音楽教室vs JASRAC ー音楽教室での演奏にも「著作権料の徴収権」認める 不当判決
当ブログをご覧になっている方ならご存じだろうが、私はJASRACが「演奏権」を根拠にヤマハ音楽振興会や河合楽器製作所の音楽教室から著作権演奏権を徴収すると発表して以来、それに反対してきた。
署名活動も率先して行っている
■音楽教室から著作権料を取らないで!! 日本の音楽教育存続のために (署名終了)
これは単に私が仕事上の関係でカワイ音楽教室の教材の音源制作に関わっているからではない。そんなケチなことから本案件には反対しない。そうではなく街の個人のピアノ教師{今回は仮にこのまま判決が決定しても当面この人たちは対象からはずれる、但しあくまで「当面」である)から大手が運営する音楽教室にいたるまで、JASRACの包括契約に基づいて規模に応じて著作権料を徴収するというのは、既に楽譜、教材等で正当な著作権料が支払われているにも関わらず、教室の練習にJASRACの「演奏権」を適用する、ということがどう考えてもおかしいと感じたからである。
果たして本日の判決の内容はまるでJASRACの主張を100%同調するという酷い内容のものだった
■JASRAC勝訴、音楽教室での演奏にも「著作権料の徴収権」認める 東京地裁
https://www.bengo4.com/c_18/n_10855/
この内容ははっきりいって不当判決といわざるを得ない
ではどこが酷いのか。基本的には全部だが特に争点となった次の2点について指摘したい
(1) 「演奏権」(著作権法22条)音楽教室での演奏は「公衆」に対する「公の演奏」にもあたるのか
本日の裁判では
音楽の利用主体は、「教師や生徒ではなく、音楽教室事業者であると認めるのが相当」としたうえで、生徒の入れ替わりなどがある実態を踏まえて、「音楽教室の生徒は、不特定または多数にあたるから『公衆』に該当する」
この判例を聞いて耳を疑うのはそもそも裁判官は音楽教室というところは何をするところなのか理解しているのか?という点。音楽教室を「音楽鑑賞」を練習する場所と勘違いしていないか、という点。音楽演奏の技術を練習し、学ぶ場所である。つまり基本的な作業は演奏技術の会得のための反復であり主目的はあくまで音楽を聴くのではなく演奏技術の会得を目的としている。
その演奏技術を学ぶための生徒が入れ替わりがあろうが、「不特定多数の生徒」は演奏技術の会得を目的としている人たちで「音楽を聴く」ことを目的としているのではない、その人たちを「公衆」と認定するのはあまりに論理に飛躍が過ぎる
(2) 「音楽教室のレッスンは、教師が演奏をおこなって生徒に聞かせることと、生徒が演奏をおこなって教師に聞いてもらうことを繰り返す中で、演奏技術の教授がおこなわれる」という実態などから「聞かせることを目的」として演奏している
当たり前かもしれないが、今回の裁判関係者で音楽教室側の人はともかくそれ以外の人達で音楽教室で演奏技術を学びにいった人たちがいるとは思えない。つまり音楽レッスンのプロセスをきちんと理解しないで、文言だけで考えるとこういう表面的な理解になってしまう。
確かに先生が「お手本」として演奏することはある。しかし多くの場合は次の場合に限られる
(i) 生徒の次の課題新曲を示すためにまず演奏の模範例を示す(生徒が教室で新曲を練習する前の段階)
(ii) 生徒が課題曲で演奏がうまくいかない、うまく演奏できない場合のお手本を示す
ちなみに先生が「全曲を弾く」場合は上記の(i) の場合に限られる。それ以外全曲を弾くことは極めて稀である点は付記しておく
さて、次は生徒が弾く場合である。私が音楽教室で演奏技術を学びにいった人たちがJASRAC側や裁判官側にいない、という断定するのは生徒の演奏技術の会得のプロセスについて論じている形跡が見られないためである。私がこの生徒のレッスンの過程を「聴くことが目的」と解釈するのが表面的だというのは、レッスンというのは「音楽を鑑賞」するのではなく、あくまでピアノであれば「よい弾き方」で演奏されているか、「人に聴かせるに耐える演奏レベルになっているか」ということを「チェックする」ためのものである。
ピアノ演奏を例にとれば一般に教師は生徒の演奏の中で
(a) 指使いに無理がないか
(b)演奏の手の形に無理がないか(指が寝ておらず立てているか等)
(c) 演奏のメロデイ、その他が「正しく」演奏されているかー 間違って弾いてないか、違う音を弾いてないか
等をチェックするのが目的である。
表面的に「聴いている」ように見えるかもしれないが、実は生徒の技術向上のためにあらゆる面からその演奏を見ている。
今回の判例で決定的なところが見逃されているのは「生徒の演奏」は「公衆に聴かせる=いわば商品レベルになる」レベルの演奏ではないという点だ。
生徒の演奏を見ることを「聴いている」と主張するなら、例えば料理人が新しい料理を作るための試作品のレシピを研究してその過程で味見をするーその料理人の「試作品料理の試食」行為を「食事する=お客様に出すレベルの料理」といっているのに等しい
つまりシェフの料理の試作品=商品化した料理、といっているのに等しいのである。だから生徒の演奏を「公衆向け」の「演奏」と規定するのは無理があるのだ。
それゆえ、今回の判決は到底承服できる内容ではない
尚、一応先程YAMAHAさん、カワイさんを中心とする 音楽教育を守る会の齋藤事務局長からご連絡をいただいて控訴する方向で検討しているとのご連絡をいただいた。
闘いはまだ続き次回は東京高裁が戦場となる。
2月 28, 2020 経済・政治・国際音楽16-23 | Permalink
コメント
具体的な例で楽曲の権利について話します。例えばあのデズニーで使われている名曲”イッツスモ-ルワールド”は実はデズニーが著作権を持っているのではないのです、著作権は原曲者にありますし誰が自分で演奏してだれでも歌っていても自由なのです。ただし、デズニーで販売しているCD類の曲自体や(デズニー楽団が演奏したもの)デズニーの会場で流れている音源をそのままコピーしてどこかの会場で流したら違反です。そんなことしたらデズニー側からすぐに損害賠償請求で訴えられます。なぜならその「デズニーが演奏したり歌った音源の権利は」デズニー側にあるからです。なのでジャスラックのいう音楽教室での既存の曲の「先生の演奏」自体にジャスラックが利用料金を請求すること自体が違法なのです。音楽教室で「市販の楽曲」のまま教材として使用したらジャスラックの言う通り利用料を徴収されるのはありうるとおもいますが、音楽教室で先生が生徒に向かって演奏した「楽曲」自体は「二次創作物としての使用する権利」がその先生自体にありますので、なんら原曲の権利を侵すものでもなくむしろ原曲者の権利者方から見ると音楽教室で自分の楽曲がコピーされ歌われるのはうれしいことですし「どうぞ自由に演奏してどうかもっと歌ってくださいそしてもっと広めてください」となるのです。そのことにたいしてジャスラックが原曲のすべての管理者だからといって権利をかざし裁判起こして音楽教室に対して利用料を請求するのはあきらかに犯罪です。
投稿: 五太子順昭 | 2020/03/01 15:54:58