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2019年2月22日 (金)

交流会、SNSその他もろもろのひとりごと

SNS(いうまでもなく「ソーシャルネットワークサイト」のこと)を始めたのは2005年の初め、当時は今は亡きmixi (一応まだサイト自体は存在しているけど)だった。

程なく気が付いたのはSNSというネットのツールでありながら、実際にはリアルに人に会う機会が増えたことである。

その結果交換する名刺の数が2005年を境に激増したことだ。要するにオフ会、そして「交流会」なるものが増えたからだ。SNSはイベントで人を集客するには非常に便利なツールだった。

その関係で当時のmixiのコミュニテイー、Facebookの現在の「グループ」にあたるー経由でずいぶん多くの交流会に参加した、グループ交流会、異業種交流会 etc etc いくつ参加したか覚えてないくらいだ。

だが言うまでもないことだが全ての交流会が有益有効だったわけではない。特に異業種交流会などは我々エンタテインメント産業に関わる人間と他業種ではあまりにも接点が少ないため殆ど具体的な案件に結び付くことはなかった。そして酷いものになると先物業者、MLM関係者等、名刺交換などしたくもない連中がいた最悪の交流会もあった。いうまでもないがそんな人間がいた交流会には二度と参加していない。

その中で自分にとって有効な交流会もあったが、結局エンタテインメントーとりわけ音楽や映像関係の交流会といった分野に限定していった。ついでにいうと音楽関係者は今でもそうだが決して交流会というものに積極的な方ではなく、例えば映画関係と比べると遙かに開催される回数も少なく、出席する人間も一部をのぞいて少な目であることが多い

そうして数多くの交流会、オフ会に出席した私だがそうしているうちにまさか私が主催する立場になるとは思ってもいなかった。

ターニングポイントは私がFacebookグループの「エンタテインメント業界キャステイング」(立ち上げ当初は「音楽家&音楽及び関連業界キャステイング」)の管理人を始めたころである。その中でグループのオフ会、交流会というものを時々開催するようになった。またそうしているうちに「映画人交流会」の幹事ということにもなってきた。

「映画人交流会」は私にとって非常に有益だった交流会で私が今映画音楽関係の多くの仕事につくことができたのもこの交流会がきっかけである。そのため恩返しの気持ちもあって「映画人交流会」の手伝いもしている。決して頻繁に開催しているわけではないが最も多くの動員を誇る交流会となっている。

交流会は一見ただの飲み会のようにも見える。

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そして結構楽しい(^o^)

 

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だが我々のようなフリーランスにとっては交流会は格好の「営業」の機会である。どうどうと自分の資料をキーパーソンとなる人間に渡すことによって新たな仕事に結び付くことができる。14年間それを続けてきたおかげで一定の成果をおさめることができた。これに関しては感謝している

 

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だがここからは私の個人的な状況に基づく見解になるのだが、長くこの業界で交流会に参加していて、14年前のスタンスと今のスタンスは大きく変えて行かざるを得ない、という事情がある。

例えば営業用の資料(プロフィールと音源)は昔ならできるだけ多くの人に渡そうと考え、映画関係の交流会では自分にそれを課してきた。

だが今は違う。大変申し訳ないのだが渡す人を選ばせていただいている。もはや映画関係者なら誰でもいい、というわけではなくなったのだ。

具体的にいうと自分の現在のランクより上のステップに結び付きそうな方、に限定させていただいている。例えば商業映画、海外の映画製作に関わりそうな方、etc etc 映画音楽作家として本格的に活動し始めて9年目、そろそろ「自主映画レベル」は卒業したいと思っている。

と同時に先日の記事のように日本の映画制作現場のブラック化を何とか止めたい、という気持ちも強くなり、以前のような「安請け合い」をすることをやめようと考えるようになったためである。(ちなみに今まででも私自身は「自主映画」でもギャラなしの仕事は1つもやっていない。)

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■低予算で作るなんてまったく自慢にならないーそろそろコンテンツ制作現場の「ブラック化」をやめるべき
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2019/01/post-6259.html

こうしているうちに14年前の2005年を境に名刺交換数は激増していた。以前ならせいぜい100枚未満だったが今では多い年には500枚近い年もあった。

だが当然ながら実際仕事その他で長いお付き合いができるようになるのはその中のほんのごく一部である。残念ながら

そういうこともあって自分にとって今後必要な交流会か、そうでないかそろそろ絞り込ませていただくし、人脈も今後あまり具体的な案件に結び付く可能性が低い方との距離もとることになるだろう。経験上仕事しようといろいろと努力している取引先はどんなにがんばっても仕事に結び付かないことが多い。逆に仕事になるところはあっさりなるものである。

無論私はドアを完全には締めない人間であり、状況その他が変われば対応も変化する。フリーランスは臨機応変でなければならないのである。

 

 

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