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2015年8月14日 (金)

間違いだらけの現代音楽史(3)ーポピュラーミュージックのアンサンブル形式の確立、即興性の復活と西洋音楽を死においやった即物主義的音楽アカデミズム

前回の「間違いだらけの現代音楽史(2)」にてポピュラーミュージックにおけるコード譜のシステムの確立で同時にそれは同じ「調整」ではあっても伝統的な西洋和声とは根本的に違うものであることを述べた。

それが現在のポピュラーミュージックの記譜法や作曲の根本をなすものであり、同時に西洋の伝統的な音楽形式がこの1930年ー1950年の時期に事実上の終焉を迎えたことを述べた。

その西洋音楽のその後の現代の音楽(何度も書きますがここでは「現代音楽」のことをいっているのではない)にどのような影響を及ぼしたかについてはこの記事の後に述べるとして、ここではコード譜の確立と同時にできあがったポピュラーミュージックの「アンサンブルの基本方式」についても述べることにする。

そもそも間違いだらけの現代音楽史(1) にて述べたガーシュインの時代はまだ現代のようなポピュラーミュージックのアンサンブルの基本形は確立されていなかった。ガーシュインの音楽が「シンフォニックジャズ」と呼ばれるのは、現在のようなジャズを始めとするアンサンブルの基本形を知っているガーシュインよりも後の時代の人間がそう呼んでいるためで、実際に現在のポピュラーミュージックのアンサンブルの基本形が確立したのはガーシュインの晩年時代の1930年代といわれる。

一般的にジャズでもロックでもその他のポップスでも基本となるのはご存じの通りベースドラムス(時にはパーカッション)による「リズムセクション」であり、それにギター(エレキ、アコ―ステイック)とボーカルが加わるのがバンドの形式の基本である。ピアノやオルガンといった鍵盤が使うことも多いが、バンドの形式に必ずしも絶対になければならないものではない。

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ベイビー・ドッズ(1898-1959)

そのバンド形式でポイント「リズムセクション」の中心であるドラムセットが現在のような形式になったのは1930年代で元々は19世紀末(1894年頃)のアメリカのマーチングバンドのために開発されたものをジャズドラマーのベイビー・ドッズが演奏中に左足を規則的に動かしていたのを見た観客が「せっかくならその動きを利用できないか」と考えた結果、左足で二枚のシンバルを叩き合わせるペダル付の楽器(現代のハイハットの原型)を開発、ニューオーリンズのデイクシーランド華やかなりし時に最高のドラマーとして名声をほしいままにしたといわれ、それが現在のドラムセットに発展していった。それがデイクシーランドバンドとなり現代のロックを含めたあらゆる「バンド」形式の原型となる(その後ドッズはシカゴに移転)

現在のようなコード譜のシステムとバンドアンサンブルの形式が定着した正確な年代ははっきりしないがだいたい1930年代にはそれがジャズを始めとするポピュラー音楽の中で定着していったと思われる。

コード譜は一般にベースの音を中心にコード(和音)が表示される

A006

だがこのような楽譜の形式は過去西洋音楽にも存在した

                                A ↓                 

Continuo

そうバロック音楽における通奏低音(コンテイニュオ)である。通奏低音はベース音にチェンバロ等が和音を弾くが殆どの場合、チェンバロパートが書かれることはない。チェンバロはまさに現代でいうコードを演奏していたのである。両者はドラム等のリズムセクションがない点以外は殆ど同じといっていい。またチェンバロは鍵盤があるためピアノに近いというイメージがあるが、楽器の構造は寧ろギターに近い。弦を鍵盤とともに動く爪ではじいているからで、ギターのピックで演奏するのと同じである。

そしてバロックと現代のバンドでさらに共通する点は、共に即興性があるという点である。

上の楽譜の赤文字のA ↓を見てほしい。これはJ.S.Bachのブランデンブルク協奏曲第三番の部分だがベースのコード譜が書かれているだけであとは一切何も書かれていない。これは和音以外は何も演奏しないという意味ではない。 

通奏低音のチェンバロ奏者が自由に即興していい、という意味なのである。

ポピュラー音楽もだいたいラグタイムの末期からブルース、前述のデイクシーランドの勃興あたりから即興演奏が主流になり始め、前述のベイビー・ドッズなどは即興ドラマーとしても高い評価を得て行った。その後ジャズは即興演奏を中心に発展していきジャズ=即興といっても過言ではないほど不可分になっていく

このように昔のクラシック音楽には明確に即興を容認していたのである。私の知る限りはでは少なくとも19世紀までは作曲家は即興演奏を日常的に行っていたものと考える。

有名なリストの「ラ・カンパネルラ」はリスト自身が即興演奏したものを楽譜化したものだし、同時代の伝説のバイオリニスト、パガニーニなどは即興バイオリンの名手であった。

