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2018年1月30日 (火)

グラミー2018-見るたびに思う事。音楽を「文化」として尊重する国と100均以下の消耗品としか見ない日本との差が痛すぎる

初めにお断りしておくがグラミーの話をするとどうしても日本の音楽界の現状に辛口な表現になるが、今回もかなり辛辣なことを書くのでそういう記事を読みたくない方はこの記事を読まないことをお勧めする
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昨日グラミー2018年が開催された。各受賞者についてはグラミーの公式サイトを参照されたい。ひとことでいえばブルーノマーズが三冠を含め旋風を巻き起こしたといっていい
https://www.grammy.com/grammys/awards

司会は昨年につづきジェームスコーデン

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・コラボレーションが普通に行われる欧米の音楽シーン

グラミーは毎回ながらアーチストの素晴らしいパフォーマンスを見ることができるのが楽しいが特に海外ではもはや当たり前な「異ジャンル」のコラボレーションが普通に見ることができるのが楽しい

今年は60周年ということもあるのか、例年はLAのステイプルセンターだが今年はニューヨークのMSG(マデイソンスクウアーガーデン)で開催された。そのこともあってかステイングは名曲";Englishman in New york"を披露した

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なんかレゲエ風のリズムでやっているな、と思ったらShaggyが出てきてのコラボレーションステージ

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同じように先日引退を表明したエルトンジョンとカントリー歌手のマイリーサイラスのコラボレーションステージ

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何度もいっているが欧米ではこういう「異ジャンル」のコラボレーションは当たり前になっている、しかし日本ではこういう「異ジャンル」のコラボレーションに対して躊躇する向きが少なくない。あるミュージシャンが全く違うジャンルのミュージシャンとコラボレーションをしても、「同ジャンルの他の人に知られないように」あまり大っぴらにしたがらない傾向が強い。

私はこのメンタリテイは到底理解できない。
違うジャンルのミュージシャンとコラボすることに他の同ジャンルのミュージシャンにどんな不都合が生じるというのだろうか?寧ろ「ジャンルが違う=対立軸」として考える日本の音楽の風潮こそ時代錯誤の音楽観に捉われているといえないだろうか? これはジャンルごとのミュージシャンで作る「ムラ社会」が音楽の視野を極端に狭め表現の可能性を閉ざしているものだと私は考える。

あえていう。

そんな「ムラ社会」は音楽の発展に障害にしかならないからぶち壊してしまうべきである。

まあこんなことを毎年グラミーを見ていると思わされるのだ

さて気をとりなおしてグラミーに話を戻そう

・楽しいショーマンシップと辛辣な政治風刺

グラミーはさすがにショーでもあるわけだが、今回の舞台はニューヨーク、ジェームスコーデンがニューヨークの地下鉄でステイングとパフォーマンスをしたりというものがあった。

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それと英語というのは皮肉の文化でもある。

しかしかつてグラミーでもそしてもうすぐ開催されるオスカーでもそうだがかつてこれほどやり玉に挙げられたアメリカ大統領はいなかったのではないかと思う。今回グラミーはトランプの暴露本Fire and Furyを関係者が読むというパフォーマンスを行った

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暴露本Fire and Furyの評価についてはここで置いておくがこれが今後のトランプ政権にとってかなりの面で足かせになっていくことは間違いない。アメリカではなかなか手に入らないくらい在庫がないそうだが果たして日本で手に入るかどうか。興味ある方はAmazonで注文されたい

余談だがラップ系の人が本を読むと自然にラップになってしまうというのは何か面白い

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そして極めつけはこの人が暴露本を読んだことである。誰有ろうヒラリークリントンだ。

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ここまで茶化された大統領はかつていなかっただろう。私も記憶にない。

だがこういう政治的メッセージをこういうショーに取り込むというのは日本では難しいだろう。先日日本でウーマンラッシュアワーが政治風刺の漫才をしただけで単にネトウヨだけでなく右寄りの人、保守派から大バッシングを受けたのは記憶に新しい

関連記事 ■ウーマンラッシュアワーのMANZAIはお笑いの本来のあるべき姿、風刺というものを理解できない日本人こそ恥ずかしい 
http://kyojiohno.hatenadiary.com/entry/2017/12/19/112947

