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2015年8月 3日 (月)

間違いだらけの現代音楽史(2)ー1930-1950年代ーコード譜システムの確立と西洋音楽の伝統の事実上の終焉

前回の「間違いだらけの現代音楽史(1)」にて、1920年代にジャズの音楽語法を発展させ新たな音楽を作ろうとしたガーシュインと十二音技法のシェーンベルクを共に「1920年代の最先端の音楽」と評し両者を同等に扱った。

S1257r02

従来の音楽史ではジャズを「大衆音楽」として西洋の伝統音楽とは完全に別物として扱い、ドイツの音楽評論家、哲学者のテオドール・アドルノ(1903-1969ー左写真)の強い影響下にある音楽史観によってジャズを始めポピュラーミュージックに対する批判的見解を広め、それがいまだに西洋、特にクラシック音楽の世界のポピュラーミュージック観の基本をなしている点を指摘、そういった音楽史観に対し私は異を唱え、それによって現代の音楽の歴史が全く誤った形で認識されている点を指摘した。

こうしたアドルノのポピュラーミュージックに対する偏見ともいっていいくらいの短絡的な見解、非常に狭い範囲での音楽の捉え方についてはまた別の機会で述べるとして、要はそのアドルノによるポピュラーミュージック史観によって西洋音楽の伝統主義者は調整を失い、新しい音楽に対する方向性を大きく見失った20世紀前半の音楽とは対照的に新たな音楽語法、音楽の体系が確立していっている点を全く多くの音楽史家は見逃してしまったのである。

実際1930年代以降、西洋の伝統音楽とジャズそしてそれをベースに発展していったポピュラー大衆音楽は全く対照的な歩みをすることになる。

シェーンベルクが十二音技法による音楽語法を中心に「新ウイーン楽派」がそれを発展していく一方でストラビンスキーが次々と作風を変える「カメレオン状態」が始まりヒンデミットの新即物主義から古典主義とバラバラの展開を始めることになる、この傾向は第二次大戦の1960年代まで続く。わずかにベーラ・バルトークが東ヨーロッパやトルコ等の民族音楽から新たな音楽語法で後世に影響を与えたものを作った点が指摘される(後述するがバルトークは明らかにジャズの語法も研究していた)

だが実質的に西洋の古典音楽の伝統はこの時期に衰退し、バルトークヒンデミットを古典主義のカテゴリーに入れることに抵抗を示す人もいるだろうが、この両者が西洋の古典音楽に最後の花を咲かせたといってもいいだろう。

一方ジャズは1930年代に音楽語法の基本が確立し、ガーシュインからデユークエリントンに音楽の発展がバトンタッチされ現代のポピュラー音楽の体系が出来上がり始める

その体系とはコード譜のシステムである。

西洋音楽の研究家はコード譜は「調整」の一環であり、音楽の語法発展なしに過去の西洋音楽メソードを模倣したに過ぎない、などという見解を持っている人が多い。だがそれはポピュラーミュージック中身を全く表面的な理解しかしていない見解である

確かにコード譜は「調整」ではある。但し西洋音楽の「調整」とは根本的に異なる。

それは西洋音楽の「調整」基本コンセプトである「和声」とコード譜は成り立ちもコンセプトも全く異なるということを抑えて行かねばならない

どう異なるか。まず下の図 西洋和声の基礎の和音進行である

Choral1

いわゆる主音(トニック)属音(ドミナント)下属音(サブドミナント)で我々ポピュラーの人間はスリーコードと呼んでいるものである。和声では確かに基礎をなすものである。

これが対位法、カノンをとりいれると以下のようになるが

Choral2

これが元で偶成和音、借用和音などという和声用語が必要になるがしかし和声の基本は変わらない。

いずれもソプラノ、アルト、テノール、バスによる4声のコラール(合唱)をベースに西洋の和声というのはできあがっている。

一方「コード譜」は4声のコラールではなく元々はギターのフレットのタブラチュア ー(Tablature, Tabulature) が起源になっている。これはギターの奏法を指や数字で示したもので起源は意外に古く14-15世紀のルネッサンス時期にさかのぼる

Tab1

Tabmono

初めはリュートの楽譜として使われたが、次第にギターにも一般的に使われるようになり、自然にギターの鳴らす和音(コード)を表示するようになる。

西洋コラールの和声とギターをベースとしたコードには同じ「和音」でも根本的に異なる点がある。それは西洋和声はソプラノ、アルト、テノール、バス各声部の横の動きを重視することで最終的に和音の響きを作り上げる。そのために各声の間の相関関係には厳しい規制が設けられ、かくして2つの声部が同じ方向に5度や8度で動く(並行5度、並行8度)等は和声の禁則として厳しい規制がもうけられる。

一方「コード譜」はリュートやギターのフレットを中心に発展してきているので寧ろ自然に並行5度や8度が当たり前のように出てくる。これは指をフレット上で自然に滑らせば自然にそういう和音進行になっていく。つまり縦の動きを重視するのである

また「コード譜」は西洋和声ではありえないコード進行もつくりあげていった。西洋和声では通常は属音(ドミナント)→下属音(サブドミナント)に移る和音進行というのは決してありえないが、いわゆる「ブルースコード」では属音(ドミナント)下属音(サブドミナント)を含んだ12小節単位のコード進行が使われる。これはブルースだけでなくロックを始めあらゆるポピュラーミュージックに取り入れられている

これらを見ても西洋和声とコード譜は同じ「調整」ではあっても根本的に違うものであることがおわかりいただけるだろうか?

さて、改めて前回の記事「違いだらけの現代音楽史(1)」で提示した図を改めて見ていただきたい

History_music

筆者注:今更だが上記図において不覚にも「デユークエリントン」の名前を記入するのを忘れてしまった、後悔先に立たず、である(汗)

ギターはクラシック音楽でも使用はされたもののやはり上の図のジャズ、ブルース、ブギウギといった音楽で頻繁に使用されるようになった。ジャズもこの後ビバップ、モダンジャズそしてその後フリージャズ等さまざまな形に変貌していったし、ブルースはソウルから現代のR&B(リズム・エンド・ブルース)に発展していく。

このように西洋古典音楽がどんどん衰退していく中、ポピュラーミュージックの方は「コード譜」のシステムを中心にどんどん発展していった。こういう言い方をすると激昂するクラシック系の音楽史家もいるだろうが20世紀は西洋音楽の伝統が事実上終焉し、それに変わりポピュラーミュージックが20世紀の音楽の主役に取って代わったというのが真実に近いだろう。

西洋音楽の伝統とポピュラーミュージックの違いは他にもある。現在最も最たるものは即興性であろうが、それは別の項で述べる。

はっきりいえるのは現在プロでポピュラーミュージックの世界で仕事をしようと思えば即興できることがほぼ必須といっていい。現在仮にステージやレコーデイングでもらう「コード譜」の殆どは以下のような感じである

Chord

私は一時的に「現代音楽」とかいう音楽に関わったのでわかるが1950年代以降の西洋音楽ーいわゆる「現代音楽」と呼ばれるものはさまざまな表現語法が多くの作曲家によって試行錯誤が行われたがどれも新たな表現語法としては定着することはなかった。それどころか西洋音楽の作曲技法(エクリチュール)の複雑さのみを競い、だんだんミニコミューン化していった、こうした流れの現代音楽を私は「アカデミズムの現代音楽」と呼んでいる。例の佐村河内騒動で注目された新垣氏などはこのカテゴリーの中に入れることができる。これについても別項で述べることにする

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