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2016年8月28日 (日)

作曲家に学歴は必要か?

既に何度もこのブログで書いているが私は音大出身ではない

正確には音大の作曲学科の受験を本格的に検討した時代はあったのだが、結局普通大学に入った、しかしながら作曲家になりたいという思いはいささかも揺るがなかった。

今日面白いブログ記事を読ませてもらった。武満徹と小澤征爾の「学歴」に関する記事である

■音楽家を例にして、 日本と世界ー人間を見る目の隔たり。小沢征爾、武満徹、清瀬保二
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/ed7aa3daf54f1cfb264d7c0fdb42af8c

素晴らしい文章なので全文引用させていただく

Takemitsu

世界的に最も高く評価されてきた日本の現代作曲家は武満徹(たけみつとおる)でしたが、彼は、音楽教育を受けていません。
高卒ですが、高校は、文京区白山にある京華高校で、音楽教育はありませんでした。

武満徹の唯一の先生は、清瀬保(きよせやすじ)ですが、清瀬も音楽学校に学んだことはなく、独学です。名実共に日本を代表する作曲家で、独創的で優れた和声を生み出した人です。

ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、世界最高の指揮者の一人と言われる小澤征爾斎藤秀雄がはじめた桐朋短大の音楽部卒で、当時は誰も知らない学校、というより私塾の出です。 

 日本を代表する最も優れた音楽家は、みな学歴がありません。この事実くらいは知らないと、芸大卒ならとかNHK交響楽団ならとかという歪んだ評価=間違った評価になるでしょう。

  小澤征爾は、20代前半で音楽武者修行と称して、貨物船にのせてもらい、富士重工から借りたスクーターでフランスのマルセーユ港に上陸しましたが、ブザン ソンで指揮者のコンクールというものがあることを教えられました。しかし、申し込むにも郵送では締め切りに間に合わず、なんとかしてもらおうと、日本大使 館に飛びこみました。しかし、どこの大学かを聞かれます。芸大でないのが分かると、とり合ってくれません。

  小沢は困り、はたと思います。「アメリカは自由の国だ、アメリカ大使館に行こう」と。アメリカ大使館に行くと、音楽部があり、そこの責任者の女性に頼みま したが、彼はこう聞かれます「あなたはよい音楽家か?悪い音楽か?」彼は大声で応えました「わたしはよい音楽家になるだろう!」と。すぐには相手方(ブザ ンソン指揮者コンクール)の了解がとれませんでしたが、結局OKとなり、小沢は急遽、当時世界で唯一の指揮者コンクールを受けることができました。結果 は、飛び入り参加で全く無名の小澤征爾が優勝したのでした。

 日本大使館は日本の若者に助力せず、関係のないアメリカ大使館から助力を受け、各国の政府や音楽大学から派遣されている若手指揮者ではなく、飛び入りで参加した東洋の日本人にフランスの審査員は、優勝の栄誉を与えたのでした。

「桐朋短大?聞いたことないね、芸大ではないのか? 残念だが無理だね。と言ったのがパリの日本大使館でしたし、
武満徹も、来日したストラヴィンスキーが楽譜を見て、彼を高く評価しなければ、世に出ることはできなかった(日本人は師の清瀬保二しか彼の才能を見抜けない)わけです

 われわれ日本人は、自身の価値観ー考え方ー生き方を反省し変えていかないと、いつまでも人生の充実、愉悦、幸福はやってきません。形・形式・肩書ではなく、中身・内容を見、知ることのできる人間になる努力をはじめないと、人間(自由と責任をもつ「個人」)になれませんね

まあこの文章をみても日本人はこの時代から何も進歩しておらんな、というのが正直なところだが、大使館とか役人とか芸術のゲの字も知らん人間は学歴でしか判断できる指標がないのだろう。

ただ幸いにして私は音大出身ではないが、少なくとも身近の取引先から「どこの音大出身?」なんて聞かれたことは記憶にない。いや現実には二回ほどあったか。一度はNHK そしてもう一階はレコード会社の某S社 いずれも採用云々が大きな影響を与えたとは思えないのだが、もしかしたら私は案外無神経なのか、学歴関係でふるいにかけられたことすら気が付かなかっただけかもしれないが(笑)

だがそういうことを感じないで済むのは私はアカデミズムの作曲家連中が「軽蔑」する商業音楽、ポピュラーミュージック、映画やドラマの音楽という分野で仕事をしているからかもしれない。なぜならこの分野、芸大卒だからバンバン仕事が来る、なんてものではないし最終的にはこの業界「どこで何をしたか」「どんな仕事をしたか」の方が遙かに重要視される分野だからだ。

とはいえ、音大出身でないことから伊福部、冨田、
武満各先生は私にとって作曲家としてのお手本だったことは事実だ。

これというのも友人に音大出身の作曲家が多いので言い辛くはあるのだが、作曲は音大に行ってまで勉強する必要があるものかというと断じてそんなことはない、と断言できる。寧ろ既成概念とか「マニュアル」とかでガチガチになってしまうケースが多く、クリエイテイブな仕事には寧ろ障害になることの方が多い。

東京音大の学長も務めた伊福部昭先生、そして世界に名だたる実績を残した冨田勲先生、いずれも音大出身ではない。そして武満さんを含め私が尊敬する日本の作曲家はいずれも「正規な」音楽教育を受けていないのだ。でもこの3人が間違いなく20世紀の日本の音楽シーンを代表する仕事をしてきた、ということはゆるぎない事実といっていいと思う。偶然だが3人とも映画、ドラマ音楽で大きな実績がある人たちだ。自分が今その方向に行っているのも偶然ではないか もしれない。

実際伊福部昭先生が普及の名作である「ゴジラ」の音楽を作った時、作曲のアカデミズム連中からかなり罵倒されたらしい。佐藤勝先生が「劇伴」という言葉を嫌ったように当時のクラシック音楽のアカデミズムは映画音楽、ドラマ音楽に対して露骨な偏見を持っていたのは事実らしい。実際一昨年の佐村河内事件でも一部のクラシック、現代音楽系作曲家が「映画音楽なんか所詮余技だ」とか「本来の作品ではない」などという言質をまき散らし映画音楽なんか芸術音楽とは呼べない、などと決めつけた者がいた。クラシックのアカデミズムではまだそういう偏見が根強く残っているのである。 オペラは芸術だがミュージカルはもうけるための音楽だ(笑)などといった実にバカバカしい偏見である。

だが悪いが私はプロフェッショナルとして仕事をしていて自分が音大出身でないことに引けめを感じたことは一度もない。なぜなら少なくとも、商業音楽、ポピュラーミュージック、映画やドラマの音楽という分野では音楽の学歴など無意味だからだ。だが本当に日本人というのは肩書にこだわりすぎる。

最後にこの文章の結びの言葉は今の日本人全員に考えて欲しいのでもう一度引用する

われわれ日本人は、自身の価値観ー考え方ー生き方を反省し変えていかないと、いつまでも人生の充実、愉悦、幸福はやってきません。形・形式・肩書ではなく、中身・内容を見、知ることのできる人間になる努力をはじめないと、人間(自由と責任をもつ「個人」)になれませんね

自分で自分の国の文化をきちんと評価できない、

そんな国が世界の一流国の仲間入りなどできるはずがない、からである。


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