2015年11月 7日 (土)

通販向け化粧品会社のサウンドロゴジングルのレコーデイングを行いました

先々月から着手している通販専用の化粧品メーカーの新商品のサウンドロゴ(商品名や企業名等を音楽で表現するジングル) いろいろと難産だったのですが本日ようやくそのレコーデイングが行われました。

 

 

 

30分のインフォマーシャル(通販商品の説明やデモンストレーションのため30分間の番組形式のCM)に数回使われルサウンドロゴジングルで、ボーカルは岩澤あゆみさん(写真)で偉大なギタリストの寺内タケシとブルージーンズのボーカルを担当されている方です。

 

 

 

Rec110600

 

クライアントに対するサウンドロゴサンプルは17パターン作りましたが、結局レコーデイングしたのは4パターンです。ボーカルのテークは最低3テークどのパターンも録りました、

 

 

 

 

 

Rec110601

 

今回のレコーデイング、どれだけ時間がかかるのかわかりませんでしたが思ったより早く終わりました。

 

 

 

とはいえ、ボーカルのダビング(録音)が終わっただけでボーカリストやクライアントが返ったあと、本当に大変な作業、ミックスが控えています。

 

 

 

Rec110603

 

これが結構孤独で大変な作業です。我々のような音屋の宿命で一人黙々と仕事場で作業を行います。

 

 

 

 

 

Rec110604

 

 

クライアントさんも満足された、ようです

今回のクライアントさんのインフォマーシャルはNHKやWOWOWを除くBS.テレビ神奈川、テレビ埼玉等のローカル地上波(旧UHF、と言ってもわからないですかね? もうwww)で流れます。まあとにかくこのジングルによって商品が売れるようになるといいですが...

 

オンエア開始されたら当ブログでもお知らせします。

 

 

 

 

 

11月 7, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年9月23日 (水)

大胆新説?-サテイの楽譜に小節線がない理由

もう一か月ほど前だがエリックサテイ展に行った記事をかいたけれど

今年はエリックサテイの没後90年にあたることもあって既にシリーズになっている名曲喫茶ヴィオロンでのラグタイムコンサート、20世紀初頭のアンテイークが沢山あることもあって今度のライブではいつも通りのスコットジョっプリンのラグタイムナンバーに加え、エリックサテイの曲も演奏する。

実はそのエリックサテイ、非常に変わり者の作曲家として知られているがまず、楽譜からして変わっている。

まずエリックサテイの代表作の1つ 3つのグノシェンヌの楽譜をご覧いただこう

Gnosenne1_small

この楽譜を見て何かきがつかないだろうか?
そう小節線がないのだ

サテイの作品にはもう1つおかしな点がある。
普通表情についてはクラシックの場合はdolceとかespressivoとかイタリア語での定番の表現についての記号が使われるが、サテイは違う

「問い直して」 「頭の隅で考えるように」「舌の上で」  とか

「注意深く相談しなさい」「何度もよくみて」 「ぺしゃんこになって」「歯のないうぐいすのように」

等意味不明のものがある。

また題名もおかしなものが多い
『官僚的なソナチネ』『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』『冷たい小品』『梨の形をした3つの小品』『胎児の干物』『裸の子供たち』

Coldpieces_2

 

冷たい小品の楽譜

これらは一体何を意味するのか? 単にエリックサテイが変人だからこういうおかしな表現の指定と題名にしたのか? と長い間考えられてきた

だが最近それはあまりにも表面的な解釈なのではないか? と思うようになった。

これらの一件奇妙奇天烈な表情指定や題名、そしてなぜか小節線が一切ない楽譜

これは何等かの意図でわざとこうしたのではないか? と思う。

サテイは変人ではあっても気が可笑しいわけではない。既存のクラシック音楽の作曲家とはかなり違うが、しかし全く意味がないことをやっているわけではない。確かに私と同じで音大を卒業してはいないが、音楽に関して全くのど素人ではない

実は先日知り合いの女優さんの舞台を見に行って気が付いたことがある。

Azumimari0

それはこの一件奇妙奇天烈な表情記号で、サテイはある劇、スキットを表現していたのではないか? 

という仮説が出てくる

マン・レイはサテイのことを「眼を持った唯一の音楽家」と評した。その意味について考えてみると、サテイのこれらのピアノ作品はいわゆるクラシックの形式の作品ではなく、サテイなりに自分で書いた台本に基づいて劇や情景を描いていたのではないか? と思うのだ。

そう考えると全てのことがつじつまが合ってくる。

例えばグノシェンヌ、これはサテイの造語だがジムノぺデイと同じくギリシャをイメージしている言葉だが、どうもサテイなりにギリシャをベースとした舞台、スキットをピアノ曲で表現した、とも思える

つまりグノシェンヌに関しては次の解釈が成り立つ

グノシェンヌ一番ー ギリシャの哲学者がある真理について思索にふけっている様子

             「とても輝かしく」 「問いただすように」「頭の隅っこで考えるように」

グノシェンヌ二番ー 哲学者にある人物が話しかける(カミングアウト?) 哲学者は驚く

             相談する人物に優しく詳しい事情を説明するよう促す

             「いつも驚きを失わずに」「とても親切に」「尊大にならずに」

グノシェンヌ三番ー 相談の解決策を考える。かなり難問らしい。解決策が見つからず悩む            

                         「注意深く相談しなさい」「全く途方にくれる」「頭をはっきりさせて」

つまり サテイはピアニストにピアノで劇を演じろ、といっているように思う。この曲は楽譜を忠実に演奏する、というよりはピアノで舞台俳優になったつもりで演じろ

とサテイが云っているような気がするのだ

だから小節線がないのは、「舞台の演技」だから必要ないのだ。4拍子風の曲も舞台で4拍子になるとは限らない。小節線は寧ろ邪魔なのだ。だからサテイはあえて小節線を入れていない

つまりサテイはたまたま楽譜で劇やスキットの台本を表現していたように思う。サテイは多くの劇や舞台の音楽を手かげている。しかしジャンコクトーという稀代の劇作家、演出家と出会ったため自ら台本を書いてサテイ自ら演劇をつくることはなかった。でももしサテイがもう少し長く生きていたら実際、本当に自分が台本、演出、音楽による舞台作品を作っていたかもしれない。

舞台作品の代表作「パラード」は演出、台本がジャンコクトー、舞台美術がパブロピカソ、そして音楽がエリックサテイ、まさにオールスターのスタッフで創られている

サテイは19世紀末から20世紀初頭に活躍した作曲家で、そのサテイの作品をジョっプリンのラグタイムや拙作のピアノ曲とともに20世紀初頭のアンテイークが沢山置いてある東京阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンにて演奏する

Ragtimeconcert02

 

20世紀初頭のアンテイーくがいっぱいのお店です

フライヤーです

1017flyer

 

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9月 23, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

もう1つのアナログ復活の流れー全米最後のカセットテープメーカーが、創業以来の大黒字

当ブログではアナログレコードの復活そしてRecord Store Daysの動きについて紹介してきたが、

 

何とカセットテープも復活しているらしい。

 

■全米最後のカセットテープメーカーが、創業以来の大黒字
http://irorio.jp/sophokles/20150917/261871/

 

「カセットの温かみのある音を好むプロミュージシャンは多いんだよ。だから売り上げは伸び続けている」

 

同社は現在、ソニーミュージックエンターテインメントやユニバーサルミュージックグループをはじめ、多くのインディーズレーベルの音楽カセットを生産している。

 

こうした動きを単なる懐古趣味、と受け取る向きもいまだに根強くあるが、私は違うと思っている。やはりデジタルの薄っぺらな音質、そしてデジタルの音質そのものの限界というものが認識され始めた結果だと思う。

 

むろんノスタルジックな要素が全くない、とはいわないが...

 

ちなみに余談だがカセットテープに関しては全く新たな技術も開発進行中である。

 

カセットテープが将来的に大容量ストレージの主流に返り咲く可能性
http://gigazine.net/news/20121022-cassette-tape-storage/

 

何と驚くなかれ、カセットテープのメタルテープにデジタル記録させて何と35TBのデータを記録できるという、しかもハードデイスクのように電源とかサーバーの冷却装置も不要になるので大幅なコストダウンが可能になる、

 

いずれにせよデジタル時代だからメデイアとかは無用の長物、などと決めてかからない方がいいということだ

 

 

 

9月 23, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年9月16日 (水)

久々に生音のレコーデイングー ピアノ5重奏(弦楽四重奏+ピアノ)のレコーデイング

最近の録音の殆どが自宅の仕事場の作業なんですが、昨日は久々に外のスタジオでレコーデイング。それも午前様でした。

 

外のスタジオで午前様なんて何年ぶりでしょうね?

 

Rec091515

 

Rec09151501

 

今回はピアノ5重奏(弦楽四重奏+ピアノ)とボーカルというやや変則的な編成でした。

 

当然オリジナル曲のためリハーサルも行われました。

 

09151504

 

09151502

 

 

ここのところ生の楽器をレコーデイングする機会が本当に少なくなり、そのくせクライアントは「生の楽器」風の音を要求することが多いので結果的にソフトシンセで制作することが殆どになります。

 

しかし今日改めて思ったのはソフトシンセは以前のサンプリング機器と比べても生音っぽくなり精度はよくなりましたが、やはり実際の生の音を聴きますとソフトシンセの音は細いし何か薄いですね。

 

それに比べ実際本当の生の弦で聴きますと編成は小さいのですがやはり音が豊かです。ここまでの豊かさはいくらソフトシンセの性能が向上したといってもやはり本物の弦にはかないません。

 

 

 

09151505

 

09151506

 

今回はレコーデイングに慣れているミュージシャンを中心にレコーデイングが行われました。

 

スタジオは私の地元、自宅から車で20分くらいのスタジオマークです。生音を録るにはかなりいいスタジオでした。

 

 

 

Studiomark

 

残念ながらめったに生音を録る機会はないのですが、やはり今後努力してそういう機会を作ろうと思います。

 

 

 

やはり生の音のレコーデイングというのは基本ですからね

 

 

 

 

9月 16, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年8月11日 (火)

ミュージックソムリエ協会理事長、音楽プロデューサー・鈴木健士氏を悼む

お盆期間に入り耳を疑う情報が飛び込んできた。できれば嘘で、冗談であった欲しかったのだが、オリコンのニュースで伝えられてしまうとこれは現実として受け止めざるを得ない

非常に残念だ。本人も志半ばでこのようなことになり、無念だったろう

音楽プロデューサー・鈴木健士さん急逝 54歳
http://www.oricon.co.jp/news/2057446/

よい音楽を自分で評価できる人間を養成する「ミュージックソムリエ」の制度を作り上げミュージックソムリエ協会を設立。その理事長の鈴木健二氏の急逝の報が入ってしまった。あまりに突然のことで自分の耳を疑った。ついこの間まであんなにいつもの感じで放言していたのだが... そういえば確かにここ10日ほどソーシャルネットで記事のアップがなかった。

正直鈴木健士氏とは必ずしもいつも音楽面、音楽に対するスタンス、そして政治面で意見が一致していたわけではなかった。(とりわけ政治面だがww) だが音楽業界をよくしたい、日本の音楽文化を育てたいという気持ちは誰よりも強かったと思う。その意味で私も「同志を失った」という気持ちだ。

ミュージックソムリエ協会だけでなく、それに伴う"CDショップ大賞"や"レコードストアデイズも推進した点でも鈴木氏の功績は大きい。いよいよこれが本格的に日本の音楽業界で定着するかどうかの矢先だっただけに残念でならない。

鈴木氏の展開するさまざまな音楽業界への改革には私もおおいに共感するところがあった。あるイベントで会った時に「私にできることがあれば手伝いますよ」
といったことがある。「それじゃいつかお願いしようかな」などと言っていたがその「いつか」がもはや永遠に来ないのかと思うと残念でならない。

音楽文化をよくしたい、このまま21世紀が音楽文化の不毛な時代に終わってはいけない。そんな思いを共有する人間の訃報で少しテンションが下がっている。

音楽文化の暗黒の時代を残ったものでどうやって希望にあふれる時代にできるのか。それを強力に推進しようとした人物をこの国は失った。

心からご冥福をお祈り申し上げると同時に、鈴木健士氏の蒔いた未来への音楽の種が育つように心から祈るばかりである。

9月にお別れ会があるという。可能な限り出席したいが、「お別れ会」なるものはあまり開催して欲しくない会でもある。

 

 

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8月 11, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年7月30日 (木)

日本の音楽ビジネスの“ガラパゴス化”とそれに関する私なりの分析

だいぶ前からいわれていることだし、当ブログでもこの件に関して再三再四述べてきたと思う。今回のこの記事に関して簡単な見解を述べたあと、今後アーチスト、プロデユーサーとして考えるべきことをまとめようと思う。

【キース・カフーン不定期連載】日本の音楽ビジネスの“ガラパゴス化”
http://www.barks.jp/news/?id=1000100644

全般的な記事の内容に関しては同意しているが、カフーン氏の論点について個別に私なりの考え方をまとめてみる

1.従業員としてのアーティスト 

全くそのとおり、そもそも日本ではクリエーターが全く尊敬されておらず、「アーティスト”はあくまでもマネジメント会社の従業員という扱いで、音楽の才能よりもルックスが重視される傾向にある」というのも全く正しい。こと音楽に関しては全くクリエイテイビテイというのは尊重されていない。

「リスクを伴う冒険はせずに無難な(つまり予測可能で退屈な)活動をすることを奨励される」

だから毒にも薬にもならん音楽しか日本では出てこないし、だからこそ世界の音楽シーンと比べ日本の音楽は本当に退屈でつまらないものが多い。

2.革新をもたらすインディーズ 

そもそも日本のインデイーズが発展しない大きな理由に「メデイアが全く日本のインデイーズを扱わない」という現実がある。カフーン氏が指摘した「少年ナイフ、バッファロー・ドーター、にせんねんもんだいといった日本発のインディーズ・バンドが殆ど日本メデイアに注目されていない」というのは問題だ。私が懇意にしている名古屋の「ぶどう÷グレープ」も海外では人気あるものの日本の主要メデイアから全く無視されている。

これは日本人が関心を持たないのか、日本のメデイアが伝えないから誰も関心を持たないのか、卵が先が鶏が先かという議論になるが、後で述べるが今の日本の企業体に共通した問題がここには見えてくる

3.いまだにCDが主流 

さて、誤解を恐れずにいえば私はCDがいまだ市場のマーケットグッズの主役であること自体は決して悪いことだとは思わない。アーチストや作曲者、作詞家への印税分配額も音楽配信とは比較にならないほど単価は大きい。そしてカフーン氏も認めているようにライナーノーツやレコーディングの詳細を知りたい熱心なファンにとっては好ましいことである。

多くの論客、とりわけ一部のIT系の論客が主張するようにデジタル時代ではCD等のパッケージはもはや無用の長物であるかのような論調には私は賛同しない。但しCD等のパッケージのありかたはかつての時代と大きく異なっていくのは事実である。要するにCD等のパッケージを「マス」向けに売る時代は終わったのである。CDにしても今復活しているアナログレコードにしても「本当に心の底からアーチストを愛する」人たちのための商品ー具体的にはニッチなアーチストのための商品である。

4..iTunesは王様ではない,  5 ストリーミング 

この2点は大いに共通するのでいっしょに論じるのだが、日本の音楽業界関係者はいまだにインターネットそのものを「自分たちを搾取する敵」とみている向きが強い。音楽配信とて決してまだ積極的とはいえず、どのメーカーも「しぶしぶ」ダウンロード販売をしている、というのが日を見るよりも明らかである。はっきりいってインターネットというメデイアに対してある種怯えている

SpotifyとPandora がいまだに日本でサービス導入できないのも、日本の主要メーカー某数社が「抵抗」を続けているためで、いまだにメドはたっていない。ことデジタルマーケットでは日本は完全にあらゆる意味で立ち遅れているのは事実であり、日本が「ガラパゴス」といわれる最も大きな所以はこの点である。

確かにネットにおける新たなサービスが音楽ビジネスのありかたを大きく変えることは事実であるがそれに恐れてばかりでもダメだ。今音楽業界に一番欠けているのはGoogleやApple等の世界的なITグローバル企業が主導権を握る時代にどういうビジョンを持って対抗していくか、という戦略が全くない点である。今この点ではコンテンツホルダーは完全に後手後手に回っており、その点をきちんと持っていないと、これからどんどん変化していくデジタルコンテンツの時代にアーチストたちやクリエーターたちを守っていくことはできないであろう。

先日の角川歴彦会長の講演などは私は大きなヒントになるのではないか、と思っている。特に特に新しいイノベーションが起きている時に

ユーザ―の使い勝手      クリエーターの権利
(規定を緩やかにすることを希望)               (権利ロイヤルテイ強化を希望)

という全く相反する両者の折り合いをどうつけるか、という点を真剣に議論すべきだと角川会長は述べられていたが、インターネットの新しいイノベーションやサービスにただ怯えるのではなく積極的にコンテンツプロバイダーが連携してクリエーターやアーチストの権利を守るためにどのようなことをすべきか、積極的に議論する姿勢が必要だと思う。

6.国際化 9..ジャパンオンリー 

今の日本人の最大の問題がこれである。インターネットというメデイアで世界中がつながっている関係で今や情報やコンテンツは国境に無関係に広がっていく。

しかしこれは音楽に限ったことではないのだが日本のコンテンツはいまだに日本市場以外全く見ようとしていないのだ。

そもそも多くの日本人はグローバリズムとかいうものを誤解している。主にIT系論客がいう「世界中が金太郎飴のように全部同じシステムになる=グローバリズム」などという勘違いが大手を振ってまかり通っている、そこにはあらゆるローカライズそのものを否定するという本来のグローバリズムの主旨とは異なる見解があたかも正論であるかのようにいわれている。だがIT系の事業者も関係者もそもそも文化に対してきちんと理解している人間などほとんどいない。ローカライズならではの特徴など彼らの理解の範囲を超えた議論である。そのためにIT系の連中のいうグローバリズム論ほどあてにならないものはない。

確かにグローバリズムによって共通するシステムも多々あるが、最後その国独自の表現語法、ローカルキャラクタライズされた独自のプロダクトがあってこそグローバルな世界で生き残れるのだ。

まあ音楽の場合、日本語の歌など海外では売れないという話も確かにあるのだが(というかそもそも全体的なレベルが酷過ぎる)しかし音楽市場が全体的にニッチになっている現状では音楽で大成功を収めるには、アーティストは複数の市場で人気を獲得する必要がある。それは日本のミュージシャンも音楽事務所も海外で成功するという点にあまりにも力を入れてこなかった点が大きい。カフーン氏も指摘しているように「今後、きゃりーぱみゅぱみゅ、Perfume、布袋寅泰、ももいろクローバーZがこのトレンドを変えてくれることを期待したい。」というのも日本独自のコンテンツを世界に対して打ち出すことによって新たなビジネスチャンスを創出する必要性は間違いなくある

そして日本人の最近の音楽の嗜好が最大の問題かもしれない。今の若い人は洋楽を全く聞かない、歌詞が日本語じゃない、というだけで聴かない、オリンピックが5年後に予定され世界中の人が日本に来るという時代にヘイトスピーチが横行し放置され、日本ユニバース代表の宮本エリアナさんが「ハーフ(これ自体日本独特の表現であることをご存じか?)」といってバッシングが行われる、そんな国にそもそもオリンピックなど開催する資格があることさえ疑問だ。つまり日本人自身の意識革命をまず行わなければならない

音楽事務所はアイドルだけに力を入れ良質な音楽コンテンツ開発を怠るようでは明日の市場に生き残っていけないだろう。いい加減「ジャパンオンリー」という観点を捨てなければならない

7.入手困難な状況 

何せ日本は海外に売る、などという発想がハナからない。まして昔の名曲など皆無だろう。前項の内容に共通する

8..テレビ・映画・アニメは埋もれた宝の山

私が最近映画劇伴音楽の制作を中心にシフトしている理由は、私自身がそういう音楽制作に適性があったという面もあるが(劇伴音楽制作は誰にでもできる仕事ではない、適性ー向いている人と向いていない人がいる) 1つ大きな理由として、音楽はなかなか映像なしには広がって行かない、という現実もあるからである。そして何よりも日本のアニメ、ゲームは海外ではものすごい人気がある。

先日の角川歴彦会長の講演でネットフリックスの話が出たがNetflix代表取締役社長グレッグ・ピーターズ氏は日本のアニメコンテンツの世界への配信に対して期待を表明していた。例のクールジャパン、関係も含め今後何らかの動きはあるだろうと思われる。

10..レッツ・ダンス! 〇

例の悪名高い風営法が改正されたが、まだ日本では「踊る」という事に対する偏見や制限が多すぎるのは事実。クラブが次々に閉鎖、に追い込まれる旧風営法からは一歩前進だが、まだ課題は多い。

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これらを総括してみると最近の日本社会、日本企業の中である特徴をみることができる。それは明らかに今の日本という国そのものを閉塞状態にもたらしている諸悪の根源といってもいい傾向であり、悪しき慣習である。

それらは以下の点

1、冒険、リスクを負わない、無難なことしかやろうとしない

2、新市場開拓等の新しいことにチャレンジしない

3.いまだに内向き、真の意味でのグローバルな広い視野を持とうとしない

これは音楽業界に限ったことではないかもしれない。コンテンツだけでなく日本の企業社会全般についていえることかもしれない。経営者が皆サラリーマン経営者となり、自分の任期だけ問題なく無事に終わればいい、としか考えていない経営者が多すぎる。

 

インターネット時代に入り音楽コンテンツのビジネスの在り方が大きく変わったことは事実である。しかしそれに対してただ怯えて、忌避するのではなくコンテンツプロバイダーが連携し、新しいビジョンを持ってそれに対抗していくことを考えなければならない

 

アーチストやクリエーターの権利を尊重した上で新たな市場開拓や良質なコンテンツ制作を行う、それがあってこそのクールジャパンだが、どうも経産省の役人を始めその辺りをきちんと理解しているように見えないのが問題だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月 30, 2015 音楽11-15 | | コメント (2)

2015年6月 7日 (日)

日本で知名度が高くない世界三大ピアノブランドの1つベヒシュタインとその原因

ピアノにそれほど詳しくない人でも「世界最高のピアノ」といわれたら「スタインウエイ」という名前くらいは聞いたことがあるでしょう。

あとちょっと詳しい人ならオーストリアの「ベーゼンドルファー」(現在はYAMAHA傘下)もご存じの方もいるかもしれません。

しかし「ベヒシュタイン」と聞いて、それが世界三大ピアノの1つだと答えられる人は日本ではまだそんなに多くはない印象があります。

Bechstein_salon01

「ベヒシュタイン」を愛用しているアーチストは結構多いです。ジャズではチックコリアがそうですし、クラシックではフジコヘミングが愛用しています。しかしそれでも知名度では他の2機種に一歩も二歩も譲ってしまいます。

なぜこうなったのでしょうか?

実は日本では殆ど知られていませんが、第二次大戦前はヨーロッパではこの「ベヒシュタイン」が圧倒的なシェアを持っていました。リストを始めとする現在名を残している多くの大作曲家が愛用し、まさにこの世の春を謳歌していました。

しかしそのことがこの「ベヒシュタイン」にとってかえって不幸の源になってしまいました。

最大の原因はこの「ベヒシュタイン」はドイツ製のピアノであったことでした。

そしてそのドイツに1930年代ナチス政権が発足してしまった点が「ベヒシュタイン」にとって最大の不幸になってしまいます。

ヒトラーはこの「ベヒシュタイン」「第三帝国のピアノ」として庇護しました。しかも工場がベルリンにあったため「ベヒシュタイン」の工場は連合国に徹底的に破壊されてしまいます。ちなみにロマンポランスキー監督のオスカー受賞作「戦場のピアニスト」で使われたピアノはこの「ベヒシュタイン」です。

同じ「ハンブルグ」に起源を持ち、現在はアメリカ資本の「スタインウエイ」は破壊をまぬがれ、既に19世紀中にアメリカニューヨークに移転したため、ほぼ無傷で第二次大戦後も操業を続けました。日本人が「スタインウエイ」になじみが深いのは既に同社が工房がハンブルグにあるとはいえ、実質的にアメリカの会社になっていたため、戦後アメリカ文化の大量流入とともに普及していった点が揚げられます。

一方「ベーゼンドルファー」の本拠地があるウイーンは第二次大戦当時それほど連合国に強い攻撃を受けずに済んだことや、戦後「オーストリアはドイツに強制的に併合された」という被害者の立場を主張できたので、「スタインウエイ」同様それほどの損害を被らずにすみました。第二次大戦後はその音質を評価する有名演奏家も多いことからその「スタインウエイ」と人気を二分することになります。

しかし第二次大戦後「ベヒシュタイン」は殆ど0からのスタートを余儀なくされ、1940年代末に辛うじて操業を開始できたものの、長く低迷の時代を過ごすことを余儀なくされました。1962年にアメリカのBaldwin社に買収され、1986年にようやくドイツの会社として独立しました。(ちなみに私が子供の頃から愛用したピアノはBaldwinのアップライトでした。)

そのため日本への本格導入も他の二社と比べ大幅に遅れることになってしまいました。本格的に普及し始めたのはここ10-15年くらいではないかと思います。

この「ベヒシュタイン」にとってのターニングポイントはやはり創業から150年を迎えた2003年に、かなり大きな設計変更を行なったことではないかと思います。それまでの「ベヒシュタイン」は大きなホールでの演奏よりは少し小さめな会場での演奏向きといわれピアノの微妙なニュアンスが伝わりやすい、どちらかというと「ベーゼンドルファー」に近い設計だったため大きな音量、大きなホールで演奏するには適さないピアノといわれたので、この設計変更により 「スタインウエイ」のようなダイナミックさと、「至福の音色」と呼ばれた「ベーゼンドルファー」に近い柔らかくて繊細な音色の両方を併せ持つピアノになりました。

私が初めて「ベヒシュタイン」のピアノに触れたのは今から10年前、楽器フェアに展示されているBモデルを弾いたのですが、少し演奏しただけでこのピアノの虜になりました。

 「スタインウエイ」は確かにいいピアノですし、とても弾きやすいピアノ(だから日本に普及した、という点もあるのですが)ですが、時々おかしな調律されていることがあり、音を鳴らすために必要以上に高音をキンキンさせることがあり、私はそれが嫌でたまらなかったんですね。まあこれは「スタインウエイ」のせいではなく日本の調律師のレベルの問題なんですが、まだ三大ピアノに適した調律の腕をもつ調律師が少ないということでしょうね。

私はいわゆる「癒し系の作曲家」というレッテルを業界から貼られていることもあり、確かに私の「癒し系」の曲は「至福の音色」と呼ばれた「ベーゼンドルファー」で演奏すると私がイメージした通りのサウンドになります。

しかし一方では私は激しい弾き方をする必要がある作品も、特に最近増えておりそれは「スタインウエイ」は適していても 「ベーゼンドルファー」だと正直厳しい面はあります。何せピアノをドラムのようにたたくときがありますからね。

しかしこの「ベヒシュタイン」ー今の「ベヒシュタイン」ですがーは私の音楽を表現するのに一番適したピアノではないか、と思いました。このピアノでライブをするのがある意味悲願でもあったのですが、

それが今度実現することになりました。
世界三大ピアノの1つベヒシュタインによる大野恭史 「癒しフェーズ+ダイナミ ックフェーズ」ライブ

2015年7/10 (金)  19:30-

\2500   当日¥3000

 

汐留ベヒシュタインサロン 
http://www.bechstein-salon.com/

 

Tel.:03-6432-4080

 

Bechstein_salon02

 

「癒しフェーズ」かつて私がヒーリングアルバムで演奏した癒し系の曲を中心に、そして「ダイナミックフェーズ」は最近のジャズ、ロックやさまざまな音楽形式を取り入れた私独特の作風のピアノ曲。後者はかなり激しく弾きます。「ベヒシュタイン」はその両方の表現に耐えうるピアノといっていいと思います。

ご興味ある方は是非ご来場いただければ幸いです。

コンサートの予約はこちら 
http://www.hybridmusic.jp/reservation.htm

Bechstein_salon03

 

 

6月 7, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年4月20日 (月)

ホンキートンクピアノとラグタイム

3月に「La Barraca(バルラッカ)」音楽キャラバンに参加した東京、阿佐ヶ谷での名曲喫茶ヴイオロンでのライブで店長のこだわりでわざとホンキートンクっぽく調律しているピアノを演奏、皆さんから大好評をいただきました。

このホンキートンクピアノ、というものを意外にご存じない方が多かったようなので少しご説明させていただきます。

ピアノの弦のチューニングをわざとずらしたピアノで、独特の音がします。調子っぱずれのピアノといえばそれまでですが、19-20世紀初頭のタバーン(居酒屋)やサイレント映画館などに置いてあり、それらのピアノは多くの場合長期間調律せず、置いてあるために、チューニングがずれてしまうわけです。これは特にアメリカではピアノの調律師自体が非常に少なかったことも影響しています。

そのため別にホンキートンクピアノというピアノが存在するわけではなく、結果的にピアノの弦の調律がずれてしまったピアノのことをいいます。

具体的にはこういう音です。

 




 

 

caravan La Barraca#03 東京阿佐ヶ谷名曲喫茶ヴィオロンピアノソロ大野恭史

 

Posted by 斎藤 ひろ on 2015年3月14日

 

 

このホンキートンクピアノタバーン(居酒屋)のBGMやサイレント映画館の弁士のBGMにだいたい19世紀末から20世紀初めにかけて使われていたのですが、その時メインに演奏されていた音楽がラグタイムという音楽です。

ラグタイムはよくジャズと混同されますが、実はジャズに発展する前の段階の音楽といってよく、ジャズと違い即興音楽的な要素は一切ありません。その意味では寧ろクラシックに近いのですが、従来のクラシック音楽と根本的に違うのは、現在ポピュラーミュージックで当たり前のように使われる「シンコペーション」裏拍の強調という要素があり、その意味では現代のポピュラーミュージックの元祖的ともいえる音楽です。

いわばクラシック音楽とアフリカの音楽のエッセンスが融合してできた音楽ともいえます。

その代表的な作曲家がおそらくアフリカ系アメリカ人で初めて音楽史に名を残すことになったスコットジョップリンです。

Scottjoplin
スコットジョっプリン(1867-1917)

 

ホンキートンクピアノはまさにラグタイムを弾くためにある楽器といってもいいんですが、20世紀初頭の雰囲気を伝える楽器でもあります。

来たる5月1日に先日の名曲喫茶ヴイオロンでラグタイムコンサートをやります。ラグタイム王といわれたスコットジョっプリンの作品は勿論、映画音楽や私の自作も演奏します。

 

Violin0

もし好評でしたらシリーズ化もしたいですね。どうせならあと二年後に迫ったスコットジョっプリン没後100周年までがんばってみますか(笑)

 

 

 

 

 

4月 20, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

5年目のレコードストアデイズ でアナログレコードの流れが完全に定着

いろんな都合で行けなかったがこれを主宰、運営している人たちは私とは旧知の人たちばかりなのでこういう記事がNHKに出るとやはりうれしいものがある

 

■アナログレコードで音楽のよさを
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150418/k10010053021000.html

 

全国のアナログレコードを販売するお店が提携するイベントで、アーチストの全面的な協力によってとりおこなわれている。昨今復権しているアナログレコードの流れが単なる一時的なブームでないことをこのイベントの盛況の状況が証明している。

 

 

 

K10010053021_1504182015_1504182016_

 

このムーブメントをいまだに「単なる懐古趣味」と決めつける向きも少なくないが、これはデジタルの音は無味乾燥で、豊かなアナログ音質の方がやはり高音質だということをユーザーが理解し始めた証拠でもある。メジャーレコードは一部を除いて相変わらず無関心を装っているが、この流れはたぶん止ることはなく、無関心でいればいるほど時代の変化に取り残されていくだけである。

 

この流れ、完全に日本でも定着したといっていいだろう

 

 

 

ただ勿論、問題がないわけではない。最大の問題は生産体制だ。国内で唯一のアナログ専業メーカーの東洋化成は生産ラインを増やしたとはいっても、問題はカッテイング技術者だ。アナログレコードのカッテイング技術はCDプレスとは違い、熟練の技術を要する。私の知る限りでは確か国内には現役のカッテイング技術者は一人しかいないはずだ。仮に若手の技術者が新たにカッテイング技術を学ぼうとしてもそう簡単に身に着くものではない。

 

そして今全世界的にアナログレコードの生産ラインはもう今の段階でどこも満杯で、数か月ー1年待ちのところも少なくない。その生産体制をどこまで強化できるか、が今後の問題である。

 

そして勿論いくらアナログ復活とはいってもそれがCDや音楽配信を凌駕する、というレベルまで行くかどうかは疑問だ。やはりアナログレコードはニッチなマーケットではあるからだ。心から音楽を愛する人、いい音で音楽を楽しみたい人はアナログレコードに行くが、単に流行り廃りだけの音楽しか興味ない人(残念ながらこちらの方が数が圧倒的に多い)は音楽配信かSpotifyPandora radio 等のストリーミングだけで十分だからだ。

 

さらなるRecord Store Day Japanのイベント発展を心から望んではいるものの課題も多いのも事実である。

 

 

 

 

4月 20, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年3月 8日 (日)

ハイレゾ音源の無理解の風潮とハイレゾ音源を台無しにする海苔マスタリングの横行

最近音楽を語る上で「ハイレゾ」という言葉をよく聴かれると思う。

「ハイレゾ」とはHigh Resolution(ハイ、レゾルーション)の意味でキメの細かい音源といえばわかりやすいだろうか? 昔ハイビジョンの映像をHigh Resolution Videoという表現をしていた時代があった。一般的には「高精細」と訳されていたけど音でも意味は実質的に同じである。

そもそもCDの音質は44.1KHZ 16bitというデジタル技術の黎明期の規格でありmp3よりはマシだが圧縮した音データであることに変わりはなくいわゆる人間の耳である可聴域(20Hz-20Khz)以外の音の情報は全て切り捨てられる。

だが最近はさまざまな研究結果から人間は耳の周波数領域以外の音の情報(たとえばある研究結果では皮膚や骨から音の情報を得る)ということもわかっており、デジタル技術の黎明期の規格では十分な音のクオリティは提供できないことがわかっている。

それを補うためにさらにきめ細かくサンプリング周波数を設定し、より音の情報を多く詰めた音源が「ハイレゾ」と考えていただいていい。ちなみに最近復権しているアナログレコードの音源は究極の「ハイレゾ」といっていい。

しかし「ハイレゾ」というものがまだ残念ながら理解されていない。このファミコン通信の記事などは本当に酷い記事である。

ハイレゾって何なんだ!? オーディオ初心者がソニーのアニメ好き担当者に聞くハイレゾ入門インタビュー
http://www.famitsu.com/news/201503/06073367.html

但しこのファミコン通信の記者が「ハイレゾの良さがわからん」発言を擁護するつもりはないが、昨今の特にメジャーレコードでの商品の内容をみると無理からぬところもある。実はこれには原因もある。

実はせっかくハイレゾの音質にしても酷いマスタリングすると何の意味もないという例を揚げる。

まずこの図を見てほしい。とあるメジャーアーチストの音楽を波形にしたものである。

Nori_mastering

これは音楽の波形  まるで朝食の海苔のように波形がピーク(上下の枠ギリギリ)まででている。
これを通称「海苔マスタリング」といって今メジャーレコードで当たり前のように横行しているやりかたである。

これははっきりいってマスタリングとしては本当に酷いマスタリングといっていい。

なぜ、これがいけないか? 次の図を見てほしい

Nori3

 

Nori2

 

図を見てもらえればわかるが波形のピークが枠をはみ出て「クリッピング」(下の図の方がわかりやすいかもしれない)されているのがお分かりだろうか?「クリッピング」が起きると「音は割れる」ー歪むのである。

つまり通常この状態で再生されれば音は「割れて」「歪んでいる」のである。私は制作の仕事を始めてからペーペーの時代にこういう音創りはやってはいけないとたたき込まれたが最近のメジャーのエンジニアはそれに対して何の抵抗も感じないらしい。

要はいくらハイレゾー音のキメの細かいレコーディングしても音が割れるようなマスタリングしたら台無しになってしまう。こういう音楽をぶち壊すようなことを今のメジャーは平気でやつている。この状態で商品にするというのが私には驚きである。実際最近のメジャーで出しているJ-pop系の音はどれを聴いてもこの手の「海苔マスタリング」を行っており、私などは気持ち悪くて聴けたもんじゃない。

メジャーレコードがリスナーを大事にしなくなり、その関係でリスナーが最近音楽を大事にしなくなったのはこういう所もあるんじゃないか?どうせ音の違いなんかわからんだろうというリスナーをバカにした商品作りと言わざるを得ない。

今の音楽業界をおかしくしているのはこれを見てもメジャーレコード(全てではないが)であるというのはこれを見てもわかるだろう。そして状況は毎年悪くなっていく一方である。

私もハイレゾの音源をこれから出すつもりではあるが、絶対に「海苔マスタリング」にはしない。エンジニアにはそれをさせない。

 

 

 

3月 8, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

志(こころざし)ー音楽業界で"Last man standing(最後まで生き残る)"になるためのキーワード

先週NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で高杉晋作が吉田松陰の松下村塾に入塾する様が描かれていましたが、その時の高杉の言動が「(こころざし)」を探したいーここなら見つけられる気がする」という言動がありました。

 

こう始めると私のもう1つのブログ(社会ネタや歴史ネタが書いてあります(笑))の話題になってしまいますが、この「(こころざし)」というの結構キーワードではないかと最近感じています。

 

実はこんな記事をHuffington postで見つけました。但し文章の題のつけかたはいささか誤解を呼ぶ可能性があるのであらかじめ補足させていただきます。この文章ではライト兄弟やwikipediaを例にとり、あることを成しとげるために必要なのはお金やアイディアではなく、「世界をよくしたいという強烈な志であって、それさえあれば、ほかのものはついてくる」という話で、実はそれは真実である、という話です。

 

■「志」でほんとうに食っていけるのか
http://www.huffingtonpost.jp/ichiro-wada/desire_b_6797582.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

 

つまり「志」でほんとうに食っていけるのか?
        ↓
      食っていけます

 

ライト兄弟やwikipediaの例を見てわかるように最後は「志」がある人間が勝つのです。上記リンクの文章読めばわかりますがどちらも資金が潤沢でブレーンも大勢いたグループに勝っています

僕の今の実感は、やっぱり、志が正しければ、なんとか食える、ということだ。その成果は、動力飛行機やWikipediaのような画期的なものではなくても、お客様に最高のものを提供しようとして努力を続ければ、お客様に生活を支えていただけるように思う。

これ正直いって実感ですね。

当ブログの私の記事を読まれてどのように思われるか、それぞれだとは思いますが、少なくとも私は必ずしも「大成功」というレベルにはまだ行っていませんが、「音楽文化をよくしたい、いい音楽がもっと社会に有益になるようにしたい」と思い続けて仕事をしているつもりです。

 

何度もこのブログで書いていますが、日本の音楽業界で「音楽を文化として」などと云おうものなら罵倒と嘲笑がかえってくるのが現実で、上記のようなことをメジャーメーカーで云おうものなら馬鹿だ、身の程知らずとかクソみそにいわれるのが実情です。

 

確かに決して楽に自分の会社として運営はしていないし、大金持ちにもなっていませんが一つだけ自信を持って言えることがあります。

 

それは 今まだ音楽のプロとして仕事している、 ということ

 

上記のような反応してきたデイレクター連中で業界からいなくなった人を私はいっぱい知っています。ミュージシャンも同じです。 

 

彼らから何と言われようが私はまだこの世界で仕事している。それが全てを物語っていると思います。事実、私を批判した人たちの多くが業界から消えて行ってます。

 

(こころざし)?」ー何子供じみたことを云っているんだ? と思うかもしれません。

 

しかし経験上厳しい現実をいわせていただきますと

 

「ヒット曲で一発あててやるんだ」と考えている人間の方が業界からいなくなっていることの方が多いです。

 

ちょっと考えればわかること。そもそもお金をもうけようというのなら昨今の状況を考えれば音楽ははっきりいって最悪の選択です。

 

(こころざし)」のない人間が多すぎることが昨今の音楽文化や音楽業界の衰退につながっています。私などは音楽やっている人間の中では圧倒的少数派ですが。「(こころざし)」は大事にしていきたいと思っています。

 

「志」のある人間が音楽の世界で"Last man standing(最後まで生き残る奴) "になると信じたいです。他人から何といわれようがそれを続けて行きます。

 

 

 

3月 8, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年2月18日 (水)

作曲家、ミュージシャンが「自立」の意識を持つ必要性

私は本職は作曲、編曲、ピアニストなわけだけど制作会社を自分で運営している。勿論吹けば飛ぶような業者で会社といっても事実上私一人でやっている。

 

そういう私をいまだに普通と違うからおかしいとか、音楽家である以上大手の事務所に所属しないと大きな仕事などできるわけないだろ? みたいに云う人間がいまだに多い。

 

しかしそのような人間は私一人ではない、という例をご紹介しよう。私の昔からの作曲家仲間で勿論メジャーでの仕事の実績を多数もっている方である。

 

■違ったフィールドへの進出
http://ameblo.jp/tamutamuphoto/entry-11990952457.html

 

一昨年、(株)メロディワークスという会社を立ち上げました。;

 

これは今まで僕がやってきた、音楽業界、ゲーム業界、アニメ業界とは違ったところに進出していく為に、作った会社です。

 

メロディが少し、軽く見られている昨今、僕の仕事は “ メロディを作ること ” というシンプルな気持ちを込めての会社名です

 

今までとは違ったフィールドというのは、社会のあらゆる音楽ということです。

 

社歌や校歌や、幼稚園の園歌、HPのテーマソング、個人のテーマソング、結婚式の曲、スーパーで流れる曲、イベントで流れる曲、、、等々です。

 

見渡せば、J-POP以外にも、音楽ってたくさんあるんですね。(後略)

私もご存じの通り、いわゆる映画や映像の音楽だけでなく、企業の販促ソングからイベントに至るまで、音楽事務所や広告代理店その他「音楽業界の定石通り」でないルートで仕事をしてきた。この事実を不思議に思う業界関係者が多かったが、上記の友人に限らず私の知り合いの作曲家でも地元のご当地ソング等の仕事を直接取る例が増えている。

 

典型的な音楽業界人の悪いクセで「業界の枠」でしか物事を考えようとしない傾向が強い。だから私などは音楽以外の分野に首を突っ込み過ぎるとよくいわれる。

 

だが当ブログでも何回も書いているようにもはや業界の体をなしていない音楽業界

 

「ちょっと前までの常識」にとらわれていてはどう考えても生き残れない。

 

困ったことにいわゆるメジャーの世界で長く仕事をした人間であればあるほどそういう「ちょっと前までの常識」に固執する傾向がある。しかしそんな常識は既に10年以上前にとっくに崩壊している。悲劇的なのは業界人の大多数がいまだにその事実に気が付かないことだ。

 

だが時代は確実に変わっている。私のような作曲家でも演奏家でも上記の友人のように会社を立ち上げて頑張っている人は多い。それぞれ知恵を絞って生き残ろうとしている。

 

音楽業界のもっとも悪い傾向の一つに「工夫をすること」「頭を使うこと」を極端に嫌う体質になっていった点がある。業界人の大多数がいまだにこの「思考停止病」に犯されている。

 

しかしそういう「思考停止病」にかかってない人も少しずつだが増えている。上記の私の友人のように

 

これは一言でいえば音楽家が完全に意識の上でも仕事の上でも「自立する」ということだ。事務所に過度に依存したり、あたかも事務所に所属するのが「就職する」かのような意識ではダメだ。

 

例えば、バッハからハイドン、モーツアルトなどの時代では作曲家は教会や貴族、宮廷の「雇われ職人」に過ぎなかった。それをベートーベンの時代から作曲家が自立して対等に貴族やその他と「作曲」というビジネスを行い始めた。それと同じ、宮廷がメジャーレコードや事務所に変わっただけの話である、

 

勿論見通しは明るくはない。だがそういう人たちが増えてくることによって音楽の世界もいい方向に動いていくと強く信じている。

 

それゆえ音楽家も意識革命を行い、自立の道を考えた方がいいだろう。

 

 

 

 

 

2月 18, 2015 音楽11-15 | | コメント (0)

2015年2月10日 (火)

まだこだわる、グラミー2015を見た上での日本の音楽業界の現状と「音楽の価値」について

既にご存じのとおり昨日恒例のグラミー受賞式が行われた。主要部門の授賞内容は既に報道されているのでここでは触れない。

グラミー受賞者の顔ぶれは英語ではあるけどグラミーの公式サイトを参照されたい。
http://www.grammy.com/

概要を簡単に述べると新人のサム・スミスが4部門受賞。多数ノミネートされたテイラースイフトは無冠。その他日本でも人気があるファレル・ウイリアムズビヨンセが各3部門受賞。

パフォーマンスは今年も見せてくれた。いきなりHRの大御所のAC/DCに始まり、アンレノックス、トムジョーンズ(ある年齢以上でないと知らないと思うが)とレデイガガのコラボレーションステージ等盛りだくさん、昨年のポールマッカートニーリンゴスターのサプライズステージほどではなかったものの充分話題性のあるものだった。個人的にはR&B授賞式にスモーキーロビンソンナイルロジャースという大物二人が並んでいた時は思わず感動した。

そのグラミーのコラボレーションやサプライズステージの「仕掛け人」となっているのがグラミー受賞式のエグゼキュテイブ プロデユーサーである ケン・アーウイツクWOWOWがインタビューした時のアーウイックの以下の言葉が印象に残っている。

グラミーの重要なことは音楽をただの流行として扱うのではなく過去の音楽も(文化として)大事にするという点だ

はっきりいわせてもらう。

この言葉の意味を理解できる日本の音楽業界人はどれだけいるだろうか

昨年の当ブログのグラミーの記事にも書いたが日本の音楽業界で「音楽を文化として」などと云おうものなら罵倒と嘲笑がかえってくる。プロデユースした人間がこれが文化などとはハナから思っちゃいない。

それが音楽ユーザーの「音楽離れ」を誘発してきた。当ブログで何回も指摘している点である。

そしてこれまた昨年末の記事にも書いたように、日本の音楽の主要な音楽賞であるレコード大賞に対する興味を失わせている。

勿論元々私は若い頃は洋楽ばかり聴いていた。邦楽(日本のポピュラーミュージックに対するこの言い方は今や死語だ)にはあまり興味はなかった。

とはいえ、昔の邦楽といわれている音楽にはまだ「文化」があった。それゆえプロになってこの分野に関わることになってもすんなり入っていけた。

しかし今のJ-popの世界に入っていこうとは全く思わない。なぜならJ-popといわれる曲の殆どがいわば100均の消耗品のような音楽であり、しかもしばらくすればダイソーのようなところで投げ売りされそうな音楽ばかりである。数年もたてば存在すら忘れられる。

欧米、とりわけアメリカではフィジカルCD(いわゆるCDのこと)が殆ど売れなくなったといわれても、マーケットが全世界にあるからトータルすればそこそこビジネスとしてなりたつレベルのセールスになっている。何よりも音楽が文化として成立しているからである。

実際昨日のグラミーでもビヨンセがゴスペルを歌いきっているステージがあった。ビヨンセの人気が歌唱力という実力を背景としたものであることがこのステージで証明されているといっていい。はっきりいって日本のボーカリストでこの歌唱力に対抗できるボーカリストはどれだけいるだろうか? そしてビヨンセよりうまいボーカリストはまだ大勢いるのである。

また日本でも人気があるファレル・ウイリアムズとバックダンサーのパフォーマンスを見るとエグザイルやその関連グループ(トライブ、ソウルブラザース? どんだけグループ作ってるんだ?)のダンスは猿真似の域を出ていないことがわかる。そもそもアフリカ系の人間といくらトレーニングをつんだ日本人でもダンスでまともに勝負して勝てるわけがない。

勿論それらを吸収するのが悪いわけではない。但し、それをベースに日本独自の音楽文化に昇華できれば、の話だが。

単なる猿真似と「影響を受ける」は天と地くらいの差がある。

何度もいうように日本の音楽産業は「音楽文化を作る」なんてハナから思っちゃいない。だからR&B(そもそも本物のR&Bなんか知らんだろ? JBやアレサすら知らん奴がR&Bやってるなんてほざいているくらいだから..)だろうがロックだろうが猿真似の域を出ていないのだ。

だからレコード大賞なんか全く興味ない。しかしグラミーは毎年見る、これからもそうなるだろう。同じ音楽賞でも両者は全く真逆の存在。片や音楽文化を心からリスペクトした権威ある賞、もう一方は事務所の圧力の匂いがプンプンするパフォーマンス、いや茶番といっていい。

今年の私のテーマ
いかに自分の価値を高めるか

文化として、コンテンツとして音楽の価値をこのネット配信やサブスクリプション(ストリーミング)の時代にどうやって高めるか。

その方法はアーチストによってケースバイケースだろう。私は私なりの方法を今模索している。

但しこれだけは断言できる。それは100均レベルの消耗品のような音楽ーもっとはっきりいえば「売れセン」(と彼らが勝手に考えている)うまくパクった音楽で創造性の欠片もない消耗品音楽を大量生産する

それが答えでないことだけははっきりしている。

音楽文化を作る、という行為を非難し罵倒、嘲笑したい奴はすればいい。少なくともそういう人間が音楽業界を救うことは100%ない。

私はグラミー受賞式のエグゼキュテイブ プロデユーサーである ケンアーウイツクの考え方を支持する。

 

 

 

2月 10, 2015 音楽11-15 | | コメント (2)

2014年12月 9日 (火)

沢田知可子“替え歌”訴訟ー「替え歌」著作人格権について

芸能やワイドショーとかで話題になっている沢田知可子さんの最大のヒット曲「会いたい」に関する騒動。

話によると沢田知可子さんと作詞家の沢ちひろさんの両者の間には感情のもつれがかなり前からあったらしい。
私は別に当事者とは面識もないし、一応業界関係者なので詳細な実情も把握しないまま安易にこの件に関して語るのはよくないと思っている。

但し今回の騒動に関してマスコミを始め、一般の方の間にも著作権に関する誤解や間違った理解をしているところが少なくないので、その点について述べさせていただく

「替え歌」は違法なのか? 「会いたい」の沢田知可子と作詞家が裁判沙汰 
http://www.j-cast.com/2014/12/09222829.htm

結論からいって「替え歌」は違法ではない、但しある条件をクリアした、場合の話だが。

その条件とは著作権の一分野である「著作人格権」をクリアする、という点である。

この「著作人格権」というものはまだ一般の方で理解していない人が多いようなので、解説すると著作者がその著作物に対して有する人格的利益ー平たくいえば自分の作品の意図、思想、感情を尊重するーを保護する権利のことをいう。

もっとわかりやすくいうと、「著作人格権」とは作曲者または作詞者が「俺の曲をあんな使い方しないでくれー」といえる権利である。例えばCMのタイアップ用に作った曲が、作曲者の承諾なしにAV(アダルトビデオ)等に使われたら、それを拒否することができる。

(余談だが私の曲が私が知らない間に実際本当にAVに使われていたことがある、あれにはまいったww)

一部のネットに「きちんと著作権料支払われているのなら、いいじゃねえか」などという論調があったようだが、それは「著作人格権」に対する理解が足りないためにそういう話になる。

当然今回の「替え歌」にしてもたとえ著作権料では作者に従来通り支払われても、作詞家も作曲者も「替え歌」の体裁で公開してほしくない、と「著作人格権」によって拒否することができる。今回の騒動はまさにこの「著作人格権」によって「替え歌」の発表を指し止めの訴訟が起きているためである。

但し「替え歌」「きちんとしたプロセス」を経れば、いつもこういうことが起きるわけではない。

例えば有名な例は嘉門達夫の「替え歌メドレー」だ。この場合何も問題なかったのは嘉門が「著作人格権」を尊重し、「替え歌」にされた曲の作曲者、作詞者全員にいちいちお伺いをたてて承諾を得たために実現した。これは事務所関係者から直接聞いたので間違いない。

この件に関して嘉門達夫の取った行動は業界関係者からも称賛された。

今回のケースも沢田さんの事務所が沢さんの事務所にあらかじめお伺いをたてて、事前に承諾を得ていればなんの問題もなかったのだが、前述のように沢田さんと沢さんの間に長年の感情のわだかまりがあったようで、それが原因で事前承諾も得られぬまま、ダウンタウンの番組で使ってしまったことが、両者の感情の溝を余計に広げてしまったようだ。

どこでボタンを掛け違えたのか詳細な事情はわからないが、非常に不幸なことである。

まあこの騒動で「著作人格権」に関する理解が世間で広まるといいのだが

 

 

 

12月 9, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年11月22日 (土)

ニコライカプースチンと未来の音楽への可能性と今後の私の作品

もう数か月前の話だがとあるクラシックのピアノ合同演奏会でニコライカプスーチン"Concert Etude Op40 -8" なる作品を聴いた。
この曲を聴いて久々に興奮した

クラシックの演奏会で新鮮な体験をしたのは何年ぶりか記憶にない。
この曲である

 

恥ずかしながらその演奏会に行くまで私はニコライカプスーチンという作曲家を知らなかった。ウクライナの作曲家でロシアで正統なクラシックの教育を受けたが1960年代からジャズとクラシックを融合するような作風を打ち出しており、独自の作曲活動をしているようである。

作品としてはジョージガーシュインの流れを踏襲するものであろう。ガーシュインはいまだクラシックの中ではある種の偏見を持たれているが、私は「完璧な音楽家商業音楽家と芸術音楽双方で成功を収めた作曲家として」敬愛をしている。カプスーチンがいわゆるポップスを書いたという情報は入っていないが、私の中では同じ系譜の中に入れてしまっても問題ないと考える。これらの音楽をジャズなのかクラシックなのか、などと議論するのは全くのナンセンスである。

私は多少はクラシックを知っているがクラシックの人間ではない。また純然たるジャズの人間でもない。ポップスやロック風の曲も書くが、だからといってその音楽がクラシックなのかジャズなのか、ロックなのかポップスなのか、なんていうことは私にとってどうでもいいことである。それらは単なる音楽の様式に過ぎず、様式などは作曲家の表現の一手段に過ぎない。従ってその様式を絶対視するのは全く意味がない。大事なことはその音楽がリスナーの心を揺さぶるような感動を与えることができるか、どうかである。だが残念ながら私のような考え方は日本の音楽界では圧倒的少数派の中に入る。

このカプスーチンの音楽に触れたのはちょうど私自身が自分の作曲スタイルを構築しようとしている矢先でもあった。私はクラシック、ロック、ジャズといった音楽のエッセンスを取り入れた音楽スタイルを模索した。ピアノのための3つのリフはその実験作である。

現在これをベースにさらに完成度を高めるべくさまざまな模索をしている現状である、カプスーチンの音楽をもう少し研究しさらにさまざまな試行錯誤をやるだろうと思う。しかし私の場合ロック的なノリがかなり全面に出てくるので、純然たるクラシックの人は弾き辛いかもしれない(笑)

 

 

 

 

 

11月 22, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年10月19日 (日)

現在作曲中の新作ピアノ曲ー見かけは全くクラシックには見えないがよく見ると形式は「クラシック」という曲

今月31日のアートカフェフレンズでのライブまでもう2週間を切りました。

今回のライブはある意味今後の私の音楽作品の方向性を決めるものと位置付けております。劇伴やヒーリング音楽を作っているときの自分とは違い、私のピアノソロの作品は純粋に自分のために作った作品であります。そのため自分の今後の作曲スタイルに対するこだわりのようなものが出てしまいます。

Kyoji0911

こだわり、というと誤解されるかもしれません。要は作品に対していかなる制約もない状況で作れる唯一の作品群といえるかもしれません。その中で今回はある試みをしてみようと思っています。

それはジャズでもない、いわんやクラシックでもない、たぶんどのジャンルにも入らないだろうと思われる作品。

しいて言えば今までの自分の作品と比べるとロック色がかなり表に出ているかもしれません。しかしそこにはある仕掛けがあります。実は一見ロックテーストの曲なのですが、作品の構成、形式をよく見るとクラシックなのです。

勿論表面上はクラシックとは似ても似つかない音楽です。
たぶん...  クラシックしか演奏したことのないピアニストには演奏不可能な曲だと思います。

名付けて"Rock'n Roll Sonata"

たぶんこんなバカなことをするのは私くらいでしょう(笑) 名前はRock'n Rollですが純粋なRockでもありません。ジャズテーストも入ってますが純然たるジャズでもありません。どのジャンルにも入らないと思います。

そんな曲を披露しますので是非次回のライブにはお越しください

また今回のライブですが、ジャズボーカリストでもあるShinoさんと作曲仲間の有馬さんによる「バジル」とのジョイントですが、Shinoさんトは「犬猫殺処分0」の活動も行っており昨日はそのライブも行われ応援に行きました。

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Shinoさんのボーカルも最高です。彼女のボーカルも一見の価値があります。

あと気が付いたんですが10月31日はハロウイーンなんですね

多少その趣向も凝らそうと思っております。楽しいライブになると思います。

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日時:10月31日 

18;00開場 19;30開演  アートカフェフレンズ

チャージ 3000円+1st ドリンク¥500

ご予約:03-6382-9050 もしくは私へのメールにてご予約下さい
お待ちしております(^ ^)

 

 

 

 

 

10月 19, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年8月23日 (土)

J.S.バッハがよくポピュラーミュージックで使われる理由

8月も下旬、毎年夏休みになると私なりの音楽論を発表するわけですが、今年は以前もチラッとのべました、ヨハンセバステイアン(J.S.) バッハの音楽について述べます。

バロックの作曲家でもバッハほどジャズ、ロック、その他ポピュラーに頻繁にモチーフとして使われた作曲家はいないのではないか、と思います、勿論他にはビバルデイの「四季」をオスカーピーターソンがジャズに編曲した例がありますが、バッハに関してはそのピーターソンは勿論ギュンターノリス、ロックではELP トッカータとフーガに至っては多くのロックバンドがアレンジしています。

実はこれだけ多くの非クラシック系アーチストがJ.S.バッハの音楽に興味を覚え、それを音楽にとりいれるのは理由があります。

それはJ.S.バッハのコード進行が非常に現代的、ポピュラー的であるという点です。

代表的な例を1つあげましょう。バッハの平均律クラービアの第一集の第一番のプレリュード、あまりにも有名な曲であると同時に、ピアノをある程度やっていれば必ずやらされる曲です。

A_001

普通、バロックから古典派の殆どは我々の世界でいういわゆるスリーコード 中心に曲が創られますが、既にいきなりバッハのこのプレリュードには現代の我々が普通に使うコード進行が使われています。お気づきでしょうか?

