2008年3月15日 (土)

mixi記事アーカイブ9「ロックサウンズ編曲第一弾」

弦楽アンサンブル「サロンオーケストラジャパン」用の曲でロックもののアレンジを3曲

サロンオーケストラジャパンは
バイオリン第一、第二 4-5人
チェロ、コントラバス各1(CBはここでは殆どウッドベース扱い)
フルート、クラリネット各1+ピアノ

これにドラムと1曲だけギターを入れている

種明かしではないが今回のアレンジした曲は

アンジー(Rストーンズ)
ラヴ オブ マイ ライフ(クイーン)
ピアノマン (Bジョエル)

さすがにアンジーはギターを入れざるを得なかった。

一応以下の条件
1.クラシック系の人があまりやらない名曲
2.ストリングス用にあった曲
3. なおかつみんながよく知っている曲

にあてはまると思われるがいかがだろう。

あと4-5曲考えているが、取り合えずこれでうまくやれるか試してみてからでも遅くはないと思う。クラシック系の人でもうまく演奏できるように配慮したつもりだ。
2005年08月31日mixi掲載
この後 当ブログの2番目の記事
ロックの名曲を弦楽アンサンブル用にアレンジ」に続きます

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mixi記事アーカイブ8「ロックサウンズ編曲スタート」

なかなかてをつけられなかった「サロンオーケストラジャパン」用の曲、
頭の中ではあれこれ考えていたが、ようやく形になった

とりあえず7月にやったオリジナル以外にアレンジもの等で曲数を揃えなくてはいけない

まずロックもののアレンジだが次にあてはまる曲を考えた
1.クラシック系の人があまりやらないけど名曲として語り継がれている曲
2.ストリングス用にあった曲
3. 1,2の条件を満たしながら、なおかつみんながよく知っている曲

実は1.と3.は矛盾する場合があるし、これはあまりやられていないだろうと思われても実はやられている場合があるのでわからない。取り合えず上の3つにあてはまる(と思われる)曲を3曲やっている

どの曲? それは後ほどのお楽しみ。ヒントとしては70年代のロックの名曲、あ、1曲80年代があったか

ちなみに先週の日曜日「題名のない音楽界」で,つんくがモー娘の曲をクラシックオーケストラ風にアレンジしたものをやっていたが、私はたぶんJ-POPはやらないだろう。やはりやるなら確実に次の時代に残る曲でやりたいと思っているから、と思うのはロックおやじのつっぱりだろうか?

 でも誰かこの曲は名曲だからアレンジしてみたらという提案があれば、検討する用意はありますけどね...

ちなみにビートルズとかカーペンターズといったものはやりません。もうやり尽くされているし、いまさらという感じでしょう。

でもクラシック系の作編曲家が、ビートルズやカーペンターズをアレンジしたものを聴いたことがあるけど、みんな聴いていてつまらなかった。
何というか、音大の作曲家卒業生特有の「エクリチュール(作編曲技法ーフランス語で筆致のこと)」という奴にこだわり過ぎて、曲の良さを殺してしまっているアレンジが多い。

ロックおやじの私としてはやはり原曲のイメージは大事にしたいと思っている。

2005年08月29日mixi掲載

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mixi記事アーカイブ7「サロンオーケストラジャパンとの曲作りークラシックコンサートにもっとエンタテインメント性を」

先日、西新宿三井ビル(あの三井ビルとは別ものです)でのロビーでのコンサートでそこそこよい感触を得たので今後ではどういうものに作っていくかについて、もう一昨日になるがクロードさんと打ち合わせした

とにかくこの方向性でいくにもまだ曲が2曲しかないので、まず曲のナンバーを増やさなきゃならない。そこでとりあえず年末でのコンサートを目標に曲をそろえることにした。

基本コンセプトとして小林玄人さんとの話で「クラシックコンサートにもっとエンタテインメント性を持たせたい」との話になった。私は現在はポピュラー系や商業音楽の作曲、編曲活動を行っているが音大をまじめに受験しようと思ったことがある(結局やめたけど..)そのため一応クラシック系もポップス系も両方の雰囲気を知っている人間だ。その私が思うにやはりクラシック音楽がなぜ人気がないのかといえば、やはりクラシックコンサートそしてクラシック音楽そのものに「堅苦しい」雰囲気があるためだろう。

