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2013年7月30日 (火)

現代人は絶えず「音響外傷」の危険にさらされている

皆さんは「音響外傷」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
「音響外傷」とは強力な音波によって内耳の蝸牛が障害を受け難聴などが生じる聴覚機構の損傷を受けることである。
実は現代人はこのたえず「音響外傷」の危険にさらされている。

例えば電車でよくipod スマホ walkman等々で音漏れしながらシャカシャカ音を立てながら聴いている人をよく見かけるが、もしこのことに身に覚えがあるならあなたは「音響外傷」の危険にさらされているといっても過言ではない。

「音響外傷」は聴力の低下、最悪の場合は内耳のダメージを受け、耳閉塞感や耳痛が起こり、その後、耳鳴りや難聴になる。場合によっては、特定の狭い周波数域だけ聞こえが悪くなっていることもある。必ずしも自覚症状が起きずに難聴になる場合も少なくない。

特にこれから夏の音楽のフェステイバルが目白押しだ、そういう時に気を付ける必要がある

■夏フェス後に音が聴こえにくい……音響外傷かも?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130729-00000005-nallabout-hlth&1375057813

大音量で音楽を聞いていると、急性の内耳障害である「音響外傷」を起こしてしまうことがあります。主な症状は、普段はよく聞き取れる音も聞こえなくなる難聴と耳鳴り。

 以前は「音響外傷」というと、仕事中に大きな音を聞くことが多い職場で起きる症状でしたが、コンサートなどで大型のスピーカーが使用されるようになって からは、コンサート会場での音響外傷が増加しました。普段から携帯用音楽プレイヤーで音量を大きくする癖がある人にも注意が必要ですが、夏フェスなどに 行って大音量で音楽を楽しむ人が多いこの季節は、耳の健康にも少し注意するようにしましょう。

<中略>
身近な哺乳類である犬と比較すると、人の聴力は劣っているように思いがちですが、それでも耳たぶや外耳でしっかりと音を集め、直接外気とつながっている耳 道を持ち、鼓膜からの振動を耳小骨で増幅して、内耳細胞で聴く機構を持っている点では、やはり優れた聴覚を持っているといえます。

 このような耳のつくりは小さな音を聞くのに優れていると言えます。そのため大きな音を聞くと、内耳細胞が振り切れてしまった状態になり、本来の構造が破 壊されてしまうことがあるのです。遠くの地震の揺れを増幅して記録する地震計の針をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。

■音響外傷の予防法

 音響外傷の予防法は大音量の音を避けるのが一番。特に人工的な音の場合は、スピーカーなどの音源を意識して、少し遠めに距離を取るだけでも予防になります。

 音源から離れると音が小さくなるのは当然ですが、自然の音とスピーカーでは少し異なります。たとえば自然界の大きな音である雷などの場合、音は音源から 三次元に広がっていくので、距離の三乗に比例して減衰しますが、コンサートなどで使う型のスピーカーでは、音は二次元的に広がって行くため、音源のスピー カーからの距離の二乗で減衰します。たとえば音源から4mと8mの場所では音圧が1/4になります。スピーカーから離れた位置に場所取りすることで、音楽 を楽しみながら音響外傷をうまく予防することができるのです。

我々音を商売にしている人間は耳が命である。
だから私は人一倍耳には気を付けている。

レコーデイングの時はあまり大音量というのはないけど、ライブPAの場合は実は耳栓をしている。そうしないと耳鳴りがするからである。

それから意外に思うかもしれないが僕はWalkman ipod等で基本的には音楽を聴かない、
聞かなきゃいけないときはボリュームに最大限気を付けて聴く。
なぜならヘッドフォンで大音量で聴けば確実に耳に負担をかけるからである。
だからさっきの話のように電車等でシャカシャカと音漏れがするくらいのレベルで聴いている人はほぼ確実に耳をダメにする。しかも自分の耳が劣化していることに殆どの人が気付かない。

