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2012年1月29日 (日)

映画交流会@お台場ー東京カルチャーカルチャー

私自身は一作曲家としてこれから劇伴、映画音楽の作曲の活動に主軸を置くつもりもあり、また少しずつではありますがその分野で成果も出始めてはいます。

そのきっかけを作ってくれたのは私の知り合いの映画プロデユーサーは定期的に企画している映画関係者の交流会で、今回は病み上がりの身ながらやはり入院で出遅れた部分を少しでも取り戻すべく寒い日ながら出かけました。それにしてもここ数年暖冬が続いたせいか今年の寒さはかなり身に応えますね。特に退院したての病み上がりの体には

毎年会場は違うのですが今年はお台場のZepp東京の二階(観覧車の真下)の東京カルチャーカルチャーで行なわれました。

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最近、どこの業界でも交流会というものが多いですが、多くの交流会は得てして人数を集める目的で全く関係ない分野の人もいたりしますが、(保険関係とか司法書士とか、最近は特に何をしているわけでもない学生も多い)この交流会は完全に映画に関わっている人間のみが参加しています。映画監督、プロデユーサー、脚本家、撮影のカメラさん、メイクさん、圧倒的に多いのは役者さん、モデルさん。等で音楽関係者は私ともう1人(しかも私の知り合い)のみでした。

勿論顔見知りの人も少なくなかったですが、大半は初対面の人でした。一応映画監督をしている人7人と名刺交換しましたが、この中で実際本当に仕事に結びつく人が果たしているかどうか。出てきて欲しいとは思いますが。

映画というのは総合芸術で異なった分野のクリエーターコラボレーションだと私は考えています。役者さん、衣装さん、メイクさん、カメラさん、音楽、その他大勢いますが、クリエーターというのはみんなあくの強い人種なので、そういう人たちをうまくまとめあげよい作品を作り上げるための交通整理をするのも監督の仕事だと思います。したがって監督と各分野のクリエーターさんはきちんとした信頼関係を築いていかないとよい作品というのは決してできません。

今回名刺交換した監督の中でそういう信頼関係を築ける人が出てくることを期待します。


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2012年1月27日 (金)

偉大なイメージクリエーター石岡瑛子氏逝去

訃報の記事はあまり書きたくないのだが、日本が世界に誇る偉大なクリエーターの訃報を聞いた時は愕然とした。

■イメージ創出の巨人”石岡瑛子氏、逝去

http://www.advertimes.com/20120127/article52221/

私がまだ学生の頃PARCOの意味不明、しかし強烈なインパクトを与えたCMが話題になっていた。仕掛け人は石岡さんである。

どこからそういう発想が出てくるのだろうという豊富なイメージを打ち出し、しかもそれを商業的な成功にまだ結びつける手法は身を置いている世界は違うとはいえ、石岡さんの作品はクリエイテイビテイの面でいろんな意味でお手本といえるものだった。

コッポラの「ドラキュラ でコスチュームデザイナー賞でオスカー受賞、その他にもシルクド・ソレイユ「ヴァレカイ」, ロックミュージカル「スパイダーマン」の衣装を始め数々の世界の舞台で活躍されたのは周知のとおり

80年代に渡米し、ニューヨークを拠点に活動をしてからは日本に戻ってくることはなかった。やはり昨今の日本の現状を察知してクリエイテイビテイを全く重視しない日本の現状に愛想がつきたのではないか、と思う。

今日本、特に音楽業界では失敗を恐れるどころか失敗を絶対に許さない状況で、そこには「売れセン」(と彼らが勝手に考えている)曲以外は受け付けない、そして一度でも失敗すれば永久に仕事は来ない、そんな世界になってしまっている。そこにクリエイテイビテイが入る余地はない。いや、寧ろクリエイテイビテイ存在自体を否定しているといっても過言ではない。私はこれこそ音楽業界が衰退している原因だともうだいぶ前から言っているのだが、どうせそんなことをここで言っても無駄だ、石岡さんは日本の音楽界のこんな酷い状況におそらくは呆れて嘲笑しているに違いない。

石岡さんの表現は一見難解に見えるが実はかなり単純明快である。そしてクリエイテイビテイ商業性が見事に融合した作品だった。これこそがアートを始めとする表現のあるべき姿である。

石岡さんの訃報は日本に真の意味の表現者がいなくなってしまった。そんなことを象徴するできごとのような気がしてならない。

心からご冥福をお祈り申しあげます。

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2012年1月25日 (水)

腸閉塞の緊急手術と本日退院のお知らせ

先々週の木曜日から原因不明の嘔吐と腹痛を伴ったため病院にいったところ緊急手術ということになり、二週間近くの間入院生活を余儀なくされました。本日無事退院しまして、また業務の再開を行なうことができました。しばらくは静養しつつの業務再開となりますが一日も早く完全復活を目指すべく活動しようと思います。

