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2014年3月 5日 (水)

音楽をきちんと聴かなくなった日本人、「いい音楽」を自分で選べない日本人

こういうタイトルだとまた反発ーとりわけネットのヒマ人連中にとっては恰好の「荒らし」の対象になるーを受けるかもしれない。

しかし例の佐村河内事件にこだわるわけではないが、やはりあの事件が起きたこと、そしてJ-popシーンでは当たり前のように行われているゴースト強要、それら全ての背景には日本人の音楽に対する「聴き方」「選び方」というのも大きく影響していると実はいわざるを得ない。

一般のリスナーのせいにするな、などという人がいるかもしれない。しかしここに日本の現状を的確に分析された関西大学教授経済学者で音楽好きでも有名な高増明氏のThe Jouranal のインタビューを読むと、やはりそれも現在の日本の音楽状況に大きな影響を及ぼしているといわざるを得ない。

■高増明:日本のポピュラー音楽って大丈夫なの?──AKBや佐村河内守現象の背景にあるものとは
http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/ar472809

一部抜粋引用させていただく。例によってこの記事も長文になります。

<前略>

最近の日本の音楽についての危機感が感じられます

そうですね。90年代から始まって、特に2000年以降の日本のポピュラー音楽は世界の流れから完全に孤立して、ガラパゴス化しました。80年代までの日本の音楽って、おもしろくて水準も高かった。ロックだとFlower Travellin' Band 、サディスティックミカバンド、YMOやPlastics、LOUDNESS、ジャズでは渡辺貞夫、日野皓正、渡辺香津美、歌謡曲でも坂本九、ザ・ピーナッツ、沢田研二とか。世界に発信する力もありました。それが、AKBと嵐だけになってしまった理由を考えようと思いました。「きゃりーぱみゅぱみゅが世界的に人気」だとか「AKBは世界を制覇する」とかウソですよね。日本は、アメリカやヨーロッパとはまったく異なる状況になっています。

──なぜそうなったのでしょう

日本経済の停滞とそれによる社会や文化状況の引き籠り化、ガラパゴス化というのが一番大きな理由だと思います。バブルが崩壊した90年代以降、人々は不安になって、先端的なもの、ハイカルチャーと拮抗するようなサブカルチャーを楽しむ余裕がなくなってきました。企業もビジネスにならないので、切り捨てていきます。残ったのは、大衆的な嗜好に合致した音楽だけです。

それから、日本人は不安なときに他人と同じような選択をしますよね。電通は、これを「鏡衆」と呼んで、ビジネスに利用しようとしているのですが。結果として、「おたく」的なものと「ヤンキー」的なものだけが残ってしまった。このような傾向は、音楽だけではなく、アニメや政治も同じです。知性とか教養が必要な文化・思想というのは、どんどんなくなっていくというのが今の日本の状況です。「俺にはおもしろくない!」「俺は嫌いだ!」しかないわけです。簡単に判断するまえに「もっと勉強しろよ!」と思います。この点については、インターネットによってヒエラルキーが崩れたということもあるのですが、海外では客観的な評価がまだしっかり残っています

<中略>

──音楽は人気があるのに、なぜCDの売上は下がっていて、メジャーからデビューしても食えないのでしょう?

インターネットを理由にする人がいますけれど、それは間違っています。アーティストや音楽に対するリスペクト、思い入れがあればアルバムを買うはずです。 高齢化も違います。50代、60代の人は、若い世代よりも音楽に影響を受けて育ってきていると思いますが、そのような世代も音楽を聴かなくなっています。 それだけ「音楽に価値がある」と日本人が思わなくなっているということでしょう。AKBのように、CDは音楽ではなく、握手券として購入されているわけで す。

──どうしたら、いいのでしょうか?

