Kyoji "metanature"
i-tunesでも好評配信中!!
i-tuneページを表示するにはお客様のPCにi-tunesとquicktimeがインストールされている必要があります。 i-tunes及びquicktimeのダウンロードはこちら





« 昨夜のAKB総選挙を見て服部克久先生の昨年のレコード大賞の発言を思い出しての所感 | トップページ | ストラビンスキー「春の祭典」初演から100年-「題名のない音楽会」の番組を見て »

2013年6月14日 (金)

パロデイ論ー宮藤官九郎の「あまちゃん」の脚本とマルセル・デュシャンのレデイメイド思想

先日の記事、「あまちゃん」のkyon2の歌に見るパロテイとパクリの違いの続きになるんですが...

その記事で日本ではなぜか「パロデイーというものをあまり評価しない風土がある、と述べました。そしてパロデイーというものと、音楽業界が良くやる「パクリ」は全く違うという点を述べました。

どうも「パロデイー」というものを「えげつない」「(パロデイーされた人に対し)失礼だ」と考える向きがあるようです。
しかしそれは違うと思います。

たとえば今週放送した「海女ソニック」なるイベントも、いうまでもないですがとある有名な音楽イベントの立派なパロデイーですが、それ以外にニセの「レデイ―ガガ」が複数登場することでレデイ―ガガに似てもにつかない人物がレデイ―ガガをまねしようとするおかしさを演出していて、そのミスマッチぶりが笑えせてくれるのです。それはレデイ―ガガを誹謗したものではなく、レデイ―ガガという強烈な存在感があるアーチストだからこそ、それをまねしようとする「凡人」がおかしくみえるわけです。そこに「えげつない」笑いはありません。民放のお笑いバラエテイの方がよっぽど「えげつない」笑いだと思います。

さて下の写真を見てください

20100814_1112106

これはフランスのアーチスト、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp  1887- 1968)の作品(?)でアートシーンにおけるパロデイーの先駆的な作品です。

このマルセル・デュシャンレデイメイドという既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示した人で、この人の場合作品というよりは「コンセプト」や思想を既成の物を使って「思想」として表現する、と説明した方がわかりやすいでしょうか?

モナリザの絵にヒゲを書き、絵の下に『L.H.O.O.Q.(エル・アッシュ・オ・オ・キュ)』を仏語風に続けて発音すれば『Elle a chaud au cul(エラ・ショー・オ・キュ)=彼女のお尻は熱い』という意味になります。

レデイメイドというコンセプチュアルアートをベースに誰もが知っているモナリザにヒゲを書き、いささかお下劣な(笑)コメントを加えることからもこれがある意味パロデイーの元祖であり、レデイメイドというのは既製品を「コラージュ」することによってある表現を作るという意味では、現代のデザイン等に結果として大きな影響を与えたということもできます。何よりもクラブDJなどは「既製品」である市販の音楽を「コラージュ」して組み合わせることによって全く違う音楽の表現を作る、という意味ではある意味レデイメイドの表現方法ということもできます。

つまりパロデイーというのはデュシャンの行ったレデイメイドの表現手法の中の一つである、と考えます。それを考えれば明らかに他人の曲のおいしいところを「バクる」音楽業界公認(?)の盗作行為とは一線も二線も画すものであることがおかわりいただけるでしょう。

さて、それをふまえて話の中心をパロデイーに戻しますと、そもそもパロデイーされた元ネタがそれなりの存在感や社会的知名度がなければ「パロデイー」でも面白くありません。モナリザにヒゲを書いたマルセル・デュシャンモナリザだから効果的なのであって、無名の作家の作品にそれをやっても何も面白くありません。

つまりそこには元ネタを冒涜するどころか寧ろ敬意のニュアンスすら感じます。

ちなみに映画監督のクエインテイン・タランテイーノの作品を見ますと、過去の作品のパロデイーのオンパレードです。たとえば「キルビル」などは深作欣二作品のパロデイーが多く目立ちますが、その意図は勿論冒涜ところか、過去の作品に対するオマージュ、敬意の意味があるのはいうまでもありません。

それを考えますと、どうも日本という国ではそこを勘違いしている人が多いように思います。昔大平正芳という政治家がいて、「アーウー」という口癖をよくお笑い連中がモノマネの笑いのネタにされた人がいました。首相も務めた人物で在任中に急病で逝去したのですが、その口癖をネタにされたことに対して「失礼だ」と秘書が怒ったそうです。しかしそれに対し「政治家でネタにされるようになったのは一人前の証拠だ。寧ろ喜ぶべきだ」と諭したという話があります。政治家もパロデイーの対象になるのは存在感、認知度があるからパロデイーされるのであるわけで、ネタにされないような政治家は寧ろ無能な政治家の証明といっていいかもしれません。

今回大ヒットの「あまちゃん」の脚本を担当した宮藤官九郎氏は、その内容を見ると日本国内に「パロデイー」の本当の意味の市民権を確立しようとしているのではないか、という気がしてなりません。 いずれにせよこの冴えわたる脚本がドラマの大ヒットの原因であることに疑いの余地はありません

|

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。