NHK大河ドラマ「光る君へ」の感想と平安時代の文化について
今までは「歴史」の観点から実はもう一つのブログに書いていたんですが、
https://kyojiohno.hatenadiary.com/
よく考えれば私も映画やドラマ関係の仕事をしているわけで、メインのブログに書いても差し支えないですし、もう1つのブログをそろそろ閉めようとも思っているので、今年の大河ドラマ「光る君へ」の記事は殆ど書いていないんですが昨日最終回の放送も終わったので感想についてまとめて書こうと思います。
■ 全体の感想
まず今回は平安時代という私もよくわかっていない時代の物語ですので興味を惹いた点と(平安末期の源平時代はある程度知っていますが..)世界最古の長編小説を日本人女性が書いた、というこの事実に興味がわきました。どういう時代背景がそれを可能にしたのか、どういう背景で世界最古の長編小説「源氏物語」が生まれ、そこの部分をどう描かれるのか、というのが興味があったためじっくり見てみようと思いました。
今回は平安時代という日本史の中にも「戦争がなかった時代」なので戦国時代もののような戦闘シーンは期待できませんが(それでも終盤の「刀伊の入寇」は戦闘シーンがありましたけどね、この件は私もよく知らなかったですが..) 平安時代についての勉強にはなりました。
とはいっても舞台が平安時代の宮廷という非常に限られた空間の中での話が大半な点と、ドラマでは宮廷の皇后や女官たちの雅な装束中心に描かれていましたが、実際の平安時代の街の衛生状態は最悪でかなり汚いものではあったはずです。「平清盛」はそれをリアルに描きすぎて大不評になりましたが、リアリズムという点では「平清盛」の描き方の方が正しいんですね。とはいえ視聴者は平安時代の雅な世界を期待したのだと思いますので、まあ仕方ないかな、という感じですね
さて今回紫式部と並んで主役となっている藤原道長ですが、最高権力者になったのと「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」という権力絶頂の中に詠んだ歌が有名で、その関係で権力でやりたい放題やっていたというイメージをもっていましたが、細かく調べると必ずしもそうでもなかったようですね。それでも私の女房いわく「いい人間に描きすぎだ」といってましたが、そういう面もあったかもしれません。何せ今からちょうど1,000年前の話ですからね
■ 史実にどこまで忠実か
今回は恋愛ドラマに定評のある大石静氏の脚本でしたが、勿論歴史を題材をしているとはいえ所詮はドラマであるのと、1000年も前の話なので、特に女性の人生の記録など当時はロクに残されていませんので、逆に脚本家としては作り放題といっていいかもしれません。特に女性の実名など王侯貴族以外は殆ど残っていませんので、紫式部も清少納言も「まひろ」とか「ききょう」といった名前も作り放題だったでしょう
そのため紫式部の母親が藤原道兼に殺されるとか、紫式部と藤原道長が恋愛関係にあったというのも勿論フィクションですが、そこは恋愛ドラマの大石氏としては脚本上はずせなかったのな、という部分もあります。
但し宮廷の公卿の政治についてはロバート秋山氏演じた藤原実資の「小右記」また道長自身が記した「御堂関白記」といった日記も記しているため、当時の政治状況は比較的正確に把握はできる状況でした。そのため道長が最高権力者になってからの政治の動きはほぼ正確に描かれているといっていいでしょう。そのため中盤以降は脚色はいろいろあるにせよ、史実的にはほぼ正確に描かれている印象があります。
また道長が出家した後に起きた「刀伊の入寇」で描かれた公卿たちの反応はまさに現代の日本にも通じるものだったといえます。この時にたまたま大宰権帥になっていた藤原隆家の活躍によって撃退されたものの、女真族の侵略という国家的な危機に対し「しばらく様子を見る」などという悠長なことをいっていて軍を送ろうともしない危機感のなさは流石に現代の我々も見ていてあきれ果てました。平和な時代が続いた「平和ボケ」だといっていいと思いますが、この後「武士の時代」の到来を予感させるものといえましょう。事実最終回に平為賢に仕えていた双寿丸が関東に向けて出陣している様子が描かれましたが、「平忠常の乱」の討伐に出かけて行ったものと思われます。
時代が「摂関政治」から「武士の時代」に移行を予感させる部分(実際には前九年の役まで半世紀以上ありますが..)を描いていると思います。
■ 源氏物語
藤原道長と紫式部が実際恋愛関係だったかはともかく、道長がいなければ「源氏物語」が生まれなかったことは個々の資料からもほぼ史実だと思われます。また国母となった藤原彰子からかなり信頼されていたことも事実で、娘の大弐三位が女房になってからも、一時休職後に藤原彰子の要請で出仕していたようです。