あと最近のコンサートで時々ひどいPAエンジニアがいる。

ただ音をでかくすりゃいいと思っているようで、細かい会場の音創りなんか何も考えていない。そして会場の観客に「音響外傷」かその一歩手前の症状をもたらす。

こういう「音響外傷」というのは専門家の間ではだいぶ前からいわれていたのだがなぜかマスコミは家電メーカーとかに配慮してか伝えなかった。少なくとも積極的にこの情報を伝えていたとはいえない。
だが現代人の耳はほぼ確実に劣化しているといっていいと思う

現代人は「よい音質」というものに鈍感になっているだけでなく、「聞く耳」自体も劣化する事態を招いている。音楽文化にとってこれがよいことであるはずがない

まあipod スマホ walkmanで音楽を聴くな、とは言わない。

ただ聴くときはボリュームをガンガン上げるのは避けた方がいい。間違いなく「音響外傷」になる。
そしてコンサートに行くときもスピーカーの近くはなるべく行かないことだ。
そしてサマーフェスの最中に耳鳴りがするようだったら極力連日行くのはやめた方がいい。

上記の記事でも次のように締めくくっている

ただし、翌朝も聞こえが悪い場合は要注意。特に連日行われるようなフェス参加中に耳の異常を感じた場合は、無理は禁物です。なるべく早く会場を後にして耳 鼻科を受診しましょう。音響外傷の診断には聴力検査が必須。音響外傷を起こした場合の予後は個人差がありますが、症状のうち耳鳴りは残らないことが多いと 言われています。しかし、耳鳴りは治っても内耳障害は元に戻らず難聴となってしまうことがあります。この場合の難聴に有効な治療法はありません。重度の音 響外傷になり後遺症を残さないよう、しっかり予防することが大事です。

せっかくのコンサート。
気持ちよく音楽を聴きましょう。
そしてあなたの大事な器官の1つの耳を大事にしましょう。

7月 30, 2013 学問・資格 | | コメント (0)

2009年11月 4日 (水)

クロード・レヴィ=ストロース氏 死去

偉大な社会人類学者クロード・レヴィ=ストロース氏が死去されました。100歳、今月の28日で101歳になるところでした。

■仏人類学者のC・レビストロース氏死去、100歳http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-12274520091104

いわゆる従来の近代化=西洋化、という価値観を否定し「構造主義(本人はこの言葉はあまり気に入らなかったようです)」を打ち出し現代の思想にも大きな影響を与えました。サルトルとの論争はあまりにも有名です。

また構造言語学、音韻論は現代のメデイア論にも大きな影響を与えました。

メデイア、情報について常日頃考えている私としては大変興味深くその分析法について勉強させていただきました。

尚、出典不明の情報ですがレビストロース(Lévi-Strauss) はジーンズのリーヴァイ・ストラウスLevi Strauss)と実際に遠縁の親戚に当たるとの情報があります。(レビストロースはフランス語読み、リーヴァイ・ストラウスは英語読みです)本当かどうかはわかりません。

心よりご冥福をお祈り申しあげます。


11月 4, 2009 学問・資格 | | コメント (0)

2004年11月13日 (土)

音楽によるヒーリング効果について

最近「癒し系」なる言葉があちこちに氾濫していますが、「癒し系音楽」というのもよく耳にされると思います。私はその「癒し系音楽」なるものをかなり沢山書いてきた人間ですがでは具体的にどういう音楽が「癒し」や「ヒーリング」に向いているのかわからない方も多いと思います。

 最近マスコミ等で言われている「癒し系音楽」とはたいていの場合ポップスで聴いていて「和む」音楽でバラードだったり、聴いていてほんのりするような音楽をいっているように見えます。勿論そういう音楽も「癒し」に向いているということはできます。事実美しい音楽を聴いて「癒される」こと自体は不思議なことでも何でもなく昔から実は行われていたことなのです。クラシック音楽がよく「癒し系音楽」といわれるのは単なる偶然ではなく歴史に残る美しい音楽だからこそそのようにいわれてきたということができるのです。しかしなかにはそうした音楽だけでは充分に癒されない方もおられるようです。私が十数年やってきた「ヒーリングミュージック」なる音楽は主にそういった方のために作られてきたといってよいと思います。