二週間近く業務停止の状態で、自分自身が勝負の年と考える一年で少し出遅れてしまいましたが、決して焦らず本年の業務に邁進しようと思います。

今回の入院中に実に多くの方にお見舞いに来ていただきました。本当に心から感謝申しあげます。ありがとうございました。

今後とも引き続きよろしくお願い申し上げます。

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2012年1月 7日 (土)

作曲家の林光先生がお亡くなりになりました。

長瀬君の訃報にも驚きましたが、こちらも驚きました。
続けて訃報の記事を書くことになろうとは
作曲家の林光さんがお亡くなりになりました。

林光氏が死去 「原爆小景」など作曲
http://s.nikkei.com/wAfrsV

若い頃私は青島広志の門をたたいていた時期があったのですが、林光氏は青島さんの先生に当たります。コンサートには何回か行った記憶がありますが直 接お会いしたことはありません。青島さんが世にでたのも「和製オペラ」の作品がきっかけですが、林光先生もその日本語のオペラにこだわった人で「こんにゃく座」の音楽監督を長く勤められました。

個人的には大河ドラマの「花神」(司馬遼太郎原作)のテーマ音楽がとても好きでした。

心からご冥福をお祈り申しあげます

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長瀬弘樹君自殺ーHNの「やわらかムーミン」がなぜ?

先ほど耳を疑うニュースが飛び込んできた、今年の最初の音楽記事が訃報とは

作曲家の長瀬弘樹君が亡くなった。自殺だという。彼とは直接会ったことはない。しかしmixiの音楽関係の掲示板で音楽業界や音楽文化について激論をかわした仲である。

正直いって彼とはお互い考え方は全く違い相容れない部分も多々あった。しかし日本の音楽文化を良くしたいという思いは同じだったと思う。まだまだ今後の音楽について議論してみたかった。特にあれから僕自身かなり理論武装したから

とても残念。とても悲しい。

正直に話そう。

実は当ブログのこの記事 
■新春コラムーいわゆるポストモダン時代のルーツ音楽の存在(例によって長文です)

この中に書いてある「知り合いの作曲家」とは実は長瀬弘樹君のことである。

実は私の知り合いの作曲家でこの東氏のシュミラークルの考え方を応用した試みをしようとしている人間がいる。昨今の音楽のありかたについて、オリジナル=ルーツ音楽と考え、ルーツ音楽のシュミラークルが増殖することによりかつては、「あるジャンル」とちゃんとわかるように」引用されていたものが、ゼロ年代においては、あるジャンルを構成する要素がばらばらに解体されて、R&Bのリズムでロック的なギターが入り、ラップをする、といういったような様相を帯びてくる。「ジャンルを構成する要素がばらばらデータベースに解体される」。それによってルーツ音楽の価値というものが事実上意味をなさなくなり、全ての要素は相対的なものでしかない。

よって彼は、「ルーツを知らなければいけない」という論には反対の立場をとりますが、「ルーツを尊重すべきだ」という論には賛成という立場を取り、それらのデータベースによる差異化をどう上手くやるかによって今後クリエーターの価値が出てくると考えているようだ。そしてそれは最近のJ-POP系のクリエーターのかなりの人間がそのように考えているようである。

さて、これに関する私の考え方を述べさせていただく。

まず東氏の昨今のネットや同人系の動きに関する分析に関しては確かに当たっている面はあるが、いくつかの疑問もある。

1. オリジナル作品とシュミラークルが作品的に同等というが、そもそもオリジナルが「それなりの魅力」を持っていなければそもそもシュミラークル自身が発生しないであろう。その「魅力」(例えばなぜ「萌える」のか、なぜ「はまる」のかについて)のデータベースについてはこの本では触れられていない。

2.もしシュミラークルな作品がオリジナルをしのぐとしたらそれはどのような場合なのか、そもそもシュミラークルな作品は「オリジナルと同等」と勘違いされているだけで作品クオリテイ的にオリジナルと本当に同等なのか。(例えて云えば宝石のニセモノを本物であるかのように消費者が買うのと同じなのでは?)

あと上記の作曲家のようにデータベースによる音楽について話をしよう。シュミラークルの 理論からすると、ロックもジャズもR&Bもクラシックも全て「相対化した」音楽の手法というデータベースの一種に過ぎないという。つまりそれらの データベースの「組み合わせ」に過ぎないのだが私が考えている大きな疑問の1つに、ではその「組み合わせ」によって人を動かせるほどの表現になるか、とい うことである。

音楽手法のデータベースというのは単なる作曲技法のエクリチュールに過ぎず、それは単なる表面的なものである。しかしその組み合わせで本当に「ノリ」とか「音楽の即興性」とかを表現できるものであろうか?ーつまり魅力」というものがデータベース化(オタク文化で云えばえばなぜ「萌える」のか、なぜ「はまる」のか、に当たる)できるのか?ということである、東氏はできると考えているようだが文化というのはそんな単純なものではない。