そう冗談の二小節目、少し見づらいかもしれませんがコードはDm7 ,
そうです、ポピュラーでは当たり前のように使いますが、7thコードがいきなり来ています

 

そしてこの続きはもっと圧巻です

A_002

さて上段の3小節目、これはC音からみると7番目の音が根音(一番下の音)にあります。コードはなんとCM7 (C Major 7th) そしてそのAm7 (A minor 7th)

そうです。7thのオンパレードです。このコード進行はどう聴いても普通のバロックではありません。

さらに

三段目を見て下さい。コード名が赤文字になっています。

これは和声用語で減7の和音というんですが、こういうコードを我々ポピュラーの人間はディミニッシュといういいかたをします。これもポピュラーミュージックでは当たり前のように使うコードです。

そして一番下はFM7 (G Major 7th) そしてそのDm7 (D minor 7th)

つまりJ.S.バッハの音楽はまるで現代からバロックの時代にタイムスリップしたのではないか、と思いたくなるほどコード進行が現代的なんですね。

参考までに全く同じコード進行でアドリブで一曲弾いてみました。完全アドリブなのでかなり細かいところはいい加減ですが、(ケツの二和音はオマケです(^^;))

こうなるとバロックどころかクラシックには全く聞こえませんね

参考までにJ.S.バッハのはこんなこともしています。「音楽の捧げもの」という作品ですが、まるでパズルです。一種の図形楽譜といってもいいです。

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これはバッハがプロイセンのフリードリッヒ大王にクイズの意味で提出した楽譜で、この楽譜からいくつものパターンのアンサンブルのパターンが示されています。

ご参考までにバッハの「音楽の捧げもの」をジャズ風にアドリブしてみました。ほんの数小節ですが.

バッハは天才なのか、それとも現代人がタイムスリップして17-18世紀のドイツに行ってしまったか(笑)

我々ポピュラーの人間もバッハ弾くのは好きです。やっぱり何か現代に通じるものを感じていたんでしょうね

 

 

8月 23, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年6月26日 (木)

チャゲアスCD回収は日本人が音楽を聴いていない、尊重していないことの証明

ご存じの方も多いと思うが以前こういう記事を書いたことがある。

■音楽をきちんと聴かなくなった日本人、「いい音楽」を自分で選べない日本人
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2014/03/post-18b4.html

賛否両論があったこの記事だが今日測らずもこの傾向を証明する事態が起きた。

チャゲアスCDなど、ヤマハも回収…総会で表明(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140624-OYT1T50178.html

 

人気デュオ「CHAGE(チャゲ) and ASKA(アスカ)」(チャゲアス)のASKA(本名・宮崎重明)被告(56)による覚醒剤取締法違反事件を受け、ヤマハ(浜松市中区)の中田卓也社長は24日の株主総会で、販売権を持つ約800曲についてCDや映像作品の回収を進めていることを明らかにした。

同社によると、チャゲアスは以前は同社グループに所属し、「SAY YES」や「YAH YAH YAH」など約800曲について同社がCD化やネット配信の権利を持っている。ASKA被告の逮捕後の5月19日以降、チャゲアスとASKA被告のソロ名義のCDやDVDを回収し、ネット配信も停止した。

 中田社長は総会で「社会的影響を十分に考慮した」と述べ、理解を求めた。

 

「社会的影響」???  一体ASKAの犯罪とチャゲアスの音楽がどう関係あるというのだ!?  そもそも相方のチャゲには何の罪もないだろ?

なんか日本という国は勘違いしている

わざわざいうまでもないが覚醒剤取締法違反事件で逮捕されたASKAを擁護する気などさらさらない。

このことは結局音楽をきちんと聴いていない、文化として尊重していない、ということの表れじゃないかね。ASKAの覚醒剤所持やその周辺のできごとに対しては私も嫌悪感を覚えるが、それと、「SAY YES」や「YAH YAH YAH」を始めとする一連の曲は全くの無関係である。関係があると主張するのならどう関係するのか説明すべきだ。ASKAが歌っているから、というのは全く理由にならない

たとえば美術でいえば、ルネッサンス時代のカルバッジョは殺人を犯したから作品の展示をすべきではない、といっているのと同じこと(実際彼は本当に殺人を犯している)
でも今美術界でそんなこという人いないでしょ。

結局は今日本の会社ではびこっている「事なかれ主義」、経営者の「保身」というのが主な背景にある。チャゲアスのCDを回収しないで騒いでいる奴がいるとすれば、愚かでヒマな「ネット住人」くらいだろう。こいつら「処刑対象」を血眼になって探す社会の害虫だ。もしこいつらが過激な行動を取れば警察に「駆除」させればいいだけのこと

これらの行為は音楽を文化として尊重していれば出てくる行為ではない。

結局日本という国は音楽をきちんと聴かない、音楽文化を尊重しない事なかれ主義で「世間を騒がした」ものは問答無用で排除する。そんな国になってしまった。

上記の私の記事に批判的な人も多かったが、YAMAHAの今日のこの発表は残念ながらそうした風潮を図らずも証明したことに他ならない

 

 

 

 

6月 26, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年5月31日 (土)

今日は元祖「ゴジラ」の作曲家ー伊福部昭氏の生誕100年!!

既に報道で大きく取り上げられているように、現在アメリカで公開中のハリウッド版"Godzilla "が興行記録を塗り替える勢いで大ヒット中である。

Godzilla2014

 

この日本発の世界的なキャラクター、日本人としてうれしいのはこの映画の大ヒットだけでなく、60年前の本田猪四郎監督の元祖「ゴジラ」(現在アメリカでは「クラシックゴジラ(Classic Godzilla)」と呼ばれている)に対して変わらぬリスペクトが持たれている点である。

その元祖ゴジラクラシックゴジラ(Classic Godzilla)」の音楽を作曲されたのが日本を代表する作曲家、伊福部昭氏である。

Akira_ifukube1954年ー今から60年前の映画だが、この伊福部昭氏のゴジラのテーマはゴジラ映画をリアルタイムで知らない人でも一度は聴いたことがあるはず。この映画はスピルバーグを始め世界中の映画関係者に多大な影響を与えた。

そして今日はその元祖「ゴジラ」の作曲家の伊福部昭氏の生誕100周年にあたる。

伊福部氏が長年学長をしていた東京音大を始め多くのコンサートホールで生誕100年記念コンサートがあるという。

ちなみに伊福部先生の公式サイトがある。教え子等が中心になって作っていると思われるがご興味ある方はウエブを訪問してみることをお勧めする。

http://www.akira-ifukube.jp/

「ゴジラ」のテーマだけでなく今回のハリウッド版「ゴジラ2014」に使われているあの有名なゴジラの鳴き声も伊福部氏の作である。元はコントラバスの弓を弦を支える木の部分(この奏法をSul ponticelloという)を弾いた音はイコライザーやモジュレーションその他を使ってあの音になった。今ではこれを「サウンドデザイン」という音響手法になるが、当時はこういう手法を「ミュージックコンクレート」といった(今や死語)

昔の円谷映画は特撮だけでなく、音響面でもさまざまな試みをしていたのである。

作曲家伊福部昭は「ゴジラ」の音楽だけでなく、他の怪獣特撮シリーズ、そして座頭市シリーズを始め、主に東宝系の多くの映画の音楽を担当している。まさに日本の映画音楽の第一人者である。作品は1947年の『銀嶺の果て』に始まり1991年の『土俗の乱声』 の足掛け50年近くにまで上る。

芸術音楽作家としては。日本の音楽らしさを追求した民族主義的な力強さが特徴で多くのオーケストラ作品を残している。このた民族主義的な力強さというのは伊福部氏の家系の影響もあるらしい。公式サイトの文言を引用させていただくと

伊福部家は大己貴命(オオナムチ=大国主(オオクニヌシ〉=(大黒天))を宗祖する因幡の古代豪族であり、武内宿禰(たけのうちのすくね)を祭る、因幡國一の宮・宇部神社の神官を明治維新に至るまで代々務めてきた。伊福部家は昭の代で67代続く家系である。

http://www.akira-ifukube.jp/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD%E3%81%A8%E3%81%AF/

その家系の影響もあるのだろう、伊福部氏の音楽には絶えず日本の風土の匂いがする。、北海道釧路町(釧路市の前身)幣舞警察官僚の伊福部利三、キワの三男としてうまれる。小学生の時、父が河東郡音更村の村長となっため、音更村に移る[1]。同地でアイヌの人々と接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた[という。公式サイトにも以下の記述がある

一般には民族主義的と表現されますが、その一つ一つを見てゆくと、類稀なオーケストレーション、熟慮の末の作品構成、リズムの重視、西洋機能和声からの脱却とその巧妙な援用など、他の作曲家には見られない独自の世界観で、聴衆を圧倒し魅了し続けております

http://www.akira-ifukube.jp/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C/

こういう表現は伊福部氏は生きていたら嫌がるかもしれないが、伊福部昭は日本のバルトークといういいかたもできる。

伊福部氏は単に映画音楽の作家にとどまらず、音楽教育家としても大きな実績を残した。しかし伊福部氏は。北海道帝国大学(北海道大学の前身)農学部林学実科の卒業で音大出身者ではない。しかし在学中に音楽、作曲活動を始め、音楽評論家の三浦淳史、後に同じく黒澤映画の多くの音楽を担当する早坂文雄(「生きる」「七人の侍」の音楽の作曲者)と「新音楽連盟」を結成する等の活動を開始する。大学を卒業後、北海道庁地方林課の厚岸森林事務所に勤務する等、アカデミックな音楽教育を受けずに殆ど独学で作曲活動を行っていた。

そんな伊福部氏が東京音大という私立音楽大学の教授に就任できたのが、数々の海外の音楽祭、コンクールに入選したからだが、アカデミックで権威主義の風土が強い日本の音楽アカデミズムの世界では珍しい例といっていいだろう。もっとも先日の佐村河内事件でゴーストライターをやった新垣氏の師匠は同じく音大出ではない三善晃氏(東大出身)で桐朋学園の学長をやっていたが、私の知る限りでは音大出身者でない人物が音大の学長をやった例はそれくらいだと思う。

特に伊福部氏の場合は美術にも造詣が深く地元で展覧会も開いたという。農学部で林や自然に対する知識もあり、音楽アカデミズムにありがちな「クラシック音楽以外に全く興味も示さない」人間とは違った。そんな伊福部氏は日本の音楽教育にとっては革命的といっていいことをやり遂げる

それが東京音大の中で「放送音楽コース」なるカリキュラムをたぶん四年制の音楽大学としては日本で初めて導入したこと。カシオペアの鳴瀬さんMugenの難波弘之さん を教授に迎えそれまでクラシック音楽一辺倒だった日本の音楽教育にポピュラー、ジャズ系の音楽教育のカリキュラムを導入した。いわば東京音大を日本のバークレー音楽院に近いものに作り替えようとしたのである。今でも日本の音大のアカデミズムはクラシック音楽一辺倒のガチガチの権威主義に凝り固まった輩が多いが、今から四半世紀前のことだがら当時の音楽教育界は蜂の巣をたたくほどの大騒ぎとなった。

先日の佐村河内事件でも新垣氏の友人と称する周辺の作曲家連中が映画音楽作曲を「たかが商業音楽の仕事」と蔑むような発言をする等、私には理解不能なほど偏見に満ちた見解だが、日本の音楽アカデミズムは戦後以来全く進歩していない。その雰囲気の中で音楽教育にさまざまな多様性をもたらした点は音楽教育者として大いに評価すべき点ではないだろうか?

「ゴジラ」「座頭市」を始めとする映画音楽、民俗主義的な表現による芸術音楽、そしてジャズ、ポピュラー音楽を含めた多様性に富んだ音楽教育システムの導入。それも日本の音楽界の発展に多大な貢献をした伊福部昭氏は偉大な作曲家として多大なるリスペクトしたい。

ちなみに多くの映画音楽を作った伊福部氏の「管弦楽法」はある種バイブルといっていい。これからオーケストラを学びたい方にもおすすめである。

本日5月31日がその生誕100年に当たる。最後に「ゴジラ」の有名なテーマをもう一度、あの有名なテーマ曲のフレーズ以外に元祖「ゴジラ」のエンデイングのシーンで使われた音楽も美しい。やはり日本の映画音楽の最高傑作の1つといっていいだろう。

 

 

 

5月 31, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年5月30日 (金)

誤解されているスガシカオの「DLよりはCD買って」発言とその真意

私は別にスガシカオとは知り合いでもないし、個人的な義理等も一切ない。

だがそのスガシカオが今ネットで叩かれている。それはスガシカオの以下のツイートがきっかけである。

スガシカオ@FF2014 6/25〜; 5月24日

DLでももちろん嬉しいのですが、ぶっちゃけDLだとほとんど利益がないんだ。おれらみたいにスタジオで徹底的に音楽を追い込むタイプは、制作費が全部赤字になっちゃう。CD買ってもらうと、かなり制作費が補えるので、次の作品が作れるメドが立つんだよね。
CD売れない音楽業界の負の連鎖だ

まあ例によってアホな暇人のネット小僧連中が既に下火になっている音楽配信の実態も知らんでともかく「有名人」をたたいているのかと思いきや、(こいつらネットに関してちょっとでも「否定的な発言」すると過剰反応する奴らだ)、どうもそういうわけでもないようでこのツイートに関してBLOGOSでもこんな記事が出た。

■未だにCDを買ってと嘆く音楽業界の末期症状
http://blogos.com/article/87393/

現在ネットで絶大な支持を得ているこの記事だが、記事の主は私が懇意にしている音楽マーケッターの友人とも旧知の人間らしいのであまりきついことはいいたくないのだが、上記の記事には問題点が多々ある点と、スガシカオの真意が誤って伝わっているように感じるのでここで一筆書かせていただく

私のブログをよく読んでくださっている方なら、上記のBLOGOSの記事を私が全面的に支持するとお思いだろう。

正直上記のツイートの主がスガシカオではなくレコード関係者、レコード会社の幹部あたりが発言したら私も「末期症状」の意見に同調しただろう。

だがスガシカオのツイートをよく読んで、しかも昨今の音楽制作の現場を知っている人間からすると全く違う見解が出てくる。

まず上記の記事でいいこともいっている。まずはそこを引用しよう。

はじめは「地上の星」だけダウンロードで買おうと思ったんだけど、他のアルバム収録曲も素晴らしかったので、CDを購入した。捨て曲がなくどの曲も素晴ら
しい音楽だったら、人はアルバムを買うと思う。CD買ってくれないってシングル曲の1~2曲ぐらいしか、いい曲がないからでしょ。CDが売れないのはアーティストの曲に力がないからだ。お金を出してでも聴きたいと思えるほどの曲ではないからだ。制作費にお金と時間をかける前に、いい曲いい歌詞を書くことに全力を尽くすべき。原曲がよければ歌は広まる。

ここは当ブログでも何回か表現は違うものの主張していた内容、この部分は賛同する。

しかし二点ほどこのブログで問題と思う部分がある。まずこの部分

なぜAKBのCDが売れているのか。握手券がついているからでしょ。もはやそういう特典がないとCDを買う意味はない。過去のビジネスモデルにしがみつき、普通にCD売ったんじゃ、売れないことはわかっているから、こうした特典をつけて業界努力をしているわけです。なんかそういう努力や工夫をしているんですかね。

まず、AKBの「握手券」を業界の努力と書いているが、これは明らかに違う。AKBは握手券をつけた時点でもはや音楽を売っていないわけで「こういうやり方こそがこれからのありかただ」と云わんばかりの主張はあまりにも短絡的でものごとを表面からでしか見ていない証拠だ.。この「握手券」「努力を回避するための悪知恵」もしくは「浅知恵」といった方が妥当だ、

まあこの手の記事に得てしてありがちな論法なんだが要はメジャーを始めとする音楽のクオリティの低さがこの状況を作っているのであって、CDはもはや仕掛けをつけないと売れないとか音楽配信がどうのこうのとかシステム論で語ると問題の本質が見えなくなる

詳しくは知らないがマーケッターの友人によるとこの人はメリディアンローグ(現SONALIO)の関係者らしいが、どうも根っからの音楽関係者ではないように見える。なぜならいささか記事の発言に無責任さが感じられるからである

制作費がかかるっていうのもほんとうんざりする。金と時間がないといい作品作れないのか。もちろん金と時間をかければいい作品になる可能性は高い。でも曲自体がダサかったいくらそこに金と時間をかけても売れるわけがない。音楽に限った話ではなく、金と時間がないといい作品は作れないというのは、クリエイターの傲慢にしか過ぎない。そんなに金かかるならパトロンみつけろって話。

はっきりいってこの発言からしてこの記事の著者が音楽制作現場をきちんとわかっている人ではないことがすぐにわかる。そもそもスガシカオの上記のツイートをもう一度よく見ると別の意図が見えてくる。もう一度あの発言をよく見てみよう。キーポイントとなる場所を青文字で書いてみる。

DLでももちろん嬉しいのですが、ぶっちゃけDLだとほとんど利益がないんだ。おれらみたいにスタジオで徹底的に音楽を追い込むタイプは、制作費が全部赤字になっちゃうCD買ってもらうと、かなり制作費が補えるので、次の作品が作れるメドが立つんだよね。
CD売れない音楽業界の負の連鎖だ

つまりこのツイートは一見ダウンロードよりはCDを買ってという発言に見えるが、青文字の部分をよく見ると要は十分なクオリティを作れる制作予算が不足しているので困っているというのが真意である

つまり一概にこの発言は「音楽の過去のビジネスモデルに固執した発言」と決めつけられない部分があるのである。

金と時間がないといい作品作れないのか。もちろん金と時間をかければいい作品になる可能性は高い。でも曲自体がダサかったいくらそこに金と時間をかけても売れるわけがない。音楽に限った話ではなく、金と時間がないといい作品は作れないというのは、クリエイターの傲慢にしか過ぎない。

制作現場というものを少しでも知っていれば「金と時間がないといい作品は作れないというのは、クリエイターの傲慢にしか過ぎない」などという発言は出てこないはずである。この人は制作現場の一体何をどこまで知っているというのか? 音楽制作というものがそんなに簡単にできるものだとでもいうのだろうか?この発言を見ると音楽制作、音楽を作るという工程を非常に軽んじており、現場を知ったかぶりした無責任な発言と言わざるを得ないのである。

参考までに 現在のアルバムの平均制作費はとうとう100-200万のレベルにまで落ち込んでいる。別にバブルの時代がよいというつもりはないが、バブルの1/10以下だ。それと何よりも今メジャーアーチストといわれる人でもレコード会社や事務所からのお金ではとても生活できずアルバイトしながら音楽作っているのが実情である。こんな状況でアーチストが良質の音楽を作ることができるかというとよほどの精神力がある人でないと難しい。

つまり

CDを始めとする音楽が売れない

        

制作費の極端な削減+制作環境の悪化
(今やメジャーでも殆どインデイーズと制作環境は大差ない)

                  

音楽の質やサウンド(音質)の低下

        

音楽が余計に売れない。

という転落スパイラルに音楽業界全体が陥っているのだ。

別にスガシカオを擁護するつもりはないが、スガシカオのこのツイートはこの現状に対する悲鳴だと思う。

勿論時代は変わっているし、音楽(だけでなくコンテンツ全般も)のビジネスモデルは今後大きく変わらざるを得ないのは事実。そして残念ながらいわゆる「メジャー」の制作体制は今後さらに悪くなっていくことは避けられないだろう。スガシカオには悪いがDLだろうが、近々始まるサブスクリブション(ストリーミング)であろうが状況がよくなることはない。

この問題に対する解決方法の1つの可能性として今後アーチストの活動、制作費に対するクラウドファンデイングというのが1つの方法かもしれない。いずれにせよメジャーなどもはや名ばかりの状況であり、また現在のような状況を作ったのもメジャーレコードの体質そのものであることは事実だから、アーチスト、プロデユーサーで今までとは違うシステム(クラウドファンデイングを含めて)を考える必要が出てこよう。

いずれにせよ別にスガシカオには何の義理もないが、スガシカオとは別の意図でこの発言が伝わっているようなので、その誤解を解く意味でこの記事を書いた次第。

 

 

 

5月 30, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年5月28日 (水)

AKB商法はもはや潮時ー日本のあらゆる不健全な病巣の凝縮したユニットは解散させるべき

先日の岩手県滝沢市の岩手産業文化センターでのAKBの握手会で起きた男がノコギリを振り回して、川栄李奈と入山杏奈2人が負傷した事件は不幸だった。2人とも命に別状はないというものの頭に傷を負ったという点ではタレント活動の今後の影響が懸念される。ノコギリというのは跡が残るからね。いずれにせよケガされた2人には一日も早い回復を祈る。

それゆえこの事件に関して何か書くことは躊躇われたのと、無差別にノコギリを振り回した男は別にAKBファンでもなく、いわゆる「社会から拒絶された人間の憎悪による無差別犯行」の可能性が高いことからこの事件自体はAKB云々とは無関係である。

とはいえ、私はこの事件は何か象徴的なものを感じる。

ご存じのとおり私はこの記事を書いてAKBファンから相当反発を食らったようだが(笑)..

総選挙の日だからあえて書いてやる。もはや日本人にとって音楽はゴミでしかない、ということだ
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2012/06/post-dc61.html

あえてもう一度いう。私はこのAKBというものが大嫌いである。彼女たち一人一人はの息苦しい雰囲気の中元気に活動しているし、おそらくとてもいい子たちだと思う。だから彼女たち個人一人一人が嫌いなのではない。しかし私はあのユニット?、いやシステム、もっといえばあのビジネスモデルに対して激しい嫌悪感を覚える。

そうしたら果たせるかな私と全く同じ考えをもっていた人がいた

AKB商法の崩壊(Fuck The Fuckin' Fucker !)
http://rock-iine.blog.so-net.ne.jp/2014-05-27-1

 

今日は伏字でなくはっきり言うが、AKB 48が大嫌いである。彼女たち一人ひとりが嫌いなわけではない。
意志を持たないことを強要され、またそれを自ら積極的に受け入れるブラック企業丸出しの過剰な同調主義(ボウズ頭事件)、
共同幻想としてのヴァーチャルをいつの間にかリアルと勘違いさせる捻じれた世界観(疑似恋愛性)、
そして為政者の前での媚び諂い(ASEAN首脳会議の夕食会での公演)、などなどシステムとしてのAKB。
この国の現在の不健全なあらゆる病理が凝縮されて、腐臭を放っているのだ。


そして何よりも罪深いのは、「AKB商法」と揶揄されるCDの販売方法である。CDへ付加された握手権や投票権、同じ曲の複数仕様、写真の封入。こうした
「手口」で、同じCDを複数、あるいは大量に購入させるよう売り手側が誘導する。
その結果、CDの枚数は売れるが、極端な場合はCDを聴かずに破棄するよ
うなケースまで頻発する。それ、コンプガチャと何が違うんだ

<後略>

はっきりいって私はこのブログ記事に100%同意する

あの訳の分からん総選挙という奴も今年はそんなに盛り上がらなかったということもあり、やはり今の状況は誰が見ても下火である。何よりもこの事件が起きたあと少なくとも当分の間はAKBの「主目的(?)」である握手会を開くことは難しいだろう。開催したにしても相当の厳重なセキュリテイをセッテイングせざるを得ない。犯行を模倣しようとするバカも出ないとは限らないからだ。

そしてあらゆる観点からもやはりこのビジネスモデルはどう考えても歪んでいる。

ファンの反発を食らうことを覚悟していうが、そろそろこの醜いビジネスモデル、ファンとアーチストの歪んだ関係、いい加減やめる潮時が来たのではないか。そして上記のブログ主の指摘通り、今の日本の歪んだあらゆる病理が凝縮されているはっきりいっておぞましいといってもいい

それゆえ上記のブログ記事が最後に結んだ言葉で当記事も締めたいと思う。

「音楽」を売らない、「音楽」を愛していないビジネス・モデルなんか崩壊してしまえ。

 

 

5月 28, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年5月16日 (金)

音楽制作者、クリエーターとして最高のサウンドを創り続けるー簡単にマネできないオリジナリテイを確立すれば必ず道は開ける

本日うちの会社が一昨年から取り組んでいる海外向けの音楽教材のマスタリング作業のために築地のマスタリングスタジオに行った。そこではお互いペーペーだったころから知っている昔からの旧友がマスタリングエンジニアとして頑張って仕事をしている。

今や予算の関係で殆どのレコーデイング作業を自宅スタジオで行っている私だがマスタリングだけはきちんとしたスタジオで作業している。製品を作り上げる仕上げとしてどうしてもきちんとした音創りをしたいからだ。作業は二時間ほどで終了。

こういうスタジオに入って昔からの旧友と話すと当然業界関係の「雑談」を行う。「雑談」というがこれが結構重要な情報交換になる。

まあ「最近どう?」といった類の話から始まるのだが、音楽業界がこんな状況だからそうそう景気がいい話などあるはずもないが、話を聞くと結構いい仕事をしていたりする。

先日もレコードストアデイズで、今アナログレコードの復活している様を記事にしたが、その旧友も真空管のアンプ、イコライザーを使う等のアナログの機器を導入することによって良質なサウンドを創り上げているため、海外の有名なエンジニアにも認められていっしょに仕事をしているという。アナログサウンドというのは単なる懐古趣味ではなく、最近のデジタルのこじんまりとした変に小さくまとまった音とは違う、アナログの広い音を創ることによってより良質なサウンドを創り上げる腕を身に着けたようである。

勿論その友人はpro toolsやMerging のPyramix等のデジタルコンピューターのスキルを身に着けた上で、このアナログのスキルも駆使している。私もそうだが昔のアナログの技術と最近のデジタル技術の両方を身に着けているため様々なケースに対して対応できる能力がある。

彼とは以前「音を制作する人間として良い音を世の中に出す社会的使命を忘れてはならない」という意味の話をしたことがある。つまり「最高のプロフェッショナルの仕事」をやり続ければ道は必ず開ける、という点である。

昨今のメジャーレコードのデイレクター連中に「最高のプロフェッショナルの仕事」というものを理解、評価できる人間は極めて少ない、殆どいないといっていい。なぜなら彼らはそういうものを教わらずに「売るノウハウ」だけを教えられてきたからである。音楽の良さ、芸術性などの理解など寧ろ排除していったといっていい。しかし海外の最高のプロフェッショナルはまだそれを評価する能力がある。評価してくれる人間は評価してくれるのである。

今や音楽も映像もあらゆるコンテンツも国境に関係なく広がる時代であることは周知の事実である。そして制作もパッケージも日本国内にこだわる必要など全くない。別にエコノミストやIT系の連中のよくいう胡散臭いグローバリズムなどをいうつもりはないが、音楽を始めとするコンテンツには国境がない。これだけは事実である。

だから既存の狭い日本の音楽市場のロジックで音楽制作を語るのはもはやナンセンスである。インターネットが世界をフラットにするというが、結局クリエーターが付加価値を含めた価値のある仕事をするための心がけは1つ

プロフェッショナルとして最高の仕事をする  ということである。

旧友のエンジニアはそれを実施して、今や世界に出つつある。正直ここまで腕のいいエンジニアになるとは思わなかったが

私も作曲家、クリエーターとしてそれを目指そうと思う。

旧友との雑談だったが有意義な雑談だった。

 

 

 

5月 16, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年5月 8日 (木)

ベートーベンのピアノソナタ「熱情」は形式は古くても精神はロックだ

GW中、映画劇伴関係の仕事が一段落したので何を思ったか、たまにはクラシックピアノを真面目にやろうかと思った。(もっとも毎日の練習で指の練習のためにバッハやハノンとかは普通にやっているのだが..)

その中でベートーベンのピアノソナタ第二十三番ヘ短調「熱情」と呼ばれているソナタを弾いてみた、子供の頃ルドルフゼルキンの演奏聴いてめっちゃくちゃ感動+興奮して、それが練習嫌いだった私をピアノ練習に駆り立てた。
、そして久々にこのベートーベンのピアノソナタ第二十三番を弾いていたらこれがやばい、弾きながら自分でどんどん興奮してくる、弾いていくうちにだんだんテンションがメチャクチャ高くなっていくのが自分でわかる。これを書いた時、ベートーベンはかなりラリッてたんじゃないかな、間違いなくアブナイ精神状況でこの曲を書いたと思う。

この曲ーひとことでいえば表面上は「ソナタ」というヨーロッパの古い音楽形式だが、精神は完全にロックしているのだ。いわばピアノでシャウトしているといっていい。ベートーベンが現代に生きていたら間違いなくハードロックやっていただろう、というのが実は私の持論ではあるんだが、この曲なんかそれを象徴する曲かもしれない

音楽を形式論でしかとらえられない、論じられない人には今の私のこの考え方は到底理解できまい。だが音楽の形式なんてものは作曲をする上では実は単なる手段でしかない。そんなものは時代背景やさまざまな条件でどうにでも変わるものだ。だから音楽を形式美、構造美だけで論じる観点に固執するのはナンセンス、というのも私の持論。

ちなみに「熱情」というのはベートーベンがつけたものではない。この曲のイメージを聴いて後世の人がつけたものだ。(月光も同様)ベートーベンの32曲のソナタでベートーベン自ら副題をつけたのは「悲愴」と「告別」くらいしかなかったんじゃないかと記憶している。違っていたら教えてください。「月光」「テンペスト」「ワルドシュタイン」「ハンマークラービア」-殆どが後世の人が勝手につけたあだ名のはず。

このyou tubeのヴィルヘルム・ケンプの演奏は私にいわせれば大人し過ぎる。しかしアップされている演奏では一番まともな演奏しているので紹介する

 

できればルドルフゼルキンのものすごい演奏を聴いてもらいたいが、それは皆さんでCDを探してもらうしかない。

 

てなわけで少し音楽のエネルギーをもらいたい気分なのでしばらくこの曲も練習してみることにする。何か得られるものがあるかもしれない。

 

 

 

 

5月 8, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年3月25日 (火)

佐村河内事件を総括ー単なる「詐欺事件」ではなく日本の音楽文化そのものの問題(今回は特に長文注意)

今や佐村河内の事件よりはSTAP細胞論文の小保方晴子氏の話の方に世間の関心が移っているようだが、この佐村河内別人作曲家事件に関しては単なる「詐欺事件」ではなく、日本の音楽産業だけでなく音楽そのもののありかたについてさまざまな問題を内包しているので、最後にここで総括してこの事件の問題点を整理する必要があると思う。この問題は単に音楽ファンを騙したという単純な問題では決してないためである。悪いが今のマスコミにその問題点を整理する力はないだろう。

1つ1つ整理するとこの事件には以下の点が浮かび上がってくる

1.日本人の「音楽の聴き方」の問題

先日の私の記事にも書いたように関西大学教授高増明氏が指摘しているように日本人はいつのまにか音楽をちゃんと聴かなくなっている国民になっているという点。

どこどこのドラマやCMのテーマソングだから買う。話題になっているから買う、というモーテイベーションがないと音楽を買わなくなっている点、この佐村河内の件にしたって「現代のベートーベン」というキャッチフレーズがなかったらこんなに多くの人が買ったかどうか疑問だ。

作曲ゴーストの問題で新垣氏の音楽はクオリティ的にかなり高いものであるにも関わらずこの事件で音楽そのものの価値が全くなくなったかのような世間の論調

これらを見て1つ言えるのは日本人は音楽を買うのではなく「音楽のシチュエーション」を買っているという点が見えてくる。そして実際にその音楽のクオリティが高いかどうか、いいか悪いかの判断を自分ですることができない。素直に自分が感じていい音楽を選べばいいのにその自信がないため、他人と同じような選択をする日本人ならではの体質

つまり日本人は「きちんと」音楽を聴かない国民になってしまっているという点だ。一部の人を除いて「いい音楽」というものが自分で理解できない判断できなくなっていることがそもそもの背景としてある。

リスナーのせいにするな、という人がいるかもしれないがこの事件のそもそもの大きなファクターの1つであることは残念ながら否定できない。

そしてこの問題は非常に深刻である。自分で自分がいいと思う音楽が判断できないということはつまるところこの国にはもはや音楽文化といえるものが存在しない、ということに等しいからだ。もう一度国民全員が「音楽鑑賞とは何か」ということを基礎から学び直した方がいいかもしれない。

勿論この事件の問題はこれだけではない。まだまだ他のファクターも存在する

2.音楽業界の「体質」の問題

当ブログでもこの件に関してはさまざまな観点から論じている。

卵が先か鶏が先かという話になるがそもそも話題性のみでしか音楽を買わないユーザーを大量に生み出した音楽産業の画一的な量を追求するマーケテイングが原因でユーザーがそうなったのか、それともそもそも日本人のユーザーが最初からそういう体質だから音楽産業がこういうマーケテイングしたのか、どちらが最初なのかはわからない。

しかしはっきりいえるのはテレビのタイアップを中心とするメジャーレコードの画一的なマーケテイング戦略だけが突出して発展してしまい、それがあまりにも長期間続いたために日本の音楽リスナー全体がそういう音楽マーケテイングの手法にあまりにも慣らされてしまっている、という問題も背景にある、それらによる悪影響で日本人の中に自分できちんと音楽を聴くという習慣がいつのまにかなくなってしまった、という面は否定できない。

そしてそれがこのゴースト問題の背景にある。

そもそもなぜ音楽業界がゴースト作曲家、ゴースト作詞家を大量に用意するかというと、「話題性」をでっちあげるために、誰でも名前を知っている、今話題になっている人が作曲(あるいは作詞)した、ということにすれば売れる可能性が高い、と音楽業界は考えているからである。そして少なくとも今回の事件まではそれが営業的に成功してしまっている点が大きな問題。なぜならCDや音楽を、「話題性」のみでしか買わない消費者は確実に存在するからである。実際佐村河内氏のCD作品も「現代のベートーベン」にするために全聾と偽ってまで「話題性」をでっち上げなければ間違いなくこんなに売れなかったであろう。

だがこんなことはクリエーターの権利という観点から見れば本来はあってはならないことである。はっきりいってこんなクリエーターの権利を踏みにじることが大手を振ってまかり通っているのは日本の音楽業界だけであろう。そんなことを当たり前にやっている業界がどの面下げて「不法コピー禁止、違法ダウンロード禁止」などといっているのかいいたい。クリエーターの権利を蔑ろにしている業界にそんなことをいう資格などない。

3.弱い立場で尊敬されてない作曲家作詞家

こういう作曲家のゴースト強要、は私の知る限りは少なくとも20年前以上から行われていたと思う。実は私もゴーストを強要された経験があるが、その時には私はクリエーターというよりはまるで「小間使い」扱いだった。デイレクターの態度も高圧的で、作曲というスキルを持っている人間に対するリスペクトなど微塵も感じなかったというのが正直な印象だ。おそらくそういう思いをしたのは私だけではないだろう。

ただ不思議なのは今回これだけマスコミを始めゴースト作家に関して世間が大騒ぎしたにも関わらず新垣氏以外に「ゴーストにされた」ことを名乗り出た人物がいない点である。実際過去、このゴーストの実態を暴露しようとして業界から永久追放になった作曲家もいる。なぜ彼が名乗りでないのか不思議である。

考えられるのは私の所には来ていないものの、関係者に相当な圧力が加わっている点だろう、おそらく脅迫恐喝に近いことが行われている可能性がある。そして何よりもゴースト作家の人たちには「それをやれば業界から干される、追い出される」という強迫観念があるためであろう。これだけでいかに日本の若手作曲家、作詞家が弱い立場に置かれ、人権の抑圧対象になっているかがわかる

実は日本のクリエーターのそういう状態が問題なのである。

つまり日本はクリエーターの立場が弱すぎるのだ。社会風土としてクリエーターに対するリスペクトの意識が低すぎるのだ。それは以前書いた記事の以下のような例でもわかる

質が高い記事を書いてください。でもお金はほとんどありません。
最高のデザインをしてください。でも予算は少ないです。
ぜひコンサルしてください。飲み代おごりますから。

 
相応の対価を払わなければ、受け取ることはできない。
それは有形の商品でも、無形のサービス・ノウハウでも同じことです。
 
コンテンツに相応のお金を払わないのであれば、
ビジネスをやる資格はないと思います。
 
コンテンツに相応のお金を「払えない」のであれば、
それはビジネスモデルが破たんしているということです。
 
クリエイターやコンテンツホルダーに
相応の対価を払わないのは失礼。
 
ただし、クリエイター側にも責任がある。
そういう仕事を受けてしまうから。

ここの部分が今の日本社会のコンテンツクリエーターに対する意識を象徴的に描いている。私も同じようなことを何回か言われた経験がある。

だが音楽制作に無関係な人間がいうのならともかく、今音楽業界の人間まで同じような体質を持っている。(実際最近レコード会社のデイレクターとかいわれている奴らは音楽の専門知識すらロクに持っていない奴らが多い)

だがクリエーター、作曲家作詞家にも問題がある。結局「仕事欲しさ」にどんな無茶苦茶な条件でも受けてしまうのだ、平たくいえば足元見られてしまっている。仕事にありつけたいために人権のない、奴隷同然の状態でもメーカーやプロダクションのいうことを聞いてしまうのである、すべては「仕事が欲しいから」である。だからメーカーやプロダクションのトップはつけあがる。

つまり何がいいたいか、というとこれだけ音楽業界でゴースト強要が大手をふってまかり通らせたのは、簡単に足元を見られてしまうクリエーター、作曲家作詞家にも責任の一旦があるのだ。もっと毅然とした態度を取るか、作曲家が連帯してーたとえば日本作曲家協議会でも日本作曲家協会あるいは日本作詞家協会でもいいー団結して業界にゴースト強要をしないように申し入れ、弱い立場にいる若手作曲家を救済する動きをするだけでも効果がある。今回の事件でA〇〇XとかS●〇Y〇〇ージ〇クの連中は内心ビクビクしているはずだ。私はいずれの作曲家団体にも属していないがもしどれかの団体がそういう動きを取ろうとするのなら少しはこれらの団体に所属するメリットも出てこようというものだ。個人なら弱いが団体が動くと効果的なのである。

特に日本という社会は..

4.傲慢なクラシック現代音楽の体質

この点に関する詳しいことは既に最近の記事でずいぶん書いているので多くは書かない。                                                                

■ 改めて私の「現代音楽」観ー表現の可能性はもはや「現代音楽」にはない

特に最初の記事が今回の背景の1つである。新垣氏の発言にもあるように「親しみやすい音楽を書きたいが自分の名前を出すのが恥ずかしい」という発言から、佐村河内側(もしくは事務所側)の一連の作品で新垣氏をゴースト作家にする結果になった。

これは、「俺たちは高度な芸術音楽をやっていてお前らの音楽とは格が違うんだ」 という思い上がりを業界側につけこまれたために起きた。何回も書いているのでこれ以上は書かない。

クラシックのアカデミズムやアカデミズムの流れに沿った現代音楽関係者に提言したいのは「今のままの自分たちで本当にいいのか?」ということをこれを機会に自問自答することをお勧めする。

アカデミズムの現代音楽は全くといっていいほど後世の音楽に影響を及ぼしていない点

さらに音楽を歪んだフィルターで見る、偏見に満ちた目で見る音楽のありかたがそもそも健全なのかどうか、これを機会に熟考されることを提言する

5.この事件に関するマスコミの対応

最後に一番違和感を感じたのはこのマスコミの対応である。ひとことでいってまるで「イジメ」の構造だ、

佐村河内氏の最後の会見を見ると某読売の竹村記者よろしくまるでヤクザの恫喝である。とてもきちんとした組織の分別あるジャーナリストの行動には見えなかった。

例のSTAP細胞問題もそうだが最近のマスコミのパターンとして「持ち上げて叩く、総攻撃」というパターンが定着している。その方が「記事が売れるから」ということでやっているとすればそこにジャーナリズムはない。

佐村河内氏を持ち上げたことによって結果としてマスコミは「詐欺の片棒を担がされた、などという人がいる。もしそれが背景であのケンカ腰の記者会見になったとしたらそれは筋違いも甚だしい。

そもそもマスコミ関係者で音楽業界にせよ出版業界にせよゴースト作家の存在を知らないはずがない。出版業界など音楽業界より前にゴースト作家の存在はあった。新聞記者の端くれならそれを知らないはずはないだろう。

音楽業界のバブル華やかなりし頃から作曲作詞の有名アーチストの多くは実はゴースト作家によるものであることはそこそこのレベルの芸能記者なら知っているはず。知っていて見て見ぬふりをしていた、というのが本当のところではないのか。

つまりマスコミの佐村河内氏に対する恫喝は、云ってみれば自分たちの取材が十分でなかったことの腹いせ、八つ当たりを佐村河内氏にぶつけてイジメている、というのが実態である。だからあの記者会見は本当に醜い、ヒドいものだった。今のマスコミ記者の質の低さを露呈してしまったといっていい。

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以上5点が複雑にからみあって今回の事件が起きたといっていい。

ひとことでいって日本の音楽文化のありかたそのものが問われた事件なのである。単なる詐欺事件ではないのだ。日本の音楽、芸能、マスコミありとあらゆるものの悪い面が出た事件といっていい。

何よりも残念なのは音楽業界、レコード業界がこの件に関する再発防止に対して何の動きも見せていない点である早く嵐が立ち去ってくれ、そんな風にしか思っていないようである。

つまりこのままだと今回の事件から何の教訓も学ばず同じ事件がまた起きる可能性があるということだ、

もしそうだとすると音楽業界は愚か者しかいない業界である。

 

 

 

 

3月 25, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年3月22日 (土)

佐村河内氏の「調整への復権」について私の見解

またこの関連記事かとお思いかもしれないが、やはり同業者でもあるので..

以下の記事でポイントとなる部分だけを引用させていただく

佐村河内氏が記者会見で力説 「調性音楽の復権」はどのような文脈で登場したか
http://realsound.jp/2014/03/post-342.html

音楽学者の岡田暁生は著書『西洋音楽史』
おいて、20世紀における西洋音楽の行方を三つのモードに区分している。第一に広範な聴衆の支持を犠牲にしてでも「芸術」のエリート性を保とうとする、一
部の前衛的な作曲家たちが選んだ現代音楽。第二に創作面が現代音楽というある種のアングラ音楽と化していくなかで、西洋音楽の「公的音楽」としての側面が
演奏文化に継承されていく「クラシック音楽のクラシック化」

。新曲を楽しむというより固定されたレパートリーについて演奏の差異を味わうという音楽鑑賞の形態は、録音メディアの発達も後押しとなり20世紀に入って
加速度的に進行していくこととなる。そして第三にポピュラー音楽の勃興。娯楽音楽の発信地がヨーロッパからアメリカへと移行するなかで、サロン音楽をルー
ツにもつポピュラー音楽がクラシック音楽の受け皿となった。
従来ならオペラやサロン・ピアノ音楽などの作曲家になっていただろう多くの人が20世紀におい
ては産業音楽に従事するようになったのは周知の事実である。

<中略>

クラシックジャーナルの編集長である中川右介氏はWEB
RONZAでこう指摘する。「佐村河内氏は現代の音楽界への異議申し立てとして『自分はあえて昔ながらのロマン派風の交響曲を時代錯誤と分かっているけど
書くのだ』というようなことを言って登場した。それはそれでひとつの考えである。だからそういう考えで書いてそれが売れるのなら、それはある意味でクラ
シック音楽業界が見逃していたマーケットの開拓である」

<中略>

しかし騒動前にこれだけの評価と賞賛を集め、普段はクラシックと縁遠いであろうリスナーまで惹きつけたことは事実として忘れてはならない。調性音楽としての完成度を備えた作品が、ポピュラー音楽のように一般のリスナーから歓迎され得ることが改めて示されたのである。 

当ブログの記事を読んで下さった方には私が元「現代音楽」の作曲家だった時代があり、現代音楽という名前ではあっても少しも現代を感じなかったのが私がやめた理由であるということはおわかりだと思う、それは今までの記事で書いた。ここではその点は多くは書かない。

さて上記の記事での「現代音楽」はあくまで先日の私の記事で書かれているアカデミズムの中の「現代音楽」について論じているが、実はこれだけではこの問題を論じる上では片手落ちである。先日の私の記事アカデミズムの「現代音楽」はポストモダン以降の音楽に殆ど影響を及ぼさず、反アカデミズムの「現代音楽」はヒーリングミュージックや環境音楽、テクノミュージック等のクラブミュージックに大きく影響を与えたことを述べた。上記の記者にとって反アカデミズムの「現代音楽」はもはや「クラシック音楽」とはいえないため議論の対象外にした可能性があるが、しかしそれでは現代の音楽の諸問題を語る上で非常に視野の狭い議論になってしまう。

岡田暁生氏の20世紀の西洋音楽(クラシック音楽)の流れについては上記の分析通りとはあるが、最初の「聴衆の支持を犠牲にしてでも「芸術」のエリート性を保とうとする」はいわゆる「現代音楽」の流れということになるのだろうが、実は反アカデミズムの「現代音楽」のクリエーターはその「芸術」観からアカデミズムという狭い枠では限界があることに早くから気づいていた。そのためだいたい70年代あたりからいわゆるアカデミズムとは袂を分かち、新たな音楽の可能性を模索した。

調整への回帰、と佐村河内氏は云ったようだが、実は反アカデミズムの「現代音楽」においては早くから調整への回帰を模索していた。その基本が主にミニマリズムで使われる」「モード」という概念である。

アメリカの作曲家ステイーブライヒ(1938- )はまだ現代音楽が無調が絶対という時代にあえて調整感のある単純なフレーズの繰り返しの曲ーピアノフェーズを発表し、当時の現代音楽のアカデミズムを敵にまわした。しかしこれが反アカデミズムの「現代音楽」が従来の「聴衆の支持を犠牲にしてでも「芸術」のエリート性を保とうとする」とは完全に別の道に行くきっかけを作ったといっていい。結果的にこのミニマリズムが現代のポピュラー音楽や環境音楽に与えた影響は膨大なものであった。私もこのミニマリズムにふれていわゆるアカデミズムの現代音楽と簡単に決別することができた。今でも判断は正しかったと思っている。なぜならミニマリズムは後世の音楽に影響を確実に与えたが、クラシックのアカデミズムの現代音楽は全くといっていいほど後世の音楽に影響を及ぼしていない。

また私の記事また別人作曲事件についてー「現代音楽の作曲家」の「商用音楽」への偏見を業界関係者につけこまれたのが原因に引用されている記事を読んでも失礼ながらアカデミズムの「現代音楽」の人たちは30年前と全く変わらないー少しも進歩していない人たちだと思わざるを得ない。

まさにそこが問題なのである。

さらに次の部分

クラシックジャーナルの編集長である中川右介氏はWEB
RONZAでこう指摘する。「佐村河内氏は現代の音楽界への異議申し立てとして『自分はあえて昔ながらのロマン派風の交響曲を時代錯誤と分かっているけど
書くのだ』というようなことを言って登場した。それはそれでひとつの考えである。だからそういう考えで書いてそれが売れるのなら、それはある意味でクラ
シック音楽業界が見逃していたマーケットの開拓である」

<中略>

しかし騒動前にこれだけの評価と賞賛を集め、普段はクラシックと縁遠いであろうリスナーまで惹きつけたことは事実として忘れてはならない。調性音楽としての完成度を備えた作品が、ポピュラー音楽のように一般のリスナーから歓迎され得ることが改めて示されたのである。 

マーケット論という観点からすれば一見正しいように思えるが、実は音楽の表現という観点では少し違う。実は無調音楽を書くのを拒否して19世紀的なロマン派の手法で作曲しているクラシック系の作曲家は大勢いる。日本では団伊玖磨中田喜直、別宮貞雄などがその代表だが、音楽表現という観点からすればそれは単なる懐古趣味の域を出ない。確かに新垣氏の書いた「佐村河内名義」の曲は19世紀的なロマン派の手法と云ってよく、それが多くの人に受け入れられたのも事実ではあるが、しかし単なる懐古趣味に走るのが答えか、というとやはりそれは違う

例えば武満徹氏の「カトレーン」以降の作品は明確に調整記号とかは書かれていないものの、明らかに「調整への回帰」を志向していた。晩年の作品は現代音楽の範疇に入るとはいえ美しく、芸術作品としても日本が世界に誇れるものである。

私はアカデミズムの「現代音楽」の作曲家から見れば彼らが軽蔑する商用音楽の作曲家ということになるのかもしれないが、別に音楽の芸術表現の可能性を捨てているわけではない。寧ろ自分は基本的に彼らが忌み嫌う反アカデミズムの「現代音楽」の流れにいる作曲家であることに最近気づいている。

そういう私からみれば「調整への回帰」は確かに必要だとは思うが、それは決して単なる懐古趣味であってはならない。なぜならそれは時計の針を戻す以外の意味はないからである。

ただ今回の事件でアカデミズムの「現代音楽」の作曲家たちは「今のままで自分たちで本当にいいのか?」ということを自問自答するいい機会ではないかと思う。クラシックのアカデミズムという狭い世界や音楽観にとらわれず、もっと民族音楽やポピュラー音楽などを含めた広い視野で音楽というものを見る習慣をつけるべきだ。何よりも「現代音楽」という名前でも自分たちは寧ろ時代遅れの音楽を書いていることを認識すべきだ。

そのためには「俺たちは高度な芸術音楽をやっていてお前らの音楽とは格が違うんだ」 とか「商用音楽を書くのが恥ずかしい」などという傲慢な姿勢を捨てるべきである。以前の記事でも書いたように今回の事件の背景はそういったアカデミズムの「現代音楽」の作曲家の姿勢を音楽業界側につけこまれたため起きた

音楽を歪んだフィルターで見るのではなく偏見を捨て、自分が素直に感じる音楽、自分が素直に「今の音楽」と感じる音楽。そういうものを作ることを心がけるべきだ。

そうすれば道は開けてくるし、今回の事件の再発も防ぐことができるであろう。

 

3月 22, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年3月 9日 (日)

CDショップ大賞はレコード会社と完全に決別すべき

先日所用で伺えなかったが3月6日(木)、Zepp TokyoにてCDショップ大賞及びライブが行われたという。

いずれも非常に質の高いライブだったらしく、友人のI氏も四時間立ちっぱなしでも全く苦痛に感じず、楽しかったという。日本で殆ど唯一健全な音楽への授賞式といっていいだろう。運営も大変だろうが是非これを続けていただきたいものである。

念のため今年の受賞者は以下の通り

大賞           「予襲復讐」 マキシマム ザ ホルモン / VPCC-81770
最優秀新人賞 「DOPPEL」 KANA-BOON / KSCL-2315

              「僕がCDを出したら」 KANA-BOON / RCDA-1030

洋楽賞          「NEW」 ポール・マッカートニー / UCCO-3048

http://www.cdshop-kumiai.jp/?page_id=5126

ちなみに代表のS氏も喜んでいたがtwitterCDショップ大賞についてこんなつぶやきがあったという

「今ある中で一番グラミーに近いのはCDショップ大賞だろう。ここでノミネートされた作品と、レコード大賞(昔ではなく今の)やゴールドディスク大賞を比べてごらんよ。広告代理店は日本の文化をおとしめてないか?」

上記のつぶやきは一般リスナーのつぶやきだが、まさにこのツイートが全てを語っている。

ちなみに今回もレコード会社からかなりの圧力があったようである。あまりにロコツなのでここで匿名で晒そう。

「ノミネートの段階で刎ねれば良かったのに」

いちいち言う事が乱暴である。

「んな事したらこの賞は終わりですよ」
「じゃあ、やめれば」

この言葉に全てが集約されている。
とにかく面白くないのだ。この賞が盛り上がる事が。自分たちが主導していない事が。

で、更に唖然とするのが業界団体全てがこの協会に右にならえなんだね。

まあ自分たちが金を出して協賛するんだから自分たちの思い通りの賞になるのが当然だ、という感覚。

それがレコード大賞や有線大賞その他日本の主だった賞をどれだけ貶めてきたことか。

今やシロウトでもその実態を知っている。そのことを理解していないのは音楽業界関係者だけ

もはや一般リスナーから見て何の権威にもなっていない賞をもらっていくら得意気になっていてもそれは全く自己満足オナニズムに過ぎない。

その証拠にレコード大賞や有線大賞とってもそれが何の販売促進にもなっていない。その事実が全てを証明している。

勿論このような賞を維持するには当然お金がかかる。運営のためのスポンサーは絶対必要である。

しかしグラミーもオスカーもこの賞が権威がある賞を維持するために、実は製作に直接関係する業界(レコード会社、大手制作会社、エージェント会社等)がスポンサーになるのを禁止している

以下がグラミーの公式スポンサーである。この中にレコード会社を始めとする業界に直接関係する会社のスポンサー、協賛は一社もない。

http://www.grammy.com/sponsors

これはアメリカの、ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス (NARAS) の会員の純粋な得票数で決まるシステムを維持するためである。日本のようなレコード業界関係の「談合」では権威を失うということを彼らは誰よりも知っているからだ。

まあ日本の電博の体質ー強いては最近の日本企業の体質考えるとなかなかスポンサーはつきにくいとは思うが、今が正念場だと思う。とにかくこういう「公正」な賞は何とか維持されることを望むばかりである。

ちなみに2014年は一般リスナーのクラウドファンデイングで資金を募っていたが企業を協賛は難しいかもしれないが来年もこれを続けるしかないだろう。これを機にCDショップ大賞はレコード会社及び音楽業界関係者と完全に手を切ることも考えていいかもしれない。

 

 

 

3月 9, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年3月 5日 (水)

音楽をきちんと聴かなくなった日本人、「いい音楽」を自分で選べない日本人

こういうタイトルだとまた反発ーとりわけネットのヒマ人連中にとっては恰好の「荒らし」の対象になるーを受けるかもしれない。

しかし例の佐村河内事件にこだわるわけではないが、やはりあの事件が起きたこと、そしてJ-popシーンでは当たり前のように行われているゴースト強要、それら全ての背景には日本人の音楽に対する「聴き方」「選び方」というのも大きく影響していると実はいわざるを得ない。

一般のリスナーのせいにするな、などという人がいるかもしれない。しかしここに日本の現状を的確に分析された関西大学教授経済学者で音楽好きでも有名な高増明氏のThe Jouranal のインタビューを読むと、やはりそれも現在の日本の音楽状況に大きな影響を及ぼしているといわざるを得ない。

■高増明:日本のポピュラー音楽って大丈夫なの?──AKBや佐村河内守現象の背景にあるものとは
http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/ar472809

一部抜粋引用させていただく。例によってこの記事も長文になります。

<前略>

最近の日本の音楽についての危機感が感じられます

そうですね。90年代から始まって、特に2000年以降の日本のポピュラー音楽は世界の流れから完全に孤立して、ガラパゴス化しました。80年代までの日本の音楽って、おもしろくて水準も高かった。ロックだとFlower Travellin' Band 、サディスティックミカバンド、YMOやPlastics、LOUDNESS、ジャズでは渡辺貞夫、日野皓正、渡辺香津美、歌謡曲でも坂本九、ザ・ピーナッツ、沢田研二とか。世界に発信する力もありました。それが、AKBと嵐だけになってしまった理由を考えようと思いました。「きゃりーぱみゅぱみゅが世界的に人気」だとか「AKBは世界を制覇する」とかウソですよね。日本は、アメリカやヨーロッパとはまったく異なる状況になっています。

──なぜそうなったのでしょう

日本経済の停滞とそれによる社会や文化状況の引き籠り化、ガラパゴス化というのが一番大きな理由だと思います。バブルが崩壊した90年代以降、人々は不安になって、先端的なもの、ハイカルチャーと拮抗するようなサブカルチャーを楽しむ余裕がなくなってきました。企業もビジネスにならないので、切り捨てていきます。残ったのは、大衆的な嗜好に合致した音楽だけです。

それから、日本人は不安なときに他人と同じような選択をしますよね。電通は、これを「鏡衆」と呼んで、ビジネスに利用しようとしているのですが。結果として、「おたく」的なものと「ヤンキー」的なものだけが残ってしまった。このような傾向は、音楽だけではなく、アニメや政治も同じです。知性とか教養が必要な文化・思想というのは、どんどんなくなっていくというのが今の日本の状況です。「俺にはおもしろくない!」「俺は嫌いだ!」しかないわけです。簡単に判断するまえに「もっと勉強しろよ!」と思います。この点については、インターネットによってヒエラルキーが崩れたということもあるのですが、海外では客観的な評価がまだしっかり残っています

<中略>

──音楽は人気があるのに、なぜCDの売上は下がっていて、メジャーからデビューしても食えないのでしょう?