ではその「ヒーリングミュージック」と呼ばれる音楽はどういったものをいうのでしょうか。一応「ヒーリング」という風に自称している以上それなりの根拠のある創り方がされております。一般に「ヒーリングミュージック」と呼ばれる音楽は1つの音楽ジャンルではなく大きく分けて3つのジャンルに分けることができます。

1.ニューエージミュージック

2. 環境音楽 

3.セミクラシック         の3種類です。

まず第一にこれらはいずれもインストルメンタルです。なぜインストが多いかというと歌のように言葉は具体的なイメージを喚起しやすく雑念を呼び起こしやすいことから徹底した「癒し」、ヒーリングにはそぐわないという考え方に基づいています。

 第二にこれらはいずれも人間の平均脈拍であるより遅い曲であるという点にあります。一般に人間が自分の持っている基準値があり、例えば人間の平均体温ですがそれより高い温度を「暖かい、熱い」と感じそれより低い温度を「冷たい」と感じるものなのです。お風呂はたいてい42-45℃の範囲になっており、水温20度の水をさわるとたいていの人は「ぬるい、冷たい」と感じるはずです。それと同じように人間は自分の脈拍より遅い音楽を「スローテンポ」速い音楽を「アップテンポ」と感じるものなのです。いわゆる「癒し系音楽」の殆どが「スローテンポ」に聞こえるのは人間の平均脈拍より遅いからなのです。こうしたゆっくりとしたテンポの音楽をずっと聴いていると自然に落ち着いた気分になってきます。中には眠くなる人もいるでしょう。それはこれらの音楽によって落ち着いた気分へ「誘導」されているからです。そうです。ヒーリング音楽とはまさに音楽によって「癒し」の状態へ誘導する音楽のことをいうのです。

極端な例を揚げましょう。私の音楽でSleeping Musicなる音楽があります。<これは人間が熟睡している時の脈拍のテンポで作られています。この極端にゆったりとしたテンポがあなたを眠りの状態へ誘う働きを行っています。このアルバムには人間の平均脈拍とほぼ同じテンポの曲もあり、さまざまな使い方ができますが音楽のテンポが重要な役割を果たすことはおわかりになると思います

 

 

 また私はよりヒーリングの効果を確実なものにするためにヒーリング音楽と自己催眠法のナレーションを組み込んだものもやっております。ナレーションは音楽療法のエッセンスを最大限に引き出すように作られております。勿論こういったCDに言葉が入っていることに抵抗感を感じる人もいるようですが、より強力なヒーリング効果を狙った例としてここに掲載しておきます。

最後にひとつお断りしておきますが、残念ながら音楽というのは嗜好性が非常に強いとせいもあり、残念ながら全ての人に対しての効果を保証することはできません。これはどんなによい音楽でも人が聴いて人全員が気に入る音楽などこの世に存在しな<いからです。従っての効果なら期待できるということができます。あとは実際に音楽を聴いてみて皆さんでご判断されることをお勧めします。

 

 

 
 
 

 

11月 13, 2004 学問・資格 | | コメント (0)

2004年10月17日 (日)

ヒーリングCDとその効果について

よく私のヒーリングCDについて「本当に効果があるのですか?」とか「その効果は科学的に証明されているのでしょうか?」といった主旨のことを聞かれます。そういうときに私は「音楽を聴いて心が安らいだ経験はありませんか?」あるいは「音楽を聴いて感動した経験はないのですか?」と聞き返すことにしています。

”ヒーリング音楽について”の貢でも述べましたが美しい音楽を聴いて心が安らぐという現象は不思議なことでも何でもありません。ただ「CDの効果」となりますといささか複雑な議論になってしまいます。それには理由がありまして、ヒーリング音楽やそのCDについて2点、大きな勘違いが世の中にはびこっているからです。

