「坂本龍一 音を視る 時を聴く」に行ってきました
坂本龍一氏が逝去して一年、同氏の晩年の活動についていろいろ情報は聞きましたが、その集大成というべきものに行ってきました。
東京都現代美術館は長蛇の列でこの展覧会の関心の深さがわかります。
会場にはさまざまなインスタレーションを見ることができました。個人的な話でも申し訳ないですが、まだ駆け出しの頃、いわゆるビデオアートにハマった時代があったけれど、それを思い出しました。
もはやパッケージの時代は終わり、さまざまなプラットホームによる映像のインスタレーションで音楽と映像を見ることができたのは興味深かったですね。
まあもうDVDやビデオテープの時代ではない、というのは重々承知なわけですが、自分がビデオアートに関わっていた時代は1つのパッケージを作っていたことを考えると現代はインスタレーション(設置型映像)ですと様々なシステムを組むことができますので、可能性が広がると思います。
ちなみに小生の「ビデオアート」に以下のようなものがあります。
今回ある種のこだわりを感じる水滴とスモークと坂本教授の音楽の共演が見られました。
あと特筆すべきは2011年の震災で波を被ったピアノ。坂本龍一氏が「自然に調律されたピアノ」と表し今回展示されたもの。音的にはグランドピアノのホンキートンクになっており、なるほどラグタイムもアメリカの田舎のタバーンで埃被ったピアノで弾かれたわけであれもある意味「自然に調律されたピアノ」だったわけだと妙に納得してしまいました。

とはいえ、2011年の震災の恐ろしさも実感します。学校全体が津波をかぶったわけですからね。
こちらも水滴とスモークをモチーフとした展示でした。床に水の動きが反映してキレイでしたね。

こちらは娘の美雨さんが涙したという坂本龍一の生前の演奏を再現。曲はシェルタリングスカイその他

無論midiピアノをリアルタイムプレイングモードで記録するとそれができる、という理屈はわかっているんですが、やはりこういう見せられると感慨が生まれますね。ちなみに拙作 JAZZ GODFATHERのジャズソロはmidiのリアルタイムモードで記録したものを録音しています。

実はここは撮影禁止だったので残念ながらメモを撮影できなかったんですが、実はこここそ撮りたかったwww .これらはアイデアの源泉で私自身も参考にしたいメモが沢山ありました。
誤解をおそれずにいえば、坂本龍一の音楽に関するメデイアの姿勢と私の方で結構ベクトルが共通する面がたくさんあって、その意味でもこれらのメモはある意味私にとって福音になるかもしれない部分があったんですが、一通り目をとおして特に現代音楽や哲学的な面においてそのメモを見ながら考えたいなとも思いました。
最後に今話題の霧の世界をかもしだす「センシングドリームス2024-不可視、不可聴」30分おきにミストが発生するので中庭はこの状態

スモークが出る時こうなります
全部丁寧にみようとしますと4-5時間はかかります。私自身は堪能しました。







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