Kyoji "metanature"
i-tunesでも好評配信中!!
i-tuneページを表示するにはお客様のPCにi-tunesとquicktimeがインストールされている必要があります。 i-tunes及びquicktimeのダウンロードはこちら





« 謹賀新年2016-私の音楽制作、ソーシャルネット、コンテンツ制作の取り組み方、基本的な考え方 | トップページ | イベント主催者交流会に参加しました »

2016年1月 3日 (日)

新春コラムーデジタルミュージックの時代で音楽が売れなくなったではない。コンテンツのビジネスモデルが根本から変質したのが理由(長文注意)

新春になるといつも音楽業界や音楽のことその他諸々についてコラムを書いているが今回はASCII でこういう記事を目にしたので今回はデジタルミュージック、そして音楽のありかたについて改めて検証してみたい。

■なぜ音楽は無料が当たり前になってしまったのか
http://ascii.jp/elem/000/001/097/1097764/index-3.html

だいたいこの手の記事を書く人間は音楽が実はたいして好きでもない輩で(口では好きだというでしょうけどね)IT技術やデジタル時代における音楽配信やデジタルメデイアの優位性と可能性を中心に述べ、音楽はそのプラットホーム、システムに委ねるべきであり、これによって万事うまくいくはずだ、という類のことを書いていることが多いが、この記事の筆者は違う

おそらくはかなり音楽好きの筆者がデジタル時代において音楽の現状をみて、音楽がアルバムというくびきから「解放」され音楽が楽曲ごとにバラ売りされる時代に突入するのを見て「音楽のモジュール化」と捉え「音楽と人々との関係」はその時代の社会状況などを反映しているという観点から論じているのは興味深い。

そんな中で音楽が売れなくなった理由はおそらく無数にあって、音制連やレコード会社のトップのいうように「ネットが音楽が売れなくなった諸悪の根源」などという簡単な図式で原因を規定するのは間違いである、という指摘は私も同意する。

そんな中でこのコラムの記者は考察の糸口で以下の点を挙げている。かなり現状の本質をついていると思うので以下に揚げておく

「音楽の生産/消費のされ方は時代によって劇的に変化している」ということ。

②「テクノロジー(特に録音技術)によって音楽はときに可能性を開かれ、ときに可能性を閉ざされてきた」ということ。

③「音楽に対する報酬という観念自体が実はかなりいい加減なもの(=小生の注:曖昧であるという表現の方が適切)」。つまり「音楽ビジネスという商業活動はまことに危うい経済基盤の上に成り立っている」ということ。

ここでいうポイントは全く正しい。まずは実は今回の記事の主要ポイントになるので後述するがについてはまたITギーグや音楽配信やデジタルメデイアを推進する人間から総スカンを食らうことを覚悟の上でいえば実はデジタルミュージックの少なくとも現在のプラットホームは残念ながら「音楽の可能性を閉ざすもの」であるという点は確かに否定できない。その根拠は当ブログで既に何回も論じているように情報化社会では「プラットホーム」を確立した人間が支配をし、コンテンツプロバイダーはその「プラットホーム」の支配者に管理されてしまう、というメカニズムがあるためである。このようなシステムではコンテンツはプレミアムコンテンツ(付加価値のあるコンテンツ)までコモデイテイ(セール品)の扱いとなり、かくしてこのシステムではいかなる商品もいずれは単なる消耗品になってしまうという我々クリエーターにとっては死活問題となる問題を内包している。

デジタルミュージック推進者は認めたくないかもしれないが、現在のプラットホームは残念ながら「音楽の可能性を閉ざすもの」であるという点は否定できないのである。

そしてについてはそもそもコンテンツビジネスには物品と違い「定価」というものが存在しないビジネスモデルであり、ネットサイバー空間のように情報やコンテンツがあふれているー供給過剰な状況ーでは「定価」というものが存在しないものは自動的にタダかタダ同然の状況になる。それがデジタルミュージックのビジネスモデルが全て100均(もしくはそれ以下)のコモデイテイ(セール品)=消耗品になってしまうという構図である。

デジタルカルチャーだけの観点のみで音楽を始めとするコンテンツ産業を論じると、音楽も映画も産業としても文化も最終的には破滅しかなくなるのではないか、と思ってしまいそうだが、しかし私のようなクリエーターやコンテンツ産業の人間は決して悲観する必要はない。

なぜなら実は最近あることが見えてきているからである。

それはまたITギーグや音楽配信やデジタルミュージック推進者を激昂させることを承知で書くが

実はインターネットというのは補完メデイアの域を出ない

という点だ

特に日本において特に顕著だが日本ではいわゆる「ネット住民」の崇拝者が多い「ネット論客」なる連中が「インターネットがマスメデイアを始め全てを凌駕する」などといった「ネット万能論」の言質を吹聴することがいまだに多い。