  「癒し」とその対象について 

  最近やたらに「癒し系グッズ」とか果ては「癒し系タレント」なる訳の分からないものまで出てきて、少々安直に「癒し」という言葉が使われている感があります。しかしこの「癒し」を受ける対象の人たちは実は大きく分けて2つのタイプがあることを御存じですか? そうひとくちに「癒し」といってもそう簡単な話ではないのです。ひとことでいえば「普通の人々」と「重い心の病」の人たちということになります。前者は普通に考えれば本来「癒し」など必要がないと考えられがちですが、そうでないのが今の世の中。しかもこのことが「癒し」というものを語る時に大きな勘違い、誤解のもとになっているのです。

 例えば職業で「癒し」をやっている人がいます。「催眠」CDでごいっしょに仕事をさせていただいた大塚慎吾さんなどがそうですが、彼の所にやってくる患者さんは「癒し」どころか、他のクリニックや療法をやっても直らなかった、深刻な症状の人ばかりで「藁をもつかむ」思いで大塚さんの所に来ているようです。中には自殺一歩手前まで行った人も少なくないと聞きます。さてこういう人たちには「癒し」なんて甘っちょろいものではとうてい効果がないのです。ハッキリいってこういう人たちを完治させようと思ってもいわゆる音楽療法だけでは無力なのです。

  「では全く効果がないのか? 単なる作曲家の思い込みか?」などと早とちりをする人が出てきそうですがそうではありません。実はヒーリング音楽やCDはそもそも「基本的には」こういった深刻な症状な人たちを対象にはしておりません。「基本的には」と銘打ったのは時と場合によってはこういう深刻な人たちに対して有効な場合もなくはないのですが、それは後程述べることにいたします。先程述べたいわゆる「癒し」ブームが出てきている背景にはごく一般のーしかし日常生活のストレスによって苦しんでいる人たちが非常に多いという点があります。いわゆる「病気」というレベルまではいかないが「疲れている」「癒されたい」と思っている人たちです。こういう人たちは町の療法師や精神科の医師などとうてい敷き居が高くて入れない、しかし「疲れている」といえば「気合いが足りないーたるんでいるからだ」とか「眠れない」といえば「疲れてないからだ」などと周囲から云われ、「癒し」が必要なのに周囲の理解が得られない、そういう人たちです。こういう人たちは皆さんの近くに大勢いらっしゃると思いますし、我々の試算では少なくとも世の中の人の半分が潜在的にこの例にあてはまると考えております。

 よく考えたらこの状況は異常です。現代社会は病んでいるといっていいでしょう。実際ある評論家が「これほど『癒しグッズ』が流行るのはどういうことなのか、そんなに我々は疲れているのだろうか。だとしたら実に気持ちが悪い現象だ」といっていますが全くその通り、実際私の音楽が「ヒーリング音楽」という形で売られていること自体今の世の中何かがおかしいと思うのです。

 もうおわかりですね? そう要は前者(症状が深刻な人)と後者(そうでない一般の人で「疲れている」人)が殆どの場合、全くごっちゃに論じられているのです。この両者は全く別の問題であるにもかかわらずです。そこがまず大きな問題であり、ものごとの本質を見誤らせる原因の1つにもなっていますが、実は問題はこれだけではありません。

 音楽=薬という勘違い

  
”音楽療法について”の貢でも述べましたが、音楽=薬といった認識で音楽療法を論じている人たちがいます。また一般に流通しているCDタイトルでもそういうものがあります。しかし私はそういった考えは誤りであると考えております。近年お医者さんの間で「モーツアルト効果」なるものが論じられていますが、あれは別にモーツアルトの音楽でなくてもダイナミックレンジがそれほど大きくないイージーやニューエージ音楽でも似たような効果は出るのです。それにこの論文の最も大きな問題は個人の音楽的体験、趣味による音楽の感じ方の違いについて全く無視している点です。どうもお医者さんにクラシック音楽好きの人が多いせいか、彼等の「音楽処方せん」はどうしてもクラシック音楽に偏りがちなのが気になります。これは音楽についての認識が偏っているとんちんかんな議論の例で音楽=薬という認識で論じているとこういうおかしなことになるのです。

