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2012年3月26日 (月)

ソフトシンセとハードシンセ併用

現在の受注案件。短い曲ですが大量の曲数の編曲をしなければならず現在その作業中です。

ここしばらくレコーデイング作業はソフトシンセの起用を中心にしていましたが最近またハードシンセの音源モジュールも多用しています。

Ongen_module

というのもソフトシンセ、確かに便利だし音源も豊富なんですが前にも書きましたようにどこか音質として線が細い、といいますかどこか物足りなさを感じているのと、使いなれているハードシンセの音が私自身の体になじんでいる、という事情もあります。特にピアノの音は以前別の記事にも書きましたが、Kurzweil K-1200の音ははずせません。

とはいえpro toolsに装備されているソフトシンセモジュールを始めKontakt player 4.0Vienna Instruments ドラムだとBFDといったソフトシンセは表現の幅を広げる意味で大きな力を持っており重宝しています。音楽制作環境ではpro tools8は導入してよかったと思っています。もっとも最近のpro toolsは(特に10以降は)殆どMA用ソフトになったといっていいくらい設計思想が全く違うので、もしかしたら当分pro tools8の状態で作業するかもしれません。

いずれにせよソフトシンセと使いなれているハードシンセ両方を併用することによってアレンジ、表現力の幅は広がりますが実は1つ大きな問題があります。

それはソフトシンセとハードシンセの間に遅延時間による「ずれ」が生じてしまう点です。

これはソフトシンセはMAC PRO内でDAWmidiのプロセッシングを処理するためほぼ時間差なしで処理されますが、ハードシンセは外部の機器にmidiケーブル経由で繋がっていますから、どうしてもそのケーブルによる遅延時間による「ずれ」が生じてしまいます。特にリズムセクションで両方を併用しますと顕著に現れますが、結局物理的な接続が原因のため結局波形編集で時間軸をあわせるしかありません。しかしこのことによって余計な手間が発生してしまうので何かよい方法はないか、現在考えているところです。

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2012年3月24日 (土)

音楽業界と自分の今の心がけ

音楽業界の現状を憂い、業界に対する批判記事も書き始めてもう長い。ただ幸いにして音楽業界でも「裏街道」を歩いているせいか、それほど強力な圧力はきていないが、音楽ソムリエ協会のS氏に対しては相当強い風当たりがきているようである。

ただ一応私は取るに足らない力程度しかないが、業界の一員でもあり実際に音楽制作その他の業務を行なっている者であり、その面でただ批判するだけの評論家でいることはできない。それじゃ2ちゃんmixiあたりで無責任に荒らし誹謗中傷をしているヒマ人連中と本質的に何ら変わらなくなる。

もう今の音楽業界はこのままじゃいかん、なんていうことは議論する段階などとっくに過ぎており私を含めて生き残るためにどうすればいいか、を真剣に考えなくてはいけない時期だ。正直他人のことなんかかまっていられない。自分がこれからどうするか、について考えて行動する時である。そのためには私と私の会社自身がじゅうぶんな力を持たなくてはならないのである。そして昨年辺りから「ネット偏重路線」を改めそれに向って進んでいたし、これからも進んでいくつもりだ。

ちょうど今NHKの大河ドラマ平清盛をやっているがそこでだいぶ前の放送に中井貴一扮する清盛の父忠盛(ドラマ上では育ての父親となっているが)が源為義に闇討ちになった時の発言を思い出す

「源氏と平氏どちらかすぐれているかの勝負はもう少し先に取っておけぬか? それは武士が朝廷に対して充分な力を持ってからでいいのではないか?」

そう自分自身が力をつけなくてはどうにもならんのだ。いくらこのブログで批判したところで負け犬の遠吠えでしかない。平忠盛がドラマで「わしは王家の犬で終わりたくはないのだ」と発言したように、私も負け犬で終わりたくはない。

