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2013年11月13日 (水)

ドワンゴ川上氏インタビューに見る昨今のコンテンツ、情報、文化の諸問題

いつものことですが本日も長文になります。

IT関係の企業家というと「無条件でネット礼賛」「ITが既存のインフラを凌駕する」とか「ITはすべての人を幸せにする」などといった妄想に近い言動をしがちである。(そしてネットの「信者」がそれに拍手喝采を浴びせる、という図式) しかし先日ビジネスジャーナルに記載されたドワンゴの川上会長のインタビューを読むとはやはり川上氏はきちんと世の中を見ていて寧ろネットの論調や現状に警鐘も鳴らしている。そのインタビューは現代のネット事情ならびにそれにからむコンテンツの点もはじめ現代のさまざまな問題を網羅しているのでこの記事で私の見解を述べさせていただく

尚、このインタビューは川上氏の新著 ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)にからんで行われていたものである

■ドワンゴ川上会長に聞く、ニコ動成功の理由と、社会を不幸にするネット世論のおかしな構造
http://biz-journal.jp/2013/11/post_3303.html

重要な箇所を引用して私の見解を述べさせていただく

川上 従来、口コミというのは、発言した人の声が聞こえる範囲に存在する特定の人にしか届きませんでした。ところが、ITの進化に よって、電子メール、LINE、もしくはFacebookのような、いわゆるソーシャルメディアを介して、声が聞こえる範囲に存在しない人にも、口コミが 伝搬するようになりました。一方で、マスメディアというのは1対N、つまり発言者の声を不特定多数の人に届けるものです。ソーシャルメディアは声の大きな 口コミですが、マスメディアとは本質的に違うものです。

 しかし、ソーシャルメディアについて語る時に、「これからはソーシャルメディアの時代だ」というように、「ソーシャルメディアが従来のマスメディアを代替するもの」という文脈で話をする人が多いのですが、それは間違いだと思います。

聞き手--「ネット上の口コミは、マスメディアとは違い、人々が伝えたいから伝わるのでウソがない」という考え方には危険があるともおっしゃっていますね。

川上 まず、口コミのほうがウソは確実に多いと思いますが、それはおいといて、僕が言っているのはプロモーションの手段として口コミを利用することは、そんなに簡単じゃないということです。今のネット上の口コミは、「口コミをしてくれたらお金を払います」というかたちで行われているケースもあり、それはステマ(ステルスマーケティング)として批判されているやり方ですよね。つまり、お金を払って情報を伝搬させるというやり方です。

そうした口コミで広がるものは、美容品や健康器具のように単価が高くて利幅の大きいものです。その利幅を流通する人に分配することで売る、というのがネットワークビジネスで、普通の商品はそういうことをやりません。例えば、任天堂の商品をネットワークビジネスで売りますか? という話ですよ。つまり、ネットを介して口コミを行うようになったからといって、ソーシャルメディアにそういう売り方が成立することはないと思います。少なくとも、プロモーションの方法として、マスメディアがソーシャルメディアに取って代わられるという考え方には誤解があると思っています。

これは全くそのとおり、ネットの中のIT系記事はもとよりビジネス書でも「ソーシャルマーケテイングが社会に革命をもたらす」とか「ネットがそのうちマスメデイアを凌駕する」などといった文言が本当にうざったいほど見られるがいずれもはっきりいって間違いである。特にネットとマスメデイアはそもそもメデイアの本質が全く異なるため本来なら同じテーブルで論じることすらおかしい、だいたいそういうことを主張すること自体ネットというメデイアの本質を理解していない証拠だ、

聞き手--ニコニコ動画が多くのユーザーの支持を獲得している理由として、「わかりそうで、わからないもの、わけがわかりにくそうな部分を持っている点」を挙げていらっしゃいますが、サービスが成功するためには、「わけがわかりにくそうな部分」が必要だということでしょうか?