インターネットを理由にする人がいますけれど、それは間違っています。アーティストや音楽に対するリスペクト、思い入れがあればアルバムを買うはずです。
高齢化も違います。50代、60代の人は、若い世代よりも音楽に影響を受けて育ってきていると思いますが、そのような世代も音楽を聴かなくなっています。
それだけ「音楽に価値がある」と日本人が思わなくなっているということでしょう。AKBのように、CDは音楽ではなく、握手券として購入されているわけで
す。


──どうしたら、いいのでしょうか?

「良い音楽」を創り出す人が食べていけるようにすることが一番重要だと思います。今は、YouTubeなどでとりあえず何でも聞けるわけです。今の時代の
音楽は、経済学でいうところの「公共財」に近い性質をもっています。
公共財とは、たとえば道路とか公園のように、誰でも無料で消費できるし、他の人が消費
しても自分の消費に影響が及ばない財のことです(厳密に言うと、道路や公園も公共財には、あてはまりませんが)。このような財は、市場メカニズムではうま
く取引ができないのです。基本的には、政府が生産するか、政府がお金を出して民間に生産させるしかありません。音楽もそれとほとんど同じ性質を持っているわけですから、政府が音楽税のような税を徴収して、それをアーティストに分配することを考えなければいけないと思います。アーティストを育てていく努力が
必要だし、音楽は、今やそれが必要な財になってきています。

<中略>

フランスは文化を国家戦略のなかに位置づけていますから、文化に大きな支出をしています。韓国も、K-Popで「男性優位」的な国のイメージを変えることができましたよね。日本の文化予算は、フランスや韓国よりもGDPに対する比率でかなり低くなっています。

<中略>

──それに関連して、佐村河内さんの事件はどう思われますか?

あれも、日本人が音楽をちゃんと聴かなくなっているということです。現代音楽なんかやっていても食っていけないわけです。ところが、テレビが取り上げて「耳が聞こえない作曲家の美談」をつくりあげると、とたんにお金が入ってくる。著作権って登録が必要なわけではなく、曲を作った時点で、自動的にその人に与えられるわけです。ですから、著作権、正確には著作者人格権は、新垣さんにあります。新垣さんは、著作者人格権を侵害されているということになります。
ただし、著作権は譲渡できますから、お金の問題はまた別です。

日本人が「良い音楽」をどんどん聴かなくなっていて、政府もそれを保護したり支援したりする気もない。テレビに出ればお金が入ってくる。それが生んだ事件ですね。

──「良い音楽」ってあるのですか?この本のなかで批判的に取り上げられているMr.ChildrenやAKBは、「良い音楽」ではないのでしょうか?

最近の日本のヒット曲は、同じようなコードパターンで作られています。Fmaj7からG7、Em7、AmをJ-Pop王道進行と名付けた方がいるのです
が、そのような抒情的コードの進行に、日本人全体が洗脳されているところがあります。こういうパターンは海外では、ディスコやユーロビートの70年代の終わりから80年代はじめに流行ったのですが、日本だけそれが精緻化・日本化されて現在まで続いている。それでみんな感動しているというのは少し不気味です。日本のヒット曲が「悪い音楽」だというつもりはないのですが、みんな同じような曲になってきて、しかも世界とはかけ離れたものになっている。それはかなり問題だと思います。


AKBの「ヘビーローテーション」も「ドレミ、ドレミ」で「咲いた、咲いた、チューリップの花が」とあまり変わりませんよね。音域も1オクターブ、ハモリ
もなく、みんな声量がないし声も細いからユニゾンで歌う。確かにいろいろな工夫はされているのですが、音楽ってそういうものですか? なぜエイミー・ワイ
ンハウスやアデル、エミリー・サンデー、ロードは出てこないのですか? ボーカロイド(歌声合成技術)に対する過大な評価も間違っています。

──K-Popはどうですか?

全部ではありませんが、K-Popの音の作り方は、かなりアメリカのポピュラー音楽に近いものです。聴き比べてみればわかりますが、ミックスも日本のよう
に高音を過度に強調した「シャリシャリ」した音ではなく、中域に厚みがあります。したがって、アジア的感覚やルックスと洋楽的な音が好きな人はK-Pop
を聴くでしょうね。日本のポピュラー音楽はアジアのマーケットでも通用しなくなってきています。

──クールジャパンとして、政府はヴィジュアル系などを世界にプッシュしていく動きもあるようですが

本でも書いているのですが、ヴィジュアル系も閉鎖的になっています。押井守さんが最近のアニメを「コピーのコピーのコピー」と批判したのですが、ヴィジュ
アル系も次第に「コピーのコピーのコピー」になっています。海外で評価されているDIR EN
GREYは、ヴィジュアル系としてではなく、ヘビーメタルのバンドとして活動しています。そもそも政府がクールと言っているものが本当にクールなわけはな
いですよね。

<後略>

重要なポイントだけ書いたが、それでも長くなってしまった。(汗) ひとことでいって非常に日本の現状を的確にきちんと分析していると思う。

さて、くどいようだが例の佐村河内事件の件にもう少しこだわってみたい。なぜならこの件は通常のJ-popのゴーストの問題だけでなく現代音楽の世界そのものの体質の問題について(当ブログの記事で述べたとおり)、の状況だけでなく、日本人の音楽に対する考え方も残念ながら大きなファクターとして存在する。この事件は実にいろんな意味で日本の音楽の現状の諸問題が複雑にからんで起きた事件といっていい。

あれも、日本人が音楽をちゃんと聴かなくなっているということです

日本人が「良い音楽」をどんどん聴かなくなっていて、政府もそれを保護したり支援したりする気もない。テレビに出ればお金が入ってくる。それが生んだ事件ですね。

ひとことでいえば日本人は「きちんと」音楽を聴かない国民になってしまっているという点。一部の人を除いて「いい音楽」というものが自分で理解できない、自分で判断できなくなっているこれは私も感じていたことである。

はっきりいって「現代のベートーベン」(結局は嘘だったんだが)なんていうキャッチフレーズでなければあれだけ多くの人が買ったかどうか疑問だ。そして何よりもこの事件の世間の反応に大きく違和感を感じるのは、広島交響曲を始めとする実際は新垣氏が作った曲の質については誰も語らず、これによってあの作品の価値が全くなくなったかのような論調になっている点である。現代音楽の思い上がり体質云々はともかく客観的にいってあの曲は非常によくできた曲である。しかしあの事件のおかげでこの音楽の本質とは別の方向に話が行ってしまっており、誰もあの音楽の良さをこの時点で語らなくなっているという事実、。残念ながら今の日本の現状の露呈、ならびに上記の高増教授のの分析内容が正しいことを測らずも証明してるといわざるを得ない。

ただこういう状況を作った責任の多くは現在の日本の音楽産業の責任が大きい。この問題は日本人の国民性というよりは日本の音楽を制作するシステムの問題だ。上記の高増教授の分析のように日本の音楽とグローバリズム云々という話にするつもりはない。というより。そもそもクリエイテイブな面では日本のメジャーシーンは創造性の欠片も見られないほどの低いレベルだし、日本がガラパゴス状況といってもそもそも日本の独自性ーオリジナリテイなどどいう以前の問題だからだ。結局テレビのタイアップを始めとするメジャーレコードの画一的なマーケテイング戦略だけが突出して発展してしまったというのが最大の問題で、それがあまりにも長期間続いたために日本国民全体がそういう音楽マーケテイングの手法にあまりにも慣らされてしまっている、という問題も背景にある、それらによる悪影響で日本人の中に自分できちんと音楽を聴くという習慣がいつのまにかなくなってしまった、という面は否定できない。

ひとことでいえば、量を追求する音楽マーケティングが、焼畑のように文化の畑を焼き尽くしてしまったということ。画一的なマスマーケテイング(今に至ってもメジャーはこれにこだわっている)が日本の音楽文化を事実上死滅させた、といってもいいかもしれない。マーケティングとブランディングは違うのだ。かつては次の時代の音楽の温床となったはずの音楽のサブカルチャーも今は殆ど存在しない状況になっている、

なぜエイミー・ワインハウスやアデル、エミリー・サンデー、ロードは出てこないのですか? ボーカロイド(歌声合成技術)に対する過大な評価も間違っています。

これも全く同意。これもメジャーの画一的な量を追求するマーケテイングの悪弊である。

はっきりいって日本のいわゆる「メジャーレコード」の制作体制のせい、だから日本の音楽状況をよくするには日本のレコード会社全部をつぶさんとダメだ。全てをいったん更地にする。それからでないとこの状況から復活させるのは難しいかもしれない

 

 

 

 

 

3月 5, 2014 音楽11-15 | | コメント (4)

2014年3月 1日 (土)

改めて私の「現代音楽」観ー表現の可能性はもはや「現代音楽」にはない

2月はメチャクチャ忙しかったが3月に入ってようやく一段落

例の「作曲家ゴースト」問題で世間が大騒ぎしたのもつかの間、本当に日本人って熱しやすく冷めやすいというか、もう既に「過去の話題」として片づけられ始めている。

だが一応同業者がからむ問題なのでこの点だけは少しこだわって語ろうと思う。ここで問題にするのはいわゆる「現代音楽」というジャンルの音楽、それもクラシックなアカデミズムの流れに沿った「現代音楽」という様式(といっていいと思う)の音楽に対するもので、はっきりいってこの記事ではその批判記事になる。かなりどきつい表現が入っているのでそういう表現が苦手な方はこの記事を読まないでいただきたい。

もうだいぶ前になるが以前こういう記事を書いた

■なぜ私は現代音楽をやめたか
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2006/04/post_8725.html

ひとことでいえば、私が「現代音楽」をやめたのは「現代音楽」という名前ではあってもはっきりいって少しも「現代」を感じなかったからである。悪いが新垣氏ー「現代音楽」の重鎮である故三善晃氏の愛弟子だがーのやっている「現代音楽」などは私にいわせれば名前は現代でも古い時代遅れの音楽にしか思えないのだ。こんな音楽に自分の生涯をかけるのはアホらしいと思ってやめた。一言でいえばそれがやめた理由だ。

しかし一方で、じゃあこの「現代音楽」は全く意味のないものなのか?というとそれも違う。それには「現代音楽」というものをもう少し詳細に語らないと理解できないかもしれない。

ひとくちにジャズとかロックでもその中でいろんなスタイルの音楽があるのと同様、「現代音楽」といってもいろんなものがある。大きく分けると2つの流れがある。ひとつは新垣隆氏などがやっていたクラシックのアカデミズムの流れに沿った「現代音楽」であり、もう1つはそのアカデミズムの中に属さない、反アカデミズムといっていい「現代音楽」である。前者は新垣氏を始め師の三善晃、松村貞三等々、クラシック音楽の作曲技法をベースとした音楽で、後者はジョンケージ偶然性の音楽、プリペアードピアノやリビングルームミュージック(空き缶やいわゆる「楽器」でないものを楽器にする音楽)であったり、シュトックハウゼン電子音楽(今や死語だが..) ピエールシェフェール「ミュージックコンクレート」(これも死語)、イアニスクセナキスの「コンピュータ音楽(といってもmidiによるものではなく数学の情報理論や乱数使用の数学的技法による作曲)」などがある。

ステイーブライヒ
テリーライリーラモンテヤング等のミニマリズムも後者の反アカデミズムの「現代音楽」の中にいれていいだろう。

このアカデミズムの「現代音楽」反アカデミズムの「現代音楽」の間には決定的な違いがある。

それは前者はポストモダン以降の音楽に殆ど影響を及ぼさなかったが、後者は直接的ではないにせよ、ポストモダン以降や「現代音楽」「現代音楽」ではない)に何等かの形で影響を及ぼしている点である

つまり、前者のアカデミズムの「現代音楽」はクラシック音楽のアカデミズムの非常に限られた狭い世界の中で「作曲技法(これをエクリチュールという)」の複雑さを競うことを始め、そのアカデミズムの中ー云わばアカデミズム村ーの中でしか通用しない価値評価を行うため当然ながらそのアカデミズム村以外に対して影響を及ぼすことはない。ほぼ皆無といっていい。
一方反アカデミズムの「現代音楽」はジョンケージやシュトックハウゼンの「手法」がアンビエントを始めとする環境音楽、ヒーリングミュージックに影響を及ぼしている。例えば従来は「雑音」でしかなかった自然音をヒーリングミュージックでは「音楽の一部」として扱っているし、ライヒを始めとするミニマリズムはトランス系を始めとするクラブミュージックに大きな影響を与えている。最近のクラブミュージックは殆どライヒを始めとするミニマリズムをクラブミュージックの形式に焼きなおしたもの、といっても過言ではない。

つまり「現代音楽」がなければヒーリング音楽を始めとする環境音楽もクラブミュージック、テクノミュージックも存在しえなかったのである。その意味で少なくとも反アカデミズムの「現代音楽」の存在意義はそれなりにあったのである。

そのミニマリズムはブライアンイーノ「アンビエント」によってより昇華し、さらにニューヨークのニューウエーブムーブメントでローリーアンダースン(昨年亡くなったルーリードの奥さん)に発展した。私にとっての「現代音楽」はそちらを意味する。

一方、アカデミズムの「現代音楽」にはそこまでの発展性があるようには見られない。先日の記事で私が批判したように「わかりやすい音楽を書くのが恥ずかしい」「俺たちは高度な芸術音楽をやっていてお前らの音楽とは格が違うんだ」 という思い上がりがアカデミズムの「現代音楽」をやっている人たちに感じることができる。

私が問いたいのはそのような音楽に対する取り組み方で、たとえ現代では評価されなくても後世からは評価や共感をいずれされる、などと本気で考えているのか?という点である。

生前評価されなくてもいずれは評価されるー私はこれをシューベルトシンドローム、と呼んでいるが、現代のように情報やコンテンツが溢れている社会で、そんなことをもし本気で期待しているとしたら、バカとしかいいようがない。

一方反アカデミズムの「現代音楽」にしても、もう30年以上新たな表現技法を生み出していない。ステイーブライヒがミニマリズムの草分けとなる作品「ピアノフェーズ」を発表したのは1973年のこと、何と40年も前の話である。

それ以降、音楽の新たな可能性どころか、残念ながら寧ろ表現の可能性は退化した、と言われても仕方がない。

それを考えると新しい音楽の可能性を探る答えはもはやどちらの「現代音楽」の中にも見当たらない、といわざるを得ないかもしれない。

それに対する答え、それを私は作曲家として活動の中で見出そうと思ってはいる。後世の人からバカといわれるかもしれないが、でも誰かがそれをやり続けなければならない。 

■なぜ私は現代音楽をやめたか
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2006/04/post_8725.html

 

この記事での「現代音楽」というのはアカデミズムの「現代音楽」を意味し、音大の作曲科に入ろうとすると嫌でも触れる類の音楽である。この世界の人たちはアカデミズム村の中その答えが見つかると思っているかもしれないが、その可能性はたぶん殆ど0だろうと思う。そもそも他のジャンルの音楽を見下すような思い上がりを持っている限り、音楽に対する素直な聴き方など持っているはずもなく、歪んだフィルターを通した音楽は後世から評価されることはまずないであろう。

 

未来の新しい音楽ーもしそういうものが本当にあったとしてもそれは「現代音楽」の中にはない。それだけは自信を持っていうことができる。

 

 

 

3月 1, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年2月 9日 (日)

また別人作曲事件についてー「現代音楽の作曲家」の「商用音楽」への偏見を業界関係者につけこまれたのが原因

いささかこの事件、書きすぎと自分で思わないでもない
ただ音楽のジャンルが違うとはいえ、一応同業者であるという点もあり、どうしてもいろいろと思うところがある、今日の記事は以前「現代音楽」というものに関わったことがある人間としての記事を書かせていただく、というのもこの件については同業者ーとりわけクラシック系の作曲家がそれぞれの見解を述べているが、クラシック系の人たちの見解にも正直違和感を感じるのだ。

勿論新垣氏をユーザーやファンを騙した「共犯者」のようにいうのは筋違いである、という点での見解は一致している。だがそこには現代音楽系と私のようにポップスや彼らのいう「商用音楽」に関わる人間としての意識のギャップが大きいと感じた。

例えば以下の記事がある

偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ-あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

<前略>

週刊文春を手にする多くの読者が、「作曲科を出たけれど食べられず、ゴーストライターをさせられていた売れない芸術家」のように新垣君を誤解しそうな文面なので、これを真っ先に否定しておかねばなりません。

 新垣隆君は、日本で芸術音楽の作曲に関わる者で知らない人のない、彼の世代のトップランナーの1人として20代前半から注目されてきた芸術家です。

 雑誌の記事には事情を知らないライターの「分かりやすいストーリー」で「ピアノの腕前もプロ並み」などと書かれていますが、とんでもないことです。

 彼はプロフェッショナルのピアニストを養成するうえで最も高度に教育指導できるピアノの教授者で、何千人という学生が彼の教えを受けてピアノ科出身者としてプロの仕事をしています。音楽家としての彼の挌は国際的に見ても超一級の折り紙がつけられるでしょう。

<中略>

ちなみにここで、文春記事はいかにも現代の日本社会が陥りそうな誤った観点で「芸術音楽を戯画化しているので、一本釘を刺させてもらいます。こんな素人談義で新垣君のような才能にあれこれ言われては、冗談にもなりません。記事は、

 「一般人には理解しがたい不協和音を駆使する現代音楽の作曲家である以上、その作品が日の目を見ることは本人ですら想像できないのが、日本のクラシック界の現実だ」

 以下、よく聴いていただきたいのです。 私自身も含め、音楽そのものの可能性のフロンティアでものを作ろうとする作曲の人間にとっては「予定調和」をなぞるほど恥ずかしく、非創造的な「仕事のやっつけ方」はないのです。

 こういう表現で新垣君が100%合意してくれるかは分かりませんが、言わんとすることは通じるでしょう。

 世間で流通する商用の音楽は、既存の書法の使いまわしでできています。その方が耳に親しみやすいし、ヒットもする。例えば連続ドラマ「あまちゃん」の音楽はよくヒットしました。ウイットとして面白いとも想いますが、そこに専門人は独自の新たな労作を見出しません。

<中略>

数万円のギャランティで、この「断片から楽曲を組み上げ、オーケストレーションして納品する」仕事を請け負った新垣君に対して、偽ベートーベンはこんなふうに言ったそうです。

 「この作品はぼくの名前で発表したい。君の名前は演奏家としてクレジットするし、将来必ず引き上げるから、しばらく協力してほしい」

 これに対して新垣君は、

 「私は、お金とか名声が欲しいのではありませんでした。(偽ベートーベン)の依頼は現代音楽ではなく、調性音楽(和音をベースにした音楽、と注が
ついていますが、週刊文春としてこういう表現しか取れなかったのでしょう。これは誤りですが)でしたから、私の仕事の本流ではありません」

 この「私の仕事の本流ではありません」という短い一言に、多くの本質が集約しているのです。

 つまり、自分自身が一から創意を持って創作する真剣なチャレンジとしての「仕事」(ライフワーク)ではなく、初歩的な、既存の、別の表現を取れ
ば、さんざん手垢のついた既成のスタイルでの楽曲書き、これは言ってみれば、「作曲課題の<実施>」に近いものと言えるでしょう。

 音楽課題の「実施」という言葉は、受験などしたことがある人はすべて知っており、そうでない人は一切知らない「方言」の代表と思います。

<中略>

「彼の申し出は一種の息抜きでした。あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。どうせ売れるわけはない、という思いもありました」

 要するに余技ですよね。わざわざ自分の名をつけるまでもない、調性で書いた気の利いた小品。こういうのが息抜きになるのは、本当によく分かります。正直私自身も、そういう気軽な小品を書くのが嫌いでありません。また名前をつけるのに抵抗があることが少なくありません。

<後略>

長いので残りはリンク先を読んで下さい

 

この記事のいわんとしていることはわかるし、勿論私は「現代音楽」をカルトやオタクなどとは思ってはいないが、特に後半の部分に関しては現代音楽やクラシック系の人がポップスや映画、ドラマの音楽(彼らのいう「商用音楽」)に対して持つ偏見のようなものを感じるのでそれに対して一言書かせていただく

というのも今回の事件は結局その「偏見」の部分を音楽業界関係者につけこまれた結果起きた可能性が高いからである。

私は昔一時的だが現代音楽というものに関わっていた。音大の作曲家も受けようと真剣に考えていた時期があるくらいで、いわゆる現代音楽の世界も最近の事情は知らないが、まあある程度知っている。いわゆる「現代音楽」的な曲も作ったことがある。

だが私はやめてしまった。なぜやめたのかは以前の記事を読んでいただきたい。

特に私が気になるのは上記の記事で以下のコメントである

つまり、自分自身が一から創意を持って創作する真剣なチャレンジとしての「仕事」(ライフワーク)ではなく、初歩的な、既存の、別の表現を取れば、さんざん手垢のついた既成のスタイルでの楽曲書き、これは言ってみれば、「作曲課題の<実施>」に近いものと言えるでしょう。

つまり現代音楽系、クラシック系の作曲家にとって彼らのいう「商用音楽」というものは「作曲課題の実施」に過ぎない、ということ、まさにクラシック系の人たちが持つ典型的な発想、あえて言わせてもらえば偏見といっていい。私が思うにこの人たちがブライアンイーノの映像音楽や武満徹氏の書いた映画音楽について、あるいは60-70年代のロック音楽がどれだけ音楽的に斬新なことをやっていたか、それらすべての点をどこまで内容を理解した上でこのような見解を取っているか甚だ疑問である。例えば武満氏が映画「怪談」で作った音楽は現代でも最先端の感覚の音楽といってよく、今でもどうやってこれを作ったかわからないくらいである。

要するに余技ですよね。わざわざ自分の名をつけるまでもない、調性で書いた気の利いた小品。こういうのが息抜きになるのは、本当によく分かります。正直私自身も、そういう気軽な小品を書くのが嫌いでありません。また名前をつけるのに抵抗があることが少なくありません。

まさに私が問題としている点はここで「芸術音楽」をやる人間が「親しみやすい音楽を書きたいが自分の名前を出すのが恥ずかしい」なんていうこと自体既に音楽をいかに屈折して捉えているかの証明だと思う。まさに「現代音楽系」の人にありがちな商用音楽を見下すような典型的なステレオタイプな偏見である。

本来音楽は全ての人のために書くもので「エクリチュール」がわかる人だけのものではないはずだ。今回の事件はクラシック系の「商用音楽を書くのが恥ずかしい」などという思い上がりも甚だしい思考傾向もその背景にある。新垣氏が実際本当にそう思っていたかはわからないが、上記の記事を読む限りはその可能性が高い。今回の事件は現代音楽のそういう体質を逆に音楽業界連中につけ込まれた結果起きた可能性が高い。新垣氏は確かに被害者だが同時に現代音楽系の体質も問われている

実際現代音楽系の人も「新しい斬新な表現」なんて書いているが実際は「新しい音楽の芸術表現」なんてミニマリズム以来出ていないのだ。いわゆる新垣氏がいるクラシック系の「現代音楽」の世界なんてエクリチュールの複雑さのみ競い「現代音楽」という一つの形になってしまった。すでにひとつの形になってしまっていること自体、これこそ予定調和に近いし、はっきりいわせてもらえば音楽としては既に死んだ表現である。私が現代音楽をやめた理由はまさにそこにある。

文春のこの記事は

「一般人には理解しがたい不協和音を駆使する現代音楽の作曲家である以上、その作品が日の目を見ることは本人ですら想像できないのが、日本のクラシック界の現実だ」

この記事に私は同意はしない。(私自身も劇伴等で不協和音やセリー等を使う) だがあえていわせてもらえばクラシック系の現代音楽の世界の体質を考えると世間一般の人たちからこう思われても仕方がない面があることも認識すべきだ。こういう事情もあり、クラシック系の作曲家はこういう音楽業界系の事情にどうしても疎い。そのため今回のような損な役回りを何の疑問もなく受け入れてしまいがちである。そういう体質を阿漕な業界人に利用されてしまったのである。

それはこのジャンルの音楽の一般社会に対するスタンスの問題なのだ、「俺たちは高度な芸術音楽をやっていてお前らの音楽とは格が違うんだ」 そういう思い上がりが音楽に対する素直な感覚を阻害しているような気がしてならない。

勿論今のポップスーとりわけJ-popの現状は酷いものだ。確かにその意味でクラシックの世界とはある意味対極にある。しかしだからといってこの思い上がりが正当化されていいとは思わない。

芸術音楽の本来のありかたは彼らのいう「商用音楽」と芸術性を両立させた音楽を目指すべきであって、実は今歴史に残っている音楽は一部を除き殆どがそうなっている。ベートーベンなど当時は破格の作曲料を取っていたし、ストラビンスキーだって自分の作品で食うことができた。ガーシュインは「ラプソデイーインブルー」という不朽の名作を書きつつ「スワニー」というヒット曲も生み出した。ヒット曲のスワニーもかなり芸術性が高い。

本来歴史に残る音楽というのはそういうものであったはずである。「芸術音楽だ。わからん奴はバカだ」なんていう態度では後世の人からは尊重も支持もされない。

私がそういう音楽を書けるかどうかはともかく、少なくともそういうものを目指したいと思っている、できるかどうかはわからないが..

最後にこの記事はクラシック系、現代音楽系の人たちのいう「商用音楽、売れる音楽」に対する偏見について批判したもので新垣氏への批判ではないことを念をおしておく。あくまで新垣氏は今回の事件の被害者であり、彼を今回の事件の「共犯者」であるかのようにいうのはとんでもない筋違いである。

ということでこの件に関してはいささか書きすぎたので今度こそ以上終わりにさせてもらう。

 

 

 

2月 9, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年2月 7日 (金)

続、佐村河内別人作曲問題ー「図形楽譜」に関する解説と「売るためには」作曲家作詞家の人権を蔑ろにしてもかまわないという音楽業界の体質の問題

昨日の記事から本日実際に作曲した新垣氏の会見等さまざまな情報が出てきた。

結論からいうと佐村河内氏が「何もやらないで」全て新垣氏が作曲した、というのはたぶん正しくない。いや、以下の画像が事実佐村河内氏が実際本当に書いたものだとすると事情が全く違ってくる

この画像をみて「訳の分からない」「こんなの誰でもできる」とかいろいろと誤解をする人がいたようなので、そこは一応音楽の専門家の立場から違うということは云っておこう

問題となっている「指導書」だが..

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文字部分が小さくもう少し精査しないとわからない部分があるが、これは皆さんのよく知っている楽譜ではないかもしれないが、実はこれは立派に楽譜といっていい

こういうのを図形楽譜というのだが、実は現代音楽ではよくこういう楽譜を書くことがある。

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ジョンケージのFontana Mix

 

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Roman Haubenstock の3人のためのコンチェルト

何のためにこんな楽譜にするかというと、要は既存の記譜法では表現することが不可能な表現があるためであって、そのためそれを図形化して表現する。いわゆる電子音楽(もはや死語だが)の黎明期にはよく使われた手法である。

図形楽譜の読み方には決まった法則はない。それは楽譜を使った作曲家が自由に決めることができるのだが、だいたい大きくわけると3-4通りの方法がある、しかしここでは長くなるので割愛する。

佐村河内氏に関して言えば、あの様子だと音楽の専門知識はやはりオーケストラ曲を自分で書くほどには持っていないようである。しかし自分の中では「表現したい」というイメージだけは持っていてそれを表現したのが上図の「図形」のような楽譜であろうと思われる。これはいわゆる伝統的な作曲の記譜法ではないが、このように自分のイメージを表現しているという意味では立派に作曲行為といっていい。その意味では佐村河内守作曲、というのはまんざら嘘ではないのである。百歩譲ってそれをみとめなくても、実際「演奏可能」な状態にしたのは新垣氏のは事実だが、少なくとも「プロデューサー」としてのクレジットは佐村河内氏に与えてもいい内容である。

問題は佐村河内氏には自分のイメージのオーケストレーションや編曲、及び見た感じではそれほど音楽の専門知識も殆ど持っていないようである。そのためにそれを具現化できる「職人」が必要でそれが今日会見した新垣隆氏である。新垣隆氏は桐朋学園の作曲家講師らしいが、おそらく図形楽譜の解読法に一定の理解を持っている人と思われる。

つまりどういうことか?

今回の広島交響曲等の一連の作品については最初から以下のように表記すれば何の問題もなかったのである

つまり 佐村河内守 プロデユース、 作曲:佐村河内守 新垣隆 (共作)

あるいはあの図形楽譜を作曲という風にどうしても認められないというのなら     

佐村河内守 プロデユース、 作曲:新垣隆 でもよい

ところがレコード会社、あるいはこれを企画した音楽事務所はそれをしなかった。

なぜか? 今回の問題を整理しよう

1.佐村河内氏のイメージを具現化し、一部作曲といえることを行った新垣隆氏のクレジットが一切入っていなかった件

2.そして佐村河内氏は全聾の作曲家ー現代のベートーベンーという触れ込みだが実際には全聾ではなかった件

なぜこんな大嘘をついたのか?

ここに昨日述べた音楽業界の問題がある。

ひとことでいえば「話題性」を作るために誰かが仕掛けたもの。 
そのためには実際作曲した人間の人権など蔑ろにしても構わないという今の音楽業界の体質がある。

昨日の記事で作曲家、作詞家のゴースト強要などが音楽業界では当たり前のように行われている、と書いた。なぜそんなことをするかというと、「話題性」をでっちあげるために、誰でも名前を知っている、今話題になっている人が作曲(あるいは作詞)した、ということにすれば売れる可能性が高い、と音楽業界は考えているからである。

つまり一方ではいい音楽を買うのではなく「話題性のみ」でしか買わない消費者が確実に存在するという悲しい現実もあるのだ。日本人は特にこの傾向が強い。そのため作家、クリエーターの人権を蔑ろにしてでも、佐村河内氏のケースだと同氏を「現代のベートーベン」にするために全聾と偽ってまで「話題性」をでっち上げる音楽業界の体質が問題なのである。

しかしこんな業界ぐるみの人権侵害をいつまでも続けていいはずがない。無名の若手作曲家、作詞家は仕事にありつけたいために人権のない、奴隷同然の状態でもメーカーやプロダクションのいうことを聞いてしまうのである、すべては「仕事が欲しいから」である。

だが彼らがあのシステムの中に取り込まれている限り、クリエーターとして尊敬される身分になることは100%ない。いずれゴースト強要されない立場になる、などという幻想を持っていたらすぐに捨てるべきだ。なぜならそんなときは絶対に来ないからである

これがアメリカだったらゴースト強要された作家が連帯して間違いなく裁判沙汰になるだろう。日本人は大人しすぎるのだ、だからメーカーやプロダクションのトップはつけあがる。

結論からいって佐村河内氏も新垣氏も腐りきった日本の音楽業界の体質の犠牲者である

本当に悪いのは今の音楽業界そのものである。今こそメスを入れ坂本龍馬ならぬ「日本中を洗濯いたし候」を実行しなければならない。

でないと今回のようなことは必ずまた起きるであろう。

 

 

 

 

2月 7, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年2月 5日 (水)

佐村河内守別人作曲問題ーこれを機に作曲家へのゴースト強要の音楽業界の悪慣習を廃止せよ!! この問題をウヤムヤにするな!!  

作曲家の端くれとしてこの件は発言せざるを得ない

さてテレビマスメデイアでも報道されているこの事件。

■「全聾の作曲家」佐村河内守氏、別人が作曲
http://www.asahi.com/articles/ASG25343JG25UCLV003.html

「全聾(ろう)の作曲家」「現代のベートーベン」として知られる佐村河内守(さむらごうちまもる)さん(50)が、十数年前から別人の男性に頼んで作ってもらった曲を自分単独で作ったと発表してきたことがわかった。代理人の弁護士が5日、明らかにした。レコード会社は、CDの出荷停止を決めた。

CD出荷停止、公演も中止

実際作曲したのは桐朋学園の作曲学科の講師だそうだが、

はっきりいってこのニュース自体は全く驚かなかった。こんなことは20年近く前から音楽業界では「当たり前」だったわけで、これが問題になるのなら某A社とか某KT氏なんかどうなっちゃうんだろうね。そこでは当たり前のようにゴースト強要が行われていたわけで.. なぜか誰もそのことに触れないのか不思議でならない。今やシロウトでもこういうことがあることぐらい知っている。はっきりいって何をいまさら、というのが正直な印象だ、

ポップスとクラシックでは違うなどという人がいるが、ではポップスなら許されるがクラシックは許されないのか? とんでもない差別である。ジャンルこそ違えど同じ音楽をクリエイトする仕事である。何にも変わらない

もしクラシックでそういうことが起きたから深刻というのなら、だったらなおさらのことこういうゴースト強要などという音楽業界の悪慣習をこれを機会に廃絶すべく、音楽業界の実態をこれを機に徹底調査すべきだ。はっきりいおう。「有名アーチストの曲が実はゴースト」なんて例が面白いくらいに出てくるはずだ。

幸いにして私はゴースト強要するような連中とは無縁の世界で仕事をしている。今後もそういう連中とつきあうつもりなどない。だからこの件に関しては平気で発言できる。

そんな無茶苦茶なことが当たり前のように通っていたのが日本の音楽業界の実態だ。
私の感覚だとなぜ、今さら問題になるの? といいたいくらい マスコミだって今まで見て見ぬふりしてたでしょ?何で今になって騒いでいるの? といいたい

コワいのは佐村河内守氏でトカゲのしっぽ切りのように捨て、あとは音楽業界にはゴースト作家など存在しませーん、などと業界トップが白々しく抜かして問題をウヤムヤにすることだ。昨今のなんでも「臭いものに蓋」をする日本人そのものの体質を考えるとその危険性は十分にある。

それはさせてはならない。

そのためには過去強制的にゴーストにされた作曲家同志諸君

これを機に団結し声を揚げ、ゴースト強要した会社を公表しよう!!

これがアメリカだったら間違いなく裁判になり、大スキャンダルになるだろう。

だが日本人はおとなしい。「仕事できなくなる」という強迫観念のもとみんな牙を抜かれているんだな。仕事にあぶれることを恐れている。

でもねこのまま今の音楽業界にしがみついていても将来は間違いなく暗いよ。

もう業界は先が見えている。このまましがみついていてもいっしょに沈むだけ。

そしていつかゴースト強要されない身分になるかも、なんてもし期待しているんだったらその考え方は捨てた方がいい。なぜならそんな日は絶対来ないから

いいようにこき使われ、利用され、いらなくなったらぽいっと使い捨て。それがゴースト強要されている作曲家の運命

私は途中でそれに気づいた。だから離れた。二度とこいつらに関わりたくないと思った

そして今そういう連中と関わらずに音楽の仕事をしている。そしてやろうと思えばそれができる。

そもそも作曲家や作詞家の権利を平気で蔑ろにしている業界が、どの面さげて不法ダウンロード反対、とか不法コピー反対とかいっているんだ、といいたい。

だから作曲家、作詞家同志諸君、この問題を利用してどんどん声を揚げよう

いつやるの? 今でしょ。今を逃したらこんな機会は二度と来ないかもしれない。

だからこの期を逃してはならない。佐村河内守氏のトカゲのしっぽ切りで終わらせてはいけないのである。音楽業界のゴースト作家問題をウヤムヤにしてはいけないのである。

 

 

 

2月 5, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年1月27日 (月)

あまりに対照的なグラミーとレコード大賞の現状ーグラミー2014年を見て

本日アメリカ、ロサンジェレスのステイプルセンターにてグラミー賞の授賞式が行われました。主な受賞者は次の通り

最優秀レコード   Daft Punk    Get Lucky

最優秀アルバム  Daft Punk  Random Access Memories

最優秀曲      Royals   Jeff Bhasker, Pink & Nate Ruess,
                  songwriters (Pink Featuring Nate Ruess)

最優秀アーチスト  Macklemore & Ryan Lewis

最優秀ソロアーチスト  Royals

最優秀デユオ      Daft Punk    Get Lucky

あと日本人ではクラシックの分野ですが日本人のバイオリニスト五嶋みどりさんがグラミー受賞しています。
■五嶋みどりさん、グラミー賞獲得=バイオリン協奏曲演奏アルバムで
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date1&k=2014012700073

Daft Punk が三冠ですね。プロデユーサーはナイルロジャースです。大御所健在ですね。ステージでギターも弾いてくれました。

それにしても毎年グラミーはいろんなコラボレーションを見せてくれましたが今年もずいぶんやってくれました。

まあグラミーとレコ大など比べるべくもない。といいますか同じテーブルで論じること自体がはっきり言ってグラミーに失礼だと思いますが、グラミーの授賞式はエンタテインメントとしてたとえ自分が興味のない音楽ジャンルでもじゅうぶんに楽しめるのもであるのに対し、レコ大は見たあと「業界の談合」「事務所の力関係、裏取引」(今やシロウトでもそのことを知っている)などが見えてしまい、見たあと白々しさが残るだけです。演奏される曲もつまらないし見ていて楽しかったなんてのは全くありません。今までは「業界人の義務感」として見ることが多かったですが、最近は見ること自体がもはや苦痛になってきました

正直こんなものを見るくらいなら自分の好きな音楽を聴いていたり、映画を見ていた方がはるかに時間の過ごし方としては有意義だと思いますね

グラミーなどを見ていますと、見ていて楽しいだけでなく何よりも音楽を「文化として」きちんと尊重しているのを感じます。実績のあるアーチスト、伝説的なアーチスト(legend レジェンド)には惜しみない拍手をしますし、ここ一年間で亡くなったミュージシャンや音楽関係者には生前の実績に対してきちんと敬意を表します。日本のレコード大賞にはそのような雰囲気は全く感じません

日本の音楽業界で「音楽を文化として」などと云おうものなら罵倒と嘲笑がかえってきます。プロデユースした人間が文化などとハナから思っちゃいませんから、それが音楽リスナーにも伝わって「音楽離れ」を誘発する結果になっています。

いわゆる違法コピー、アップロード、ダウンロードなどは欧米の方が日本などよりはるかに深刻です。いわゆるPhysical CD(通常のCDパッケージ)の衰退も日本以上で、日本は世界でもっともPhysical CDが売れている国でもあります

にもかかわらず音楽業界としては日本より欧米の業界の方がまだ機能しているように見えるのはやはり「音楽を文化として尊重」するバックグラウンドがあるからではないでしょうか? 勿論日本の音楽業界は日本の市場しか見ていませんが欧米はハナから全世界を見ているという市場規模の違いも大きいと思います。

そんなわけで今年のグラミーも見ていてとても楽しかったですね。素晴らしいアーチストの競演も見ることができました。例えばカントリーの大御所のウイリーネルソン 80歳(!) 周囲の歌手より80歳の爺さんの方が声出ているってホントこの爺さんすごい! 今回旋風を巻き起こしたといっていいナイルロジャースのプロデユース、Daft PunkGet Luckyナイルロジャースとスティービーワンダーのコラボレーションステージで行われました。

そして今回のグラミーの最大のサプライズはこれでしょう、ポールマッカートニーとリングスターが共演しました。

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歴史的瞬間を目撃したので感動しました、ビートルズのメンバーが解散後同じステージに立つのは今日を入れて5回しかないそうです。

そしてもう1人、大御大キャロルキング! パフォーマンスだけでなくしかも受賞の発表までしてくれました。

ちなみに今日のオンエアはWOWOWでしたが、なぜ「目覚まし」にでたしょこたんこと中川翔子が出てきたのか不思議でしたが、WOWOWの筆頭株主はフジなんですね。
ステイーブンタイラーがゲスト出演中にジョンカビラが''Macklemore & Lewis''とネイティブな発音で紹介したらしょこたんがきょとんとして「まっくるもあ あんど るいす?」と聞き返したのが笑えましたwww

そんなわけで今年のグラミーも楽しませてくれました。来年もグラミーも楽しみにすると思います。でも今年の年末のレコード大賞などはたぶん見ないと思います。

 

 

 

 

1月 27, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年1月20日 (月)

音楽界の良心ー佐久間正英さんを悼む

昨年の4月に衝撃の「癌」への闘病を公表して以来、それでも日本の音楽界に関して様々な警鐘をならしておられた佐久間正英さんが、1月15日の深夜、亡くなっていたことがわかりました。

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■佐久間正英氏が逝去

http://natalie.mu/music/news/108147

佐久間正英が1月15日深夜26:17に亡くなった。61歳だった。

2013年4月にスキルス胃がんと診断され、同年8月にそれを公表してからも治療に励みつつ音楽の仕事を続けていた佐久間正英。10カ月におよぶ闘病生活
を送ってきたが、1月15日の夜に容態が急変し、そのまま静かに息を引き取ったという。葬儀は本人の遺志に従い、近親者のみでの密葬として執り行われた。

佐久間正英は四人囃子やPLASTICSのメンバーとして活躍し、その後は音楽プロデューサーとしてBOOWY(2つ目のOは/付きが正式表記)、
GLAY、JUDY AND MARYほか数多くのバンドをプロデュース。30年以上にわたり日本の音楽シーンを牽引してきた。なお、3月5日には佐久間正英が携わっている楽曲を集めた2枚組コンピレーションアルバム「SAKUMA DROPS」がリリースされることが決定している。

残念ながら佐久間さんとは直接の面識はありませんでしたが、佐久間さんの発言は当ブログにて多く引用させていただきました。昨年末一時的にプラスチックスが復活して大変もりあがった矢先だけに本当に残念です。

本当に61歳は若すぎます。
心からご冥福をお祈りいたしますと同時に、音楽の世界を良くしようという佐久間さんの遺志を我々残されたものが引き継いでいかねばならないと思います。最後まで音楽界の現状に対する警鐘を鳴らしておられました。

と同時に佐久間さんを始めとする良心的な音楽関係者の度重なる警鐘にも関わらず、現状の改革を頑ななまでに拒否するレコード会社、大手音楽制作会社に対し絶望を禁じ得ません

まさに日本の音楽界の良心、と言っていい方を失いました。

合掌

また今日は偉大な指揮者のクラウデイオ・アバードも亡くなったようです。訃報が続きます。

■指揮者のクラウディオ・アバド氏死去 80歳<
http://www.asahi.com/articles/ASG1N66G6G1NUHBI02N.html

ご冥福を改めてお祈り申し上げます。

 

 

1月 20, 2014 音楽11-15 | | コメント (0)

2014年1月17日 (金)

タイアップ状況異変!! クオリティの低いメジャー会社の音源と番組に合わない曲不要論台頭

もう昨日になるが、友人のアーチストとの打ち合わせ、その中で面白い話を聞いた。その友人アーチストはインストながら昨年地上波のニュース番組のテーマ曲タイアップを取った。そしてその取った時の話が実に面白い。

いうまでもないが、音楽事務所やレコード会社で相も変わらずタイアップを取るのに血眼になっている。そのアーチストのタイアップ番組の局はテレ朝だけどプロデユーサーの方にはくさるほどのサンプル音源が送られてきたらしい。しかしそのプロデユーサーいわく「いい音源が一曲もなかった」という。

おそらくこのプロデユーサーの元にはどこどこの事務所、あるいはどこどこのレコード会社の音源をタイアップに使えといった「圧力」が相当あったと思われるがそのプロデユーサーは全部それをはねのけ、結局プロデユーサーが「一番イメージに近い」といったその友人のアーチストの音源を使い昨年の9月から流れ、現在も流れている。

ドラマ「半沢直樹」はご存じの通り「テーマ曲」のタイアップを一切使わなかった。これは番組のイメージに合わない曲を使うくらいなら、タイアップによるテーマ曲などない方がいい、という考え方だ。

http://gendai.net/articles/view/geino/143990

演出の福澤克雄氏は、半沢直樹と同じ日曜劇場「華麗なる一族」(07年)でも、服部氏の音楽を使っていた。確かに、チャラチャラした主題歌、挿入歌がないほうが、重厚感もテンポも出る。芸能評論家の肥留間正明氏が言う。

これまでのドラマは、レコード会社とタイアップするなど、主演俳優の曲を主題歌にしたものが多かった。しかし、半沢直樹はそうした制作サイドの都合ではな
く、視聴者のためのドラマ作りにこだわっている。
それが功を奏したのだと思います。主題歌がないことで、一見地味ながら実力派俳優たちの演技をしっかりと
見られるし、引き込まれていく。裏のない『正統派ドラマ』だからこそ受けているのです」

 

そして「あまちゃん」に至っては最初からその番組のために予算もたんまり使って作った。最近いくら「お金を払ってくれる」とはいっても番組のイメージに合わないタイアップ曲を放送局の方で拒否するケースが増えている。これは非常に健全な方向に動いている証しだと思う。ちなみにその友人のタイアップは放送局に払う「協賛金」等は一切なく通常の著作物の番組使用としての著作権処理がされている。これが「本来の」当たり前のありかたなのである。他が異常なのだ。

通常はアーチストや作曲家の音源がテレビ等のメデイアに使われる場合、音源使用料と著作権使用料が発生する。そういうメデイアでの使用権の徴収をライセンシングといって日本以外の国ではアーチストや作曲家、作詞家の重要な収入源の1つとなっている。日本はタイアップの関係で事実上作曲家もアーチストもこの分野での収入減がほぼ断たれている状態であり、もう四半世紀以上それが当たり前の状態として続いている。

日本のように「お金を払って」しかもアーチストや作曲の権利金がびた一文出ない状態で「宣伝目的」で放送局に使用、しかもJASRACという公的信託機関の「公認」のもとに行われる、なんてバカなことをしている国は他にない。このことをアメリカ人に話したら「信じられない、よくアーチストは黙っているな」という驚きの反応が返ってくる。この反応の方が世界では普通なのである。日本がいかに異常な国であるかがわかるだろう。

だがこういう状況になっているのはいかに今メジャーで制作されている音楽のクオリティが低いか、ということだろうね。もうすでに地上波のテレビで「いかにもタイアップの曲」というのは視聴者から駄目だしをくらっているということ。テレビ局というのはそういうのには敏感に反応する。視聴率にモロに響くからだ。

一方では番組等のイメージに合った曲であればいわゆる「メジャー契約」のアーチストでなくても番組に使ってもらうチャンスが出てくるわけだ。つまりクオリテイの高い音源さえ作っていれば誰にでもチャンスが出てくるのである。もはや大手プロダクションやレコード会社が独占状態で囲ってもそのごり押しが通用しなくなってきているわけだ。だからその意味ではインデイースや小さな音楽事務所でも十分チャンスがある。

まあどうせ誰も聞く耳持たないだろうけど、それならいっそのこともうタイアップという奴を全てやめたらどうかね? もうお金払っても払っただけの効果はたぶんないと思うよ

 

 

 

1月 17, 2014 音楽11-15 | | コメント (2)

2013年12月31日 (火)

年末になって訃報ー大瀧詠一さん急死

年の瀬に入り2013年もあとわずか、という時期にできれば嘘であってほしい訃報が入りました。

大瀧詠一さん急死 65歳「はっぴいえんど」などで活躍
http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312310018.html

それまで洋楽一辺倒だった私が日本のバンドに興味を持たせてくれたのが「はっぴいえんど」でした。リンゴを食べているうちに倒れられたとの話ですが、直接の死因は「解離性動脈りゅう」だそうです。

まだ65歳、あまにり若すぎます。

つい最近まであんなに元気に活動していたのに...
ショックです。
ご冥福をお祈りいたします。

ミュージシャンで音楽プロデューサーの>大瀧詠一(おおたき・えいいち)さん=本名・大瀧栄一=が30日、死去したことが分かった。65歳だった。

警視庁福生署や所属レコード会社によると、30日午後5時半ごろ、自宅で果物を食べていたところ、急に倒れ、家族が119番通報した。青梅市内の病院に救急搬送されたが、解離性動脈瘤で死亡したという。通夜、葬儀などの日程は未定。

 大瀧さんは、細野晴臣さんや松本隆さんらとともにロックグループ「はっぴいえんど」で活躍。ソロに転向し、「君は天然色」「幸せな結末」などのヒット曲を出した。

 プロデューサーとしても、山下達郎さん、大貫妙子さんのシュガー・ベイブに楽曲を提供するなど活躍。松田聖子さんの「風立ちぬ」、森進一さんの「冬のリヴィエラ」、小林旭さんの「熱き心に」などもヒットした。

 

 

 

12月 31, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年12月30日 (月)

音楽業界の"今"と"これから-音楽文化、コンテンツの未来のありかたについて

2014年もいよいよ明日で終わる。

基本的には昨年、今年とやってきたことをさらにステップアップして行こうというのが基本姿勢だが、同時に今後の音楽文化のありかた、クリエーターとしてこれからの新しい音楽コンテンツはどのようなものであるべきか、について考えを構築していきたいと考えている。

そんな折昔からの音楽業界の知り合いで「ミュージックソムリエ協会」を主宰する鈴木氏がBLOGOSで音楽業界のありかたについて語ったインタビューがあるので紹介したい。

「メジャーレコード会社は、もう新曲を作るべきじゃない」〜音楽業界の"今"と"これから"
http://blogos.com/article/76769/?axis=&p=1

共感する部分が多いので以下に一部抜粋、引用させていただく

ラジオの世界でも、例えば番組で放送する曲の枠が5曲分あるとしたら、3曲は”政治”で最初から決まっていたりします。聴取者に聞いて欲しい曲だけを放送することはできない。 

鈴木私どものやっている、「ミュージックソムリエ」資格(後述)の規約の中に、「レコード会社からの金銭的インセンティブをもらってレコメンドした際は資格を剥奪する」という項目があります。1度でもやったらダメですよと。

