新春コラムー「情報革命」はようやく始まってきた?昨今のエンタテインメント業界の状況を見て
もうだいぶ前に当ブログでこんな記事を書いていた
■死語とされている"IT革命”という言葉
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2009/08/it-f819.html
P.F.ドラッカーについてはご存じの方も多いだろうが、この記事で当時「情報革命」について論じている箇所があった。2009年の記事だが当時はまだ「ネット万能論」「IT万能主義」のような論調がネットで根強くあったが一方でそれらに対して「IT革命? どこが革命なんだ?」とか「IT革命なんてもはや死語じゃないか?」などという論調も勃興し始めていた。
要は産業革命の進展の仕方と今の情報革命の進展のしかたを照らし合わせているのだが、IT革命と産業革命を比較すると、コンピューターの誕生に相当するものとして、蒸気機関の発明がある。蒸気機関は社会や産業に大きな革新をもたらしたが、ドラッカー氏の見立てによると「産業革命前から存在していた製品の生産の機械化だけだった」。真に世の中を変えたのは鉄道である。蒸気機関の実用から鉄道の出現まで、ざっと50年かかっている。
コンピューターによるIT革命も同じだとドラッカー氏は指摘する。つまり本格的なコンピューターが生まれて50年がたったが、やったことは大きく言えば機械化であり、これからいよいよ「鉄道」が出現するという。
現代の我々にとってインターネットという便利なツールが出現したのが事実だが、まだ以前のビジネスの形をそのツールをつかうことによって「機械化」したに過ぎない。だから情報の数は多くなったが社会のしくみは殆ど何も変わらずに今日まで来ている。しかしそれらは単なる前ぶれに過ぎない、とドラッカー氏は指摘する。
ドラッカー氏は、鉄道が登場した10年後あたりから、「蒸気機関とは無縁の新産業が躍動を始めた」と述べる。それは電報や写真、光学機器、農業機械、肥料であった。一連の新技術の登場の後に、郵便や銀行、新聞などが現れ、鉄道が登場した30年後には、近代の産業と社会制度が確立した。ドラッカー氏は来るべき社会にも同じことが繰り返されると主張する。
今後20、30年の間に、コンピュータの出現から今日までに見られたよりも大きな技術の変化、そしてそれ以上に大きな産業構造、経済構造、さらには社会構造の変化が見られることになる
IT革命からいかなる新産業が生まれ、いかなる社会制度、社会機関が生まれるかはわからない。(中略)しかし絶対とまではいかなくとも、かなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に、相当数の新産業が生まれることであろうことである。しかもそれらの多くがIT、コンピュータ、インターネット関連ではないであろうことである。
上記の最後の赤字の部分が非常に面白い。確かに産業革命では鉄道よりもその周辺の事業が大きく発展し、大もうけをした。IT革命も同じことになるだろう、というのがドラッカー氏の主張である。
実はもしかしたらドラッカー氏のこの主張はひょっとしたら正しいのではないか、と最近の社会の動きを見て思い始めた。
勿論.これは私の勝手な解釈なので当然異論がある人もいるだろう。まあそういう方は聴き流していただきたい
だがITといってもそれ自体は単なるツールに過ぎない。そして「革命」というのは価値観が変わる事であって単にツールによって便利になることではない。つまりIT革命というからにはITというツールによって社会の価値観が根本的に変わる、ということである。
だが最近のエンタテインメントの動きを見ていると少し「価値観」が変わってきつつあるのではないか、と感じていることがある。具体的にいうと
1.コンテンツ制作、マーケットのグローバル化、またそれを前提としたプラットホームの誕生
私は既に何度も「今やコンテンツ制作に国境なし」と書いているが、以前の記事を書いている時はまだSpotifyもここまで大きくなっておらずまだApple Musicではなくitunesのみだった。NetflixもAmazon Premiereもまだ現在のような形では存在していなかった。
ここで従来と違うのは
(1)「ネット配信」というのが「ダウンロード」ではなく「ストリーミング」中心になっていること。
(2) コンテンツを全世界に配信する、という前提でリリースされること
これはまだ欧米と違いSpotifyやApple Musicの普及率が低いという面もあるので特にそうだが、従来の日本のメジャーの産業のように「ドメステイックな市場」のみをみていればいい時代は完全に終わった点が揚げられる。
2.制作現場のグローバル化
私は既に何度も書いていますが映像制作のグローバル化は予想以上に進行しもはや外国との合作が当たり前になりつつある。私のようなものでも昨年中国ドラマ、台湾映画2本に出演しているのでこうした動きは今後活発化することはあっても小さくなることはないだろう。
これはある意味ではドラッカーが主張した「Eコマース」が産業革命の「鉄道」に匹敵するという主張に迎合するのかもしれない
2.コンテンツ制作、マーケットのグローバル化、またそれを前提としたプラットホームの誕生
私はキャステインググル―プの管理人をしていて着実に5-6年前と現在とは違う世の中になりつつあることを感じている。例えばハリウッドのオーデイション情報など以前では現地に行かないと手に入らないものだった。それがFacebookを始めとするソーシャルネット経由で普通に手に入るようになっている。
以前なら日本の場合そういう情報は大手広告代理店や大手製作会社が仕切って外部からの情報を一切遮断していたものだ。だが今国内向けに遮断してもソーシャルネットその他でそういう情報は簡単に入るためかつてのように情報を遮断することはできない。語学の能力が一定限度あればすぐに拡散可能である。
上記の1.と2、で今までと違うのはコンテンツ制作、キャステイングに関して従来とは大きく価値観が変わっていく、という点だ。コンテンツ制作の制作予算も従来の日本国内のみではなく、全世界を前提として作るためバジェットが一転豊富になるし、全世界配信を前提としているためコンテンツに対して日本国内だけなく多様な価値観も反映しなくてはならなくなる。
これはある意味「革命」に近いことが起きている、といっていい。そしてその革命はドラッカーのいう「Eコマース」の関連した動きとして発生したものである。
だが私はその「Eコマース」の論法にもう一点加えたいと考えている
実は産業革命の「鉄道」に匹敵する革命の原動力はSNSなのではないか、という仮説
私はもう1つソーシャルネット(SNS)もこうした「革命」に一定の寄与をする産業革命の「鉄道」に匹敵するとも思っている。
ソーシャルネットというものの存在が従来は大手が独占してきた情報を一般に開放する力を持ち、世界中のキーパーソンともつながることができるSNSは制作現場のグローバル化、ボーダーレス化に寄与し、結果的に「グローバル化」を始め情報やコンテンツの「Eコマース」を含むやりとりが推進されていく、SNSはその意味では情報による革命を推進する確実なプラットホームになりうると思う。
勿論まだ始まったばかりだ。ただ「革命」というのは私は「IT革命」というよりは「情報そのもの」あるいは「コンテンツそのもの」の革命ではないか、とも思っている。IT技術というのは単にきっかけに過ぎない、大事なことは情報やコンテンツがインターネットの出現によって「価値観が変わる」というレベルにまで影響を与えているという事実だ。
今後これがどう寄与するか、私の分析が果たして正しいのか。大変興味があるところである
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