川上 これもルールを変える思考法で触れているのですが、僕は「コンテンツとは、わかりそうでわからないものである」と定義しています。そうすると、「わかりそうで、わからないもの」であろうとすること自体が、コンテンツの目的にもなり得るということです。

 ニコニコ動画の運営方針が、大会議、ニコファーレ、超会議と、ユーザーからみても「わけがわからない」と批判されることも多かったのですが、僕らはわけのわからなさそのものに価値を置いていた部分もあったのです。

 今の大ヒット作品というのは、基本的にわからないものですよね。村上春樹さんの小説にしても、スタジオジブリの作品にしても、決してわかりやすいとは言えない。わかりやすいものは大ヒットしないとも言えるのではないでしょうか。

コンテンツを「わかりそうでわからないものである」 面白い定義だ。コンテンツを作る立場からするとあまりそういうことは考えたことはないけど、まあ簡単にわかってしまうもの=コンテンツとして魅力のないもの、といわれればそのとおりかもしれない

聞き手--そうした社会へのインターネットの広がりにより、ネット世論といわれるものが社会を動かすケースも増えています。川上さんは「ネット世論は、あまりいい方向に向かっていない」と指摘されていますが、なぜそのようにお考えなのでしょうか?

川上 ネット世論が世の中を動かすという流れにだんだんなってきていますが、それはあまりいいことではないと思います。実際、世間の思いとは裏腹に、インターネットは世の中をよくする方向には向かっていません。

 例えば、あるプロ野球球団が試合に負けた時、「監督の采配が悪い」などとさまざまなメディアに叩かれます。そして、その球団のファンも怒り、「俺 が監督をやったほうがうまくいく」と思うわけですが、冷静になって考えてみれば、そんなはずがないことは、誰でもわかるはずです。

 原発問題などの社会問題についても同じ構造が見られます。誰もが「自分が考えていることが正しい」と思い、「すぐに稼働を止めなければいけない」「いや、止めるべきではない」「自分の主張が正しいのに、どうしてほかのみんなはわからないのか?」とネット上で主張する。現在のネット世論はそういう状態にあります。

 つまり、ネットユーザーが求めていることは、プロの存在を否定して、「素人が運営する国」であり、これはどう考えても最悪の国、最悪な社会体制ですよね。誤解を恐れずに言えば、プロが全部決めて密室でやったほうがいいに決まっています。でも、密室だと信用できないから、公開=透明化して、世論で社会を動かそうとしているわけですが、それではただの欲望で社会を動かすことにほかなりません。「消費税は上げるな。なぜなら上げてほしくないから」。極論すれば、そういう理由ですべてが決まっていくわけです。

 腐敗防止と監視のための透明性は、チェック機能としてはある程度必要だと思いますが、細かいことまでみんなの意見を聞かなければ決定できないというのは、社会体制としては間違っています。本当に腐敗がある部分もあるかもしれませんが、日本は世界の中でも腐敗が少ない国で、大半のことはきちんと決められています。しかし、透明化圧力が増すことで、ネット世論がよりおかしな方向に進んでいくということが、今起こっているわけです。

さてやっとだが本題にはいらせてもらう。実はここの部分がネット時代に入ってから私がずーっと違和感を感じていたことである。つまり上記のインタビューにも書いてあるように「プロフェッショナリズムを実質的に否定」したネット内での基本の論調である。

専門家でもないのに専門家ような口をきく輩、ネットでの断片的な情報のみで「自分が世の中のことをすべて理解している」と勘違いする輩、ブログでもソーシャルネットその他でもネットではこの手の書き込みがあふれている。

そして何よりも音楽業界でも決定権を持っているのははっきりいわせてもらうが音楽に関しては全くのシロウトが行っている。コンペなどでシロウト同然の人間がコンペに通り、「プロ気取りする」などという事態が起きている。初音ミクの可能性を否定するものではないが、しかし初音ミク「誰でも作曲できる」ということが必要以上に美化され(結局はコピーペーストの世界なのだが)それで「なんだ作曲なんて誰でも出来るじゃん」という勘違いが横行したりする。(尚、初音ミクをプロのレコーデイングソフトと勘違いする人間が後を絶たないがまだ我々プロの人間からみればまだ「オモチャ」の領域を出ていない

