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2013年1月17日 (木)

情報化社会のパラドックスー「美しいもの」というものに鈍感になっていき情報感度も下がっている現代人

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Joshua_bell_playingairport

ある寒い1月の朝、一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。その時間帯は通勤ラッシュだったため、約1100人がその男の前を通りました。
 
3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいると気づき、足を止めました。しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後にはその場を離れました。
 
1分後、バイオリニストはやっとお金を稼ぐことができました。ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、彼女は止まることなく歩き続けました。
 
少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、腕時計を見るとすぐに歩き始めました。会社に遅刻しそうだったのです。
 
一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。それでも男の子はバイオリニストを聞こ うと足を止めます。お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。 他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。
 
彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんで した。稼いだお金はたったの32ドル。彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。拍手はなく、このバイオリニストを認める人は いなかったのです。
 

バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。それも3億円のバイオリンを使って。
 
彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、一枚一万円するものの全て売り切れました。
 
これは実際にあった話です。ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験としてワシントン・ポス ト紙によって行われました。私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?予想していない状況で も、才能を感じ取ることはできるのだろうか?
 
一つ結論として言えるのは、
 
もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?

私もストリートで演奏ということをやってみて同じ状況を経験した。 どんないい演奏しても人は立ち止まってくれない。そんな中でも一生懸命演奏しても微々たる収入しかないし、CDを買ってくれる人がいればもうけもの、という感じだ。

CDが売れなきゃライブで稼ぎゃいいじゃないか、それでやっていけるでしょ?なんてという人がいるけど実はそんな簡単な話じゃない。 ジョシュアベルのような一流の演奏家の演奏なら素晴らしい演奏で私ならじっくり聴いてみたいが、「情報」や「コンテンツ」が溢れすぎている現代においてはどんな美しいものに対しても人間が鈍感になってしまうということだろう。 これをマーケテイング用語で「ブラインド効果」というそうだが、情報化社会ではその「ブラインド効果」によって「美しいもの」「や「重要な情報」をシャットダウンしてしまうのだろう。

熱心に聴こうとしたのは子供だけ、というのが子供がいかに現代のシステムに毒されていないかということの証明でもある。 その意味では「情報化社会」とかいわれるが、人類や文化にとって本当にそれはいいことなのか? と考えてしまう

結局情報やコンテンツがあふれすぎると良質なコンテンツに対する感性も鈍くなり、くだらない内容のコンテンツの方が「需要」が出てくる、ということじゃないか、と思う。 「最近のテレビはくだらないから見ない」などと云う人が多い割にはくだらないバラエテイの方が視聴率が取れているという現実。 逆にジョシュアベルのような間違いなく歴史に残るような人が演奏しても誰も耳を傾けない。 すべてが表裏一体のような気がする。

つまり 情報量が増える事は、情報感度が下がる事

ではないかと思う。

これを考えるといくらストリートミュージシャンをやっていても情報やコンテンツが溢れすぎている現代ではそこから芽が出る可能性は低い。実際情報収集手段があるのに、課題を与えられても能動的に必要な情報を探す手段を思いつかないような人間は多い。またブログやウエブサイトの記述の記述の一部分のみを読んで「全て理解した、全て読んだ」気になっている人間が非常に増えていることを感じる。

情報化社会になってかえって情報感度が下がる、情報やコンテンツの理解度が減る。
残念ながらインターネットを中心とする情報化社会というものは結局人間の能力を下げてしまっただけではないかと思わざるを得ない

何たるパラドックスだろう。これこそ哲学者市井三郎のいう歴史のパラドックスでなくてなんであろう?

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