かつては一般のリスナーも、騙されることにある種の快感を覚えていたんです。パワープレイを何十回も聞いて「ああ、今コレが仕掛けられている曲なんだな。
じゃあ聞かなきゃ」と動いた。雑誌でもテレビでもラジオでもそれが成立しました。しかし今は「ステマでしょ?」の一言で嫌われてしまう。

それを容認していたこと、そんなことやってるから音楽業界はダメになったんだという人たちもすごく増えてきています。

<中略>
こだわりを持ってアナログ盤で聞く人たちの年齢層は比較的高めなのではないかと思います。年齢層別に戦略を変えていくということでしょうか。 

鈴木そこで私達が実施している「ミュージックソムリエ」があります。やっぱり、年を重ねるにつれ、どんどん音楽からは離れていくものじゃないですか。そういう人たちに生活に寄り添った音楽との出会いの場を作る、ということができる人たちを育成するのです。

音楽はどんどん生まれてくるし、過去のアーカイブは消えていくわけでもなく膨れ上がっていく。ネットが生まれる前と後で情報流入量だけでも1000倍近くなっているそうです。とすると、聞ける音楽がどんなに莫大にあっても、何を聞いていいかわからなくなっていくだろうと。

だから、きちんとレコメンドができる人がいないといけない。今目の前にいるこの人が求めている音楽はこれでしょ、これが好きなんでしたら恐らくこちらも好きになりますよ、という知識が求められます。

<中略>
これから出てくる10代・20代の連中のために、僕らがやらなきゃいけないのはまず破壊です。破壊して、更地にしてあげること。彼らが絵を描ける状況にし
てあげること。そのためには、残しちゃいけない業界慣習は叩き潰さないといけないし、先ほど話した音楽出版社のやり口は徹底的に糾弾していこうと思いま
す。


これからのアーティストに一番重要なのは、ライブなりパフォーマンスなりができないとダメだろうということですね。感動を与えてくれるモノを作るというの
はすごく重要になっているし、そのためにコンサートにかけられる仕掛けやAR技術はますます発達していく。そこでアーティストがどういうパフォーマンスを
見せられるか。

歌えないなら歌えないでいいけど、何らかのパフォーマンスを見せて生でそこにいる感動を出すべきだし、71歳のポール・マッカートニーが1回も水を飲まな
いで38曲を歌い切るというのは鉄人ですよね。そういうものに触れたり、これから出てくるアーティストはめちゃくちゃ練習しなきゃ駄目だし、人より秀でた
何かを持たなきゃいけない。
そこだけは絶対に諦めてはいけません。

レコード会社なんてどうでもいいんです。メジャーなレコード会社から声をかけられたなんて何の意味もないし、これからはますます意味が無くなってくると思います。

今のメジャーレコード会社は、もう新曲を作るべきじゃない。今あるアーカイブをいかに商品化していくかを考えるべきで、そうなるとバカな社員なんか何百人
も要らないんですよ。そういうふうにすれば会社はやっていけるんだから、そういう組織になって、新人は全く違うデータベースをクラウドに用意して、いつで
もどこでも誰でも聞けるようにする。

そうすればその中から1歩抜け出すのは厳しく磨かれてきた奴になる。そういうことになると思うんですよね。だから、とにかくケンカして壊すのは僕らに任せておけばいい。若い子たちはひたすら良い物を作れということです

その他詳細な部分は上記のリンクで記事を読まれることをおすすめする

このブログでも音楽業界のさまざまな問題について論じてきているが、私もとうの昔にレコード会社などどうでもいい、と思っている。実際もうここ5-6年レコード会社にすら私は行っていないし、行かなくても一応おかげさんでそれなりの仕事や実績をつむことができている。

さて、最近は私自身の作品を含め音楽のありかたをどうするか、について考えることが多くなってきているので正直実は、音楽業界の構造、体質云々などははっきりいってもうどうでもよくなってきている。鈴木氏がインタビューで触れた今レコード会社や音楽事務所等の悪弊などは既に効果も薄くなってきており、殆ど意味をなさなくなってきている。私は正直そういう類の話にはもう全く興味がない。あるのはクリエーターとしてこれからの音楽作品、音楽コンテンツのあるべき姿は何か? ということだけである。

個々の表現スタイルについてはアーチストそれぞれの個性があり、方程式などない。いわゆる「売れセン」とかに沿って自分の作品を作るなどもはや全くのナンセンスである。

私はこれからのアーチスト、ミュージシャンとして成功するには少なくとも以下の条件が必要だろうと思う。

1.アーチストとして極めて個性的ー一度あったら忘れないキャラ、人間性を有していること

2.ライブの演奏能力が卓越、かつきわめて個性的であること、印象的なパフォーマンス演奏能力を有していること

3.曲、やアーチスト性そのものが「マネ」できないものであること

だからシロウト同然の作曲家が「パクリ」に追われて曲を作るようなものはすぐリスナーから駄目だしをくらうだろうし、既にそういう社会になっているかもしれない。そのためこれからの音楽家として成功するためには高い音楽的素養と個性を兼ねあわせた人間でなければならない。中途半端に歌がうまい、ギターを弾ける等々ではダメだと思う。これが今後アーチストの作品のありかたであり、芸術作品として昇華できる内容のものである。

しかし一方では音楽のありかたとしてもう1つのありかたもあるような気がしている。

日本にはカラオケ文化があるし、賛否両論あるもののボカロイドもある意味定着しつつある。それらはある意味で上記の3つの条件とは無縁に近い。例えば超絶技巧のギター演奏やCアギレラのようなボーカルの歌い方などずぶの素人がやろうとして到底できるものではない。そういった日本で生まれたユーザー(シロウト)の参加型のコンテンツのありかたも1つの可能性としては考えられる。

先日の記事で私は初音ミクはオモチャの範疇を出ていない」という発言をして初音ミクファンからかなり反発をくらったが(笑)、彼らの多くは私の文章の一節を読み落としている。つまり「初音ミクの可能性を否定するものではないが」とわざわざ書いてあるのだが、殆ど人はそこを読み落としたらしい。最近は3行以上の文章を読めない、中学生程度の文書読解力もない人間がネットで増えているのは困ったものだが、現行の初音ミクは確かにオモチャであってもシロウト参加型のコンテンツのありかたは1つの今後のありかたとしては可能性はあると考えている。

問題はそれが単なる「ゲーム。オモチャ」のレベルで終わるか、それともそれを芸術的な文化レベルまでに内容を昇華できるか、である。それは今後のクリエイテイブな発想にかかっているといえよう

その1つの試みとして新しいサウンドコンテンツのありかたを模索するウエブサイト「音のイリュージョンー錯聴トリックミュージック」を今年オープンさせた。
http://www.trick-music.com/
現行はまだコンテンツとしては未完成だがこれとユーザー(シロウト)の参加型のコンテンツのありかたをうまく融合して何か作れないか、ということも考えている。

いずれにせよここの部分についてはまだコンセプトのブレーンストーミングが必要であり私自身もまだ完全に考え方がまとまっているわけではない。試行錯誤もおおいに必要である。これによるコンテンツは従来のコンテンツのありかたとは全く違うものになろう

以前私は「もし情報革命というものが起きるとしたら、それはコンテンツの革命であろう」と当ブログにて書いた。もしかしたらこの部分が何らかの関係があるかもしれない

ただ1ついえるのは今後の新しい音楽コンテンツの可能性として、非常に高度で個性的なアーチズムの作品とユーザー参加型(参加可能なレベル)による音楽コンテンツで両極化していく、ということだろう。

情報が氾濫する社会では、いろんなことが両極化する、ということかもしれない

 

 

 

 

12月 30, 2013 音楽11-15 | | コメント (2)

2013年12月 7日 (土)

民族楽器(ケーナ)のレコーデイング

来年4月からオンエア予定の番組のテーマ曲のためのレコーデイングを本日行いました。

テレビとはいえBSでウルトラ低予算の番組、南米の旅行案内番組なんですが、いくら低予算とはいえ、公共の電波で全国オンエアですから、やはりソフトシンセだけで作ってしまうのは自分でいかがなものかと思ってました。

今回は南米ーとりわけペルーからアンデス地方の旅番組ということで、南米の民族楽器ケーナ(写真)を使いました。

Quena2

ケーナは竹でできていて日本の尺八に似た楽器です。

Quena1

ソフトシンセの尺八やレコーダーの音で代用しても、やはり本物のケーナの音とは違います。当たり前ですね。

ソフトシンセは確かに便利で低コストの音楽制作を可能にはしますが、所詮フェイクの域を出ません。昨今予算その他の事情で殆どソフトシンセやサンプリングで自宅でのPro tools作業というのがもはや90%以上を超えますが、やはり本物の音を入れると違います。

最近は俳優の田中健さんとか、ゆず、コブクロ等がケーナを使った曲を出している関係で最近ややブームになりかけていることもあって、やはりいい加減にソフトシンセのみで作る、というのはいくら低予算の仕事とはいえ、やりたくありませんでした、

番組について正式に発表できる段階になれば当ブログにて発表させていただきます。

 

 

 

 

12月 7, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年10月28日 (月)

また偉大なミュージシャンの訃報 ルー・リード死去

週明けになってのっけから信じたくない訃報が飛び込んできました。偉大なミュージシャンの訃報。今でも嘘であってほしいと思っています。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドからのファンでした。

■ルー・リードさん死去 米ロックミュージシャン 71歳
http://www.asahi.com/articles/TKY201310280001.html

1960年代から70年代に「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のリーダーとして活躍し、後のロックやパンクに大きな影響を与えたミュージシャンのルー・リードさんが27日、米ニューヨーク州サウサンプトンで死去した。71歳だった。AP通信によると、5月に受けた肝臓移植の関連の病気が原因という。

 

 ニューヨーク出身。60年代半ばからジョン・ケイルさんらと一緒にヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動し、ギターとボーカルのほか、作詞作曲も担当した。67年には、ポップ芸術家の故アンディ・ウォーホルさんの支援を受けてレコードデビュー。商業的にはほとんど成功しなかったが、「ヘロイン」「毛皮のヴィーナス」など、前衛音楽にも影響を受けたメロディーと、麻薬やセックスを正面から取り上げた歌詞を組み合わせた曲が話題となり、多くの音楽家に影響を与えた。

 70年にバンドを脱退した後もソロ活動を継続し、「トランスフォーマー」「ニューヨーク」などのアルバムを発表。日本のファンも多く、来日公演は複数回行った。

肝臓移植していたんですね。

とても残念です。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

10月 28, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年10月26日 (土)

新しい音楽配信の潮流、ライブを高音質で配信ーこれは私もやってみたい。

久々に面白い情報が入ったのでこのブログでも書かせてもらいます。i-tunes等の音楽配信とは全く違う、新たな音楽配信の潮流になるかもしれません。

■RME Premium Recording
http://www.synthax.jp/RPR/

世界中のどこかで、毎日毎晩素晴らしい演奏が行われています。
ただし、記録されて世に広められ、後世に残されるのはごくわずか。
多くの名演はその場に居合わせた人の記憶にしか残らない存在でした ─ これまでは。
RMEが提唱するMADIを活用したライブ・レコーディングは、収録にかかる機材と費用を大幅に削減し、ライブ・レコーディング作品制作への障壁を一気に下げることを可能にしました。

RMEを使用して録音された、色付けのない透明無垢なサウンドで
演奏会場の空気感さえも余すことなく録り込んだレコーディング作品を
録れたての音を産地直送さながらに、余分な加工をせずにユーザーの再生環境へ
届けることを基本理念とし、録音段階から24bit/96kHz以上の真のハイレゾ・コンテンツを
供給するために、私たちはこのレーベル ─ RME Premium Recordings ─ を設立しました。

e-onkyo music サイトから11月1日提供開始

http://www.e-onkyo.com/music/

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この機材を使ってレコーデイングするらしい

音楽の世界を知らない人は理解できないかもしれませんが、基本的にレコーデイングの世界とライブの世界は全く違う世界として扱われてきました。特に打ち込み系の音楽が中心になってからは、寧ろ打ち込みしたオケをライブに使うなど、音楽のありかたとしては寧ろ本末転倒なやりかたが主流になっていました。これには理由がありまして、ライブを高音質でレコーデイングするというのは極めて技術上難しいという背景もありました。

しかし打ち込み系の音の氾濫は音楽を画一的なものにし、あたかもファストフードか大量生産の加工食品のごとく、どこか味気ない、無味乾燥な音源を大量に氾濫させる結果にもなりました。

そのことによって音楽の本来の魅力というものが理解されなくなってきており、実際若い人の中では音楽の生演奏を殆ど間近で経験したことがない人も少なくありません。

このMADIを使ったRME Premium Recordings はそれを変える可能性があります。

音楽は本来空間芸術です。演奏される現場で経験しない限り本当の良さを理解することはできません。

長年制作現場でレコーデイング中心の仕事をやってきた私ですがピアノソロでこういう活動をしています。それはそういった背景もあるからです。

 

最新作です。短い三曲連作ですが

正直自分の演奏もこういう形で配信できる機会があればいいなと思います。やってみたいと思いますね。

音楽の醍醐味はやはりライブです。それをもっと多くの人に理解してもらうきっかけになることを期待します。

 

 

 

 

 

10月 26, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年10月19日 (土)

新しい音楽コンテンツのありかたを模索するサイト"trick-music.com" 立ち上げとその意図について

以前から少しお知らせしていた新しいサウンドコンテンツのありかたを模索するウエブサイト「音のイリュージョンー錯聴トリックミュージック」を本日オープンさせました。
http://www.trick-music.com/

これは耳の錯覚や「仕掛けのある音楽」や「音のパズル」を始めとする音楽の新しい遊び方、聴き方を提案するサイトという内容になっていますが、これだけだと単なる「音楽のクイズーお勉強」のように見えてしまうかもしれません。

しかしこのようなサイトを立ち上げた理由は大きく分けて3つあります

1.音楽に「仕掛け」を施すことにより新たな表現の可能性を模索する

きっかけはウエブサイトにも書いてありますようにトリックアートというものがあるのならトリックサウンドというものもあるはずだ、と考えたのがきっかけです。しかしアート方面と違い音楽、特に昨今の音楽はアートのようなイリュージョン、やだまし絵のような仕掛けを施される例は少なく、あってもサブリミナルのようなどちらかというとあまりよくないイメージで捉えられることが多いのが実情です。しかし私が調べていくうちに昔、特に近代までの作曲家は作品にさまざまな「仕掛け」を施し、とくに人間の耳の錯覚を利用した多くの作品を作っていたことがわかってきました。それがいつの頃からか忘れられはじめ、昨今は「売れセン」などという馬鹿げた言葉でクリエイテイビテイのかけらもない音楽が氾濫してしまいました。私はそのような風潮に異を唱え新たな音楽の創造力の可能性を復活させたいと考えています。

2.BGM=空気のような音楽の存在のありかたを見直す

昨今、街には有線放送等で音楽があふれ、音楽は「なければ寂しいが」空気のようなもの、といった意識があるように思います。つまり音楽はじっくり聴かれることはなくただ聴き流されている、といった面があるように思います。もちろんそれも音楽の1つのありかたではありますし、それを全面否定するつもりはありません。
しかしそうでないありかた、もあっていいのではないか? BGMでないありかた音楽を聞き流すのではなくーじっくり聴く、そういうありかたを見直してもいいのではないか? と考えるようになりました。

環境音楽、ヒーリングミュージックなどをたくさん作っている私がこんなことをいうのを不思議に思う方も多いかもしれません。しかも私はかつてBGMを制作する会社に所属していました。その点ではBGMというものに対する意識は普通の音楽家よりは持っていると自負しています。

実はだからこそ、私はいわゆるBGMとは違う音楽のありかたについて考えるようになったのです。

trick-music.com に展示されている「音楽パズル」「錯聴のいろいろ」各項目で遊ぶことによってその「答え」を見つけるために皆さんはそのサウンドコンテンツを「じっくり」聴かざるを得なくなると思います。実はポイントはまさにそれで現代の私たちの多くは「じっくり音楽を聴く」ということを忘れてしまっているような気がするのです。そうしたBGMではないじっくり音楽を聴き、それを味合うということを見直したい、という意図があります。

3.音と触れることによって音の文化としてのありかたを体験して欲しい

これらの「音楽パズル」等によって実際に音に触れることによって音の不思議、実際に音で遊ぶ体験をしていただければと思います。今後は「音の素材」でさまざまない遊べる仕掛けを考えていきたいと思っています。実際に皆さんが音楽に受身的に聴くのではなく実際に触って体験するインタラクテイブな音楽のありかたを作っていきたいと思います。そのための新たなコンテンツも計画中です。

そしてそのことによって、特に次の世代の子供たち、若者に創造性を養うきっかけになってくれるとうれしいですね。

「音楽なんてタダでしょう?」なんて言う人が時々います。いや、正直少なくないです。
スマフォ買うとかディズニーランド行くとかにしか金出す価値がないと思っている人に音楽文化がどうだのなどいくら言っても無駄だということは私も仕事の中で嫌というほど経験しています。今の子供達、若い人たちにはっきりいって「創造力のかけらもないのにそれをライフワークにしている人をタダだと思う限りなく下品な人間」にはなってほしくありません。

それには自分でこういう素材に触れ、遊ぶことによって自分で体験する必要があります。
trick-music.com はそのきっかけになってくれればという願いが込められています。
モノ以外には金を払わん、形のないものには金を払わん。そういう風潮が日本に真の意味の文化ー国際的に通用する文化が発展しない根本原因を作っていると考えます。クールジャパンなんていう以前にまずその意識を変えることから始めないと駄目だと思います。でないと「クールでないジャパン」という評価と嘲笑を世界中から受けるでしょう。

参考までに次の記事をご覧ください。ひどい話です。

日本の自治体が先日なくなった偉大な作家故「やなせたかし」さんにタダで作品を書かせたことが判明

■故・やなせ氏に無報酬で仕事依頼していた自治体も……吉田戦車が痛烈批判 「恥じろ」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131018-00000018-rbb-ent&1382068738

心不全のため亡くなったマンガ家・やなせたかし氏が地方自治体などから無償で仕事を依頼されていたことについて、マンガ家・吉田戦車氏が「そこに作品に対する敬意はあるのか?」とTwitter上で言及している。

 数多くのご当地キャラクターの制作も手がけていたやなせ氏。コピーライター・糸井重里氏の公式サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されている対談による
と、なんと高知県だけで50以上、全国では200ものご当地キャラを生み出したという。さらに驚くべきことには、数件を除いて全てノーギャラで依頼された
仕事だそうだ。


 やなせ氏は「俺は巨匠にならないと決めたんだから、くだらない仕事であろうとやらなくちゃいけない」とフォローし、笑い話のように語ってはいるが、「原稿料なしなの。つまりですね、すごく軽く見られてるんだよ」と衝撃的な事実を明かしている。


 吉田氏は17日、「ボランティアが適切である場合は、もちろん除いて」と補足しつつも、「あの人の『タダ働き』に甘えてきた多くの自治体とか組織は恥じ
ろ、と思いますね」と
痛烈に批判。無料で仕事を引き受け続けたやなせ氏も良くなかったと言えば良くなかったかもしれないが、「そこに甘えて描かせたほうの
気軽さはちょっといやだ」と語り、「そこに作品に対する敬意はあるのか?ってことですよな」と怒りをあらわにした。


 ネット上では、「確かに個人レベルでもデザインやイラストの仕事を『ちょっとお願い』とプロに無報酬で頼む人は多い」と吉田氏の怒りに同意する声が上
がっている。また、今年4月には、政府主催の第2回クールジャパン推進会議で、民間議員を務めるプロデューサー・秋元康氏がクリエイターに無報酬で協力を
求める趣旨の発言をした
として、物議をかもした。


 やなせ氏は、13日に心不全により94歳で亡くなった。

 

 

 

 

10月 19, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年9月13日 (金)

ドルビー研究所の「レイ・ドルビー氏」死去ー音の世界の巨人がまた一人逝く

最近はサウンド自体に興味を持つ人が減ってきたので「ドルビー」といっても特に若い人は知らない人もいるようだ。

しかしノイズリダクションや映像やDVD用のドルビーサラウンドの生みの親であり、戦後の録音技術に大きく寄与し、また強い影響を与えたレイドルビー氏が逝去したDolby Laboratoriesは発表した。

■ドルビー創設者のR・ドルビー氏、死去
http://japan.cnet.com/news/society/35037198/

Dolby Laboratories創設者のRay Dolby氏が米国時間9月12日、サンフランシスコの自宅で死去した。享年80歳だった。

 同社は、Dolby氏が近年アルツハイマー病を患っており、7月には急性白血病と診断されていたことなどを明らかにした。

 Dolby氏は、多数のオーディオ技術の発明により人々のサウンド体験に革新をもたらしたことで知られる。同氏は、ノイズリダクションに関する先駆的な研究に取り組んだほか、サラウンドサウンドを発明した。同氏は50件を超える米国特許を保有している。

 Dolby氏はインドで国連のアドバイザーとして務めた後、1965年にDolby Laboratoriesを創設した。オレゴン州ポートランド出身。若い頃にスタンフォード大学とケンブリッジ大学に学んだ。また、Ampexに勤務し、チーフデザイナーとして初期のビデオテープ録音システムの電子機器を全面的に担当していた。

実は写真を見るのは初めてなんですが、

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今の録音技術や映像の音全般はこの人なしにはなりたたなかったと思います。オスカーやエミー、グラミーの技術部門で数々を受賞しています。Dolby LaboratoriesのCEOのKevin Yeaman氏は、哀悼の意と表すとともに「Ray氏の理想は我々のインスピレーションとモチベーションの源であり続けるだろう」とコメントしています。

また今日の音楽文化に大きく寄与した巨人が逝ってしまいました。ご冥福をお祈りいたします」

 

 

9月 13, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年8月15日 (木)

安易なドラマの「タイアップ主題歌」時代の終焉

一応私は劇伴音楽とかに手を染めているのでドラマについても一定の関心を持っています。

「あまちゃん」が一大ブームを巻き起こしていますが、民放では私は見ていませんが「半沢直樹」「あまちゃん」以上の高視聴率を記録しています。

実はこの両者に共通することが一点あります。

それは「主題歌」がないことです。勿論「あまちゃん」の場合はドラマの中のアイドルがさまざまな曲を歌っていますがそれらはレコード会社がドラマに宣伝のためのタイアップとして提供するようなものではなく、完全に「あまちゃん」というドラマ用に綿密な検討を加えた上で作られたものです。だから受けているんだと思います。

そして「半沢直樹」の方にも「主題歌」はありません。それに関してこんな記事があります。

「半沢直樹」なぜ主題歌がないのか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130814-00000001-nkgendai-ent

独走状態の大ヒットドラマ「半沢直樹」。いよいよ“後半戦”に突入し、平均視聴率も30%の大台をうかがう勢いだが、素朴な疑問がある。なぜ、いわゆる「主題歌」がないのか――。

 過去の高視聴率ドラマは大抵、主題歌も話題になっていたりする。相乗効果で、ドラマの数字も伸びていた。古くは90年代の「101回目のプロポーズ」が
CHAGE&ASKAの「SAY YES」、キムタク主演「ビューティフルライフ」(00年)ならB,z「今夜月の見える丘に」、最近なら「家政婦のミタ」(11年)が斉藤和義「やさしくなりたい」などなど

で、TBSに聞いてみたら、「重厚感のある音楽で皆さまにドラマの世界を感じていただきたいと思い、服部隆之さんに音楽をお願いいたしました」(伊與田英徳プロデューサー)とのこと。

 それに演出の福澤克雄氏は、半沢直樹と同じ日曜劇場「華麗なる一族」(07年)でも、服部氏の音楽を使っていた。確かに、チャラチャラした主題歌、挿入歌がないほうが、重厚感もテンポも出る。芸能評論家の肥留間正明氏が言う。

「これまでのドラマは、レコード会社とタイアップするなど、主演俳優の曲を主題歌にしたものが多かった。しかし、半沢直樹はそうした制作サイドの都合では
なく、視聴者のためのドラマ作りにこだわっている。
それが功を奏したのだと思います。主題歌がないことで、一見地味ながら実力派俳優たちの演技をしっかり
と見られるし、引き込まれていく。裏のない『正統派ドラマ』だからこそ受けているのです」

ポイントは赤文字の視聴者のためのドラマ作りにこだわっている。という点。これはここしばらく多くのテレビ番組制作者が忘れていたことではないでしょうか?

確かに過去はタイアップ主題歌がドラマとうまく連動して大ヒットした例もありました。しかし最近のドラマタイアップ曲は明らかにドラマのイメージに全く合っていないような曲が特にここしばらくの間目立つようになりました。知り合いの方が某局のアンケートモニターをやって「タイアップ主題歌があまりにあっていないのを感想に書いたら、3週間後くらいでなくなったという例がありました。おそらく同一意見が多かったのだと思います。

これら一連のできごとはドラマのイメージに全く合っていないようなタイアップのありかたについて視聴者ならびに制作現場の人間から完全にダメだしを食らったといっていい現象だと思います。

ひとことでいえば

安易なドラマの「タイアップ主題歌」時代の事実上の終焉 

                              といっていいと思います。

これはJ-popの音楽の質の低下というのもあるだろうし、レコード会社や音楽事務所も金がなくなってきたという背景もあるだろうと思いますが、最近のタイアップのプロモーション効果の著しい低下はもはやお金をもう流し込んでもドブにお金を流すのと同じという時代がいよいよ到来したかもしれません。

私はこれは非常にいい傾向だと思います。

いっそのことこれを機会に「お金を払って主題歌を作る」などといった本末転倒なことを業界全体でやめたらどうかと思いますね。正直こんなバカなことをしているのは私の知る限り日本の音楽業界だけです。 海外では当たり前のライセンシング、つまり音楽を主題歌その他に使う場合に使用料を徴収するという本来のあるべき形に戻すべきだと思います。

それが健全な音楽業界に戻す一歩になるのでは、と思います。

 

 

 

8月 15, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年7月29日 (月)

音楽評論家が「日本の音楽評論家は信用できない」とレコ大の実情を暴露

先日の拙ブログ記事 ついに業界内で名指しの批判ー「J-POPを殺したのはソニー」 で音楽業界の体質を名指しで批判した麻生香太郎氏がまた吠えた

まあ正直いって音楽ファンの多くは既にこの実情に気づいているし我々音楽業界の人間からすればすでにわかりきっている事実である。
しかしここまで大っぴらに云えるようになったとは、もはや音楽業界もこういう声を黙らすことができなくなったのであろう。

「大手マスコミと芸能界を結ぶ「太い利権」が、ジャーナリズムを殺した」
http://realsound.jp/2013/07/post-19.html

(注;この文章ではA本氏をわざと「あまちゃん」演じた太巻の「古田氏」としている)

『スター誕生!』の時だって、審査委員長の阿久悠さんは、楽曲制作を、自分以外にも振り分けていたものです。だが、誰も番組の中心人物には逆らえない。ス
ポーツ新聞もマスコミも、「おニャン子クラブの取材をさせてもらえなくなる」という理由で一切、批判できなかった。批評眼さえなかった。今だと「GMTに
取材ができなくなるから......」ですよね。唯一『週刊文春』はスキャンダル記事を載せて、喧嘩を売っているような(逆・擦り寄りのような)微妙なス
タンスをとっていますが、本質的なところを指摘するメディアは今のところありません。こうしたマスコミの利権に縛られている状態が、まとも音楽ジャーナリ
ズムが成立しない要因のひとつになっている
と思います。

そして次の記事

『レコ大』審査員は利権まみれ! 日本の音楽評論家が信用できないワケ
http://realsound.jp/2013/07/post-22.html

 

こちらの文章はもっと生々しい。音楽業界人はわかっていても公には口をだせなかったことばかりだ。(あ、俺は口にしていたかな?)

音楽評論家も、利権に絡めとられているケースがありますからね。ボクは最近になって、「特に歌謡曲畑の音楽評論家は信じちゃだめだ」ということに気がつき
ました。なぜかと言うと、信頼を寄せていた評論家が、よーく調べるとレコード大賞(以下、レコ大)の審査員だったりするからです。

『誰がJ-POPを救えるか? マスコミが語れない業界盛衰期』では、70年代後半のテレビは接待漬けだったという主旨のことを書きましたが、あの
頃はまだやり方が"ベタ"で分かりやすかった。今は巧妙で、外からは分からなくなっている。尊敬していた音楽評論家さんが、実は何年から何年までレコ大の
審査員をやっていた――なんて記録を見ると、唖然としますね。

 ボク自身も週刊誌時代の『日経エンタテインメント』の編集をしていた頃、月1でレコード会社に呼ばれている時期がありました。仲を深めたいのだろ
うと思い、誠意を持って対応していたら、あるとき「レコ大の審査員に興味はない?」と誘われて。そのときは単純に関心がなかったので「けっこうです」と答
えたんですけど、苦虫を噛み潰したような顔をしていましたね(笑)。

 そのとき、分かったんです。「ああ、こうやって一人ひとり抱えていくんだな」と。お金に惹かれてしまう気持ちは分かるけど、信頼している人が引っかかっていると悲しいものです。音楽業界に楯突けなくなってしまうでしょう。そんな状態で、音楽評論が成り立つわけがない。

自分が実際に審査員になったわけではないから、具体的な金額は分からない。けれど、はした金であるわけがないですよね。また、先ほども申し上げたよ
うに、各レコード会社、プロダクションからの接待は、70年代から続いている。車をもらったり、お中元の箱を開けると、品物の下にお金があっ
て......なんてパターンがあるかもしれないですね(笑)。

 これら情報があまり知られていないのは、スポーツ紙や週刊誌の芸能関係のデスククラスが、レコ大の審査員を経験している――つまり、"報じない、報じられない"からなんです。そうした意味で、マスコミにも大きな問題があると言えます。

 現状、まとも音楽ジャーナリズムは日本にはないですね。ボクは『日経エンタ』において、芸能誌には頼らないメディアを作ろうと張り切っていました
が、レコード会社やプロダクションは、どうもついてきてくれませんでした。ある程度、賛成はしてくれるのですが、やはり「大きい人には逆らいたくない」と
いう気持ちがあるようでした。日本で音楽ジャーナリズムを成立させるには、ゼロからやり直さないと無理でしょうね。連続性ではなく、非連続の形で、新たに
作る必要があると思います。

<後略>

重要なポイントには赤文字や青文字で記している。拙ブログでもこの件については既に論じていると思うので今更多くは語らない。

ただ今まで私が書いていたことが決して嘘ではなかったことがこれでわかっていただければと思う。

一点だけはっきりいわせてもらう。

今の日本の音楽業界は腐りきっている!!

そしてその腐りきっている体質の中身を今ようやく大っぴらにいえるようになったということ。変な言い方だがある意味いい傾向かもしれない。

 

 

 

7月 29, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年7月27日 (土)

東京音大

私は結局音楽大学には行かなかったが東京音大は他の大学とは違う思い入れがある。

というのも自分の音楽作品の演奏のリハーサルが行われた場所だったからだ。
それは生まれて初めて自分以外の人が私の音楽作品を演奏したコンサートのためのリハーサルだったからだ。

今は私が行った当時とは異なり建物もすっかり新しくなり全く勝手がわからなくなったが..

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食堂からみたA館ロビー

確か作曲家の三木稔先生主宰のコンサートだった。そういうこともあり結構思い入れがある。

高校時代音大の作曲家を受験すべく勉強した時期があり、東京芸大や国立音大には何回か行ったが、なぜか東京音大の方が印象に残っているし自分の中でもいいイメージを持っていた。そしてその数年後、東京音大は日本の音楽教育としては革命的なことをやってのける。

それまでクラシック音楽一辺倒だった日本の音楽教育にポピュラー、ジャズ系の音楽教育のカリキュラムを導入し、カシオペアの鳴瀬さんMugenの難波弘之さん を教授に迎え「放送音楽コース」なるカリキュラムをたぶん四年制の音楽大学としては日本で初めて導入した点であろう。これを私立の音楽大学でもトップクラスのレベルだった東京音大が導入したということで音楽教育の世界は当時、蜂の巣をたたくほどの大騒ぎとなった。

Ifukube

 

その導入を決定したのが当時学長だった伊福部昭先生(写真)、そうゴジラのテーマ等の円谷プロの音楽を始め、多くの日本の映画音楽で多くの実績を作った大作曲家である。日本の映画音楽の作曲家として私が最も尊敬する作曲家の一人である。

その伊福部先生の強い意志で日本のバークレー音楽院のようなものを東京音大に作ろうと考え、プロフェッショナルな音楽家の教育にも力を入れてきた方である。そしてそれは実に見事に結実したと思う。変な話私はあと十年生まれるのが遅かったら躊躇せず東京音大に入ろうと思ったかもしれない、少なくとも芸大よりは居心地が良さそうである。

実際私の経験上も東京音大出身のミュージシャンは実に仕事がしやすい。こちらの趣旨をきちんと汲み取ろうと努力をしてくれるしさまざまな協力もしてくれる。我々作曲や編曲をやっている人間からすれば実にありがたい。それも伊福部先生の主旨ではなかったかと思っている。

正直芸大出身だとこうはいかないことが多い、芸大の連中からよく来るのは文句である、楽譜が汚い、読み辛い、弾き辛い、という文句、楽譜の記入ミスがあったり、予定通りにレコーデイングが終わらないとクレームをつけてくる

もう使い辛くてしょうがない、 勿論すべての芸大出身者がこうではないが,..

さて、なぜこんな話をしたかというと実は私の娘が今年も音大の夏期講習を受けているためである。昨年は桐朋音楽大学の夏期講習だが、今年は東京音大である。その関係で本当に〇十年ぶりに東京音大に来た。

正直職業で音楽をやっている身としてはあまり身内、特に自分の子供には音楽の道は進めたくない、正直いって今でも考え直してくれんかなとも思っている。

だが本人の意思は堅いらしい。 それだけにやむを得んかな、とも思う
私が東京音大の話をしたのをどこかで聞いたのだろう、現在第一志望が東京音大付属高校である、

それに私自身もこの道に無理矢理入ったいきさつもあるので、あまり娘に強いことは正直言いにくい。

私は最初から作曲科志望だった。自分でもなぜだかわからないが自分は作曲家になるんだ、と思っていた。不思議なことに音大ではない、普通の大学に入ってもそう思っていた。そう思い続けると結構自然にそうなるもんである。

娘はピアノ科志望である。演奏学科となると厳しいトレーニングを積まなくてはならない、楽理やソルフェージュは昨年よりは上達したが、ピアノの実技は私見ではまだまだである。(なまじっか親子だからその点をかえって話にくい)

それと比べれば作曲学科なんていい加減なものである

勿論、和声、対位法、管弦楽法というのはあるけど、結局それは自分でさまざまな習作や失敗作を作って自然に身につけるものである。

職業音楽家として仕事してもう〇十年経つが、作曲なんて大学に行ってまで勉強することだろうか? と聞かれたらたぶん今でもNOというだろう。独学でも十分に身につけることができる。

但し演奏家、ピアニストはそうはいかない

さて音高受験まであと一年半、うちの娘は東京音大付属に入学できるほど力がつくであろうか? 勿論本人次第だが

ちなみに私立の音楽大学では東京音大は現在トップといっていい。そういう大学である。

 

 

 

 

7月 27, 2013 音楽11-15 | | コメント (1)

2013年7月16日 (火)

ついに業界内で名指しの批判ー「J-POPを殺したのはソニー」

正直いって記事自体は私のこのブログを読んでいただいた方なら「何をいまさら」ということになろう。主張内容も私にいわせれば特に新しいものはない。

■「J-POPを殺したのはソニー」 知られざる音楽業界のタブー
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130715/wlf13071512010009-n1.htm

 

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麻生香太郎氏

J-POPを殺したのはソニー!?不振にあえぐ日本の音楽業界、中でも「J-POP」が抱える病巣に踏み込んだ著書「誰がJ-POPを救えるか?マスコミ
が語れない業界盛衰記」(朝日新聞出版)が話題だ。著者で音楽評論家の麻生香太郎氏
(写真)は、儲け優先に舵を切ったメーカーなど業界の構造をはじめ9項目の問題
点を指摘。「タブーに声を上げないと、音楽業界はダメになる」と話している。

この記事に意味があるとすれば、今まで業界で表だって言えなかったことが、曲がりなりにも産経新聞という一応大手といわれる新聞の記事で特定のメーカーを「名指し」した上で出ている点だろう。

 ちょっと前にこんな記事を書こうもんなら業界から永久追放ものだった。しかし今やメーカー自体にそういった「強権発動」する力はもはやなくなったことを示している。私的にはJ-popだけでなく日本の音楽文化をダメにしたのはソニーミュージックだけでなくエ〇ベック〇の二社がA級戦犯といっていいと思うのだが..(ちなみにA〇B出しているキ〇グの曲はそもそも「音楽」を売っていないから対象外www)

いずれにせよもはや業界の体すらなさなくなった音楽業界。もはや音楽評論家は元より作曲家、作詞家、ミュージシャンを満足に食わせられなくなっている現状ではどんなえらそうなことをいってももはや人はついてこないだろう。

正直いっそのこと全部つぶれて本当に一度更地になってくれた方がいいと思うのだが..

 

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7月 16, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年6月29日 (土)

音楽ファンを大事にしなくなった音楽業界ー「クラシック音楽愛好家」の集まりに参加して

先々月より制作してきた化粧品メーカー用の環境音楽ーヒーリング音楽、昨日正式に納品されました。7年前にも同じ仕事をしましたがその時は単に「サロンに流す音楽」ということでそれほど大々的なものではなかったのですが、今回は私の名前も出てしまい、しかもかなりメデイア展開も行われるようなので、正式に情報解禁になりましたら当ブログでもお知らせいたします。

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昨夜はその化粧品メーカーのプロジェクトの監修の方である美容ジャーナリストの方のお誘いで西麻布の隠れ家的なサロンにて「クラシック音楽愛好家」の集まりに伺いました。実は今回の化粧品メーカー用の音楽のプロデユーサーとはもう結構長い付き合いなんですが、こんなにもすごいクラシック音楽の愛好家であったことを今まで知りませんでした。その美容ジャーナリストの方も大変なクラシック愛好家で、打ち合わせの際にそのプロデユーサーと意気投合してその関係で今回の仕事が終わった関係で集まりに私も呼ばれたという経緯があります。

まあ私も昔は「クラシック少年」でしたし、音大も受けようとした時期があり少なくとも音大生なみのクラシック音楽の知識は持っていますが、かなりクラシックに関してはマニアックな集まりで私自身もタジタジになるくらいでしたが. しかしこういう人たちの集まりがこういう形で定期的にあるというのは驚きでもありました。

私の会社も業務で「ホール録音」を行うことがありますが、

http://www.hybridmusic.jp/hall.htm

 

最近はメジャーメーカーであまりクラシック音楽を発売しなくなった関係で、元レコード会社のデイレクターで小さいながらもクラシック音楽のレーベルを運営している人たちがいますが、今日の集まりの人たちもそういう人たちとのつながりも持っています。

音楽にお金を使わない、音楽文化というものを尊重しない人が増えているという一方でこういう人たちがまたいるというのは音楽文化にとって救いでもあると思いますね。そしてこの人たちの音楽に対するパッション、愛情を感じているうちに今の音楽業界の現状に関してますますもどかしい、というか腹立たしい思いが込みあがってきます。

要するに日本の音楽業界、メジャーメーカーはこういう音楽愛好家を蔑ろにしてきた、といってもいいからです。

マスに対して音楽を売る、というビジネスモデルに固執するあまり、音楽の質を著しく落とし、「コンペ」と称してシロウトに毛の生えたレベルの連中に曲を書かせ、あげくの果ては音楽を売るのではなく「握手券」を売るという本末転倒のことを行う、おまけにそれを批判した人間に「暴言だ」などと非難する。

当たり前ですが音楽業界というのは「音楽を売る」業界です。そして本来は音楽をこよなく愛する人たち、アーチストをこよなく愛する人たちにそれを届けるのが社会的使命のはずです。しかし音楽業界は「マスに売る」ということに、特にバブル時代以降顕著に固執しそしていまだのバブル時代のそのビジネスモデル維持に固執しています。そして残念ながら「マス」といわれる人たちの中には必ずしも音楽愛好家、音楽をこよなく愛する人たちがいるわけではありません。(まあ「音楽好きですか?」と聞かれたらそういう人たちも「好きです」と答えるでしょうけど、心底本当の意味で好きなわけではありません

そして音楽をたいして好きでもない人たちに対してしらじらしいマーケテイングを行い、それを続けていたためにリスナーも音楽に対してお金を払わなくなったり、音楽自体を蔑ろにしていく風潮が出てしまったといっていいでしょう。音楽業界衰退の原因はいろいろありますし、確かにインターネットの出現も無関係ではありません(これはいつか記事にまとめようと思います)しかし、最大の原因は音楽業界自身にあるといえます

実は今回の化粧品メーカーとの仕事で今後の音楽を始めコンテンツのビジネス展開にとって大いに参考になる点があることがわかりました。実は化粧品というのは昔から顧客へのダイレクトマーケテイングをやってきたノウハウがあり、その関係で各社独自のブランド戦略、マーケテイング戦略を持っています。日本の会社、メーカーはマーケテイングが下手といわれますが日本のさまざまな業種の中でもっとも優秀なマーケテイング戦略を持っているのは化粧品業界であるという点を今回の仕事で感じました。そしてそのマーケテイング戦略は日本の音楽を始めとするコンテンツ業界にとって間違いなく大いに参考にできる話のはずです。

この案件が情報解禁にならないとこの話はできませんのでしかるべき段階でこの点について述べようと思います。

今回のこの仕事で私自身、本当に久しぶりにヒーリング音楽の分野に手を染めましたが、この仕事をやることでいろんな意味で得たものが大きいと感じています。関係者には熱く御礼を申し上げます。

 

 

6月 29, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年6月17日 (月)

ストラビンスキー「春の祭典」初演から100年-「題名のない音楽会」の番組を見て

別に記事を書くつもりはなかったんですが、朝twitterで書いたことをもう少し詳しくという要望が私のところに来ましたので..

きっかけは本日放送の「題名のない音楽会」で本日ストラビンスキーの「春の祭典」の特集をやっていたためにそれに関してtweetを3つ書いたんですが、やはり140文字では伝えきれない部分がありましたので

このストラビンスキーの「春の祭典」は音楽史上でももっともセンセーショナルな作品でありストラビンスキーの代表作として知られていますが、ここであまりクラシック系やストラビンスキーを知らない方のために簡単な予備知識を記しましょう

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イゴールストラビンスキー(1882-1971)

ストラビンスキーはロシア生まれの作曲家で1882年にロシアのサンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れ、1908年ころにパリに移住 パリでロシア・バレエ団のために「火の鳥」「ペトルーシュカ』を発表したあと、ロシア・バレエ団のセルゲイ・ディアギレフ、、美術家で総合プロデユーサーとなったニコライ・レーリヒ、舞台美術家のレオン・バクストといった当時最新鋭の感覚を持ったクリエーターが集結して作り上げたのがこのバレエ曲「春の祭典」なわけです。

この「春の祭典」と先ほどの「火の鳥」「ペトルーシュカ』をあわせてストラビンスキーの三大バレー曲と呼ばれ、ストラビンスキーの代表作として今日まで伝えられているわけですが.. その後は新古典主義、十二音とくるくる作風を変え「カメレオン」と揶揄されるほどで、私自身も新古典主義以降のストラビンスキーの音楽は正直あまり興味ありません。ある意味「初期の作品」と呼ばれる作品が代表作となってしまっているわけで、ちょっとその辺りは少し残念な気がします。

でその「春の祭典」が初演された今年が100周年ということで本日放送のテレ朝の長寿音楽番組「題名のない音楽会」で佐渡裕、池辺晋一郎その他が出演しての番組になったわけです.

ではこの「春の祭典」がどれだけすごい曲かというとひとことでいうとそれまでの音楽の拍子、リズムの常識を全て根底からくつがえしたことです

具体的にはどういうことかというと

1.変拍子 

 従来の音楽は3拍子、4拍子、8分の6拍子などを基本でした、それ以外の拍子を変拍子といいますが、たとえ5拍子 7拍子といった変拍子でもそれは3拍子+2拍子あるいは3拍子+4拍子 といった形で分解できるものでした。しかし「春の祭典」は11拍子、13拍子などと分解不可能な拍子、リズムを多用しました。従来の「拍子」の既成概念を完全に排したものです。

2.ポリリズム 

 従来の音楽はアンサンブルでも同じ拍子、3拍子でも4拍子でも全パートが同じ拍子で演奏するのが普通でした。しかしこの「春の祭典」はあるパートは3拍子、別のパートが4拍子という楽器によって違う拍子で演奏する部分があります。当然ながら一時的にリズムはずれますが最後には合うように計算されています。これを異なるリズムが同時に演奏されるということからポリリズムといいます。

3.毎小節変拍子、違う拍子

 そしてクライマックスにもっともとんでもないことをやっています。小節ごとに拍子が違うしかも変拍子、最初が16分の11拍子、次が16分の12拍子そして16分の9拍子 etc etc

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「春の祭典」の自筆楽譜

まあこういう作品を作ったことで有名です。この作品は「リズム」についてのあらゆる可能性を特化した作品として現代のさまざまな音楽にも影響を与えたのは事実ですし、我々ポピュラー肌の人間はリズムをベースとして最初曲を作ることが多いですが、私的にはいかなるロック音楽(ハードロック、ヘビメタ含む)もクラブミュージックもまだ「春の祭典を超えた作品はないと思っています。そのくらいこの曲は強烈なリズムによる表現の作品です。

尚、この「春の祭典が強烈なリズムを持っていることから、「題名のない音楽会」の番組内で出演している音楽評論家が「春の祭典」はロック音楽にも影響を与えた、などという話がありますが、これはいささか誤解を呼ぶ表現のような気がします。確かに影響を与えた場合もあるかもしれませんが、仮に影響を与えたにしてもそれは比較的最近の話で「春の祭典を始めとするクラシック系現代音楽と「ロックの歴史」は源流からして全然別に発展してきた経緯がありますので厳密にはこの表現は誤解も呼ぶ表現ですし、正しいとはいえないと思います。まあそれだけこの「春の祭典」がリズムが強烈だということをいいたかったんでしょうが...

 

 

6月 17, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年5月24日 (金)

NHKのコンペに関する勘違い記事について

正直この手の記事はもう書くまいと思っていた。今までさんざん書いてきたし今更業界の体質を批判したところで誰も聞く耳を持たないし、書くことすらアホらしくなってきたので

だけど次の記事を読んでいたらちょっと怒りがこみあがってきたので書かざるを得なくなってきた

ヒット曲は“コンペ”が主流か
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2013_0522.html

今も歌い継がれる往年のヒット曲は、かつて「黄金コンビ」と呼ばれる作詞家と作曲家が世に送り出してきました。

<中略>

1位の「ヘビーローテーション」は3年前に発売された曲ですが、昨年度、カラオケで最も歌われ、著作権料の収入が伸びました。4位の「東京ブギウギ」は、
鈴木勝さん作詞、服部良一さん作曲のコンビで作られた往年の名曲ですが、発泡酒のコマーシャルで使われ、上位に入っています。注目すべきは、上位5位以内
のAKB48の曲は、作詞をいずれも秋元康さんが手がけていますが、作曲家はすべて違う点です。

背景にあるのは1つの楽曲を作るために、さまざまな作曲家から多くの曲を集めて選び出す、いわば「コンペティション」の方式の導入です。音楽配信が普及しはじめた10年ほど前から広がり始めたといいます。

1位になったAKB48の「ヘビーローテーション」を作曲した山崎燿さんも数々のコンペに参加してアーティストに曲を提供してきた1人で
す。「ヘビーローテーション」が誕生するきっかけは、3年前の4月、秋元康さんの事務所からの発注でした。山崎さんは、その1か月前に創作していたパンク
ロック風の曲を提供しました。山崎さんは曲の提供のいきさつについて、「発注内容がはじけた勢いのある楽曲ということでした。最初はAKBに出すには
ちょっとパンク過ぎるかなと思いましたが、おもしろいから出してみよう思いました」と振り返ります。
秋元さんは曲の採用を決めた段階で、さらに細かい注文をつけるといいます。「ヘビーローテーション」の場合は、秋元さんから「もう一つ盛り上がりを作って
欲しい」という要望を受けたため、終盤に「いつも聴いてた favorite song
あの曲のように」というメロディーの山場を加えたものを提供し、最終的に今の曲になったということです。山崎さんは、AKB48にこれまでおよそ200曲
を提供していますが、採用されたのは10曲ほど。ほかのアーティストのコンペにも参加していて、これまで稲垣潤一さんや声優の水樹奈々さんの歌で曲が採用
されるなど実績を積んでいます

<後略>

 

読んでいるうちにだんだん腹がたってきたので引用もこの辺にするけど、そもそも作曲にコンペをやること自体は別に今始まった事ではなく、だいたい20年くらい前から行われているので「何をいまさら」感がある。音楽業界がまるでコンペティションという新たな手法を選んだ、みたいな書き方だけど、はっきりいって大きな大きな間違い。(というかNHK今まで本当にそれを知らなかったのか?)

あえていわせてもらえばレコード会社のデイレクター連中が手抜いてるだけ。手抜き。もっとはっきりいえば音楽リスナーを愚弄した手法でもある。リスナーはバカばっかりと思っているから出来る手法。コンペがより良質の音楽を世に送り出すための手法なんていうのは大ウソ

美味しそうなメロディならばそれがパクリでも構わず食いつく無知蒙昧の輩の集まり。
しかもコンペに参加するのは大半がシロウトに毛の生えたような連中ばかり。しかも殆どの作家がコンペの締切まで徹夜で書き続ける奴はいない。JASRACに登録してなさそうな別の素人の作品をパクる。
上記のケースの場合はAKB用にA氏がそんな作品群(というのもおこがましい)から選ぶ。でも構わない。音楽を売ってるワケではないから。
何よりもコンペをやるのはよりいい曲を探すのではなく早い話がちょっと名の通った作家だといろいろと面倒くさいからこのやり方をやっているだけ。

それが実態。

そもそも本当にきちんとした曲を作ろうとするのなら相手の作家と会わないとだめ。それ以外はあり得ない。たとえコンペは知ってる作家たちで競わせても、コンペ参加料は払うべき。たとえ1万円でもね、
それが本来のありかた

それよりももっと重要な点の取材をこのNHKの記者は怠っている。

そもそもコンペを通った作家たちが著作権印税率最低25%確保してるのか?、という点

たぶん多くのケースで印税なんか支払われていないと思う。大勢のゴーストライターで名前だけを誰かが貸しているだけ。

それが今の音楽業界の常識とかいうやつだ

私も昔この手のコンペという奴に参加してきた。そして途中でこの実態に気づいたからこの周辺から手を引いた。
使い捨てにされるなんてまっぴらだったから。

今のAKBを始めとするコンペに参加している作曲家達は、ただ消耗されるだけ。しかもギャラらしいギャラなど支払われずに使い捨てされるだけ。それが現実。それでも参加したいと言うのならばどうぞご自由に。
ただし使い捨てされるリスクは極めて高いし、はっきり言って殆ど人権らしい人権なんかないと思った方がいい。

音楽業界は作曲家、作詞家を保護することによって成り立っているといわれているが、

現実には音楽業界が作曲家、作詞家等のクリエーターを尊重しているなんてのは大嘘である。実際コンペとはその実態の反映であり現実である。

それでも最近はこういうことを大っぴらにいえるようになった。ついこの間まではゴーストライターというのは業界では禁句だったからだ。実際この実情を訴えて業界を追放された作曲家もいる。

しかし今じゃ誰でもそういう人たちの存在を知っている。素人でも知っている。

そして業界のトップもかつてほど作家やミュージシャンたちに対して強権的な態度を取れなくなった。不幸中の幸いだが長い売上低迷でかつてのように抑えきれなくなったのである。要は金がなくなったのだ。そしてクリエーターやミュージシャンたちをもうロクに食わせられなくなったからかつてのようなえらそうな態度はとれなくなったのだ。

作家事務所に所属したことも短い期間だがある。しかしくだらないところが多すぎるんですぐにやめてしまった.
それ以来一匹オオカミでずーっと一人でやっている.。周囲からやれるわけねえだろ、なんていわれたけどおかげさんでもう20年以上やってきている、

私はそういうものから全て縁を切った。そして切ったことで逆に状況が著しく好転したのだ。今お取引いただいているクライアント様には誠心誠意、プロフェッショナルとしての仕事をきちんと全うしているつもりだし、信頼感も勝ち取っていると思う、それでいいのだ。

今では私の会社ははっきりいってそんじょそこらの音楽事務所よりクライアントさんから仕事をいただいていると思う、だからコンペなどを運営している業界のトップ連中から何と思われようがはっきりいって屁とも思わない。音楽業界自体がすでに業界の体をなしておらず、きちんとまわってすらいないのだから音楽業界の業界の常識とかに固執しても何の意味もない。

それにしてもNHKとあろうものがこんな低レベルの記事を書くとは、ちょっと驚きだ、NHK関係は結構つきあいがあるのだが...

だいたいコンペ提出された曲の大半がきちんと聴かれていないよ。採用の基準は「今の売れセン」とかそういうことだけ。それが見えてきたから私はもう7-8年くらいコンペに参加していないし、これからも参加するつもりはない

 

 

 

 

5月 24, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年5月22日 (水)

元ドアーズのレイ・マンザレックが死去

今日は朝から映像音楽の小さな仕事や打ち合わせ等で出ていたんですが帰宅してからショッキングなニュースが飛び込んできました。

Passings: Ray Manzarek of the Doors (1939 - 2013)
(ドアーズのレイ マンザレーク逝去(1939 - 2013)
http://www.vintagevinylnews.com/2013/05/passings-ray-manzarek-of-doors-1939-2013.html

元ドアーズ レイ・マンザレク氏死去 74歳(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130521/ent13052114130009-n1.htm

Rock 史上最も有名なあのフレーズ「ハートに火をつけて-Light my fire」を弾いたドアーズの名キーボーデイストでした。ロックを知らない人、ドアーズを知らない人もこのオルガンのイントロは一度は聴いたことがあるはず。

私にとってはオルガ二ストでは故ジョンロード氏(元デイープパープル)にならぶアイドルでした。

本当に残念です。
ちなみに奥さんは日系のドロシーフジカワさんで、そのせいか親日家としても知られています。
心からご冥福をお祈り申し上げます

 

5月 22, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年5月 9日 (木)

サブスクリブションや音楽ツール関係における面白い動き

しばらく音楽業界関係の話を書きませんでしたが、2つ興味深い動きがありましたのでご紹介しておきます。

まずはアメリカのミュージシャンのDIYツールである、CDbabyですが,ラジオのオンエアからPandoraやSpotifyのサブスクリブションを始め、音楽配信やライセンシングその他のロイヤルテイ回収をCDばCDbaby会員なら1アルバムごとにたった59ドル(最近のレートだと5500円くらい?)で全てやってくれる新システム、CD Baby Pro を立ち上げたという情報が入ってきました。

Cdbabyproservices

例えJASRAC未登録曲であってもアメリカの権利信託団体BMI やASCAPに自動登録してくれるというスグレモノですが、残念ながら現段階では米国内に在住している人間のみが対象、ということで残念ながらレジスターできませんでした。(T_T)

なぜそうなのか、理由が全くわかりませんがこれは、Pandora Spotify などがまだ日本国内で正式にサービスを開始していない、という点が影響をしているのでしょうか?