  音楽療法の歴史をひもとけば音楽は薬ではなく、寧ろ「リハビリツール」であることがわかるはずです。 (詳しくは
”音楽療法について”をご覧下さい) 例えば運動不足の人が運動しないと不健康になるから運動する、それを怠ると本当に病気になってしまう。それと同じように「ストレスで疲れている人」がヒーリング音楽でリラックスすれば精神的バランスを保てても、それを怠ると本当に精神病になってしまう。ヒーリング音楽はそういった重い症状になるのを食い止めるのなら一定の効果はあります。音楽も静かな気持ち良い音楽であればーまあよほど変な音楽の作り方さえしなければーたいていはそこそこ効果のあるものになるでしょう。そう、病状に聞くクスリではなく、病になるのを防いだり病状から回復するための精神的リハビリのためのツールなのです。

 勿論だからといって大塚さんの所に行っているような患者さんにとって全く無用の長物かというと必ずしもそうではありません。しかしそれには条件があって、ものすごく症状が深刻な人が改善して回復の過程でヒーリング音楽を聞いて精神的リハビリをするということは充分ありえます。しかしあくまでリハビリツールとしての音楽であって、音楽が彼等の病気を直しているという認識は正しくありません。この場合、音楽が彼等の精神的なリハビリの手助けをしているという認識が正しいのです。

  ここで申し上げた2点による勘違いがヒーリング音楽やCDについての誤解の温床になっています。また厄介なことに(音楽=薬)というふれこみ方をした方が何となく売りやすいという背景はあります。このことが余計に誤解を助長しているように思えます。私の音楽を始め、多くのいわゆるヒーリングCDというものは基本的には一般向けに作られていて、音楽がストレスで心身共に疲れた人の心のリハビリを助けるものです。あとはその音楽が良質であるか、そうでないか、あるいはあなたの好みに合ったものかそうでないか、だけの違いでしかありません。

     以上の点を述べた上でひとつお断りを申し上げますが、私は自分のことをミュージックセラピストだとは思ってません。ましてヒーラーなんてとんでもない、実はヒーリングミュージックの作曲家といわれることすらイヤなのです。確かに昔はいわゆる音楽療法家になろうと考えたこともありましたが、今はそんな気持ちは失せました。よくヒーリング音楽の作家で自らをミュージックセラピストと自称している人がいますが、実にオコガマシイ、とんでもない勘違いだと思います。音楽を医療その他の療法に使う場合、それは肉体的、精神的リハビリを誘導するためのツールであって、それ以上でも以下でもありません。実のことをいいますと人類は太古から音楽をそういった使い方をしてきたのです。祭りの音楽ー教会の礼拝の音楽ーお経ー果てはレストランのBGにいたるまで、みんなそうなのです。

  しかし、たかがリハビリツール、されどリハビリツール。音楽は療法ーセラピーの過程で使い方さえ間違わなければそれなりに重要な働きをします。しかし同じリハビリツールでも質の良いものと悪いものがあるように私は今まで質の高いリハビリツールを作ってきたつもりですし、これからもー今は少し休んでますがまたやる機会があればーそのつもりです。何度も書きますが美しい音楽、良質の音楽を聴いて心が癒されること自体は不思議なことでもなんでもありません。私はヒーリング音楽に限らず何か音楽を作ることがあればそういった点を心掛けるようにしています。

  また私は単なる音楽だけではなく、より効果的なリハビリツールにするために、別のメソードも組み合わせてきました。かつて「マインドコントロールミュージック」と題したCDではサブリミナルメソードを用い、先だっての「催眠」CDは自己催眠法を取り入れたものです。そうしたプラスアルファもより良質なリハビリツールとしてのCDを作る上で重要だと考えて作りました。
   「サブリミナル」とか「催眠」とかを用いているということでどうもアヤシイ人物のように受け取られがちですが(^^:)、各シリーズの項目を読んでいただければそんなことはないと思っていただけるのでは(?)と勝手に考えております。とにかくヒーリング音楽とやらにかかわって十余年、一応それなりに真面目に取り組んできた点だけはわかっていただきたい。そう思うこの頃です。

 

 

 

 

10月 17, 2004 学問・資格 | | コメント (0)