実際にそれが実現できるかはまた別の話だが、最後の最後までその目的に向って動き出す所存である。

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2012年3月20日 (火)

新しいコンテンツ開発停滞も長いトンネルを抜ける気配が

2011年度ももうすぐ終わってしまう。現在私の状況はバッドニュースグッドニュース両方が混在する。

まずバッドニュースは昨年度から始めている新しいコンテンツの試みが諸事情によりしばらく停滞を余儀なくされてしまったこと。中止ではなく保留という状況だが、かなりエネルギーを投入しようとした矢先だけに残念だ。だが同時に最終目的である全く新しいサウンドコンテンツによる商品の社会的認知を広めようとする面で現況の戦略のみでよいのか、ということも考えなくてはならずいずれにせよ戦略の見直しを余儀なくされている。なかなか思うようには進まない。

もう一件も結局年度開けてからの動きになる模様で今年の始め意気揚々と準備していたものが結果として空回りになってしまった。しかし新しい流れなどそう簡単に構築できるものではない、こちらも気長にやっていくしかない。

しかしグッドニュースは久々に大手メーカーより大口の制作案件を受注し、しかもそれが今後大きく発展する可能性も秘めている点。実はうちの会社は多くの音楽事務所にとって悪夢の年である2002年以来、事業の柱となっていた大手発注元の流れが崩れてしまい、2002年はうちの会社も普通なら倒産してもおかしくない状況になった。それの穴埋めをすべく、うちの会社はネット経由のBtoBの受注をかき集め凌いできたため、2000年代の中頃は一時業績を回復させることができたが、2007年以降の新事業の失敗、そしてリーマンショックダブルパンチを受け、さらには1年前の大震災の影響等でトリプルパンチとなり正直会社としてはかなりヤバイ状況だった。しかし今回はその大手メーカーとの関係が構築し1つの流れとして周っていけば、ほぼ10年ぶりに事業の柱となっていた大手発注元を手に入れることになる。長い長いトンネルを抜けられる可能性が出てきた。そのために現在この仕事に全精力を傾けるつもりである。

そのためこの事業に今は全力投入し、会社としての事業の柱を構築しつつ引き続き新しいコンテンツビジネスの構築を模索、制作し続けることにしようと考えている。その意味では現在停滞、戦略の見直しを余儀なくされている案件も腰をすえてそれらに取り組む環境が整うことになる。その意味では2011年度はもう多くは望めないが、2012年度はかなりは明るい見通しが持てるのではないかと思う。これだけ来年度に明るい見通しができるのは本当に久しぶりのような気がする・

この流れが変わらないことを祈るのみである。

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母校の大学が100周年

私の大学が今月で創立100周年だという。

■成蹊学園 100周年特設サイト
http://www.seikei.ac.jp/gakuen/100th/index.html

その関係で創立者の中村春二に関する映画「たしかなあしぶみ」が作られ式典にて上映されるという。(中江裕司監督) 早稲田の大隈重信や一万円札の慶応の福沢諭吉などと違いうちの大学の創立者など誰も知らないと思うが、大正デモクラシーの流れの中で「真の自由人の教育とは何か」ということを模索した人物だという。人物伝を読むと共感できる面も多く、「自由」「自分勝手」の差が理解できない人間が増えている昨今の日本の現状を見ると、もっと中村春二の教育理念が知られてもいいと思う。  

在学中にチラッと耳にしたことはあったが、私が在学当事のうちの大学は(というか今でもそうだと思うが)某三菱グループがスポンザーになった大学で(毎年相当数の学生が「推薦」三菱グループ各社に就職している。就職だけはいい大学だった)教授も東大の学閥で占められていた。しかも安倍晋三元首相のような国家主義者(自民党代議士も複数輩出しているがなぜかいずれも「タカ派」である)も輩出した大学なので私の中で「リベラル」なイメージは大学に対して残念ながら残っていない。寧ろ私が大学でゼミを囲んだ教授は「思想の科学」で活躍した市井三郎(公式サイト:http://www.ichiisaburo.com/)で、思想各界で活躍し本来なら大学の看板教授になってもおかしくない人だったが、そうであるがゆえに東大学閥に煙たがられ大学の中では「窓際」に追いやられていた。そういうこともあって創立者の基本理念なども私に中では忘却の彼方にいってしまったのである。

