2024年パリオリンピック開会式にみる東京オリンピックとの情けないほどの差に日本とフランスの文化のレベルの質の差をみせつけられる
コロナの関係で3年前だったがまだ記憶に新しい東京オリンピックから3年。
パリオリンピックが開会した。開会式自体は日本時間で午前2時半なのでさすがに起きてずっとまっている自信はないので、NHKプラスにて開会式をみることにした。
ひとことでいってやはり日本とフランスの文化の懐の差、レベルの差を実感させられた開会式だった。特に大きな差は創造力ークリエイビテイの差である。
日本人は元々そういう傾向があるのだが、「カタチ」にこだわる傾向が強く、それがクリエイティビティを押し殺してしまうケースが往々にしてある。
勿論2021年の東京オリンピックに関しては直前に関係者の不祥事が続き最後は実質ディレクター不在の開会式になってしまった点も大きい。そのため演出らしい演出が全く行われなかったのである。だがこの点は日本側のオリンピックの実質「プロデューサー不在」の状態、また演出の主要メンバーの事前の調査不足も大きく影響はしていた。
だが今回のパリオリンピック開会式では日本ではまず考えられない内容の演出があった。
見て驚いた人も多いだろうがマリーアントワネットの幽閉された建物で首を持った女性が歌を歌い、建物が血飛沫を思わせるテープやスモークで建物を覆うという演出である。
日本だと「コンプライアンス」で一発アウトだ。またこの模様をオンエアするのはBPOが許さないだろう。海外のイベントだから報じているが...
フランスは表現さえ面白ければそんなことは気にしないようだ。それがクリエイティビティの差に直結している。
勿論当のフランスですらこの点については賛否両論があったようだ。
■パリ五輪開会式「首を持つ王妃」演出に賛否沸騰 「恥知らず」「メダルに値する」
https://www.sankei.com/article/20240727-B7S54JVWZBBQTKZ6PDYDLZZUMA/
良くも悪くもSNSを騒がせた演出だが、どうもフランスは問題提起することを面白がるカルチャーがあるように思う。よかれ悪しかれ日本とは正反対である。日本人は議論に対する柔軟な対応ができない民族になってしまった。
一方で私は日本の企業が言う「コンプライアンス」というものには非常に批判的である。なぜなら日本の「コンプライアンス」はただの「事なかれ主義」だと思うからだ
本来企業のコンプライアンスというものは、ビジネスのフェアな取引(フェアトレード)を始め、企業倫理の確立、人権、差別、平等に関しての配慮することが要求される。勿論法令順守など当たり前な事
しかし某有名化粧品会社の社長が差別発言しても居座っているケースがあるが、これは欧米では考えられない。アメリカなら一発辞任で業界からも永久追放である。NBAのオーナーが黒人差別発言して永久追放になったオーナーもいる。
そういうのを真のコンプライアンスと私見では考える。
それを考えると日本の「コンプライアンス」というのはただ波風が立たないように、ひたすら問題が起きないようにするためのものである。そんなもの「コンプライアンス」ではない。
結局問題がおきないように「前例」にこだわり「カタチ」にこだわる会社の運営方法になってしまう。それによって思考は硬直化し新しい発想が出てこなくなる
今回のオリンピックの聖火台ーなんと気球に乗せている状態だ。これから開催期間中ずーっと浮いたままなのか、どうなるのか個人的な興味はあるが、こういうユニークな発想は今の日本からなかなか出てこないだろう。
日本とフランスのクリエイビテイの差を見せつけられた開会式だった
<追記>
難病にかかり健康状態が心配されたセリーヌデイオンの開会式の大トリでの「愛の讃歌」は感動しました。久々に音楽のパワーを感じさせる熱演でした。このパフォーマンスが難病克服に繋がってくれることを祈ります。
レデイ―ガガもよかったですね。やはり一流のアーチストは何を演奏しても一流の演奏になる。
7月 28, 2024 文化・芸術イベント・コンサート17- | Permalink | コメント (0)
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