クラシック自体は歴史の波を乗り越えて残ってきた名曲ばかりである。しかしそのことが音楽学者とかクラシック系の音楽評論家といった連中よって「堅苦しいー親しみづらい」という雰囲気を作らせエンタテインメント性を寧ろ拒否し。そういったものを蔑視すらしてきた。そのためジャズがデイクシー、ラグタイムといった古いスタイルも含めエンタテインメント性を兼ね備えていったのに対し、クラシック系だけがそれを取り入れようとせず取り残されていったのである。
私は「ロックコンサート」的な雰囲気を持ったクラシックコンサートがあっていいと思うのだが、いかがだろう。いっそのこと武道館でやることを目標にしようか!! (^^;)


そんなわけでロックのアレンジものもやると思うが、クラシックナンバー、メロデイーフレーズを使ったちょっとしたアイデアも浮かんだのでこれから試行錯誤をしようと思っている。でも僕がやるから音大の先生が喜ぶようなクラシックには決してならないことはいうまでもない。

2005年07月29日mixi掲載ーこの後 ロックサウンズウイズサロンオーケストラ(当ブログの二番目の記事ーにつながる)

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mixi記事アーカイブ6「マザーグースと紙芝居

週末、女房が実家の野暮用で出かけその関係で娘の子守というか駅前の公民館で紙芝居+人形劇があったので見せにでかけた。週末になると時々こういうことをやらされる。

イギリスのフォークテールをベースにした紙芝居で例によってマザーグースの歌がふんだんに盛り込まれていた。当然子供たちは大喜びであった。

子供がいると童謡とかに触れる機会が多くなるが、その背景でここ数年マザーグースの歌には実はかなりはまっている

実はこの”マザーグースの歌“はただのわらべ歌のひとことでは片付けられない実に深いものであることをご存じだろうか? 
”マザーグースの歌“の中には皆さんがよく知っている曲、あまりにも有名過ぎる歌―例えばメリーさんの羊、キラキラ星etc―もあるし、また単に韻を踏むだけの特に意味のないもの(Simple Simon met a pieman, Hickory Dickory Dock等)もあるが、今日の紙芝居には出てこなかったが実はこんな意味深な歌がある。

 Hey Diddle Diddle (古い英語―今で言えば「ねえ知ってる?」に近い)

Hey Diddle Diddle
The cat and the fiddle
The cow jumped over the moon
The little dog laughed to see such sport
And the dish ran away with the spoon

直訳;ねえ 知っている
   猫とバイオリン弾きがいてさ
   牛が月を越えてジャンプしたら
   それを見た小さい犬が大笑い
   そして皿とスプーンがいっしょに逃げたとさ

これだけじゃ何をいっているのかわからないと思うが実はこれは昔のイギリス人が政治を批判するのにこのわらべ歌を使っていたのだ。実はこの歌はイギリス絶対王政の時代の女王―エリザベス一世がひどい奴だったことを批判した歌。”マザーグースの歌“を始めて体系的に編纂したジョンニューベリーという人(18世紀のイギリス人です)の説明だけにかなり信憑性がある。

 まずこの歌でいう「猫」とは実はエリザベス一世のあだ名で、実はこの女王は意地悪な性格でよく使用人をいじめていたという。映画「エリザベス」ではケートブランシェットが演じていたが、実際のエリザベス一世はデブでブスで性格も悪いという最低の女性だったようだ。まあ女王にならなければ誰も相手にしないよね(^^:)

このエリザベス一世はバイオリンが好きだったのでいつもバイオリン弾きを近くに立たせていたという。それが「猫とバイオリン弾き」の意味
 そして「牛」「月」というのはエリザベスの家来で、おそらく「月」と呼ばれた家来が女王の不興を買う何かをしたのだろう。「牛」命令して「月」をいじめるように仕向けたようです。つまりここの訳は『「牛」が「月」に襲いかかった』いうのが正しい訳のようだ。

 そして「犬」というのはエリザベスの愛人といわれ、宰相も勤めたバーガリー卿といわれ、おそらくエリザベスといっしょになってこの家来をいじめたようである。ここの訳は『それを見た「犬」は大笑い』
 
そして「皿」というのはエリザベスの食卓の給仕係で「スプーン」というのは毒味役のことをいい、「月」がいじめられる様を見て今度は自分かもしれないと思いその場から逃げてしまった、
 
つまり本当の訳は
ねえ 知っている?
あのバイオリン弾きといっしょにいるあの意地悪な女王の所でさ
女王の命令で「月」がいじめられるのを見て
女王の愛人が大笑いしながらいっしょにいじめてたとさ
それを見た給仕と毒味役はこわくなってその場から逃げたとさ