それが20世紀初頭の即物主義(Sachlich)という芸術運動をきっかけに、演奏家は楽譜に忠実に、一切の余計な解釈を入れてはならないという運動が起き、西洋音楽の中では実質的に即興演奏というものが否定されるようになった。それは勿論20世紀に入り作曲家の技法が複雑化した、という事情もあるのだが、私は結局この即物主義(Sachlich)こそが西洋音楽を実質的な死に追いやった元凶ではないか、と考える。

ストラビンスキーなどは「演奏家は作曲家の操り人形のごとく音を出せばいいのだ」といったそうだが、そのような極端な「楽譜絶対主義」というものが現在のクラシック音楽、音楽のアカデミズムに根強く残っているのも事実だ。

即物主義というのはヒンデミットを中心とした作曲家の芸術運動の1つに過ぎなかったのだがとりわけ音楽大学を中心としたアカデミズムを中心に定着した。元々即物主義はロマン派や表現主義の否定から始まり、主観的過ぎる表現に対するアンチテーゼとして出現したのだが、それが音楽のアカデミズムにおいて楽譜やその楽譜の解釈に関する主観を排した演奏という概念に変質し、結果的にクラシック音楽=再現芸術 という1つの図式が定着し、これが現代でも音楽アカデミズムの基本をなしている。即興演奏は「主観的過ぎる表現」として忌避され、その結果いまでもアカデミックな音楽教育を受けた演奏家の大半は即興演奏ができない、と現象もこうした即物主義(Sachlich)な方針を持つ音楽アカデミズムに起因している。

実はこの段階で西洋音楽というものは実質的に死を迎えたのである。形式を絶対化し形骸化が進んだ段階で芸術というものは死を迎える。そもそも再現芸術などという言葉自体が芸術形式の形骸化の象徴である。

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ポピュラーミュージックに対する批判、偏見を助長し、20世紀の音楽史からポピュラーミュージックに対する視点を音楽史家に排除させる原因を作ったテオドール・アドルノ(写真左1903-1969)はジャズ、ポピュラー音楽の即興演奏を「エセ個性尊重である」と批判し、きっちり『寸法を合わせた』即興という名の偽りの個性尊重を規格に則った技巧で表現できるジャズ演奏専門の語法が全面的に開発された」といっているが、そもそもアドルノがラジオ等で聴いている時代にはクラシックのアカデミズムでは即物主義的な音楽教育が完全に定着し、そもそも即興演奏自体を否定する社会になっているので、アドルノの主張する「即興演奏におけるクラシック音楽の優位性」などというものは全くのナンセンスである、(いわゆる「自分のことは棚にあげて」とはこういうことだ) それに何よりも1950年代からのモダンジャズに始まり、1960年代に始まるフリージャズをもしアドルノが聞いていればアドルノの主張内容は根本的にひっくりかえる。なぜなら両方ともあらかじめ「寸法を合わせた」即興など存在しないからである。

これから考えるとクラシック音楽における音楽アカデミズムに起因する形骸化がクラシック音楽に対する大衆の興味を萎えさせ、当時新たな表現の世界を模索していた、ジャズ、ブギウギ。そして1950年代のロカビリーを始めとする1960年以降のロック音楽のムーブメントが社会的に主役になっていったのは極めて自然の流れといわねばならない。クラシック音楽はアカデミズムの即物主義的教育が支配した時点で本当にクラシック=過去の音楽表現の域を出なくなってしまったのである。

ではクラシック音楽は現代のポピュラーミュージックに何ら影響を及ぼさず、隔絶した存在になってしまったのか、もはやカビの生えた死んだ文化になってしまったのかというと実はそうともいいきれない。何でも例外があるのである。

それには一旦19世紀に戻るが今年没後90年を迎えるある異端の作曲家の存在を揚げなければならない

もうおわかりだろう。その作曲家の名前はエリックサテイ

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エリックサテイ(1866-1925)

私自身も影響を受けたが単に現代のポピュラーミュージックの世界だけでなく、アート、演劇を始め19世紀末から20世紀初頭のありとあらゆる芸術に対して大きな影響をもたらした人物である。20世紀から現代における様々な新しい音楽には何らかの形でサテイの影響がある。

ということで次回はこのサテイを始めとする後のアバンギャルド、ダダイズムを始め、音楽のアカデミズムとは真逆の(=反アカデミズム)の音楽の流れが現代のポピュラーミュージックに対してどう影響していったかについて述べる


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