多くはホリエモンを始めとするネット投資者であり、「ネット万能論」の言質を吹聴してIT株価を吊り上げようという魂胆の連中だ。またはそういう「ネット万能論」や暴論をわざといって炎上させアクセスを増やすという炎上商法のやりくちだが、ネット黎明期と違い今ではまともな人でそういう人たちを相手にする人はほとんどいないだろう。実際今年はそういう口先だけの「ネットのバラ色の未来」しかいわないIT起業家の大半は今年中にほぼ全員姿を消す可能性が高い。ある筋の情報では世界のIT企業の半分は姿を消すだろうといわれる。もう投資家は「夢物語」ではなく「実際の利益」を求めており、その利益を提供できない企業からは投資家は手を引きその結果会社は姿を消す運命にある。ホリエモンも来年の今頃には姿を消しているかもしれない

また確かにテレビの視聴率は減り、マスメデイアの影響力は確かに相対的に低下している。これからも低下するだろう。だが多くの「ネット住民」諸君が期待するようにマスメデイアがネットの影響力を下回るほど低下するか、というとそうは問屋がおろさない。

そもそもマスメデイアは一定数に対する情報発信であり(「面」の発信)であるが、インターネットはパーソナルなメデイアであるため点と点のコミュニケーションである。点と点をよほど積分しない限り、マスメデイアと同等な影響力など得られるはずもない。ネットでどんなに炎上したといっても総数はせいぜい地上波ローカル放送に辛うじて一致するかーネットがマスメデイアを始め全てを凌駕するという神話を信じたい人には気の毒だがネットはマスメデイアを補完することはあるがそれ以上のものには残念ながらならないのである。

実はそのことを一番よくわかっているのは何を隠そう世界に冠たる巨人IT企業(株式会社KADOKAWAの角川歴彦社長のいう「ギャング4」)である。

すなわちGoogle, Apple, Amazon, Microsoftという今や誰もが知っている企業であり、結局のところ世界のITの覇権は事実上この4つの会社の作る「プラットホーム」によって覇権を握られている。

実はその「ギャング4」という今やネット、バーチャルの世界で圧倒している四社がなんとITではなく「リアル」な業務に手を染めているということは報道等でご存じの方もいるだろう。

例えば先日アマゾンがニューヨークに実店舗をオープンしたという話、

01img_6803980x653
02img_7006980x653

そしてGoogleが生鮮食品、日用雑貨から本等を含むの当日宅配サービスに参入したことは大きく報じられた。

Screenshot20141013at35851pm

云うまでもなくAppleやMicrosoftも同様なサービスを検討しているという

なぜネット、バーチャルの面で世界で圧倒的優位に立っている「ギャング4」がこうした「リアル」な分野での事業を始めているのであろうか? 「ネット住民」やITギーグ連中が主張しているようにITバーチャルが他のメデイアを凌駕し、ネット関係を支配すれば万事大丈夫なのであればこんなものは必要ないはずである。

これは取りも直さず従来のバーチャルの世界だけにとどまっていては限界があり、リアルな世界の方向に目を向けないといけないという危機感があるためで実際、この「ギャング4」に限らず企業体として以下のような現象が起きている

IT バーチャル       リアルな業態、リアルな世界を志向

既存のリアルな業態  バーチャルな世界、IT技術導入を志向

,つまりひとことでいえばリアルとバーチャル、既存のメデイアとネットメデイアを対立軸として論じるのはもはや時代遅れということである。

SEALDSが政治運動にソーシャルネットを始めとするネットメデイアをスマートに使いこなしつつ、リアルな活動を充実させて大きな運動のうねりを作っているように、これからはソーシャルネット等のメデイアを使いこなしつつ、それをリアルな活動や収益にスマートの結びつけることこそが本来のありかたであるリア従だ、リア従じゃない、などと云っているようではもはや時代遅れなのである。

さて、それをふまえて、音楽に話を戻そう。

上記のようにネット等のデジタルメデイア、ソーシャルメデイア等を駆使しつつそれをリアルな活動や収益にスマートに結びつける、そこに今後の音楽家の収益のヒントがある、と考えられないだろうか?

あえてまたもや、ITギーグや音楽配信やデジタルミュージック推進者を卒倒させるような言動をさせていただくと

デジタルミュージックは実はミュージシャンの主要収入にはなりえない

ということだ。

つまり現在の音楽配信のデジタルメデイアやサブスクリプションによるストリーミングという部分だけで音楽を語るのではなく、音楽の「リアル」な部分での収入を中心に考えるという点である。なぜなら認めたくない人もいるだろうがインターネットというのは補完メデイアの域を出ないし、また補完メデイア以上のものにならない、からである。

前述の「音楽の生産/消費のされ方は時代によって劇的に変化している」ということ。ということはデジタルやソーシャルメデイアの大きな発展はあったものの、そのことによってデジタルメデイア内ではコンテンツの価値が相対的に低下することは避けられない。なぜなら情報化社会は既存のネットのプラットホーム内では情報やコンテンツがあふれ消耗品になってしまうという現実があるからである。

