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2016年3月26日 (土)

無料広告モデル終焉と映像コンテンツが主役の時代ー音楽は映像メデイアなしには拡がらない

今年の初めに書いた当ブログ記事のコラムでやや誤解する向きがあるので補足の意味を込めて書く

■デジタル偏重、デジタル絶対時代の終焉ーインターネットは「旧メデイア」に実は「完敗」したという事実
http;//kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2016/01/post-f2a0.html

ケーブルテレビ等の有料放送が定着しているアメリカは映画、ドラマ、等の「有料コンテンツ」が完全な主役であり、無料コンテンツのバラエテイやネットのバイラルメデイアを始めとする「トラフィックを稼ぐための」無料コンテンツ、のビジネスモデルは実質崩壊している、という点の主張だが、日本ではいまだにテレビ=地上波のテレビという風に受け取る向きが強い、ケーブル、スターチャンネル、WOWOWといった有料放送は「二次的なサービス」であるかのように扱われているからだ。

だが日本の地上波のテレビの番組がバラエテイを始めとする内容のない、差しさわりのないつまらないものになっていることはもはや周知の事実となっている、ネットでも同じだ、感傷的、感動的なコンテンツをあたかも自分の記事であるかのように掲載して姑息な手段でトラフィックを稼ぐバイラルメデイアを始め、デマやゴミ情報であふれるネットの現状を見て思うのは結局無料コンテンツ=ゴミ、という事実は動かしがたいものがある。それはよく考えれば当然のことで「無料」というのは価値がない、ということでこうなるのは必然の帰結ともいえる。

実際you tubeやツイキャスを始めとする映像コンテンツサービスも「有料ビジネス」が開始しているのも結局は無料でクオリティの低いコンテンツなどより、有料でも高いクオリティの映像を見た方がいい、というユーザーの意思が明確になったから、ということができるだろう。これは何よりもインターネットのプラットホームを作ったITグローバル企業がいち早くこの事実に気づいて動いている。実際、「ネットフリックス」「アマゾン」が劇場公開映画を制作する、という劇場公開やレンタルとストリーミング両方をてがけたハイブリッドな方向に動いており、Googleも映像パッケージを始めとする日用品の宅配という「リアル」な事業に乗り出しており、Appleやこの面では少し遅れをとっているマイクロソフトもいずれ、そちらの方向に動くと思われる。

ついこの間まで「全てのコンテンツは無料であるべき」などといった考え方があたかも正論であるかのようにいわれていた時代からみると隔世の感は確かにある。ネット住民が固執した「インターネットはあらゆるメデイアを凌駕し社会に革命をもたらす」という価値観はもはたネット住民のはかない夢となって終わったのである。

これらの傾向を見るとあることがはっきり見えてくる

それは 21世紀はやはり映像コンテンツが主役  という事実である

それも低クオリティないかにもシロウト作ったような映像コンテンツではダメだ。

クオリテイの高い映像コンテンツでないとダメなのである。そういう映像コンテンツの需要がこれから増えていくだろう、

このことは自動的に現在地上波のテレビやネットの無料コンテンツでトラフィックを姑息な手段で稼ぐといった無料広告モデルの事実上の終焉をも意味する

デジタル技術は「誰もが気軽に映像を作れる時代を作った」といわれる。それは一見正しいように見える。確かにデジタル技術はコストダウンといった面では確かに大きく貢献したが、実はそのことはプロとアマチュアの境界線がなくなったことを意味しない。
インターネット社会になって一つ良くない傾向だと思うのはプロフェッショナリズムに対して敬意や尊敬の念というものが減退している点である。だがデジタル技術で自分ではよくできた映像だと思っだとしてもアマチュアは騙せてもプロの目はごまかせるものではない、意外にここを理解していない輩が多いのである。

それに音楽でもインストルメンタルなら、DTM及びDAWで一人で作ることも不可能ではないが、映像は決して一人で作ることはできない、必ずカメラ、照明、音声その他多くのスタッフがいないとできないものなのである。そのスタッフクルーの腕次第で映像のクオリティは大きく左右される。寧ろシロウトクラスの腕だとすぐにばれてしまう。そういうものなのだ。

だからプロの手による高いクオリティの映像でないと当たり前だが人はお金を払ってその映像を見ようとはしないだろう。そうでないと結局ネットにあふれているゴミコンテンツの仲間入りをする以外に道はないのだ。

