人生は「未完成」なのがもしかしていいのかな、と
まず現在の業務状況をいうと、現在国内物の長編映画の音楽制作案件が一件進行中。実は基本的な部分はできているのだがこれから最終(かどうかわからないけど)の編集があがるのを待っている状態で、いずれにせよ短くなることはあっても長くなることはなさそうなので、とにかく編集の上がり待ちである。足すのは大変だけど削るのは簡単である。
そしてもう1つ、これが大きな問題でここ数年海外の映画の音楽制作の機会を作ろうとしていたけど、ようやく契約書を締結するところまで行きそうだけど、ようやくできるかと思ったら投資家の一人が中国出張中で来週になることが決定。海外映画、特に国際映画プロジェクト(映画のグローバル化を反映して違う国の合作の方が多い)はインベスター全員の承認が必要らしい。日本とは違った難しさがあるわけだが、そんなわけでまた待たされることになる。
もともとせっかちな性格なので「待つ」というのは性に合わないのだが、この状況はどうにもならない。
このプロジェクトだけではないんだが、最近の海外の映画制作の進行は本当に遅い。遅くてイライラするくらいだが、そんなことで気がめいっているので、クラシック音楽でも聴こうする。ロックやポップスだと何だか仕事の延長になってしまう気がするからである。
それでたまたま聴いたシューベルトの未完成交響曲(!) 実はシューベルトの作品の大半は一部を除いて実質「遺作」のようなもので交響曲も番号が安定しない。私の子供の頃は「未完成」は8番だったのだが、今は7番とかになっている、そもそもシューベルトの交響曲で未完成なのはこの曲だけではなく他にも何曲かあり、本当の番号も研究者によってまちまちである。例えばシューベルトの交響曲の最高傑作といわれるハ長調の「ザ・グレート」も7番から9番の間を研究者によってずれているため、どれが本当かはわからない。
ただ1点。これは私見でシューベルトファンを怒らせるかもしれないが、個人的にはいわゆる「未完成」といわれている交響曲と「ザ・グレート」といわれている2曲を除いてはシューベルトの交響曲は習作の域を出ていないように思う。本当にシューベルトらしくオリジナル性がはっきり出ているのはこの2曲しかないと思うのだ。まあ異論がある人も多いと思うので、この件はここだけの話にする。実は当ブログ記事の本題はそこにはない。
このシューベルトの「未完成」交響曲には昔、個人的にいわくつきな事情がある。といっても今考えると他愛もない話ではあるのだが..(笑)
私は子供の頃から音楽を聴いて、この曲はどうやって作られていくのか、ということに強い興味をもっていた。古い話だがプログレッシブロックでシンセサイザーが使われている時に、当時まだ高値の花だったシンセをいじりに楽器屋に入り浸っていたし、オーケストラ曲を聴くときはスコアとにらめっこしていた。その様子は当時の同級生にも知られていて、いろんな話しているうちに「シューベルトの未完成交響曲を完成させてみろ」という話になり、まあ子供同士のやりとりで「よし、やってやろうではないか」みたいな話になった(笑)ww
参考記事
クラシックのアカデミズムでガチガチな人から「シューベルトを冒涜するのか」などという人が出てきそうだが、まあそこはさておいてください(笑)。しかし先ほども「未完成」といわれている交響曲と「ザ・グレート」の2曲がシューベルトの交響曲の中で突出している、と書いたが実際この「未完成交響曲」といわれている曲ー第一楽章と第二楽章は完成しているのだが、この2つの楽章は音楽作品として完成度が極めて高くまたシューベルトらしい抒情性とダイナミズムを兼ね備えた作品である。これだけで十分に高い芸術性の作品なので、だからクラシックの演奏会でもよく演奏されるのだが、三楽章以降シューベルトがなぜ完成しようとしなかったのか不明である。
しかし第三楽章のスケルツオと思われる部分の初めの部分は書いており、
シューベルト「未完成」の第三楽章のピアノスケッチ
ピアノスケッチをベースに作業したので、なにやら音大作曲学科の「オーケストレーション」講座の課題のようにも見えるが、これらを参考にして作ったものはあったのだが、その楽譜自体はもう紛失して今どこにあるのかわからない。まあ子供の遊び以上のものではないので、どうでもいい、といえばどうでもいい
だが同時にこれをやってみて、あることを思った。シューベルトのこの交響曲は二楽章のみの「未完成」だからいいのではないかと。
自分で曲を作ってみて思うのは、本当の意味で「完成した」作品を自分はどれだけ作っているのかと思うことがある。自分の作品はもしかしたら「未完成」だらけなのではないか、とも思う。だから私の曲には「ナントカバージョン」といったものが結構ある。それは以前作ったバージョンで自分は満足しておらず、作品として「完成されていない」からやったことではないか。とも思う。
シューベルトの「未完成」といわれている交響曲で現在よく演奏されている二楽章は極めて完成度の高い作品である。しかし三楽章以降はスケッチのみで実際にシューベルトがどう作ろうとしたのか今となっては知りようもない。だがその残りの2楽章がないからこそ、ある意味我々の想像力をかきたて、「あとはどうなるのだろう?」といった我々が子供の頃に考えたように想像するのも楽しいかもしれない。
たぶんよほどのことがない限り、今週くらいには今度こそ海外のフィルムメーカーと契約をかわすことになると思うが、実際に映画音楽作品に着手したらまた「未完成」の作品ばかり作るのかもしれない。でも結果的にそれが映画作品を引き立てるものであればそれでいいのである。
6月 9, 2024 音楽日記22ー | Permalink





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