この現実でコンテンツプロバイダーの商品アウトプットをデジタルだけに偏ったところで残念ながら将来はない。そのためにはリアルなメデイアの方も考えなくてはならない。昨今アナログレコードが復活している背景もその点にある。

勿論映画にしても同じ、ビデオレンタルというビジネスモデルもなくならないし、映画の劇場公開もなくなることはない。そうでなければネットフリックスが劇場公開やレンタルとストリーミング両方を使おうとするはずがない

結局のところデジタルミュージックの存在意義は「宣伝的」なニュアンスのものに限られていくことになるかもしれない。MV,PVまたは映画の予告編をYou tubeにアップするのはもはや完全に定着したし、音楽でもどうせ、音楽はモジュール化してアルバムの概念がなくなるのであればかつてのシングルカットした曲だけデジタルメデイアに流せばいい。

あとはそのアーチストの好きな人なら、CDでもアルバムでもTシャツでも買うだろうし、そういうアーチストを真の意味で愛するファン層を増やすために努力すればいい。この場合デジタルだろうが既成のメデイアだろうが関係ない。

但し、このことによって必ずしも「ニッチな」市場だけを目指せ、という意味ではない。またこのことによって「メジャー」というものがなくなるわけではない。

「メジャー」がなくなるのではない、「メジャー」の本質が変わっていくのだ

それはなぜか? それは現在「フォースの覚醒」が公開中のスターウオーズを見ればいい。

スターウオーズは今でこそ大メジャーというか、いわゆる「ニッチな」層でなくても見に行くであろう映画だが、元々は非常にマニアックな映画であった。今聞くと考えられないことだが、第一作であるエピソード4の「新たなる希望」は全米で上映わずか40館ほどで、映画会社も配給に乗り気ではなかったという。

今や映画館も満杯だしおそらくはビデオレンタルもオンエアでも高収入が期待されるだろう。スターウオーズの前ではブルーレイだろうがDVDだろうが「デジタル時代のパッケージ無用論」は全く意味をなさない。しかしそのスターウオーズも最初はそんな状態だったのである。しかしまたたく間にカルト的な人気が広がり、そこからだんだん幅広い層のファンが広がり、今や誰もが見たくなる映画となっている。

つまりこれは結果論としてそうなったのかもしれないが、「ニッチなマーケテイング」が結果的に巨大なコア層を形成し「結果的に」大メジャーのコンテンツになったという例である。

実は昨今の成功例を見ると「ニッチマーケットを巨大化」して結果的に「メジャー」になっているケースが多い。私自身は好きではないが日本の音楽シーンではジャニーズがそういうマーケテイングをして成功しており、私は大嫌いだがAKBも「オタク」という「ニッチ層を巨大化」させた例である。

既にビッグネームとなったアーチストはともかく、最初から大メジャーとなっているアーチストなどいない。となるとこれからのアーチストはいかに「ニッチ層を巨大化」させる戦略をたてることができるか、が重要ポイントである。

上述の記事のように「音楽の生産/消費のされ方は時代によって劇的に変化している」ことを考えるとかつてのようにライブを行うことを極端に嫌った「アルバムアーチスト」というのは残念ながらもはや成り立たないだろう。

これからのアーチストはいかに魅力的なライブを行うことができるか、そしてそれによってファン層を獲得していく、という事を考えて行かねばならない。その手法についてはケースバイケースだが、大事なことは人を轢きつけるような魅力的なアーチストである、あるいは映画であれば魅力的な映画、魅力的な女優、俳優が出ている映画、ということになろう。それもカルト的な人気が出るくらいの

そういうアーチスト/コンテンツであれば商品形態など関係ない。アナログレコードを含むパッケージ、グッズ、何でも売れるであろう。その中で配信/サブスクリプションーストリーミングの収入などごく一部に過ぎない。このロジックでは配信が出たからパッケージは無用の長物などという理論は通用しないのである。

要は配信とかパッケージとかそういうことではない。アーチスト/ビジネスモデルが社会、時代によって変化したのである。従来のような画一的で量のみを追求する伝統的なマスマーケットマーケテイングの手法で音楽なり映像なりを売る時代ではなくなった、ということではないだろうか。

つまりわかりやすくいうと

従来; マスに対する大量生産商品を画一的に流す大量生産マーケテイング 

現在; アーチストやコンテンツを真に愛するコア層向けのニッチマーケテイング ファンもこだわりが強い 

                   

        コア層を巨大化させるマーケテイング

だから「売れセン」の曲を作る、選んで下手なアーチストやアイドルに歌わせるなどという発想こそがもはや時代に合わない、旧態依然とした音楽マーケテイング手法なのだ、そうではなく「ニッチマーケットを巨大化」することによるマーケテイングをすることによって、アーチスト/コンテンツの価値のわかる人に対する販売戦略を考える。ネットでもマスメデイアでも元々音楽やコンテンツの価値などを理解できない/理解しようともしない、連中に対しどんなにマーケテイングしても無意味なのである。

|

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。