ちなみに余談だが安倍晋三元首相がなぜリベラリズムを憎み国家主義に走ったかについてはOBの中で有名な逸話がある。もう首相はとっくに辞任したし、もはや政権政党にすらいないので発表しても差し支えないと思うが、安倍晋三が国家主義に走ったのは幼い時の「いじめ」トラウマが原因である。祖父である岸信介が当時60年安保の政策で大きな批判を呼んでいた時に、晋三の当時の小学生の同級生が「安保!! 反対!!」と晋三の席の周りを執拗に行進して周る事件が発生。晋三は毎日泣いて帰宅していたという。これは当時の成蹊小学校のPTAでも問題になり、「安倍君の近くで「安保!! 反対!!」と云わないようにとわざわざ生徒に対して指導をしたという。安倍晋三はこれが今でもトラウマになっているようで、かくして父親の故安倍晋太郎以上にタカ派になり、本来ならA級戦犯で収監されなくてはならないはずの岸信介の影響を最も強く受けた人物となってしまった。まあ大正デモクラシーの思想で創立された大学のOBとしては、どうであろうか?  

話がそれてしまったが、式典には「有名人」となった多数のOB OGが駆けつけコンサートも行なわれる。うちの大学はカシオペアの鳴瀬さんを始め本田俊之さんそして大御所では服部克久先生等、OBにミュージシャンが多い。しかしオープニングセレモニーで演奏する東儀秀樹がOBだとは知らなかった。その他司会進行のMCはアヤバンこと高嶋彩(政治学部卒業) アヤバンは元ミス成蹊で放送部だったから在学中から放送局に目をつけられていた。だからフジテレビに入局しても誰も驚かなかったのである、そして中村春二の映画「たしかなあしぶみ」の主演は鶴見辰吾もOB(これも知らなかった) なぜか映画のナレーション役にとどまっている今ドラマで人気の中井貴一は学部が違うが同期である(在学時によく見かけた) たいした大学ではないと思っていたがこうしてみると意外に有名人が多い。  

さて100周年記念式典、OBは早いもの勝ちで申し込めるようだが、さてどうしようか。100周年なんていう機会はそうそうあるもんじゃないので、行ってもいいかなと思うが正直卒業した学部と今全然違う仕事をしているのが大学に足を運ぶ動きを鈍らせている。どうするかはもう少し考えよう。そもそも式典なんて得意ではない、というか正直苦手なのだが式典で上映される映画は見てみたいと思っているので迷っている。  式典は5月12日、その前に短い曲とはいえ50曲の編曲→レコーデイングの仕事を済ませなくてはいけないので今はそれで頭がいっぱいではあるのだが,,

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2012年3月14日 (水)

「グローバル」に世界でつながる現代と音楽コンテンツのありかた

記事のタイトルで勘違いされないように始めにお断りしておく。もっとも私の記事を定期的に読んでくださっている方はわかって下さっていると思うが、私は今この国の中のメデイアその他で語られているいわゆる「グローバリズム」に対しては極めて批判的な見解を持っている。まして新自由主義市場原理主義に対しては私は嫌悪感すら持っている。だからこの記事のタイトルで私がそういう類の人たちと同類だなどと万が一思われてしまったら私は拒絶反応アレルギー反応すら起しかねない。

