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2016年1月29日 (金)

デジタル偏重、デジタル絶対時代の終焉ーインターネットは「旧メデイア」に実は「完敗」したという事実

インターネットの黎明期から現在でもそうだが多くの人々はIT企業家の宣伝する「インターネットはあらゆるメデイアを凌駕し社会に革命をもたらす」という文言を鵜呑みにした。いわゆるお暇な「ネット住民」からネトウヨ、またいわれるリア従になりたくてもなれない人たちはそのことを信じて疑わなかった。
今でも彼らは「ネットの方がすぐれている」「ネットメディアがそれ以前のメディアをすべて駆逐する」という言質にこだわっている。それはひとことでいえば彼らにはネットでしか自分を表現できないし、自分の力を誇示できない、勿論この手段でしか他人を攻撃できないからである。

だからこれからここに紹介する記事はそんな「ネット住民」、ITギーグ、やたらにネット万能論をまきちらすエセIT起業家、ネトウヨたちが読んだら(そもそも彼らにまともな文章読解力があるか疑問だが)卒倒するか激昂するかのどちらかだろうと思う。彼らが死んでも認めたくない事実が書いてあるからだ。

そればインターネットは結局「既存のメデイア」であるテレビに完敗している、という事実だ

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息切れするネットメディア、真の勝者は結局「テレビ」だった!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47559

(ルパート・マードックが息子)ジェームスが父親のサテライト放送会社のBSkyBを経営していた時に行った辛辣なインタビューで、この落差を指摘したことがある。すると彼はマードック特有の口調でそれをあっさり切り捨てこう答えた。

「全然分かってないんじゃないかな。よく周りを見回してくださいよ。テレビの時代なんですよ!」

マードック一族は古い時代のメディアの遺物と信じ込んでいた私は、周りを見回してみた。すると確かに、インターネット時代であるにもかかわらず、BSkyBが強大な地位を確立している事実にたじろいでしまった。実際、それはヨーロッパ最大の企業の一つだった。

<中略>

どんなにデジタル企業の評価額が急騰し、誇大宣伝されてメディアが騒ごうと(もっとも、その大半はデジタル・メディア自体から発信されるものだが)、いまだに人々はインターネットよりテレビ視聴に多くの時間を費やしているということだ。 そして、テレビを見るためにインターネットを使う時間が増えていたのだ。

オンライン・メディアの革命家たちは当初、より多くの無料コンテンツと、より多くの広告というテレビのビジネス・モデルを盗むことで、やすやすとテレビの旨みを手に入れられるものと踏んでいた。

ところが、今やオンライン・メディアは「無料」の中で溺れかかっている。あらゆるもののアグリゲーターであるグーグルとフェイスブックがトラフィックを支配し、実質的に広告料金を設定する形となっている。

この両者のトラフィックが驚異的に拡大したことで広告市場は過剰供給となり、広告料金を押し下げる結果となった。ガーディアンからバズフィードに至るまでのメディアは、トラフィックを増やすことによってしか競争に勝つことができない。

トラフィックというのは、愛読者ではなく単に通り過ぎてゆく何百万というウェブページの訪問者で、それは、あまりにも瞬時であるため、当然ながら支払われる広告料はどんどん安くなっている。

一方テレビ業界は、あたかも中毒から回復するように、着実に広告離れを進めてきた。ケーブル会社からの料金や、毎月消費者のクレジットカードから引き落とされる料金に基づく新しいビジネスを始めているのだ。

<中略>

皮肉なことに、かつてもっぱらニールセンの視聴率に振り回されていたテレビが高級化し、オンライン・メディアは、ばかげたトラフィック・ゲームに成り下がっている。テレビは、名声と影響力を収益化する方法を見出したのだ。大衆市場のテレビが高級化に向かったのに対し、リスティクル(リスト記事)や過剰に感傷的なバイラル動画(や記事)などを提供するデジタル・メディアは、低レベルのマス(層向け)路線を追う形になった。

あちこちのウエブサイトにあるクオリテイの低い(もしくは違法に掲載された)無料コンテンツ、自分が書いたコンテンツでもないのに感傷的、感動的なコンテンツをあたかも自分の記事であるかのように掲載して姑息な手段でトラフィックを稼ぐバイラルメデイア、「未来のマーケテイング」と称して「やらせ」の情報を拡散してねつ造されたマーケテイング情報をたれ流すステルスマーケテイング

今ネットを見るとこんな低俗でクオリテイの低いコンテンツであふれている。そして今ソーシャルネットだけでなくネットで拡散されている無数のデマとゴミ情報
「ネット住民」、ITギーグ連中はここに未来があるなどと思っているかもしれないが、こんなクソコンテンツに未来などない。結局無料コンテンツ=ゴミ、の範疇を出ない、ということに賢い人はみんな気づいている。

特にアメリカなどではケーブルテレビが定着していたこともあって、視聴者から料金を徴収するシステムはネットではなくテレビの方で広がった。以前当ブログの記事でドワンゴの川上社長がいみじくもいったが「結局は有料モデルが勝つ」という点、アメリカでは成功例があまりないようだがネットの有料メデイアは日本のニコ動では成功を収めつつある。