2004年6月27日 (日)

音楽療法について(改定版)

音楽療法なる言葉を聞いたことがある人もいると思います。英語のMusic Therapyを訳したもので故桜林仁氏が日本で初めて紹介したのですが実はこの音楽療法なる言葉は実に誤解を呼んでおります。そのまま言葉を 聞くと音楽を使って治療するということになりますが、たいていの人はそれを聞いて「そんなバカな」と答えるでしょう。音楽で病気など直るわけがない、と。そう考えるのは無理もない話ですが、私の考えを述べる前にまず音楽療法についての発展の歴史について簡単に述べておきましょう。

  古代社会では医学と呪術の境目がなかったこともあり、音楽(というより祈り)が医療の現場にあることはそれほど珍しいことではありませんでした。しかしそれは医学という学問自体が確立されてなかった頃、近代医学に入ってから音楽が医療の現場で使われたのは現在わかっている範囲では早くて第一次大戦後、ドイツ軍の毒ガスの被害を受けてぜんそくになった人の回復法として、リコーダーやフルート等の管楽器を演奏させたいわばリハビリ法の1つとしてあみだされました。それ以外にリューマチ患者に弦楽器やピアノを演奏させて指を健全な動きに回復させる方法等もあります。いずれも音楽を演奏させることによって、筋肉等の肉体的回復をめざすというもので、元来医療現場で音楽療法といえばこのことを指していました。そしてここ20年くらいから音楽を演奏することによる心理的効果が注目され始め、心身症の患者の回復法の一つとして音楽を演奏させて精神病を回復させる方法や、老人ホームで痴呆症の老人に歌を歌わせて痴呆症状を防止または緩和する等の方法等、いわば精神的回復方法を目指したものも取り入られています。

  これらの回復方法の現場には音楽療法士という人たちが病院や老人ホーム等で患者たちの指導に当たり、患者の肉体的回復や精神的回復の役割を担っています。(この音楽療法士が国家資格化される法案が提出されようとしましたが学会の事実上の分裂で法案提出が見送られました) ここでお気付きの方も多いと思いますが、これらはいずれも患者たちに音楽を実際に演奏させるものであり、実は通常音楽療法といいますと今述べた"音楽演奏型"のものをいいます。

   ここで本題に入りましょう。実はこの音楽療法の"療法"というのがひじょうに曲者なのです。療法という以上これらは医療行為と同時にいわば"処方せん"として音楽を使う、つまり音楽をいわば薬というふうに考えるわけです。だが思い出して下さい。ぜんそく患者に管楽器を演奏させる、リューマチ患者にピアノや弦楽器を演奏させる過程を考えた場合、この理屈だと管楽器やピアノが"処方せん"ということになります。これって変でしょう? また精神病患者に楽器を演奏させたり、痴呆患者に昔懐かしい歌を歌わせるというのも別に音楽が薬の作用をしているというのは正しくありません。

   これらは音楽を演奏することによって"リハビリ"を行う事によって肉体的および精神的回復を図るというのが実態で、この場合音楽は薬ということより"リハビリテーションツール"としての役割を担っているという認識の方が正しいのです。近年いわゆる音楽療法に関心を持っているお医者さんが増えているのは喜ばしい反面、音楽を薬という過った認識を持っている人が多いのは困ったものです。

   なぜ困ったものかというと、私のように音楽業界で仕事をしているとよくわかりますが、要は100人が聴いて100人が気に入る音楽などこの世に存在しないということです。考えてもみて下さい。日本におけるミリオンセラーの曲だって人口100人当たりたった1人買えばそれでその曲はミリオンセラーになるのです。そんなものなんです。つまり音楽は非常に嗜好性が強いもので、私はいろんな現場で同じ音楽でもお医者さんの音楽の好み次第で正反対の結果が出たことを何度も経験しています。つまり同じような症状でもその人の音楽の好み、育った環境、世代等によって全く違う音楽が効果的な場合があるのです。だが薬というのはどの症状にはどの音楽と"処方せん"が固定されてしまいがちで、かくして例えばうつ病にはモーツアルトの音楽がいいといった,(ある特定の人にはいいでしょうけど) 本人の音楽の好みを無視した"処方せん"が大手を振ってまかり通っているというのが日本の現状なのです。

