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2012年5月26日 (土)

音楽産業のマーケット調査不足ー中二病について

さて5月も終わりに近づきました。現在業務もさることながら会社の決算作業の大詰めだったりして相も変わらず慌しい日々を過ごしていますが、とにかく不況に加え音楽業界の厳しい状況等もありとにかく新たな対策が急がれている現状もあります。

そんな中友人より非常に面白い記事を教えてもらいました。ITメデイアの記事ですが作家・堀田純司さんの記事です。

■「中二」という病(やまい)と音楽産業
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1205/21/news073.html

一部記事を抜粋で引用させてもらいますが、非常に面白いので上記の記事をクリックして一読されることをお勧めいたします。

私が末席を汚す出版分野もご多分にもれず低迷がささやかれ、人様のことを心配している場合ではないのですが、音楽産業も「若者のCD離れ」といった話題で、不振がしばしば報じられます。原因は複雑だろうと思いますが、私はその理由のひとつとして、音楽産業が「中二病」の変化に対応できていない。現代の「中二病」にキャッチアップしていないのが大きいのではないか、と思っています。

「中二病」。それは思春期を過ごす少年少女の特有の、肥大した自我についてまわる青い妄想や幻想を指します。ネットを通じて流通し、今では一般社会 にまで浸透するようになった言葉だと感じますが、しかしもともとこうした思春期の「イタい心情」は、人間の歴史に普遍的に見られるものであり、昔から発症しアウトブレイクしてきた病でした。そして本来、音楽産業はこうした思春期的心情をよく汲み上げ、いわば思春期産業として機能してきたものでした。

 しかしかつての中二病。「中二病」という言葉が成立する以前の中二病は、今と変わらないようでいて、結構違います。それは「若さゆえの理想主義」 「社会への反発」「反逆ののろし」といった空気が濃厚で、「反抗期」などとも呼ばれました。そしてこうした気分は、もちろん娯楽分野にも濃厚に反映されて いました。

 たとえばアニメーションの巨大ロボットもの。中でも1979年に放映された「機動戦士ガンダム」などでは、少年が白い巨人と出会うことで、愚かな大人たちが起こした戦争に反発しつつも、巻き込まれる。そして社会を変革する(かもしれない)力を手に入れます。

<中略>

 

音楽産業もまた、もともとロックという分野が、ジャンル丸ごと「既存の社会体制や権力への反発」というテーマを持ち、青い暴走と反抗を全肯定する分野だったこともあって、こうした思春期的な心情を汲み上げることを、むしろ得意としてきました。バイクを盗んで走りだしたり大人のつくった秩序から卒業してみたり、自由に向かって発砲しながら列車に乗ったりして、思春期を迎え、若者ゆえの理想のために大人の世界の秩序に反感を感じていた少年少女たちの心を、鷲づかみにしたものです。ある意味、音楽産業と中二の幸福な時代でした。

しかし現代社会では、こうした思春期的心情もずいぶんと変化してしまいました。現代において「中二病」というと、社会への理由なき反抗よりも自分自身が焦点。具体的な例でいうと、自分自身のバックボーン(この世界の邪悪なものと戦う選ばれし戦士)や、それにともなう能力(邪気眼に代表される超常のパワー。悪を見抜く眼力や、手の平からビームが出るなど単純なものが多い)などの妄想を指します。

 これをこじらせると、たとえば友人に「やめろ。その程度の攻撃で俺は倒せん。死ぬぞ」などとささやいてしまったり、天候が悪化して黒い雲が空を覆 うのを見ただけで、「ついに来たか。覚醒の刻(とき)が」などとつぶやいてしまったりするようなハメに陥ります。この病は罹患しているときはほとんど自覚 症状はない。しかし寛解した後に思い返すと「アアーッ」と絶叫してしまうという、恐ろしい病気です。現代の「中二病」は、こうしたファンタジックな空想 に、重点を移してきました。

<中略>

逢いたくて逢いたくてとまらない現 代の音楽産業が、どうも恋愛過多に感じられるのも、かつては得意にした青い「理由なき反抗」がもはやメジャーエンターテインメントとしては通用しづらく なった。かといって会社の偉い人たちには、ロックは理解できても現代的中二は理解できない。そのために音楽産業への大切な入口である思春期の少年少女の心 をとらえることができていないのではないかと思います。

