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2016年2月 6日 (土)

音楽のことだけを考えるのではなく、 お客さんを始め音楽の世界以外のことを考える という視点が重要ーしかしこれが意外に難しい

このブログにて音楽業界のさまざまな問題について論じきたし、大いに批判もしてきました。
しかしご存じの通り音楽の世界は一向によくならないどころか状況はどんどん悪くなっています。このままいけばもうあと数年のうちの音楽業界自体が沈没するのは避けられないと感じますね。
特に昨今のヒットチャートなどを見ますと既に音楽文化というものはもはや機能していなくて、もはや音楽文化自体は死んだも同然、そのくらいの状況といっても過言ではありません。

正直私もAKBを始め昨今のアイドルブームにはややうんざりしています。なぜかといいますとアイドルは別に音楽を売っているわけではないし、なぜ私が「音楽文化が機能していない」と書いているかといいますと、ヒットチャートのの殆どアイドル系で占められているのを見てももはや「音楽」がきちんと買われている状況ではないことは明らかだからです。

しかし一方で確かにちょっとまてよ? と思う部分もあります。それは我々音楽をやっている人間が陥りがちなワナにはまっている可能性もあるのではないか?と考えます。それに関して非常に示唆に富んだ記事を書いた人がいましたので紹介させていただきます。

アイドル音楽が金になってバンドが金にならない理由 ~音楽的に優れているということの価値~
http://ameblo.jp/miyabie0227/entry-12122971023.html

私はこの人とは面識がありませんが読んでいてはっと気が付かされることがありました。

バンドやシンガーソングライターのライブって、お客さんも全員ミュージシャだったりするんですよね。

<中略>

アイドルのお客さんは、アイドルではありません。
オタクと呼ばれる方々です。

<中略>

音楽を仕事にしたいと考えてまじめに音楽をやっているバンドマンは、この辺でイライラしてくるかもしれません。
「アイドルよりバンドの方が真剣に音楽をやっているのに、なんでアイドルの方に金が行くんだ!!」 ってね(・∀・)>
そうですよね、楽曲のクオリティとか、歌唱力とか、楽器の生演奏とか、グルーブとか、そういうものはきちんと音楽をやっているバンドマンの方が圧倒的に上ですよね。


しかし、
ここには一つ落とし穴があるんですよね。


それは、 音楽のことを考えるのではなく、
お客さんのことを考える
という視点が抜けている可能性がある
ということです。

いやー確かにおっしゃるとおり

我々が気を付けないと陥ってしまう落とし穴を見事に指摘なさっている。

私はクラシックからロック、民俗音楽、かなりマニアックな音楽にいたるところまで通じているという自負がありますが、得てして自分が「音楽をわかっている」などという錯覚をすると音楽に対して無知に見える人に対して上から目線になりがちです。それはよくないことだとわかってはいますが

それともう1つ音楽家の傾向として日本は特に顕著ですが特定の音楽のジャンルだけで固まり、縦割りのような社会になってしまい、視野が非常に狭くなってしまう点です。

上記の記事を書いた方もテレビ番組の制作をされているようですが、私は映画、ドラマ等の映像のための音楽を主に制作している関係で、音楽の世界の「狭い世界に閉じこもる傾向」が特に気になってしまうんですね。

音楽だけに限らないかもしれないですけど、独り善がりになりがちなんですね。音楽家って。社交的な人も少ないし

それのやや極端な例が「現代音楽」それも音大のアカデミズムの流れにある私のいう「アカデミズムな流れの現代音楽」です。(詳しくは私の別のブログ記事)をご覧ください)
改めて私の「現代音楽」観ー表現の可能性はもはや「現代音楽」にはない

この「アカデミズムな流れの現代音楽」は音楽表現の上でも興業の面でも音大の作曲学科やその関連を中心とした非常に小さなコミューンの中だけでしか完結しておらず、(具体的にいえば音大作曲科の関係者や音楽評論家、音大生等々に限られ、一般の人は殆どいない)そのため当然のことながら「アカデミズムな流れの現代音楽」はいわゆる「クラシック」な現代音楽以外の世界には殆ど影響を及ぼしていませんし、たぶん今後も影響を与えることはないでしょう。この音楽の存在すらご存じない方も少なくないでしょうし、はっきりいって知らなくても別に恥ではありません。

これは私の別のブログ記事にも書いた「アカデミズムでない現代音楽」とは対照的な存在で、この「アカデミズムでない現代音楽」はミニマリズム、アンビエント等でクラブミュージック、ノイズ系、環境音楽、ヒーリングミュージックという現代の音楽に強い影響を及ぼしました。

