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2020年12月

2020年12月31日 (木)

エンタテインメント試練の2020年ーポストコロナの新時代に希望の光を

2020年があと僅かで終わる。

わざわざ言う必要もないがエンタテインメントに関わるあらゆるアーチスト、クリエイター、スタッフクルーにとって苦しい試練の一年であった。そして残念ながらこのままいけば2021年の少なくとも前半くらいまではその試練が終わりそうにない。

映画。映像は撮影がままならず、役者さんパフォーマーは感染のリスクに絶えずさいなまされている。

ミュージシャンはライブ、コンサートの機会を奪われ多くは仕事すらできないでいる。

特に音楽は時間と空間の芸術だけに生演奏ができない、というのは致命的である。

コロナウイルスの第三波の勢いは凄まじく、大みそかには東京は一日の感染者が1300人を超えた。それに対して政府も行政も無策であり、日本の政治家はトップが自粛をよびかける一方で、自分たちは大人数で会食する。その緊張感のなさが国民一般に広がり感染者数がどんどん増える結果になっている。この流れは当分収まりそうにない。

ワクチン普及も待たれるが、日本で接種が始まるのは早くて2月下旬、一般に普及するには早くて2021年の年末頃ともいわれる。また現在あるワクチンがどれだけの効果があるのか、実際普及してみないと現段階ではなんともいえない

しかしネガテイブさの中にも未来への希望を見出さなくてはならない。

100年前の20世紀初頭には「スペイン風邪」が今のコロナ同様にパンデミックを起こし、世界人口の27%が感染、死者は1億人を超したといわれる。今回のコロナウイルスーCovid19は今日現在、世界の感染者数8280万人 死亡者は181万人とスペイン風邪ほどではないが、しかし深刻な状況であることに変わりはない。

だが1つだけよかったと思われることがある。

それはコロナウイルスーCovid19のパンデミックはインターネットが普及した後に起きたということである。このことは大きい。もし今の状況を考えると、インターネットが普及していない状態でこのパンデミックが起きていたら間違いなく社会は崩壊していただろう。

そして我々エンタテインメントに関わる人間としてはそれを利用しなくてはならない。

勿論、音楽に関わる人間として「生演奏の機会」-これの復活を願ってやまないし、音楽のライブ、コンサートというものは決してなくならない。映画も同じで劇場で映画を上映する、という形式は決してなくならない。

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2020年12月26日 (土)

文化庁文化芸術継続支援越年決定!! 意図的に遅くされている?

もう今年もあと僅か。コロナにメチャクチャ振り回された一年で何か今年は給付金、助成金の申請ばかりしていた印象がある。その中の大きな申請、今までブログ記事にもずいぶん書いたが、その中で悪戦苦闘しつつ何とか映画プロジェクト立ち上げのために奔走した文化庁文化芸術継続支援の共同支援」。実は8月下旬に申請を出し10月下旬に全ての書類が受理され「最終段階」になって2か月

■文化庁「芸術文化継続支援の第四次募集」決定にあたり、採択基準の緩和を強く要望する。
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2020/10/post-151301.html

■文化庁支援事業の共同申請はわざと企画を採択不可能にしているのか?申請中に次から次へとくる「後出しジャンケン」条件
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2020/09/post-6fa167.html

文化庁の芸術文化支援の採択はいつも金曜日に決定するのだが、結局今年最後の金曜日、クリスマスの25日にも残念ながら採択の連絡は来ず越年決定。

それも嫌な感じがするのは共同申請ではないにせよ明らかに私より後に申請した人が先に採択されている、という点。おかしい、どう考えてもおかしい!!

何か意図的に遅くされているような気がしてならない。我々の提出が気に入らないのならいっそのこと「不採択」と言ってくれた方がすっきりするんだが、(既に文化庁側にはいってあります)のらりくらり二か月たっても何の進展もない状態。本当に胃に悪い。

申請中にも重箱の隅つつきまくりの嫌がらせ的修正要求、そして最終段階で「待ち」の段階になっても焦らすだけじらす嫌がらせ。はっきりいってかなり頭に来ている。どんだけ嫌がらせすれば気が済むのか?

ハッキリ言えるのはもう今の段階で採択されても2月末日期限までに事業(映画の場合制作)終了はもはや物理的に不可能となったこと。つまりこのまま採択されても予定通りの終了は無理ということだ。

そう我々側にいわせておいて「不採択にする」もしくは「我々に辞退させる」-どうもこれが目的なんじゃないか、そう思ってしまう。

我々はもう10月下旬に書類提出等やるべきことをやっている。しかし文化庁 の都合でこれだけ遅れたので本当に採択するつもりがあるのなら期限をずらすことを検討すべきである。遅れたのは文化庁の責任であって我々ではない。

もう正直いってマイページチェックするのもアホらしくなってきた。もうどうでもよくなってきたね。そう思わせるのも策略??

なのであえていわせてもらう。

もう知らん! 勝手にしろ!

今年は本当にさんざんな一年だった。またコロナ云々はおいても小生にとっても人生最悪な年といっていい。年末近くに少し流れが変わりつつあるのを感じるが何にせよ来年こそはいい年であってほしいものだ。

 

 

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2020年12月20日 (日)

映像サブスクリプション台頭でこのままでは地上波の滅亡はもはやカウントダウン段階?時代の変化に対応できない日本企業の体質

音楽の方もサブスクリプションサービスが完全に日本以外では中心になりつつあるように、映画でもサブスクリプションサービスが完全に既存の映像メデイアを凌駕しつつある。昨年サービスを開始したデイズニープラス(デイズニー、ピクサー、マーベル、スターウオーズ等を配信)が急激な伸びを示しており、もはやサブスクリプションサービスとして三大サービスになりつつある

■開始1年でDisney+のサブスク会員が7300万人超え
https://jp.techcrunch.com/2020/11/13/2020-11-12-disney-73-million-subscribers/

音楽でもそうであるように映画、映像でももはやこの流れはとまりそうにない。今や映画は

1)ネットフリックス

2) アマゾンプライム

3) デイズニ―プラス

の3大サブスクリプション中心になるだろう。

とりわけデイズニープラスの急激な伸びはあるものの、ネットフリックスが既存のサブスクリプションで群を抜いている理由は以下の通りかもしれない

■Netflixとテレビ「利用者から見た」決定的な差
https://toyokeizai.net/articles/-/397127?