音楽に関していえば作曲技法のエクリチュールの機械的な組み合わせで確かに理論的には音楽ができる。だがそれは音楽の中の表面的な部 分に過ぎず、それが「カッコイイ」「ノリのいい」音楽になるかはまた全く別の話である。コンピューターミュージックの黎明期にイリアック組曲という音楽史 上初めてコンピューターで作られた音楽があった。それは音楽のデータベースを元にその組み合わせと情報理論を用いて作られたものであるが、歴史的には意味はあるものの音楽的にははっきりいってつまらないものである。

つまり私がいいたいのは表面的なデータベースだけを取り入れてもそれはその音楽のデータベースの本質「エッセンス」を理解したことにはならない。ということである。これは私が以前警鐘を鳴らした現代の情報社会の「わかったつもり症候群」にも通じている。「わかったつもり症候群」というのは断片的情報のみで判断する傾向のことをいい、データベースの表面的な部分だけを見てそれでそのデータベースの全ての部分を理解している、と勘違いしてしまうことをいう。例えば音楽でブルースは12小節で構成されているという基本中の基本を知らないで、昨今のJ-popの「R&B風のデータベース」で作られた音楽を聴いて自分がR&Bの全てを理解している、と錯覚してしまう点である。実際最近の若者にこういう人間が少なくない。勿論R&Bに限らない、ロックを始め他の音楽でも同様の傾向が見られる。

実はこれに関して彼から何らかの反論が来るかどうかも期待していた。かれは「やわらかむみん」というハンドルネームでmixiに参加していたがいつのまにか退会していたようである。

それにしてもどうして? 何も死ぬことないのに。 頭もよく才能もある男がなぜ自らの命を絶たなければならなかったのか? 本当に残念のひとことである。

遺書には「楽曲を歌ってもらって、もう満足した」と書かれていたという

心からご冥福をお祈り申しあげます。

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2012年1月 4日 (水)

2012年サウンドコンテンツ事業展望ー今年も激動に立ち向かいます

改めて明けましておめでとうございます。

今日から官庁の仕事始めでもあり、多くの会社で仕事始めになったようです。
今年も音楽業界は言うに及ばず、サウンドコンテンツ全般もよりいっそう厳しい環境になると思いますが、ひるまず挑んでいこうと思います。

既に何度も書いていますように昨年立ち上げた二つのプロジェクトがあり、今年のトッププライオリテイとしてこの2つの流れを大きくしていくのが目標ではありますが、それ以外にもう1つ可能であればプロジェクトを立ち上げようと思っております。というのも事態は私が予想している以上に動いている感があり、ここでもっと大きな流れを急いで作らないともしかしたら手遅れになるのではないか、という危機感も持っています。

CDが売れなくなった、といわれてから久しいですが、かといって音楽配信音楽業界の救世主になるというのはあらゆるデータを見てもそれは違うと思います。やはり音楽やコンテンツ全般の事業を復活するには根本的な発想の転換が必要だと思います。勿論私は音楽配信を否定するつもりはないですし、CD等のパッケージが無用の長物になったとも考えておりません。ただ、CDのパッケージのありかたは以前の形と大きく変わらざるを得ないということはいえると思います。いずれにせよ以前のような音楽業界のビジネスモデルが有効になることは「たぶん」二度とありません。

そこで今年は実現できるかどうかわかりませんが音楽の新たなビジネスモデルを作る試みを1つやってみようかと考えております。そのため現在企画をブレスト中ですが、企画なので通るかどうかはわかりません。でもトライする価値はあるのではないかと考えます。私的には決して非現実的な企画を書こうと思っているわけではありません。寧ろこちらの方がすぐに大きくなる可能性はあります。

とにかくいろんなことを仕掛けていかないとこの2012年は昨年よりもっと厳しいかもしれません。口開けて待ってたって仕事なんか来やしません。どんどん仕掛けることが重要だと思います。仕事はもらうもんじゃなく、作るもんです。

世界情勢や経済情勢を見ても今年が昨年よりよくなると考えられる材料は少なくとも今現在では何一つありません。そして今年は多くの国で選挙があり政権交代の可能性があります。私は日本も今年は解散総選挙の可能性がかなりの確率であると考えています。いずれにせよ激動の一年になるのは避けられないですし、たぶん円高株安の傾向がすぐに収まるとは到底思えません。ただ昨年の震災や原発のようなことは起きて欲しくないと思いますね。これは皆さんもそう思っているでしょう。

というわけで今年も精一杯がんばろうと思いますし、結果的には楽しい一年だったといえるような年にしたいと思いますので本年もよろしくお願いします

 

あけましておめでとうございます
   本年もよろしくお願い申し上げます

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