです。 何かわかる気がしますね。近々ロッテルダムでも上映されます。ヨーロッパの観客にはどう移るかも楽しみです

 

一方ここでやや残念な話もしなくてはなりません。中島監督が提出した「ぴあフィルム」のスカラシップ映画の企画が結局ボツになったことがわかりました。中島監督の「クリエイテイブ」過ぎる内容がぴあのトップの人にやはり受け入れられなかったようです。もともと「おれたちの世界」の審査員の反応を以前聞いて、正直「だめだこりゃ」と私自身も思いましたので、一抹の不安はあったのですが、今回のことで「俺たちの世界」以外でのぴあとのつながりは事実上なくなります。残念ですが仕方ないですね

 

しかし「俺たちの世界」の評価のおかげで結局、スターダストピクチャーズで映画監督の仕事をすることになったのですから特に関係ないでしょう。監督はスターダスト内でかなり自分のクリエーターとしてのカラーを出すべく毎日奮闘している話も聞きました。会社の上司とも衝突しているという話もあり、やや心配ではありますがもともと中島監督が「サラリーマン的」に従順になるとは誰も思っていないと思いますので、がんばってほしいと思います。但し今度は興業的にも結果を出すことが求められます。結果さえ出せばどうにでもなるんですけどね

 

それにしても音楽業界も映画業界も本質は同じだなあと思いました。

 

どちらにせよスターダストで少なくとも一本は映画を作るでしょう。どういう映画になるか楽しみです

 

ちなみに監督の話だと最近アンビエント系の音楽に凝っているようです。アンビエントは私の得意分野だという話は監督にしておきました。

 

というわけで関係者の皆さん、よいお年を!!




 

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

 

 

 

12月 23, 2007 日記・コラム・つぶやき映画・テレビ | | コメント (0)

2007年11月30日 (金)

鵜川氏逝去と彼の桐蔭学園について

お断り:当ブログは「音楽関係のブログ」のため本来は私のもう1つのブログ”Kyojiのよろずひとりごと"に転載すべき内容ですが、この記事を書いていた当時はブログをかき分けていなかった点と、記事の反響が予想以上に大きかった点とこの記事の内容に嘘偽りがないことをOB関係者のコメントによって証明されたこともあり、記事をこのままにしておきました。念のためこちらにも同様の記事を掲載しております。
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20071201

尚、ブログ主は同校を卒業して40年以上経っており、現在の桐蔭学園はかなりこれと変わったらしい、と聞いています。少なくとも40年前の桐蔭学園はこうだったということでご理解いただきたいです

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正直いってこれをブログに書こうかどうか迷っていた。正直かなりの葛藤があった。もしかしたら「死者を鞭打つ」ことに結果的になるかもしれないから、 また当学校OBに鵜川氏を熱烈に尊敬し、中には本当に「神」のように崇めているいる人すらいるのも事実。そういう人たちを刺激するかもしれない、実際この関係で当ブログのアクセス数も増えた。

だがこの学校の本当の姿は卒業した人間でないとわからないであろう。それについてあえて今だからこそ公開した方がよいと思った。一部のOBからの批判や反発を買うことを承知の上で

一昨日(日付では3日前)、ブログ記事では建前上「ご冥福云々」と書いたが、ここであえて本当の本心を書かせていただきます。

率直な印象は
「驚き」はした。だけど「ふーん」という感じ

正直いって悲しみなど覚えない。もっとはっきり本心をいうと「どうでもいい」

寧ろ私がお世話になった大学の市井三郎教授が急逝した時は本当に深い悲しみを覚えた。また高校や大学の同級生でまだ若いのに他界したのを聞いた時も悲しい気持ちになった

だが今回はそれが     

ない

確かにあの高校にいたから、インフルエンザで最悪の体調で大学受験しても現役で大学に入れた。滑り止めしか受からなかったけど一応現役で入れた。

それは感謝すべきことなんだろう。

高校時代に本来ならもっと経験すべき多くのことができなかったが、それは別にあの校長のせいではない。それは私自身の責任、問題、校則が厳しかろうがいわゆる男子校(当時は女子部はなかった)という制度のせいにはできない。もっと私なりに創意工夫があればその程度の問題は乗り越えられただろう

だが

あの学校で行われたのは本当に教育だったのか

というと 

断じて それは

違う ..........