日本のテレビ局の場合「いかにウィズコロナのガイドラインに沿って放送を続けられるか」「コンプラを重視した番組を制作できるか」に力点が置かれていますが、ネットフリックスの力点は「いかに利用者をネットフリックス中毒にさせるか」の1点にあるように思えます。ここが日本の放送事業者に決定的に欠けている視点です。
<中略>
その成功が逆に視聴者のテレビ離れを起こしていることに気づかないか、気づいていても変えられない地上波という競争相手が目の前にある。だったらそれを壊したら自分たちの勝ちじゃないかと考えるのがネットフリックスという組織です。

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2020年12月 8日 (火)

サブスク時代でまた1つくずれた「音楽業界の常識」

このブログでも何回も指摘してきたが、日本の音楽産業は「変化」というものを極端に忌み嫌う

そして何でも「カタチ」にこだわり、少しでも「カタチ」からはずれたものに拒絶反応を示し、「カタチ」とか業界の「慣習」等を絶対視する。結果思考が極端なまでに硬直化し、今やCDなど日本以外の国ではとっくに姿を消しているにもかかわらず日本だけがCDという商品形態にいまだに固執している。

そのことで残念ながら日本の音楽業界は世界でもっとも遅れた国になってしまった..

音楽ビジネスがサブスクによるストリーミングがどう変わったいたかはこの記事を読んでいただくとして

もう1つ従来の日本の音楽界の常識では考えられなかった現象が起きた。

今から41年前にリリースされた曲がなんと海外のサブスクのストリーミングチャートで世界47ヵ国でTOP10入りしたのだ

■1979年リリースの日本のシティポップの名曲が、まさかの世界47ヵ国でTOP10入りの快挙!
http://www.m-on.press/music-news/0000279011

ちなみに松原みきさんは今から16年前にガンで早世してしまった。残念である。

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まあ日本の業界関係者の反応はだいたい予想がつく。
「たまたま」とか「奇跡」とか酷い場合は「外人は古い曲が好きなんだな」といった程度の反応だろう

だが違うのだ。筆者はこれからこういうケースがどんどん出て来るのではないか、と考えている。

なぜなら日本では「昔の曲」でもボーダーレスに音楽を聴ける現代の環境では、海外のリスナーには「新しい曲」に聴こえる、ということは十分に考えられるからである。

、レコード会社や芸能プロ関係者など考えもしなかった現象だろうと思うが、当時の日本発売ではたいしたことなくても、サブスクで世界中に拡散されて海外で爆発的ヒットとか、サブスク(ストリーミング)がメインになっている現代だからこそ起こりうることなのである。

これは音楽業界に限らないことかもしれないが、今日本社会全体が「カタチ」にこだわり、「カタチ」に対して思考停止をしている。
その結果海外でとてつもない大きな変化が起きているのにそのことに無関心で思考も硬直化してしまう。今日本社会全体がそういう病気に侵されている印象がある。

今までの「日本の音楽界の常識」なるものに固執することがいかに愚かな行為であるか、ということをそろそろ本気になって考えて見てはいかがだろうか? とも思うが、云っても無駄だろうな。 

たぶん..

 

 

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2020年12月 6日 (日)

会田誠氏らのヌード講座は「セクハラ」裁判について思う事ー芸術の表現に対する日本人の無理解が予想以上に深刻な件

これは元からそうだったのか、それともここ10年ほどで日本人はこうなってしまったのかわからない。

しかし芸術表現、そして表現の自由というものに対するこの日本という国の人間の無理解は私の予想をはるかにこえるほど深刻な状況であることを感じざるを得ない。

このブログでも書いたが記憶に新しい「あいちトリエンナーレの『表現の不自由展』」での従軍慰安婦像展示に政治権力が介入し一次展示停止に追い込まれた件があった、この件に関しては河村名古屋市長があろうことか展示中止の先導を切ったのだが


■「日本人の心を傷つける」と称して表現の自由を踏みにじった河村名古屋市長と良識を保ち「権力の介入は憲法違反」と批判した愛知県知事

http://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2019/08/06/144114

 これに関しては以下の記事で私は見解を述べている

■あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」中止に伴う私と各表現者の声明。日本社会における表現の自由は本当に危機的な状況である。
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2019/08/post-d06f3b.html

「芸術表現」とは必ずしも心地よいものばかりとは限らない。なかには表現として一部の人にとっては不快に思えるものも存在する。しかしそういう「不快な表現」の存在も甘受し認めることが表現の自由ということだ。

だがどうやらそれがどうしても理解できない人がいるようだ。実は私の周囲にも一人いた。いくら説明しても残念ながら理解してもらえなかった..

そしてこの問題もそうだ、いわゆる「猥褻な表現」というものである。これに関しては当ブログでも何回も取り上げている。

そしてそれがとうとう裁判沙汰にまで発展してしまった。

■会田誠氏らのヌード講座は「セクハラ」 大学に賠償命令
https://digital.asahi.com/articles/ASND46HPJND4UTIL04J.html

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