昨年末、ひょいとしたきっかけでNHKラジオ第一の「私も一言!! 夕方ニュース」で昨今の音楽業界について語る羽目になったが、友人だけでなく親戚一同や知り合いの知り合い等まで聞かれてさまざまなご意見をいただいた。その中で意外だったのは年配の人から「今の若い世代の音楽を否定していてよかった」などという反応が帰ってきて面食らった。私はそんなに保守的なことを云った覚えはないのだが、どうもそのように受け取った人は少なくなかったらしい。 いろいろ話をしてみると私の「J-popと比べるとまだ演歌の方が音楽文化として地に足がついた活動をしている」という発言がそのように受け取られたらしい。
確かに私自身は演歌関係者の知り合いはいるし歌謡曲系の仕事はしたことはあるが、いわゆるきちんとした正統派の演歌の仕事は今まで一度もしていない。ただ上記の発言は演歌系の活動の内容を見て特に地方でのアーチストの支持、支援はJ-popの人たちと比べると確固たる体制で運営されている現実を見た上での発言である。いうまでもないが演歌と比べてJ-popが劣っているなどという意味ではない。そんなことは思ってもいない。また私自身は日常的に演歌など殆ど聞かないし、その分野に作家として活動する可能性は殆どないといっていい。
ただこの現実はある面で深刻な問題をつきつけている。それはJ-popがメデイアその他で多くの露出があったとしても、果たして文化としてきちんと定着しているのか、という問題である。例えば先日のラジオ番組で話しが出た昨年の年間シングルチャートを見てみよう。
シングルチャート 年間 2010年 ベスト20
1. Beginner AKB48
2. ヘビーローテーション AKB48
3. Troublemaker 嵐
4. Monster 嵐
5. ポニーテールとシュシュ AKB48
6. 果てない空 嵐
7. Lφve Rainbow 嵐
8. チャンスの順番 AKB48
9. Dear Snow 嵐
10. To be free 嵐
11.Love yourself
~君が嫌いな君が好き~ KAT-TUN
12 桜の栞 AKB48
13. This is love SMAP
14 また君に恋してる/アジアの海賊 坂本冬美
15 LIFE~目の前の向こうへ~ 関ジャニ∞
16. BREAK OUT! 東方神起
17 Going! KAT-TUN
18 Wonderful World!! 関ジャニ∞
19 はつ恋 福山雅治
20 CHANGE UR WORLD KAT-TUN
これを見て何がいえるか? ベスト20にAvex系のアーチストがいない、とか事務所の戦略の勝利(とりわけAKB48の)の成果ということもできるがやはり私が問題にしているのは、上記ベスト20の中で純粋に音楽で勝負しているアーチストが演歌系の坂本冬美しかいない、という点である。福山雅治も一応ミュージシャンではあるが龍馬伝を始めとした俳優という"副業"(といったら怒られるかな)でテレビに多く露出しているし、他は多かれ少なかれ芸能バラエテイ系の要素が密接にからんでいる。つまり芸能界との接点が多いという点だけがアーチストの重要なファクターになってしまっており、純粋に音楽だけまじめにやってますというアーチストは日本ではトップアーチストになれないことを意味している。
この現象は私はかなり深刻に受け止めている。はっきり云ってポップミュージックの世界としてはかなりヤバイ現象といわざるをえない。
これはなぜなのか? その答えは音楽業界の基本戦略にありこのブログでも何回も論じてきた。つまり音楽を文化としてでなく消耗品として売ってきたことが主原因である。
何よりも日本のポップスは本当に今日本人の生活に密着しているだろうか? 何度もいうがポストモダンで本物の音楽を知る意味がなくなったとか、さまざまな音楽の語法を組み合わせることで"本物"の意味がなくなったとかポストモダン論者はいうが、アメリカの白人系の音楽にはカントリーがファンダメンタルな文化として存在しているし、黒人系にはR&B ソウルがファンダメンタルとして存在している。勿論双方の音楽の要素はさまざまな形でミックスはしているが、大地の基礎部分ではまだこのファンダメンタルがきちんと根がはっている。
