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2012年9月30日 (日)

歴史に残る作曲家はみな「職人」であり「職業音楽家」だった

取りあえず激務から解放され久々にのんびりとした毎日を送っていますが...(^^)

激務の間に気になる本がありましたのでこれに関して述べさせていただきます。

聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ) [新書]

 

 

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聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ)

この本は基本的にはクラシック音楽を好きになるための本ではなく、社会人として知っておきたい常識を身につけるための本。レコード会社が勝手に名付けたから売れたあの名曲、セールスマンと異名をとった巨匠・カラヤンの技…ビジネスでも使えるネタを満載した本ではあるんですが、ここで一点面白い記述があります。

よく作曲家の作品に「誰々に献呈」という書き込みがありますがこれを始めたのはベートーヴェンで、楽譜の表紙に書かれています。かくしてベートーヴェンの傑作の中に「クロイツエルソナタ」とか「ワルドシュタインソナタ」とかいう名前のついた作品があるんですが、実はこれは営業用で、「献呈」された貴族達から「報酬」をもらうというビジネスだったわけです。
しかしちゃんと合意がないと「報酬」が貰えなくて、ロシア皇帝に「献呈」したところ、皇帝は曲を貰ったものと勘違いして? ベートーヴェンは「報酬」を貰えずウィーンにきた皇后に、1曲献呈すると書いた手紙に「十年前の謝礼金をまだ貰ってません・・・」と書き添えて、やっと「報酬」を貰ったというエピソードがあるそうです。
つまり我々が知っている大作曲家というのは殆どの場合、「ビジネス」として作品を作っていたわけで、ベートーベンは独立した「個人事業主」としてそれをやる能力があったわけで、当時の彼のギャラは現在の金額に換算すると億単位のギャラをもらっていたようです。ちなみにベートーベン以前の作曲家はみな貴族や教会の「雇われ作曲家」だったわけで「音楽を作る職人」という使用人の役割を担っていたわけです。

実は作曲家として「個人事業主」としてやっていこうと最初に始めたのはモーツアルトといわれていますが、これはモーツアルト自ら望んでそうやったのではなく、音楽好きで知られた当時のオーストリア皇帝の啓蒙君主ヨーゼフ2世の死後後を継いだ弟のレオポルト2世が発端で、レオポルト2世は兄と違い音楽にそれほど興味を示さなかったため宮廷の経費削減のため抱えていた音楽家の多くをリストラ対象にしました。その関係でモーツアルトもリストラ対象になり「自営業」をやらざるを得なくなったという事情もあったようです。その関係で一般的にはモーツアルト極貧の中で死んだ、などというイメージが根強くありますが、実は最近の研究でそのイメージが誤りであったことがわかっています。実際宮廷楽人の職を解かれたあとも結構多くの作品の依頼が舞い込んでいますし、モーツアルトが「レクイエム」作曲中に妻のコンスタンツエは温泉療養にでかけています、極貧の生活の人間がやることではありません。(笑)

・最新の研究結果が明かしたモーツァルトはセレブ?!説
http://sky.geocities.jp/pape1625/page008.html

・墓もないモーツアルトの年収。病死の年に<5672万円>
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/44087971.html

このように「クラシック」の作曲家で現在私たちが知っている人の大半が実は「職業音楽人」なんですね。わずかにシューベルトとか20世紀に入ってからのシェーンベルク等の無調音楽派などがむしろ例外で、少なくとも19世紀のロマン派までの作曲家は殆ど「職業音楽家」でした。特に「オペラ」の作曲家の殆どは劇場付の「音楽を作る職人」でした。それがいつのころから極貧」というイメージにされてしまったモーツアルトとか、死後ようやく作品が評価されたシューベルトの生き方などが音楽歴史家によって変に美化されてしまい、「職業で音楽を作る」とか「お金で音楽を作る」といった考え方があたかも犯罪行為であるかのような見られ方がされてしまったわけですね。 クラシック系の世界ではまだそういう考え方が根強く残っています。変な話、彼らの方が音楽の歴史をきちんと理解していないように思いますね。

しかし大事な点がもう1つあります。この「職業音楽人」 である歴史に残る「クラシック」の作曲家は単にビジネスというだけで作品を残していたわけではありません。当然ながら歴史に残るほどのクオリティの高い作品を残していたわけで、いわばビジネスと芸術性が両立していた、ということがいえます。これは全てのジャンルのよい音楽についていえることで、私たちがスタンダードという名前の古典にしているジャズスタンダードナンバーにしても、60年代ー70年代ロックにしても興業的な成功だけでなく、「芸術性でも歴史に残る音楽になっていることはいうまでもありません。勿論中には作曲家の死後に評価を受けたり、評価が変わったりというケースもあります。しかしいずれも「芸術性「商業性(あるいは大衆性)」が両立した音楽であることは事実といっていいと思います。

しかしながら最近のJ-popをはじめとする音楽については残念ながらこれにあてはまる音楽ではないといわざるを得ません。音楽を「作品」ではなく「製品」として作るという考え方ーつまり「芸術性よりは「商業性」の論理が優先された世界になっており、かくして今音楽業界で「高い芸術性の音楽を」などといったら嘲笑と罵倒が待っているのが実情です。 私は音楽文化を復活させるにはそういう世界から一線を画したものにしなければならないと思っております。

聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ) という本で歴史に残る音楽を作った作曲家は「芸術性「商業性」が両立した音楽を作っていたという理解が広まればいいと思っております。

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