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2018年1月21日 (日)

映画製作にお金を掛けようとしない日本 デジタル時代で「安くできる」が一人歩きしている日本、このままでは日本は映画のグローバル化に太刀打ちすることはできない

事情によりどこのスタジオかは公表できませんが、昨日現在手掛けている短編映画のMA(マルチオーデイオ作業ー但しこれは「和製英語」のため海外では通じません)作業を行い、5.1のサラウンドの作業を行いました。

Surround00

フロントのL (左)C(中央)R(右)のスピーカー

Surround02

後ろ(リア)の左のスピーカー

Surround01

後ろ(リア)の右のスピーカー

このフロントのL C R リア(後)のLrear Rrear  で5チャンネルです。ちなみに「5.1ch」という表記は通常のスピーカは1chで1とカウントし、超低音域再生専用のスピーカー(サブウーファー)は、通常のスピーカのch区分とは異なるという意味で「.1ch」とカウントしますが、ピリオドで区別しているだけです<

そしてそのサブウーファー(低音の20HZ以下の周波数成分)は音を大迫力にして、特に映画館に行くとその違いがよくわかります。
やはり迫力が違います。 映画の音創りは毎回こう行きたいですね。

今手掛けているのは15分の短編で日本で開催されるアメリカ映画アカデミーの"Short Short Film Asia"と5月のカンヌ映画祭に出品予定の作品です。

実はこういうと日本の映画関係者から「贅沢だ」という声が上がる可能性がありますが、映画製作がどんどんグローバル化している現代、日本と海外の映画予算の歴然たる差というものが存在します。
実は15分の短編でもこのくらいのポストプロダクション作業を行うのは海外では完全に普通であり、カンヌに提出する作品であればこのくらいの音のポストプロダクション作業を行わないと間違いなく太刀打ちできない、といっていいと思います。

例えば、園子温監督の次の記事をよむと歴然とした差があることがわかります。

■園子温監督が邦画の低予算ぶりを明かす 米中との歴然とした差に嘆き
http://news.livedoor.com/article/detail/11681452/

園監督によると「中国もアメリカも学生の自主映画の平均制作費は1億以上」だとか。一方で、日本の商業映画の平均的な制作費は5000万円以下だという。


中国では「新人監督の第一作目の製作費が平気で10億以上」「俳優のギャラが平気で何億」だそう。これに対して園監督は自身を持ち出し、「映画はじめて25年以上やってる俺は、製作費3000万とか5000万の平均的日本映画を今もこなしております」と綴っている。日本映画で制作費10億円は「巨大大作」だが、アメリカ・中国では10億円は「かなりの低予算映画」になるという。米中では日本に比べ、デビュー当時から恵まれた環境で活動できるというのだ。

この話を聞くと本当にお寒い限りです。

 

園監督も「愛のむきだし」「紀子」「地獄でなぜ悪い」などの過去作は、そうした低予算の環境下で制作し、「金のせいにしてはいけない」と思ってきたというが、そうした活動についても「もうイイだろうと思う。。。最近。。。だめだ、活路を。。」と苦しい胸の内も明かします。

かくいう私も日本の低予算のせいにしてはいけないとは重々承知しながら、映画音楽、劇伴を「打ち込み」で対応していましたが、かなり高精度のソフトシンセで生音に近い弦とか使っても「シンセだね」といわれるし、生音にできないのか、といわれても生音を録る予算など取れるはずがありません。(それなら予算下さい、という話です) そもそも日本の低予算では音楽にきちんと予算を回すほどの余裕がありません。だからゴマカシゴマカシしながら音楽を作っていくしかないんですね。

そういう仕事の流れに私もかなりの限界を感じてきているのも事実です。

ネット時代に入り、「安く上げる」「コストを下げる」ということばかりが過剰なまでに美化され、いつのまにかクオリティを保つためのコストまでカットするような風潮になってはいないでしょうか。話はそれますが昨今の車の検査手抜き(といっていいだろう)でリコール騒ぎが続いているのもそうした風潮と無関係ではないのではないでしょうか。コスト、バジェットを上げる=現場の努力が足りない、などと現場も知らない輩が勝手に決めつけてはいないでしょうか。昨今の日本の風潮を見るとそういう雰囲気を感じるのです。

昨年世界アカデミー賞で作品賞を受賞した「ムーンライト」(バリージェンキンズ監督)はおそらくアメリカの映画では最低レベルの予算しかないでしょう。俳優もこれといった人気俳優は出演していません。
それでも音楽に新進気鋭のニコラスブリテルを起用し、「流動的で、重い低音のスコア」をサラウンドで作っていました、映画館で実際音を聞いたが見事なサウンドトラックのできでした。低予算の映画でも音楽には手を抜かないという姿勢を見ることができます。

ところが日本の映画ではそこまでの姿勢を見ることができないことが多いです。

実は今回録音担当の人と話したのは日本のそういう風潮で海外では「日本の映画は音質が悪い」というのが定評になっているという話になりました。とりわけ海外の映画祭では完全にそういう評価が定着し、映画の中の「音」に関わる私も今回の映画「別れ詠」の録音の担当の方も忸怩たる思いでいます。

とりわけポストプロダクションの作業は映像(カラコレを始め)も音も映画のクオリティを決めるのに重要なファクターであるにも関わらず日本ではなぜか軽視されがちです。撮影であるプリプロダクションの数倍の手間と時間がかかるにも関わらず、ですね。

とりわけ「自主映画」では日本と海外の差は歴然としており、私が見る所殆どの日本の自主映画はポストプロダクションの方まできちんと考えている例は少ないです。

これにはいくつかの原因があります。それは

1.日本社会は文化や「カタチのない」コンテンツにはお金を出さない風潮が強い

2.デジタル時代になって映像も音楽も「安くできる」(この場合限りなくタダに近いというニュアンス)という言葉が一人歩きしている

3.クリエイター、スタッフクルーに対する著しいリスペクトの欠如

現在映像制作は現在ものすごい勢いでグローバル化しています。、そして日本で撮影したり日本を舞台にした映画も増えています。いわば日本ブームに近いことが起きているので、これは日本の映画関係者にとってはものすごいチャンスといっていいです。

だが映画製作に対する姿勢が現在のままだと日本は完全に世界から取り残される可能性大です。折角の世界の映画界の日本ブームという利点を生かせないまま終わる危険性があります。

昨日は映画の音のサラウンド化の作業を行いましたが、「自主制作」に限りなく近い映画製作で

音声って必要なの? カメラのマイクだけじゃだめなの?

カメラって一台だけでできないの?

MAって何? 必要なの それ?

映画を作ろうとする人間がこんなことを平気でいう人がいます。、そんな姿勢でいられては映画のグローバル化の流れで日本の映画製作は沈没するしかありません。

取りあえず昨日完成した短編「別れ詠」

Surround03

世界から評価されるような作品であってほしいと音楽担当者としては切に願う次第。私の音楽の評価についてはもはや世界の映画関係者に委ねるしかないですが..


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