「良い音楽」を創り出す人が食べていけるようにすることが一番重要だと思います。今は、YouTubeなどでとりあえず何でも聞けるわけです。今の時代の 音楽は、経済学でいうところの「公共財」に近い性質をもっています。公共財とは、たとえば道路とか公園のように、誰でも無料で消費できるし、他の人が消費 しても自分の消費に影響が及ばない財のことです(厳密に言うと、道路や公園も公共財には、あてはまりませんが)。このような財は、市場メカニズムではうま く取引ができないのです。基本的には、政府が生産するか、政府がお金を出して民間に生産させるしかありません。音楽もそれとほとんど同じ性質を持っているわけですから、政府が音楽税のような税を徴収して、それをアーティストに分配することを考えなければいけないと思います。アーティストを育てていく努力が 必要だし、音楽は、今やそれが必要な財になってきています。

<中略>

フランスは文化を国家戦略のなかに位置づけていますから、文化に大きな支出をしています。韓国も、K-Popで「男性優位」的な国のイメージを変えることができましたよね。日本の文化予算は、フランスや韓国よりもGDPに対する比率でかなり低くなっています。

<中略>

──それに関連して、佐村河内さんの事件はどう思われますか?

あれも、日本人が音楽をちゃんと聴かなくなっているということです。現代音楽なんかやっていても食っていけないわけです。ところが、テレビが取り上げて 「耳が聞こえない作曲家の美談」をつくりあげると、とたんにお金が入ってくる。著作権って登録が必要なわけではなく、曲を作った時点で、自動的にその人に与えられるわけです。ですから、著作権、正確には著作者人格権は、新垣さんにあります。新垣さんは、著作者人格権を侵害されているということになります。 ただし、著作権は譲渡できますから、お金の問題はまた別です。

日本人が「良い音楽」をどんどん聴かなくなっていて、政府もそれを保護したり支援したりする気もない。テレビに出ればお金が入ってくる。それが生んだ事件ですね。

──「良い音楽」ってあるのですか?この本のなかで批判的に取り上げられているMr.ChildrenやAKBは、「良い音楽」ではないのでしょうか?

最近の日本のヒット曲は、同じようなコードパターンで作られています。Fmaj7からG7、Em7、AmをJ-Pop王道進行と名付けた方がいるのです が、そのような抒情的コードの進行に、日本人全体が洗脳されているところがあります。こういうパターンは海外では、ディスコやユーロビートの70年代の終 わりから80年代はじめに流行ったのですが、日本だけそれが精緻化・日本化されて現在まで続いている。それでみんな感動しているというのは少し不気味で す。日本のヒット曲が「悪い音楽」だというつもりはないのですが、みんな同じような曲になってきて、しかも世界とはかけ離れたものになっている。それはか なり問題だと思います。

AKBの「ヘビーローテーション」も「ドレミ、ドレミ」で「咲いた、咲いた、チューリップの花が」とあまり変わりませんよね。音域も1オクターブ、ハモリ もなく、みんな声量がないし声も細いからユニゾンで歌う。確かにいろいろな工夫はされているのですが、音楽ってそういうものですか? なぜエイミー・ワイ ンハウスやアデル、エミリー・サンデー、ロードは出てこないのですか? ボーカロイド(歌声合成技術)に対する過大な評価も間違っています。

──K-Popはどうですか?

全部ではありませんが、K-Popの音の作り方は、かなりアメリカのポピュラー音楽に近いものです。聴き比べてみればわかりますが、ミックスも日本のよう に高音を過度に強調した「シャリシャリ」した音ではなく、中域に厚みがあります。したがって、アジア的感覚やルックスと洋楽的な音が好きな人はK-Pop を聴くでしょうね。日本のポピュラー音楽はアジアのマーケットでも通用しなくなってきています。

──クールジャパンとして、政府はヴィジュアル系などを世界にプッシュしていく動きもあるようですが

本でも書いているのですが、ヴィジュアル系も閉鎖的になっています。押井守さんが最近のアニメを「コピーのコピーのコピー」と批判したのですが、ヴィジュ アル系も次第に「コピーのコピーのコピー」になっています。海外で評価されているDIR EN GREYは、ヴィジュアル系としてではなく、ヘビーメタルのバンドとして活動しています。そもそも政府がクールと言っているものが本当にクールなわけはな いですよね。