というのがこの歌の歌詞の正しい意味だという。大英帝国の黄金時代を築いた女王だが、ずいぶんとひどい奴、いやな奴だったことを歌によって世間に知らせていたようだ。

 昔は勿論今と違って言論の自由とかないので、表だって政府を批判するということはなかった。そうすれば命がない世の中だったのだが、しかしこういうわらべ歌を使って政府批判を昔の人はしていたようである。ジョンニューベリーの研究を見ていやーマザーグースって深いと思わず唸ってしまった。
mixi2005年06月18日掲載

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mixi記事アーカイブ5「モーツアルトの幻の交響曲」

僕は仕事柄、いろんなジャンルの音楽事務所とのつきあいがあるがそのなかにクラシック系の事務所もある。新東京室内楽オーケストラの常任指揮者前田二生(まえだつぐお)氏の事務所でこことのつきあいはもう10年以上続いている。うちのCD製作事業にもかかわってもらっているし、かなり親密なつきあいが続いているがその中で時々ちょっと変わった仕事をする。

前田氏はウイーン楽友協会の監修のもと大作曲家の「隠れた名曲」や忘れられた作曲家の作品を日本初演する等のユニークな活動を行っている。日本初演どころか、100年以上演奏されていない曲をやるのだから当然レコードも過去の音源もない。誰も実際の音を聞いたことがないのでどんな曲かわからない。そこで僕は楽譜をもらいmidiで打ち込んでいわばシミュレーションの音源を作るのだ。また僕の場合通信カラオケよろしくmidi打ち込みでもSC-88のようなGS音源は、音がショボイので使わない。仕事場にあるemuのサンプラーとpro toolsのプラグインを使う。その方がより本物らしい音になる(それでも「らしい」だけどね)それが好評なのかわからないがほぼ毎年、年に1-2度こういう仕事が来る。この仕事をこなすにはDTMとクラシック音楽の知識、とりわけクラシックのオーケストラの楽譜を読む力が要求される。

今回のコンサートの目玉は昨年ウイーン楽友協会がオークションで落札した「モーツアルトの交響曲」と書いてある曲。今回もその楽譜を打ち込んだ。とはいっても本当にモーツアルトの作品という確証はないし、別の地方の作曲家の作品という説も捨てきれない。コンサートの司会を勤めた音楽評論家の海老沢敏はモーツアルトが書いたとすれば8-9才頃の幼い時、成人の作曲家が書いたのであれば地方の三流作曲家の作品といっていたが、この「幻の交響曲」とやらに興味があったのかNHKのテレビの取材も来て、クラシックコンサートとしては割と注目されたコンサートのようだった。

果たして本当にこれはモーツアルトの作品なのか?詳しい検証は音楽学者とやらに任せるしかないし、まあはっきりいって僕は別にどっちでもよい。

しかし実際にmidi打ち込みをしてみた印象からいうと、僕的には「たぶん」モーツアルトではないような気がする。まずはっきりいって曲としては全然面白くない。それ以外に次のような理由がある。

理由1
たとえ幼い時に書いたとしても、習作だったにしても天才の作品であればどこか「光る」部分ー天性の筆致ーがあると思うのだがこの作品を聞いて正直あまりそれは感じられなかった
理由2:
第二楽章のアンダンテーつまりゆっくりとした楽章はマイナーコード、つまりニ短調の曲だが子供というのはあまり短調を好まない。うちの子供を見てそれは感じる。8-9歳の子が自ら進んで短調の「悲しい感じ」の曲を書くだろうか? 子供が書くにしては不自然である。

そんな理由で僕はこの曲は「モーツアルトではない」と思うが別に当たっても賞金もらえるわけじゃないので、まあどっちでもいいということにしておこう。
2005年04月12日掲載

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mixi記事アーカイブ4「違ったタイプの曲を作った方がやりやすい」

先週から取り組んでいた2曲、バラード風曲1曲(題名まだ決まらず)と愛犬といっしょに癒される曲"Pet Musicーふれあいのテーマ(仮題)"がとりあえずだいたい書き終え打ち込みも終了、あとは微調整と完全なTDをやり終えれば終わり。木曜日から殆ど突貫工事の感じだった。mixiもお休み状態

それにしても結構同じようなタイプの曲だけに結構やり辛かった。人によっても違うだろうが実は同じような感じの曲を同時進行で作るというのはやりにくいものだ。寧ろ”癒し系”の曲をやりながら"ダンスミュージック"もてがけたり、「悲しい曲」をやりながら「楽しい曲」も作るといった感じの方がかえってやり易い。