・アーチスト、芸人が政治風刺や政治的発言を行うことを極端に嫌う日本という国

日本ではアーチストや芸人が政治風刺や政治的発言をすることをハシタナイ、ダサいと考える向きが強い。特定のアーチストや芸能人、芸人がそういう発言をすると必ずバッシングが起き、それに対する否定的見解が沢山出てくる

だがロジックのご存じ"1ー800ー273ー8255"(アメリカのフリーダイアル:自殺防止相談ホットライン)のような社会的メッセージにあふれた曲を出して非難するような人間は私ははっきりいって人格を疑う (でも日本のアーチストが出せば間違いなく日本ではバッシングが起きるだろう)

日本人はラップを単なる流行スタイルとしてとらえる向きが強いが実はラップアーチストの大半は「社会派」だ。そして社会派メッセージを伝え多くの人がそれによって救われる

ロジックの"1ー800ー273ー8255"で実際本当に救われた人たちだ。

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"You are not alone" (君は一人じゃない)というTシャツでアメリカでも深刻な問題になっている自殺を減らすことに音楽が貢献しているとしたら素晴らしいことだ

日本でも自殺は大きな社会問題となっているが、そういうことに対して社会運動をする、というだけでネガテイブな反応が返ってくる日本という国は一体何なんだろう?

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ロジックのKhalid Robinsonは"Black is beautiful , Hate is ugly"(黒人は美しい、ヘイトスピーチは本当に醜い)と切り出して、「他の国をShithole(肥溜め)」などと平気でいう奴がホワイトハウスにいる危険性について切り出した。

日本だったらアーチストがこういう曲を作りこういう政治的メッセージをだそうもんなら、事務所もレコード会社も必死につぶそうとするだろう。今アメリカにはどうしようもない人間が大統領になっているがそれでもまだアメリカという国は健全な部分を残していてこの問題を乗り越えようとしている

日本は安倍晋三のようなファシストがもう5年も政権をになっているが、それに対抗する動きがなかなか盛り上がらないというのが問題だ。アーチストがもっと発言すれば少しは変わるのだが、事務所やレコード会社は躍起になってそれをつぶそうとする。困ったものだ

・音楽を文化として尊重し敬意を表する欧米、消耗品としか見ていない日本

さらにこれも毎年同じことをいっているがグラミーを見て思うのは欧米と日本の音楽に対する認識の差だ。きちんと音楽を文化として尊重し、リスペクトする姿。だが日本の音楽番組のどれを見てもそういう態度は微塵も見られない、

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ミュージカルの本場ニューヨークでロイドウエーバーのトリビュートパフォーマンスが行われた

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昨年亡くなったリンキンパークのチェスターベニングトン (アーチスト追悼コーナーにて)

正直、日本の現状を考えると絶望的な気分にしかならない。どうも日本人は本質的に農耕民族なのか「モノ」以外に価値を認めようとしない傾向が強いのかもしれない。音楽、芸術、そして映像等「なくても生きていける」(と社会の大部分の人が考えている)ものに関わっている人間を「趣味を仕事としているろくでもない奴ら」として軽蔑している人間も世の中に少なくないように感じる。実際私の関係者でも「映画関係の仕事をしている」という理由だけで突然付き合っていた女性から一方的に別れられたり、「彼氏にしてはいけない3B」の一人がバンドマンだったりする。

また実際音楽家の派遣やイベントの打ち合わせをしている時に「音楽なんて所詮娯楽だ」「空気と同じようなものだ」と受け取れるようなニュアンスの発言をよく聞く。言った本人は必ずしも悪気はないのかもしれないが、「音楽家」に対してある種の偏見を持っていると感じている人が多いと感じる一場面である。当然こういう人たちは「音楽家」になるのにどれだけ厳しい訓練や練習を重ねてきたか、ということなど理解など到底できないだろう。「ノウハウ」というものは取得するのに血のにじむような努力をしていることなど考えようもしない。日本人にとって音楽はタダ同然、よくて100円ショップの消耗品以上のものにはなっていないのである。

そうした風潮が欧米と日本の音楽の祭典で明確な違いとなって表れている

今コンテンツは全世界的にグローバルな動きになっているが、このままだと日本の音楽だけは完全に置いてけぼりを食らうだろう。そしてそのことについて大多数の関係者が何とも思わない、どうも日本という国はそういう国のようだ

あと二年でオリンピックらしいが、このままだと音楽の面では全世界への恥晒しとなるだろう。


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