もしそうでしたら、当ブログでも何度も書いておりますように、Pandora Spotify の日本国内の」サービス開始を一日も早く願うしかなくなりますが、残念ながらまだ事態が流動的で、日本のメーカーは消極的な姿勢を崩してはいません。

Pandora はどちらかといいますとメジャー志向が強いのですが、CDbabyがこのサービスを開始するとなると、正直いってレコード会社はもはや不要になります。このサブスクリブションサービスが違法ダウンロードやコピーを含む諸問題を解決するのはもはや実証済にもかかわらずメーカーが消極的姿勢を崩していないのはこういう面があるからでしょうか?

確かに米国内在住者のみ、という条件が撤廃され世界中どこでもこれに参加できれば私などは躊躇せず導入いたします。

とはいえ、レコード会社がどんなに抵抗しようがこの流れはもはや変わりようがありません。

何ともう1つ、大きな動きがありました。まだ未確認情報のレベルではありますが事実であれば大きなニュースとなります。

それはYouTubeが数週間の内にサブスクリプション型サービスを開始という情報があるからです。

■YouTube、数週間の内にサブスクリプション型サービスを開始か?
http://jaykogami.com/2013/05/2028.html

YouTube は数週間の内にサブスクリプション型サービスを展開する可能性が出てきました。フィナンシャル・タイムズがレポートしています。

フィナンシャル・タイムズはサービス開始は早ければ今週中とレポートしています。Billboardの情報ソースによれば、今週ではなく数週間後だそうで、YouTubeはコンテンツクリエーターと最終的な契約の合意をまとめているとレポートしています。

サブスクリプション型サービスでは約50チャンネルが当社は視聴可能となり、各チャンネルの月額料金は1.99ドルからに設定されるそうです。サブスクリプ
ション型サービスでは、YouTubeとコンテンツクリエーターの間で収益がシェアされるモデルになる予定とのこと。ニューヨークタイムズでは、サブスク
リプション型サービスで視聴可能なチャンネルには、「音楽」「エンターテイメント」「子供向け」など多岐なジャンルがあると伝えています。

レベニューシェアは、コンテンツクリエーターの取り分は30%以下になるとBillboardはレポートします。

YouTubeの有料チャンネルでは、コンテンツクリエーターが通常のYouTubeで投稿するコンテンツとは異なるコンテンツが視聴できるようになるそうです。

YouTube
は動画投稿から動画チャンネルに注力した戦略にシフトしてきました。過去18ヶ月の間にはチャンネル戦略に2億ドル以上を投資しています。その結果、
YouTubeはユーザー数が10億人を突破する巨大な動画プラットフォームとなり、ブランドチャンネルからの広告収益を増加しています。

サブスクリプション型サービスが開始すれば、日本でも視聴可能なのでしょうか? そして日本でもサブスクリプション型サービスに参加するコンテンツクリエーターはいるのでしょうか? 世界的なプラットフォームなので、各国でどのように展開するのか、注目したいです。

 

事実とすればPandora Spotify などに対抗できる新勢力になるのは間違いありません。

音楽業界の呆れるほどの保守的な体質は当ブログにて何回も指摘してきました。特にサブスクリブションやフリーミアムに対する精神的な抵抗感はまだ凄まじいものがあります。しかしYouTubeまでがサブスクリブション導入となれば、もはやこの動きは誰にも止められないでしょう、

私は実際にPandora Spotify を使ってみてサブスクリブションサービスこそが音楽業界を再生する有効なツールである、という確信を持ちました。今こそ古いビジネスモデルに固執するのではなく新たな時代に清水から飛び降りるつもりで踏み出す時であると考えます。

 

 

5月 9, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年4月28日 (日)

マザーグースとグローバルな音楽教材

昨年からある大手楽器メーカーの海外向けの音楽教材の制作に携わっていますが、海外の音楽教室の導入開始を目前に現地の宗教的、文化的な観点から歌詞の差し替えという作業が必要になる等、追い込みに入っております。

同時進行で音楽教材の続編に入っており今回はマザーグースの曲が多いですね。このマザーグース、実はなかなかの曲者です。

もうだいぶ前の記事ですが、マザーグースというのはただの「童謡」では片づけられないほど深いものであることを述べました。

「マザーグースと紙芝居」
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2008/03/mixi6_02d2.html

マザーグースというのは英語圏に住んでいる人では知らない人はいないだけに扱いはとってもやっかいです。しかし先日の記事 コンテンツと文化ーグローバリズムとローカライズのバランス」でも書きましたが、グローバルな世界に向けて商品を制作するときは国ごとのローカルマーケットの国ごとの事情ローカリゼーションーを考慮しなければならない、と述べました。この点を理解するIT系やエコノミストが意外に少ないのが私にとって驚きですが、ローカリゼーション抜きのグローバル化というのはありえない、というのが今回の海外向けの音楽教材で実感したことです。

例えば今回もイスラム国家であるインドネシアで販売するためにイスラム教的価値観に対する配慮というのも行い、原曲の題名に「キス」とあったものを変更する等の作業を行いました。それ以外にイスラム教的価値観ではOKでもキリスト教的価値観だとNGのものがあるほど、やはりグローバルにコンテンツを出す場合にいろんな考えもしなかった問題が発生することが判明しました。少なくとも一部のグローバリストが主張するように「世界中が金太郎飴のように同じなる=グローバリズム」という考えで進めると絶対に失敗すると私は断言することができます。

しかし実はそれだけではありません。時代背景や現代の価値観に対する配慮も必要な点があります。

例えばマザーグースの"Little Polly Flinders"(かわいいポリーフリンダース)についてこういう問題が発生しました。

"Little Polly Flinders"の歌詞です。

Little Polly Flinders
Sat among the cinders
Warming her pretty little toes;
mother came and caught her,
Whipped her little daughter
For spoiling her nice new clothes

英語が苦手な方のために訳します。

かわいいポリーフリンダースが
暖炉の炭の近くにすわっていた。
足の爪先を温めるために

母親がそれを見て
服がよごれるからといって
彼女をムチでぶった

もうお気づきだと思いますが、赤文字の"Whipped=ムチでぶった"というのが現代の風潮に合わない、下手すりゃDVー幼児虐待、ととらえられかねない、ということでこの赤文字の部分"Whipped=ムチでぶった""Scolded=叱った"に変更しました。実際その変更で出しているマザーグース関係の本もあります。

まあアカデミズム系の人の中には「いかなる理由があっても原典を変えるべきではない」と考える人もいるようですが、やはり製品を作る。という観点からしますとこういうことは配慮せざるを得ないわけですね。(ちなみに指導用のマニュアルには原典通りの詞が入っています)

とにかくグローバルにコンテンツを考えるにしてもそういう時代背景、文化、宗教、あらゆることを配慮しながた制作進行をしなければならない、という事情があります。何となくコンテンツというものが簡単にできるというイメージを持っている(皆さん「そうは思っていない」と口ではおっしゃいますが実際にその扱い方を見ますと、コンテンツというものを無意識のうちに軽く考えていらっしゃる方がとても多いように思います)人が少なくないように思いますが、そんなに簡単な話ではない、ということがご理解いただければ、と思います。

 

 

 

 

 

4月 28, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年4月15日 (月)

大野恭史の最新作"So happy Dream"公開と作品とマーケテイングの背景

はい、今日一日会社やその他のウエブサイト関係の作業に追われていましたが..お約束通り今日は私大野の最新作"So Happy Dream"の公開日ということで、このブログでも公開させていただきます。

ただその前にこの曲の簡単な背景について説明させていただきます。

Relax

元々私はペットミュージック(写真)なるCDを今から10年前にビクターエンタテインメントより発売しました。これは愛犬の飼い主がいっしょにリラックスするできる「仕掛け」が施されたCDで、基本的にはヒーリング音楽なんですが、なんと「和太鼓」の単純なビートが愛犬をリラックスできる、ということを発見し、そのメソードを採用したものです。この効果は動物病院や動物行動学の権威の方に実際に研究材料としていただき、実証されたものです。

詳しい説明はyou tube,のこの動画をご覧ください。

しかしこの愛犬と飼い主のふれあいをもっとわかりやすい形で、とこのペットミュージックを企画したペット用品の代理店の方からの提案で「和太鼓」のビートというメソードをいかしつつ、ポップでおしゃれな音楽にしようということで今回の曲の制作することになりました。

P_s01

 

元々このペット用品の代理店はペットの薬用ノルバサンシャンプー(写真左)のマーケテイングをやっていた会社でして、基本的には業務用の商品なんですが、結構セレブ系の女性とかも買ったりしています。 その関係で女性をターゲットとしたマーケテイング戦略となっています。

 

 

 

 今回はこの薬用ノルバサンシャンプーの販促用インセンテイブとしてこの曲を位置づけ、薬用ノルバサンシャンプーの購入した方には無料で今回の曲"So Happy Dream"のCDがもれなくもらえることになっています。(但しwanwantownというサイトで購入した場合に限ります)つまり"So Happy Dream"薬用ノルバサンシャンプーキャンペーンソングとしても位置付けられることになります

今回の曲"So Happy Dream"のCDジャケットです。薬用ノルバサンシャンプーをご購入されますともれなくついてきます

Sohappydream_s

というわけでお待たせしました。当ブログにて私の最新作"So Happy Dream"の公開です、気に入っていただければお友達に進めていただければ幸いです。

 

"
So Happy Dream"

作曲:大野恭史
作詞:Machiko


ヴォーカルPoplin

映像デイレクター:渡辺 彰

撮影協力 
・ル プティ トノー

http://www.petitonneau.com/jp/azabu_juban/locations/shop_data/

・ラ ポルタ デイ アフロデイーテ

http://aphrodite89.com/

映像制作:(有)ハイブリッドミュージック
企画  : TNC

 

 

 

 

 

4月 15, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年4月 2日 (火)

渋谷屋根裏閉鎖に見るライブハウスを始めとする音楽業界全体の原点を忘れた「安易な道」

すでにご存じの方も多いように渋谷の老舗ライブハウスの屋根裏が閉店する。

■渋谷屋根裏が経営悪化で営業終了、存続のため協力者募集
http://natalie.mu/music/news/86977

これに関して元ミュージシャンの方(らしい)が興味深い記事を書かれているので引用させていただく

■渋谷屋根裏からライブハウス経営・サービスについて思う事
http://caltana.jp/archives/631

渋谷屋根裏に限らずですが、ライブハウス経営が苦しいのは数年前からあちこちで聞いていました。

なので驚くというより「やはりそうなったか」と思うのが正直なところ。昔からあった歴史あるライブハウスなだけに寂しい気持ちはありますし、惜しい気持ちもありますが「しょうがないかな」と思う自分もいます。

<中略>

そもそもなぜこんなにもライブハウスが増えすぎたのか。それはノルマ制という悪しき制度が日本のライブハウスに根付いてしまったから、と考えます。
ノルマというのはライブハウス側からするととても素晴らしいシステムになっていて、出演するバンドさえいればどれだけお客さんが来なくても赤字になること
はありません。出演するバンドにノルマという出演料を貰えば最低限の売り上げはたつからです。あとはお客さんが来ることによってドリンク代で稼ぎ、お客さ
んが多ければ基本的に50%はお店のプラスαの売り上げになります。

その赤字にならない経営は飲食店からすると(ライブハウスは基本的に飲食店として営業許可されています)とても魅力的な事です。もちろん立ち上げ時に音響
から防音設備などお金はもの凄くかかりますが、それが出来れば運営していくうえで売上はとてもたちやすい。ライブハウス側が経営努力をしてこなかった、と
は言いません。バンドを集めること(ブッキングすること)はとても骨の折れることだとも思います。
ライブハウス側の「客はバンド側が集めるものだろう。お客も呼べねぇバンドが悪い。」と言ってしまうのは簡単な事。それはもちろんです。お客さんを呼ぶの
はバンド側の責任でもあります。ただ自分たちが満足する曲を作ってそれをライブハウスで演奏していればいい、とは思いません。バンド側にも営業する事は必須です。しかし、ライブハウス側はブッキング以上に経営努力やサービス向上をしてきたのでしょうか。

<中略>

 

どうみても穴埋めだろうとしか考えられないようなブッキングを組まれたり、最初から明らかに機嫌が悪くて質問した事に対してどのバンドにも嫌そうに
返答をするPAの人や、バンドマンの前でスタッフ同士でその日出演している他のバンドのお客さんの悪口を言ったり、来てくれたお客さんに対して明らかに不機嫌そうな対応をする受付のスタッフ。そんな人達に

客商売舐めてるだろ!!!

と声を大にして言いたい。

自分たちの給料はどこから出ているのか。出演する側のノルマだったりお客さんが買うチケットやドリンクからではないのか。
同じ事をホテルマンやディズニーランドのキャストがやればお客さんは来なくなり、赤字経営から倒産する事は目に見えています。しかしライブハウス側はバン
ドさえ呼べればどんなに雑に扱おうが、お客さんに不愉快な思いをさせようがノルマ制である限り特に痛手をおうことはありません。

「あのライブハウスのスタッフ対応が悪いから嫌なんだよね」とお客さんが思っていても見たいバンドがそのライブハウスに出演するならば、嫌なのはそのライブハウスのスタッフだからと、ちょっと我慢してでも見に行くんです。嫌な思いをするのは分かっているのに。そんな声を何度か聞いた事があります。も
ちろんこちらも店長さんだったりブッキングを組んでくれる人にその事を言いますが、直らない場合が多いし言ったあと、またそのライブハウスに出演した時に
「あぁ、前回文句を言ってきた人だ」と明らかに嫌な顔をされます。
正直気分が悪いです。どうして安くもないノルマを払ってそんなところで嫌な思いをせにゃならんのだ、と。

<中略>

この先、渋谷屋根裏に限らず都内の多くのライブハウスが経営が難しくなり、店を閉じるところも多くなるでしょう。しかし今からでも遅くはないので、ライブ
ハウス側には今一度経営について、サービスについて見つめ直してほしい。
そして経営努力をし、スタッフ教育を行いサービス向上をしてほしい。

全く同感。

ライブ活動を一度でもやればどれも思い当たるものばかりである。

実際、どことはいわないが店員の態度悪いし、ドリンクだって不味くて飲めたもんじゃないところが多い。
また私も経験があるが、時々態度悪いPAもいる。
最初から上から目線でアーチストに接し、結果的に頼んだ音に全然仕上げない奴.

一体何様だおめえ、といいたくなる奴がいる。

こんな奴はプロのPAとは呼ばない。

結局「ノルマ制」がライブハウスをおかしくしたということができるが、ここを見るとライブハウスだけでなくラジオ、CDショップ等音楽業界の関連全般に共通する部分がある

それは「安易で簡単で確実な方法」を業界全体が選んだことによる弊害  である。

たとえばラジオは本来正規のスポンサーで成り立ち、より多くの人に聴いてもらうオーデイオメデイアであると同時に、昔は新しい音楽を「発見」できるツールとして機能してきた。それがいつのころか、レコード会社から何回オンエアして「広告費」を徴収する「編成買い」が横行しそれにともないラジオ番組のクオリテイも落ちていき、非常につまらないものになった。今一部のラジオ局を除き、大半のラジオは「誰も聴かない」メデイアになっているし、プロモーションチャンネルとしての機能を殆ど果たさなくなってきている。

音楽雑誌何かひどいもんだ。新譜の「評論」はレコード会社から「悪いことを書かれない」ようにお抱えライターのみの記事で今や音楽雑誌の新譜記事など誰も読まなくなった。もはや日本の音楽ジャーナリズムなど無くなったも同然である。

CD店は「売れセン」のみのCDのみを置き、どの店いっても同じ品揃い、店員もやる気がなく、誰々というアーチストのCDを探していると店員にいっても「自分で探してください」なんていう始末、態度も悪い。だから誰もCDショップなんかに行かなくなった。あるチェーンはCDの売り上げよりもレコード会社の販促費(コーナー作るだけで「販促費」がかなりかかる)で経営がなりたっているところがある。そんな店はもはや小売業とすら呼べないだろう。

どれも末端のユーザーではなくレコード会社の広告費、インストアライブのアーチストからの「参加費」等「安易で簡単で確実な方法」を選んだために起きたことである。

この「安易で簡単で確実な方法」のためにライブハウスもFMラジオもCDショップも「企業努力」というものを行わないで経営が成り立ってしまっている。業界全体がそのやりかたで「企業努力」やらない体質になってしまったのである。

この運営方法は経営する立場からすれば実に楽で確実な方法だ。だから業界関係者の大多数はこのやりかたに固執する。

しかしそのことによって番組。音楽、そしてサービスというものの質が著しく低下していることに業界の大多数は気が付いていない。いや気が付いていてもあたかも麻薬中毒患者のようにこの「楽で確実」なやり方にどっぷりつかってしまいここから離れられないでいる。

音楽業界が衰退している原因はここにもある。

音楽文化が落ち込んだのは結局業界のありとあらゆるシステムが「安易な経営方法」に安住し経営努力をしなくなったことだろう。

話をライブハウスに戻すがさっきの話ではないが「客商売舐めてるだろ?」といいたくなるような運営方法をやっているため客足が遠のいているのである

ノルマ制」はライブハウスのリスクは減るかもしれないが、その分経営努力のモーテイベーションを店側がなくしてしまう、それが渋谷屋根裏の閉鎖の背景にあるのではないだろうか

私も今はっきりいってライブハウスに行こうという風に思わない。よほど惚れ込んだバンドやアーチストでない限り行こうなんて思わない。
もう一度「行きたくなるライブハウス」とはどういうところか、業界全体で考え直した方がいいんじゃないか,と思う。

でないと屋根裏のようにまだまだライブハウス閉店という事態が起きるだろう

 

 

4月 2, 2013 音楽11-15 | | コメント (3)

2013年3月11日 (月)

震災から二年 犠牲者と復興への祈りを音楽に

すでにご存じのとおり今日は東日本大震災から二年の日

2011年3月11日午後2時46分にこの国に未曾有の大災害が起きました。私は仕事場で作業中でスタジオの機材を懸命におさえていたことを昨日のことのように覚えています。
そしてこの国にとんでもないことが起きたことを理解するのに時間はかかりませんでした。

あれから二年、復興は遅々として進まず、いまだ31万人の人が避難生活を強いられています。この現状に対する政府の無策被災者に対するいたわりが微塵も感じられない政府や行政の態度には大きな怒りを覚えます。

今日の2時46分、私は東北の方角に向けて立って合掌しながら黙祷しました。

しかし私は音楽家です。ブログ記事とかいろいろ書いていますが、最終的には音楽で言葉を発しなければならないと思っております。

しかし起きたことがあまりのことなので

まだ私の中で満足できる表現が浮かんできません。

12年前にニューヨークで起きた911の同時多発テロに関しては"To the victims of 911 and after "というピアノソロの曲を書きました。

しかし今回の大震災はこんなものじゃ表現しきれないのではないか、と考えています。それほどこの東日本大震災は桁違いな災害だと思います。単にこの災害が日本社会に与えた影響だけでなく、被害者の数、影響を及ぼした地域。

そもそもインストにしたらいいのか、歌(それもコーラス)にした方がいいのか。

正直上記の動画の曲も今自分が聴いたら少し稚拙な曲のようにも感じてきています。それでも上記の曲を書きあげるのに5年近い歳月を要しました。

今回はもっとかかるかもしれません。

とにかく今自分にできることは、犠牲者の冥福を祈り、被災者の方の一日も早い復興と幸せが訪れることを願ってやまないと同時に音楽家としてこの未曾有のできごとをどう表現するか、模索し続けることしかないだろうと思います。

 

 

 

3月 11, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年2月26日 (火)

企業の販促ソングのボーカル収録とTD終了ーマーケテイングやブランデイングのツールとしての音楽

以前から当ブログで記述しておりましたスポンサー会社から直の音楽制作で本日歌入れが行われました。

今回の販促ソングの目的はとあるプラスチック用品のメーカーの企業名をお客様に覚えてもらうという企業名のブランデイングを目的としています。
会社自体はプラスチック製品メーカーとして実績があるのですが、なぜか企業名を一般コンシューマーに覚えてもらっていないという観点から企業名を覚えてもらうために覚えやすい耳に残るメロデイで企業名を覚えてもらおうという趣旨で制作いたしました。

そのため覚えやすいメロとキャラクター(印象)の強いボーカリストで作るというのが絶対条件でした。今回はそのため単純で覚えやすいメロデイをぶどう÷グレープくみんこさんこと近藤久美子さんに歌っていただきました。

Kuminko

たぶんその目的は達成できたと思います。

株式会社リッチェル様 販促テーマソング

http://www.richell.co.jp/

音楽やサウンドで企業ブランド CI(コーポレートアイデンテイテイー最近はあまり使わなくなった言葉かな?)を表現するというのは昔から行われてきたことですが、私自身も古くはJ-Waveの開局時を始め「ジングル」というものをずいぶん作ってきた経験がありますが、その割にはまだ頻繁に制作されていない感じがします。

今回の一連の作業でこういうニーズ自体はまだまだ潜在的にまだまだ眠っていると思いますので、近いうちに会社のウエブサイトを更新して、もっと宣伝してこの手の事業展開を積極的に行おうと考えております。

このような広告代理店を通さない形での音楽制作は決してまだ多くはないですが、テレビやラジオのキー局経由でCMを流す、ということでない限りは必ずしも広告代理店を通す必要はありません。別に法律で広告代理店を通さなければならない、と決まっているわけではありません。寧ろ代理店を通さない分だけ安くあがります。

その意味で音楽制作に関するコンサルテイングを行うことによって、企業様のマーケテイングブランデイングのツールとして音楽や映像に関する提案を今後ともしていきたいと考えております。勿論お金をかけようと思えばいくらでもかけられますが、簡単な打ち込み系の販促ソングでよければ非常に手頃な制作費で製作可能なのでお気軽にご相談下さい。

また著作権その他についてわからない方も可能な限りわかりやすくご説明させていただきます。

よろしければこちらのページをご覧になってお問い合わせください

■弊社の音楽制作ページ(Hybrid musicの音楽制作)
  http://www.hybridmusic.jp/corporate_music.htm

お問い合わせはこちら

 

よろしくおねがいします

 

 

 

2月 26, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年2月11日 (月)

第5回グラミー2013受賞者と日本の業界についてふれ

本日日本時間で午前(現地時間では2月10日)第55回グラミー授賞式が開催されました。

主な受賞者は下記のとおり

・最優秀レコード 
Somebody That I Used To Know   Gotye Featuring Kimbra

・最優秀アルバム 
Babel  Mumford & Sons

・最優秀歌曲 
We Are Young  Fun

・最優秀新人 
Fun  

・ 最優秀ポップソロシンガー 
Set Fire To The Rain [Live]  Adele

・最優秀ポップデユオ 
Somebody That I Used To Know   Gotye Featuring Kimbra


尚、特筆すべきはグラミーの技術賞にローランドの創業者、梯郁太郎さん(83)が受賞したこと。これは今や音楽に欠かせないMidiの規格を作るのに大きな役割を果たしたことが評価されました。日本人としてはうれしいですね。

今年もいろいろと楽しませてもらいました。

 

 

2月 11, 2013 音楽11-15 | | コメント (2)

2013年2月 6日 (水)

もう1つのNAMM デジタル楽器全盛からアナログ復権へ 二者択一ではなく両者共存の時代へ

多忙な時期だったので書けませんでしたが、一週間前に恒例のNAMMがアメリカにて開催されました。典型的な記事としては

「NAMM Show 2013」ついに開幕!初日レポートその1 編(島村楽器ブログ)
http://shimamuramusic.hatenablog.com/entry/20130125/1359085254

これ以外にも詳細なレポートに興味のある方は以下のリンクをクリックしてください

例年このNAMMのレポートを読んではいますが、DAW  DTM関係からスマホで使えるmidi機器等がありますが、実際に見てきた人から話を聞きまして感じるのはアナログシンセの価値の復権の側面が強くなっている感じがします。

象徴的な内容として以下のものが揚げられます

アナログシンセの名器のプロフェットシリーズの新商品 Prophet 12(Dave Smith Instruments)

 

King Korg Synthesizer

 

 

 

Korg_index

 

 

 

http://www.korg.co.jp/Product/Synthesizer/KingKORG/

 

最近思いますのはデジタルでなく「アナログ」が復活しつつあること。実際CDから音楽配信の時代なのにアナログレコードの売り上げも伸びてきていますし、今回のNAMMも例年と比べましてもデジタル関係は勿論ありましたが、アナログシンセの新製品がかなり目立ってきた感があります、やはり没個性的なデジタルサウンドは飽きられてきたという面もあると思います。

 

これは私はとてもいい傾向だと思います。

 

但しこんな書き方をすると、私が「昔がよかった」とか「デジタルに否定的」な見解を持っていると受け取る人がいるかもしれませんが、決してそうではありません。なぜなら私は日常的にソフトシンセやDAW機器等、業務でデジタル機器を使っているからです。デジタル機器がいかに「便利」で使いやすく、またコストダウンにも有効な手段である事実は身を持って体験しています。

 

しかし一方ではデジタル機器は便利ではあるけどそれで表現の可能性が広がったわけでは決してなく、寧ろ表現が画一的になりがち個性がかえって出しにくいツールだということもわかってきたんでしょうね。人間の本性は本来アナログだしやはりアナログでないと個性的な表現ができないということもわかってきました。

 

しかし私がここでいいたいのはデジタルでなければアナログ(あるいはその逆)といった右でなければ左、白でなければ黒、という二者択一の議論をいっているのではありません。寧ろデジタルとアナログを共存させ両者を適材適所でバランスよく使い分ける必要がある、ということではないでしょうか? 

 

これは何も電子楽器に限った話ではないと思います。たとえば既存のメデイアや実生活(リアル)とインターネットでの世界(バーチャル)の両者を対立関係で見る風潮がネットでは根強くあります。最近はリア充(リアルの生活が充実している人)がネットに多くなったと「引きこもり、暇人系の人」のぼやきとか聞きますが、元々両者を二者択一の対立関係で見ようとすること自体が本来はおかしな話です。しかしインターネットでは「ネットがマスメデイアを凌駕する」とか「リアルな世界よりネットの世界の方が優っている」などといったはっきりいえばバカげた見解があたかも正論であるかのようについこの間まではいわれていました、

 

そうした見解は全くのナンセンスであります。ネットにリア充が増えてきたのはそれだけインターネットが従来のオタク系、引きこもり、暇人系中心の世界から本当の意味で一般的な社会に定着した証しでもあるわけですし、要は(リアル)(バーチャル)を対立関係に考えるのではなく、両者をバランスよく利用した生活こそがこれから重要になっているわけで、四六時中ネットにはりついているのが情報社会での健全な生活のありかたではありません。

 

話はそれましたがこうしたアナログデジタルリアルバーチャルといった相対するものを適材適所で使いこなす、ということがこれから大事になるような気がします。今回のNAMMはそのことを示しているような気がします。

 

 

 

2月 6, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年2月 5日 (火)

「自宅スタジオ」と昨今のレコーデイングスタジオの事情を鑑みて

もう1週間くらい前に連絡が来たのだが東京タワーの横のサンライズタワースタジオが閉鎖されSound City AnnexというSound Cityのスタジオになるという。
古い話だがあそこは大昔「日音スタジオ」だった。私もそこでレコーデイングしたことがあるがまたオーナーが変わることになる。しかしオーナーが変わっても存続できるだけまだマシだ。

■サウンド・シティ、タワーサイドスタジオを「Sound City Annex」として運営開始
http://www.musicman-net.com/business/23513.html

私は現在9割の仕事を自宅スタジオで行っている。予算の関係でそうせざるを得ないのだが別にやりたくてそうしているわけではない。
予算さえいただければ喜んで、Sound Cityでもビクター青山のスタジオ等、生音がふんだんに録れるスタジオで録音したいと思っている。(実際その方が録音作業は楽しい)

私はオーケストラのアレンジやビッグバンドのアレンジも可能だしミュージシャンを集めようと思えばできる。
ただそれをやるには莫大なお金がかかるから予算をいただかないとやりたくたってできない。
残念ながら日本の現在の業界状況だとそういう仕事なんてそうはない。年に一つとれただけですごいことだ。

でもソフトシンセがどんなに発展しようが、生音の録音のニーズがなくなることはない。ありえない。

しかし問題は懇意にしていたスタジオが今どんどんなくなっていることである。いざ、どうしてもそういう作業の必要性が発生しても選択肢がだんだんなくなっていく。

Sound Cityは大昔一度だけ使ったことがある、いつ使ったか覚えていないくらい昔だが、まあ知り合いがいないわけじゃないのでいざという時は考えたいとは思う。

というわけでオーケストラやビッグバンドのアレンジ、その他レコーデイングに関してご相談されたい方はお気軽にどうぞ

 

お問い合わせはこちら

 

 

 

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2月 5, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年2月 4日 (月)

完全に定着、軌道に乗った第5回CDショップ大賞2013 入賞7作品発表

さて当ブログでも陰ながら応援していました「全日本CDショップ店員組合」が選ぶ 第5回CDショップ大賞2013入賞作品&CDショップ大賞スペシャルライブ詳細発表
第5回CDショップ大賞2013入賞作品
が発表されました

http://bit.ly/WIT5Kr

業界の有力紙 Music Manでも取り上げられました

■「第5回CDショップ大賞2013」入賞7作品発表、3/7大賞発表&ライブ開催
http://www.musicman-net.com/business/23551.html

■第5回CDショップ大賞2013 入賞作品
(アーティスト名/50音順)
きゃりーぱみゅぱみゅ「ぱみゅぱみゅレボリューション」 WPCL-11079
クリープハイプ 「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」 VIZL-470
SEKAI NO OWARI 「ENTERTAINMENT」 TFCC-86389
七尾旅人 「リトルメロディ」 PECF-1052
back number 「blues」 UMCK-1434
MAN WITH A MISSION 「MASH UP THE WORLD」 CRCP-40323
米津玄師 「diorama」 DGLA-10016

そして「第5回CDショップ大賞2013」大賞作品は、上記入賞7作品の中から、3月7日にZepp DiverCity Tokyoで行われる「第5回CDショップ大賞2013 授賞式」で発表されます.

すでに関心は高くすでにマスコミ関係の取材も殺到、Yahooでも検索ワードで一次上位に入る等関心は高いようです。

もう今年で5回目、 いわゆる音楽業界筋(一部の音楽ジャーナリストやレコード会社関係者)に「自己満の大賞」とかケチョンケチョンにけなされた賞ですが、地上波のテレビとか入ってくる時点でもはや「自己満足」とはいえないと思いますが、まだ同じことをいいはるんでしょうかね?

すっかり定着しましたといっていいと思います。
音楽業界が少しずつですがよくなっているのを感じます

2月 4, 2013 音楽11-15 | | コメント (3)

2013年1月11日 (金)

週刊ダイアモンド「誰が音楽を殺したか?」を読んで

業界人仲間のSさんに教えられて普段はあまり読まないのだが週刊ダイアモンド(1月12日号)の以下の記事を読んだ。

「誰が音楽を殺したか?」

Diamond1

Diamond2

当ブログではこの音楽業界の問題について様々な観点から問題点を歯に衣を着せぬ形で指摘してきたし、その関係で一部の音楽関係者からは敵視すらされてきたわけだが、この記事では音楽業界の停滞の原因は様々な複合的な要素があるとは認めつつも、「最大の戦犯はレコード会社自身」と断じている。

その点も私がこのブログで再三再四指摘してきたことである。

しかしこの記事によると今まで既存の形態を守ることしか考えてこなかったレコード会社も、ようやく新時代にビジネスのありかたについて真剣に考え始めたらしい。10年前私が同じことをレコード会社側に云ったときには「何いってんだ、おめえ、バカじゃねえか?」などとまあこれ以上ないくらい罵倒されたが、本当に遅きに失したくらいに重い腰を上げ始めている、とこの記事は書いている。

具体的には従来の「何が何でもCDを売る」という体制から、リスナーの利便性を優先したサービスを開始し、欧米では当たり前となってきているSpotify (音楽定額聴き放題サービス)のサポートも行い。今までは二つ返事でNO! だった日本アーチストの海外への売り込みも開始するという。(具体的には「きゃりーぱみゅぱみゅ」やPerfume等) 日本のレコード会社はPandoraとも協議する動きを見せており、事実だとすればこれはアーチストにとっても音楽愛好家にとっても朗報であり、真の意味での音楽の自由化が可能になる、

 

あと従来は事務所に全てまかせっきりだったアーチスト、作曲家も意識が変わり始め自分の音楽をネットのさまざまなツールを使って「自立」し始めているという。

いずれも私はこのブログでアーチストや作曲家、クリエーターにも意識改革が必要だと再三再四主張し始めてきたが。ようやくそういう動きが本格化し始めたらしい。

もっともあくまでこのダイアモンド社のこの記事が実態を反映した記事である、という前提での話である。旧態依然の体制を守ろうという音楽業界人は依然業界の多数派を占めており、この動きがどれだけ本格化するかはまだ現段階では何ともいえない。

ただ1つだけはっきりいえるのは。今まで「メジャー」大手プロダクション「独占」してきた地上波タイアップ等のプロモーション方法はもはや全く効果の薄いものとなっており、旧体制は確実に崩れ始めている。その意味でようやく本当の意味でのチャンスが訪れようとしている、といえるかもしれない。

いわゆる既存の「メジャー」プロモーションのパイはどんどん小さくなり、もはやタイアップの広告費が回収できないレベルまで来ている。もう崩壊は時間の問題だろう。そんなもはやハイリスクローリターンとなったビジネスモデルに固執すること自体が愚かしいし、音楽文化にとってもマイナスの効果でしかない。

その意味ではやっと本格的に変えることができるチャンスが訪れたといってもいいかもしれない。

だが打開策はそう一筋縄ではいかない、一口にネットツール、ネット中心にやる、といってもそう簡単ではない。ネットに無料で音楽を流せばいい、という問題ではないためだ。

事実、音楽にとって有効なツールである、はずだったYou tubeだけで音楽産業の状況は少しも好転しなかった。

なぜYouTubeは音楽を救えなかったのか
http://www.musicman-net.com/SPPJ01/44.html

NYで活動する3チェロ+1パーカッションのインスト・バンドの名だ。合衆国連邦議会に提出した証言集で、彼らはインディーズを代表して
Pandora陣営を支持した。理由は簡単だ。Pandoraがきっかけで売れるようになったからだ。CDアルバムの売上は3倍、デジタル
アルバムの売上は4倍になったという。アメリカにおけるインディーズのシェアは3割だが、Pandoraでは7割を占めるサイレントマジョ
リティだ(連載第26回)。

彼らは、Facebookでを対象にアンケートを取った。Break of Realityにイイネをつけた7,500人が対象だ。結果は、これからのプロモーションを示唆しているように思う。

1位 Pandora等、ネットラジオで知った・・44%
2位 ライブで観て知った ・・・・・・・・31%
3位 Facebook等で、友だちから知った ・・15%
4位 YouTube等で知った ・・・・・・・・・9%

YouTubeの順位が低い理由は、日本の現状を振り返れば十分、想像がつくだろう。

YouTube
の登場時、「これからはマスメディアが無くても、新人がどんどん出てくる」と言われたが、この予想は外れた。無名バンドの場合、YouTubeに掲載した
だけでは、何も起こらないからだ。YouTube単体では、Pandoraのように楽曲とリスナーのマッチングが発生しない。

ここで忘れてはならないのは、ネットにしろ、このブログでも紹介したさまざまなネットツールにせよ。所詮は「手段」でしかない、ということだ。ネットを語る時に1つの落とし穴として「ネットである手段」があたかも全てであるかのような話し方をされることがあまりにも多すぎる。

メジャーのチャンネルを使えない以上、ネットというメデイアは必要だ。だがネットにコンテンツをたれ流せばいいというものではない。

日本でのPandoraのサービスは私も首を長くして待っているが(現段階ではアカウントすら取れず、自分の音源をPandorasubmitしたくてもできない状態) いずれにせよ有効なネットの活用方法を考えながら進める必要性はあるだろう。

いずれにせよ、2013年の日本の音楽業界、ひょっとしたらようやく本格的に変化し、大きなチャンスが訪れる可能性はあるかもしれない、

 

 

1月 11, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2013年1月 5日 (土)

ワーグナー生誕二百年とワーグナーの音楽

今年は19世紀の偉大な作曲家のひとりであるリヒャルトヴァーグナー(1813-1883)の生誕二百年にあたります。

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実は昨年末、とあるクラシック系の音楽事務所の依頼でヴァーグナーのあまり知られていない曲(たぶん日本では演奏されていない)の資料用にオーケストラの打ち込みを行いました。この仕事は単にmidi打ち込みの技術だけでなく、クラシックオーケストラの楽譜も読む能力が要求されるために私に依頼が来たのですが、その打ち合わせのさなかにその話が出て気づきました。

ヴァーグナーは19世紀では後世の多くの作曲家に影響を与え、バッハ、モーツアルト、ベートーベンに匹敵する大作曲家としての評価を得ていますが、同時に生前のユダヤ教徒に対する差別発言やその音楽がナチスに利用された、という不幸な歴史があるためにややダークなイメージも付きまといます。
 特にヒトラーがローエングリーンやタンホイザーを非常に好んでいたこと、そして宣伝相のゲッペルス(この人は現代のテレビCMは殆どゲッペルスの手法を踏襲したものです)がヴァーグナーの音楽を非常に効果的に演出に利用し、当時のドイツ国民の「洗脳」を巧みに行ったという人類にとって負の歴史にからんでしまったため、どうしてもヴァーグナー イメージ的に良くない面があります。

勿論、それは別にヴァーグナーの責任ではありません。非難されるべきはあくまでナチスなわけですが、しかしヴァーグナーの音楽には確かに人間の心情を高揚する要素があることも事実です。フランシスコッポラの映画の名作「地獄の黙示録」ヴァ―ルキューレが戦場のシーンに効果的に使われていましたがやはりヴァーグナーの音楽にはそういう人間の気分を高揚させる何かをもっていることを示しています

特に今までのオペラを「音楽による劇楽劇」という全く新しいジャンルを確立し、音楽だけでなく台本やビジュアル的な演出まで全て行った例は過去のオペラにはないものです。最晩年の傑作「パルシファル」はいまだにバイロイト以外での公演はできないくらい綿密に劇場と演出が不可分なものになっています。

ヴァーグナー楽劇は神話や中世の騎士等によるファンタジーになっており、一度その世界に引き込まれるとまさに虜になります。あまりにも有名な例はバイエルン国王ルートヴィヒ2世ヴァーグナーの音楽に心酔しついには国家予算の大半をつぎ込んでしまう事態を作ってしまいます。

私の見るところヴァーグナーの音楽には「オタク」的な要素があるように思います。ワグネリアンという言葉がありますが、要するにヴァーグナーオタクです。実際ヴァーグナー楽劇ファンタジーはまさにRPG(ロールプレイングゲーム)のようであり、一度その世界の虜になったら最後、もうやみつきになります「ニーベルングの指環』なんかRPGの世界そのものだと思いますね。

私の大学の友人で普段は普通のサラリーマンで物静かな男なのですが、ヴァーグナーの音楽になると目つきが変わり熱弁をふるい、そして毎年必ずバイロイトにまで出かけていくという、まあヴァーグナーオタクもここまでくれば、という人間がいますが、おそらくバイエルン国王ルートヴィヒ2世もこれに近かったんじゃないでしょうか?

もしヴァーグナーが現代に生きていれば間違いなくRPGを作っていたでしょうね。それもゲーム音楽じゃ飽き足らず自分でゲームの台本から全て作り、自らプロデユーサーになっていたことでしょう。ドラクエやファイナルファンタジーなんか目じゃない新たなゲームを創造していたかもしれません。

その意味ではヴァーグナー「オタク」の先駆けだったかもしれないですね。

まあ生誕二百年、何年か前のモーツアルトなみ、いやそれ以上にクラシックの世界はもりあがるでしょう。(笑)

 

1月 5, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

ウイーンフィルニューイヤーコンサート

あけましておめでとうございます。

2013年が始まり、三が日もあけていよいよ本格的に始動しようかと考えております。

新春なので当ブログでは珍しいクラシック音楽の話から(笑)

毎年お正月になりますとウイーンフィルのニューイヤーコンサートNHKのEテレで衛星でオンエアされますが、私はこれがないとお正月になった気がしないほど毎年見ています。

以前は現在癌の手術を終え療養中の小沢征璽氏が日本人として初めて指揮を取る等の話題もありましたが今年はウィーン国立歌劇場の音楽総監督、フランツ・ウェルザー・メスト氏が指揮

このウイーンフィルのニューイヤーコンサートは基本的にはヨハンシュトラウス一家のワルツやポルカといった19世紀のウイーンの舞踏音楽のナンバーを中心にプログラムが組まれますが、今年は別記事で書きますがワーグナーベルデイの生誕二百年にもあたるためこの両者の曲がプログラムに組まれました。ワーグナーは「楽劇」という新しいオペラ形式を作り、ベルデイはイタリアオペラにて不滅の金字塔を打ち立てました。

アンコールには必ずヨハンシュトラウス(子)の「美しき青きドナウ」で始まり、イントロをちょこっと演奏してから楽団員の新年のあいさつ

"Gluchlich neun Jahr" (独:新年あけましておめでとうが一同一斉に唱えられます。「美しき青きドナウ」の演奏のあと締めはヨハンシュトラウス(父)のラデツキーマーチで締められ、観客はこの曲のリズムに手拍子をたたきながら曲を進めます。

これは毎年必ずといっていいほど行うコンサートの終わり方です。

ところでこのニューイヤーコンサートウインナワルツやポルカ中心にプログラムが組まれますが、ウインナワルツの三拍子は普通の三拍子と違うことをご存じでしょうか?

普通の三拍子は皆さんご存知のとおり

しかし実際のウインナワルツは二拍目が少しシンコぺ的な「くい気味」になります。ズンチャッチャではなくズチャーチャという感じになります。ちゃんとウインナワルツ独特の「ノリ」というものがあるんですね。

これは打ち込みで再現できなくはないですが、とてつもない手間がかかりますし、仮にそれをやっても実際の人間が演奏するのと同じ「ノリ」は作れません。とかく忘れがちですが人間の感性というのは基本的にはアナログなんですね。

勿論R&Bなどの「ノリ」とは本質的に異なるものですが、このウインナワルツ独特の「ノリ」は独特の躍動感が感じられます。普段打ち込みで仕事している私がいうのも何ですが音楽というのは数字や譜面では表現できない「ノリ」という躍動感が重要で、最近その躍動感を表現できる機会が減ってきているのも音楽文化の価値というものが理解されなくなっている元凶のようにも思います。

 

昨年末の紅白は生のオーケストラやバンドが殆ど使われませんでした。殆ど「カラオケ」で演奏されていたようでこういうステージばかりだと音楽の良さを理解できる人が減っていく懸念を表せざるを得ません、なんといっても国民の半数が見ている番組ですから.

 

 

1月 5, 2013 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年12月13日 (木)

インド音楽のラヴィ・シャンカールさん死去

昨日は作業で多忙な状態に北朝鮮のミサイル発射とか、連続殺人の角田美代子容疑者が自殺とかいろんなニュースが飛び込んできましたが、音楽のニュースとしてはやはりこれでしょう。

■世界文化賞受賞のラヴィ・シャンカール氏死去 インド民族楽器「シタール」第一人者
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121212/ent12121213580011-n1.htm

世界中にインド音楽の素晴らしさを広め、ロック始めポピュラー音楽に莫大な影響を残しました。ジョージハリスンにシタールを始めインド音楽の手ほどきをしたのは有名ですし、ビートルズだけでなくレッドゼッペリン(この発音の方が英語の発音に近いです)やプログレロックなどに大きな影響を与えました。

ノラジョーンズのお父さんとしても知られていますし、妹のシタール奏者、アヌーシュカも有名です。

そのアヌーシュカさんの結婚式と思われる写真でラビシャンカール先生とノラジョーンズがいっしょに写っている珍しい写真がありますので掲載させていただきます。

Rabishankarnorajones


離れて育ったので、親娘の関係は微妙だったらしいですが、姉妹は仲良しになったそうです。

とはいえ、私の友人でラビシャンカール先生に師事したシタール奏者がいますが、彼は幼い頃のノラジョーンズを知っていたそうです。既に異常といっていいほどの才能を見せていて、まだノラジョーンズがデビューすらしていない時に「あの子は天才だからいずれ出てくるよ」と言っていましたが、その後の彼女の活躍は書くまでもありません。シャンカール先生の血をうけついでいたんですね

心からご冥福をお祈り申し上げ、故人が残した音楽文化への偉大な功績に心から敬意を表すものであります。

12月 13, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年11月22日 (木)

タワーレコード渋谷新装オープン前日に行ってきました

本日業界仲間に誘われてタワーレコード渋谷の新装オープン(実際のオープンは明日の23日)に行ってきました。

最近レコード店に行かなくなった人が多い中でどのような店つくりで魅力的なレコード店にしようとしているのか、見てみました。実は私自身もタワーレコード渋谷に行くのはすごい久しぶりです。何年行ってないかなあ。

店内の売り場にはほぼ1メートルおきのタブレットによる音楽試聴機が据えられております(場所によってはタブレットでないところもあります)

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今でこそ当たり前に試聴機がありますが、つい10年前これを置くだけでレコード会社はもう反発、反対したんですね。ちょっとでも新しいことをやると過剰反応する、そんな体質がいろんな意味でレコードショップの発展も阻害してきました。

ついでに先日の記事で紹介したスマートフォンのアプリ CoverARt Playerが定着すればこれだけ多くの試聴機を置かなくてもいいとは思いますが、まだそれは時間かかるでしょうね。

かつては上の階にあったカフェが二階に移りました。なかなかいい感じのカフェで落ち着きます。すぐ横に洋書や音楽やアート関係の書籍売り場もあります

Tower2

今日はプレスや業界関係の人対象の入場でしたが、カフェでは食事や飲み物が出されました。
なかなか食事もおいしいのでカフェを二階にしたのは正解かもしれません。やすらぎのひと時を過ごせます

イベントスペース、かつては地下一階にありましたが地下一階最上階の8階の2つになりました。

地下一階のイベントスペース ライブハウスですが内装がきれいになりました。

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Tower0

DJブースもあります。

そして最上階の八階

Tower3

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これ以外に各フロアには小さなライブスペースがあり、常時インストアライブが各フロアでできるようになっています。

音楽好きな人がいつでも行って楽しくなるように作られていると思います。

ちなみにタワーの各フロアは以下のようになっています。

地下1F  イベントスペース Cut up Studio

1F         ニューリリースやおすすめCD

2F    タワーカフェー  洋書

3F        J-pop  インデイース アニメ

4F        Hip-Hop  Soul  Club系 World music etc

5F   Rock(洋楽) Blues Oldies

6F   Jazz 、Soundtrack Easy Listening

7F   Classic  New age

8F   イベントスペース Spce Hachikai

品揃いもいい感じだと思います。心なしかCDもありましたがDVD(ミュージックビデオ)の売り場のスペースが大きく増えたのも時代を感じました。勿論映画のスペースもあります。

やはり配信全盛といっても長編映画丸々一本ダウンロードするのは大変ですからね。メデイアパッケージ不要論を唱える人たちで長編映画二時間分ダウンロードした経験のある人ってどれだけいるんでしょうか?(たぶんそんなにいないと思いますが)

いずれにせよ配信全盛の時代とはいえ、全館で音楽を楽しめる空間にはしていると思います。

11月 22, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年11月21日 (水)

新曲ができました、これからPV作ります

もう先週の話ですが、とあるペット用品の広告代理店の依頼で販促用の曲が一曲できあがりました。

この会社とはペットミュージックというCDで以前いっしょに仕事をしたのですがそれはペットと飼い主のためのヒーリングを目的としたものですが、今回はペットと飼い主を想定はしていますが、ちょっとおしゃれなポップスとして作りました。

というのもこの広告代理店がプロモートしている愛犬用シャンプーその他のペット用品ですが主にセレブ、かそれに近い女性をターゲットとしている商品のためにそのイメージソングとして今回は歌われています。歌っているのはミュージカルや舞台で活躍している吉田裕美さんです。

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曲名は"So happy Dream"  かなりおしゃれなボサノバタッチの曲です。

そしてこの曲のPV(プロモーションビデオ)を作ることになりました。

 

今日はメイン撮影会場のロケ班です。今回はクライアントが音楽とか映像とか作った経験があまりないためいろいろとうちの会社で対応しました。その関係で今回は撮影にも立ち会うことになりました。

 

会場はこんな感じです。
おしゃれなボサノバのイメージに合ういい感じの場所です。

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Komazawa3

世田谷にあるロフトのような空間です。なかなかおしゃれな場所です。

 

Komazawa2

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ここのオーナーはデイスプレイのデザイナーでもあるのでオシャレな小物も多く、撮影にはぴったりです。

 

実にいい感じの(プロモーションビデオ)ができそうです。しかるべき段階になったら当ブログにて公開します。

 

 

 

 

11月 21, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年11月14日 (水)

InterBee2012(プロオーデイオ)

仕事が一段落したのと、一応毎年行っていることもあって恒例の国際放送機器展(Inter Bee)に行ってきました。

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家から幕張までどうがんばっても二時間近くドアtoドアでかかってしまうのと、今年は私が期待した立体音響関係の会社が都合により出展を見合わせた、というのもあり、行こうかどうか迷っていたんですが、まあ貴重な情報を得られれば、というのがあり結局行くことにいたしました。

私の場合は職業柄、プロオーデイオの分野に限られます。映像機器関係の記述はありませんのであしからず

かつてプロオーデイオで中心的な存在だったSSLことSolid State Logic レコーデイングスタジオではpro toolsに主役を奪われてしまいましたが、まだ放送局用コンソールとして健在のようです。

Ssl_interbee2012

それでもいくつか面白いのだけピックアップしますと

Avidのブース、昨年はサンミューズのと二つに分かれていたのですが今年はなぜか共同でブースで出展しています。共同ブースにしても昨年より小規模になったように見えるのは私だけでしょうか?

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サンミューズとの共同ブースということもあってか、pro toolsのいくつかいいプラグインの話を聞きました。特にUnveilというリバーブの残響音を取るプラグイン、なかなか良かったです。折を見てプラグイン導入を検討してもいいかも

あとipadやタブレットの流れでしょうか? いつか出るんじゃないかとおもったんですがやはり出ました。 Mackieから出ましたタッチパネルでフェーダーを動かすデジタルミキサーDLシリーズ

だけどタッチパネル、時々感度が悪くなる時があるんですが、これは大丈夫なんですかね?

121114_133801  Touchpanelfader;

あといくつかありましたが、面白いと思ったのはこんなもんでしょうか?
それにしても毎年同じこと書いている気がしますが、年々プロオーディオの展示スペースが減ってるような気がします。レコーデイングソフトもオーデイオのレコーデイングというよりは、映像のポストプロを想定したものが大半でした。ものの一時間半で全部見終えてしまいました。いくつか興味深いのがあったもののやはり新しめに欠けた面は否定できないですね。

まあ時代の流れといえばそれまでですが、プロオーデイオの世界の人間としては寂しさがあります。

11月 14, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年10月 4日 (木)

アナログ復権?ユニバーサルミュージックが超高音質LPレコード「100% Pure LP」を発売!!

このブログでは現在音楽がmp3というはっきりいってジャンクフードレベルの音質しか氾濫していない現状が音楽文化しいては音楽産業のありかたに悪影響を与えてきたと述べてきたが、そんな折、ユニバーサルミュージックが注目すべき商品をリリースする。

■ユニバーサルミュージックが超高音質LPレコード「100% Pure LP」を発売

http://amass.jp/11633
以下プレスリリースより

100%Pure LPはマスター・素材選びからプレスまでの全工程を徹底的に音質管理にこだわった世界で初めてのハイエンドなLPシリーズです。アナログレコードならでは の温かみのある音質をそのままにより、クリアで奥行きのあるサウンドを届けることが可能になりました。


新配合!無着色ヴァージン・ヴィニール (180グラム重量盤)を採用

通常のレコード(黒盤)の材料には、主原料となる塩化ヴィニールの他に再利用の観点から、カーボンなど着色のための染料が添加されています。

ピュアLPには、音に影響を与える着色物をすべて排除し、成型の安定性と音質を考慮し低重合度のストレート塩化ヴィニールを特別に配合しています。

やや黄色がかった透明のLP盤は原料のヴィニールそのままの色です。


メタルマスター・プレスによる忠実な溝の成形を実現

通常レコードを量産する場合、カッティング後にラッカー盤(凹)メタルマスター(凸)メタルマザー(凹)スタンパー(凸)の4工程を経てプレスに至ります。

ピュアLPはメタルマザーとスタンパーの2工程を省き、メタルマスターからダイレクトにプレスし、より忠実な溝の成形を目指しました。

●高音質音源DSD (Direct Stream Digital)ファイルを採用

マスター音源には2010年より発売されているSA-CD(Super Audio CD)〜SHM(Super High Material)仕様の高音質CDシリーズにも使用されているDSDファイルを採用しています。

アナログ・テープからのフラットトランスファーを基本にしていますが、経年によるダメージ部分を可能な限り修正した望みうる最高のデジタル・マスターです。音の鮮度とダイナミックレンジを重視したマスターに忠実な音作りを目指します。

●特設サイト

http://www.universal-music.co.jp/genres/international/100purelp

リリースされるタイトルは以下のタイトル

●ザ・ローリング・ストーンズ『スティッキー・フィンガーズ』
●ザ・ローリング・ストーンズ『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』
●ザ・フー『フーズ・ネクスト』
●ブラインド・フェイス『スーパー・ジャイアンツ』
●エリック・クラプトン『461オーシャン・ブールヴァード』
●マイク・オールドフィールド『チューブラー・ベルズ』
●ダイアー・ストレイツ『悲しきサルタン』
●レインボー『バビロンの城門』
●エイジア『詠時感〜時へのロマン』
●スティーヴィー・ワンダー『インナーヴィジョンズ』
●ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビイ』 
●ビル・エヴァンス『ポートレイト・イン・ジャズ』
●ソニー・ロリンズ『サキソフォン・コロッサス』
●アート・ペッパー『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション』
●ウェス・モンゴメリー『インクレディブル・ジャズ・ギター』

アナログ?? といってバカにする人はアナログの音の本当の良さを知らない人か、私が以前かいた「ジャンクフード文化症候群」の病におかされている人かどちらかだろう。
アナログを「アナクロ」と決めつけるのではなく高音質の媒体として見直す動きが本格的に出てきたということだろう。

今更いうまでもないが、デジタルというのは20KHZより上、そして20HZより下の周波数の情報を全てカットしている。その20-20KHZというのは人間の耳の周波数特性に合わせたものといわれているが、最近の研究で人間は必ずしも耳だけで音の情報を拾っているわけではないこともわかっている。象やライオンなどの動物は足や皮膚で遠くの動物の情報の音を察知しているのはすでに証明されている。

つまりデジタルというのは元々ある音の情報を大幅にカットし、捨てているのである。デジタルリマスタリングなどというと聞こえがいいが、実は大半の音の情報は永遠に失われているのだ。

私もデジタルの耳に毒されないよう時々アナログレコードを聴くようにしているがやはり違う、特に生の弦の音などアナログでは全然違うのだ。

クラブミュージックでもDrum'n BassHip Hopなどでアナログレコードが生き残っているのは、強烈なキックやベースの低音はデジタルでは到底でない音がアナログレコードで出せるためである。

その意味でアナログの音というのは決してなくならないし、なくなってはならないのだ。時代錯誤の過去の亡霊などと決めつけてはいけない。

また音楽配信の時代になぜアナログのLPを? などという人もいるだろう? だが音楽配信がmp3というジャンクフードレベルの音質しか普及していない現状が続く限り音楽配信だけでなく音楽文化に明日はないと私は考えている。

何よりも現代は「いい音楽をいい音で聴く」 というつい20-30年前まで当たり前だったことが今はすっかり影をひそめてしまった。このことが音楽文化の衰退に拍車をかけたことは否定できない。テクノロジーやイノベーションが起きたにも関わらず、音楽を聴く環境は大幅に質が劣化し悪化したのだ。これを時代のパラドックスといわずしてなんであろう?