だが日本の音楽文化は残念ながら演歌以降、そういったものがないのだ
つまりJ-popは何ら音楽文化に新たなファンダメンタルを形成してこなかったのである。つまり私の「J-popと比べるとまだ演歌の方が音楽文化として地に足がついた活動をしている」という発言は演歌を賛美したのではなくJ-popの将来を憂えての発言なのである。
そして現代、情報(それも大半は「価値」があるようにみえて実はたいして価値のない情報である)ばかりが過多になり、そのことによってウェブ時代の音楽進化論 (幻冬舎ルネッサンス新書 )
に書いているように事実上 ポップスー大衆音楽が終焉を迎えてしまう、という点である。上記の年間 2010年 ベスト20の内容はそれを残念ながら証明してしまっている。それゆえこの現状は極めて深刻なのである。
上記のアメリカの白人や黒人の音楽事情を鑑みて一つだけ日本と大きな差が存在する。
それは日常生活に音楽がないことである。日常生活に音楽があるということはどういうことか? 別に着うたをダウンロードしたりカラオケにいったり、i-podで音楽を聴くことが生活に音楽があるということではない。それらは全てうわべだけのものである。それはもっと精神的に奥まで入り込んでいる音楽であり、酒を飲んだら自然に歌うもの、楽しかったら自然にでる踊り等我々の深層心理まで入り込んでいる音楽である。残念ながらアメリカの白人、黒人、南米系、ヨーロッパ系の人たちには全てそういった音楽が存在する。
しかし残念ながら現代の日本人にはそれがないのである。
そしてWeb時代に入り、うわべだけの情報のみで頭でっかちになり、断片的な情報、テレビを通したうわべだけの情報だけで全てを理解したという勘違いをしてしまう人間が増え、日常の中の実感として生活感が希薄になってしまう。共同体の概念はうすれ、人とのコミュニケーションが極端なほど下手になる。そうした傾向が音楽を始めとした文化の存続を極めて危うくしてしまう。
実際問題として音楽業界も新作ではなく昔の名曲のカバーを追う傾向が強くなっている。テレビ番組も過去のヒット曲ばかりを追う番組が増えた。新しくヒットソングが生まれたとしても、カヴァーされたりする事も少なくなった。今パワープレイされている曲が10年後も懐かしく、暖かく迎えられる可能性ははっきりいって極めて低いといわざるを得ない。70年代、80年代までのポップスはそれがあったにもかかわらず、だ。
つまり日本の大衆音楽、ポップス文化はもはや死んだも同然、といっていい
よってそういう事態を避けるためには演歌にとって変わる新しいJ-popが文化として定着する方法を考えるしかない。そのためには単にうわべだけのものではないJ-popが生活の中に定着した音楽として発展していかなければならない。今までのように百均の商品のごとく消耗品として売ってしまっては将来がないのである。それにはどうすればいいか。それはこれからの音楽プロデユーサー、クリエーターが真剣に考えるべき命題である。
これだけはいえる。現在の「メジャーレコード」には、もはやそれを実行するのは100%不可能である。もはやメジャーもインデイースも実質的に差がなくなった現在、彼らに期待するのは無理である。この状況から音楽文化を立て直すのは生半可ではないが次のことはいえるかもしれない。
1.とにかく「売れセン」という概念は捨てる
2.各クリエーターは自分にとっての音楽のファンダメンタルズは何かをもう一度問い直す。冷静に立ち返れば自分の頭の中に必ずあるはず。
3.これから自分のクリエートする音楽が日本人の生活、日本人の深層心理の中に定着しうるものであるか、どうか(つまり日本人の生活の中に密着する音楽になりうるか)
上記の3つを考える場合、寧ろネットとは可能な限り離れたところで考えるべきだろう。ネットはあくまでツールに過ぎない。そこで垂れ流される情報に惑わされるとかえって自分が見えにくくなる
ちなみに日本の中で殆ど唯一、音楽が生活に密着している地域がある、それは沖縄地方である、だから沖縄出身のミュージシャンの表現は本土と比べて説得力がある。案外彼らにこれからはリードしてもらうしかないのかもしれない。
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