<後略>

重要なポイントだけ書いたが、それでも長くなってしまった。(汗) ひとことでいって非常に日本の現状を的確にきちんと分析していると思う。

さて、くどいようだが例の佐村河内事件の件にもう少しこだわってみたい。なぜならこの件は通常のJ-popのゴーストの問題だけでなく現代音楽の世界そのものの体質の問題について(当ブログの記事で述べたとおり)、の状況だけでなく、日本人の音楽に対する考え方も残念ながら大きなファクターとして存在する。この事件は実にいろんな意味で日本の音楽の現状の諸問題が複雑にからんで起きた事件といっていい。

あれも、日本人が音楽をちゃんと聴かなくなっているということです

日本人が「良い音楽」をどんどん聴かなくなっていて、政府もそれを保護したり支援したりする気もない。テレビに出ればお金が入ってくる。それが生んだ事件ですね。

ひとことでいえば日本人は「きちんと」音楽を聴かない国民になってしまっているという点。一部の人を除いて「いい音楽」というものが自分で理解できない、自分で判断できなくなっているこれは私も感じていたことである。

はっきりいって「現代のベートーベン」(結局は嘘だったんだが)なんていうキャッチフレーズでなければあれだけ多くの人が買ったかどうか疑問だ。そして何よりもこの事件の世間の反応に大きく違和感を感じるのは、広島交響曲を始めとする実際は新垣氏が作った曲の質については誰も語らず、これによってあの作品の価値が全くなくなったかのような論調になっている点である。現代音楽の思い上がり体質云々はともかく客観的にいってあの曲は非常によくできた曲である。しかしあの事件のおかげでこの音楽の本質とは別の方向に話が行ってしまっており、誰もあの音楽の良さをこの時点で語らなくなっているという事実、。残念ながら今の日本の現状の露呈、ならびに上記の高増教授のの分析内容が正しいことを測らずも証明してるといわざるを得ない。

ただこういう状況を作った責任の多くは現在の日本の音楽産業の責任が大きい。この問題は日本人の国民性というよりは日本の音楽を制作するシステムの問題だ。上記の高増教授の分析のように日本の音楽とグローバリズム云々という話にするつもりはない。というより。そもそもクリエイテイブな面では日本のメジャーシーンは創造性の欠片も見られないほどの低いレベルだし、日本がガラパゴス状況といってもそもそも日本の独自性ーオリジナリテイなどどいう以前の問題だからだ。結局テレビのタイアップを始めとするメジャーレコードの画一的なマーケテイング戦略だけが突出して発展してしまったというのが最大の問題で、それがあまりにも長期間続いたために日本国民全体がそういう音楽マーケテイングの手法にあまりにも慣らされてしまっている、という問題も背景にある、それらによる悪影響で日本人の中に自分できちんと音楽を聴くという習慣がいつのまにかなくなってしまった、という面は否定できない。

ひとことでいえば、量を追求する音楽マーケティングが、焼畑のように文化の畑を焼き尽くしてしまったということ。画一的なマスマーケテイング(今に至ってもメジャーはこれにこだわっている)が日本の音楽文化を事実上死滅させた、といってもいいかもしれない。マーケティングとブランディングは違うのだ。かつては次の時代の音楽の温床となったはずの音楽のサブカルチャーも今は殆ど存在しない状況になっている、

なぜエイミー・ワイ ンハウスやアデル、エミリー・サンデー、ロードは出てこないのですか? ボーカロイド(歌声合成技術)に対する過大な評価も間違っています。

これも全く同意。これもメジャーの画一的な量を追求するマーケテイングの悪弊である。

はっきりいって日本のいわゆる「メジャーレコード」の制作体制のせい、だから日本の音楽状況をよくするには日本のレコード会社全部をつぶさんとダメだ。全てをいったん更地にする。それからでないとこの状況から復活させるのは難しいかもしれない


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コメント

こんにちは。
佐村河内問題に関する、大野さんの記事を全部拝読しました。
この問題について、ネットで少しでも
有意義なことを書いたのは、大野さんだけかと思います。
以下、私の感想も記します。

今回の問題で興味深いのは、全聾を装ったペテンとNHK特集があったとはいえ
佐村河内が設計&新垣氏が作曲した音楽で、クラシック界で稀な売り上げを
記録し、一部のクラシック専門家の感動まで呼び起こしたことです。
たとえ、高名な音楽家たちからすれば「もどき」の音楽だったとしても。