しかしここ一週間くらいで先日の記事でご紹介した海外の音楽のプロモーションツールの更新や、再度利用する作業を行なっているうちに、今さらながらインターネット時代には情報もコンテンツも国境に関係なく動き、露出されていることを実感する。
 今や日本にいながらにして、海外のラジオに自分の音楽を流すことも可能だし、その音楽を世界の人がどういう感想を持っているかもダイレクトに知ることができる。勿論CDや音楽配信の販売もできるし、運がよければ自分の音楽のライセンシング(テレビ、映画インターネットメデイアであなたの音楽を使ってもらえる)も可能だ。
 英語のサイトを読むという手間を厭わなければ、自分の音楽で世界デビュー簡単に行なうことができる。英語に苦手意識を持っている人は、ブラウザの翻訳機能を使えば大雑把な訳ではあるがだいたいの意味は理解できるだろう。全て皆さんのやる気次第だ。

 インターネット経由で不法コピーやダウンロードという問題が存在する一方、こうした新たなチャンスも生まれていることは認識すべきだろう。情報もコンテンツもネット内で露出する以上グローバルに世界と繋がっていることを避けることはできない。より世界中の多くの人に自分の音楽を聴いてほしければ、プロモーションツールを効果的に使うテクニックを身につければいい。インターネットが普及している現代では文化的鎖国をしようとしてもできないのである。

加えて今日本はドラマは韓流ブームだし、音楽もK-POPアーチストが活躍している。だがこうした情報やコンテンツが世界と繋がってい現代でも日本の音楽業界は相も変わらず日本国内しか見ていない。見ようとすらしていない。それは大きな問題だと思う。

こういう時代なら日本国内しか見ようとしない日本の音楽業界など無視して、自分の音楽で世界デビュー目指せばいい。しかし情報もコンテンツは今やグローバルに行き来するのだが、このグローバルの意味をきちんと理解しないと、日本国内では胡散臭い言葉になってしまう。

そもそも日本で「グローバリズム」 あるいは「グローバリスト」などといわれている人たちは本当の意味でグローバルな観点を持っているとは私は思わない。グローバルな観点をもつというのは、アメリカだろうがヨーロッパだろうがアジアだろうが対等、公正な条件で情報やビジネスのトランズアクションが行なわれることが大前提である。「アメリカではこうなっているのに日本がこうなっていないのはおかしい」とか言うのは単なる価値観の押し付けでありそこには帝国主義的な観点が見え隠れする。今日本で「グローバリズム」といわれている議論にはそういう帝国主義的なニュアンスを感じることが多い。私が日本のいわゆる「グローバリズム」に対しては極めて批判的な見解を持っている理由はまさにその点である。(困ったことにメデイアでもネットでもこの手の「グローバリズム」 が多数派ではあるのだが)

インターネットで世界と繋がってい現代だからこそ対等、公正な条件で世界中が繋がって情報やコンテンツが行き来しなければならない。決して特定の国の論理と価値観で構築してはならないのである。それが音楽文化の活性化になればインターネットがもたらして大きな恩恵に結びつくであろう。但しインターネットは確かに世界と繋がってい現し情報の検索その他では便利なツールであることは確かではあるが、あくまでツールであってそれ以上のものではない。いくら便利でもツールを過信するのは危険であると付け加えさせていただく。

しかし残念ながら日本の「グローバリズム」 といわれている視点の多くはまだそうなってはいない。果たして日本国内に従来マスコミで取り上げられているそれではない本当の意味のグローバリズムが定着させることはできるのだろうか?

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2012年3月11日 (日)

忘れられない日ー東日本大震災から一年を迎えて

あの日から今日で一年。

2011年3月11日は日本にとって忘れることのできない日になった。二万人の命が失われ、多くの人が考えもしなかった悲惨な生活に追い込まれ、今も住み慣れた土地に帰ることができないでいる。大地震と想像を絶する津波が人と建物、財産を飲み込み、原発事故はエネルギー政策に対する従来の価値観を変えざるを得なくした。それだけではないが、とにかくあの震災は第二次大戦の敗戦に匹敵するインパクトを日本社会に与えた。