その意味では今回のユニバーサルミュージックの動きを私は評価したい。

私がレコード会社を評価すること自体、珍しいことだが、まだまともな音楽の感覚をもっている人間が少ないけど残っているということかな?

10月 4, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年10月 1日 (月)

10月に入りある誓いー作曲において「パクり」をしない宣言(笑)

まあ本来こんなことを宣言すること自体アホらしいことなんですが、わざわざこんな宣言をしなければならないほど今の音楽制作ーことにJ-pop関係の音楽制作の現場ははっきりいって腐ってます。
そしてただでさえ私のブログは今の音楽業界のメインストリートを歩いている人からは悪く思われていますがまあここまではっきりいってしまうともう決定的でしょう、(笑) レコード会社関係からは間違いなく総スカンを食らうことは覚悟しています。

しかし先日のタイアップ廃止を呼びかける記事でもそうですが、もう日本の音楽業界の常識とやらを片っ端から否定することから始めないと音楽業界がよみがえることはないでしょう。そのためには我々音楽制作の現場にいる人間がきちんと音楽に取り組む姿勢を見せる必要があります。

そもそもこの「パクり」というのはもう歌謡曲の時代から日本のポップス制作現場では「当たり前」のように行われてきた手法で、いろんな音楽の「おいしいところ」「コラージュ」してキャッチーなメロデイを作る手法です。ベテラン大御所の作曲家の中ではこの「おいしいところ」「コラージュ」の手法が卓越していてメロデイのどの部分がどこの曲からの「パクり」か第三者が判断するのは極めて難しい(ほぼ不可能?)な場合もあります。(この大御所いわく「自分の作品は「パクり」芸術である」) 
 まあ「コラージュ」力のクリエイテイビテイを否定するものではありませんが、しかし最近のJ-pop関係「パクり」ははっきりいってこの大御所の「コラージュ」力のクオリテイと比べると質が格段に落ちてしまっているーはっきりいえばろこつ過ぎる「パクり」になっているーことがいえます。こうなるともうクリエイテイビテイなどかけらもない、という感じになります。

最近の制作体制を見てもJ-pop関係はコンペにしてもきちんと提出された曲が聴かれているか甚だ疑問ですし、レコード会社のデイレクターもそんなに音楽を聴いているとは思えません。何よりもこういう制作体制が日本の音楽のクオリティを著しく落としているということができます。まあとにかく最近の現状を見ると傍から見ても本当にひどいです。音楽が衰退したのは違法コピーとかいろんな話がありますが、やはりメジャーの音源のクオリティの低下が最大の原因ではないか、と考えています。

そんなわけでこういう「パクり」をいったんやめさせないといけない、と思いますのでまずは私がこの「パクリをしない宣言」をしようと思います。勿論、結果的に作った曲がどこかの曲に似ていた、ということはこれは十分にありうることだと思います。心地よいメロデイとかは案外限られたりしますので...
ですが「結果として(偶然)似てしまった」場合と「パクり」は違うと思います。前者は偶然の産物ですが後者の「パクり」「確信犯」ですので、一見結果は同じように見えますがプロセスは全く違います。

今後私の曲が結果的にどこか誰かの曲に「絶対に似ない」と断言することはできません。いや、たぶんそういうことは起きると思います。しかし「確信犯」的に「誰かの曲に意図的に似せる」ということはしません。

私は作曲家を志したころからクリエイテイブな作家でありたいと思っていました、これからもその志は変えるつもりはありません、

10月 1, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年9月30日 (日)

歴史に残る作曲家はみな「職人」であり「職業音楽家」だった

取りあえず激務から解放され久々にのんびりとした毎日を送っていますが...(^^)

激務の間に気になる本がありましたのでこれに関して述べさせていただきます。

聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ) [新書]

 

 

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聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ)

この本は基本的にはクラシック音楽を好きになるための本ではなく、社会人として知っておきたい常識を身につけるための本。レコード会社が勝手に名付けたから売れたあの名曲、セールスマンと異名をとった巨匠・カラヤンの技…ビジネスでも使えるネタを満載した本ではあるんですが、ここで一点面白い記述があります。

よく作曲家の作品に「誰々に献呈」という書き込みがありますがこれを始めたのはベートーヴェンで、楽譜の表紙に書かれています。かくしてベートーヴェンの傑作の中に「クロイツエルソナタ」とか「ワルドシュタインソナタ」とかいう名前のついた作品があるんですが、実はこれは営業用で、「献呈」された貴族達から「報酬」をもらうというビジネスだったわけです。
しかしちゃんと合意がないと「報酬」が貰えなくて、ロシア皇帝に「献呈」したところ、皇帝は曲を貰ったものと勘違いして? ベートーヴェンは「報酬」を貰えずウィーンにきた皇后に、1曲献呈すると書いた手紙に「十年前の謝礼金をまだ貰ってません・・・」と書き添えて、やっと「報酬」を貰ったというエピソードがあるそうです。
つまり我々が知っている大作曲家というのは殆どの場合、「ビジネス」として作品を作っていたわけで、ベートーベンは独立した「個人事業主」としてそれをやる能力があったわけで、当時の彼のギャラは現在の金額に換算すると億単位のギャラをもらっていたようです。ちなみにベートーベン以前の作曲家はみな貴族や教会の「雇われ作曲家」だったわけで「音楽を作る職人」という使用人の役割を担っていたわけです。

実は作曲家として「個人事業主」としてやっていこうと最初に始めたのはモーツアルトといわれていますが、これはモーツアルト自ら望んでそうやったのではなく、音楽好きで知られた当時のオーストリア皇帝の啓蒙君主ヨーゼフ2世の死後後を継いだ弟のレオポルト2世が発端で、レオポルト2世は兄と違い音楽にそれほど興味を示さなかったため宮廷の経費削減のため抱えていた音楽家の多くをリストラ対象にしました。その関係でモーツアルトもリストラ対象になり「自営業」をやらざるを得なくなったという事情もあったようです。その関係で一般的にはモーツアルト極貧の中で死んだ、などというイメージが根強くありますが、実は最近の研究でそのイメージが誤りであったことがわかっています。実際宮廷楽人の職を解かれたあとも結構多くの作品の依頼が舞い込んでいますし、モーツアルトが「レクイエム」作曲中に妻のコンスタンツエは温泉療養にでかけています、極貧の生活の人間がやることではありません。(笑)

・最新の研究結果が明かしたモーツァルトはセレブ?!説
http://sky.geocities.jp/pape1625/page008.html

・墓もないモーツアルトの年収。病死の年に<5672万円><br</br
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/44087971.html

このように「クラシック」の作曲家で現在私たちが知っている人の大半が実は「職業音楽人」なんですね。わずかにシューベルトとか20世紀に入ってからのシェーンベルク等の無調音楽派などがむしろ例外で、少なくとも19世紀のロマン派までの作曲家は殆ど「職業音楽家」でした。特に「オペラ」の作曲家の殆どは劇場付の「音楽を作る職人」でした。それがいつのころから極貧」というイメージにされてしまったモーツアルトとか、死後ようやく作品が評価されたシューベルトの生き方などが音楽歴史家によって変に美化されてしまい、「職業で音楽を作る」とか「お金で音楽を作る」といった考え方があたかも犯罪行為であるかのような見られ方がされてしまったわけですね。 クラシック系の世界ではまだそういう考え方が根強く残っています。変な話、彼らの方が音楽の歴史をきちんと理解していないように思いますね。

しかし大事な点がもう1つあります。この「職業音楽人」 である歴史に残る「クラシック」の作曲家は単にビジネスというだけで作品を残していたわけではありません。当然ながら歴史に残るほどのクオリティの高い作品を残していたわけで、いわばビジネスと芸術性が両立していた、ということがいえます。これは全てのジャンルのよい音楽についていえることで、私たちがスタンダードという名前の古典にしているジャズスタンダードナンバーにしても、60年代ー70年代ロックにしても興業的な成功だけでなく、「芸術性でも歴史に残る音楽になっていることはいうまでもありません。勿論中には作曲家の死後に評価を受けたり、評価が変わったりというケースもあります。しかしいずれも「芸術性「商業性(あるいは大衆性)」が両立した音楽であることは事実といっていいと思います。

しかしながら最近のJ-popをはじめとする音楽については残念ながらこれにあてはまる音楽ではないといわざるを得ません。音楽を「作品」ではなく「製品」として作るという考え方ーつまり「芸術性よりは「商業性」の論理が優先された世界になっており、かくして今音楽業界で「高い芸術性の音楽を」などといったら嘲笑と罵倒が待っているのが実情です。 私は音楽文化を復活させるにはそういう世界から一線を画したものにしなければならないと思っております。

聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ) という本で歴史に残る音楽を作った作曲家は「芸術性「商業性」が両立した音楽を作っていたという理解が広まればいいと思っております。

 

 

 

 

 

9月 30, 2012 書籍・雑誌音楽11-15 | | コメント (0)

2012年9月 8日 (土)

音楽教育と「裏拍」(アフタービート)

退院して徐々に体力も回復しています。まだ100%とまではいかないですがすでに業務に完全復帰し、作業も順調に進んでいます。

現在、今年4月に制作した日本の音楽教材の海外向けバージョンの修正、及び追加作業の制作を行っています。追加作業というのは当初なかった作業で末端クライアントの要求で追加で歌の収録等を行うものです。

末端クライアントは香港の会社らしいのですが、勿論東南アジアや台湾等、華僑系が経済に大きな影響をもたらす国を始め、当然ながら中国本土をにらんでのマーケット展開になります。今後の展開次第ではさらに大きな事業展開の可能性があります。

私どもは「注文を受けて」制作をするので基本的には末端クライアントの要求どおりに制作、及び修正を行うのですが、今回のクライアントの修正要求その他で全般的に次の傾向があることに気付きました。

それは
・曲のリズムの中で裏拍(アフタービート)を嫌い、リズムでそれを排除する要求が多く出ている点

裏拍(アフタービート)とはたとえば4分の4拍子だと1拍目、二拍目ちょうどのタイミングをビート(拍、または拍節)といい、裏拍は一拍目から8分休符ずらした時のビートをいいます。

つまり 拍節だとビート  

    ♩      ♩     ♩      ♩

これが裏拍(アフタービート)だと 

 

8分休符+ 8分休符+ 8分休符+ 8分休符+♪

となります。

今回制作中の音楽教材は基本的に幼児用なので、まずは拍節ーつまりビートの頭をきちんと合わせる練習をまずさせる、というのが意図のようです。
その中で私も正直戸惑ったのは、ドラムのフィルを末端クライアントが「裏打ち」とか「シンコペーション」という表現をしてきた点です。 まあ確かにそういわれればそうなるかもしれないんですが、我々の世界ではドラムのフィルとは普通に入っているもんなので、これには面喰いました。

要は裏拍(アフタービート)を徹底的に排除する、というクライアントの意思のようで、現在そのための作業を行っています。

まあ私は音楽教育の専門家ではないので「専門家がこうだ」といわれれば「ああ、そうですか」というしかないんですが、ちょっと個人的には引っかかる面もなくはないです。

というのは日本人をはじめとする東アジアの人間は裏拍(アフタービート)に合わせることを基本的に苦手としています。 これは大人である程度音楽の経験をしている者でも裏でノリをあわせる、ということがきちんとできない人間が少なくないんですね。だから日本人はR&Bレゲエといった裏拍が重要な位置をしめる曲の演奏は一般的に苦手としています。
(ちなみにEXILE等をはじめとするJ-popの連中が自らの音楽をR&Bなんていっていますが、あれは全然違いますよ。あれをR&Bだなんていったらアフリカ系アメリカ人は怒ります。((実際かなりバカにされてますよ、日本の「自称R&B J-popって」)

これに対し、同じ東アジアでも沖縄は唯一の例外で沖縄の音楽はむしろ裏拍が重要な位置をしめています。だから沖縄系のミュージシャンは裏拍(アフタービート)にそんなに苦労しません。

それを考えると裏拍(アフタービート)をそんなに毛嫌いすることもないんじゃないかな、という気がしますけどね。沖縄の子供たちのように小さいころから裏拍に親しむということもあっていいんじゃないか、と思いますが、

まあこれは専門家ではなく、一音楽家としての所感です。(~~)

 

 

 

 

 

9月 8, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年8月25日 (土)

長調と短調と作曲家のきまぐれ

気がつけば8月も最終週に明日から入ります。まだ暑い日が続いていますがそろそろ夏休み気分を取り払わなければなりません。

今年からとある大手楽器メーカーの海外の音楽教室のために音楽教材の制作をしていますが、そこにはピアノの音階や音程を覚えるための曲のアレンジ等をやっています。今年の春やったものの修正や追加作業をこれからやりますが、まあ当初想定した以上に作業があるのでどうやって効率よく進めるか思案中です。

さて、音楽の勉強の際、必ず長調、短調というものを習います。今回は子供用の教材なので基本はハ長調イ短調をはじめとしてフラットやシャープが少ないキーの曲のみですが、調性(ハ長調とイ短調etc)は理論上は長調短調含め24種類あります。

バッハに「平均律クラービア」という曲集がありますがこれは、24種類の調性による曲があります。(これ以外にショパンの前奏曲24種類の調性の前奏曲で作られています)

このようにクラシック曲は20世紀の初頭くらいまでは「交響曲第九番ニ短調」といったようにいわゆる器楽曲には必ずナニ長調(もしくは短調)という調性がついていました。

ところが実はこんな曲があります。この曲はベートーベンのバイオリンとピアノのためのソナタ「クロイツェルイ長調作品47ですが

 



この曲の第一楽章ですが、イ長調なのはバイオリンソロのイントロ(序奏)部分のみであとは明らかにイ短調になっています。これってイ短調のソナタといってもいいんじゃないか? と思うんですが要は作曲がこの調性だといえばそうなっちゃうんですね。作曲家がイ長調といえばイ長調なんです。(笑)

では次の曲を見てみましょう。マーラーの交響曲第一番ニ長調「巨人」という曲ですが、この映像は楽譜も提示しているのでわかる人はわかると思うんですが、(画面が小さいのでごめんなさい)

 

 

この曲はニ長調と書いてありますが、少々見えつらいですが楽譜は最初は明らかに「ニ短調」になっています。曲がニ長調に完全になるには曲が始まって3分くらい、(まあそれまでホルンやトランペットがニ長調のフレーズを吹いていますが..) これは先ほどの「クロイツェルソナタ」とは逆のパターンです。

まあ調性というのは作曲家の気分しだい、で決まってしまうところもありますね。

このあと20世紀に入り調性というものが崩壊し無調音楽の時代に入るわけですが、同時進行で20世紀にジャズ音楽を始めポピュラー音楽(クラシック系の評論家は「大衆音楽」などという言葉を使いますが私はこの言葉が嫌いです)が発展しました。その時ジャズ音楽のコード(和声)は現代まで大きな影響を及ぼす発展をクラシック、現代音楽とは違って面で発展するんですが(実はデユークエリントンがかなり現代のジャズのコード進行、ポピュラーミュージックの基礎理論を作ったようなもんなんですが)それはまた別の機会で論じることにしましょう。

 

 

 

 

8月 25, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年8月18日 (土)

Sting -The Soul Cages

先日のSting Live in Berlin を聴いて の記事でも書きましたがお盆期間中なのでポリスやStingのソロアルバムをいろいろと聴きまくりました。

その中でStingのアルバム"The Soul Cages について述べようと思います。

Soulcages

このアルバムは1991年に発表されたアルバムですが、なんで二十年も前のアルバムを今更レビューするのか、とお思いの方も多いと思いますが、実は結構個人的な事情も入っています。

このアルバムはStingが父親の死をきっかけに作られたアルバム、ということもありStingのアルバムの中では比較的暗く、重いという評価があるのですが、私はStingの作品の中でも最高傑作の1つではないか、と考えます。

Stingの実家は牛乳屋だそうですが、父親は船乗り、漁師を夢見たそうです。"Island of Souls"の歌詞によりますとStingのおじいさんは船のリベット工で工場内の事故で死亡、Stingの父親は船乗りの夢を断念した様子が描かれています(結局それで牛乳屋になったそうですが..) でもSting自身が語っていますが父親は絶えずゴードン少年(Stingの本名ーゴードン・マシュー・トーマス・サムナー)に絶えず船乗りになるように言い聞かせていたそうです。それもありこのアルバムは航海や海をテーマとした曲が多いのも特徴です。

実はなんでこんなことを書いたかといいますと、私ごとですが私も8年前に父親を亡くしています。このアルバムを買った時には父親はまだ生きていたのでそんなことは考えなかったのですが、父親が死んでからこのアルバムを改めて聴くといろいろと感じるところがあります。何よりもアルバムの曲の歌詞が心の中で伝わるものがあります。特に"Why should I cry for you" はかなり私の心に訴えるものがありました。

最近はこういう曲を書く人が本当に少ないですね。前にも書きましたがStingの曲というのはポリスのころからそうでしたが「男の歌」だと思いますね。このアルバムが発売された当時は日本の音楽界はいわゆる「ガールポップ(もうみなさん忘れているでしょう?)」全盛期でそういう類の曲ばかりで個人的にはげんなりしていました。その時にStingの曲というのは一服の清涼剤でした。

日本にこういうアーチストはいないですね。まあ「男の歌」という面だけ書けばしいて言えば矢沢英吉がそれにあたるかもしれませんが、やはりだいぶ違うなあ(笑)

というわけでこのアルバムを聴いて改めて「男の歌」を書いてみようかな、と思うようになりました。

というわけで20年前に作られた曲なのに全く古さも感じない、寧ろ新鮮さすら感じるこのアルバム、ぜひ聴いてみることをお勧めします。

8月 18, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年8月10日 (金)

Sting Live in Berlin を聴いて

もう一昨日の話になりますが、WOWOWで2年前に行われたStingのベルリンでのライブのオンエアを見ました。

スティング ライブ・イン・ベルリン
http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/051530/

いやー素晴らしかったですね。久々に本物のアーチストのパフォーマンスを見せてもらいました。やっぱりいい音楽を聴いているといい気分になりますね。

そしてしばらく忘れていたことを思い出させてくれたステージでした。

最近のStingを見ると古いルネッサンスの曲を歌ったり、クラシックオーケストラを使ったりしたり「クラシック志向」が強くなっているようなイメージがあります。しかしこのベルリンのオーケストラのパフォーマンスを見ていて何となくステイングが何をしようとしているのがわかったような気がします。Stingがソロになってから私が一番好きな曲の"What shall I cry for you?"を見るとわかります。

ポリスを解散してソロになりはじめた時の「ブルータートルの夢」はステイングがジャズのアルバムを作ったと勘違いしていた人が多かったようですが、実際はファンダメンタルな部分は全く変わっておらず、単にジャズやクラシックのいいエッセンスを貪欲に吸収していたようです。それは今回のクラシックオーケストラライブで特にソロになってからよくいっしょにやっていたサックスのブランフォードマルサリスをツアーメンバーに入れていることからもわかります。

Englishman in Newyork

そしてこのベルリンのライブで「キングオブペイン」や「Every Breath you take」等のポリスのナンバーをオーケストラで演奏しても違和感どころか、寧ろ最初からこういう作り方をした方がよかっじゃないかと思うくらいですね。表面的なアレンジ、スタイルは変わっているように見えますが音楽の根本的な部分は何も変わっていません

これらの作品を聴いて思ったのは自分が志向している方向性とかなり共通点があるな、と思ったことですね。ポリスはいわゆるプログレバンドではありませんが(もっともドラムのスチュワートコープランドはプログレ出身ですが..) なぜかそのサウンドは自分の体質に合っていてデビュー当時から好きでしたね。純粋な音楽表現の方向性として自分がやってみたい方向にかなり合致するのを感じています。

このStingのパフォーマンスを見て[男の歌」のようなものを作ろうかなという気になりました。これはいい男性ボーカルが必要なのでそういう人間を探さなくてはいけませんが、Stingの曲の歌詞ってやっぱり「男の歌」という感じがします。
しかしいわゆる汗臭いロックではなく(そういう曲もありますが)知性も兼ね備えた曲が多いですね。実は結構その手の曲を書き留めているんですがなかなかこれを本腰いれて取り組む機会がありません。まあ機会というのは作るしかないとは思うんですが...

ちなみに映像はないんですがこのベルリンのライブでSting"She's too good for me"のステージでオーケストラのメンバーに対しても振付パフォーマンスがありましたけど、日本のオーケストラのメンツにあれをやれ、といってもやってくれないでしょうね(笑) どういうのか興味ある方はDVDをご覧ください

真の意味で「いい音楽」というものを経験されていない方(特に若い方)は是非騙されたと思ってこのStingの音楽に触れてください。決して後悔はしないと思います。


8月 10, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年8月 6日 (月)

避暑地でブラームスを思う

珍しくクラシックの話題です。

暑い日が続きますので上越の方に避暑に行ってきました。
車で移動しましたが東京から高速飛ばして3時間半、結構近いです。

Joetsu3

CDはロック系も多数持参しましたが、避暑地に行くということで結構ブラームスとか持って行っています。

私はいわゆるロマン派の「前期」といわれている作曲家ーショパン、メンデルスゾーン、シューマンetcーとかはあまり興味がないんですが、なぜかブラームスは昔から聞きます。ロマン派の中の「古典派」とかいわれているんですがなぜか肌に合うんですね。同時代のワーグナーが「音楽の表現を大きく変えた」と音楽史家から評価されているのと比べると地味ですが、なぜか私は好きです。もっとも最近は再評価され始めて、ワーグナーとは別の意味で新しい表現を開拓した、という評価も出ています。(きっかけはシェーンベルクの評論ですが...)

しかし正直そんなことは私にとってどうでもよくて、要はブラームスの曲にどこか避暑地的な雰囲気があるように感じるからでしょう。事実ブラームスの最盛期の作品の大半は避暑地で書かれています。それが何となく作品の雰囲気に反映している感じがするんですね。

実際山の風景とブラームスはよく合います。特に交響曲第一番の四楽章、交響曲第二番なんかはまさに山荘での避暑地という感じがしますね。

Joetsu1

夕焼けのシーンなどブラームスのメランコリックな雰囲気に合います。

Joetsu2

そんな感じで夏休み的な雰囲気の記事で一息という感じでしょうか。

ちなみにブラームスの交響曲は4つあり、私はどの曲も好きですが最高傑作はどれかというと私は四番を取ります。ブラームスは自他ともに認めるベートーベン崇拝者ということもあり、ブラームスの交響曲はいつも「ベートーベンの影」がつきまといました。
第一交響曲は終楽章の主題が「よろこびの歌」に似ていることから「ベートーベンの第十交響曲」などといわれ、第二交響曲は「ブラームスの田園交響曲」などと云われました。第三交響曲はややとってつけた感じですが「ブラームスの英雄交響曲」(!?)などといわれてしまいます。しかし第四番だけはそれがありません。ようやく「ベートーベンの呪縛」から解き放たれブラームス独自の作風を具現化しています。
第四交響曲の第二楽章は古代グレゴリアンチャントに使われたフリギア旋法を駆使し、ブラームス存命当時は「古臭い」と揶揄されていましたが、現代のわれわれはこのフリギア旋法をロマン派的に料理したこの曲はむしろ新鮮に聞こえます。そしてこの第二楽章はブラームスの4つの交響曲の中で最も美しい曲といっていいです。ブラームスの交響曲といいますと映画「さよならをもう一度」のテーマにもなっている第三交響曲と第三楽章(他にもポップスとして多くそのメロデイが引用されています)が有名ですが、この第四交響曲もぜひ聴いてみてください。ちなみに第四交響曲の第三楽章はイエスの「こわれもの」(Fragile)でリックウエイクマンの多重録音で再生されています。あと第四楽章は私にいわせればパッサカリアというバロック時代の音楽形式ながら「かっこいい」曲です。(こういう言い方をクラシック系の人は嫌いますが..) 結局音楽は「形式」ではない、人に与えるインパクト、ということじゃないでしょうか? 

というわけでいい休日を過ごさせてもらってます。(^^)

8月 6, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年8月 2日 (木)

(批判覚悟の上)あえて提案する。音楽の地上波タイアップ廃止のすすめ

以前こういう記事を書いた。

欧米では地上波のタイアップが殆どない点とインデイースのツール充実の現状を見て
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2012/03/post-34a2.html

地上波のテレビに有名アーチストの音楽が使われるのは欧米でも別に珍しいことではない。
但しその条件、背景は日本と欧米では根本的に違う。

改めてここで言うまでもないが日本の場合は音楽事務所乃至レコード会社が地上波,BSのテレビで音楽を露出するために「プロモーション目的」と称してJASRACの「特例事項」の中にあてはめ著作権料や原版の使用料を辞退するだけでなく、
事務所側が「協賛金」と称して莫大な金額の広告料を放送局側に支払うシステムだ。(NHKとて例外ではない) この場合言うまでもないがアーチストにも作曲者にも権利料はビタ一文支払われない。

それに対し欧米では、いや日本以外の殆どの国ではアーチストの音楽を番組テーマを使うのに「ライセンシング」といって放送局からアーチスト側に使用料(内容によってはかなりの金額)が支払われる。本来音楽を始めとするコンテンツビジネスというのは「権利ビジネス」でもあるのでこれが本来、当たり前の姿なのである。金額はケースバイケースだがこの場合メジャーアーチストもインデイースも基本的に関係ない。映画、テレビ、CMその他でアーチストの音楽の使用されればその使用料が必ず発生する、のが本来のありかたである。そしてそれはアーチストの重要な収入源にもなったりしている。

つまり前にもいったが日本のこの現状の方が異常なのだ。

いくら
「プロモーション目的」と称しても、この本来のありかたとはあべこべになっている状態は「権利ビジネス」という観点からしても異常である 。しかもこれはJASRACという公的信託期間の承認のもとに行われている。こんなバカなことをしているのは世界中でも日本だけである。ほかの国で同じことをしている、という例は私は聞いたことがない。あったら教えてほしい。

上記の例からアメリカではたとえメジャーでない、いわゆるインデペンデントのアーチストでも
「ライセンシング」の収入を得ることは珍しいことではない。
しかし日本ではこの「タイアップ」があるために
インデペンデントのアーチストが「ライセンシング」の収入を得るなどほぼ不可能といっていい。

これが結果的に日本のアーチストの権利や収入を結果的に制限しているのも事実。いい加減やめさせないともはやアーチストの生活は成り立っていかないところまで来ている。

むろん、音楽業界がもう20数年以上にわたってやってきた商慣習だ。今更変えられない、という人の方が多いだろう。「この方法以外に有効なプロモーション方法はない」という人もいるだろう。

だがドラマや映画のテーマミュージックを作るのに「大金を払って」作らせてもらう、というこの構図、しかもその
「協賛金」とやらが年々上がっているというこの現実。

これってはっきりいって他の業界から「足元見られている」状況だろう。
そしてこれは年々エスカレートしている。権利なんかも全部もぎ取られがんじがらめになり、アーチストなどはどんなに曲がヒットしようが生活はできない、というおかしな状況を作り出す。

驚くべきことはこの状況に関して何の疑問も持たない業界人が大多数、というのが本当に不思議だ。

これも「プロモーションのため」、もっといえば「付加価値をつけるため」というかもしれない。だが実際に本当に「付加価値が付いているのか」というと、たぶん違うような気がする。

やっていることは
「権利の大出血サービス、どころか権利廃棄「音楽の100均の消耗品化」だけである。

放送局だって本音は有名アーチストの曲をテーマ音楽に使いたい。ただ今はそれをタダどころかお金もらって作ってもらっているという極めて虫のいい、おいしい目に合わせている。

この流れを止める殆ど唯一の方法は

メジャーメーカーを初め音楽業界全体が過去からの慣習である「地上波のタイアップ」という方式をやめること。

つまり

「お金くれなきゃテーマソング作らないよ」業界全体がいうこと。

それしかない。

そしてもう一度「ライセンシング」を初め本来の「権利ビジネス」のありかたに戻すことだ。 一刻も早く正常な状態に戻すことだ。これをやらないといつまでたっても音楽業界はテレビ業界等から足元みられしまいには何も残らなくなってしまう

音楽業界の超保守的な体質は私もいやというほどわかっている。だからこんなことを書いたら非難ごうごうだろう、くらいのことはわかる。

だが海外の状況を見るにつけ、やはり日本の現状がいかに異常か、ということを目の当たりにした上でやはり、こう書かざるを得なかった。

あえていうが

日本の音楽業界は世界における「北朝鮮」である。

国全体が異常だと他の国では異常なことが正常になってしまう。

戦前の日本の軍国主義時代もそうだったけど..

今の日本の音楽業界はまさにその状況といっても過言ではない。

8月 2, 2012 音楽11-15 | | コメント (2)

2012年7月17日 (火)

また偉大なミュージシャンの訃報 ジョン ・ ロード

あまり訃報の記事は書きたくないと思っていたんだけど、ちょっとこの方の訃報は私にとってショックです。

Deep Purple Co-Founder Jon Lord Dead At 71
http://www.mtv.com/news/articles/1689747/jon-lord-deep-purple-dead.jhtml

Jon Lord, keyboard player with seminal hard rock act Deep Purple, dies
http://edition.cnn.com/2012/07/16/showbiz/jon-lord-obit/index.html

元ディープ・パープルのジョン・ロード氏死去
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120717-OYT1T00423.htm

We are all deeply saddened by the news that Jon Lord has passed away today at the age of 71 after suffering a pulmonary embolism. He had been suffering from pancreatic cancer and was surrounded by his family at the London Clinic. Our most heartfelt sympathies go to his family. Jon Lord, a giant among men.(FB Deep purple ページ)

この人のオルガンはパープルの絶妙な味を出していました。、この人が私にハモンドの良さ、カッコよさを教えてくれた人です。 デイープパープルというとリッチーブラックモアのギターの方に目がいきがちですが、この人のオルガンはパープルのサウンドに欠かせないものでした。

すい臓癌とはショックです。

心からこの偉大なミュージシャンに敬意を表すると同時にご冥福をお祈り申し上げます

7月 17, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年7月14日 (土)

音楽の海外プロモーション活動をして余計に日本の中の音楽のありかたに嫌気が指す自分が..

さて今年度から私のアンビエントアルバム metanature と奥津恵「未来」を日本国内ではなくあえて海外向けのプロモーションを行っている。

大きく分けると3つのプロモーションのチャンネルがある

1 jango airplay    http://airplay.jango.com/

全世界で700万人のリスナーを抱える世界最大のインターネットラジオ

2 music SUBMIT  http://www.musicsubmit.com/

全米のairplayやインターネットラジオだけでなく実際のFM局に対するプロモーション。ラジオはアメリカだけでなくヨーロッパ、南米、中東、インドと世界中のラジオに対してプロモーションができる。

3. Sonicbids   http://www.sonicbids.com/  or CDBABY http://www.cdbaby.com/ のライセンシング(テレビ映画での音楽使用)

断っておくが日本のように「お金を払ってタイアップ」するのではない。実際にテレビや映画に使ってもらって「使用料」をもらうのだ。前にもいったがこれが本来当たり前の形日本の方が異常なのだ。

さて、三か月本腰を入れて感じたこと。それは

どうしてもっと前から本腰でやっておかなかったのだろう?

という強烈な後悔の念だ。

たとえばjangometanature と「未来」をオンエアした。metanature は過去10196回オンエアして"likes (FBの「イイね」にあたる)"が631回、ファン(リスナーが音楽を聴いて自主申請)が158人出た。この数字が人数の割にいい反応かどうかは評価が分かれるところだが、リスナーの反応はいわゆる欧米だけでなく、イスラエル、アルゼンチン、インド、キプロス、ロシア等、本当に世界中から反応が来た。ちなみに奥津はオンエア数はまだ1084回のみだがlikes"が22回、ファンが21人出ている。日本語の歌詞なのできちんと反応が出るか不安だったが以外に聴かれているのだ。

 music SUBMITの方も反応はよく私も奥津もすでに2ケタの数のラジオ局のプロモーションを行っている。私のアンビエント曲は実質インストだ。そして恵は日本語のJ-popそれでも海外で流して反応は悪くない。正直手ごたえを感じている。

これらのプロモーションをやって感じているのは、世界中の人は余計なことを考えず、純粋に音楽の質、音楽そのもののクオリテイを聴いて評価をしてくれている、という点である。日本のようにこれはどこのテーマソングなのか、とか有名な作曲家やプロデユーサーが関わっているのか、とかいった観点は一切ない純粋のその音楽を聴いてよかったか、悪かったかというその評価のみである。

本来これが当たり前なのだ。しかし日本の音楽人はそういう「業界的聴き方」に耳が毒されてしまいいい音楽を普通に評価する、などという当たり前のことが日本の業界人は勿論、一般のリスナーも絶望的にできないのである。

日本の音楽界はマスに売るという一点のみに執着し、音楽を普通に評価する術を失っている。

そして残念ながら日本人の多くがそうした「業界的聴き方」に毒されて、いい音楽を普通に評価するということができなくなってしまった。音楽業界がそういうリスナーを作ってしまったのだ。

だからこそ「ミュージックソムリエ」のような人たちが今必要なのだ。CDショップ大賞などはそのための賞だ。しかしこの賞がいまだに業界の中で叩きまくられているのは周知のとおり。

道のりは遠い、といわざるを得ない

海外のこうしたプロモーションツールを使って、日本の音楽、音楽文化そのものに対して余計に嫌気が指してしまっている。残念ながらそれが現実である。

7月 14, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年7月 7日 (土)

音楽制作の仕事の中でのとあるアーチストとの一幕

今日の記事もちょっと毒を吐く内容になっています。

今年の3月よりとある大手楽器メーカーがクライアントで海外向けの音楽教材制作の仕事を行っている。内容は細かい修正等はこれから発生するものの、概ねクライアント側には好評で無事第一回目の納品ができた。このプロジェクトは今後数年ほぼ数ヶ月から半年にかけて順時制作案件として発生する。

海外向けで英語なので、3人のネイテイブなボーカリストを採用していた。男声一人、女性二人で片方の人間には声優もやってもらった。
そしてそのうちの声優をお願いしていたボーカリストの方を今後の当プロジェクトからはずすことにした。理由はいろいろあるがひとことでいえば今後の協力関係、信頼関係を維持し続けるのは不可能と判断したためである。

その女性ボーカリスト兼ナレーターはテレビやラジオでもよく出演していてある程度名前は知られている関係で実名を公表すると影響が大きすぎるためにここでは実名を伏せるが、要はこのアーチストのポリシーとして英語に対して並々ならぬこだわりを持っているという点で今回はそれが非常に悪い方向に発展した。というのは前回クライアント側から提出されたナレーション原稿や歌詞に対してクレームを云ってきたのだ。勿論こちらは受注する側なのでナレーション原稿も明らかに間違いの部分はともかく、クライアント側から提出されたものをこちらで勝手に変更する権限などない。だからそれをうちに対して云われても、というのが正直なところだが一応私も英語なら少しはわかるので細かい内容についてはそのアーチストの云っている内容は理解できるつもりだ。そしてその内容はクライアント側にも伝えた。

しかし前回驚いたのはそのアーチストは原稿を英語のわかる私でもどこを読んでいるかわからないほど原型をとどめない内容に勝手に変えてきたので、私の方である程度なだめて比較的原文に近い内容の修正にとどめた。

いま考えるとそのアーチストはそれが気に入らなかったらしい

それで今回の続編の話でこちらとしては、それほど原稿に対してこだわりがあるのであれば、翻訳料を払うからそれを含めた形で再度オファーを行った。この環境なら英語にこだわりを持っているアーチストでも受容可能な内容だと思ったからだ。

それにたいしてアーチスト側の要求は明らかにこちらで受け入れ不能なギャランテイーアップの要求

念のため、翻訳といってもせいぜいA4で6-7枚程度。それも殆どが短い文章の会話である。

これは芸能事務所がよくやる手口で要するに「お前とは仕事なんかしねえよ」という意味でこちらが受け入れられない条件を百も承知の上で出してくるーつまりオファー拒否のメッセージだ。

さすがに今回は俺もぶち切れた。即刻代役を探すことにした
現在代役候補が二人おりそのどちらかになると思う。どちらもボーカリストとしても優秀だし声優の仕事をこなすことも可能だ。

懸念すべきは前回の修正内容がまだ今日の時点で見えていないこと。今回は続編の収録といっしょにその作業も行う予定だったが最大の懸念はそのアーチストの歌った曲に「ボーカルを録り直さなければならない」内容の修正が来た場合、どうするか、だ。万が一その事態が発生した場合は新しい代役に丸々歌い直してもらうしかない。

あえていわせてもらえれば今音楽業界、音楽制作の仕事を予算的にも時間的にも余裕のある状況で仕事をしている人間は私の知る限り殆どいない。みんなギリギリの状態で仕事をしている。先日の佐久間正英さんの記事にもあるように佐久間さんほどの人でもかなりギリギリな状況で仕事している(正直佐久間さんはまだいい方だ)その中でみんな厳しい状況で協力しながら「いいものを作ろう」ということで動いている。

だがそのアーチストからは自分のポリシーに対する主張やクレームをいうことがあってもそういういいものを作ろう」という協力の態度を最後まで見ることができなかった。そのあげくが先ほどのメッセージである。

あえていわせてもらえれば 何様だおまえ
といいたくなる。

今度の新しい人はどちらになってもそういうことはないだろうと思う。そう信じたい。

7月 7, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年7月 1日 (日)

録音スタジオの相次ぐ閉鎖の危機的状況

一昨日私がかつて根城のようにしていた音楽のレコーデイングスタジオが閉鎖される報を聞きショックを受けた。メーカー系のスタジオではなくある音楽事務所系が運営していたスタジオだがさすがに運営の限界を超えてしまったということだろう。生音や6-4-2-2の弦楽合奏とかを録るには充分なスタジオだった。私がビクターエンタテインメントで発売した作品の大半がこのスタジオで録音されたものである。

実際昨今の信じられないほどの音楽制作予算の削減、殆どの音楽が打ち込みベースで宅録に毛の生えたようなスタジオで録音しているという現実、かくいう私も自宅の仕事場に一畳程度のボーカル/ナレーションブースを作り今や殆どの仕事をここで行なっている。やりたくてそうしているのではない、昨今の状況でそういう仕事をやりかたをせざるを得ないのだ。一人何役こなしながらpro tools片手に音楽制作やサウンドコンテンツ制作に取り組んでいる現実がある。

だがいくらソフトシンセが発生しようとも生のオーケストラ、生音を録るという需要は必ず発生する。バンドの録音も多重録音ではなくバンドがいっぺんに録音する一発録りの方がいい音でしかもパワフルなテークが録れたりする。

だがこれだけスタジオ閉鎖が相次ぐとそもそもそれらの作業を行なうことのできるスタジオ自体fがなくなるという危機的な状況にもなりかねない。

メーカー系スタジオだからいいとは限らない、一口坂スタジオも閉鎖したし東芝のテラスタジオなんてものも今はない。

長引く音楽不況は音楽制作のインフラ自体も危機的な状況に追い込んでいるのだ。そして一番危機感がないのがメーカー系の連中だ、というのももっと困ったことだが

とにかくこの状況も何とかしないといけない。、


7月 1, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年6月29日 (金)

音楽で人生の節目を語る

最近このブログでややネガテイブ的な記事が多かったような気がするのでたまにはポジテイブな記事を

■人生の節目、音楽通し語る TV番組続々
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY201111010372.html

人生と音楽を切り口にしたテレビ番組が相次いで始まった。登場人物が、人生の節目と結びつく曲を挙げ、語りで掘り下げる点で共通する。テレビ局にとっては番組の新スタイルを探る試み。ネットの発達で音楽があふれかえる中、聴き手本位の新たな聴き方ガイドという側面もある。

■歌ゆかりの場所へ心の旅

 著名なミュージシャンの音楽人生を、ゆかりの場所を巡り紹介する「ミュージックトラベル」が10月、BSジャパンで始まった。本人が挙げた「大切な10曲」にまつわる心の旅、といった仕掛けだ。

 <中略>

 星俊一プロデューサーは「歌だけやバラエティー仕立ての音楽番組は飽きられている。出演者の曲だけでなく、影響を受けた曲のような周辺情報、旅感覚も入 れて、お得感を出した」。大げさな演出のない落ち着いたつくりはターゲットの40~60代を意識した。音楽で人生を振り返れるだけの経験を重ねた世代だ。

 さきがけは、NHKのEテレが7~9月に放送した「ミュージック・ポートレイト」。歌手の今井美樹と作家の村山由佳、バレエダンサーの熊川哲也と歌舞伎 役者の市川亀治郎など、表現者2人が「青春の影」「運命の出会い」など10のテーマで選んだ曲を聴きながら、体験を語り合う。

 

「教育テレビなので、音楽を題材にした歌番組でないものを考えた」と渋谷義人プロデューサー。「世代を問わず聴かれるヒット曲はなくなっても、人が音楽に思いを込めることには変わりがない。それなら音楽と人生に光をあててはどうかと思った」という。

<中略>

「人生と音楽」をテーマにした番組がなぜ増えたのか。    

 大阪市立大学の増田聡准教授(音楽学)は、「音楽が作り手のアイデンティティーを示すものではなく、聴き手のアイデンティティーを構築するものとして受け止められるようになった現れ」とみる。    

 CDは売れなくなっても、「涼しさを感じる10曲」といった用途別アルバムは人気がある。「音楽情報があふれ、選択の新たな指針へのニーズが高まっている、テレビ番組でいえば、『人生と音楽』がその一つなのではないか」


非常にいい傾向だと思う。
もうくだらん「バラエテイ化」した音楽番組は古いということだ

音楽を単なる消耗品のような扱いで、ヒットヒットなどというものより、人それぞれの人生観にとって重要な音楽というものがある。 そこに目を向けるようになり始めたのはすばらしい傾向だ。 そのことによって音楽がその人の人生にとって宝になり、そこから音楽を文化として尊重する気風が育つのだと思う。

ここから日本の音楽文化が立て直しのきっかけになればいいとおもう。

こういう番組はおおいにこれからやるべきである。

6月 29, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年6月19日 (火)

海外と日本を見てー脆弱な日本のラジオのメデイアのプロモーション能力

以前の当ブログの記事にも書いたように自社の音楽を海外でプロモーションを行なうための作業を開始しています。そのために以下のサイト

http://www.musicsubmit.com/

でプロモーションを開始しています。具体的には欧米のラジオ(FM局)とネットラジオ、音楽のライセンシング等に音源を提出(submit)しています。弊社の以下の商品を行なっております。

Metanature_2

私のテクノアンビエントのアルバムです。

いろんな意味で実験的に作ったんですが、大昔mp3.comなるサイトでアンビエント部門で第一位を取ったことがあります。今回のプロモーションも結構反応が返って来ています。

Music submit内でのmetanatureサイト

Kyoji metanature


Meg_mirai_s_2

 ご存じ弊社のアーチスト奥津恵の「未来」です。
 J-popなんか海外に持ってってもしょうがないのでは?
とお考えの方も多いでしょうが、ここはあえて駄目元でやってます。

それでも上記のmetanatureほどではないですが反応は返って来ています。
Music submit内での奥津恵サイト

奥津恵「未来」

本日Musicsubmit経由で海外のラジオに資料を送りました。日本は世界で一番CDを売っている国といわれていますが音楽配信が音楽の中心のメデイアになっている欧米でもラジオ局は放送用に結局CDを送ることを要求します。こちらもmp3レベルの音質をオンエアされるよりはCDの方がいいに決まっているので送ります。もっともネットラジオは殆どmp3になってしまいますが...


日本と欧米、とりわけアメリカの音楽事情で日本との最大の違いはラジオでしょうね。日本のラジオは現在本当に悲惨な状況であり、いわゆるキー局といわれているところでもスポンサーが今なかなかつきません。そして日本の若者は殆どラジオを聴かないのが現状ですが、アメリカの若者は違います。

ラジオというのはご存じのようにメデイアとしては非常に古いものです。

そしてインターネット時代にも関らずアメリカでは音楽の宣伝メデイアとしては一番古いラジオがまだ健全に機能しており音楽のプロモーションで大きな役割を担っています。日本の場合はラジオというメデイアが一部の放送局を除き殆どプロモーションチャンネルとして残念ながら殆ど機能していません。そのため<地上波テレビの影響力が突出してしまい、レコードメーカー各社が宣伝用に地上波テレビでの露出のタイアップ獲得に血眼になる大きな要因ともなっています。

かくして以前の記事にも書きましたが日本では地上波のテレビのタイアップのからみで異常な状態になっています。これは地上波のテレビ以外のメデイアのプロモーション力がないという事情もあります。

やはりその状況を打開するには

日本のラジオ、もっとがんばってくれー

ということでしょうか

そのためには

若者がもっとラジオを聴いてくれるような番組制作を考えるべきでしょう。それなしに日本のラジオの復活はないといっても過言ではありません。

あとアメリカのDJ,パーソナリテイーのように少々あくが強いが存在感のあるパーソナリテイーがやはり必要かもしれません。正直日本のラジオのパーソナリテイーはやはり「おとなしすぎる」ように思いますが...

尚、今回の作業でインターネットラジオについても思うところがありましたので別記事が書きます。

6月 19, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年6月17日 (日)

あるプロデユーサーの発言2『音楽家が音楽を諦める時』について

反響がものすごかったので既にご存じの方も多いだろう。
音楽プロデユーサー佐久間正英さんのブログのこの記事である。詳細の内容は実際に佐久間さんのブログを読んでいただければいいのだが、最近はそのクリック1つすら惜しむ人が多くなっているので、音楽制作とは何たるかをより多くの方に知っていただきたいという意味で文章の一部を抜粋して引用させていただく。

■音楽家が音楽を諦める時
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html

ここしばらく「そろそろ音楽を止める潮時かな」と漠然と考えている。

ここで言う音楽とは自分の職業としての音楽のこと。趣味に近いたまにやるライブであったりバンド活動だったり毎晩作っている”おやすみ音楽”だったりのことでは無く、職業演奏家・作曲家・編曲家・レコードプロデューサーとしての音楽との関わりのことだ。

音楽制作の現場においていつの頃からかその制作費の締め付けが厳しいモノへと変わって来た。それは当然だ。単純に作った商品が売れなくなってしまったからだ。売れなくなった理由・考察はこの場では割愛するが、現実としてそういう状況だと。
すると単純に今までやって来た(培ってきた)技術・方法は使えなくなって来る。どんな形であれ音楽制作には経費が派生する。その経費は”音の作り方・クオリティそのもの”に正比例する。

僕らはよりよい音楽(音)を作ろうと日々努力する。そういう仕事だから当たり前のことだ。
よりよい環境(スタジオ等)を求め、よりよい機材で、よりよいやり方を試行錯誤し。知らない方から見れば「何でそんなことに?」と思える様な些細な部分にも注視し努力を続けて来た。
ところがあるボ−ダーラインを越えてしまうとその努力もやりようが無くなってくる。

例えば10年ほど前まで一枚のアルバムを作るには1200~1500万の予算がかかった。今の世代の方からは「バブル!」と一蹴されるかも知れないがそれは違う。
ちゃんと真面目に音楽を作るにはそういう金額がかかるのだ。僕らのギャラが高かった訳でもスタジオが法外に利益をむさぼった訳でも無駄な時間をかけた訳で もない。録音作品を真面目に作るとはそういう事なのだ。(ちなみにプロデューサーとしては印税契約だったので僕のギャラはその制作費には入っていない)も ちろんこの予算にアーティストの取り分も含まれていない。純粋に録音物の制作にかかる費用だ。
<中略>

そんな風に良い音を録るため、それを商品にするには先に述べた様に色々な部分に大きなコストがかかる。

近興味と楽しみのためにインディーズ(と言ってもほぼ自主制作)のレコーディングのプロデュースをしたりしている。
アルバム制作費で言えば例えば60万程だったりする。彼らにとっての60万は大金だ。ライブ会場で1500円で販売して400枚売ってやっとリクープだ。それでも僕に依頼して来るのは大変な決意・熱意なのだと思う。
こちらも長年の経験があるプロなのでその予算でと言われれば不可能では無い方策で関わる。
何枚かやってみて、どれも到底所謂インディーズレベルでは無い良い作品に仕上がっていると思える。予算が1500万でも60万でも僕に出来ること・やるべきことに違いは無いのだから。

ただ確かに良い作品は作れるが、その”良さ”には限界がある。
僕らはもっともっと”良い音楽”を作って行かなければならないと思うからだ。それには60万の予算はあまりに制約が多すぎる。

 

今音楽は急速に無料化に向かっていると感じる。その波そのものには僕自身も賛同する部分もあり、毎晩無料で自分の作品をネットにアップしている。自分で自分の首を絞める様なことばかりやり続けているのだが…

<中略>

これだけ長い時間を真剣に音楽に掛けて『伝承しようの無い』様なことしか出来なかったのかと思うと甚だ情けないし残念だ。

しかもこれは日本固有の状況に思える。
もしこのまま、より良い音楽制作に挑めないのなら僕が音楽を続ける必然はあまり見あたらないと思えてしまう。 そんな風にして今音楽家は音楽を捨てるべきかの岐路に立たされている

反響がものすごかったこともあり、佐久間さんは次の日にこのような補足をされている。

■昨夜の投稿の追加文
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-6.html

深夜にだらだらと書いた文章がFB、twitter上でもとても大きな反響を浴びていて正直びっくりしている。
本人としてはそんな大それた事を書いた意図も無く、日常的に感じていたことをごく簡単に述べてみただけだったのだが。タイトルに付けた『音楽家が音楽を諦める時』の言葉が無駄にインパクトを与えてしまったのだろうか。

<中略>

”音楽を諦める”も同様に「いい録音物の制作を諦める?」と言うニュアンスで、音楽そのものや制作を放棄する、あるいは新しい音楽スタイルの模索や思考や指向を諦めるとかの意味では無いです。
はじめのところにも書いた様に僕自身は音楽をやめるつもりは毛頭なく、自分のバンド活動等含めこんな時代になったことを実は案外前向きにかつ興味深く捉えています。時代に対してポジティブであるからこそ「おやすみ音楽」の様なアプローチも続けていられるのかと思います。

ただ現実を鑑みるとプロとしてある部分を”諦めて”前に進むしか無い残念な状況ではある、と言う話しです。

<中略>

僕個人はとてもデジタル好きな人間で、上記の様な人間臭いアナログな方法論はさっさと捨てて一人ディスプレィに向かい粛々と音楽を作りたい欲求をいつも抱えています。
でも音楽制作人(プロデューサー)としての自分の仕事は上記の人間クサイ面倒な道を歩まなければなりません。そうしなければ自分にもそのアーティストにとっても”いい音楽”には出会えないからです。
が、そういう音楽の作り方をする為の最低限の土壌がこの国にはもうあまり残っていないこと。その事によって日本の音楽の質もビジネスとしてもガラパゴス化し遅れを取ってしまっていること等を憂えたのが昨夜の文章の真意です。

佐久間さんの記事の反響もあり、もうここで書いてしまっていいかもしれないが当ブログのこの記事は実は佐久間さんの発言である。

ネットでは音楽の制作現場に関してよく知りもしないくせにいろんなことをいう輩が多いが、音楽制作の現場はさまざまな創意工夫を行ないながら可能な限り高いコストパフォーマンスでの制作に励んでおり、当ブログのこの記事のように一人何役をこなしながら制作進行を行なっている。だがそれは打ち込みで殆どのオケを作り殆どボーカルのみを録る類のレコーデイングだから可能なのである。
だがエレクトリックなサウンドを作る場合はそれで問題ないが、アコーステイックなサウンドにするのであればこれは生音を録ったほうがいい音になるに決まっている。
ソフトシンセがどんなに発展しようがこの事実は変わらない。なぜなら当たり前だがソフトシンセは便利でコストダウンにはなるが所詮はフェイクの域を出ないかならである。

ところが昨今の予算ではそんな良い生音を録る予算など殆ど出ない。

そしてそもそも佐久間さんもおっしゃっていたように、今の日本の音楽業界人はきちんと音楽というものに取り組んでいない。
実際私は「音楽を文化として」などと発言してレコード会社の人間から罵倒と嘲笑を実際に浴びた経験がある。また弊社の奥津恵の音源を放送局や放送局系の音楽出版社に持っていった時の担当者との話をしながら思ったのは「こういう奴らが日本の音楽を駄目にしたんだな」という絶望に近い感覚だ。最近私がほぼ確信しているのは「日本の音楽業界の常識という奴にとらわれたらまともな音楽などできない」ということである、

いい音楽をいい音で録る、 
そんなプロフェッショナルとして当たり前のことがもはや日本ではできないのである。

佐久間さんのおっしゃりたいことはまさにそのこと。

さらにどうしようもないのは、そういう状況に疑問すら持っておらずレコード会社の人間は毎夜飲み歩いていたりする。この状況で逼迫している音楽家の生活のことなど考えもしない。
音楽業界のこの状況に危機感のかけらもない。

ミリオンセラーがちゃんと出たじゃないか。
まだAKBも音楽も死んでいないぞ
韓流アーチストが売れているじゃないか、どこが悪いんだ
バブル時代より今の音楽状況の方が 遥かに健全だ

上記いずれの言葉もレコード会社のデイレクターの口から実際に出た言葉である。また先日のAKBのCD廃棄事件で私の当ブログの記事「音楽はゴミ同然となった」という発言を暴言として非難した業界関係者が複数いることがわかっている。その関係者が例のAKBのレコード会社の人間かどうかはわからない。仮にそうでなかっとしてももし自分が世の中に出した商品があのような扱いを受けても私の発言を非難した人間は何とも思わないのだろうか? 

