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2015年9月 6日 (日)

間違いだらけの現代音楽史(5)ーループする音楽の歴史 1980年代で止まっている音楽の歴史

夏休みの音楽コラムシリーズ、9月に入ってしまったが今回がこのシリーズ最終回である

前回は「音楽アカデミズム」と。「反アカデミズム」に焦点をあて後者の「反アカデミズム」の音楽や思想の方がポピュラーミュージックの世界を中心とする現代音楽に影響を与えた面を語った。

特にステイーブライヒ、テリーライリー(R&Bのプロデユーサーとは別人)のミニマリズムのポピュラーミュージック全般の影響は大きい点を述べた。

だが一方のポピュラーミュージックの歴史を見ていくと、このミニマリズムの点を除いてはジャズでもロックでも西洋音楽(クラシック音楽)と同様のプロセスを経ていることがわかるのだ。

下の図を見てほしい。

これはジャズ、ロック、そしてクラブミュージックの歩みとそのアーチスト名を大ざっぱに整理すると全く共通のプロセスを経ている。

勿論下の図は全てのアーチストを網羅したものではない、というかこの限られたスペース内で全ての音楽やジャンルを網羅、反映することなど不可能である。ひとことでジャズ、ロックといっても細かくわければ100を超えるジャンル、音楽のスタイルが存在するので当然ながら全てについて語ることなど不可能である。従ってやや乱暴で大ざっぱな分け方になってしまうことをご容赦いただきたい。「あのジャンル、あのアーチストが抜けている」というご指摘は申し訳ないが勘弁していただきたい。

Music_history3

上からジャズ、ロック、クラブミュージック(テクノ)と3つのジャンルの大ざっぱな動きを示しているが、要はいずれのジャンルもクラシック音楽の歩み同様

調整  ⇔   無調

という変化を繰り返しているのだ

ロックでは誰もが知っているビートルズから主にプログレッシブロック経由でピンクフロイド(エコーズ、原子心母)とかキングクリムゾン(太陽と戦慄)など完全に無調音楽に志向しているし、メタル、デスメタルなどもある種無調音楽を志向している。

ジャズでは黎明期のガーシュイン、デユークエリントンからモダンジャズのビバップを経由して明らかに十二音を意識したジョンコルトレーン、完全にジャズを無調音楽にしたフリージャズのオーネットコールマンがいる。

S1257r02

このシリーズで再三再四紹介している20世紀の音楽史からポピュラーミュージックに対する視点を音楽史家に排除させる結果を作ったテオドール・アドルノ(写真左1903-1969)はジャズに対する批判を展開した。その中でアドルノはきっちり『寸法を合わせた』即興という名の偽りの個性尊重を規格に則った技巧で表現できるジャズ演奏専門の語法が全面的に開発された」といっているが、アドルノが生きている時代にコルトレーンやオーネットコールマンが既に活躍しており、アドルノが彼らの音楽を聴いていたとはどうしても思えないのだ。

なぜならコールマンもコルトレーンの演奏、いずれにも「きっちり『寸法を合わせた』即興」なる演奏など存在しないからである。アドルノがポピュラーミュージックやジャズに対する偏見を持たず、ビバップを始めとするモダンジャズ、フリージャズを聴いていればおそらくポピュラーミュージックに対する見方は大きく変わったであろう。

偏見とは無知から生まれる。その観点からすれば基本的にアドルノのポピュラーミュージック観は非常に偏っており、まともに扱う価値のないものとすらいってもよい。

ロックやクラブミュージックに関しても同様の見解を持つことができるが、問題はいずれのジャンルも

調整  ⇔   無調

という変化を繰り返している、

つまりどういうことか。1980年ー1990年代を境に音楽の歴史はあたかも針飛びしているCD、オーバーフローしたデジタル機器のように同じパターンを繰り返しているのである。

実際本当の意味で「従来とは違う」音楽語法というのは実は1960年代後半に生まれたミニマルミュージック以来、生まれていない という事実があるのである

もっとはっきりいえば音楽の歴史はミニマル以来、あるいはポピュラーミュージックでは1980年―90年代以降

止ったまま

の状態なのだ

これはCDが売れない、とか音楽不況というのとは別問題だが、その意味でも今は音楽の歴史上、暗黒の時代に突入しているといえるかもしれない。

音楽史として止ったままなのだ。 勿論いわゆる「現代音楽」も例外ではない

これは果たして打開できるものなのか、果たして本当の意味での新しい音楽表現など生まれる可能性があるのか?

正直わからない。 だがクリエーターの端くれとしては真剣に考えなければならない命題であろう


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