この"311"はテロと自然災害(半分以上は人災だが)の違いはあるがアメリカ人にとっての"911"に匹敵するできごとである。あの時自分はどこにいて、何をしていただろう、ということを多くの人は思うに違いない。
その日、私は仕事場であるスタジオで作曲の作業をしていた。震源地から遠く離れていた自宅でも震度5強を記録し、パソコンやモニターを落ちないように懸命に抑えていたのを覚えている。震災のショックに輪をかけたのはよりによってその仕事は後になって私にとっては思い出したくもない仕事の1つに結果としてなってしまったこと。震災によって少なくとも4つの仕事が結果キャンセルとなり、年度末のかき入れ時に経営の面でも打撃を蒙った、そしてその後の計画停電により業務の進行にも支障をきたす事態も発生。本当に昨年の最初の三ヶ月は私にとっても最悪の時期だったといえる。

それは私の個人的な事情。もっとも深刻なのは震災から一年たっているのにもかかわらず被災地の復興が進んでいないこと。原発、放射能の関係でいまだに住み慣れた土地に帰れない人たち。瓦礫の処理も進まず復興の着手すらできないところも多い。日本の政治家の無能ぶり国民の生活よりは自分の保身しか頭にない日本の高級官僚(とりわけ原子量保安院などは震災発生時に適切な行動を取らなかったばかりか、嘘に嘘を重ねたという面で国民に対し重大な犯罪行為を犯したといってもいいだろう。今月で廃止されるが遅きに失したくらいだ)福島第一原発の対応も含め、東日本大震災は半分以上は間違いなく人災である。日本の政治行政が制度疲労を起している証拠でもある。

被災地の皆さんが心から笑顔で生活できる日は果たして来るのだろうか。そういう日が一日も早く来る日を願ってやまないが、仮にそうなっていても私たち日本人がこの東日本大震災を忘れることはないだろう。

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2012年3月10日 (土)

欧米のインデイースシーンで使われている音楽プロモーションツール

↓下の記事の続き

実は何で急にこんなことを言い出したかというと、私は元々そういう欧米の音楽プロモーションツールのアカウントをいくつか持っていた。しかし日本国内で立ち上げようとしていたさまざまなプロジェクト関係(多くは失敗に終わったが)やこのブログで何回も述べたがこれから自分の人生の勝負に出るためのさまざまなプロジェクト。それらについて頭がいっぱいだった関係で、そうしたプロモーションツールを長い間放ったらかしにしておいてしまっていたからである。

しかしよく考えればそれは大変損をしていることに気づいた。改めてそうしたプロモーションツールをよく見ているうちにもっと前から積極的にやっておけばよかった、といえるようなものがたくさんある。

そして今自分がやろうとしていること。

音楽に関する全く新しいコンテンツの開発これはいずれ今までにない作品を世に出すことを目的としている。

そして先日も私がフィルムスコアした作品がカンヌ映画祭に提出されたが、作曲家としては映画劇伴音楽作家としても動こうとしている。

これらはいずれも最終的には日本国内だけでなく、いずれは世界じゅうに対してプロモーションしなくてはならないプロジェクトである。その場合日本国内の業界の常識など全く無意味である。その際にはアメリカの音楽のプロモーションツール、欧米の音楽のプロモーションやアーチストのインキュベーションのメカニズムをもう一度検証し、理解することはこれからの自分の音楽人生にも極めて重要なことだと考える。この場合はっきりいって日本の音楽業界の常識などクソくらえである。

なぜ欧米社会では地上波のテレビのタイアップもない、いわゆるシチュエーション作りもない状態で音楽がプロモーションされているのか、なぜ次から次へと新人アーチストが育ちインキュベートされているのか?

