「流通」が無くなった音楽産業ー新たなビジネスモデルの構築が果たして日本の業界でできるか?
インターネットが普及し、さらに今回のコロナ禍、
音楽産業ほど大きな変化を余儀なくされた産業はないかもしれない。
一方ではその大きな変化に対して一番鈍感で対応が遅いのも日本の音楽業界ということができる。それはもう数十年も前から感じてきたことであり、私などは大昔から変革を唱えてきた(そしてことごとく無視された...) が日本の音楽産業の遅れぶりはもはや火をみるより明らかになった。
■新時代への変化への対応を拒否してきた日本の音楽業界がいよいよ壊滅状態にー一方ではサブスク、プレイリスト中心への動きも https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2020/11/post-5d279a.html
その証拠に日本では斜陽産業の代名詞となっている音楽業界だが、海外では完全にV字回復している。もう何回も提示したリンクだが
■ ストリーミングでアメリカ音楽市場がV字回復-でも日本ではこのままでは無理
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2018/04/v-6f77.html
世界ではサブスクによるストリーミングが完全に主流になっているにも関わらず、日本の音楽産業があくまでCDに固執するのは理由がある。
それはCDの流通を中心とした音楽業界の既得権益が存在するからである。
つまりその権益で食べている人たちが確実に存在し、その権益によって業界全体を支配する構造が存在したからである。
音制連、音事協の業界全体の支配はCDの流通を中心に構築されてきた。その支配はCD工場にまで及ぶ。日本の音楽業界はその既得権益に基づき、日本の音楽業界人同士の「ムラ社会」を構成し、それを維持することをトッププライオリテイとして運営されてきた。これは今でも基本的には変わらない。音楽業界というのは今の日本のガラパゴス体質のあらゆる悪い面が反映している業界なのである。日本の官僚組織、政治家の黒い癒着と本質的に構造が同じである。それゆえ、グローバル社会であり全てが対等な競争など彼らからすれば「とんでもないこと」ということになるのだろう。
実際日本の音楽関係者をみていると「自分たちはガラパゴスでいいんだ」と考えているとしか思えない人たちが多い。
■日本の音楽業界はなぜ遅れてしまうのか
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2019/06/post-64f0cf.html
だが来たるべき新時代の流れはもはや誰にも止められない。旧時代のビジネスモデルにあくまでこだわる人たちはいずれは滅亡の道をたどることは避けられないと思う。
はっきりいってそういう人たちに同情しない。私は再三再四業界関係者にいってきたことは全て無視されてきた。その結果がそうなったのだから自業自得である。
CDを中心とする古いビジネスモデルにあくまでこだわる人たちだが、新時代のビジネスでとりわけ音楽業界のビジネスが他のいかなる業界とも違う形態に変貌していることに気が付かない人が多いだろうと思う。
それは「流通のない」業界になる、という点だ
これは他のいかなる業界とも異なる。例えば私が関わっている映画業界もNetflix, Amazon Prime, Disney Plus といった三大映画サブスクリプションサービスが主導になりつつある。
だが今コロナ禍で厳しい状況にあるとはいえ、劇場による映画公開、は例えサブスクが盛んになってもなくなることはない。劇場にて映画のパンフレット、フィギュア、その他のグッズ等を購入することもできる。つまり物品商品が存在するのである。そして何よりも「劇場への配給」という流通の形態が存在し続けるのである。
いかに家で見たい時に映画を見ることができる、といっても劇場の臨場感、迫力は劇場にいかないと経験できないものである。3D, 4D, Imaxなど説明の必要なないであろう。だからストリーミングサービスがどんなに普及しようが劇場で映画を見る、という形式はなくならない。(ただ以前よりは規模が小さくなるかもしれんが)
だが音楽の場合どうか?
音楽は基本はSpotify, Apple, Amazon Music といったサブスクリプションサービス中心にストリーミングが行われる。CDというパッケージはもはや商品としてなりたたくなり、サブスクリプションを通じての再生回数によってアーチスト関係者の収入を発生させるシステムとなる。
いわばストリーミングのサブスクリプションがある意味「流通」ととらえることはできるが、Spotify, Apple, Amazon Music いずれもグローバルな会社であり、それらにデイストリビュートする会社は「流通」というよりは「窓口」である。そこには日本のCDの流通システムのような音制連、音事協の支配構造など生まれるはずもない。全世界共通のルールにて公平かつ公正に運営が行われているし、おこなわれるべきなのである。
しかもその「窓口」は必ずしも大手レコード会社とは限らない。サブスクリプションではメジャーもインデイースも完全に同じ土俵で戦うことになる。
音制連、音事協の既得権益の層は当然それが気に入らない。だから彼らはCDビジネスに固執し、サブスクリプションによるストリーミングを嫌う。最近ではさすがに拒否できずに大半の会社はサブスクを導入しているが、正直「嫌々ながら」やっているのは見ていてよくわかる。
勿論、それでは音楽関係者で「物品の販売」が全く行われなもいのか、というと必ずしもそうではない。 欧米ではアーチストのファンのためにさまざまなグッズ販売を行っている。ファンにとってはやはり好きなアーチストの公式グッズというのは重要な位置をしめるからである。
ビリーアイリッシュの公式グッズショップ https://www.pgs.ne.jp/view/category/BILLIEEILISH
それらは多くの場合、ファンクラブ、アーチストの公式サイトもしくは公式ショップ、アーチストのライブ会場等で販売される。これらはCDショップの流通網とは少しニュアンスが違うものである。
映画の「劇場」に相当するのがミュージシャンのライブ、コンサートである。今はコロナ禍によって開催は難しくなっているがこれもサブスク、ストリーミングの時代に入ってもなくなることはない。
あとアナログレコードもアーチストの重要な商品になりつつある。「いい音」で「大好きなアーチストの音楽」を聴くという動きもなくなることは決してない、特にストリーミングサービスがmp3がメインとなっている現代ではなおさらである。これらも多くは「グッズ」の中で売られていくものである。
サブスクが中心となっている時代では音楽のビジネスの形も大きく変化する。これも何度も書いているがサブスクのプロモーションでキーワードとなるのは「プレイリスト(選曲リスト)である」。ひとことでいえば再生回数を分析したデータが音楽ビジネスにとって大きな意味をもつ。
上記のデータで音楽がどういう人たち(女性か男性か、年齢層、国層)というのがわかるシステムになっている。この膨大なデータを分析しマーケテイングを行うことが今後の音楽業界関係者に必要不可欠になる。欧米では既に「データアナライザー」という名のポストが存在し各音楽事務所で重要な役割をもつ。これも数えきれないくらいこのブログで言及した。
残念ながら日本の音楽事務所関係者の大半に「データアナライザー」という名のポストの話をしても私が何の話をしているのか皆目理解しない人がまだまだ多い。
しかしさすがの変化を忌み嫌う日本の音楽業界でも少し違う流れが出始めている
■日本コロムビア、デジタルプロモーションに特化したラボ「colutte」を設立 プレイリスト企画に富田美憂が登場
https://www.musicman.co.jp/business/354528
正直メジャーレコード筋から初めて「プレイリスト」という言葉を聞いたような気がする。さすがに世界中から置いて行かれる現状をみて「これではいかん」と考えている人たちは少しは存在するらしい。この人たちの今後の健闘に期待したいものである。
もはや「流通」といえるものがなくなった音楽業界。しかし時代に適応すればまだ挽回の可能性はある、と信じたい
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