よく考えて欲しい

一学年600人、これだってまともな教育をしようと思えば多すぎる数だ。

それが女子部が増えたとはいえ、今は一学年1800人 (!!) 

この人数では教師の数がどんなにいようが行き届いた教育などできるはずがない。これはもはや学校ではない。 没個性的な規格人間の工場である

そう、あの学園は某M菱が作った学校、 上司のいうことに盲目的に従い、与えられた枠の仕事のみをきちっとすることだけを考える没個性的「企業人ロボット」の培養工場、というのが正しい表現だ。

実際あの鵜川氏の理想は「官僚主導の国家主義的資本主義」 そしてその理想に最も適した人材を養成する、それが桐蔭学園の基本理念である。

そう、岸信介からの戦前のメンタリテイを色濃く反映した保守右派の考え方である。鵜川氏はその熱烈な支持者だった

そのため校則は戦前の軍隊学校を思わせる内容だった

そしてそれに従わない者には容赦ない「鉄拳」が待っていた。普通の学校なら暴力沙汰で大問題になるはずがなぜかこの学校では全て不問、私の記憶が確かなら在学中も少なくとも教師の暴力で4-5人の入院者が出ている。そして言葉による今でいうパワーハラスメントなど日常茶飯事。

ちなみに私の頃は男子校だったので教師も遠慮なしにそういう行為に走っていたが、女子部ができても同じような行為をしていたのだろうか。まさかいたいけな女の子に拳でぶんなぐり、竹刀で何回もぶったたき、なんてことを実際したかどうかまではわからない。いくらなんでもそこまではしていないと思いたいが...

まあ、そんな学校を作った人物である

だがこの理念は日本の保守層(特に右派や殆ど右翼(いわゆる経済右翼と呼ばれる人たちが中心)といっていい人たちまで)、自民党の右派や財界関係者にはものすごく受けた。そして「学校ビジネス」としては大成功した

東大が一時100人に迫った? 早大、慶応の合格者は他の学校を圧倒 !?
そりゃそうだ、一学年の1800人もいればね。

鵜川氏は教育のビジネスマンとしては間違いなく一流である。なんといっても一代で膨大な学園地を作り、横浜市の丘と藪しかなかった場所に巨大な学校を建てた。それはいい悪い、好き嫌いは別としてすごいことだ。

だがあくまでビジネスマンとしてだ。  教育者としてではない

少なくともこの学校から私が直接受けた人生観やその他の精神面での影響は

皆無といってよい 

お前には愛校心がないのかって?

そりゃ少しはありますよ。 最近は全然駄目だけど野球部が甲子園に行った時はうれしかったし、今はラグビーも強いようだ。スポーツでも名を上げている学校ではあるが...

しかし残念ながら早くもほころびが見えてきた
鵜川氏の他界の前日に不祥事が起きた

桐蔭学園高1年の男子柔道部員を逮捕/横浜・青葉区で路上強盗【速報】
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiinov0711605/

まずいことにこの柔道部員「先輩と酒を飲んだ」と供述しており事実だとすればこれは一人や二人の退学処分では済まない。

柔道部は桐蔭の運動部の中でも伝統ある運動部であるだけに
不祥事が発展すると
桐蔭のダメージはかなり大きい

たぶん、不祥事はこれだけじゃないと思うけどね。表に出ていないことがおそらくたくさんある。

ついでにいえば

桐蔭は「受験もスポーツも強いー文武両道の人材を育成している学校だ 」
などとプロパガンダしていますが



真っ赤な嘘 

スポーツ特待生と普通の受験生が両方いる

1800人もいればピンキリです

ちなみに次期校長と目されている榊原氏
我々は「バラキ」と彼を呼んでいた。 元野球部の部長
鵜川の腰ぎんちゃくといわれた男(私が言ってるのではありません、念のため)
勿論カリスマ性では鵜川氏に数段劣る。

誰がなっても鵜川氏のような指導力を発揮するのは無理

この学園の 周落は
避けられない   残念ながら

だから申し訳ないですが、この方が死んでも
悲しみは特に感じません。
もっとはっきりいえば  「どうでもよい」

これが私の本心です。 

 

 

11月 30, 2007 日記・コラム・つぶやき | | コメント (26)

2007年3月11日 (日)