高名な現代音楽家たちも、佐村河内氏を偽呼ばわりすることで、
ほぼこの問題をスルーしているようですが、たとえば彼ら高名な現代音楽家
の作品が、「玄人受け」を超え多くの一般人の感動を呼び覚ますこと
はあるのでしょうか?
(もちろんウケればいいというわけではないが、殆どの一般人にとって
どうでもよいなら、音楽として問題だと思いますし。
単純に言うと、現代音楽でもメシアンあたりなら一般人の耳に
十分届き、感動を誘います。)

テレビラジオにあふれる音楽にも、高名な現代作曲家の音楽にも
『正直どうでもいい』と思っている人が、実は大勢いるのではないでしょうか?

そして、佐村河内氏は「調性音楽の復権」と称し、そのスキを狙ったのです。
詐欺師とはいえ、そのあたりは天性のカンと計算力があります。
実際、多くのリスナーも声には出さねど、「調性音楽の復権」を
望んでいたのでしょう。昔の大作曲家のような音楽を。

なので、このあたりの事情をよく考えないで、今回の問題をスルー
して終わらせる高名な現代音楽家たちも理解できませんね。
今こそ、自分たちに何ができるのかを熟考すべき時なのに。

以上、今回の問題はバッシングと非難だけで終わっていきそうですが、
読み応えのある記事を書き、考える機会を与えていただいた大野さんに、
感謝します。

では。

投稿: 卓 | 2014年3月20日 (木) 01時32分

卓さん こんにちは
コメントありがとうございます。

この佐村河内問題につきましては単に現代音楽の問題だけでなく日本の音楽文化のさまざまな問題が背景として存在しますので近々総括しようと思います。

私もかつて現代音楽をやった人間ですが、クラシックの流れの音楽で最後に感動した経験があるのはやはり武満さんが最後ですね。

そして武満さんもある意味「調整への回帰」と受け取れるような表現がありました。

また「既存の現代音楽」に幻滅した若手作曲家は反アカデミズムの方向に行き、ミニマリズムや別の方向に行っている人も少なくありません(私もそうですが..)

何よりもアカデミズムの現代音楽系の人たちのコメントを見て思ったのは「この人たちは30-40年前と少しも変わっていないな」という印象です。

その意味でクラシック系、アカデミズム系の現代音楽の人たちも今のありかた本当にいいのか、ということを今回の事件を機会に考えてもいいのではないかと思います。

投稿: Kyoji | 2014年3月20日 (木) 10時00分

興味深く拝読しました。
私はほぼ在宅で生活している者ですが、常に音楽を流しています。理由は音楽を聴くと良い気分になるからであり、日常の気持ちの切り替えに使っています。
(良い意味での麻薬が音楽です。生活の慰めであり苦からの逃避であります。)

現代人は娯楽が多いので音楽に対する切望は減ったのだと思います。
音楽を一人聴くほどの孤独な人は生活が便利な日本では少ないし、音に安らぎを求める「耳型」の日本人は多くなく、どちらかと言えば視覚への渇望の方が強烈なのだと思います。

さらに言葉を追求する傾向の強い社会においては、言葉を捨てて楽器や音声で情動を開放するという営みが選ばれにくいのではないでしょうか。(チャット・メール等に押されることからも)

投稿: こめさん | 2014年11月 7日 (金) 18時26分

当記事に関して明らかに「荒らし」や「炎上」を狙ったコメントが最近ひっきりなしに来るので一言書かせていただく。

悪態をつくことでしか誰からも相手にされないヒマ人おバカさんたちよ。俺はお前らを相手にするほどヒマじゃねえんだよ。かまってほしいのなら他の人にかまってもらえ。

だからとっとと消えな。二度と来るんじゃねえよ。

お前らがどんなに挑発的なコメントを書こうが全てスルーさせてもらい全て削除させてもらうからそう思え。

お前らのためにコメントを書いてやってるだけでもありがたいと思え。

投稿: 荒らし屋は出ていけ | 2014年12月22日 (月) 10時39分

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