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2018年2月 6日 (火)

ハリウッドの「セクハラ騒動」以降、おかしなフェミニズムが台頭し芸術論にも波及ーそれに対しマンチェスター市立美術館が「捨て身」の対抗策

ご存じの通りハリウッドのプロデユーサーによる「セクハラ事件」でゴールデングローブやグラミー等で欧米のシンガー、女優たちによる「セクハラに対する反対運動」のパフォーマンスが随所で見られた

そのことに対しては私は反対するものではない

だが最近はこれがエスカレートしていき明らかに行き過ぎのレベルにまで発展していっている。例えばメトロポリタン美術館に展示されている「バルテュスの少女画」は猥褻だから撤去すべきだ、などという運動が起きている。

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■芸術か、わいせつか論議 NY、バルテュスの少女画
http://www.sankei.com/world/news/171225/wor1712250030-n1.html

勿論メトロポリタン美術館はこれを拒否している。例によって実にバカバカしい議論である

さらに最近F1の商業権を獲得したリバティメディア社は「長きにわたってグリッドガールはF1の一部であったが、この慣習は我々のブランド価値にそぐわず、明らかに現在の社会的規範から外れている。F1とそのファンにとって適切で妥当なものではないと思う」(F1商業面マネージングディレクター、ショーン・ブラッチス)と表明した。

■『F1グリッドガール廃止』で騒然。改めて知っておきたいグリッドガールとレースクイーンの文化
https://www.as-web.jp/supergt/266415?all

一部の性差別廃止論者から廃止すべきとの主張があったためといわれる

尚、日本の大半のメデイアはこれを「レースクイーン廃止」と報じているようだが、レースクイーンは和製英語でありF1には公式には存在しないためこの報道は正確ではない。グリッドガールはレースクイーンのように水着等の露出も少なく、大会主催者やサーキットがおそろいのきちんとした衣装でレース場にいる。(写真) 

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これに関してイギリスの女性スポーツ保護団体Women’s Sport Trustは「明白な決断を下してくれたことに感謝している」と表明しており、各フェミニズム団体も歓迎しているという。

だがこの見解が本当に世の中の大多数の女性の考え方だろうか?

私は違うと思う

そもそもグリッドガールを女性差別とか女性蔑視と決めつける事はグリッドガールをやった女性たちすべてを侮辱しているのと同じである。そして当の日本独特の「レースクイーン」は元よりグリッドガールをやった女の子たちから「自分たちは差別された」などと発言したのは聞いたことがない。

また仮に日本のような露出の多いいわゆる「レースクイーン」の場合でも彼女たちの美しさを讃えレースイベントに花をそえているのであり、その行為の一体どこが女性蔑視、女性差別なのか理解に苦しむ。寧ろ彼女たちの美貌を讃えているのであって、彼女たちを「道具」にしているわけではない。

何かこういうのって昔「ミスコンは女性蔑視だ」などと大騒ぎしたバカなおばさん連中と本質的に変わらない気がする。誤ったフェミニズムは当の女性から支持を失って運動が衰退していった過去の歴史をもう少し直視すべきだ。実際こういう運動は女性の大多数から見放されて尻すぼみになったではないか。

そして先ほどの「バルテュスの少女画」の猥褻論とは別にイギリスのマンチェスター市立美術館が、 J. W. ウォーターハウスの《ヒュラスとニンフたち》(1896)の一時的な撤去に乗り出した。

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この美術の猥褻論にしても先程のグリッドガールの件でも私がいつも違和感を感じるのはおそらく以下の部分を大きく取り違えている点だ

1.女性の裸体=性的対象、猥褻と短絡的にむすびつけること

2.女性らしさ=女性差別や蔑視と短絡的にむすびつける

この2点ではないだろうか?

これを言い出したらビーナスを描いたルネッサンスの絵が全て裸の女性ということで猥褻になるのか、という話だ。お堅い古典派の作風でしられるアングルの裸婦など全て猥褻になってしまうではないか。

実は今回《ヒュラスとニンフたち》の撤去はある意図がある。美術館側の文言をみると

女性を「受動的な着飾り」や「ファム・ファタル」とする「非常に時代遅れ」な表現であると当該学芸員クレア・ギャナウェイにより注意書きがなされていた。今回同館は、セクシュアリティな表現を公共の場において飾るべきか否かが議論される現代において、「裸の少女たち」が描かれた同絵画は人々に討論を促す作品のひとつであるとして撤去に乗り出した。

同美術館は「ヴィクトリア的幻想に打ち勝とう!」の文言をブログ上に投稿し、非難を一蹴。ギャナウェイは「この撤去はけっして強制的な圧力で作品の自由な鑑賞を制限するものではない」「現在美術館は、ジェンダー、人種、そしてそれにまつわる表現について複雑な問題を抱えていおり、私たちはその問題について、積極的に議論したいと考えている」としている。

 また同時に、この決定は昨今活発化している「MeToo」や「Time’s up」運動の影響も大きいと語り、議論活発化のために美術館の来訪者に対して、同作品が飾られていたスペースに自らの意見を書いたポストイットを貼り付けるように促しているが、その多くが非難の声となっている。またツイッター上では、セクハラや性差別に対しての抗議運動の要素を都合良く利用した、単なる独善的行為だとの指摘も多く見られる。

これらは一見グリッドガールの件のような「偏ったフェミニズムー過剰なフェミニズム」に基づいた行動のように見えるが、よく見るとそうではないことがわかってくる。

これは、#MeeToo 的「過剰フェミニズム」によってもたらされるかもしれない未来を疑似体験することで、もう一度芸術表現についての思考を世界に喚起する。ということがどうやら目的のアートプロジェクトのようなのだ。

自らに非難殺到させることで、芸術におけるヌードは猥褻ではない!という世界的オピニオンを誘発し形成するといういわば「捨て身」の猥褻論に対する対抗策ということもできる。

実際、美術館はわざと美術の猥褻論に対する否定的な見解を寧ろ煽るような発言をしている。言ってみれば「確信犯」的にソーシャルメデイアで「炎上」させている、といういわばアートパフォーマンスなのかもしれない

それによって上記の《ヒュラスとニンフたち》とか上記の「バルテュスの少女画」猥褻論が実に陳腐に見えてくる。それこそがマンチェスター市立美術館の意図なのかもしれない。

過去フェミニズム運動、少し古いが「ウーマンリブ」運動なるものが、結果的に過剰で偏った方向に動いたために結局当の女性から支持を失い運動が下火になる。過去のフェミニズム運動はそれの繰り返しではないのか。

上記の芸術猥褻論やグリッドガールを廃止させて喜んでいる状況を見ると過去の教訓からフェミニズム運動をしている人たちは何も学んでいないように見える。共通するのは上記述べた次の二点に対して大きな意味の取り違えをしているからである

1.女性の裸体=性的対象、猥褻と短絡的にむすびつけること

2.女性らしさ=女性差別や蔑視と短絡的にむすびつける

過剰な偏ったフェミニズムはかえって女性の声を結果的につぶすことになってしまう。某ハリウッドプロデユーサーのように自分の立場を利用して女性に性的関係を強要するのは言語道断だが、それと女性の美しさを讃え、あえていうが妖艶さを愛でる行為は全く別のはずである。

そこを混同してはならない


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