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2020年8月29日 (土)

安倍政権7年8ケ月が芸術文化に与えた影響ー広がった表現そのものと表現の多様性に対する無理解

昨日安倍晋三総理大臣が辞任を発表した。

安倍辞任に関する情報の総括は私の「音楽ではない」ブログの方に書いているので興味ある方は参照されたい。

■日本をメチャクチャにした安倍首相辞任ー7年8か月の在任期間に日本が失ったもの
https://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2020/08/28/235157

こちらのブログは確かに音楽や芸術関係に関してのブログだが、安倍政権の7年8ケ月は芸術、文化に対してさまざまな悪影響を及ぼした。正直どこから話を始めたらいいのかわからないくらい深刻な状況をもたらした。
まずは安倍晋三とその支持者が芸術文化に対していかに酷い態度を取った象徴的なできごとだ。星野源が新曲#うちで踊ろう で「コラボしよう」と呼びかけたTwitterのアカウントに安倍晋三、当時の首相がやらなくてもいいことをしたのである。

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これのどこが問題なのかはこちらの記事をよんでいただきたいが、
■安倍総理が星野源のネットジャムセッションを台無しにした件ー日本人の音楽文化の無理解と軽視、文化に対する民度の低さ
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2020/04/post-87f0e4.html

つまり

1.星野源の提供したネットのジャムセッションを台無しにしたこと

2.世の中のミュージシャンのための自らのコンテンツの提供をした星野源の善意を踏みにじったこと

3.星野源の人気を利用しながら、引用しながら最低限のネットエチケットも守らず明らかに音楽文化を軽視するような行動を日本政府の代表が行っていること

そしてこれが安倍政権と安倍シンパの文化全般に対するリスペクトの欠片もない姿勢、人格の軽視ぶりを象徴するできごとである。

どうも安倍シンパーネトウヨや「ネットのヒマ人」が主なんだろうが、芸術家やアーチストを人間だとは思っていないのではないかと思う節がある。いい例がアーチスト、ミュージシャンが政治に関する発言を行うたびに激しいバッシングが起きていた、そして今も起きている、という点だ。

奴らの言い分は以下の一言に集約される

・芸能人は政治にはシロウトだから政治的発言はするな! 黙ってろ!!

以前も書いたが、この発言には

(1) 自分の意見と違うものであっても発言することを否定するのはそのタレントの人格否定そのものである

(2) どんな職業であろうが日本国民であれば自国の政治に物申す権利はある。それが自由と民主主義の国の常識であり、人が発信する自由を脅かす行為は発信しようとする人間の人権侵害に当たる。また芸能人だから政治発言はするな、と圧力をかけるのは職業差別にもあたる

ネトウヨや「ネットの暇人」にはそれを理解する頭などないかもしれんが、安倍政権に入ってこういう人間のいうことの方があたかも正論であるかのように広まっていたというのは問題である。

参考記事

■「芸能人は政治発言するな!」は民主主義を理解しないアホの発言!それがあたかも正論のように広まる日本社会の深刻度と民度の低さ http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2020/05/post-b7465b.html<

そして安倍政権も入ってアーチストの表現に対しても政治や一般の人間が介入することが起きた。

記憶に新しい、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の中止騒動である。
問題の慰安婦像だが、

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これで甘受できないのは表現の自由というものを理解していない政治家が政治介入を行って、図らずも「表現の不自由展」のパフォーマンスを地元の河村名古屋市長が行動したという点である。しかも安倍シンパがこれを支持し、先日あろうことか、正当な行動をした大村知事をリコール運動が起きたのは記憶に新しい、このバカバカしいリコール請願は当然のことながら愛知県議会で否決された

■大村知事の不信任決議案は採択せず 高須院長が請願 愛知県議会
https://www.ctv.co.jp/news/articles/bh2z64nmzwp14p16.html

河村名古屋市長は飽きもせず、またリコール運動をしようとしているらしいが、今コロナが大変な時期にそんなことをしている場合かと思う。こんな行動をする市長になぜリコール運動が起きないのが逆に不思議である。

要はここで問題なのは表現というものの本質ー表現には不快な表現も時には含まれる。ということを理解できない人間も多かったという点である。そういう風潮が強くなってきたためか、企業や行政を含めてクレーム(殆どはナンセンスクレームだが)を極端なほど恐れるようになり、「差し障りのない=面白くもおかしくもない」表現が氾濫することになる。

日本社会ではこういう「周囲の眼」という独裁者、周囲を気にすることにより、実質的な表現の自由が損なわれていた。それが安倍政権になってさらに著しくなってきたような気がする。

しかし安倍政権が終わりに近いことを察したのか、わからないが少し違う流れが大阪の万博のロゴをみて少し起き始めてきている。

■誰からも文句のこない表現なんて
https://note.com/t_shacho/n/n1c69963c2c22?

25logo

正直いうと私はこのデザインは好きではない。だがこれは「あり」だと思う。いかにも「大阪らしい」ダサさがわかる表現のロゴだ.だがそれはそれで個性がある。

それでいいのだ。

表現物に正解なんてない、と思っている。言ってみればどれも正解だしどれも不正解。表現物がある人にとっては心地よいものだしある人にとっては気持ちの悪いものであることは当たり前。仕方ないのでそれを多数決で決めましょう!なんて本当にナンセンス。それも一般人の投票でなんて。その表現が何年も何人もの人の感性に届くのか?の判断はやはりその道のプロに任せるべきです。

《中略》

もう一つこの表現物を選ぶ時に大切なのは、その向こうにある”技術”です。
テレビ番組が久々に話題になって賛否両論を巻き起こしているのが「半沢直樹」です。地上波テレビのほとんどの番組が10%前後となっている中、毎週20%超えをしています。視聴率という人気投票が高いので否定の意見があまり表に出てきませんが「あんな歌舞伎役者の顔芸みたいなドラマあり得ない」と否定したい人はたくさんいるはずです。あり得ないかもしれないけど「面白い」からたくさんの人は見ているのでしょう。僕も日曜日の夜にリアルタイムで毎週見ています。見たとしてもほとんど録画で見るテレビを「半沢直樹」だけはリアルタイムで見ています。何故ならそれが一番早く見ることができるから。とっても好きな人がいる代わりにとっても嫌いな人がいる。そんな表現物がたくさんあるプラットフォームが”豊か”なプラットフォームだと思っています。「半沢直樹」の今の高視聴率はそのことを示していると思います。みんなに好まれる。みんなに嫌がられない。このことをいつの間にか目指してしまっているプラットフォームは考え違いを修正した方がいいのです。

もう1ついうとこの文章のタイトル 

「みんなに好かれる表現なんて「つまらない!」と同義だと思って良い」

というのはちがう 

「みんなに好かれる表現」なんてそもそも存在しない

のだ。
また仮にそんなものがあったとしたら気持ち悪い

今の日本人、とりわけコンテンツプロデユーサーが忘れていること。「事なかれ主義」「クレームや炎上を極端に恐れる」それが映像でも音楽でも日本のコンテンツを恐ろしくつまらないものにした。いい加減そのことに気づけよ、といいたい

とにかく安倍の後釜は誰かわからないが、7年8ケ月の文化の暗黒時代からの脱却の方向に行って欲しいものである。

 

 

 

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