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2026年1月 8日 (木)

AI 時代の音楽アカデミズムはもはや無用の長物 「マニュアル」的「アカデミック」なクリエイテイブはAIに駆逐される

さてここで好むと好まざるに関わらずこれからの人類社会に大きく影響を与えるだろうAIについて考えたいと思う。なぜならこれは避けて通れない問題だからだ。

そもそもAIのメカニズム、基本理論はコンピューターの「パターン認識」である。この基礎理論は私も大学で少しかじったのでわかるが昨今の膨大なデータ処理を「パターン認識」に導入して「何のあとに何が来る」というパターンをビッグデータをベースに覚えさせて限りなく本物に近いものを作り上げる。

これは画像だけでなく動画、音楽も歌、ヴォーカルの「パターン」を覚えさせて存在するビッグデータに基づき、あたかも本物の音楽作品のように作り上げる。最近注目されているSunoによる音楽制作に関して以前当ブログで書いたことがあるので関連記事としてご紹介させていただく。

Sunoによる音楽作品を聞いて、音楽業界の未来その他に対する所感
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2025/06/post-81d845.html

この記事にも書いたが以前日本の音楽業界で「売れセン」などというおかしな言葉がはやり、J-popを徹底的にパターン化、マニュアル化した作り方が、あたかも業界で正統な音楽栄作のマニュアルであるかのような言質が広まった。しかしちょっと前のビーイングやエイベックス系から最近にいたるまでもう殆ど生成AIで表面上はできてしまう、というのが証明されたことになる。

つまり「売れセン」化の曲を作るのであればそういう曲はAIの方が確実にうまく作れる、ということになる。

https://suno.com/home

一方音楽大学の作曲家のアカデミズム。これも学生に「マニュアル化」「方程式化」した音楽作品もこの「売れセン」と同様、AIの方が確実にうまく作れる、と断言できる。
これは私が音大に行かなかった最大の原因の1つでもあるのだが、そもそも作曲という工程を「マニュアル化」「方程式化」すること自体がナンセンスである。マニュアル化「既存の音楽」の形式や作曲手法(エクリチュール)を絶対視すること自体がすでに既存の音楽表現の焼き直しであり、そこにクリエイビテイはない。そして「既存のパターン」で作るわけであるからAIにとってはお手の物である。

つまりAI時代に入ると音楽作曲のアカデミズムはもはや無用の長物になる。

人間のクリエイターがAIに勝つ方法は1つ、それは既存の「パターン」を崩す、つまり「マニュアル」や「方程式」ー既存のエクリチュールを「破壊」することである。既存の「パターン」に沿わないものをAIは作ることができないからである。

そこに人間の活路がある。

大学の作曲家の教授の教えた通り、マニュアル通りに作ってもAIの方がより複雑で高度なエクリチュールで作曲できる。

そしてそのようにしかトレーニングされていない作曲家はおそらく未来はプロの作曲家としてはやっていけないだろう。

ハンスジマ―風に作れといってもAIにハンスジマ―の手法を覚えさせて作らせた方が確実である。だがそんなものは発注した映画監督は満足するかもしれないが、聴衆としてはどうか?結果としてつまらない映画音楽ができるだろう。

いくら曲のクオリテイは確かによくても、やはりずーっと聞いているとAIの曲はつまらないというのが正直な印象。
また「生の気持ちのこもった」表現はAIにはできないだろうな、というのが正直な印象。人間の感情のデータとして「パターン化」した試みも行われているが、やはり我々人間が聴いていてやはり違和感がある。やはりそこに人間の表現が入る余地があるので、やはりAIが完全に人間の演奏する音楽に取って代わるということはないと思う。

「マニュアル通り」「売れセン」そして「音楽のアカデミズム」ーいずれもAIが全て代行してしまうので人間の作曲家に出る幕はない。

生き残るつもりがあるのなら、そういったものにこだわらない作曲技法が必要になるだろう。

1月 8, 2026 パソコン・インターネット文化・芸術音楽 |

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