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2019年1月27日 (日)

「劇伴音楽」と「映画音楽」は違うーミシェルルグランの訃報に思う

昨日フランス映画音楽の巨匠のミシェルルグラン氏の訃報を聞く。
先日のフランシス レイの訃報に驚き、とうとう大御大 ミシェルルグランの訃報を聞き、映画音楽の1つの時代の終焉を感じた

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ミシェル・ルグランさん死去-フランス映画音楽の巨匠
https://this.kiji.is/461815278378550369

名曲は数あれどやはりこの曲かな。
この「シェルブールの雨傘 」は映画音楽とはかくあるべき、と感じさせるルグランの最高傑作の1つ

この「シェルブールの雨傘 」はまさに全ての映画音楽の作曲家のお手本となるべき作品である。映画音楽はこの曲を聴けばあの映画だ、とわかるような音楽でないといけない

本当の映画音楽とはテーマ曲を聴いただけでその映画のイメージがわかる曲であり、また一方で映画から独立しても音楽として美しい名曲たりうる、それが理想である。この「シェルブールの雨傘 」はまさにそういう曲だ

ところが映画音楽制作の仕事をしていて全ての映画監督がそういった音楽を望んでいるわけではない、ということも感じている。

実は最近ようやく理解できるようになったのだが、実は映画音楽を作る場合、特に日本では(とりわけアニメでは)一般に「劇伴音楽」といわれるが、実は「劇伴音楽」と「映画音楽」は違うのだ。
両者は似て非なるものである。

例えば先日亡くなったミシェルルグランを始め、ジョンウイリアムズ、エンニオモリコーネ、故人になってしまったがジェリーゴールドスミスは「映画音楽」の作曲家である。最近ではアレクサンドル・デスプラ もこのカテゴリーに入る

では劇伴作家というと代表的なのがハンスジマーである。この人の手法はまさに「究極の劇伴」といっていい。同様なタイプとしてラミン・ジャヴァディ、ドン・デイヴィス等が揚げられる。厳密には映画音楽的な面もあるがジェームスニュートンハワードもこのカテゴリーに入るかもしれない

どう違うのか? やや乱暴かもしれないが以下のような違いがあるかもしれない

映画音楽 劇伴音楽
音楽の作り方 マクロ的(音楽や映画の前後の「つながり」を重視 ミクロ的(映像の局所の演出に集中ー映像の部位と音楽のつながりを重視)
音楽の存在感 映画から独立しても音楽として存在しうる。音楽だけで映画の存在を覚えてもらうようなキャッチーなものが多い 映像と音楽が密着しているため、映像と音楽が独立しにくい。テーマ曲等を除いて音楽それ自体としては存在しにくい
音楽の作り方 音楽による映像演出、例外はあるもののあまり映像の動きと密着はしていない 音楽を「音響効果的」につくる場合が多い*

*筆者はハンスジマーの音楽は「究極の劇伴」という評価を持っている。特に「ダークナイト」や最近の「ダンケルク」などはそれにあてはまる

勿論全ての「映画音楽」や「劇伴」がこれにあてはまるわけではないが、わかりやすく分類するとこういうことになるのではないだろうか?

映画音楽と劇伴が違うと主張し始めたのは日本の映画音楽の作曲家、佐藤勝先生の、「俺は劇の伴奏なんか一度たりとも書いたことはない!」(2010年キネ旬ムック「オールタイム・ベスト映画遺産・映画音楽篇」キネマ旬報社)、「劇伴なんて言葉を使う監督とは組みたくない」(1991年の映画「大誘拐」パンフレットより)という発言からである。

これはクラシックのアカデミズムでは今でもそういう雰囲気が払拭されたとは言い難いのだが、映画やドラマのための音楽を蔑称的なニュアンスを込めて「劇伴」という言葉で表現された、という点もあり佐藤先生はそれを忌み嫌ったというのもある。一方では私は上記のリストのような両者の「音楽の作り方」を佐藤先生は念頭にあったのではないか、と思うようになった。

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佐藤勝 1928-1999

勿論、誤解を避けるためにいうが、私は「映画音楽の方が劇伴音楽よりすぐれている」とか「劇伴音楽」を批判的なニュアンスでここで云うつもりはない
今ハリウッドではハンスジマーのような「究極の劇伴」の方が主流になっており,ある意味ハンスジマーは「究極の劇伴作家」としての評価をすべきだと考える。

また映画監督と何人か仕事をしてみて「映画音楽」を求めている監督と「劇伴音楽」を求めている監督の2種類がいることを感じている。特に後者の「劇伴音楽」を求める監督は映像、役者の演技それ以外の全体のバランスを特に重視するタイプが多く、「映画音楽的」である音楽のメロデイーが分かりやすい音楽を持ってくると「絵が音楽に負ける」といって嫌がるタイプの人が多い。そして最近の映画監督を見ているとこういうタイプの人の方が多い印象がある。

これはどちらがいいとか悪いとかの問題ではない。監督の作風や作品に対する姿勢の問題なので人それぞれである。但し、私個人としてはこういう「劇伴音楽」を求めている監督と仕事するのは正直やり辛い。ハンスジマーはすごいとは思うが私はハンスジマーになろうとは思わない

そんなわけで私は「劇伴」のような作り方はやってできなくはないが、基本は「映画音楽作家」でありたいと思うし、なるべくそういう仕事をしていきたいと思う。

「映画音楽」と「劇伴音楽:-両者は似て非なるもの。という風にご理解いただければ幸いである。


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