子供のピアノ発表会

うちの娘が地元のピアノ教室(個人のピアノ教師3教室合同)の発表会に出るということで親戚のお迎えやビデオ撮影係と例によって家族サービスで大変だったが、考えてみれば教室の発表会なるものを自分でやったのは果たしていつのことだったろうか、自分でも覚えていない。私が青島何某に作曲理論を学びに行ったころそこで発表会なるものがあったのを記憶しているがその時はピアノではなく自作を発表する場であった。驚くなかれミニマリズムの現代音楽だったのだ。(大学生の頃だったと記憶している)

純粋にピアノ発表会なるものは最後にやったのはいつだったか記憶にない。それくらい昔の話だが、はっきりわかったのは自分の時代と演奏曲目がガラッと変わったこと。大半が小学生ということもあるがデイズニーメドレーから何とJ-popものまであった。私の頃には考えられなかったことである。勿論ピアノをある程度長くやっていたら必ず弾かされる懐かしい曲(クレメンテイとかクーラウとかブルグミューラーとか)もあったし、勿論ベートーベンやモーツアルトといったクラシックもあった、それにしても赴きは自分の時と大きく変わったのが興味深かった。

勿論基本的にはそれはいいことであると思う。特に子供たちが興味を持って楽しく弾ける環境を作ることは大切である。私の時代ではそうして配慮があまりなかったといってよい。まだ体育会系的というかスパルタ的な風土が残っていたのである。それを考えると私の性格でよくもまあこんなに長く続いたものだと自分で感心する。

しかし演奏の内容について、まあ子供の演奏なので音楽的評価はともかく「よく練習している」子とそうでない子の差は歴然としているなとも思った。少し気になるのはある程度大きくなってピアノもそこそこ続けているはずなのにまだ手首を大きく下げて(したがって手は上向きで)弾いている子がいた。なぜピアノ教師はそれを直さないのか不思議だった。あるいは注意しても直らないのか、

ピアノや鍵盤楽器は手を丸くして卵をかぶせるような感じで弾くのが基本である。趣味でやったり、楽しくやるにしても基本は大事にした方がいいと思う。

とにかく終わった、一番気がかりだったのは当日になって子供が熱を出したりするんじゃないか、というのが心配だったがそれもなくつづがなく終了。それがなによりだ。


DHCオンラインショップ

3月 11, 2007 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2007年2月22日 (木)

10周年ーかつて一世を風靡(?)した作品発売十周年飲み会

かつて人気を博したシミュレーションゲーム"Little Lovers"の関係者の飲み会が発売10周年を記念して新宿で行われました

ご存じない方のために説明しますと一時流行った女の子と「同居」シミュレーションゲームで同じく人気を博した「ときめきメモリアル」と同じようなシミュレーションゲーム。但し我々の"Little Lovers"の方が発売は早かった(と思う)

Ll1 Ll3 Ll2

左がその"Little LoversI" 当時は「声優ブーム」だったこともあり主演は人気声優の吉田古奈美さん、菅原祥子さん、笹本優子さんの3人、真ん中はヒットしたため好評のためアクセサリー(スクリーンセーバー) そして右が"Little Lovers2"で主演が今も人気声優として活躍中の坂本真綾さんです。テーマソングとゲーム音楽はいずれも私の手によるものです。

この時はゲーム音楽も結構作り甲斐があったんですね。今は音にお金をかけるゲームは全体のほんの一部、殆どは音大や音大専門学校の子たちをアルバイト同然で雇って作らせているのが現状。それもあってこの仕事は私にとっても忘れられない仕事の一つになっている。

今回の集まったメンバーで唯一ゲームの仕事をし続けているのはじろっくすざん一人だがまた何かいっしょにできる機会ができればいいのだが...

ちなみに既にご案内していますが"Little Lovers2"のテーマソング「明日への扉」はうちの奥津恵のヴォーカルによってリメークする予定です。これから何回か人前で歌わせて自分のものにできるように練習させます。






2月 22, 2007 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2006年9月28日 (木)

