最悪の2024年が終わってー来年のリベンジを誓い引き続き前進を
2,024年、大みそかの明日を残してはいるが実質的に今年は終了。
正直いって最悪の一年だった。やることなすこと全てうまくいかない。今度こそ動くと思った案件が動かない。満を持して始めようとした案件が頓挫する、そんなことの連続だった。これほど悪戦苦闘した一年はない。
しかし愚痴をいって解決するわけでもない。自分にできることはとにかくめげずに前進を続けることだけである。
音楽関係者のかつての仲間から、「お前は音楽やめて映画人になったのか?」とか「なんで音楽家のお前がそこまでやっているんだ?」といったよくきかれる。詳しく説明すると話が長くなってしまうが、こうなったのは映画音楽の作曲家という道を自分で選んだためである。
今から10年くらいまでにJ-POP(もうこんなジャンルがあること自体皆さん忘れてるでしょ?)にすっかり嫌気がさし、日本の音楽界に絶望した折に映画の交流会とかに出席してから、映画の世界にどっぷりつかってしまったのは事実。今や映画の交流会で主催側になってしまった。理由はいろいろあるが、少なくとも音楽界と比べると映画界はオープンな世界である、と感じたからだ。
例えば今や打ち込み関係の音楽制作が完全に主流だが、歌がボーカリストとオケを作る作曲家兼アレンジャーがいれば作ることはできる。打ち込みのインストなどは一人でもできる。
ところが映画はそうはいかない。カメラ、照明、メイク、衣装、それぞれの専門家とデイレクターの共同作業で行う仕事である。役者も複数の人間が必要だし、要は一人では決して作ることができないのが映画である。だからいつも人材を募集しているし、ある意味その中に入っていくのは難しいことではない。必要なのは映画関係の仕事をする、とぃう強い意志のみである。そうやって私もいくつかの作品の音楽を作る機会を得た。今年も一つ作品を作り、今後もたぶんやると思うが、とにかく良質な映画作品を作るために貢献をしたいと考えている。
そして何よりも映画音楽の仕事を本格的にやろうと思ったら、「音楽人」であると同時に「映画人」でもなければならない、という点である。歴史に残る日本の映画音楽作家、伊福部昭、武満徹、冨田勲、佐藤勝、いずれも映画の現場と密接に顔をだして映画音楽の作業を行っている。私も時々やるが、エキストラとしてもこの先生方は出演したりしている。映画音楽の作曲家になりたい、と思っている人はそこまでの覚悟で映画音楽に取り組み覚悟があるかどうか自問自答する必要がある。
ただ映画界を見るにつけ、日本の映画界にもいろんな問題があることが見えてきた。
問題はいろいろあるが、特に深刻なのは映画作りのプロセス、映画の質で日本が世界から大きく後れを取っていることが見えてきた。と同時にサブスクのプラットホームが普及したこともあり、映画制作にもはや国境がない時代に入ってきたのだが、日本の映画界はまだそのグローバルな制作の動きに頭がついていっていないことがみえてきた。
私が最近映画音楽の作曲家に限らず、映画制作やラインプロデューサーの域まで業務を拡大したのは、日本の映画制作のグローバルな制作の動きの遅れに対して危機感を感じたためである。
今年は思うように成果を上げられなかったが、来年こそは実績を作ろうと考えている。
まあとにかく挑戦は続けていこうという気構えはある。
正直、決して若いという年齢ではない。また同年代で早めに引退して悠々自適の生活をしている人間がいるし、羨ましいと思わないでもない。
でも今の自分にはとてもできない。やろうと考えることもできない
なぜなら自分の中で全く燃え尽きていないからである。
自分でやりたいと思っていることができていない、自分がやりたいと思っているレベルの仕事まで行っていない、
それができるレベルになり、誰からも文句言われない実績を出すまでは引退など考える気にもなれない。まあそこまでいくには最低10年はかかるかもしれない
希望を持っているのは、海外の映画関係者の自分の音楽サンプル、デモリールには手ごたえを感じているためである。
ちなみに今日、デイズニープラスでジョンウイリアムスがサイトウ記念オーケストラをサントリーホールで演奏するのを見た。ジョンウイリアムス、92歳ーまだバリバリの現役である。
この年齢までできたら少しは燃え尽きているかな? まだ数十年あるけど..
とにかくあと何年できるかわからないが、燃え尽きるまでやりたいと考える次第
そして2025年はリベンジしたい。今年の停滞をカバーできるまで
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