つまりそこにはアマチュアリズムの過剰評価、そしてプロフェッショナリズムそのものの否定。これは情報やコンテンツにとっていいことではないことは明らかである。そしてネットではその手の論調があたかも正論であるかのように大手を振ってまかり通っている。これは文化そのものにとって非常に危険なことであることは明らかである。

川上 最近、ニコニコ生放送でも将棋対局の生中継に力を入れていますが、例えば人間対コンピュータの対戦などで、人間側の次の一手を視聴者アンケートで決めるよりも、羽生善治さんにすべてを決めたもらったほうが絶対強いですよね。

聞き手--つまり、素人が何人集まってもプロには勝てないと。

川上 素人は、簡単な理屈、わかりやすい説明、それだけで判断してしまいます。まず「自分は判断できる」という誤解を解くべきです。 繰り返しになりますが、「俺が監督をやったほうがうまくいく」というモードになることは、すごく危険であり、そのことにみなさんがもっと意識を向けるべき です。

「ネット上でみんなの意見を聞くことが正義だ」という勘違いは不幸なことです。プロ野球の試合で、ファン投票を経ないとスターティングメンバーを決められないという事態は、プロ野球にとって幸せなことでしょうか?

上記の文章の簡単な理屈、わかりやすい説明、それだけで判断してしまいます」 というのが現代のネットで極めて危険な部分で、「わかりやすい」ような見解で自分がすべてを理解した、という勘違いを起してしまいがちである。それがネットの中で「専門家でない自称専門家」「なんでもわかったつもり」の人間を大量生産させ、ネットの情報の質の低下をまねいてしまうのである。

また上記のプロフェッショナリズムの否定の風土は文化や芸術に対する正しい理解を阻害してしまう。ピカソの作品を見て「あんなの俺でもできる」などといった勘違いが横行してしまうわけだがそれは「高い質のコンテンツを理解する能力そのものの低下」ももたらしている。

残念ながら少なくとも今のところはネット社会、情報化社会は実質的に「情報やコンテンツの質の低下社会」を作り上げており、もし情報革命というものが起きていると主張するのなら情報革命はこのままいけば情報とコンテンツの質が低下する革命という不名誉な革命になってしまう

最後にニコ動でも時々起きる“炎上”という現象について川上氏は

川上 まず、ネットで炎上事件を起こしているのはどういうような人たちかということを、理解する必要があります。わかりやすい表現で 言うと、現実社会に居場所のない人、社会からはみ出した人たちです。居場所のないことに対する憤り、恨み、ねたみを強く持つ人たちが、突然ネットという武器を 持ったのです。そういう人たちが、「炎上する事件」「炎上しない事件」を決めているのです。

 彼らにとっては、「今までは自分は社会的に下の位置だったのが、ネット中心の世界では自分たちが上のヒエラルキーになった」という、まさに人生の逆転なのです。

この点は中川さんのウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)とほぼ同じ見解だが、非常にきつい言い方をさせてもらえばキチガイが刃物を持ったのと同じ状況である。彼らの攻撃の刃は時に有名人に向けられ、偽善的な正義らしき屁理屈を持ち出して、社会への鬱憤を“炎上させる”という行為で満たそうとする。ついてにいえばこの手のおバカな暇人に限ってネットに関して少しでも批判的な言動を見ると過剰反応する。それは彼らが殆ど唯一持っている武器によってでしか自らのアイデンテイテイを見いだせないためであろう。こいつらにはネットしかないためにネット社会の問題を批判されると自分が誹謗中傷されたように感じてしまうのだ。

殆どがニートかフリーターでありそういう状況を許している家庭にも問題があるが、何よりもこういう連中が社会にとって極めて有害な存在になっている、という点である。これに関する対策には政治の力が必要かもしれないが今の政治にそれが解決できるかというと疑問である、いずれにせよこれは頭の痛い問題である。

ドワンゴ川上氏のように現代のネットの現状を冷静に分析すればこのような見解になるだろうが、ネットでは相も変わらず「ネット礼賛」の記事が多い。その中の多くはステマかもしれないが、いずれにせよネットの情報、コンテンツの質の低下それが敷いてはリアルな音楽文化を危機的な状況に追い込んでいるのは事実であろう。

その意味では「ネットが音楽をダメにした」というのはまんざら嘘ではないかもしれない。認めたくない人も多いだろうが..