さて紫式部の源氏物語の登場人物はモデルとなっている人物が多数存在しているけれど、光源氏のモデル=藤原道長といった単純に一人の人間が登場人物のモデルというわけではなく、宮廷の人物の人格をいくつか統合、合体させてキャラクターを築き上げたものと思われます。いずれにせよ天皇も登場人物に出てきて恋愛に関するドラマも描いていることから、(桐壺帝と愛妾の「桐壺更衣」は明らかに一条天皇と中宮定子をモデルにしています)こういうことができるのも事実上天皇の力をしのぐほどの力をもっている藤原道長のバックアップがなければ実現できなかったでしょう。
何にせよ道長が中宮彰子と一条天皇の関係を親密にするために「源氏物語」というツールを使ったというのはほぼ史実のようです。紫式部の類まれなストーリー構成力、文章力があることを見抜いて起用したのだと思います。
ちなみに藤原道長と紫式部が実際恋愛関係というのはまんざら根拠のない話でもなさそうで、『紫式部日記』には、夜半に道長が彼女の局をたずねて来る一節もあり、鎌倉時代の公家系譜の集大成である『尊卑分脈』には「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」と註記が付いており、全く恋愛関係自体が根拠がないともいえなくもないようです。実際宮廷や公卿の世界では女性との性関係は現代の我々から見てもかなり奔放であり、仕える女房の中にも「召し人」という恋愛関係を持った女房も実際問題いたようで、紫式部が道長とそういう関係になったとしても不思議はない、ということもできると思います。
いずれにせよ「源氏物語」=Tales of Genjiは日本だけでなく国際的にも有名になっており、1000年前に女性がこれだけの長編小説を書いたことに対し驚きをもって迎えられています。ハーバードを始め海外の大学でも研究されており、小説に対して高い評価が与えられています。この存在だけでも日本人として誇りに思っていいかもしれません
■ ドラマの音楽
一応私の本職なのでどうしてもこちらについて述べてしまいますが、今回のテーマ音楽は昨年の「どうする家康」と比べてもよくできていると思います。(正直「どうする家康」のテーマ曲は本当につまらない曲だったといわざるを得ないです)反田恭平のピアノもいいアクセントになっていてよくまとまっていましたが、場面ごとの音楽が時にジャズ風になったりロック風にもなったりしている点は少し首をかしげました。
別にジャンルが違う音楽を入れることが悪い、ということではありませんが何か統一感がない、ドラマの背景音楽というよりはBGMといった感じで、ミクロ的にそれでいいのでは、という声もあるかもしれませんが、これではテーマ曲以外は全部民放のバラエテイのような選曲でよくないか?とも思いました。私がドラマ音楽担当したら少なくともこういう作り方はしません。
こう考えるのはやはり映画音楽畑だからですかね?
■ 全体的な演出
むろんストーリーの組み立て方はさすがだ、と思いましたがやはり大石氏の得意ジャンルである「恋愛ドラマ」の体が表面に出てきた感があります。背景音楽がジャズやロックだったこともあり、なんか平安時代というよりは十二単を着た現代ドラマという印象も得ました。
それに対して違和感を感じなかった人が多かったようですが、うーむ、最近私自身が世間の一般的感覚からずれているんでしょうかね?
いずれにせよ平安時代についてのいい勉強の機会にもなりましたし、全般的にドラマとしては良くて来ていると思いますので、今回の大河ドラマは成功といっていいでしょう。何よりも世界に誇れる女流文学「源氏物語」に関して新たな認識にも結び付きました。
また同時代の清少納言の「枕草子」、藤原道綱母の「蜻蛉日記」、そして昨日は「更科日記」の菅原孝標女、そして恋多き歌人の和泉式部等、才能豊かな女流文学者が多数現われ、まるで連鎖反応のように大勢出てきているのもこの時代の面白いところで、今回はそこも堪能させてもらいました。日本の女流文学の黄金時代といってもいいでしょう。
来年の大河ドラマは日本文化の黄金時代を描くということで今からワクワクしています。歌麿から北斎まで浮世絵師のオールスターも出るでしょう、他に近松、十返舎一九、歌舞伎と後に世界の文化に影響を与える芸術家の登場。楽しみです
江戸時代の文化は世界最先端のエンタテインメント文化、町民による町民のためのポップな文化。そのようなものは18世紀、日本以外の世界中のどこにもありません
12月 17, 2024 文化・芸術経済・政治・国際映画テレビ18- | Permalink






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