映画「俺たちの世界」クラシック音楽演奏打ち合わせ

さて、かねがねお知らせしている映画「俺たちの世界」で使われるクラシック音楽4曲についての打ち合わせをリハーサルを兼ねて新宿で行った

バイオリンは斎木なつめさん。既にリリーズのコンサートでごいっしょしているのでもう気心知れている。ピアノは音大を卒業したばかりの早川さん。監督自身のご紹介でした。

中島監督立会いの元 以下の音楽のリハを行いました

ヴィッターリのシャコンヌ
ドヴォルザーク 「母の教え給えし歌」
ベートーベン 「月光」ソナタ一楽章
       「悲愴」ソナタ第二楽章

なつめさんは映画のシーンに合わすべく監督と演奏のイメージについて入念な打ち合わせをしてくれました。リリーズのコンサートの時もそうでしたがシチュエーションに柔軟に対応してくれるので助かります。やはり真のプロに頼むと仕事は楽になる。監督は特になつめさんのヴィッターリのシャコンヌの演奏を気に入っていました

まあ音楽はかなり監督のイメージ通りのものになりそうです。クラシックはいずれもカタルシス的な場面で使われるので見ている人は印象に残ると思います。クライマックス部分で「悲愴ソナタ」のニ楽章がでますがとてもせつない感じになります。

明日じゅうにレコーデイングの日程を決定したいと思います

9月 28, 2006 日記・コラム・つぶやき |

2006年9月11日 (月)

9.11から5年

今日は日が日だけに暗い話です。読みたくない人はとばして下さい

あの忌まわしい9月11日のテロから5年がたった。
ニューヨークの「グラウンドゼロ」では追悼式典が行われている。7年くらいニューヨークに住んでいた人間としてWTCのツインタワーがなくなったマンハッタンがいまだに信じられない

しかしそれから勃発したアフガニスタン、イラクでの戦争、しかもイラクの戦争の大義名分は全て大嘘だったことが判明した。しかもアメリカ内では9.11の陰謀説ーアメリカの自作自演説までまことしやかに論じられている。その真偽は別としてそれだけ政府に対する不信感がアメリカ人の間でも増大していることを示している。

あの事件からアメリカはすっかり変わってしまった。メデイアは事実上政府にコントロールされていた状態だったしリベラル派は政府、行政は勿論メデイアからも大半が追放された。政府やイラク戦争に批判的な言動をした人間は職場から追放されたか、されなくても窓際に追いやられた。その中には誰かに監視されている感じがすると訴えた人間もいる。事実とすれば今のアメリカは警察国家になっていることになる。イラクや北朝鮮のことなど同様ー事実上の独裁国家だ。

そして、何よりもあれから罪のない人間の何人が死んだのか。
更にあの戦争によって確実にもうけた連中が存在するという事実、そしてそのもうけた連中がブッシュの支持母体であるという事実。

何度も言うがアフガニスタンでもイラクでも実際のテロリストより一般市民の犠牲者の数の方が圧倒的に多い。アメリカのメデイアはそのことに殆ど触れていないがそれは紛れもない事実である。(実際殆どのアメリカ人がそれを知らない)

アメリカ人は海外で現地の人間がどれだけ死んでも眉一つ動かさないが、アメリカ人が外国で一人でも惨殺されたらヒステリックになる。大半のアメリカ人にとって外国で何が起きようと知ったことじゃないと考えているのが現状だ。アメリカ政府などはもっとひどい。アメリカ一国の利益さえ守られればいい。あとは知ったことじゃない。逆らう国は全部つぶすぞ。そういう国になってしまった

アメリカは私に自由と民主主義のすばらしさを教えてくれた国である。その国がこんな風になってしまったのは悲しいしやりきれない。

9月 11, 2006 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2006年8月15日 (火)

これからも平和の中で音楽を続けられますように

というのが終戦記念日での私の願いー前の日記コメントでいろいろゴチャゴチャ書いたが、とどのつまり私の願いはこれだけです。平和と安定の中で楽しく音楽をやり、ステージを行えてお客さんといっしょに楽しむことができる世の中でいつまでもあって欲しい。それだけです。そして日本のみならず周辺地域の国、外国ともトラブルがないように相互理解を深める努力をしていきたい。それが切なる願いです

最近のネットやブログのコメントを見ると、特に若い世代に多いような気がするが、タカ派的なコメントが目立つように思う。特に在日の人たちを始めとした朝鮮や中国の人に対する差別的発言を平気で書き込む人間が少なくないのが読んでいて悲しく情けない。無知は偏見を生み、そこから憎しみへと進化する。だからこそ安価なナショナリズムに流されず相互理解を続ける努力が必要だと思う。戦前の過ちを繰り返してはならない。