まあこれはいささか極端な例かもしれませんが、「アカデミズムな流れの現代音楽」に限らず、ロック、ジャズどのジャンルの音楽でもこういう小さなコミューンの中だけでしか完結しない社会を形成する可能性はあります。

私はそのようなものは生きた文化だとは思いません。これは独り善がりの自称文化の域を出ないものと考えます。

■なぜ私は現代音楽をやめたか
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2006/04/post_8725.html

しかし同時に上記の記事に書いてあった「音楽のこと(だけ)を考えるのではなく、お客さんのことを考える」とはどういうことなのでしょうか?
実はこれが意外に難しいのです。口でいうのは簡単ですが、では具体的にどうすればよいのか、となるとなかなか難しい

それは今長い間音楽業界、とりわけJ-popの世界で支配的になっている「売れセン」などという考え方がいかに音楽文化とはかけ離れた方向に音楽を誘導したことからもわかります。

「売れセンの曲」というのはその「今流行っているサウンド、歌詞、メロデイ―ライン」の美味しいところを(彼らのいう)コラージュして作る曲のことですが、それは全て「誰かがこの感じの曲出したらヒットした」とか「今時の若者の考え方がこうだからこういう歌詞にすべきだ」「どこぞの国でこのサウンドが流行った」などという情報を元に作られますが、これは全て「前例に基づいた二番煎じのコラージュ」の域を出ず、結果としては音楽文化ではなくあたかも「100均で売られている規格消耗品」として最初から作られます。

かくしてどのレコード会社もどの音楽制作会社も「似たような感じ」の曲しか作れなくなり、番組プロデユーサーの机にはあちこちのレコード会社から送られる「どれを聴いても同じような感じのデモCD」が山のように積まれる事態になります。私は番組制作者とのつきあいもありますが、皆口をそろえて「最近はもうデモCDを聴く気にもなれない」といいます。

これらは果たして本当に「お客様のことを考えて」作られた曲なのか。

「売れセンの曲」というのは音楽マーケットやユーザーのことを考えて作られた曲だ、などとレコード会社の人間は今でも本気でそう考えています

しかし私は断じてそれはNOだといいます

そもそも「既に市場に出た前例」に基づいた「前例に基づいた二番煎じのコラージュ」「100均で売られている規格消耗品」の音楽としてのありかたを自ら選んだもの、といって差し支えないですが、例えば百均で買った商品にあなたは愛着を持てますか? ということを自問自答してみればすぐに答えは出るでしょう

まあ愛着を持つ人も場合によってはいるかもしれませんが普通は使い捨て、不要になったら捨てられるだけの存在でしかないはずです。

そういう状況では「音楽」というものがきちんと愛されるようになるとは思いません。音楽が売れなくなった原因は配信とかネット云々ではなく、そうした「音楽の消耗品化」のありかたが大きいと思います。これは「お客様のための音楽」ではなく「お客様にバカにされた音楽」といってもいいでしょう。そんな曲しか入っていないCDなど人が買うはずがありません。

「アカデミズムな流れの現代音楽」の人たちのように「わからない奴はバカだ」とてもいうような傲慢な態度は困ったものですが、「100均で売られている規格消耗品」のJ-popのありかたも大きな問題です。

ではどのような音楽が一般の人からも愛され、音楽としても素晴らしい音楽という認識を持たれるのか? なかなか具体的な例を示すのは難しいですが、やはりそれは今我々が「音楽文化」として認識されている音楽、クラシック、ジャズやロックでもスタンダードと呼ばれる音楽にそのヒントがあるような気がします。

以前こんな記事を書きました。
歴史に残る作曲家はみな「職人」であり「職業音楽家」だった:

これら「音楽文化」として認識されている音楽についていえるのは実はいずれも芸術表現としても音楽の興行としても成功している、両立している音楽が残っている、という点です。勿論なかには初演時は成功しなかったものもありますが、最終的には手直し、その他で結果的には頻繁に演奏され、最終的には興行的に成功している音楽が今日まで残っています(出なければ現代でも演奏されるなんてことはありえません)

やはり私は最終的にはこの過去の偉大な音楽文化を作った先達たちを参考にすることも考えるべきだと考えます。これは決して懐古趣味を奨励しているのではありません。やは り音楽家として文化となる音楽をプロデユースするものとして原点に立ち戻る必要性を感じている次第です。

音楽文化が停滞して久しいです。その停滞状況を変えるためには音楽の原点に立ち返るのと同時に、今までの悪しき慣習を断ち新たな流れを作ることが求められていると思います。

その方法を私なりに模索しようと考えている次第です。

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