私は秋元康氏のAKBの戦略、コンセプトはかなり評価しているつもりだ。だが秋元氏とて自分の作品、自分の名前で世に出た作品(あるいは製品)が大量にゴミとして捨てられる事態は晴天の霹靂だったに違いない。クリエーターとしての意識と良心とプライドがあればあの画像を見て平静でいられるはずがない。

私の発言を暴言と非難した人物はたぶんそんなことも理解できないだろう。結局「ミリオンセラーが出ているし、AKBの戦略は機能しているどこが悪いんだ

そう考えているとしか思えない。実際にそういう発言が本当に業界関係者から出ても私は驚かないが...

<追記>

佐久間正英さんは2014年の1月15日にスキルス胃癌で永眠されました。最後まで音楽業界の現状に対して警鐘を鳴らされていた方で音楽界の数少ない「良心」が逝ってしまいました。心よりご冥福をお祈り申し上げます

6月 17, 2012 音楽11-15 | | コメント (1)

2012年5月23日 (水)

ある心ある有名プロデユーサーのコメントーもはや日本は音楽の最後進国

本日、とある有名音楽プロデユーサーのコメントで全面的に共感できるコメントがあったのでここで引用させていただきます。但しfacebook上でこの方は原則友人のみの公開している現状を踏まえ、なおかつ本人に迷惑がかからないためにあえて名前はこのブログでは公開しません。名前をいえばある程度日本の音楽を聴いている人であれば誰でも知っている有名音楽プロデユーサーSさんとしておきましょう。

私はこの方のコメントに全面的に共感、支持をするものです。

以下その有名音楽プロデユーサーのコメントです。

最近ある人物と”日本の音楽がアジア圏においていかに生き残れるか?”(とても大雑把に言えば)の様なやりとりをしている。


時を同じくして韓国の音楽業界の重鎮とも言える方や政府機関の方
とも会う機会があり色々話しをした。
僕的な結論を簡単に言ってしまえば非常に残念ながら「もう手遅れ
」「無理」な話しになってしまう。日本は完全に遅れてしまった感がいなめない。

その理由の根源は”ビジネスとして”の話しではなく音楽的クオリ
ティの話しだ。(もちろんビジネスとしての捉え方の甘さもあるが

やりとりをしている友人はシンガポールはまだ食い込める余地があ
る(音楽的に未成熟的な話し)という話しを聞いて、シンガポールのヒット曲をチェックしてみた。
これも残念ながら日本の音楽(ジャンルは限定されるが)では太刀
打ちできないと感じた。純粋に音楽的クオリティにおいて。

何故にいつの間にかこれほど日本の音楽の質は落ちてしまったのだろう。

自分の仕事も含め思い当たることはいくつもあるけれど、総じて言えば「真面目に」「純粋に」音楽的クオリティを追求できなかったことにあると思う。
マスに売れることを最前提として、音楽の質では無く音楽の枝葉末節だけを情報として売りに掛けたこと。(うまく説明できないが)

音楽制作者(レコードメーカーもそこで働く人も現場で制作する人々、マネージメントもディレクターもエンジニアもプロデューサーも)が真摯に音楽に向き合っていなかったことに尽きるのではないだろうか。いつの頃からか貪欲に音楽そのものに向き合わなかった(あるいは向き合えなかった)のではないだろうか。

僕らの世代が若い頃から指向して来た「洋楽に追いつけ追い越せ」は昔の逸話でしか無く、今や「遅れている」とずっと認識(誤解)していたアジア圏の音楽にも辿り着けないでいる様に思う。

もっともっと真摯に音楽そのものに向き合わない限り日本に活路は無い。

今の日本の音楽は「マスに売る」という点にこだわりすぎるあまり。文化として ではなく最初から「消耗品」として音楽を売っているのが現状です。いやもっとはっきりいえば日本の音楽業界はレコード会社から音楽事務所にいたるまで音楽すらやっていない。音楽に向かい合っていないし、そもそも文化として、なんてことを微塵も考えていない連中が大多数になってしまいました。

最近アジアで制作されている音楽を聴いていても思うのですが、残念ながら日本の音楽はもはやアジア圏は勿論のこと、世界でも音楽文化では世界の最後進国になってしまったといわざるを得ません。 特に深刻なのは最近日本で制作されている音楽のクオリテイの呆れるほどの低さです。

コンペも音楽のシロウト同然の人を引っかき集め、それを平気でパクったりしてアーチストの曲にしています。「マスに売る」という点にこだわるあまり音楽は もはや100均の消耗品と同様なものになってしまいました。そしてレコード会社から音楽事務所、場合によってはアーチストにいたるまでその状況に疑問すら 持っていない連中が業界の大多数という現状。

そもそも「音楽を文化として」などと発言しようも のなら罵倒と嘲笑がまきあがる雰囲気が今の日本の音楽業界には確実にあります。 そういう状況を作った連中が日本をこんなひどい状況にしたといっても過言 ではありません。

しかし救いがあるとすれば

心ある音楽のプロフェッショナルはみんな危機感を持ってこの音楽業界の状況の打開を図ろうとしています。

今の音楽業界はイエスマンしかいない、というイメージは強いですが、
良心的なプロフェッショナルは真剣に考えています。かつて音楽業界に対して多大な功績のあるこの音楽プロデユーサーS氏もその1人です。

私の実績などこのS氏に比べればものの数ではないですが...

この状況を何とかしようと今画策しています。例え悪あがきといわれようが何だろうが,,

そう考えるとこのS氏の発言は私に大きな勇気を与えてくれるものでした。

とにかく我々は世界の音楽の最後進国で仕事をするしかありません。

日本の音楽業界の問題は勿論これだけではありません。あまりにも問題がありすぎてどうしようもない、という感じですが、
 

とにかくクオリテイの高い音楽を世の中に送り出す

この使命を忘れてはならないと思います。業界の連中の大多数がどういおうが私はそれをやり続けます。

そして日本独自の、全く新しい音楽、サウンドコンテンツのありかたを模索し続けます。そのことが日本の音楽を最後進国から先進国に再び戻すことになるだろうと考えるからです。

<追記>

音楽プロデユーサーS氏=佐久間正英さんは2014年の1月15日にスキルス胃癌で永眠されました。最後まで音楽業界の現状に対して警鐘を鳴らされていた方で音楽界の数少ない「良心」が逝ってしまいました。心よりご冥福をお祈り申し上げます

5月 23, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年5月18日 (金)

日本の音楽業界少しずつ変わりつつある? 海外売り込みとソーシャルネットランキング

日本の音楽売り込め 上海で商談会
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120514/k10015092811000.html

当ブログでもインターネットで世界中がつながっている時代にいつまでたっても日本国内市場しか見ようとしない日本の音楽業界のありかたを批判してきたが

日本の音楽業界には真の意味の「グローバリズム」は必要 http://bit.ly/KrqGPH+

遅まきながら、だけどやっと真面目に考えるようになったんだなという感想。

ちょっと前はこんなことをいおうもんなら「非現実的だ」とか「時間がかかる」とか間違いなく否定的な答えがレコード会社あたりから帰って来たんだけど...

だけどしかし本当にアジアに売り込もうとするなら今のような音楽のクオリテイじゃ長続きしないと思うね。以前のkatuunのケースのようにコンペでシロウト同然の奴らの曲をパクって作っているようじゃ駄目だ。

新しいことをすることを極端に嫌う日本の音楽業界だがようやく少し変化に向けて重い腰を動かしつつあるということだろうか?

一方ではこんなサービスも出現した

■ソーシャル音楽ランキングサイト「BeatCaster.net」オープン
http://release.vfactory.jp/release/48195.html

Twitterでつぶやかれる音楽タイトルとアーティスト名を分析し独自の音楽ランキングをインターネットで提供するスマートフォン向けソーシャル音楽ランキングサイトだという。「ランキングを買う」というのが半ば常識となっている業界状況を考えると、ユーザーの正直な音楽ニーズの反映ができるのであればそれは少しは健全な方向に向っている、ということだろう。音楽事務所系はそういう「公正」さ極端なほど嫌ってきたから

少しは面白い動きが出てきた、と考えるのは期待しすぎだろうか?

5月 18, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

また偉大なボーカリストの訃報ードナサマー肺ガンで死去

今年の始めのホイットニーヒューストンの訃報にもとても悲しい気持ちになりましたが、モータウンの「顔」といってもいい偉大なボーカリストがまた逝ってしまいました。

とても残念で悲しいニュースです。

■ドナ・サマー、死去 http://www.barks.jp/news/?id=1000079703

木曜日(5月17日)、ドナ・サマーが亡くなった。63歳だった。肺癌を患っていたと伝えれている。

<中略>

彼女に訃報にはやくもミュージシャンから多くの追悼の言葉が寄せられている。エルトン・ジョンは「とても悲しい。彼女はディスコ・クィーン以上の存在だっ た。彼女のレコードはいまでも素晴らしい」と追悼。デュラン・デュランのニック・ローズ(Key)は「1つの曲を聴いて、音楽に対する見方が変わるなんて ことはすごく珍しい。“I Feel Love”はそれを成し遂げた」、プロデューサーのクィンシー・ジョーンズは「ドナは大変革をもたらした人。彼女の声は時代のハートビートでありサウンド トラックだった」と称賛している。

そのほか、アレサ・フランクリン、バーバラ・ストライサンド、カイリー・ミノーグ、グロリア・エステファンらから追悼の言葉が上がっている。
サマーはグラミー・アワーズを5回受賞。ロック部門(1980年最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス「Hot Stuff」)を受賞した最初の黒人女性シンガーだった。

心からご冥福をお祈り申しあげます

5月 18, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年5月 7日 (月)

音楽雑誌の危機的な状況と業界馴れ合い解消のすすめ

音楽関連メディアの凋落が言われて久しい。かくいう私自身も何回か音楽雑誌に寄稿した経験があるのでこの記事は身につまされる問題でもある。

「まるでファンクラブ会報!?」専門誌は絶滅寸前――音楽系メディアの由々しき現状
http://www.cyzo.com/2012/05/post_10516.html

音楽関連メディアの凋落が言われて久しい。中でも、“絶滅寸前”とささやかれるのが音楽雑誌。部数の減少だけでなく、広告収入の落ち込みが止まらないという。

「1990年代には10万部以上出ている音楽雑誌もありましたが、現在では比較的売れている情報誌で数万部、グラビア中心の専門誌では数千部しか売 れていません。その上、雑誌運営の柱でもある広告が、レコード会社の予算縮小でほとんど入らなくなり、編集協力費名目で一企画あたり数万円入る程度。人件 費を削るなどして、赤字幅を減らそうと汲々としているのが現状です」(音楽雑誌編集者)

 収入が数万円程度でも、タイアップはタイアップ。誌面に登場する歌手やバンドに迎合したインタビュー記事やコラムばかりが掲載され、音楽誌はさながら「ファンクラブ会報の寄せ集め」のような状態に。

「最近、ミスチルは3,000部持っているとか、嵐は4,000部持っているという言い方も耳にします。彼らが表紙を飾れば、それだけの部数が見込 めるという意味ですが、逆に言えば、現在の音楽雑誌には固定読者がほとんどいなくなってしまったということなんです」(前出・編集者)

<中略>

実際、歌手やバンドの間では「稼働しても効果が見込めない」と、音楽関連のメディアから距離を置く動きも始まっている。約30万人のファンクラブ会員を抱 えるGLAYは近年、メディア露出を極力控える方針に転換。CDの売上は低下しているものの、ファンクラブ向けの特別ライブを行うなどして、安定した収入 を確保しているという。固定ファンをつかんでいるベテランや中堅の間では、今後こうした活動スタイルが広がりそうだ。

実際問題として今音楽雑誌で真の意味の音楽評論などもはや10年前からなくなっている。

 

これはレコード会社とのタイアップ記事の日常茶飯事化、レコード会社の広告に頼った音楽業界と出版社との馴れ合いが生んだビジネスモデルであり、出版社の編集方針にも芸能事務所的な体質を持ち込み、批判記事を書けばライターが執筆の場を失うような強硬姿勢でジャーナリズム的要素を排除して来た結果、音楽雑誌は事実上「アーチストのファンクラブ雑誌」に成り下がってしまったのである。

残念ながらこのことは我々音楽業界の人間からすればもはや常識になっており、今レコード会社や芸能事務所はいずれも、音楽雑誌だけでなくドラマの主題歌、CM等全てにおいてこの論理でメデイアとの馴れ合いを繰り返してきた。

収入が数万円程度でも、タイアップはタイアップ。誌面に登場する歌手やバンドに迎合したインタビュー記事やコラムばかりが掲載され、音楽誌はさながら「ファンクラブ会報の寄せ集め」のような状態に。

しかしアーチストのファンならともかく、ファンでもない人がそんな雑誌を読んで何が面白いだろうか? 音楽業界はタイアップというものにこだわりすぎて結果的に自分で自分の首を絞めていることに気がつかなかったのだ。当然ながらこういうことを繰り返せば、上記の文章のように現在の音楽雑誌には固定読者がほとんどいなくなってしまったということなんです」ということになろう、冷静にロジック的に考えれば固定読者、定期購読者がいなくなるのは当然の帰結である。

これに関して先日私が「バランスあるコンテンツ論」として紹介したマーケテイングデイレクターの井上秀二さんが非常に的確な分析をされているので紹介させていただく。

これらの原因として

(1)マーケティングや広告業界の「鉄則」である「露出」の多さ。これに頼りすぎた。⇒だから当然飽きられるし、消費されるだけ。

(2)たしかに、「時代と寝て」大ヒット、いつまでも愛される楽曲ってあるけど、根本的にコアなファンがつく音楽・アーティストって、リスナーが自分のリスクと能力を駆使して見つけたもの、なんじゃないかなと。

(3)だから、ヒットが欲しいということで全ての楽曲・アーティストを「マス商品化」するのには無理がある。今は亡きHMV渋谷の手書きコメントが、印刷ものになった。手書きの頃は、まだ1対1の交流の様なものがあったけ批評家や優秀なクリエイターや音楽好きの店員さんがやって成功したことを、マスマーケティング手法で代替できるなんてのは、勘違いだった。

(4)つまり、「リスナーの負担を軽減してあげましょう」という上から目線の余計なお世話が、リスナーの「楽しみ」を奪ってしまった。

(5)となると、ますますミュージックソムリエのような音楽のレコメンダー(具体的にはレコード店でおすすめの音楽をお客様に提案する工程)と、彼らの活躍の場が必要となる。

(6)求められるレコメンダーとは、90年代のCDバブルの頃から続く「買わされた音楽」への怨恨を断ち切り「(主体的に)買うべき音楽」ってものを、さりげなく見つけ出すのをサポートする存在。

(7)あと、3月の「残響祭り」(残響レコード主宰) とか行って感じたんですが、優れたレーベルとアーティストって埋もれすぎてる。ジャンルでもテーストでもリスナーに提供する価値観でもいいんで、何らかのコミュニティ化の必要性を感じてます(単につるめばいいという話じゃなくて)。「ムーブメント」だと成功しても消費されちゃうんで、難しいところですけど。昔だったら、うまくいくと「大手」が触手を伸ばしてきたんだけど、今ではそれも出来ませんもんね、幸か不幸か。とにかく「ビオトープ」をもう少し「大きな流れ」にしないと。
たと

私は特に上記(3) と上記(4) そして上記(6)というものが大きなポイントではないかと考えている。

私はこのブログで何回も音楽業界のビジネスのしかたは90年代のバブル期から何ら本質的に変わっていないー変えようとすらしていない。ということを問題視してきた。特にタイアップに関してはプロモーションの名の元に音楽家の権利をも蔑ろにしており、世界的にみてこの状態は異常だ、ということも述べてきた。しかしこの音楽雑誌の絶滅寸前にまで追い込まれている衰退の現状と、昨今効果が薄れてきている地上波テレビとのタイアップのf現状を見て、そろそろ雑誌やテレビ等のメデイアと音楽業界との馴れ合い的な悪習慣を一度断ち切らないと業界はよくならないではないか、と思う。

あえていえば、今の音楽業界は露出度にこだわる余り、
        メデイアをタイアップで買い取る
                  
       メデイアの質が落ち購読者、視聴者が減る
                  

    効果が薄れたためメデイアの締め付けを余計強くする
                  

   余計にメデイアの人気がなくなりプロモーション効果がなくなる

バッドスパイラルに陥っていると思う。

どうせこのままこの状態が続いても今以上に悪くなることはあってもよくなることは絶対といっていいほどない。 今すでにどうしようもない絶望的な状況になっているのだし...
 

とにかくこの転落スパイラルを断ち切るためにもバブル時代からの悪習慣を断ち切るべきだと思う。


5月 7, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年5月 1日 (火)

日本の音楽業界には真の意味の「グローバリズム」は必要

5月に入りました。
一応、プロモーター、マネージャーの仕事を「辞任」した私ですが、いろいろと「後始末」をしなければなりません。この「後始末」に一年くらいは覚悟しないといけないでしょう。

さて私は先日の記事で日本には地上波テレビとのタイアップの状況があるためにライセンシングに関して権利のマネージメントの観点では世界的には異常な状況になっていることを述べました。実際JASRACという公的権利信託機関の「公認」のもとで行なわれるわけですが最近はこのタイアップの規制もさらに大幅に緩和される動きになっており、もはや日本の音楽のメデイアで日本の音楽をライセンシングするのはよほどの条件がそろわない限りほぼ不可能に近い状況になりつつあります。

日本の音楽界は世界の中の北朝鮮のように本来異常なことが「正常」になってしまっているわけですが、さらにこのタイアップに基づき「利権構造」ができてしまい弊社のような小さな会社がその中に割って入るなどということはほぼ不可能に近い状況になっております。

しかし、  です。

最近地上波のタイアップがあったからCDや配信が売れる、などという時代はもはや終わりました。タイアップが有効なのはドラマその他で音楽が極めて効果的な背景で使われた場合ーつまりその音楽が好きになるシチュエーションを作るーのみに限られており、いわゆるバラエテイ番組のエンデイングテーマで流れる、などという程度で音楽が売れる、などということはほぼ、ありえない状況になっております。

しかもシチュエーション作りーに適したタイアップの可能性があるものは

放送局とプロダクションとの力関係でほぼ事前に決定しており第三者が入り込む余地は全くありません。しかしだからといってバラエテイ番組のエンデイングテーマのタイアップ「広告料」を払うのははっきりいってどぶにお金を流し込むのとほぼ同じ行為です。

最近はそういったタイアップは効果がないし、ドラマのエンデイングテーマだから必ずしも売れるとは限らなくなってきました。そのため放送局の重要な副収入だったタイアップによる「広告料」も最近は激減していますが、いずれにせよタイアップタイアップなどと騒いでいた時代をそろそろ見直す時期に来ているはずです。

しかし音楽業界にはそういう動きが全く出ていないし、昨今の韓流アーチストブームにしても彼らを日本国内で売ることしか考えておらず、従来からの方針を見直そうなどという動きはほぼ皆無といっていいです。

私はもうそういった既成の方針を全く変えようとしない業界、新しいことをすることを極端なほど嫌う業界の体質にはっきりいって愛想が尽きています。

そんなことで今まで自分が作った音楽を日本以外の市場に売り込むことを始めようとしています。「おまえ正気か?」などという声が聞こえそうですが、元々全世界のマーケットの数パーセントに過ぎない市場しか見ようとしないこと自体がこのインターネットで世界中が繋がっている現代を考えるといかがなものか?と思ってしまいます。

野球でも今から17年前に当時近鉄の野茂投手がメジャーリーグへ挑戦しようとした時、島国的な価値観に染まっていた日本のスポーツ新聞は徹底して野茂投手を叩きました。「身の程知らず」「通用するわけない」などという言葉が新聞を踊りました。

しかし今、日本の選手が当たり前のようにメジャーに言っています。そして彼らを非難する論調はほぼ今や皆無です。メジャーからもどってくる選手もいますが、サッカーの選手などでは海外のチームを渡り歩くのはほぼ当たり前ですからそういうことが頻繁に起きたところで目くじらをたてる日本社会の方が寧ろ異常です。

同じことが音楽でおきるべきだと思っています。起きなければおかしいと思っています。

なぜなら今インターネットというもので情報やコンテンツは国境、文化、人種に関係なく流れていくからです。インターネットでグローバルに世界が繋がっている現代では文化的鎖国をしようとしてももはや不可能です。

但し何度もこのブログで書いていますが、私はいわゆるマスコミで語られているアメリカ主導のグローバリズムに対しては批判的な見解を持っています、なぜならそれは単なるアメリカ帝国主義の変形ーつまりアメリカの価値観(それもアメリカの国際金融勢力を主眼とした)をただ押し付けているだけで、いわゆる日本のグローバリストの殆どからはアメリカ以外の話が全く出てこないことが多いーだからです。しかし一方ではそういう価値観に関係なく世界中が繋がることは寧ろ喜ばしいことだと考えています。(私はマスコミなどが流すグローバリズムエセグローバリズムであると考えています)

というわけでこれから自分の作品を考えるにあたり最初から世界を念頭にプロデユースしていこうと考えています。

ちなみに欧米、特にアメリカは顕著ですが「英語の歌詞以外は聴こうとしない」という傾向が強いといわれております。

確かにそういう傾向が間違いなくあります。しかし少しずつ変わっているようです。

なぜなら記憶に新しいこの人がアメリカでヒットを飛ばしたからです。

■由紀さおりが米国iTunesジャズチャートで1位獲得のワケ
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20111209/1038933/?ST=life&P=1

正直いってアメリカも島国的な体質があります。大半の国民はアメリカ以外の国のできごとに関して関心を持ちません。しかしそのアメリカですらグローバリズムで変わりつつあります。

幸いにして多少は英語ができますので、音楽をグローバルに打ち出すことを考えようと思います。日本の音楽業界に関して云えば「グローバリズム」(くどいようですがエセグローバリズムないグローバリズムです)は必要だと思います。

5月 1, 2012 音楽11-15 | | コメント (2)

2012年4月27日 (金)

映画「I AM..」韓流アーチストたちの努力と島国体質から一向に脱却しようとしない日本の音楽業界

すみません。今日は久々に吠えます (笑)

予告編ですけどこれ見て日本の音楽界が実に情けなく思えてしまったので....
まずはこれを見て下さい

こういうのを見ると日本の音楽界は本当に甘い,と思ってしまいますね。

そもそも韓流がどうのこうの、韓流ばかり放送するのはけしからん、などと云っている以前に彼らが自分の国以外のマーケットに売り込むのにどれほど死ぬほどの努力しているか、ということをもっと評価しないといけないと思います。

今やインターネットの時代で文化も音楽コンテンツも国境、人種に関係なく伝わります、いいものだったら韓流だろうがなんだろうか国境を越えて評価されるのは当然だしそうあるべきだと思います。

なのに日本の音楽界の島国体質何とかならんのかね、と思いますね。いつまでたっても閉鎖された日本のマーケットしか見ていないし、それ以外見ようとすらしていない。

韓流のアーチストが日本のマーケットを席巻しても「あ、よかった、これで会社の売上があがった」とか「これで自分のデイレクターとしての立場は安泰だ」ぐらいにしか思わない奴ばかり、というのが今の音楽業界の現状ですね。日本の音楽文化の育成という社会的使命を自分たちが負っている、なんていう意識は微塵もない、そういう輩が多すぎます

彼ら韓流アーチストの様子をみたら、日本のミュージシャンは今のままじゃ絶対彼らには勝てないと思います。だって ハングリーさが違いすぎるもん。日本の音楽に負けないように日本独自の音楽文化を構築するにはどうしようか、それを真剣に考えないとこのままじゃもう「日本の音楽」という もの自体がなくなってしまいます。いつまでもジャニーズAKBじゃないでしょ。AKBだってこのブームあとどれだけ続くかわからんよ。(私見ではせいぜいあと1-2年じゃないか、と考えます)

僕はマスコミやネットに氾濫している「アメリカ主導のグローバリズム礼賛論」に対して は極めて批判的な見解を述べているのは私のブログをよくご覧の方ならおわかりだと思います。しかしながらグローバル化でいい点があるとすれば世界中の質の高いコンテンツが国境や文化に関係なくそれらに接することができるようになったことだよ思います。
特に日本と韓国のように過去に不幸な歴史がある国同士も、音楽を通して相互理解を深めることが可能だし、彼らが日本のマーケットに進出しているのは ビジネス的な面はさておき、なかなか相互理解が深まらない国同士がわかりあえるようになるチャンスでもあるはずです。

いわゆるグローバル化を諸手を挙げて礼賛するものではないけれど、いつまでも狭い日本のマーケットばかり見るのではなく自信を持って世界に持っていける日本独自の音楽コンテンツを制作するのがこの悲惨な音楽状況を打開する1つの道ではないか、と考えます。

しかしそれがなかなか日本ではできない。なぜできないのか。それは日本の音楽のプロモーションの実態、短絡されたマーケテイング、その他、実に根が深いです。

実際こんなことをいうと業界筋から「何理想論いっているんだ」とか
「バカじゃねえか、おめえ」などとほざく声が聞こえそうだけど.、声を大にして云いたいのはあんたらの言うとおり業界が動いたから音楽業界がこうなったんでしょ? という点ですね

だから私はもう「日本の音楽業界的」な視野を捨て、音楽コンテンツのマーケットをグローバルに打ち出すこと、これ以外に日本の音楽文化を打開する方法はない、と考えるようになりました。もう「日本の音楽業界の常識」とやらをいい加減捨て去るべきだと思います。

尚、まさか誤解する人はいないと思いますが、別に私は韓流音楽のファンではありません。(最近のネットは文章読解力の低い人が増えたせいかわざわざこんなことまで云わないといけない場合があるので...)

先ほどの映画(正式名称は「I AM. SMTOWN LIVE WORLD TOUR IN MADISON SQUARE GARDEN」だそうです)の予告編を見て、「普通の人間の感覚」なら日本人として危機感を覚えるはずなんですが、まあ音楽業界にはそれだけ「普通の人間の感覚」を持った人間がそれだけ少ない、ということでしょうかね。とにかく日本という国の音楽業界の人間の端くれとしてちょっと情けなくなり吠えてしまった私でした。

4月 27, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年4月 7日 (土)

ショパンにワルツが19曲もあったなんて

しばらくブログ記事を書かないつもりだったけどちょっと面白い話なので...

私は一応幼い頃からピアノをやっているのでクラシックピアノも当然私はやっている。ショパンの曲も当然やらされていたわけで、ショパンのワルツは必ず通る道だ。
しかし今日娘のピアノの楽譜を見て目からうろこが出た。

自分の中ではショパンのワルツって14曲しかないと思っていたが実は19曲あったという話

実は15-17番で15番は早くから存在が知られていたらしいが、16-17番はは20世紀になって発見され出版されていたらしい。(16番は1902年、17番は1908年)しかしショパンの若い頃の作品らしいのでショパンの正式な作品群に入れないことが多く、実際現在出版されている楽譜の殆どが14曲止まりだ。

18番、19番はショパンが友人に献呈したものらしいが、世に出て発表されることもなく、めぐりめぐってなぜかイギリスやフランスの個人がショパンの自筆楽譜を所蔵していた。そのうち18番といわれているのは題名すらついていない。一応ワルツ的な性格をおびているのでワルツの中に入れられているが、別のジャンルに入れるべきという説もあるためValse(イタリア語でワルツのこと)の隣に? マークがついているのがおわかりだろうか?

Chopin18

19番も最近加えられたものらしいが、いずれにせよ自分がワルツをやった○十年前に知らなかったことがあったとは

これが19番の楽譜です。

Chopin19

私は別にショパンは好きではないが、一応昔よくやらされたけど、こういうことは知らなかった。

うーんクラシックはまだ深いな。

4月 7, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年3月26日 (月)

ソフトシンセとハードシンセ併用

現在の受注案件。短い曲ですが大量の曲数の編曲をしなければならず現在その作業中です。

ここしばらくレコーデイング作業はソフトシンセの起用を中心にしていましたが最近またハードシンセの音源モジュールも多用しています。

Ongen_module

というのもソフトシンセ、確かに便利だし音源も豊富なんですが前にも書きましたようにどこか音質として線が細い、といいますかどこか物足りなさを感じているのと、使いなれているハードシンセの音が私自身の体になじんでいる、という事情もあります。特にピアノの音は以前別の記事にも書きましたが、Kurzweil K-1200の音ははずせません。

とはいえpro toolsに装備されているソフトシンセモジュールを始めKontakt player 4.0Vienna Instruments ドラムだとBFDといったソフトシンセは表現の幅を広げる意味で大きな力を持っており重宝しています。音楽制作環境ではpro tools8は導入してよかったと思っています。もっとも最近のpro toolsは(特に10以降は)殆どMA用ソフトになったといっていいくらい設計思想が全く違うので、もしかしたら当分pro tools8の状態で作業するかもしれません。

いずれにせよソフトシンセと使いなれているハードシンセ両方を併用することによってアレンジ、表現力の幅は広がりますが実は1つ大きな問題があります。

それはソフトシンセとハードシンセの間に遅延時間による「ずれ」が生じてしまう点です。

これはソフトシンセはMAC PRO内でDAWmidiのプロセッシングを処理するためほぼ時間差なしで処理されますが、ハードシンセは外部の機器にmidiケーブル経由で繋がっていますから、どうしてもそのケーブルによる遅延時間による「ずれ」が生じてしまいます。特にリズムセクションで両方を併用しますと顕著に現れますが、結局物理的な接続が原因のため結局波形編集で時間軸をあわせるしかありません。しかしこのことによって余計な手間が発生してしまうので何かよい方法はないか、現在考えているところです。

3月 26, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年3月10日 (土)

欧米のインデイースシーンで使われている音楽プロモーションツール

↓下の記事の続き

実は何で急にこんなことを言い出したかというと、私は元々そういう欧米の音楽プロモーションツールのアカウントをいくつか持っていた。しかし日本国内で立ち上げようとしていたさまざまなプロジェクト関係(多くは失敗に終わったが)やこのブログで何回も述べたがこれから自分の人生の勝負に出るためのさまざまなプロジェクト。それらについて頭がいっぱいだった関係で、そうしたプロモーションツールを長い間放ったらかしにしておいてしまっていたからである。

しかしよく考えればそれは大変損をしていることに気づいた。改めてそうしたプロモーションツールをよく見ているうちにもっと前から積極的にやっておけばよかった、といえるようなものがたくさんある。

そして今自分がやろうとしていること。

音楽に関する全く新しいコンテンツの開発これはいずれ今までにない作品を世に出すことを目的としている。

そして先日も私がフィルムスコアした作品がカンヌ映画祭に提出されたが、作曲家としては映画劇伴音楽作家としても動こうとしている。

これらはいずれも最終的には日本国内だけでなく、いずれは世界じゅうに対してプロモーションしなくてはならないプロジェクトである。その場合日本国内の業界の常識など全く無意味である。その際にはアメリカの音楽のプロモーションツール、欧米の音楽のプロモーションやアーチストのインキュベーションのメカニズムをもう一度検証し、理解することはこれからの自分の音楽人生にも極めて重要なことだと考える。この場合はっきりいって日本の音楽業界の常識などクソくらえである。

なぜ欧米社会では地上波のテレビのタイアップもない、いわゆるシチュエーション作りもない状態で音楽がプロモーションされているのか、なぜ次から次へと新人アーチストが育ちインキュベートされているのか?

それは欧米のアーチスト向けのインデイース、新人アーチストのプロモーションツールが非常に充実している。というのも大きいと思う。日本もいわゆるインデイース市場が大きく伸びているが、欧米ではそれ以上にどんどん伸びているのはそのためである。

それではどんなプロモーションツールがあるかというと

1 CD BABY    http://www.cdbaby.com

日本でも知る人ぞ知るアメリカのインデイースCDのデイストリビューションサイトの最大手。アメリカ国内のリテールショップやアマゾンを含むネットショップ、そしてi-tunesを始めとする大手配信会社でのデジタル販売が可能。そこまでなら同じようなサイトがあるがCD BABYですごいのはラジオへのプロモーションを始めとする、多くのサイトと連携し自分の曲のプロモーションやテレビ映画、you tube等へのライセンシング推進プログラムまでついている。このCD BABYから多くのバンド、アーチストがインキュベートされた実績があり、海外で自作を発表したい人はここのアカウントを取ることを私は推奨したい。費用もそんなに高くない

ちなみに私のCD baby サイト http://www.cdbaby.com/cd/kyoji

奥津のCD babyサイト http://www.cdbaby.com/cd/megumiokutsu2

2.  Sonicbids   http://www.sonicbids.com/

主にアメリカ国内のギグ(ライブや音楽祭等)への参加を効率的に行なう目的だが自作のプロモーションやライセンシング獲得(多くの場合追加料金がかかる)も可能。自分のプロフィールと作品の試聴をできるプロフィールサイト(EPK )を作ることができ、海外のプロモーター、プロデユーサーに見せるための機会を作ることもできる。CD BABYfacebookのアーチストページとも連動可能。有料会員になれば10曲まで自作のサンプルをアップロードできる。

3.  Reverbnationhttp://www.reverbnation.com/

CD BABYと同じようにプロフィールサイトとCD販売機能やi-tunesの配信も可能。但しCD BABYと違うのはソーシャルネットに特化している面がある。というのもこのサイトがfacebookと密接な関係があるためだが、CD販売機能も有料設定なので私もこのサイトはあるもののそんなに使っていない。

私のReverbnationサイト http://www.reverbnation.com/kyojiohno

音楽プロモーションツールサイト

・ jango airplay    http://airplay.jango.com/

全世界で700万人のリスナーを抱えるインターネットラジオ。ジャンル別に分かれており音楽の趣味の近い層に音楽を聴かせることができる。CD BABYi-tunes、公式サイトにも常時リンクを貼っているのでリスナーを誘導しやすい

music SUBMIT  http://www.musicsubmit.com/

全米のairplayやインターネットラジオだけでなくカレッジ(大学)ラジオ、地方のラジオといったリアルば媒体へのプロモーション、オンラインミュージックマガジン等にプロモーション等ができる。実際の電波系のパワープレイも入っているので上記のjango airplay よりは費用がかさむが、新人のインキュベーションにはアメリカではカレッジチャートが大きな影響力を有しており、資金力があればこちらをプロモーションにする方法もある。とはいえ、日本のラジオのパワープレイーと比べると遥かに安い。

Headliner      http://headliner.fm/

インターネットラジオとソーシャルネットを融合した音楽プロモーション。アーチストの好きなファンを集めやすいというメリットがある

 

その他 参考

songtrust  http://www.songtrust.com/

曲のライセンシングや音楽配信、インターネットラジオの権利を管理する団体。欧米では日本以上に違法コピーや海賊放送が多いため、それを保護する目的で存在するサイトのようである。

Pledgemusic   http://www.pledgemusic.com/

日本でも一度こういう動きがあったが、アーチストに対する投資を呼びかけるサイト。投資家の投資で音楽活動を行い、収益を配当するというシステム。実際どの程度機能しているのかわからないが、投資大国のアメリカなのである程度の成果は出ているのだろうか。

これらのサイトはお互い提携しており、取り分けCD BABYSonicbidsは提携サイトが多くうまく連動しやすいように作られている。これはひとえにプロモーションといっても様々な作業があるので、1つのサイトが全ての作業をやろうとするとどうしても無理が生ずるため、各サイトがお互いの得意分野で提携して補完するようにできている。

日本にもVibirth (http://www.vibirth.com/ )や MonsterFMhttp://monstar.fm/ )というインデイースプロモーションサイトがあるが、残念ながらCD BABYSonicbidsのように効率よく機能しているかというと疑問である。これは1社のみで全ての作業をやろうとしている面があるからだと思われる。もっとも日本にはmusic SUBMITやjango airplay に相当するプロモーションサイトがない、というのも問題だ。

注:Vibirthは既にサービス終了しています

あと欧米と日本の決定的な差はラジオの影響力の差だ。ラジオ大国のアメリカはブッシュ政権時代は「ブッシュのプロパガンダ機関」といわれたクリアチャンネルがアメリカのラジオ局の大半を支配した時代があり、その間アメリカのラジオは急激に信頼感と影響力を失っていったが、クリアチャンネルの当事の経営者の数々の不正やリスナーを裏切る行為が判明した関係で永久追放となってからは、またかつての活力を取り戻している。アメリカで地上波のタイアップがない状態でも新人アーチストのインキュベーションが可能なのはラジオの影響力が健在だからと思われる。

一方日本のラジオの影響力は貧弱なものである。今若い人は殆どラジオなんて聴かないしキー局といわれるところでもスポンサー獲得に苦労している始末。当然音楽のプロモーション能力も高いとはいえない。これが欧米と日本の大きな差の原因の1つにもなっている。

今回の一連の件で久々にこうしたツールを使ってみようという気にはなった。差し当たり比較的お金のかからないairplayから始め、資金的に余裕ができればmusic SUBMITをやってみようと思っている。

ちなみに当たり前だが上記のサイトはいずれも英語である。CD BABYにはかつて日本語サイトがあったが最近はなくなったようである。

 

 

 

 

3月 10, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年3月 9日 (金)

欧米では地上波のタイアップが殆どない点とインデイースのツール充実の現状を見て

ご存じの通り日本で音楽をプロモーションする場合、地上波テレビとのタイアップで音楽を露出させる、ということが一般的である。少なくとも日本国内では必須といっていい。

だが今頃になって気がついたのだがよく考えてみれば欧米ーアメリカでもヨーロッパでもー音楽を地上波テレビの番組やCM等でアーチストの楽曲をタイアップでプロモーションする、などということは殆どない。勿論有名アーチストの音楽をCMその他で使うことがあるが、それは多くの場合ライセンシング(権利使用許諾)で寧ろ例外的事象といっていい。ライセンシングだからマイケルジャクソンコカコーラCMにせよ、ローリングストーンズWindowsのCMにせよ、スポンサーから莫大なライセンス使用料が各アーチスト側に支払われている。

これに対して日本の場合、アーチストの楽曲をタイアップとして使用する場合はこうしたライセンス料は勿論のこと、著作権使用料も「プロモーション目的」という項目JASRACに例外事項として認められるためアーチスト側にも作曲家にもビタ一文の費用が支払われない。しかも一度タイアップとして使用されると多くの場合スポンサーからみの縛りが出てくるので、あとで二次使用したくてもなかなかできない等、アーチストの権利がいろんな意味で制限される。

はっきりいって日本のこの現状の方が異常である。

欧米で行なわれているライセンシングの現状が本来の姿であり、コンテンツ、ソフトが権利ビジネスであるという現状を考えると、本来こちらの方が当たり前なのである。

つまり日本と欧米ではアーチスト側と地上波のメデイア関連との力関係ー取り分け権利に関する力関係が完全にあべこべになっているのだ。

だが北朝鮮や戦前の日本社会のように国全体が異常だと、異常なことが正常になってしまう。そしてそのタイアップが事務所やレコード会社の事実上の「利権」「既得権」として力関係のあるところが抑えてしまい、今やBSやCSの部分まで押さえられている。

日本の音楽業界だけを見ているともはやこういうことが慣習化してしまっているので、異常に見えないが実は世界の権利ビジネスの感覚からすればこれは明らかに異常である。欧米のどの国を見ても地上波のメデイアに対してこれだけ「権利を放棄する」行動をJASRACのような権利信託機関の公認のもとに当たり前のように行っている国は私の知る限り日本しかないのだ。その意味では違法コピー天国、海賊版天国で著作権の概念すらないお隣の中国を日本はあまり笑えない。

これというのも日本ではいくらインターネットや衛星放送等が普及してもいまだに地上波のテレビの影響力が、衰えたといわれながらもダントツだからだ。そしてこれからもそうであり続けるだろう。

しかし地上波のテレビの影響がダントツなのは何も日本だけの話ではない。

このブログで何度も書いているがネット草創期には、インターネットが現れたのでこれでマスというものがなくなる、などという情報がまことしやかに流れた。

しかし実際にはそうなっていない。IT系やグローバリストといわれている人たちがお手本とするアメリカですら、マスメデイアは健在であり影響力がダントツである。NBC CBS ABC等の地上波テレビ三大ネットワークがまだ健全な経営を続けているのが何よりの証拠だ。

にもかかわらず欧米では多くのアーチストが新譜を出しているし、今年グラミーで旋風を巻き起したAdele(アデル)などはまだデビュー5年でアルバム二枚ともミリオンセラーにしている。今私が不思議に思っているのは、地上波のタイアップが殆どない欧米で

どうやって曲がプロモートされているのか?

どうやってアーチストがインキュベーションされているのか? 

この二点である。

勿論欧米と日本では社会的バックグラウンドが違う。そして私がこのブログで何度も述べているように、欧米のように音楽のファンダメンタルズらしいものが殆どない日本と欧米社会では単純比較はできない、ということもわかっている。アメリカの白人のカントリー黒人のR&B ソウルフランスのシャンソン等々生活の中に溶け込んでいる音楽など日本には残念ながらないのだ。だから地上波テレビのドラマやその他によって「シチュエーション」を作りそのシチュエーションの中に音楽を組み込む、という仕掛けを作らないと日本では本当にその歌が愛されるということはない。残念ながらそれが日本の現実だ。

だから私は欧米がこうなっているから日本が同じようになるべきだ。などというつもりはない。それじゃ私が普段批判しているITのシリコンバレー留学組やグローバリスト経済学者らの見解と同じになってしまう。 

私はそんなバカなことをいうつもりはない。

しかし地上波のタイアップを使わないでプロモーションしている欧米の現状を今一度改めて再度検証してみるのも意味があることではないか、と思う。なぜならインターネットによる情報化社会は、情報もコンテンツも国境に関係なく動くし私も、映画劇伴関係を始めとして海外への進出も視野に入れているからだ。だから昨今の現状を見るといろいろと面白いことが見えてくるかもしれない。

実は欧米、取り分けアメリカはいわゆるインデイースに関するプロモーションツールが実に充実している。そしてそれらは日本にいながらにして使ったり設定することができるのだ。しかもインターネットだけでなくリアルなプロモーションも組み込まれている。それらを自由にそして効果的に使いこなす術を学ぶことは大いに意味があることである。日本には同じようなサイトはあるがアメリカのこのサイトと比べるとやはり正直いって見劣りがする。

尚、この術を日本国内に応用、なんてことは考えていない。というかたぶんできないと思う。それだけよくも悪くも欧米と日本の音楽文化の環境は違うのだ。両者水と油というくらいに

次の記事で主にアメリカのインデイースアーチストのプロモーションツールに関して述べる。

 

 

 

3月 9, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年2月27日 (月)

少しずつだがCDショップ大賞で変わりはじめているCDショップと音楽業界

一部の方は既にご存じの通り本日「第4回CDショップ大賞2012授賞式」が行なわれました。受賞者は以下のとおり

大賞   : ももいろクローバーZ 「バトル アンド ロマンス」

準大賞  :  星野源   「エピソード」

地方賞

●北海道ブロック賞
サノトモミ『ミッドナイト エクスプローラー』

●東北ブロック賞
熊谷育美『その先の青へ』

●関東ブロック賞
玲里『KISS AND FLY』

●甲信越ブロック賞
Negicco『GET IT ON!』

●東海ブロック賞
cinema staff『cinema staff』

●関西ブロック賞
N’夙川BOYS『PLANET MAGIC』

●中国四国ブロック賞
宇宙人『お部屋でミステリーサークル』

●九州ブロック賞
mahos『icicles』

まだご存じない人もいると思うので書きますが、CDショップ大賞とは全国のCDショップ店員の投票のみで各賞が選ばれる賞で、『本屋大賞の音楽版』ともいわれています。「この国には、過小評価されている音楽が多すぎる。」という問題意識の下、CDショップ店員が勧める音楽や客に聴いてもらいたいという観点からおすすめのCDを選んでもらう、というユニークな発想の賞です。これは「NPO法人ミュージックソムリエ協会」が事実上運営しています。この大賞の仕掛け人は私とは旧知の仲ですが私自身はこのコンセプトに大いに賛同し、影ながら応援しておりました

しかし新しいことをするのを極端に嫌う音楽業界の体質、当然仕掛け人S氏への風当たりは強かったわけですし、CDショップ大賞への批判の代表的記事として以下の記事があります。

需要拡大と言うけれど…CDショップ店員の単なる自己満足でしかない?「CDショップ大賞 (芸能評論家 渡辺裕二氏)

http://022.holidayblog.jp/?p=5072

おそらくこの人はCDショップ大賞の受賞者にAKBとか嵐とか入っていれば満足したのかもしれませんが、そもそも今の音楽業界が本当に音楽愛好家を対象としたマーケットをほぼ完全に網羅していると本気で考えているのでしょうか? 今やタイアップとかやったって売れない時代です。そもそもCDが売れなくなったのは音楽配信が出たから、とかそんな単純な理由で音楽業界が十五年以上の長きにわたって低迷していると本気で考えているのでしょうか?ちょっとこの方の見識を疑わざるを得ません。

まあ突っ込みところは限りなくありますが,おそらくは世の中にはメジャーでなくともよい音楽がたくさんあるということが理解できない方のようで、既存の音楽産業のものさしでしか物事を見れない人にはCDショップ大賞のコンセプトなど永久に理解できないと思います。

しかし残念ながらこのような人物の見解が音楽業界での多数派であることも事実です。

少し考えて欲しいのは単なる自己満足であれば、協力協賛しているCDショップがこんなにも増えているのはなぜか、という点です。確実にこのCDショップ大賞で売上が上がっているからですし実際上がらなければこんなに増えるはずがありません。しかも「第4回CDショップ大賞2012授賞式」では地上波のテレビの取材が多数かけつけました。私もプロモーションの仕事に関ったことがあるからわかりますが、単なる自己満足であればいくら呼んだって地上波のテレビは絶対に来ません。彼らが来たのはこのCDショップ大賞がもはや無視できない動きになりつつあるからで、民放各局が取材にかけつけたのは何よりの証拠です。

日本はもはやCDの販売数は世界一だそうです。この事実を主にIT系やネットマーケテイングを行なっている人たちの殆どは否定的にとらえ「情けない」「だから日本は遅れている」といって批判をします。

しかし本当にそうでしょうか?

音楽配信はいまやすっかり業界には定着していますが、実はこの普及で音楽業界が回復のきざしを見せているか、というと残念ながら、です。なぜならインターネットというものは情報やコンテンツ、あらゆるものをフラットにし、結果的には情報もコンテンツも供給過剰の状態にしてしまいます。給過剰というのは必然的に価値、価格が下がっていくという意味です。(中学生でもわかる経済理論です) つまりインターネットのみでブランデイングや付加価値をつけるのは不可能、ネット経由で販売されるものは最終的にはデフレスパイラルに巻き込まれるのは避けられない。ということがいえます、つまり大方の見方とは裏腹に音楽配信音楽業界の救世主になるということは残念ながらありえないということです。

勿論音楽配信は便利で手軽でしかも安価な販売チャンネルですからなくなることはありません。しかし音楽業界としては音楽配信を事業の柱に位置づけるというのは客観的にみて非常に危険です。

だからこそ私たちはCDを始めとする音楽配信以外の新たな市場を開拓するしか生き残る道がないのです。そのためには既存の音楽や芸能のマーケテイングが本当に音楽のニーズを完全に満たしてきたのか? 日本人は本当にアイドルやアキバ系しか好きじゃないのか?

私は答えは明らかにNOだと思います。音楽業界がここまで衰退したのは音楽を100均の商品のごとく消耗品的に売ってきたこと、そしてリスナーの音楽のニーズを短絡的にとらえすぎていたこと、の方が大きいと考えます。

CDショップにしてもどこのお店にいっても同じ品揃え、どこのショップにも同じような音楽しか鳴っていない。店員にある商品を探しても何かやる気なさそうで、殆ど親身になって対応してくれない(捜そうとすらしてくれない)。これが今までのCD店の姿です。

こんなショップに行って楽しいですか? 楽しいわけありませんよね。だから誰もお店に行かなくなったのです。それだったらアマゾンで充分ということですね。

だからこそこういうCDショップ大賞のようなものがこれから必要なのです。見逃してきた音楽が多くないだろうか? 実は音楽業界人が気がつかない市場があるのではないか?もう一度振り返って詳細に検証する意味でも

授賞式のあとのシンポジウムでお店やレコード会社の関係者がいろいろと発言していましたが、このCDショップ大賞のおかげで、さまざまないい影響が出始めています。それはCDショップ自身がさまざまな努力をし始めている、という点です。「どこのショップにいっても同じ」という状況が少しずつ変わりつつありますし、メーカーがただ「売れセン」だけを流すのではなく、レコードショップとのコミュニケーションの強化することによって状況を改善する可能性も出てきました。ちょっと前にこんなことを提案しようものなら嘲笑されていました。これはCDショップ大賞の良い影響といっていいと思います。

まああくまで既存の音楽の市場観にこだわり、店員の自己満足といいはる業界人など無視していいと思うんですが、しかしながら少しずつではありますがいい面で変わりつつある印象はあります。とはいえ、まだまだ望ましい状況になるには時間が必要でしょうね。それまで音楽業界自体が存続できるか、という問題もありますが,,

2月 27, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年2月13日 (月)

グラミー2012年 Whitney Houston永遠に、ビーチボーイズ、マッカートニー

既にご存じのようにグラミーの前日にホイットニーヒューストンの訃報という非常に悲しいニュースが飛び込んできました。

ホイットニー・ヒューストン、死亡当時の状況が報じられる
http://www.mtvjapan.com/news/music/20514

そうした追悼モードの中、第五十四回グラミーが開催され、ミュージシャンたちの楽しいパフォーマンスもたくさんありました。とくに二十数年ぶりに結成された伝説のバンド、ビーチボーイズ、やポールマッカートニー(今年70歳!!)のパフォーマンス、そしてポールを紹介した時のステイービーワンダーがポケットからハーモニカ取り出して、ビートルズのラブ・ミー・ドゥーの一節を吹いた等話題が多かったですね。(しかし正直いってポールの声、私はかなり衰えを感じてしまいました。声がもうお爺さん声になり始めている)

あとトニーベネット{85歳!!)がキャリー・アンダーウッド「デユエッツ」のナンバーを披露していましたが、本来ならエミーワインハウスとの共演を見たかったですね。今年一年、音楽関係者の訃報が多すぎました。

そして今年一年でなくなった人たちー墓銘碑コーナーにステイーブジョブズが入っていました。itunesやipodによる変革で大迷惑を被った人もいる筈なのにちゃんと称える姿勢はさすがですね。たぶんオスカーでもちゃんとリスペクトすると思います。ITの世界の人間で芸術の世界でここまで尊敬されるのは彼ぐらいのものでしょうね。ただ、気がかりなのは最近のi-cloudは音楽の権利を阻害する可能性も出てきている点。この辺りをAppleはどう展開させるんでしょうか?

あと毎回同じことを書きますが、やはり日本と欧米での音楽文化を尊ぶ姿勢の違いを感じます。アメリカのカントリー、R&B ロック音楽が生活に根ざした文化として尊重されている点、そして元々そんな生活に根ざした音楽文化などない、日本の音楽を単なる消耗品としか考えないスタ ンス。あまりにも違いすぎてしまい悲しくなってしまいます。

ちなみに最優秀ロックアルバムを受賞したfoo fighters のデイヴ・グロールが受賞の折に次の発言をしたことが印象に残っています。

「今回のアルバムはコンピューターとか一切使わず、テープで録った。音楽は精密なコンピューターでやるのでもなく、変に正確であればいいというものでもなく、心と頭でするもんだということを示したかったー 

日本の音楽業界人に聞かせたい言葉ですが、たぶん殆どがその意味を理解できないのではないか、と思います。それほどまでに日本の音楽業界には音楽が何たるかを理解していない人間が多い、ということだと思います。デイレクターといっても単なる弁当の手配屋でしかなくなっていますしね。

今年の主な受賞者は以下のとおり。今回はAdeleが6部門受賞とAdele旋風が吹き荒れました。

Record Of The Year(最優秀レコード)

Adele  Rolling In The Deep

Album Of The Year(最優秀アルバム)

Adele 21

Song Of The Year(最優秀ソング)

Adele  Rolling In The Deep

Best New Artist(新人賞)

Bon Iver

その他はこちらをご覧下さい。
http://www.grammy.com/nominees

当たり前ですが、受賞者は厳正なる審査員、ファンの投票をベースに受賞決定しています。某事務所の圧力とか金とかそんなものは無関係です。(笑) わざわざこんな当たり前なことを言わなければならない日本の現状が悲しいですね。(汗)

2月 13, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年2月 9日 (木)

ピアノ音源ーソフトシンセとハード音源に関して

私は一応基本はピアニストなのでピアノの音に対するこだわりは強いつもりだ。

以前私は制作にあたりソフトシンセはハードの音源モジュールより音がどこか細いと書いた。しかしそうはいっても手軽な面から現在音楽制作に関しては完全にソフトシンセがメインになりつつある。その中で私が頻繁に使うピアノでもpro toolsMini Grandもあるが、Vienna Instrumentsの中にあるベーゼンドルファーのピアノ音源がある。

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私はピアノの音としてはスタインウエイよりはベーゼンドルファー派なので一時この音源があることに喜んだ。確かにベーゼンドルファーならではのあの柔らかい暖かい音源が再現されてはいる。

しかし、 だ。 

やはり何か違うのだ。どこか音がこもっているというか何か本物のベーゼンドルファーを弾いた時のようなあの音の広がりが今一つ感じられない。

かつて楽器フェアで最高級のピアノの弾いた時の感触と比べるとやはり違う。500万のベーゼンドルファーを試弾した時は正直ずーっと弾いていたいと思うくらい気持ちがよかった。同じく600万のベヒシュタイン、800万のザウターを弾いた時も音源の温かみ、広がり、音質全てがいうことなしだった。

結局ソフトシンセの限界はそれなんだろう。Vienna Instrumentsは各楽器を44.1KHZの16bitでサンプリングしているが、そのレベルのサンプリングだとやはり本物と比べると落ちてしまうのはやむをえないのかもしれない。Vienna Instrumentsを使ってオーケストラのサウンドを作ってはいるが、結局どんなに本物らしく聴こえるものでも所詮ソフトシンセフェイク(贋物)以上のものではないということだ。

だから本物のオーケストラで録音する機会は決してなくならない。但し予算が膨大にかかる。少なくとも数百万の予算、ジョンウイリアムス級の大オーケストラだと1000万は見ないといけない。そこがネックだ。日本国内でそんな予算が出る仕事など一年でも片手に数える程度の数しかないだろう。従って現実は殆どの案件ではソフトシンセを使わざるを得ない。

ただピアノに関しては私は結局昔から愛用のKurzweil K-1200の音源を使っている。

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Kurzweilスタインウエイの音をベースにしているが私の予想では単にサンプリングしただけではない、何かプラスアルファの要素を音源に加えていると思う。だからサンプリングやソフトシンセにありがちな「音の篭り」が感じられないのだ。だから結局このKurzweilを多用することになる。今でも私の自宅レコーデイングの殆どのピアノ音源はKurzweilである。一応この音なら私自身の一定のこだわりの許容範囲に納まる音質だからである。

しかし可能であればいつかベーゼンドルファーベヒシュタインザウターといったピアノでレコーデイングする機会を持ちたいものだ。

2月 9, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2012年1月 7日 (土)

作曲家の林光先生がお亡くなりになりました。

長瀬君の訃報にも驚きましたが、こちらも驚きました。
続けて訃報の記事を書くことになろうとは
作曲家の林光さんがお亡くなりになりました。

林光氏が死去 「原爆小景」など作曲
http://s.nikkei.com/wAfrsV

若い頃私は青島広志の門をたたいていた時期があったのですが、林光氏は青島さんの先生に当たります。コンサートには何回か行った記憶がありますが直 接お会いしたことはありません。青島さんが世にでたのも「和製オペラ」の作品がきっかけですが、林光先生もその日本語のオペラにこだわった人で「こんにゃく座」の音楽監督を長く勤められました。

個人的には大河ドラマの「花神」(司馬遼太郎原作)のテーマ音楽がとても好きでした。

心からご冥福をお祈り申しあげます

1月 7, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

長瀬弘樹君自殺ーHNの「やわらかムーミン」がなぜ?

