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2016年9月 6日 (火)

シンゴジラ 二度見で確認したさまざまなこと(ネタバレ注意!!)

(注意!!:この記事はネタバレを含みます。まだシンゴジラを映画館で見ていない方は決して読まないで下さい)

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話題になっているシンゴジラーこれが数ある怪獣映画を含めて(それこそ本田猪四郎監督の元祖ゴジラ(1954)を含めて)もゴジラシリーズの最高傑作の1つといっていいだろう。
日本映画ここまでできるのか、という驚きとやはり監督の庵野秀明の凄さを感じた。だてにエバンゲリオンで一時代を築いていない。アニメ監督が実写やると失敗するケースが少なくないんだけど庵野さんは確かに違う。
まず脚本が素晴らしい。サブタイトルに日本対虚構と書いているが日本の政治機構と官僚システムが日本に本当にゴジラが襲来したらどうなるか極めてリアリティーを持って描いてる。細部までこだわって出来上がった脚本は見事といっていい。

そして特筆すべきはその「仕掛け」の細かさだ。あとでさまざまな人の話しを聞いて正直、見逃した、聞きのがしたものが多いことに気づき、日本映画には珍しく二度見をしてしまった。それほどの作品なのだ。

そして確認した。その中で今話題になっている点を特に3点揚げようと思う。

1.石原さとみ演じるカヨコ パターソンの英語が酷いという話

一応私はアメリカ在住も長いので、こういう話を聞いた時は驚いた。英語の発音にはかなり気を付けている方だが、その私が聞いても石原さとみの英語はじつに綺麗な発音で感心していたくらいだ。その石原さとみの英語をかなり叩いている輩がいるが、そんなに酷かったのか改めてもう一度石原さとみの英語を聞いてみた。

結論からいう。

少しも酷くない寧ろものすごく上手い
若干西海岸訛りはあるもののハリウッド映画でも十分役をもらえるくらいに上手である

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一体誰がそんなことを言い出したのか知らないが、この英語の発音が酷いと主張している輩はおそらく十中八九、英会話能力の高い人間ではないだろう。もし難くせをつけて「完璧な英語ではない」などと主張している人間がいたとしたらそれは英語という言語に対する無知をさらけだしているに過ぎない。

そもそもひとくちに英語といってもさまざまなアクセントが存在し、オーストラリア英語、イギリス英語、アメリカ英語でも西海岸、東海岸、テキサスで英語の発音は全然違う。英語を話す民族は多様でありどの発音が正しくどれが正しくない、などという考えなどないのだだから英国人は他国人の英語の発音につべこべ言わないし、ネイティブは様々な国から来た相手の英語を聞き取ろうと無意識に努力する。だから殆どの日本人は知らないようだが完璧な英語、片言程度の英会話能力しかなくても自然にコミュニケーションができるものなのだ。

つまり石原さとみの英語が酷いと主張するのは英語圏の言語文化のありかた対する無知をさらけだしており、絶対に英語に堪能な人間の発言ではない、と断言できる。

なぜ石原さとみの英語が酷く感じたのか、帰国子女仲間で話したことがあるのだが、「日本語が日本人過ぎるから(笑)」なんて話もでたが、我々帰国子女がよくやる会話の中にさりげなく英語をはさめる、ニュアンスで英語出してしまう、ということに拒絶反応を示している人間が多い可能性が高いのではないか、という話になった。

日本人は言語に対してフレキシブルな対応することが極端に苦手な国民であり、それが日本人がいつまでたっても英語コミュニケ―ション障害から逃れられない原因になっているのではないか、という話も出た。ここでいうフレキシブルというのは日本語と他の言語を同時に使っていたり「ネイテイブじゃないー日本人がしゃべるような日本語じゃない」日本語に違和感を感じたり、ということである。

要するに石原さとみが演じた今回のキャラも帰国子女よろしく役柄でナチュラルな英語の発音と「普通の日本語」が混ざったことに対する拒絶反応ーそれが鼻についた、てことが今回の「石原さとみー英語酷い」騒動になったのではあるまいか。これがルー大柴のようなブロークンな英語と日本語と混じっているのなら日本人は違和感を感じないのだろうけれど、本物の英語と日本語が混じっているがゆえに違和感と拒絶反応を示した人間が多いのではないだろうか?

また最近のネットの言質をみるとますます「多様性」というものを容認しなくなっている傾向を感じる。そういう人間には英語の発音には多様性がある、などということなど到底理解できまい

そしてそれは平均的日本人の外国語習得レベルの低さを図らずも証明してしまったことになる。日本人の外国語コミュニケーション障害は想像以上に深刻、といわざるを得ない。

もしもそれをいわれたくなかったら少なくとも石原さとみの英語が酷いというのは自分で英語が苦手と自分でいっているようなものだからやめた方がいい。

.Imax なのに劇中音楽がモノラルに聞こえるいう話

今回のシンゴジラは過去のゴジラシリーズとのストーリー上のつながりは皆無である。映画上では「ゴジラ」なる怪獣が「初めて登場した」かのような扱いになっている。

しかし過去のゴジラシリーズに対するオマージュは忘れない。その1つに伊福部昭先生の「ゴジラ」のテーマ音楽が使われている点である、エンドロールにはモノラルだが過去のゴジラシリーズに使われた音楽が流れている。
当然ながらImaxで見ようがここの部分はモノラルだから当然ながらImaxでも音の広がりは感じられない。しかし同時に劇中音楽でも使われていたためにそれもモノラルではないか、という話が出ていた。

