大胆仮説!! ドヴォルザークの「ユーモレスク」に見るラグタイムの影響
今日は事実上「お盆明け」になるんでしょうか。まだ夏休みモードの方もいらっしゃると思いますので少し音楽談義をここで行いましょう。
クラシックにそれほど詳しくない人でも「交響曲ー新世界から」を作曲したボヘミア(現チェコ共和国)の作曲家のアントニン・ドボルザーク(写真)という作曲家の名前を聞いたことがある人は多いのではないかと思います。
アントニン・ドボルザーク1841-1904
そのドボルザークは1891年から1895年の間にアメリカ ニューヨークのニューヨークナショナル音楽院の音楽院院長に就任し、その経験からドボルザークの代表作と呼ばれる交響曲9番「新世界より」を始め弦楽四重奏曲「アメリカ」そしてチェロ協奏曲が作曲されました。アメリカの音楽院教授を務めるかたわら、ネイテイブアメリカンやアフリカ系アメリカ人の音楽に興味を持ち、上記の3作品はその強い影響を反映して作られたもの、といわれております。
またドボルザークは1893年の「ヘラルドトリビューン」にて『黒人の旋律の真の価値』(The Real Value of Negro Melodies.)という論文を発表し、合わせて『アメリカの音楽』(American music)という論文も発表し、アフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカンの音楽の豊かさを啓発しました。
実はこの論文をネットで探したのですが、原文を探すことができずおそらくは国会図書館にいっても見つかるかどうか、という状態ですので具体的にどのようなことが書かれていたのかわかりません。もしご存じの方がいらっしゃれば是非教えていただきたいのですが、1つだけわかるのはドボルザークの両方の論文、ならびにアメリカ帰国後の一連の作品についてかなりさまざまな誤解や誤った認識が広まっている点を感じます。
例えば弦楽四重奏曲「アメリカ」の二楽章はNegro Spiritual(黒人霊歌)のメロデイを借用した、などという議論がまことしやかに論じられていますがこれは明らかに誤りです。また交響曲9番「新世界より」のあの有名な第二楽章がネイティブ・アメリカンのメロデイというのもドボルザーク本人が否定しているように、実際にはドボルザークの完全なオリジナル曲です。上記の3作品はアメリカの音楽にかなり触発された面はあるにせよ、メロデイを始め曲全体はボヘミア調であり、ドボルザークの代表的なオリジナル作品といっていいと思います。
そもそもドボルザークのアフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカンの音楽論に関して多くのクラシック系の音楽学者や評論家はこれらの音楽に関して無知をさらけ出しているように思います。例えば弦楽四重奏曲「アメリカ」の二楽章のNegro Spiritual(黒人霊歌)論ですが、このメロデイは五音音階(ペンタトニック)になっていますが、実はNegro Spiritual(黒人霊歌)の音楽には五音音階はありません。五音音階が多いのはネイティブ・アメリカンの音楽の方で、アフリカ系アメリカ人の音楽はヨーロッパの音楽とアフリカの音楽やメロデイを融合したものが多く、ネイティブ・アメリカンの音楽とは全く異質なものです。
実はアフリカ系アメリカ人の音楽に最初に興味を持ち始め作品に取り入れたのはアメリカの歌曲作家のフォスター(Steven Foster1826-1864)ですが、かれはあくまでアイルランド移民の観点からNegro Spiritual(黒人霊歌)の音楽を取り入れました。しかし必ずしも系統だってアフリカ系アメリカ人の音楽を取り入れているといえない面もあり、その扱い方には議論が分かれるところです。ちなみにフォスターの音楽の流れは後のアメリカの「カントリーミュージック」の原形につながるもので、そのためフォスターをアメリカ音楽の父という人もいます。しかしながら彼の作品はヨーロッパでは全く無視されていました。
アフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカンの音楽についてヨーロッパで一定の関心がもたれるようになったのは既に作曲家としての地位を確立していたドボルザークの論文だからこそ一定の関心を呼んだのですが、それに対する解釈は両者の音楽に対する音楽学者や評論家の無理解からかなりとんちんかんなものになっています。(特に両者をかなり混同した議論が目立ちます)
実際のアフリカ系アメリカ人の音楽は先ほども書きましたようにヨーロッパの音楽とアフリカの音楽やメロデイを融合したもので、実際には合唱曲や歌曲のような形が多く、これがのちのゴスペルに発達し現在のソウル、R&Bになります。
一方インストルメンタルも当然存在し、こちらもヨーロッパの音楽とアフリカの音楽を融合した新しい音楽が生まれます。19世紀末から発達し始めたのはラグタイムというスタイルの音楽です。代表的な作曲家としてアメリカの作曲家スコットジョっプリン(写真)という作曲家がいます。
スコットジョっプリン(1867-1917
実はドボルザークの作品でラグタイムの影響があると思われる作品があります。その作品はこれもドボルザークの代表作と呼ばれる作品「ユーモレスク」にあります。なぜか不思議なくらい誰もこのことについて論じないのですが
まずはドボルザークの代表作「ユーモレスク」 クラシックに詳しくない人でも聴いたことがあるんではないでしょうか?
次にこの「ユーモレスク」 のエンデイング部分をお聴きください。かなり特徴的なエンデイングです。
これは我々ポピュラー肌で仕事している人間ならこのコード進行を聞いてすぐにピンときますが、メジャーコードの中に同属のマイナーコートを挟ませて最後にまたメジャーコードで終わる。という終わり方、これはブルースコードの進行そのものです。
ご参考までに上記スコットジョップリンの代表作「メイプルリーフラグ」の一節をお聴きください。非常によく似ていることがわかると思います。
このブルースコードを音楽芸術作品に取り入れたのがアメリカを代表する作曲家のジョージガーシュイン、このプレーズも皆さん聴いたことがあるはずです。
はい、「のだめカンタビーレ」に使われていた曲ですね。ブルースといわれるフレーズはここの部分のことをいいます。
勿論ドボルザークがラグタイムを聴いたという決定的証拠はありません。しかし実はドボルザークは大の鉄道好きで知られ、休日は蒸気機関車でアメリカ中を旅をしたという記録が残っています。19世紀末はラグタイムの絶頂期でもあり、アメリカのタバーン(居酒屋)では必ずといっていいほどラグタイムが鳴っていました。旅先で夜居酒屋で一杯、なんてことを当然ドボルザークはやっていたと想像がつきますので、ドボルザークが実際にラグタイムの音楽を聴いたとしても別に不思議ではありません。
実際に聴いたとすれば興味深々でラグタイムにふれたのは想像にかたくありませんので、その時に経験が代表作「ユーモレスク」 に反映された、と考えるのは不自然でしょうか?
ドボルザークは都合4年間アメリカの音楽院で教鞭をとりましたが、残念ながらその時の学生から特記するような作曲家は生まれませんでした。
しかしドボルザークの作品を聴いて作曲家になろうと決意した青年がいました。その青年の名前はジョージガーシュイン
奇しくもガーシュインが単なるポップミュージックの作曲家だけではなく、芸術音楽の世界を志そうと思ったのはドボルザークの「ユーモレスク」を聴いてからでした。やはりドボルザークの感じ取ったアフリカ系アメリカ人の音楽の可能性を追求し、その精神を継承したのがガーシュインだったといえるのではないでしょうか?
現代のポップミュージックでアフリカ系アメリカ人の音楽の影響を受けていないものはありません。その意味ではドボルザークの先見の明は多くの音楽作品の傑作とならび評価していいのではないでしょうか?






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