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コメント

毎回興味を持ってブログ拝読させて頂いてます。

私は今年還暦です。昔ならとんでもなく長生きですが、昨今は石を投げれば60歳以上に当たる?ですね【笑】


ご指摘のコメントいちいちごもっともですが、多分もっと深堀して根幹から考えてみる必要を感じました。即ち、日本人の民族性、そしてその成り立ちを検証することから答えを導くのはいかがかなと。
多分、学校教育では教わりませんからね!思想・哲学の領域になります。

日本人の民族的特性の一つなんですが、自分と他者を同等・対等、同質に基本的にみなす傾向がかなり強くありますね。

例えば【同じ人間じゃないか】という発言。

他者の才覚・能力・見識・技量・努力を自分と皆同格,同等に認識してしまうんですね!【俺だって出来る】なんですね!
そんなこと無いのにね!困ったもんです


2~3000年の歴史を日本人だけで作ってきましたから無理もないんですが、これはもうDNA化してます。自然にそう認識しちゃんうんでよ 笑


長所もありますね。あの幕末に来たアメリカの黒船を見て当時の日本人の反応は世界に例を見ません。
結論から云うと、びっくりしたけど
【俺達にも作れる】です。根拠は、あいつらも俺達

投稿: モトヤマ云います | 2013年11月13日 (水) 21時21分

アマチュアリズムを過大評価する事はプロフェッショナリズムを否定する事にはならないのではないでしょうか。
本来この2つはお互いを刺激し合って相乗効果で発展してく物だと思います。
それにお客さんが分かった風な口をきくのはそれだけ「のめり込んでくれている」って事でもありますし、ある意味喜ばしい事だと思いますよ。
何より怖いのは無関心ですから。

私は建築業を生業としていて音楽業界の人間ではないのですが、最近はむしろプロのプロフェッショナリズムの低下の方がはるかに心配です。
「おもちゃ」であれなんであれ、若い連中の活発な動きのある音楽業界がうらやましいです。

投稿: ニコル | 2013年11月14日 (木) 21時19分

モトヤマさん こんにちは

確かに日本人はまあ天皇は別として全員自分と他者を同等・対等、同質に基本的にみなす傾向はありますね。基本的に日本人はムラ社会の人間ですから..

ただこういう「プロフェッショナリズムの軽視」の傾向は必ずしも日本に限ったことではなく、全世界的にこの傾向がでていると思いますね。日本の方が顕著ではあるかもしれませんが...

やはり情報やコンテンツがあふれている現在ではそれらの価値が相対的に下がるのはさけられないかもしれません。従って最近は逆にあえて「情報を出さない」という選択肢もあるわけです。

プロフェッショナリズムの軽視は間違いなく文化そのものの崩壊をもたらします。川上氏のこの発言はそれを端的に表現したものと考えます。

投稿: Kyoji | 2013年11月14日 (木) 23時45分

ニコルさん はじめまして

>>アマチュアリズムを過大評価する事はプロフェッショナリズムを否定する事にはならないのではないでしょうか。
本来この2つはお互いを刺激し合って相乗効果で発展してく物だと思います。

確かに理想的にはおっしゃるとおりですが、残念ながらこと音楽の世界に限って言えばそれは機能しているとは言い難いです。

建築の世界は私は門外漢なのでわかりませんが、最近のインターネットにあふれている発言をみますと専門家ースペシャリストに対する敬意というものをあまり感じません。(音楽の世界に限らないと思います)そうした風潮が実際に専門家そのものの質の低下をも誘発することを危惧します。

音楽業界などはまさにそのとおりの非常にお粗末で悲惨な状態になっています。音楽やCDが売れなくなったのは音楽業界の「プロのシロウト化」も大きな原因だと考えます。

投稿: Kyoji | 2013年11月14日 (木) 23時50分

面白いご意見でした。反響も大きい様ですよ。
http://vocaloid.blog120.fc2.com/blog-entry-17630.html#comment

投稿: プロ | 2013年11月15日 (金) 00時21分

プロさん はじめまして

私も驚いています
ドワンゴの川上さんの主張に基本的には同調しているだけなんですけどね...