二度目に見てそれを確認した。

結論からいうと鎌倉から川崎に「第四形態」になったゴジラが出現した時になった伊福部先生のゴジラは新録ものだと思う。トランペットを始めとするオーケストラの定位がはっきりわかったからである。

しかし二度目の武蔵小杉での自衛隊対ゴジラの戦いのときに流れた「自衛隊マーチ」はやられた。攻撃の音響効果、音声はImaxで広がりの出るものであったが、それに惑わされ、その背景に流れていた「自衛隊マーチ」はたぶん伊福部先生のモノラル版を使っている。

なぜ最初が新録で二回目の「自衛隊マーチ」はモノラルにしたのか理由がわからない。おそらく映画音楽録音時に片方しかレコーデイングしていない、というのは常識的に考えられないので、モノラル版を選んだのは庵野監督の判断なのだろう。単純に伊福部バージョンの方が絵にはまったから、というのがおそらく理由と思われる。

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3.シンゴジラはエヴァ(エヴァンゲリオン)に似すぎているという話

結論からいって両者が似ているのは当たり前である。なぜならどちらも庵野秀明監督の独特の表現スタイルで作られているからだ。例えば多数の音声、話声が同時に流れるスタイルは確かにエヴァンゲリオンでも使われたが、これはエヴァを真似したのではなくこういう「音声の聞かせ方」が庵野スタイルなのだ。
確かにゴジラのしっぽがエヴァの「シト」に似ているし最後のゴジラの尻尾に隠された人間のシルエットはひょっとしたらエヴァンゲリオンファンの庵野監督なりの「サービス」なのかもしれないが(TVシリーズの予告編では「サービス、サービス」で締めるのが恒例だったが)

だがそれでもシンゴジラエヴァンゲリオンは全く本質が異なる映画であるといっていい。

(1)  人間ドラマ
確かにシンゴジラエヴァンゲリオンもある意味「神話」がテーマとなっている点では共通している。エヴァンゲリオンでは庵野秀明は旧約聖書の「死海文書」がストーリーを左右しているし、シンゴジラは「神話」と化したゴジラそのものがテーマである。そこでは人間個々のドラマではなく、人間(信者)と神の関わりが描かれる点では共通している。

但しエヴァンゲリオンでは全く人間ドラマがないわけではない。巨大な人型兵器エヴァンゲリオン(EVA)初号機のパイロットにされた主人公碇シンジの心の葛藤、特務機関NERV(ネルフ)の総司令である父親碇ゲンドウとの激しい確執等が描かれており、そこには神話とはいえ人間ドラマが存在する。

一方シンゴジラはオリジナルゴジラの戦後ではなく災害後(災後)の日本が描かれる。
ここでは、神に抗い、虚構の神を信じ、作り上げ、戦う人々が信者として、現れる。つまりゴジラそのものが広大な神話である。そのためには陳腐な人間ドラマなど逆にジャマなのだ。

主役の長谷川博巳演じる矢口蘭堂も石原さとみ演じるカヨコ・パターソンもハリウッド映画なら二人のラヴシーンを作っただろうが、ここではそんな要素は不要なのだ。そういうものをすべてそぎ落としたところに、今回の映画シンゴジラがあるといっていい。 

(2)  下地のドラマの違い
今回の
シンゴジラは確かに怪獣映画ではあるが、実際には入念なあらゆるケースのシミュレーションを研究した上でのポリティカル・サスペンスとして描かれている。ゴジラが暴れるシーンよりも会議室でのシーンが圧倒的に多く、その会議の内容、脚本が本当に細かいところまで入念に練られた脚本である。

これは庵野監督が尊敬する岡本喜八監督作品『日本のいちばん長い日』が脚本の下地となり、日本の運命を左右する重大な決断の模様を戯画化して戦争の終わりを描いているからである。今回もその苦渋の決断をしなければならない部分の戯画化が随所にみられることからも明らかである。

そして何よりも今回の「ゴジラ出現」のキーパーソンである牧悟郎教授は写真のみの出演ながらなんと岡本喜八監督その人である。これは庵野監督の岡本監督へのオマージュを意図しており、この映画の下地が『日本のいちばん長い日』であることを監督自ら表明しているようなものである。

当然ながらエヴァンゲリオンではそのような要素はない。だから両者は一見似ているが全く本質が違う作品である。

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それ以外に今回の映画にはかなり細かい芸当で過去のゴジラシリーズ、とりわけ本田猪四郎+円谷監督の初代ゴジラへのオマージュが沢山ちりばめられている。私も「そういえば」といいたくなるものも沢山ある。

『シン・ゴジラ』で見つけたオマージュや小ネタ #細かすぎて伝わらないシン・ゴジラの好きなところ選手権 のタグから
http://togetter.com/li/1015812

今回何よりもうれしいのは、2015年の「ギャレスエドワーズ」の「ゴジラ」でもはや日本ではゴジラ映画は作られないのではないか、と一時思われたにも関わらず、日本人はハリウッドに対して白旗は揚げないぞ、という気概を感じさせてくれた映画であったことである。

まさにマニアの本気、プロの本気、東宝の本気、ヒットメイカーの本気が漲る。
細かすぎる技、ネタ、謎、遊び心、出来ることを盛り沢山にし、出来ないことを切り捨ててみせた潔さ。
その挑戦は、日本映画史の伝承を21世紀に権現させたものと云っていいだろう、

庵野秀明監督は日本映画の中で金字塔を改めてうちたてたといっていいと思う作品である


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