先ほど耳を疑うニュースが飛び込んできた、今年の最初の音楽記事が訃報とは

作曲家の長瀬弘樹君が亡くなった。自殺だという。彼とは直接会ったことはない。しかしmixiの音楽関係の掲示板で音楽業界や音楽文化について激論をかわした仲である。

正直いって彼とはお互い考え方は全く違い相容れない部分も多々あった。しかし日本の音楽文化を良くしたいという思いは同じだったと思う。まだまだ今後の音楽について議論してみたかった。特にあれから僕自身かなり理論武装したから

とても残念。とても悲しい。

正直に話そう。

実は当ブログのこの記事 
■新春コラムーいわゆるポストモダン時代のルーツ音楽の存在(例によって長文です)

 

この中に書いてある「知り合いの作曲家」とは実は長瀬弘樹君のことである。

実は私の知り合いの作曲家でこの東氏のシュミラークルの考え方を応用した試みをしようとしている人間がいる。昨今の音楽のありかたについて、オリジナル=ルーツ音楽と考え、ルーツ音楽のシュミラークルが増殖することによりかつては、「あるジャンル」とちゃんとわかるように」引用されていたものが、ゼロ年代においては、あるジャンルを構成する要素がばらばらに解体されて、R&Bのリズムでロック的なギターが入り、ラップをする、といういったような様相を帯びてくる。「ジャンルを構成する要素がばらばらデータベースに解体される」。それによってルーツ音楽の価値というものが事実上意味をなさなくなり、全ての要素は相対的なものでしかない。

よって彼は、「ルーツを知らなければいけない」という論には反対の立場をとりますが、「ルーツを尊重すべきだ」という論には賛成という立場を取り、それらのデータベースによる差異化をどう上手くやるかによって今後クリエーターの価値が出てくると考えているようだ。そしてそれは最近のJ-POP系のクリエーターのかなりの人間がそのように考えているようである。

さて、これに関する私の考え方を述べさせていただく。

まず東氏の昨今のネットや同人系の動きに関する分析に関しては確かに当たっている面はあるが、いくつかの疑問もある。

1. オリジナル作品とシュミラークルが作品的に同等というが、そもそもオリジナルが「それなりの魅力」を持っていなければそもそもシュミラークル自身が発生しないであろう。その「魅力」(例えばなぜ「萌える」のか、なぜ「はまる」のかについて)のデータベースについてはこの本では触れられていない。

2.もしシュミラークルな作品がオリジナルをしのぐとしたらそれはどのような場合なのか、そもそもシュミラークルな作品は「オリジナルと同等」と勘違いされているだけで作品クオリテイ的にオリジナルと本当に同等なのか。(例えて云えば宝石のニセモノを本物であるかのように消費者が買うのと同じなのでは?)

あと上記の作曲家のようにデータベースによる音楽について話をしよう。シュミラークル
理論からすると、ロックもジャズもR&Bもクラシックも全て「相対化した」音楽の手法というデータベースの一種に過ぎないという。つまりそれらの
データベースの「組み合わせ」に過ぎないのだが私が考えている大きな疑問の1つに、ではその「組み合わせ」によって人を動かせるほどの表現になるか、とい
うことである。

音楽手法のデータベースというのは単なる作曲技法のエクリチュールに過ぎず、それは単なる表面的なものである。しかしその組み合わせで本当に「ノリ」とか「音楽の即興性」とかを表現できるものであろうか?ーつまり魅力」というものがデータベース化(オタク文化で云えばえばなぜ「萌える」のか、なぜ「はまる」のか、に当たる)できるのか?ということである、東氏はできると考えているようだが文化というのはそんな単純なものではない。

音楽に関していえば作曲技法のエクリチュールの機械的な組み合わせで確かに理論的には音楽ができる。だがそれは音楽の中の表面的な部分に過ぎず、それが「カッコイイ」「ノリのいい」音楽になるかはまた全く別の話である。コンピューターミュージックの黎明期にイリアック組曲という音楽史上初めてコンピューターで作られた音楽があった。それは音楽のデータベースを元にその組み合わせと情報理論を用いて作られたものであるが、歴史的には意味はあるものの音楽的にははっきりいってつまらないものである。

つまり私がいいたいのは表面的なデータベースだけを取り入れてもそれはその音楽のデータベースの本質「エッセンス」を理解したことにはならない。ということである。これは私が以前警鐘を鳴らした現代の情報社会の「わかったつもり症候群」にも通じている。「わかったつもり症候群」というのは断片的情報のみで判断する傾向のことをいい、データベースの表面的な部分だけを見てそれでそのデータベースの全ての部分を理解している、と勘違いしてしまうことをいう。例えば音楽でブルースは12小節で構成されているという基本中の基本を知らないで、昨今のJ-popの「R&B風のデータベース」で作られた音楽を聴いて自分がR&Bの全てを理解している、と錯覚してしまう点である。実際最近の若者にこういう人間が少なくない。勿論R&Bに限らない、ロックを始め他の音楽でも同様の傾向が見られる。

実はこれに関して彼から何らかの反論が来るかどうかも期待していた。かれは「やわらかむみん」というハンドルネームでmixiに参加していたがいつのまにか退会していたようである。

それにしてもどうして? 何も死ぬことないのに。 頭もよく才能もある男がなぜ自らの命を絶たなければならなかったのか? 本当に残念のひとことである。

遺書には「楽曲を歌ってもらって、もう満足した」と書かれていたという

心からご冥福をお祈り申しあげます。

 


1月 7, 2012 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年11月26日 (土)

立体音響のアプリケーション

以前このブログでTPPとかグローバリズとかの問題をいろいろと書きましたが、とりあえずこれから来るであろう荒波に対抗する一環としてコアコンピタンスを強化しようということで動いております。

つまり同業者とかが多くすぐに「替わりが見つかる」仕事ではなく、そう簡単にマネできない、付加価値をつける仕事。

その一環として私の場合立体音響のノウハウが揚げられます。

一口に立体音響といいましてもさまざまな方法論があります。ダミーヘッドを使ったバイノーラル録音、そして劇場などで使われるドルビーサラウンド そしてもう1つはデジタル技術を駆使したデジタル3Dサウンドプロセッシングで、以前はRolandRSSというシステムを多用していましたが、現在はARNIS社のSound Locusを採用しています。

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マウスかゲームのコントローラーを使って定位をいろいろ動かします。

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近々異業種での事業案件ですが、「たぶん」やることになるだろうと思われる立体音響の案件がありますので、その準備も行なわなければなりません。

何度もいいますがネットに情報を流して、付加価値がつくなんていうのは幻想です。いまだにその幻想にしがみついている人がいるようですが、

人のやらないことをやる。そして効果的に付加価値をつける。
それは自分でどんどん行動してノウハウを蓄積するしかないと思います。付加価値の付け方は個人個人で違うと思いますが、とにかくこれからのコンテンツ事業者はその付加価値がないと生き残れません。

11月 26, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年11月 8日 (火)

ソフトシンセと実際の楽器

さて私の音楽制作の現場ではすっかりソフトシンセが定着しましたが...

pro toolsのmidi作業もだいぶ慣れましたが、まだやり辛さはありますね。
MOTUのDigital Performerだったら簡単にできることができなかったりします。
(シンコペとかタイとか)

それでもソフトシンセ環境が充実しているので結局二度手間になるよりはpro toolsでmidi作業をしています。但しフレーズによっては手弾きの方が早いので臨機応援に対応しています。

現在私はソフトシンセはpro toolsのプラグインシンセであるXpand!2kontakt player 4.0 , Vienna Instruments そして生ドラム音源のBFDを主に使っています。
まあよほど特殊な音でない限りはこの4つでたいてい事足ります。ちなみにkontakt playerは旧EAST WESTの音源を殆ど取り込めるので私も以前愛用したQuantum leapのCollossusをkontakt playerを通じてまだ使っています。

これ以外に高音質オルガンソフトDB-33トーンホイール・オルガンやKurzweilがあるので殆ど使ってませんがグランドピアノの音源もあります。

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ソフトシンセのXpande! 2

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Vienna Instruments

まあ確かに音もかなりリアルになりましたし、使い勝手もものすごくいいんです。特にkontakt playerは自分のオリジナルの音源を作り出すことができるので重宝していますが、やはりハードシンセと比べるとどこか音が細い感じがするんですね。

例えばそろそろソフトシンセのオルガンの音に慣れ始めたんですが、先日楽器フェアで鈴木ハモンドのブースでXBシリーズを弾きましたけどやはりこちらの方が断然音がいい。同じ音質のはずなのにやはり違いますね。やはりサンプリング音源は所詮はフェイクであることがわかります。フェイクの音だけ使っていますとだんだん耳が悪くなる、感性が後退していく可能性がありますから生の楽器の感覚というのを忘れないように心がけたいとは思っております。

とはいえ、コストパフォーマンスが格段に上がるのは確かですけどね。しかしやはり本物の楽器を使った方が間違いなくよい音になります。コストは跳ね上がりますけどね。なんといってもオーケストラほどお金がかかるものないですから..

11月 8, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年9月13日 (火)

セプテンバーコンサート2011年模様

今年は銀座「月夜の仔猫」での模様です。
こちらでは大野もピアノを弾いております。"911とその後の戦争の犠牲者に捧ぐ"
この曲は大野がセプテンバーコンサートでしか演奏しない曲です。

次は 「君の笑顔を見てみたい」です。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、二番の歌詞を間違えて一番を続けて歌ってしまいました。 正しい歌詞はi-tunesで聴くことができますので、よろしかったらダウンロードしてみてください。

http://itunes.apple.com/jp/artist/id314176779

これで恒例のセプコンが終了してしまいました。何か終わってしまうと個人的には寂しい思いがしますが、911で犠牲者になった人、そして大震災で家族を失った人には終わりが来ません。平和と復興への祈りは続きます。

9月 13, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年9月 8日 (木)

FMラジオの今後の可能性ーネットとの連動

昨日FM戸塚 83.7MHZの10月編成に関してのパーソナリテイーミーテイングがFM戸塚の本社で行なわれた。

番組に関する紹介とかパーソナリテイーの心構えといった内容だったが、興味深かったのは今回64年ぶりに放送法が改正され、それに伴いコミュ二テイFMとはいえ、社会的責任が大きくなった(新しい放送法でいう「基幹放送」という位置づけになった)ことが報告された。

FM戸塚を始めとする多くのFM局が現在インターネットのサイマル放送(同時放送)を始めたことによって表面上既存のラジオといわゆるネットラジオの差はなくなったかのように見える。しかしネットラジオと既存のラジオと根本的に違うのは放送免許が総務省から交付される、という点。そうネットラジオは誰でもできるが、既存のラジオを立ち上げるには免許が必要なのだ。

実はこのたった一点の差が両者を決定的に違うものにしている。
そして不思議なことではあるが、その
放送免許というリアルなメデイアがあることによって不思議に「社会的信頼」、「安心感」というものをどこかに与える。

インターネットではそれを既得権益という枠組みにはめ、忌み嫌う風土がある。
既存のラジオ=マスゴミといった決め付け的な言質が2ちゃんとかに飛び交う。勿論最近のマスメデイアの一部の報道には本当にひどいものもあるし、マスメデイアの報道の内容も信頼感が落ちている。

しかしながらネットでは
いまだに既存のメデイアよりネットの方が優れている、とかネットを中心とした新たなシステムは既存のメデイアやシステムを凌駕するといった類の言質でないと納得しない人間が少なくない。

そうした観点は根本的なところを見逃している。

それは 
リアルがあるからこそバーチャルがある、 という点

そうインターネットは所詮バーチャルでありサイバー空間での話に過ぎない。、実はネット小僧で「俺はテレビなんて見ないし興味ない」などといっている奴に限ってブログを見たらテレビで話題になっていることしか書いていなかった。などということが少なくない。アメブロでFCでも芸能系、社会系、テレビ番組等の記事を書いたものがアクセスの上位を占めている。これはネット小僧がどんなに否定しようが紛れもない事実である。

よく考えれば当たり前の話である。バーチャルがリアルを超えるなんてことはありえないし、ポストモダン論者がいう、シュミラークルがオリジナルをクオリテイで超える、なんてこともありえない。にもかかわらずネットではいまだにそういう類の話が大真面目に論じられている。冷静に考えれば本当にばかげた話である。

今回FM局の幹部といろいろ話ができたことは有意義だった。ラジオは斜陽産業とか旧態依然の産業とかいう人がいるが、それだけに彼らの危機感は相当なものである。今回のサイマル放送(同時放送)が実現(これは特にコミュ二テイ放送にとっては悲願だった)したのも業界団体がJASRACやレコ協に粘り強く交渉してようやく実現したものである。(特にレコ協はこの導入に関して終始消極的で本当にしぶしぶやっと了承したという感じだった)

業界が衰退してもいまだに危機感らしい危機感を示さず、従来の方針に固執しているどこかの業界とはえらい違いだと思った。ラジオはもはやもうかる産業とまでは行かないかもしれないが、彼らなりに必死である。

こんな言い方をすると私がネットを否定しているかのように勘違いするおバカさんが時々いるのでいうが、とんでもない。いくら
サイマル放送(同時放送)があったとはいえ、ラジオは本当に聴かれなくなっている。特に若い世代のラジオ離れは深刻である。

だからこそバーチャルなツールも多く導入しないといけない。幸いにしてネットにはfacebook,、twitterを始めYou tube , U-stream等殆ど無料で使えるツールがたくさんある。タダで使えるんだからこれは使わない手はない。

要は1つのリアルなメデイアをベースにどれだけこうしたツールを使って最大限の効果を得ることができるか、と考えるのが重要なのだ。リアルをベースにネットツールを使って可能な限り広げる努力をする。勿論権利を配慮しての話だ。当たり前だが

9月 8, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年9月 5日 (月)

Freddie Mercury 生誕65周年

今日は偉大なアーチスト、Freddie Mercuryが生きていれば65才目の誕生日に当たる。
今年は没後20年にもなり、何となくその情報を聞いて感慨を新たにした。

私も「ロックオーケストラ」「オーケストラアラカルト」なるコンサートでQueenの曲をオーケストラとバンドでアレンジをしたコンサートを行なったが、今思うと余興の域を出ていないかもしれない。次の映像を見たらやはりFreddie Mercuryの替わりはFreddie Mercuryしか勤まらないのがわかる。

突然の訃報から20年、改めてフレデイの冥福を祈らずにはいられない。

9月 5, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年9月 4日 (日)

人間の五感は元々アナログである。そのことが忘れられている気がする

台風が来て今朝方早朝に地震、本当に気分的に落ち着かないし今日は日曜日ということもあるので、久々にアナログレコードでクラシックを聴いた。
なんとシンフォニーを二曲聴いた

・ベートーベン交響曲第五番ハ短調「運命」 
  ブルーノワルター指揮 コロンビア交響楽団

・ブラームス交響曲第四番ホ短調
 ヘルベルトフォンカラヤン  ベルリンフィルハーモニー

ワルターの「運命」は歴史的な名演といわれる名盤で、個人的にはフルトヴェングラーの第五番より好きである、カラヤンの演奏は演奏の良さというよりはその録音方法、サウンドを楽しんだ。

アナログ盤は確かに針のパチパチという音はするが、やはり音の伸び、広がりは全然違う。特にストリングスの音はやはりCDとは全然違う。ソフトシンセの弦は確かに以前と比べかなりリアルにはなったが、このアナログ的な伸びのある音はさすがに出ない。

カラヤンは演奏についてはいろんな人が言っているが他のクラシックと違うのは、他のクラシックは殆ど一発録りが多いが、カラヤンはそこにミキサーを導入した。まだマルチトラックなどという概念すらない時代に多チャンネル的なミックスを取り入れた。だから他のクラシックよりは音が厚いし、ブラームスはトランペットは二本しかいないはずなのにどう聴いても4本のトランペットが演奏しているように聴こえる。日常的にミックスをやっている自分としてはアナログのサウンドを聴きながらいろいろと考えるところがあった。

当たり前だがCDは耳の可聴周波数の上限といわれる20KHZで切っている。アナログは高い周波数帯まで音が伸びているわけだが、経験上人間は必ずしも耳だけで音を聴いているわけではない、ことが最近の研究でわかってきている。だからCDは確かにSN率はアナログレコードよりはるかにすぐれているが、音の豊かさという点ではCDは絶対にアナログにはかなわない。スペクトラムアナライザーという周波数分析の測定器を使えば両者の差は歴然としている。

そんなわけでデジタル側としてはそのアナログの良さに近づくべく様々な革新を行なった。そもそもCDの44.1KHZ 16bit というのはデジタル草創期の四半世紀前に決まった仕様でもはや時代遅れのスペックなのだ。

我々が録音に使うpro toolsは理論上は96KHZ 24bitまで可能だが、私は標準を48KHZ24bitにしている。これは今使っているデジタルミキサーO2Rの都合もあるが、実は一度だけ96KHZ 24bitで録音した経験の感想をいうと「いい音のような気がする」というレベルでしかなかった。勿論数字上はサンプリングは48KHZと比べ倍のサンプリング周波数ー分解能ーがついているのだが48KHZ24bitと比べ音が倍良くなったかというとこれはなかなか難しいところである。理由はわからないが、おそらく人間の耳の分解能の限界を96KHZ 24bitという数字は超えているような気がするのだ。

ちなみに時々勘違いする人がいるのでいうが48KHZとか96KHZというのはサンプリング周波数であって音そのものの周波数帯域とは全く違う。サンプリング周波数でいうのはアナログの音をピックアップ(サンプリングという)する周波数で48KHZなら48KHZの周波数で音をピックアップ(サンプル)する速さのことをいう。音そのもの帯域ではない。当たり前だがデジタルである以上48KHZだろうが96KHZだろうが同じ20-20KHZの周波数帯域であり当然ながらアナログの周波数帯域よりはるかに狭い。

ここで「分解能」といったのはサンプリング周波数が細かいほど音の「決めの細かさ」が高くなる、つまりわかりやすくいえば映像の解像度のようなものがよくなるだけである。それが96KHZの帯域だと人間の耳の分解能に限界がある可能性がある。少なくともとてつもなくいい音になったという印象は得ることはできなかった。(ちなみに64KHZだと確かにいい音という感じはする)

このことを見て思うのは、結局デジタルでどれだけ「数字上」いい音であるはずだというデータがあっても、実は必ずしも人間が実際に聴感上の感覚に正比例するとは限らない、という点。つまり忘れられがちだが人間の五感はアナログである、という点である。

情報社会の現代は得てしてデータ偏重ー数字が全てであるかのような議論に行きがちである。だが実際には最終的にそれを享受するのはアナログ的な要素を持つ人間である、ということも忘れられがちだ。デジタルは確かに便利だが一方で人間の感覚を退化させる方向性に誘導する危険性があるように思う。

勿論我々はもはやアナログ主体には戻れない。だがアナログをあたかも石器時代の遺物のように蔑む態度はやはりいかがなものかと思う。

アナログ的な音の良さ、それを再評価する社会も重要だと思う。音楽を単に聞き流すBGMとしてではなくじっくり鑑賞する、そんな風潮がすっかり途絶えてしまったことを感じている。(実は先ほどのアナログのシンフォニーを聴いているうちに家族からうるさい、といわれた(笑))

そしてそういう風潮も音楽文化、音楽産業が衰退している一因になっているような気がしてならない。

9月 4, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年7月24日 (日)

エイミー・ワインハウス自宅で遺体で発見

自分の誕生日の日に、(一般的にはアナログ放送終了の日?(笑)) 訃報の記事を書くことになろうとは

■R&B歌手、エイミー・ワインハウスさん死亡
http://bit.ly/qNfR07

■Singer Amy Winehouse found dead
http://bit.ly/oJr7qg

兼ねてからアル中、薬物中毒といわれ先日のセルビアでのコンサートも泥酔状態でステージに上がりファンからブーイングを受けたという。リハビリ施設から出所して二週間もたたないうちにこのようなことに。死因は不明というが原因は明らかだろう。やはりどうしてもやめられなかったらしい。

奇しくもジャニスジョっプリン ジミヘン、カートコバーン、ジムモリソンといった音楽の伝説的アーチストと同じ享年、でも残念ながらまだ彼らのレベルに達しないまま故人となってしまった。才能があるのに本当に残念である。

今年は本当に訃報の記事を書くことが多い。

心からご冥福をお祈り申しあげます

7月 24, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年7月22日 (金)

中村とうようさんを悼む

昨日はライブイベントだったのであまり書けませんでしたが、音楽業界にとって大変悲しいニュースが飛び込んできました。

音楽評論家の中村とうようさん、自宅から飛び降り自殺か
http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201107210520.html

知る人ぞ知る「ミュージック・マガジン」を作った人、エスニックやワールドミュージックを積極的に日本に紹介し、日本の音楽界に多大な功績がある方でなぜ自殺? 何かの間違いではとも思ってしまいます。

私も「ミュージック・マガジン」の愛読者の1人で、正直必ずしもとうようさんの評論、特に知る人ぞ知る「とうようズ・トーク」、にいつも賛同したわけではなかったんですが、それでも音楽に対する多くのデイベートを巻き起こし結果的に日本の音楽のさまざまなムーブメントを巻き起こした方でした。2010年12月に「ミュージック・マガジン」社を退社されましたが、昨今の音楽業界の惨状におそらくさまざまに思うところがあったのではないでしょうか?

79歳という高齢でなぜ自ら命を絶つ行為に及んだのかわかりませんが、非常に残念です。

心からご冥福をお祈り申しあげます。と同時に故人の音楽文化に対する多大な貢献に心から敬意を表するものです。

7月 22, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年7月 9日 (土)

KONTAKT4.0をようやく本格稼動

先月、MACのスノーレパード環境に移ってから過去のEAST WESTのColossusバンドルを利用可能にするためにソフトサンプラーのKONTAKT 4.0を導入。

 

しかし実はインストールDVDデイスクがご覧の通りでロードしてもエラーの状態(キズがあるのがわかりますでしょうか?)

 

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結局部分インストールのみにしておいて、欠陥のあるインストールDVDデイスクのReplacementをNative Instrumentにおくってもらい。先日ようやく完全な形でインストール。稼動しました。

 

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KONTAKT 4.0はソフトシンセ音源のプリセットも豊富です。まだ全部の音を聞いたわけではありませんが、結構使い勝手がよさそうです。実は現在CGショートアニメ"Legend"の音楽を手掛けていますが、、早速いくつかのプリセットを使いました。

 

しかしこのKONTAKT 4.0を導入した目的は、単にプリセット音源を再生するソフトシンセではなく、自分でオリジナル音源、プリセットを作ることができるソフトサンプラーのユニットであるという点です。

 

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音源はCDから直接ではなく、いったんPeak Studio Prowavaiffに変換しなければなりませんが、

 

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無事自分の作りたい音源を取り込み、編集することも可能です。E IIIなきあと、そういう機能のあるソフトサンプラーの導入の必要性が生じていました。実はこの機能は先日企画会議で通ったある番組のコーナー企画に絶対必要なものでした。

 

今回のCGショートアニメ"Legend"のテーマ曲もpro toolsでmidi打ち込みを行い、KONTAKT 4.0Vienna Instruments のソフトシンセをフルに使いました。

 

何にせよ音楽制作環境がパワーアップしました。

 



 

7月 9, 2011 パソコン・インターネット音楽11-15 | | コメント (0)

2011年6月30日 (木)

ビクターエンタテインメント「K2HD MASTERING+HQCD」を7月20日発売

ビクターエンタテインメントが新高音質CD、まず洋楽10タイトルを発売(日経トレンデイ)
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20110628/1036567/?fb&rt=nocnt

■ビクター、「K2HD」マスタリングの高音質HQCD-洋楽10タイトル。「ガラスCD」の技術を投入(AVwatch)
http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20110623_455319.html

私のように一時ビクターの青スタに入り浸っていた人間からするとK2という言葉の響きだけで「懐かしい」と思う。まだマスタリングをU-maticのテープでやっていた時代からある方式だ。(U-maticといっても知らない人が多いだろう。昔の3/4インチビデオテープをデジタルオーデイオのマスターとして長く使っていた時代があった)

まだがんばっていたんだな、と思うと何となくうれしい気分になるが、問題はこれが普及するかどうか、だ。私は兼ねてから16bit 44.1KHZというCDのオーデイオスペックはデジタル草創期のものでありもはや時代遅れになっているといってきた。しかしSonyのBlue spec CDも普及する兆しを見せないし、もはや24bit以上が当たり前になっている現在のレコーデイング現場を考えると、その高音質をどうやって消費者に届けるか、というのは大きな課題であった。mp3じゃどうがんばったって高音質になりようがないからだ。(最近さすがにmp3とCDが同じ音質などとバカなことをいう人間はいなくなったが..)

この「K2HD」は最高100kHzにおよぶ広帯域の24bit高分解能情報をCDフォーマットのマスターに収める「K2HDコーディング技術」を採用し、それをメモリーテックが開発したHQCD(液晶パネルに使われるポリカーボネートをディスク基板材料に使用し、反射膜には従来のアルミニウムの代わりに耐久性/耐熱性に優れた独自の特殊合金を用いたもの)でプレスすることを念頭においたものである。従来のCDプレーヤーで再生でき「通常のCDやHQCDとは別次元の表現力を実現した」そうである。

何にしてもパッケージが現在の市場状況では、なかなかCDに替わる新プラットフォームができない状況だが、(やってもSonyのSACDと同じ運命を辿る)とにかく44.1KHZ 16bitなどというデジタル草創期でない高品位のサウンドを一般コンシューマーに届ける方法を考えないと音楽好きがどんどん減ってしまうのではないだろうか?

青スタのマスタリングスタジオ「FLAIR(フレア)」での作業だが、私が時々使うMergingのPyramixと比べてみたい気がする。

ちなみにメモリーテックは先日旧東芝のプレス工場だったToemiと完全に合併して世界でも最大級のプレス会社になった。弊社は実はToemiとのつきあいがあるので、このHQCDを作ることは可能です。ご興味ある方はお問い合わせ下さい。

http://homepage1.nifty.com/hyb-music/cd_press.htm

■CDプレス料金表  
http://homepage1.nifty.com/hyb-music/cd_price.htm

■CDプレスセット料金(マスタリング+ジャケットデザイン)
http://homepage1.nifty.com/hyb-music/setpricecd.htm
■DVDプレス料金表
http://homepage1.nifty.com/hyb-music/dvd_price.htm

(現在弊社ではCDのプレスは承っていません)

 

 

 

 

 

6月 30, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年6月11日 (土)

スノレパ環境の音楽制作で思案中

先日のG5 Dualがダウンした関係で現在Mac ProOSX スノーレパード環境にて復旧作業し、Pro tools環境、そして波形編集のbias peak Studioのインストール及びオーサリゼーション作業が終了し、とりあえずスタジオのレコーデイングならびに編集環境は完全復旧した。

Pro tools8.0.5スノーレパード環境にて動く最も古いバージョンだが従来の7.3.1と比べてもプラグインがかなり豊富で特にリバーブ環境はかなり音場作りの面で改善しているし、何よりも今回でソフトシンセ環境が大幅に強化された。今回導入を決めたKontakt 4.0(kontaktの1000種類の音源+旧East WestColossus音源も同時に使用可能)を始めBFD(生ドラムの音源), Vienna Instruments (オーケストラ音源)に加え DB-33(ハモンドのB3の音源)やDrum'n Bass やトランス等のドラム音源のBoom等含む都合9種類のソフトシンセが装備される。これだけでかなり強力だ。特にKontakt 4.0はサンプラーとしてwavやaiff等の自分の好きな音源を取り込みオリジナルのサウンドライブラリーも作成可能になる。ちょっと前までスタジオに一杯だったハード音源以上の内容だ。

今までのG5 DualだとCPUへの負担が大きくソフトシンセをそれほど大々的に使えなかったが今回はCPUが4つのquadraなのでそれほど心配する必要はない。メモリーは8G装備。G5 Dualの時と同じだ。

さて、この環境で一つ思案していることがある。つまりこれだけソフトシンセ環境が強化された段階だがスタンドアローンモードで使えるのはKontakt 4.0 BFD Vienna Instrumentsのみである。あとはハードシンセのみだが、ここで今までのシーケンスソフトとして使っていたデジタルパフォーマーを導入する必要があるか、どうかだ。

実はMOTUのソフトはまだパフォーマーといっていた時代からもう20年以上使っている関係で、打ち込み作業に関してはこのソフトにものすごく慣れている。というかハッキリいってPro toolsのmidi打ち込みより使いやすい。そのため今まではデジタルパフォーマーでmidi打ち込みを行なってそれをSmf(スタンダードmidi file)に変換してPro toolsにインポートさせていた。しかし工程としては明らかに無駄に見える。だがPro toolsのmidiは私にとってやはり使い辛いのだ。だからどうしてもデジタルパフォーマーでmidiをやろうと考えてしまう。

しかし一方で先日かなり細かい音符の打ち込み作業でデジタルパフォーマー経由でSmf変換する際にクオンタイズの精度の違いから連符が変わってしまっている事態は発生した。そして今回Pro toolsのクオンタイズの精度も上がったようなので、この事態を避けるためにはやはり直接Pro tools内で打ったほうがいいのかな、とも思ってしまう。実は先日、Pro toolsで打とうとして挫折して結局デジタルパフォーマーで打ってしまったのだがまた再チャレンジしてみるか。

とりあえずデジタルパフォーマーが現在品切れでまだかかるし、懸案のLegendの「B案」(たぶんこちらになる可能性が高い)も二週間近く作業が遅れてしまっている関係でとりあえずPro toolsだけで全ての作業ができるように再チャレンジしてみようと思っている。

ちなみに楽譜ソフトのFinaleのバージョンアップも考えていたけど、Sibeliusの方がPro toolsのプラグインにもなるし最近評判いいので、そちらへの変更も考えている。まあ楽譜ソフトはそんなに急がないので少しゆっくり検討しようと思う。

 



 

 

6月 11, 2011 パソコン・インターネット音楽11-15 | | コメント (0)

2011年4月27日 (水)

ソフトシンセに関する備忘録

3月から映画劇伴(いずれも短編)を3本手掛け、いずれも昨年導入したViennaを始めソフトシンセをフル稼働させた。結局pro toolsで作業することを考えるとソフトシンセのシステム内の充実はもはや避けて通れない。

特に昨年長年愛用していたE-muを手放すのは苦渋の選択だった。単にサンプリングライブラリーにとどまらず自分のオリジナルなサンプリングライブラリーも多くかなりの面で重宝した。サンプリングライブラリーに関してはViennaEAST WESTのバンドルの一種であるQuantum LeapColossus, そしてドラム音源のBFDがあるが、アレンジのさまざまな状況に対応可能にするためにまだ3-4のソフトシンセの導入を検討している。先日のMPJのお茶会で知り合いのアレンジャー、作曲家とのさまざまな情報交換の中で検討する必要性を感じた。

しかしそれらのソフトシンセは所詮プリセットをそのまま使うもので、要は音源の種類のみをあらわしている。実はどのソフトシンセでもそうだがだいたい使うプリセットサウンドというものは決まってくる。使わないものは全く使わないのだ。Quantum LeapColossus,は音源が幅広いのでだいたい一通りの状況に対応可能ではあるが、やはり使うサウンドは決まっている。BFDにいたってはライブなドラムサウンドにしたいときだけに使っている。使うスネアやキックもだいたい決まってくる。

しかしそれらは単なるプッシュボタン的なサウンドだ。そんなのはソフトシンセ環境を整えれば誰でもできる。

やはり今自分に一番不足しているのは自分なりのサウンド、ライブラリーを作れるソフトシンセ環境であるE-muを持っていた時はかなり自分なりのオリジナルサウンドライブラリーがあったが、今は使い勝手の悪いハードサンプラーにそれを代用させている。現在考えているテレビ番組の企画を続けるにはこの環境をまず整えなければならない。

いわゆるプリセットサウンドによるソフトシンセも3つくらい考えているが、まずはそこを充実させようと思っている。新しい制作体制を作り上げるためにもどうすれば一番理想的な環境になるかを考えようと思う。やらなければならないことはわかっている。


4月 27, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年3月17日 (木)

震災、原発クライシスーでもこういう時こそ音楽が必要では?

さて、連日福島第一原発の深刻な映像が伝わっており、「高い放射性物質」なる言葉が独り歩きしていますが、原発のレベルの放射能ならスリーマイルレベルでしたら原発の放射能が東京まで少なくとも健康に影響あるレベルまで飛んでくる、というのはありえないですから、「黒い雨が降る」とか「水道が汚染される」などといったデマのチェーンメールには惑わされないようにしましょう。

そして節電と計画停電の煽りもあり、東京じゅうの繁華街も本当に真っ暗です。コンサートやその他のイベントは軒並み中止、キャンセルのオンパレードでミュージシャンでも急に予定がポッカリあいてしまった人も多いでしょう。

現在先日お話したCGアニメのフィルムスコアの作業をしていますが、結構ピンチのシーンの背景音楽なので、こういう時期なのにかなり不吉な感じの音楽を作ってます。(笑) まあそういうのは別として、しかしこの震災にからみ音楽家として何かできることがないか、と考えています。

私は一般的には「癒しの音楽」の作曲家というイメージになってます。勿論そうでない部分ーといいますか「癒し」とは180度逆の「ホラー」の音楽も作ったことがあります(笑) 勿論被災者の方は心身ともに疲れていらっしゃると思いますので「癒し」も必要だとは思いますが、何よりも元気になってもらえるような音楽、被災者の方を慰め、励まし「必ず立ち上がるぞ」という気になってくれる音楽を提供できれば、と思います。音楽にはそういう力があります。

具体的な方法は現在考え中ですが、近々どこかで発表できればいいな、と思います。


3月 17, 2011 音楽11-15 |

2011年3月 1日 (火)

ブース改造後の弊社スタジオとレコーデイング

昨年末の記事にて弊社のスタジオブースの改造について書きましたが、その後さまざまなテストや調整等を行い、先月頃からぼちぼち稼動を始めました。

今日もナレーションコンテンツの収録(外部のブッキング)を行ないましたが、ブースはナレーター1人、もしくはボーカル1人に特化したものです。

 

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ナレーション録音時(1人用)でのブース内

ブース自体は正味一畳分なのでまあ無理すれば二人録れなくはないですが、基本的には1人用です。まあ音声コンテンツの仕事の9割は1人のナレーターで済むのでこの程度で充分だということがわかりました。

Pro toolsの録音ができるスタジオで業界最低水準の価格で提供しています。

一時間何と \4500円  (税別)

私が知る限りここまで安いところはないと思います。

但し安いのは理由があって、自宅内に併設していること、そして東京都下で都心から離れていること、そして完全に一人用のブースであること。そうした事情からこの価格にしています。 また私自身でエンジニア、デイレクター そして本職である作曲やアレンジャーなど1人で複数の役をこなしている点もこの価格を可能にしています。これで都内でビル借りて、スタッフも何人いたり、なんて状況じゃとてもこの値段にはできません。

というわけで私の制作スケジュールその他でいつでも借りれるわけではありませんがご興味のある方はお問い合わせ下さい。コストパフォーマンスでは自信があります。

弊社スタジオページ

http://www.hybridmusic.jp/studio.htm

お問い合わせはこちらへどうぞ

http://homepage1.nifty.com/hyb-music/Inquiry.htm

 


3月 1, 2011 音楽11-15 |

おめでとう トレントレズナー

さて、オスカーから一日明けました。

ここで改めて昨日「ソーシャルネットワーク」のフィルムスコアを担当したトレントレズナーについてふれおきましょう。

トレントレズナーはご存じの方もいらっしゃると思いますがナイン・インチ・ネイルズ のリーダーでアンダーグラウンドのミュージックシーンで注目すべき活動をしてきました。いわゆるインダストリアル・ロックをオーバーグラウンドに持ち上げたバンドといってよく、彼のサウンドはどこか「プログレ」的なエッセンスを私自身は感じますのでかなりサウンド的にも好きなアーチストでした。

もう1つトレントで注目していたのは音楽のネットプロモーションはインターネットの草創期からかなり積極的に行なってきており「先駆け」的な存在でもありました。アルバム無料ダウンロードやツアービデオのBitTorrent配信などを先駆け的に行い。今では当たり前になっているPVのネット公開、やSNSをからめた作品のプロモーションを早くから手掛けていましたが、自分のPCに不正アクセスがあり、データがリークされてしまったたり、トレントが行っていたSNSでのユーザーとの交流を指し、そのSNSにおいて「(ファンである)自分のイメージと実際のトレントが違った」などの理不尽な理由で非難されたり、自身の結婚に対して嫌がらせのような行為を度々行われ、その対策に苦慮したこともあり2009年9月に有名なSNSは「バカが支配している」発言につながりました。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/12/news041.html

ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナー氏は、ネットコミュニティーへの参加は「益よりも害の方が多い」という考えに至った。

そんな関係で彼を注目していただけに今回の受賞はとてもうれしいです。

もっとも昨日「劇伴をやるとは思わなかった」と書きましたが、よく考えればトレントデビッドリンチ「ロストハイウエイ」のサウンドトラックのプロデユースもやっており、トニースコット映画『マイ・ボディガード (Man On Fire)』のミュージックコンサルタントも行なっているので、彼が映画劇伴に関わるのは全く不思議なことではありません。「ソーシャルネットワーク」デビッドフィンチャーはミュージックビデオも多数手掛け、無類のロック好きとして有名だし、そのあたりもあって今回の作品はクラシック系の作曲家アッティカス・ロスと共同で担当しました(このあたりもやりかたがニクイ)がいずれ単独で劇伴を担当することもあるでしょう。

私も劇伴、映画音楽系にこれから主軸を移そうと考えているだけに何かトレントと共通の方向を向いているような気がしますね。ネットプロモーションやロングテール手法の限界を感じると結局「映像」の方に言ってしまう。今まさに私の心境も同じです。

それにしても昨日の授賞式のトレント、ちょっと太ったような気も、 まあ人のことは言えませんが...(汗)

 

 

 

 

3月 1, 2011 映画・テレビ音楽11-15 |

2011年2月14日 (月)

第53回グラミー インデイースバンドの最優秀アルバムとB'sの松本孝弘受賞

第53回グラミー賞、先ほど閉幕しました。

主な受賞者は以下のとおり。この中で注目すべきは「年間最優秀アルバム」にカナダのインデイースバンドのArcade FireThe Suburbsが受賞。これは誰も予想していなかったでしょう。そしてベストポップのインストアルバムにラリーカールトンとB'zの松本孝弘のTake Your Pickが受賞したことでしょう。

最優秀レコード         Need You Now   Lady Antebellum

最優秀アルバム        The Suburbs       Arcade Fire

最優秀楽曲           Need You Now   Lady Antebellum

最優秀新人賞          Esperanza Spalding      

最優秀女性ボーカル    Bad Romance    Lady GaGa

最優秀男性ボーカル Just the way you are  Bruno Mars

最優秀インスト演奏    Nessun Dorma   Jeff Beck

最優秀インストアルバム Take Your Pick  Larry Carlton Tak Matsumoto(松本孝弘)

このほかにミックジャガーのグラミーステージ初出演やバーバラストライサンドの演奏などもありました。

詳しくは http://www.grammy.com/nominees

これに関する私の感想は続きをご覧下さい。

まず今回は何といってもインデイースのバンドがグラミーの最高の賞である最優秀アルバムを受賞したというのが画期的だと思います。グラミーって基本的に音楽業界関係者が選ぶものですが、それにもかかわらずインデイースの受賞。こういう懐の深さって日本の業界人にはないと思います。日本のメジャーレコードの連中の大半は「メジャー」という肩書きにあぐらをかいている輩が殆どですからね。過去にこういう例が果たしてあったかわかりません。先ほど調査した限りではそういう前例は見つからなかったのですがご存じの方がいらっしゃれば教えてください。

そして日本の音楽業界に久しぶりの明るいニュースはB'z松本孝弘が ラリーカールトンと共にアルバム"Take Your Pick"でグラミー受賞しました。これは本当に明るい話題。これを機会にどんどん世界を目指す日本のミュージシャンが出てきて欲しいと思いますね。もう日本の音楽業界のトップは頭脳が硬直しきっていて、これだけ音楽、コンテンツが国境に関係なく動いているのに相変わらず日本の狭いマーケットしか見ようとしていない。そんな連中に未来を開拓する力も意欲もないといっていいですから、プロ野球からどんどんメジャーリーグに出て行っているように、日本の若者もどんどん世界に挑戦しましょう。

あと今回のノミネート曲関係を見るとまたカントリー系が多かったですね。まあアメリカの景気後退も相変わらず深刻で「社会が停滞するとカントリーが流行る」というジンクスがあるようですが、私はそんなことよりアメリカの音楽のファンダメンタルズがなんだかんだいわゆながらもいまだ健在であるといいふうに思います。例えばLady Antebellumは正統派のカントリーとは云いがたい面はありますが、やはり音楽のファンダメンタルの部分ではカントリーの語法を継承しています。同じようにR&B系も然り、アメリカの社会、家族が崩壊という話はあるものの音楽文化のファンダメンタルズはまだ健在といっていいと思います。

ところが日本にはそういうファンダメンタルズは最初からありません。

ない  のです。

面白いのはアメリカの音楽業界、レコード会社自体はもうかなり壊滅状態に近いのに音楽文化はまだ健在、しかし日本は全くその逆で音楽産業の体制はまだ辛うじて形を残していますが音楽文化はもはや壊滅状態、といっていいです。

その根拠は、それは昨年の年間チャートを見ればわかります。トップ10には嵐とAKB48しかない、というこの現実。レコード大賞もわざとらしいExileという現実。これは音楽そのものよりも芸能界、バラエテイとの絡みだけが重要視されています。

それに比べて今日のグラミー受賞者は少なくともちゃんと音楽で勝負している。

この差は大きい、といわざるを得ません

2月 14, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)

2011年2月 7日 (月)

また訃報:ゲイリー・ムーア、死去

スーパーボール観戦時にまた偉大なミュージシャンの訃報が飛び込んできました。

偉大なギタリストのゲイリー・ムーア(Garyなので実際ギャーリーの方が正しいと思いますが)が休暇で滞在中のスペインで亡くなりました。58歳 死因はまだ不明。就寝中にそのまま死亡したとの情報です。

■ゲイリー・ムーア、死去
http://www.barks.jp/news/?id=1000067516

Rock guitar star Gary Moore dies aged 58
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-1237786

■公式サイトでのコメント
http://www.gary-moore.com/

まだ58歳、若すぎます。Gary独特の「泣き」のギター好きでした。心よりご冥福をお祈り申しあげます

まだ二月始まったばかりなのに、ミックカーン、ジョンバリーと偉大なミュージシャンの訃報が続きます。音楽文化が衰退していると同時に偉大な音楽家も逝ってしまう。そして後に続くものは???

非常に危機的な状況です。


ゲーリーの死因は心臓発作であると正式に発表されました。

急逝したゲイリー・ムーアさん、死因は心臓発作
http://www.oricon.co.jp/news/music/84732/full/?from_todaysnew

■公式サイトでのコメント
http://www.gary-moore.com/

heart-attack 心臓発作であると書いてあります。

改めてご冥福をお祈り申しあげます。

2月 7, 2011 音楽11-15 |

2011年2月 1日 (火)

映画音楽作家のJohn Barry を悼む

2月に入って訃報が入ってきました。
007シリーズや「野生のエルザ(Born Free)」の映画音楽の作曲家で知られるJohn Barry氏がなくなりました。77歳

作曲家ジョン・バリー氏死去、映画「007」シリーズを手掛ける
http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2784048/6759695?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

私が個人的に好きなのは007の「ゴールドフィンガー」「野生のエルザ」そして"Dance with wolves"ですね。それまでクラシックの王道的な映画音楽が主流だった時代にポップな感覚を率先して取り入れた映画音楽作家でオスカーも多数受賞しています。

私が結構お手本にしている作家の1人です。

心からご冥福をお祈り申しあげます

2月 1, 2011 音楽11-15 |

2011年1月26日 (水)

音楽マーケットは両極化する?ー世界最大級のジャズ専門店「diskunion JazzTOKYO」

世界最大級のジャズ専門店が開店 CD、LP在庫10万枚
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011012601000454.html

昨年11月、「世界最大級のジャズ専門店」をうたい文句に開店した東京・お茶の水の「diskunion JazzTOKYO」。新品・中古のCDからLP、DVD、書籍まで、ジャズに関する膨大な商品を一堂に集めた店内は壮観だ。

 ビルの2階、約330平方メートルの売り場に新品CD約1万5千枚、中古CD約2万枚、LP約2万枚が並ぶ。在 庫を合わせれば約10万枚。平日の午前中からお客さんが続々来店し、熱心にお目当てのものを探すさまは、音楽ソフトをダウンロードすることなど想像もしな かったひと昔前をほうふつとさせる。

 「本当に音楽を好きな人たちは、デジタルだけでは飽き足らず、今もパッケージ(CDやLP)を買っています」と 話すのは、ディスクユニオンでお茶の水ソウル/レアグルーヴ館と新宿ジャズ館の統括責任者を務める塙耕記さん。団塊世代を中心とした昔からの顧客の中に は、1枚10万円以上のLPを買う人もかなりいるという。店頭には35万円以上の値段が付いたLPもあった。

 店名に「お茶の水」ではなく「東京」を冠し、英語表記にしたのは、海外からのお客さんを意識したため。

                                               

私はジャズも結構好きなんだがお茶の水は結構家から遠いためまだ一度も行っていない。音楽不況とかういわれて久しいがこの「diskunion JazzTOKYO」は高い人気を誇っているという。

まあ団塊の世代、それ以上が多いというからある程度納得。おそらくこの店に行く人の大半は配信ダウンロードなどをしない人たちだと思う。しかしだからといって彼らを「時代遅れのアナクロ」と決めつける向きがあるとしたらそれは短絡的な見方といわざるを得ない。

私は「アナログ」の良さもある程度経験してきた世代だからいうが、正直いってデジタルの音ばかり聞いている若い人にも是非騙されたと思って聴いて欲しいと思う。確かにデジタルに比べてSN比は悪いが、高音から低音の音の伸びと豊かな音質はデジタルでは絶対に出ない音である。はっきりいってこの良さがわかってしまうととたぶんmp3の音なんて聴けたもんじゃない、と思うはず。

実際CDが誕生して長いが結局アナログ盤は絶滅どころか最近ではクラブ系、ブートレグ系でしっかり生き残っている。ドラムエンドベースの低音の伸び、ヒップホップの強力なキックはCDで出すのは限界があるからだ。スクラッチにしてもやはりアナログの方が当たり前だがやりやすい。実際クラブ系のみならずアナログ盤自体の復権の傾向はあちこちで見られる。

diskunionの方もおっしゃっていたが「本当に音楽を好きな人たちは、デジタルだけでは飽き足らず、今もパッケージを買っています」というのはアナログ時代を経験した私だからよくわかる。最近は良い音を良い音楽の再生環境で聴くという機会が本当に少なくなってきたが、最近秋葉原の「コイズミ」(コイズミ無線)でスピーカーの試聴会とかに来る人が増えているという情報もあるようだし、まだ昔の「オーデイオマニア」的人種が復活の兆しがあるのかもしれない。

勿論こういう人たちを「マニア」と決めつけるのは簡単だが、この傾向と最近の配信の動向を見るにつけ音楽のマーケットはこれから両極化する可能性が高い、ということである。J-pop等に三文程度の価格しか払わないで配信のみで済ます人たちと、何万円出してもいいから名盤をアナログ盤で楽しみたい、良い音楽良い音質のためにはお金を惜しまない人たちの両極化である。だから本物を良さを知っている人たちのみを対象に付加価値をつけて音楽を売る、という戦略はこれはこれでアリである。

またこれからの音楽文化の復権ということを考えるとこういう人たちを大事にしないといけないと思う。なぜなら消耗品でない音楽の良さ、音質の良さというものを理解している人たちだからだ。その良さを何とか次世代に伝えることができれば、と考えている。

はっきりいって今時のポップスがこういうところで扱われるなんてことはないだろう。少なくとも今のJ-popにはみんな三文程度の価格しか払わないのかもしれない。というのもその程度のクオリテイしかない、消耗品程度の価値しかない、と思われているから。それはここ数年の状況を見れば明らかだ。

はっきりいってJ-pop「名盤」なんてないよな。日本の誰々のアーチストのアルバムは名盤で永久保存版、というのはあまり聞いたことがない。最近のは特にそうだ。今FM等でパワープレイされている曲で10年後大事にされる、なんてことはないだろう。おそらくカバーされるなんてこともたぶんない。 もし「違う、こういうのがある」、というものがあれば教えてください。

いずれにせよ「二束三文程度の価値しかない消耗品の音楽」「名盤」として高いお金を払いたくなる音楽、とこれから両極化するだろう。私自身はどちらの音楽を目指すか、それはいわなくともわかるだろう。後者を目指すに決まっている。


1月 26, 2011 音楽11-15 |

2011年1月20日 (木)

KAT-TUN側がボーカロイド楽曲の『影響があった事実』を認める 

個人的な事情だが実はいったん頭の中を空っぽにしようと思っていたので、「ネットの時間を最小限にして頭の中を整理したい」と思っていた矢先だったのだが、今朝たまたまブログのアクセスをチェックしたら普段とは桁違いのアクセスがあったことに気づいた。

原因はこれらしい。
■KAT-TUN側がボーカロイド楽曲の『影響があった事実』を認める 「事実を認めて頂き然るべき処遇をして頂く」             

ご存じの方も多いと思うが実は昨年の12月のこういう記事を書いた。

■KAT-TUNのボーカロイド曲盗作騒動に見る制作体制の御粗末ぶり
https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/12/kat-tun-3543.html

「影響があった」となどという回りくどい言い方をしているが、上の私の記事で両者を比較しているのでどうにも「言い逃れ」ができなくなった、ということかもしれない。両方聴けば誰の眼にも明らかだからである。

上記の記事を書いた手前、これに関して何か書かなければ、と思ったがもともとが呆れた内容なので「やっと認めたか」としかいえない。現在制作スタッフが大変なことになっているのは想像にかたくない。というかこれどう考えてもプロの仕事じゃないだろ?

何よりも怒りを通り越して呆れるのはプロがどシロウトの曲を盗作した事実に関して何とも思っていないこと。これじゃ日本の音楽制作スタッフがアマチュアになめられても仕方ない。一応プロレベルで仕事している自分としては恥ずかしいとしかいえない。

「円満に解決」はおおいに結構だが、それでは今回の問題の本質を解決したことにはならない。現在の音楽の制作体勢、特にコンペの体制が本質的に機能していないことが今回の事件で明らかになった。それと全部他人まかせ、スタッフの問題意識の欠如、さまざまなことが重なって今回のことが起きた。ここの部分を徹底的に洗い直し制作体制を根本から見直すことから始めないと再発防止にはならないだろう。

何よりもコンペが当たり前になったことでプロの作曲家を尊重する風土、音楽のプロに対して敬意を微塵も払わない風潮が音楽界、芸能界にすっかり定着してしまった点が大きな問題だ。制作される音楽の質がますます低下し、音楽を百均の消耗品のごとく使い捨てにするのが当たり前になった業界。この風潮に対して何の疑問も持たないレコード会社のスタッフ。それら全てをもう一度0から見直すべきだと思う。音楽業界の再建はまずそこから始めないといけない。CDが売れないとか違法コピーがどうのこうのという以前の問題だ、


1月 20, 2011 音楽11-15 |

2011年1月 5日 (水)

訃報 ミックカーン死去

かねてから癌で闘病中だった元 Japanのベーシスト、ミックカーンが日本時間1月5日未明 午前一時半に自宅で亡くなりました。まだ52歳でした、

治療費の件で募金運動もあり、みんなで支えようとしていただけにとてもとても残念です。
独特なノリを持ったベーシストでした。私の大好きなミュージシャンの1人です。

心からご冥福をお祈り申しあげます。

http://www.mickkarn.net/


1月 5, 2011 音楽11-15 |

2011年1月 1日 (土)

謹賀新年ー新年最初の話題は日清のカップヌードルのCMのフレデイマーキュリー

    

       あけましておめでとうございます。

Geishunn

皆さん新年明けましておめでとうございます。

お正月いかがお過ごしでしょうか? 新年最初の話題ですが今年に入り日清のカップヌードルのCMに 今年没後20年(早い!!)になるクイーンのフレデイーマーキュリー「出演」しています。ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

I was born to love you に日本語で「I Love カップヌードル好きだもーん」と歌わせていますがこれたぶん「合成」ですよね? それともゴーストシンガーに歌わせているンでしょうか? だけどフレデイーと同じ声出せる人なんてそうそういるもんじゃないし...

次のような映像です..


 口の動きも合わせているところを見ますと、声も「合成」だとすると恐ろしく手間がかかっているCMですね。

それにしても今年で没後20年になるフレデイーマーキュリーがこんな形で露出するとは(笑&汗)


1月 1, 2011 音楽11-15 | | コメント (0)