それは欧米のアーチスト向けのインデイース、新人アーチストのプロモーションツールが非常に充実している。というのも大きいと思う。日本もいわゆるインデイース市場が大きく伸びているが、欧米ではそれ以上にどんどん伸びているのはそのためである。

それではどんなプロモーションツールがあるかというと

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2012年3月 9日 (金)

欧米では地上波のタイアップが殆どない点とインデイースのツール充実の現状を見て

ご存じの通り日本で音楽をプロモーションする場合、地上波テレビとのタイアップで音楽を露出させる、ということが一般的である。少なくとも日本国内では必須といっていい。

だが今頃になって気がついたのだがよく考えてみれば欧米ーアメリカでもヨーロッパでもー音楽を地上波テレビの番組やCM等でアーチストの楽曲をタイアップでプロモーションする、などということは殆どない。勿論有名アーチストの音楽をCMその他で使うことがあるが、それは多くの場合ライセンシング(権利使用許諾)で寧ろ例外的事象といっていい。ライセンシングだからマイケルジャクソンコカコーラCMにせよ、ローリングストーンズWindowsのCMにせよ、スポンサーから莫大なライセンス使用料が各アーチスト側に支払われている。

これに対して日本の場合、アーチストの楽曲をタイアップとして使用する場合はこうしたライセンス料は勿論のこと、著作権使用料も「プロモーション目的」という項目JASRACに例外事項として認められるためアーチスト側にも作曲家にもビタ一文の費用が支払われない。しかも一度タイアップとして使用されると多くの場合スポンサーからみの縛りが出てくるので、あとで二次使用したくてもなかなかできない等、アーチストの権利がいろんな意味で制限される。

はっきりいって日本のこの現状の方が異常である。

欧米で行なわれているライセンシングの現状が本来の姿であり、コンテンツ、ソフトが権利ビジネスであるという現状を考えると、本来こちらの方が当たり前なのである。

つまり日本と欧米ではアーチスト側と地上波のメデイア関連との力関係ー取り分け権利に関する力関係が完全にあべこべになっているのだ。

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2012年3月 2日 (金)

制作の「方程式」「マニュアル」とクリエイテイビテイ

さて、既にご存じの通り私はちょっと人が今まで創ったこともないような音楽作品を作ることを計画していますし、一方では先日カンヌ映画祭に私がフィルムスコアした短編映画が提出されましたが、こうした劇伴、映画音楽の仕事でも世界に出ようと考えています。一見前者は私のクリエイテイブな作品で後者はプロとしての仕事、という風に見えますが、実は私の中で両者はそんな形の線引きはされていません。

勿論映画、劇伴音楽は「映像のための音楽」であり映画監督の考え方等で大きく変わったりその他いろんな面での制約があります。その意味では前者と比べ自由度は少ないという見方もできますが、それでも世界で通用する「創造性の高い」作品を作りたいという考え方に変わりはありません。

ところで最近感じているのは、映画でも何でもそうですが作品の作り方の姿勢について私とは全く相容れない考えで作品を作ろうとしている人たちがいることがわかりました。それは作品の作り方には「マニュアル」「方程式」があり、それに従わないで作る姿勢を「シロウト的」と決めつけ、既存の方程式以外での作品作り方以外は受け付けない人たちです。本人たちはそのやり方を「絶対的に正しい」と思っているらしく、そういう人たちと話をしても全く話がかみ合わないですが、まあ長い間作家生活をやっていますが正直私の理解の範囲を超えた人たちです。

私が見るところクリエーターには大きく分けて2つのタイプがいると思います。一つは特定のジャンルの音楽に自分の世界を絞り、「狭く深く」自分の世界を追求するタイプ、そしてもう1つはジャンル等や特定の世界に自分を縛ることなく、幅広く自分が面白いと思う世界を取り入れる「広く浅く」自分の世界を追及するタイプ。私は明らかに後者に入るのですが、今の「マニュアル」「方程式」にこだわる人たちは必ずしも前者のタイプとも言い切れない部分があります。寧ろ作品を作る、製作するという姿勢に根本的に私にいわせると違う、と思う部分があります。

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