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2024年6月23日 (日)

Mrs. GREEN APPLEのMV炎上事件から昨今のキャンセルカルチャー/コールアウト・カルチャー 化の風潮に一石を投じる

この件は私は基本的には部外者なのだが、この事件はSNS時代の表現のありかたに関係するのであえて記事を投稿する。

初めにお断りしておく、私は世界的に定着しつつある多様性(diversity)を認め、人種、ジェンダー、身体障害、その他いかなることが原因による差別に明確に反対するものである。世界的に多様性(diversity)の流れが定着し、あらゆる差別がなくなることを非常に望ましい動きであると考え称賛する。

 しかし問題はその多様性(diversity)の動きの運用方法である。

先日炎上したMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオが、歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたことで炎上したのは記憶に新しい。これはヨーロッパの歴史上の有名人に扮したメンバーが類人猿にピアノを教えたり等、「植民地主義を肯定した人種差別的表現」と受け取る表現があったことが問題視された。

Mrs. GREEN APPLEのメンバーには悪気はないように見える。それだけに事態が深刻なのだが要は日本人が歴史認識の点でさまざまな問題があることを世界に示してしまった例となった。今はこのミュージックビデオは公開されなくなったようだが、こういう特定の人物・団体の反社会的言動を人々が問題視し、追放運動や不買運動などを起こす可能性のあるキャンセルカルチャーの問題となってきている。

最近の多様性(diversity)の問題を含め、以前とは違って社会的に受け入れられない言動を批判されたり、説明を求められたりすることが多くなってきている。その関係でMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のミュージックビデオの公開禁止はある意味当然の結果として受け止められている。逆に同グループの追放運動や不買運動にまで発展しなかっただけ傷口は浅いのでまだマシである。

だがここでこのキャンセルカルチャーの扱いを間違えると逆に危険な事態に発展するのではないかと危惧する。

昨今の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」の流れを受けて、ミステリーの女王と呼ばれるアガサ・クリスティの小説において「現在 不適切」と判断された表現が2023年に改訂されたという。また映画「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」がストリーミングサービス「HBO Max」の配信ラインナップから削除されたり、世界的バンド ザ・ローリング・ストーンズ / The Rolling Stones が、彼ら自身の曲「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」をステージでは演奏しないと宣言すると言った事も起きている。

むろん「風と共に去りぬ / Gone with the Wind」は人種差別が当たり前のように存在する南部アメリカを舞台とした映画であり、ストーンズの「ブラウン・シュガー / BROWN SUGAR」は奴隷制に言及する部分があるのも事実である。多様性(diversity)を推進する立場から問題視されるのはある意味当然のことである。
だがここであえて問題を提起したい。歴史上かつてイギリスからアメリカで奴隷制度が存在していたのは史実であるし、その奴隷制度を推進したアメリカ南部(のちにこれが南北戦争の原因になる)の人種差別的体質が根強くあり現代でも決してなくなってはいない、という事実をとらえる時、映画や音楽でその「奴隷制度や人種差別を描いた部分」を「不適切な表現」として全て削除するのは果たして正しい選択なのだろうか?、という点だ。

史実は史実として伝えることも映画や音楽の責務ではないか、とも思うのだ。

例えば「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」ではナチスがユダヤ人を差別し侮辱する表現が多く出ている。これらを全て「不適切表現」としてしまうとこの2つの映画は上映不可能になる。だがこのナチスの行った卑劣で残虐な行為を映画やドラマで表現することも重要だと考える。その場合いちいち「不適切な表現」として削除を要求するのはいかがなものかと考える

戦争責任がある我が国でもそうだが、過去の行った犯罪を史実として認めようとしない勢力は日本にもドイツにも存在する。実際「アウシュビッツは事実ではない」と主張するドイツ人もいるし、我が国では「南京大虐殺」や関東大震災での朝鮮人虐殺、太平洋戦争時の朝鮮人強制連行を史実として認めることを頑なに拒否する勢力が存在する。日本の場合困ったことにそのような勢力が自民党を中心とする権力機構に少なからず存在するのも事実である。

そうした人間がこの「キャンセルカルチャー / Cancel culture」の風潮を利用して過去の「不都合な史実」を不適切と判断される事象/言動/物として削除や廃除を要求するようになったらどうだろう?実際トランプ元大統領で現在共和党の大統領候補が奴隷を所有していたことで建国の父祖founding fathersとよばれる合衆国建国時の政治リーダーたちの像の撤去を求める運動の時に「暴徒たちの行為はアメリカの文化を否定する“キャンセルカルチャー”だ」となじった。

トランプがこの言葉を発した時私は背筋が寒くなったことを覚えている。この男は気に入らない表現、本人にとって不都合な史実を全て「キャンセルカルチャー / Cancel culture」として排除を要求する可能性がある。(実際2021年の議会乱入事件など「不適切な事実」として葬ろうと思えば可能だ)そうなるとトランプの独裁制が完成することになる。
ついでにいえば3年前のアメリカ議会乱入を煽動したのは間違いなくトランプであり、民主主義を破壊する行為を平気で行う人物をまた大統領候補に選ぶ、という暴挙をアメリカ人は行おうとしている。この意味をもう少し考えるべきだ。トランプこそ民主主義の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」として排除すべきである。

ネットには暇人が洋の東西を問わず多く、何か話題の表現が出てくると重箱の隅をつつくように「不適切な表現」を捜そうとする。そして彼らがそれらしい表現を見つけたらまるで鬼の首を取ったかのように拡散する。だが本当の意味の「キャンセルカルチャー / Cancel culture」は慎重に議論をした上で認定すべきである。何よりも例え結果として差別表現や不都合な史実が出てきても、それが実際にあった史実であればそれは伝えるべきである。

でないと史実を知らないまま無邪気に「不適切表現」をしてしまうMrs. GREEN APPLEと同じ失敗を犯すことになるだろう。

 

 

6月 23, 2024 経済・政治・国際音楽 |

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