   従って私は"音楽療法"というのは間違いで"音楽リハビリテーション"というのが正しいと思っております。以後の話で私は療法という言葉は用いずに"音楽リハビリテーション"という言葉を用います。

実はこの受動的リハビリテーション、私以外の人は受動的音楽療法といいますが つい最近まで"音楽療法学会"の人たちを中心とする人たちは(もしあなたの知り合いにそういう人たちがいれば、ですが)音楽を演奏する音楽療法は存在するが、音楽を聴く音楽療法など存在しないという考え方が支配的でした (今でもそういう人たちは少なくないですが)。つまり私が"やっているいわゆるヒーリングミュージック"によって精神的に癒すという方法は音楽療法、いや"音楽リハビリテーション"とつい最近まで認められていなかったのです。

また現在の音楽療法の世界はバラバラで、各大学の音楽療法の専門家(と自称する人たちも含めて)が自説こそ正当派で自分以外の学説は全て邪道、といった偏った見方をする人間が少なくありません。 ここまでくると学問ではなく宗教に近い、残念ながらこういうレベルの低い状況が今の日本の音楽療法の実態と云わざるを得ません。 実際、私は音楽療法は”リハビリテーション"であって治療を補うものであって、音楽そのものが医療の根本的な治療にはなりえないという立場です。これだけで日本の音楽療法の世界では異端視されてしまいます。
私は"音楽演奏型"の音楽リハビリを"能動的音楽リハビリテーション"、そして音楽を聴くものを"受動的音楽リハビリテーション"と定義しています。これはハッキリいって私だけが使っている言葉で、世の中の"音楽療法"の専門家の方々にこの言葉をぶつけても「何じゃそれは?」という言葉が間違い無く帰って来ますのでここだけの話にして下さい。

   どうしてこうなってしまったのでしょうか?。おそらく"受動的音楽リハビリテーション"は殆どの場合「病気というレベルまではいかないが、精神的に疲れている人たち」が対象になっているからで、いわゆる今流行りの「癒し」を欲している人たちも含まれます。また先程も申し上げた音楽の趣味等が異なることによる、個人的嗜好性が強いことからそれを「非科学的」といって最初から論じることを嫌うお医者さんも少なくありません。

    わかりやすく表にするとこういうことになります。

能動的音楽リハビリテーション 音楽を演奏することによって癒しや肉体、精神的なリハビリを行う方法 いわゆる「病気」と医者に診断された人
受動的音楽リハビリテーション 音楽を聴くことによって癒しや、精神的なリハビリを行う方法 病気というレベルまではいかないが、精神的に”癒し”が必要な人たち

   しかし実際には「本当に病気」の人と「病気というレベルまではいかないが、精神的に疲れている人たち」では後者の方が圧倒的に多いことは云うまでもありません。 最近こそこうした受動的リハビリテーションを現場で実践する人たちが増えてきましたが、まだまだ日本の音楽療法は世界的に見ても認識が遅れているといわれても仕方ありません。

         私の知り合いには何人かお音楽療法士と呼ばれている人がいますし、彼等の活動には敬意を表します。彼等の勤務状況は想像以上に苛酷で大変なものです。待遇もはっきりいってアルバイトと同等で大学で先生をしている一部の人を除いて音楽療法で生活できている人も殆どいないのが現状です。
最近でこそ、老人ホームや医療施設で「音楽の時間」と称して音楽療法を実践することは珍しいことではなくなってきました。しかしまだ単なるリクリエーションという範疇を超えていないものが多いのが現状です。しかし少しずつですがよい方向には向かっている気もします。今後この分野が発展して欲しい気持ちはありますが、 何よりも社会での音楽療法そのものの啓蒙も必要でしょう。そして音楽療法の世界がもっと客観的な性格になり統一してきちんとした音楽療法の認定制度を作るべきだと考えます。


6月 27, 2004 学問・資格 | | コメント (0)