実は作曲をする時、全く違う感じの曲を同時に作るということは珍しくはない。古い話ではベートヴェンの「運命」交響曲と「田園」交響曲は全く同時に書かれ、ほぼ同時に完成されている(初演も同じ日)あの苦闘するような、重厚な感じの「運命」と自然にふれあう喜びにみちた「田園」、お互い全く似ても似つかない曲だが、その両曲をベートヴェンは驚くべき早さでほぼ同時に書き終えている。

こういう例は他にもある。モーツアルトの交響曲第40番(モーツアルトには珍しい哀愁を帯びたメロデイー曲名は知らなくてもメロデイは聴いたことがあるはず)と41番(ジュピターと呼ばれる荘厳な交響曲)はほぼ同時に書かれているしブラームスの大学祝典序曲(陽気な学生歌とブラームスには珍しい派手なオーケストレーション)と悲劇的序曲(重く渋い曲)もほぼ同時に書かれている

ロックに目を向けるとQueenのアルバム"News of the World"での"We will Rock you"と"We are the champion",レッドゼッペリン(日本ではツエッペリンというが英語ではゼッペリンという)の"Rock'n Roll" と「天国への階段」などがほぼ同時期に書かれている。

作曲家が全く違ったジャンルの、違った感じの曲を書くのを 不思議に思う人がいるようだが、それは決して珍しいことでは ない。特に映画や劇伴音楽を書いている人などは、全く違う ジャンルやスタイルの曲を仕事ごとに変えるのは珍しいことではないのだ。

たとえば映画音楽の大御所、エンニオモリコーネを見てみよう ご存じ「ニューシネマパラダイス」のノスタルジーあふれる 名曲を作ったかと思えば「遊星からの物体X」のような不気味 で音楽とはいえないようなフィルムスコアも作っている。
いわれないと同じ人が書いたとは思えないだろう。
そういう芸当ができないと映画や劇伴の音楽は書けないので ある。

2005年03月27日掲載

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mixi記事アーカイブ3「なんだ防空」

実は本来の作曲,編曲,演奏以外の仕事で僕が経営して いる会社は音コンテンツの制作の仕事をしている。 音コンテンツとは音楽、音響、音声をCGのシミュレーターや ゲームのための音ファイルを制作、CD等ではなくPC用の ファイルとして納品される。(殆どのゲーム音楽はそう やって納品される)

その中で今、東京九段にある「昭和館」の仕事をしている 昭和館は東京都が運営する昭和の時代についての資料館で 展示映像の中に3Dの映像を映写するドーム劇場がある。(現在は別プログラムをやっています)

今回の仕事はいわゆるその「昭和ドーム」の仕事で、その 時代にまつわる生活音や、BG(戦前の音楽のアレンジ)の制作等を行っている

その中で空襲が来た時の訓練のために作られた曲で「なんだ防空」という曲がある。それは空襲をテーマにした曲なのに異様に明るい曲なのだ。♪「警報だー空襲だー」という出だし が異様に明るく元気でまるで空襲を楽しんでいるかのようなイメージで思わず「なんだこれは」と思ってしまう。

 実はこの時代、マイナーコードの曲ー短調の曲は厳しく制限されていたという。暗い曲は士気の低下につながると いうことで禁止されていた。何とも馬鹿馬鹿しいことである。

 この時代の日本はちょうど今の北朝鮮のような社会だったといえる。今我々は北朝鮮の放送のアナウンサーを見て思わず苦笑してしまうが、よく考えたら日本人もついこの間まで 似たような社会だったのだ。あまり笑えない話である

 折りしも今日は「東京大空襲」の60周年、「なんだ防空」 のような異常な曲を作らされる日々が来ないことを祈るばかりだ。

 ちなみにこの昭和館は3人のナレーターを使う。3人が当時の人間になりきって昭和の暗い時代を再現する。

(2005年03月10日掲載)

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mixi記事アーカイブ2「生きた音楽表現」

オヤジ的な症状なのかもしれないが、時々無性に昔のロック アルバムが聴きたくなる時がある。ピンクフロイドやレッド ツエッペリン、イエス、ELPといったプログレからモータウン 初期まで幅広いがこの日はステイーリーダンのAjaを聴いた 。

聴いてみると改めてその音楽作品の質の高さに驚かされる 基本的にはR6Bかブルースなのだが、それを構成の面でも リズムの面でもひとひねりもふたひねりもしている。
コード進行も「なんでこんなヴォイシングが思いつくの?」 といいたくなる奇抜な進行り、それでいて全く不自然で はない。やはりドナルドフェイゲンは天才である。 アーテイキュレーションを分析しても今でもよい勉強になる 。