この国の行く先を案じつつ、音楽文化を通じて人の心が豊かになるように今後も音楽の作家としてがんばっていきたいと思います。平和は、それぞれの心の平安にある。
その平安を、音楽に込めて祈りたいですね。

8月 15, 2006 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2006年8月 7日 (月)

シタール奏者の友人に十数年ぶりに会いました

先日某大手レコードメーカーの元プロデユーサーで現在は某音楽財団にいるF氏より連絡があった。その元プロデユーサーは二十年以上のつきあい、後にも先にもこんなに長い付き合いをした音楽プロデユーサーは彼だけである。

そのF氏が「シタール奏者のPさんが連絡を取りたがっている」との連絡をしてきて彼の連絡先を教えてくれた。実はそのシタール奏者とは昔何回か会っていて、自宅にもお邪魔したことがある。スリランカ人だがもう日本の30年以上いるので日本語はペラペラ、電話で話していると日本人と間違えるほどである。彼は時々自宅でカレーパーテイー兼インド音楽ホームコンサートを開いていてその関係で何回かお宅に伺った。彼のインドカレーは絶品である。
しばらくの間に何となく連絡がとぎれてしまったがまだ僕のことを覚えておいてくれたのだ。

 

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そのシタール奏者、プレームダーサ・ヘーゴダ氏は何とあの伝説のシタール奏者ラビシャンカールの弟子である。ラビシャンカールでわからなければ、ノラジョーンズのお父さんといえばわかるだろうか? そうノラジョーンズのお父さんは伝説のシタール奏者でジョージハリスン、ジミーページにシタールを教えた人として知られる。ロック音楽、特にプログレっシブロックがインド音楽より強い啓示を受けたのもこのラビシャンカール氏がいたからである。

このプレームダーサ氏、現在は創価大学でインド音楽を教えつつスリランカで政府認定NGO  プレーマダーサ・ヘーゴダ基金 、日本ではNPO法人 「アジア教育・文化・自然環境保護日本支援センター(JECNA)」の代表も勤める等、スリランカで恵まれない子供たちへの教育支援を行いつつ、シタール奏者、日本でのインド音楽伝承のパイオニアとしての活動をしている。

さて、本題だが今日プレームダーサ氏のお宅に伺ったのはプレームダーサ氏がシンセやパーカッション等によるセッションライブをやりたい、との話でその打ち合わせを兼ねていた。実は十数年前にもそういう話をした記憶があるが結局、そのままになっていた。今度はかなり具体的な話になる

プレームダーサ氏のシタール演奏を聴きながら、いろんな演奏のパターンについて語り合ったが、やはり生のシタールをそれも近くで聞くと本当に気持ちいい。シタール、ラーガの音色は明らかに人間の意識を開放、瞑想状態に追い込むーつまりラリる状態にもっていく本当に不思議な魅力を持っている。既に何千年という歴史がある音楽なのだ

というわけでできれば今年中にシタール、タブラー(プレームダーサ氏はタブラーも叩く)とシンセ、ピアノとのライブジャムセッションを行いたいと思います。具体的になったらここでお知らせします

8月 7, 2006 日記・コラム・つぶやき |

2006年6月21日 (水)

化粧品メーカーの作品納品!!

本日例の某化粧品メーカーのサロンに流す環境音楽でスポンサーよりOKが出て無事納品。
殺人的なスケジュールの中で制作されたひとつの仕事が無事終了した

この化粧品メーカーの最高級ブランドのイメージを表現すべく弦カルやピアノの音を豊富にフィーチャーした。
特に今回のコンセプトはブライアンイーノの”Discreet Music"のアコーステイック版

イーノのDiscreet Musicはシンセのシーケンサーとテープループの音のずれを利用した環境音楽である。
テープループといってもわからない人がいるだろうが、オープンリールをエンドレステープにして再生ヘッドと録音ヘッドによる時間差によりデイレイ効果で、いわゆる昔よくやったアナログデイレイの原理である。テープループは今でいえばサンプリングのループに当たる。ちなみに昔メロトロンなる楽器があったがこれは楽器の中に無数に楽器音を録音したテープループが入っていて、今で言うサンプリングマシンの原型である。

今回はそのソフトとハード両方によるサンプリングシンセによる「生楽器音」によって同じコンセプトで作曲されている。とはいえ勿論イーノと全く同じ事をしているわけではない。あくまでメソードの応用である。