お金を払った人は最後まで見ますが、無料の利用者は、途中で見るのをやめてしまう

ネガティブな反応を示すのも、無料の利用者の特徴です。

繰り返しいうが「無料」というのが価値がない、ということである。価値がないコンテンツは当然ゴミ同然なものになり、それが今まさにネットで起きていることである。一方有料コンテンツは「価値のあるもの」しか発信しないし、結局ケーブルテレビを始めとする、「ネット住民」が「旧態依然のメデイア」と軽蔑するメデイアは「価値のある情報、コンテンツ」を流し結局視聴者はそちらの方を選んでいる

だから「ネット住民」、ITギーグ連中は認めたくないだろうが「彼らが旧態依然とバカにしていたテレビに確かに現状を見ても完敗した」というのは紛れもない事実なのだ

この疲弊した第2次大戦後のテクノロジー(=テレビ)は、どうやって王座を奪還したのだろうか。昔気質のビジネスマンが経営に当たったのだ。

YouTubeがテレビの海賊サイトとなる恐れが生じた時、バイアコムの84歳になるサマー・レッドストーンが率いるテレビは、YouTubeの所有者であるグーグルを苦渋に満ちた訴訟合戦に引きずり込んだ。そしてレッドストーン氏のような守旧派的行為により、YouTubeは海賊からライセンサーに変わった。グーグルを自分の顧客にしたのだ。

視聴者に払わせるという未来のモデルを習得しつつあるのは、デジタル・メディアではなくテレビだ。そして当然の結果として、相手がお金を払ってくれるようなコンテンツを制作している。

一見危機のように見える最近の現象は、単にテレビの箱から離れ、コードを切り離したことに過ぎず、実際には、かつてないほど多くの人がテレビ番組を見ているのだ。

<中略>

ネットフリックスは、自らをテレビの破壊者と喧伝している。しかし実際のところ、ライセンスやプログラミング料としてハリウッドやテレビ業界に年間約20億ドルを支払っているテレビ会社に他ならない。

<中略>

そして、画面上で見るものを楽しみ、それに対価を支払っている。巧みに、かつしっかりと制作された物語風のエンタメ動画は非常に収益性が高いため、デジタル・メディア業界の誰もがプレミアム動画のストリーミング(つまりテレビ)を目指している。

彼らは、下落を続ける広告料と、より多くのトラフィックを求めるプレッシャーに辟易としているのだ。

これらの事実を見ると我々コンテンツホルダーにとってようやくいい時代が訪れてきた、といってもいいかもしれない。ひたすらトラフィックをふやそうというバイラルメデイアの姑息な手段に人々はうんざりし始めている。既成のインターネットの手法はどれも破綻し始めている。

一方で「価値のある」コンテンツを消費者が求め、結果的にテレビの流す視聴者がお金を出してもみたい好きなコンテンツの方に流れて行っている、ストリーミング、サブスクリプションもその手段に過ぎない。勿論デジタル時代では映画の劇場もレンタルビデオも無用の長物、などという発想の方が時代遅れなのだ

但し残念ながら音楽だけがこの動きに乗り遅れている。しかし音楽配信は伸び悩んでおり、アナログレコードの生産量は確実に伸びている。「音楽配信が出たからパッケージは無用の長物」などと信じて疑わなかった人たちが考えていた方向とは逆の方向に行きつつある

だがそのためには我々コンテンツ制作者は制作するコンテンツのクオリテイの問題が重要になっていくだろう。ちなみにこういう流れを受けて映画などではある動きが出てきている。

先日サンダンス映画祭にて「ダークナイト」「インセプション」の監督で知られるクリストファーノーランが昨今の映画制作現場に対して苦言を呈した。
「デジタル偏重」の気風が映像の制作現場で「工夫」が見られなくなり映画学校にその責任があると指摘。デジタルカメラは必要最小限にして作品には本物のフィルムを使うことを推奨した

Christopher_nolan

クリストファーノーラン監督

「フォースの覚醒」はフィルムで撮影され、エピソード8もフィルムで撮影されるという。タランテイーノもフィルムでの撮影にこだわっている。この傾向はどう見ればいいだろうか?

結局2000年代から始まっている「デジタル偏重」の気風に対して見直しと「過去の手法」であるフィルム等を見直す雰囲気が出てきている、ということではないだろうか? 音楽制作の現場でも「過去の産物」とされたテープレコーデイングが復活しているし、アナログレコードも前述のように復活している。2000年初頭から続いた「デジタル絶対」という気風が事実上終焉したことを意味している。

つまり

デジタル偏重、デジタル絶対時代の終焉

ということができるだろう

但し「デジタル終焉」「アナログ復活」といっても過去の「アナログ時代」に完全に戻るわけではない。あくまでデジタル技術を吸収し、理解をしたという前提でのアナログ技術の復活である。そこを勘違いするととんちんかんな話になる

ちなみにスターウオーズのエピソード9は「実際に本物の宇宙を撮影」することになるかもしれない、という。実現したら本当に見てみたい

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