音楽産業で仕事をしていると「今流行の音を作れ」という 不文律の至上命令がある。しかし私の場合それを意識して あまりよい結果になったことがない。当たり前のことだが 自分が「これはいい」と思わない作品が他人が聞いて「いい」 と思うはずがないのだ。しかし音楽業界には愚か者が多いの でそうした表面的なスタイルしか見ない人間が多い。
今、そうした音楽業界の不文律を忘れて自分が本当によい と思ったものだけ出すことにここ数年している。その方が 結果がよい。

ついでにステイーリーダンの最新のアルバム(といっても もう発売されて2-3年たっているが)「ツーアゲインスト ネイチャー」を聴く。基本的な世界はAjaと変わらない。ただ より洗練されている。そこには流行に媚びる態度は微塵も ない。生きた音楽表現とはこういうものだろう。ちなみに このアルバムはグラミーで最優秀アルバムを取っている。

(2005年03月9日掲載)

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mixi記事アーカイブ1「ピアノにこだわる理由」

私は一昨年からピアニストとしての活動を再開した。実はそれまで十数年も人前で演奏することをあえてしなかった。唯一演奏したのはレコーデイングスタジオにおいてのみ、
以前はラウンジで弾いたりいわゆる「営業」を自分から積極的 に行っていたのを急にやめたのは、作曲や編曲、レコーデイン グの仕事を優先したためではあるが、正直な理由は単に「面倒 くさかった」のが理由である。

実はライブを続けるというのはかなりのエネルギーが 必要である。ライブに人を呼んだり、そのための練習、 リハ、通常の仕事をこなしながらこれを続けるのはー もはや「オヤジ」の年齢になってしまった人間としてはー かなりしんどい。
それでもあえて再開したのはやはりライブをしなかった 十数年、自分は音楽家をやってなかったのではという反省 があったこと、それともう1つレコーデイングをしていて やはり「自分らしさ」を一番出せるのはピアノを弾く時だ ということを発見したためである。

私は一応プロレベルで仕事をしているので、ピアノだけ でなくシンセやオルガンも必要に応じてやる。DTMなどは プロである以上できて当たり前である。そのいずれも私は プロの平均レベル以上できる自信はあるが、「自分にしか 出せない」個性を一番出せるのはやはりピアノである。 もうこの楽器とのつきあいは40年以上になる。

いうまでもないことだが、今、巷ではDTMで作られた曲ー いわゆる打ち込み音楽があふれている。かくいう私も かなりそういうものを作ってきた人間である。しかし それをやっていて私自身、どこか「不完全燃焼」の部分 がありそれがずーっとひっかかっていた。曲の仕上がりは 「まあこんなもんだろう」と思っていても、何かしっくり いかないものがどこかにあった。しかしピアノで自分で 弾くとあまりそういう部分がない。その意味では僕は DTMの世界だけでは満足できないのかもしれない。

というわけで今再びアコーステイック路線に戻っている しかもただアコーステイックというのは芸がない、という ことでピアノの機種にもこだわろうと今考えている。

日本人はブランド好きだからピアノというとすぐ スタインウエイという人が多いが実はスタインウエイは 僕はあまり好きではない。特に日本の調律師で高音部分を やたらキンキン鳴らす調律をする傾向があるがこれは私に いわせれば最低の調律である。(キンキンならして音を通る ようにする調律がいい調律だという勘違いをする調律師が少なくない)

Cbs1401961all150 私の個人的な好みはベヒシュタイン(写真左ー戦場のピアニストの 主人公が愛用したピアノ)かザウター(写真左下ーモーツアルトの時代 からあるピアノー現在のピアノの原形はこの会社が作った) である。実はヨーロッパではスタインウエイなどより、ベヒ
シュタイン、ザウターなどの方が評価が高く有名なのだが、 日本ではなぜかあまり知られていない。でも実際に弾いて 見ると音質の違いは歴然としている。これはピアノにあまり 詳しくない人でも違いはわかる。ちなみにベヒシュタインは チックコリアが愛用している。
一応この輸入業者とは知り合いなので、次回のレコーデイング
には是非使いたいと考えている。

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ちなみにこのベヒシュタイン、ザウターを試弾させてくれる ショールームがあるので興味がある人は問い合わせてみた らいかがだろう。
ユーロピアノ株式会社 烏山ショールーム Tel (03)3305-1211

(2005年03月06日掲載)

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