ネット黎明期では実は「テキスト情報」が主役だった。しかし今は映像が完全に主役になりつつある。映像の表現が何よりも一番直接的であり、ある意味一番「わかりやすい」からである。「ネットフリックス」「アマゾン」といったITのプラットホームの巨人が映画やドラマに投資を始めている点もその点が大きい。ひとことでいえば映像を制する者が21世紀を制するといってもいい。そのくらいこれからは映像、それもクオリテイの高くて「売れる」映像は重要な商品となってくる。

映画、ドラマ、ゲームの市場はその意味ではかなり将来性の高いものになるが、問題は私も関わっている音楽の市場である。残念ながら「映像」という媒体を通してでないと音楽は広がって行かないという現実は受け入れざるを得まい。ライブハウスやコンサートホールを回ったところで知れているからである。

その意味でこれからは音楽家といえども映像、映画、ドラマの世界にかなり近いところに自らを置いておいた方が得である。私が今管理しているFacebookグループ「音楽家&音楽及び関連業界キャステイング」というグループでも映像関係者、映画キャストならびにクルーを積極的に受け入れている。なぜ音楽のグループなのに映画、ドラマ関係者がこんなにいるのか?と疑問を呈する人も少なくないが、これからの時代は映像関係者と音楽関係者がかなり密接な関係を持つことは極めて重要であると考えるからである。

また非常に幸いなことに私は映画や劇伴関係の音楽の仕事を中心に行っている。実際この道に自らを特化することによってかなり自分にはいろんな意味で世界が広がったし、これによって自らも大きく得をしたと考えているからである。

映画やドラマの音楽は誰でもできる仕事ではない。適性があるのだ(「才能」ではない「適性」である) 監督の要求、プロデユーサーの要求にこたえなきゃならない、という使命があるし、そしてたいていの場合充分な時間がない(汗) 監督によってはかなり無理難題も来る。それにこたえられるひとでないとダメなのだ。

そして自分の為にしか曲を作れない人は絶対にこの仕事に向いていない。私が「適性」といったのはまさにここである。

昔は映画や劇のための音楽というとクラシック系の作曲家が担当するのが定番みたいだったが今は違う。昔はオケのスコアさえかければよかったが、今はDTM DAWの能力がほぼ必須といっていい。事前にpro toolsでオケのシミュレーションまでする必要性がある。でないと本番のレコーデイングの前に監督からある程度これでOKという言質をもらわないと、実際オーケストラ等のレコーデイングの本番の時に一つ間違えるとえらいことになる。そういうことを事前に起きないように作業しなくてはならない。また昔は「クラシック音楽」の知識さえあればよかったが、映像のニーズの多様化に伴い、ジャズ、ポップス、ロック等のポピュラー系の素養も少なくとも最小限はもっていないと映画やドラマの音楽の作家として第一線で行うことはできない

その意味で私がこういった分野で仕事ができたのは非常にラッキーだったといっていい。これからは映像のために音楽を作れる、というのはこれからの時代大きいと自分でも肌で感じる。楽ではないけど今の道に進んで正解だとは思っている。そうした上でより有益でなおかつクオリティの高い音楽制作を続けて行こうと思っている。音楽の世界を再生するにはこの方法しかない、と思っている。

という意味で間違いなくこれからは映像の時代ー映像を制する者が21世紀を制する 時代なのだ。その意味では今までIT業界にさんざん振り回された感のあるコンテンツホルダ-ではあるがようやくコンテンツホルダーにとって望ましい時代が訪れてきたといっていいかもしれない。ネット住民は「ネットが全てを凌駕しネットのみで全てを完結できる」などという宗教にすら近い(中川淳一郎氏のいう「ネット教信者」)見解に固執しているが、実際にはネットをいかにリアルな実益、コネクション等にむすびつけるか、という観点こそが重要である。

とはいえ、株式会社カドカワの角川歴彦社長のいうようにプラットホームによって覇権を握っている角川歴彦社長のいう「ギャング4」)(Google, Apple, Amazon, Microsoft)に対抗するためにはコンテンツホルダー側もIT技術を装備しておかないと対等にはわたりあえない、というのも事実であろう。映像の時代とはいえ、そこを怠るとまたIT業界振り回されることになりかねない。

映像の世紀とはいっても権利が阻害されたり、映像の価値を不当に安物のように扱われるのが当たり前の時代になってはならないのである。

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