<中略>

さらに、ニコニコ動画にアップされる初音ミク音源作品なども、2次元キャラを依り代に伝えられるその歌詞がしばしば現代の若者の思春の心情を背景にもって おり、この分野が支持される理由は、実はボーカロイドのポテンシャルだけではなく、既存の音楽産業では経験のできない世界観も大きいのではないかなと思っ ています。初音ミクさんの紅白登場が待たれるところです。やるなら今年がよいのでは? もちろん赤組で。

こうした中二病の症状の変化は、よく言われる「大きな物語」の終焉が原因で、大人のつくったとされる社会秩序が反発するほど強固なものではなくなったためなのかもしれません。また、グローバル化が進み、ローカルな伝統や規範が希薄になって、あまり抑圧を感じさせなくなってしまったためもあるでしょう。

 先に例に出したロボットアニメでも、1995年放映の「新世紀エヴァンゲリオン」では、ロボットが革命の武器というよりは、もはや嫌がる少年を無 理やり搭乗させ、いやが応でも社会に直面させる装置というように変化していました(そしてその巨人は、場合によっては少年をくるみこむ、暖かいモラトリア ムの繭ともなりました)。ちなみにこの作品以降、社会現象とまでなるロボットアニメは現れてはいません。

<中略>

 そんな私ですが、昨年、さえないサラリーマンが中学生に転生し、美少女哲学者の講義を受けるなどという小説を書いたせいか、どうも中二脳に毒されてしまったようです。つい先日もテレビで「サルコジ氏を破ってオランド氏が当選」というニュースを見ただけで「そうか……。世界はヤツを選択したか」などと思ってしまいました。

 ただ、こうした症状は世界的にアウトブレイクしており、海外作品でも「狼族ライカンとヴァンパイアがどうたらこうたら」とやっているのを見ると 「あちらの中二も変わらないなあ」と感じます。よくも悪くも中二病とつきあうことは、現代人にとって大切なテーマになりそうです。

いや、実に面白い、なるほどなあ。と思いますね。

ロックが死んだ、とか最近の若者はロックを聞かない、とよくいわれますが堀田純司さんのおっしゃる「中二病」のからみもあったのかもしれません。

70年代の後半にかつてパンクロックやヘビーメタルが全盛のあと、いつのまにか「ロック」というものが単なる表面的な形式となり始めたときに、パンクと180度違う静かな音楽ブライアンイーノなどの環境音楽などが台頭したことがあります。猫も杓子も「体制をこわせー」とか「破壊しろー」などと絶叫していた時代には、ドウルッテイコラムとかブライアンイーノとかはかえって過激な表現に映りました。

うちの娘などを見ても思いますが、ロックの絶叫とか昨今の安っぽい恋愛のJ-popとかを聞いてもあまりリアリテイを感じない、というのは事実でしょうね。そしてそういった部分を音楽産業の連中の大半が理解できないでいる、というのも事実かもしれません。

しかし今時の中学生、思春期の子達が「過激」でないのか、というと決してそうは思いません。要はパンクの時代にアンビエントな音楽が「過激」であったように「過激」な表現というのが時代によって大きく違う、というのは事実かもしれません。

その意味であればAKBだけでなく昨今のアキバ系、声優、メイドさん等々というのも単なる「おたく」ひとことで片付けてしまうのはある意味愚の骨頂かもしれません。ある意味こういう表現が今時の「中二」の「過激」な表現なのかもしれません。

その意味ではおおいに参考になりました。

但し、昨今の「中二病」向けのコンテンツで特に音楽面では正直これでいいのか、と思う部分があるのも事実です。

その辺りは今私が考えている新しい音楽コンテンツのありかた、においてよく考えながらそれを反映していこうと思っています。

とにかくここでいえるのは、コンテンツの中身も以前と比べて大きく変わらざるを得なくなっている、そういう時代に今差し掛かっている、という点でしょう。

これを私も次の作品で何らかの形で反映できるように、構想を練って考えていきたいと思っております。

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