リンク先の反応ですがまあいろんな受け止め方があるでしょう。それに関しては得になにもいうことはありません。

投稿: Kyoji | 2013年11月15日 (金) 00時40分

>ネットユーザーが求めていることは、プロの存在を否定して、「素人が運営する国」であり、これはどう考えても最悪の国、最悪な社会体制ですよね。
>専門家でもないのに専門家ような口をきく輩

このあたりまるで素人だけがやってるように言ってますが、本流に居場所をなくした上杉や岩上ら「プロ」のマスコミ(原発の専門家ではない)がプロの名を利用して原発稼働させるのさせないの混乱を助長していた元凶では。


>殆どがニートかフリーターでありそういう状況を許している家庭にも問題があるが、
少しでも批判的な言動を見ると過剰反応するというと、原発デマ屋の木下黄太、産総研に圧力をかけて高木浩光氏を呼び出すと恫喝した樋渡啓祐武雄市長。彼らはアマチュアやニートではない。

ウェブはバカと暇人のもので、キチガイが刃物を持ったのと同じ状況なのかもしれないが、そのバカで暇人のキチガイは「プロ」を名乗っているのかもしれないということを忘れると、いつまでたっても素人との違いを示せないまま侮られ続けるのではないだろうか。

投稿: iori | 2013年11月15日 (金) 08時45分

iori さん

まあ上杉氏の件などは今回の記事とは話題がはずれますが、この人はジャーナリストの世界でももう絆されている人ですから、この人を「プロの代表」であるかのように語られるのはちょっと違うと思います。

この件に関していうのならプロといわれていた人間が実はそれほどの実力もなくプロを自称していた人間が中にはいたということでしょう。まあジャーナリズムだけでなくどの分野でもそういう人間はいます。きちんとしたジャーナリストは上杉氏や岩上氏といっしょにしないでくれ、と考えている人は多いと思いますよ。

確かに中にはプロを自称していても「こいつといっしょにしないでくれ」という人間は少なくないです。一方でこういう人間ほどネット、特に2ちゃん系ではやたらに目立っている傾向があります。

逆にいえばそういうところでしか目立つところがない人間なのでそういう人間をあたかもプロの代表であるかのようにいわれるのはきちんとしたプロフェッショナルの人間からみれば迷惑だ、ということでしょうね。

投稿: Kyoji | 2013年11月16日 (土) 10時50分

>そういう人間をあたかもプロの代表であるかのようにいわれるのはきちんとしたプロフェッショナルの人間からみれば迷惑だ、ということでしょうね。

だからこそ、例えば「最悪な社会体制を選択する」人間が「ネットユーザー」やアマチュアの代表であるかのように言われるのは「非常に迷惑」ですね。
「どの分野でも」に限らず、アマチュアにもプロにも「そういう人間はいます」


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アルジェリアの事件で「まともなマスコミ」は歴史に刻むため名前を残すのだと言いました。他の事件では必ずしもそうでないのに。
これまで「炎上する事件」「炎上しない事件」を決めていたのは「まともなマスコミ」に他なりません。
バー通いや漢字間違いへのツッコミなど、「社会への鬱憤からくるニートによる炎上」が「政権への鬱憤からくるマスコミによる炎上」などに変わるだけでは。


素人とプロの差ではないのです。

そんなプロのバカよりコピー&ペーストのほうがマシなのでしょう。
必要なのはコピー&ペーストで到達できない、バカでないプロを魅せることではないでしょうか。
プロ目線で「一緒にされては迷惑だ」ですべて素人に責任を押しつけるような他人事では何も解決しないでしょう。害悪はどこにでもいます。


投稿: iori | 2013年11月17日 (日) 01時56分

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