正直いわれなければサンプリングだとはわからないだろう。しかし実際にこれを生楽器で演奏するのはおそらく不可能である。仮にやってもぐちゃぐちゃになり演奏家も何を演奏しているかわからないだろう。だって、もともとぐちゃぐちゃな曲だから...
しかし音楽としてはヒーリング効果がきちんと出るように作られている。もし某高級品売り場のサロンで弦カルとピアノのペースの環境音楽風BGMが鳴っていたらそれは私の曲と考えていただいて結構です。ちなみにこの高級ブランドー高級化粧品売り場か免税店でしか売っていないようだ。

<リリーズ関係>
リリーズのCD Karinga/Dragonが無事本日、スイレンミュージックさんに納品されました]
緑色ベースのジャケットで、リリーズのお二人もとても喜んでいると聞いてます。
取りあえずひとつ肩の荷がおりました。あとは25日のライブーこれを乗り切れば私は解放されます(^^)

6月 21, 2006 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)

2006年6月13日 (火)

アレンジ作業中

25日のライブに向けてアレンジ作業中、
実は前回のお知らせと比べ大幅に曲目が変わっている。そのため作業量が増えている
リリーズナンバーも殆どがストリングスが入っているので全部、弦の楽譜の用意をしなくてはならない
ものすごい作業量である

作曲、というのは基本的に誰でもやろうと思えばできる。オリジナリテイ云々という点を別にすればだ。
だが編曲ーアレンジャーになるには適性がある。これは私の言葉ではない。ジャズの前田憲男先生の言葉だ

1.まず、面倒くさい作業をいとわないこと。性格的に「まめ」でないとこの仕事は勤まらない
2.音楽の基礎知識があるのは勿論のこと、特定のジャンルのみではなく様々な音楽のジャンルの幅広い知識が必要ー視野の広い人間であること
3.忍耐と持久力が必要。とにかく編成が多ければ多いほど作業量は膨大になる。そのためその作業量をこなせる忍耐力と持久力が必要

昨年の秋だったか「アレンジ職人コンサート」なるものに出かけたことがある。先ほどの前田先生が主役になって
さながら「前田憲男のアレンジ講座」のようなコンサートだったがいわく「アレンジに不可能はない」
その通りだろう。
前田先生には数回しかお会いしていないがそれだけでも様々なことを教わった
特に西麻布の某飲み屋で先生と直接いろいろお話しただけでもものすごい勉強になった。
生きるアレンジ教科書のような方だろう

奇しくもほぼ同時期から作曲よりも編曲の仕事の方が多くなったが、先生とのお話でいろいろ役にたったことがある。先日のオーケストラによる「ロックの名曲アレンジ」などはその際たる例だ。

25日のライブにはちょっと趣向を変えた曲が入る。皆さんよくご存じの曲をちょっとおしゃれにアレンジする
(リリーズナンバーではありません)どんなものかは会場に来場してのお楽しみ

ちなみに前田先生は日本酒党、私は日本酒は弱いので酒の量は勝負にならない
日本酒好きな人って長生きする人多いんだよね

私は音楽家のスタートが人より遅いため、人よりは長く仕事をしたいと思っている
少なくとも前田先生の年齢までは第一線でがんばりたいと思っているが.. あと25年以上ある....

6月 13, 2006 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月31日 (水)

化粧品メーカー用音楽

昨日、某大手化粧品メーカーの本社に取引先の制作会社とプレゼンのため立会い(守秘義務のためメーカー名は明かせません) ほんの数人による会議と思いきやぞろぞろ人が入ってきて何と20名以上(@_@)!! しかも本社の宣伝部長立会いのもとの会議。

仕事の内容はなんと化粧品のサロンに流すヒーリングミュージック、ということで私によく来る類の音楽。20数名まあいいたいこといってそれに応対する自分、いやー疲れた。 本当に企業、それも大手企業相手の仕事って疲れる 特に気づかれが多いんだね

しかし何はともあれ宣伝部長立会いの元、今回のサロン用 音楽(CD)の方向性が決まった。それは一安心。しかしすぐに 作業を始めなければならない。何せ1時間分作るのだー 来週末まで...

このメーカーの最高級ブランド(名前をいうと女性ならすぐメーカー名がわかるほど有名な超高級ブランド化粧品らしいー私は知らんかったけどね)で、おそらくはかなり利益を出しているだけに力の入れ方が違うのだろうけど、それにしても20数名も来たのにはまいった(^^;;) さーて早く片付けなくてはならない。

例のライブ用のアレンジもやらなくてはならんし.....

5月 31, 2006 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月21日 (金)

アレンジまずは1曲終了

昨夜元アイドルグループの新曲"Karinga"のアレンジを
とりあえず終える

先方にmp3を送り、本人たちには好評だった模様
詳細を詰めるため来週の水曜日に来室予定

何度も書くが昔のアイドル時代の曲のイメージは
かけらもない。同じアーチスト名でも曲は全然違う
これに歌をどうやってかぶせるか

それによるだろう
最終的に何曲やるのか、まだわからない

とりあえずミックスを含め完成したら当ブログに
アップします

4月 21, 2006 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月17日 (月)

pro tools Digi002 復活♪

先週の金曜日の深夜突然ダウンしたpro toolsの
Digi 002 rack

 

本日、赤坂のAvidに午前中に直接持っていったら
午後3時頃には修理が完了

 

その間、知っている事務所に顔を出したりして
時間をつぶしていた
夕方帰宅後、電源を入れたら無事動いた
よかったー ♪

 

これで仕事を再開できる

 

ちなみにこのケースはpro tools LEでは
よくある故障らしい。もうAvid社はこちらの
症状を説明しただけで、ちなみにこのケースはpro tools LEでは
よくある故障らしい。もうAvid社はこちらの
症状を説明しただけで、対応が早かった

 

何でも内部の電源ケーブルの不良との事でその
ケーブルの交換をしたようで、買ってまだ一年
たっていないので修理代も無料。

 

とにかく一安心♪

 

 

Apple Store(Japan)

 

 

 

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2006年4月15日 (土)

pro toolsダウン!

さて せっかくうちのスタジオの写真をアップしたと思ったらトラブル発生!!
昨夜作業中に突然 カチッという音とともに
Digi 002のサンプリングの緑のLEDが消灯、Mac上からも
突然表示が消えてしまった
Digi002自体を認識しないし、当然接続のHDも認識しない

 

電源を入れなおしたりいろいろしたが回復しない。
困った これでは作業が出来ない

 

pro toolsのSNSのコミュを見ていたら他の人も購入後
半年ー1年くらいに同じ症状が起きているようだが
よりによって週末 Avidはやっていない(!!!!)

 

サポートしてもらうにしても月曜日を待つしかない
何てこった。

 

mixiのpro tools専科のコミュによると何でもDigi002の
電源部分に不具合があるらしい。同じ原因ですぐ直ると
いいのだが... いよいよアレンジを本腰で、と思っていた
矢先のできごと。
週末だけど少々精神的ショックが大きい

 

それにしてもここ一ヶ月、母親は入院するし業者とは
請求書の内容でやりあうし、そして今度は機材ダウンと
ろくなことがない。
厄払いでもしようかな

 

 

Apple Store(Japan)

 

 

 

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2006年4月11日 (火)

次のアレンジ着手

実は大昔のアイドルユニットの復活のための曲のアレンジを引き受けることになった

いろんな都合でまだ名前はいえないが、かつて一世を風靡した双子のアイドルユニット
としておこう。(それだけでわかる人もいるかもしれない)

このお二方、一度は芸能界を引退し、「普通の人」に戻ったが
音楽に対する情熱は衰えず、久々の復活に向けて水面下で動いている

しかし曲は昔のイメージはかけらもない。
いわゆる環境音楽やニューエージにイメージ的には近い。
だから私に依頼がきたのだろう

とりあえずアイデアとしてのmidiファイルをもらったがこれをどう料理しようか
とりあえず頭中であれこれ考え始めている段階

このブログで発表できるのはいつ頃になるだろうか?

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2005年7月13日 (水)

オフ会ー前田憲男先生を囲む会に参加

マイミクの阿須成朗 さんのお誘いで前田憲男先生を囲んでの西麻布のオフに参加しました。

前田憲男先生といえば作曲家・指揮者として自分が子供の時から第一線で活躍されていた大先輩で、今回お会いできたことをとてもうれしく思います。実際に作曲や指揮に関するいろんなお話を伺い改めて勉強になることが多々ありとても楽しく有意義な時間がすごせたと思います。

事務所社長の池田さん どうもありがとうございました

7月 13, 2005 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0)