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2011年9月28日 (水)

事業、音楽家としての転換期

人生の転換期というのは誰でも訪れるものだが、今自分は人生で何回目はわからないがその転換期を迎えているのを感じる。

音楽家としてはかつての「ヒーリング音楽」「癒し系音楽」の作家というのはもはや過去のものになりつつあるし、今10月5日にてNHKのコーナー企画を皮切りに形になるのがいつかわからないが、今までにない(と思われる)音楽作品の創造への手順を始めている。たぶん形になるには1-2年はかかると思われるが、うまくすれば私の代表作になるかもしれない作品になる。ここで詳しくはいえないがエンタテインメント性も芸術性も両方そなえたものになるだろう。

そして元々私はこれから出発はしているのだが、映画、劇伴作家としても完全にシフトしていく。勿論うたもの等もやらないわけではないが、奥津恵のようなアーチストを少なくとも1からプロデユースするのはたぶんもうやらないかもしれない。

一方会社の経営という観点からいうと特に東日本大震災以降経営環境は厳しい状況が続いている。問い合わせの案件も減り、事業展開も厳しい。その中でいくつかの事業から撤退することにした。

■インペグ(音楽家派遣)事業
http://homepage1.nifty.com/hyb-music/impeg.htm

お客様各位
 
いつもお世話になります。
 
今まで多くのお客様のご愛顧をいただきました弊社のインペグ事業でございますが、昨今の市場状況(特に東日本大震災以降)ならびにブッキング等のトラブル も多発している現状も踏まえ弊社としては収益性の低下もさることながらリスクも大きくなっていると判断し、勝手ながら本年(2011年)8月末日を持って インペグ事業から撤退することにいたしました。
 
今後は本業の音楽制作とサウンドコンテンツ事業に専心し業績の回復を図る所存でございます。
 
お客様には今まで格別なお引き立てをいただきましたことを心から御礼を申しあげると同時に、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
 
2011年8月31日
 
有限会社ハイブリッドミュージック
代表取締役
大野泰史

さらにパッケージ事業も大幅縮小し、本業の音楽制作とサウンドコンテンツ事業に専心しようと考えている。

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2011年9月21日 (水)

付加価値をつけないと生き残れないコンテンツビジネス

まずいずれ正式にお知らせするが、私が兼ねてから企画していた音楽(サウンド)をテーマとした新コーナーのオンエア日が決定した。1分ほどのコーナーだが、不思議なコーナーだからたぶんおわかりになると思う。内容は見てのお楽しみとして、いずれ然るべき時期になぜあのような企画を考えたかをこのブログで記そうと思う。

さて、音楽や映像といったものを扱うのをコンテンツビジネス、というようになったのは勿論インターネットやウエブサイトというメデイアが出てきたからだが、そもそもコンテンツというのは中身、中に入っているもの、のことをいう。だからただのテキスト情報の場合もあるし、画像、映像、そして音楽等、システム、ウエブサイトの中に表示されているもの全般をいう。

そしてそのコンテンツビジネスというものだが、一見聞こえはいいが実は実態はかなり問題がある。

というのはインターネットというのはよくも悪くも世の中をフラットにする。つまりインターネットという世界は情報やコンテンツが結果として供給過剰な状態になる。だから以前もこのブログの記事を書いたが、(しかも反論らしい反論がなかったからおそらく皆さん認めているんだろう)インターネットというのは情報やコンテンツの価格を下げるー値崩れさせる特性があるために、価値が下がる方向に行くことはあっても決して上がる方向にはいかない。

平たく言えば例えば弊社で行なっている音声コンテンツ制作の仕事ープロのナレーターを使って編集、ファイル化する作業ーはプロフェッショナルな作業ではあるが、同時にノウハウさえ、持っていればどこの制作会社でも制作可能である。つまり「替わり」が捜せば必ずいる仕事だ、そしてインターネットで「替わり」を見つけるのは難しいことではない。そうなるとインターネットを通じて制約した仕事のコストは放っておくとどんどん低下していく。しまいにはタダまでいかなくともタダ同然に近くなっていく。それが残念ながらインターネットにおけるコンテンツビジネスの運命である。

それを「市場の要求だから当然だ」というかもしれない。いわゆる市場原理主義者的な主張だが、最近わかったのは新自由主義ー市場原理主義者ーとインターネット万能論者ネットに関してちょっとでも否定的なことを書くと過剰反応する人々ーのかなりの部分は実はオーバーラップしていることがわかった。全員ではないかもしれないが、たぶん6-7割はほぼ同じ層(いわゆるB層?)だろうと思う。(いずれ別のブログで詳しく書くが大半がおそらくニートフリーターといった「勝ち組でない」人たちだ。)

つまり今のままでいけばコンテンツビジネスに明日などないのである。

そうした状況に対抗するには方法は1つしかない。

それはいかにコンテンツに付加価値をつけるか、である。

前にも書いたがインターネット情報やコンテンツの価格を下げることはあっても上げることはない。よってインターネットのみでブランド化するというのは不可能であり、付加価値をつけるのも不可能である。

となるとやはりインターネットというバーチャルな世界ではなく、リアルな世界で付加価値をつけることを考えるしかないのである。

これも何度も書いているがリアルがあるからこそバーチャルがある。インターネットではいまだに既存のメデイアよりネットの方が優れている、とかネットを中心とした新たなシステムは既存のメデイアやシステムを凌駕するといった類の言質でないと納得しない人間が少なくないが、いい加減そういったインターネット万能論の夢うつつから醒めて、もっと客観的に現実を見るべきだろう。だから我々はリアルな世界で付加価値をつけることを考えるべきである。

その付加価値の付け方は様々であろう。まさにケースバイケースである。
リアルがあるからこそバーチャルがあることを念頭に付加価値をつけることができれば主導権を握れるのはコンテンツプロバイダーである。そしてそれによってしか、コンテンツプロバイダーの生き残る道はないのである。 

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2011年9月13日 (火)

セプテンバーコンサート2011年模様

今年は銀座「月夜の仔猫」での模様です。
こちらでは大野もピアノを弾いております。"911とその後の戦争の犠牲者に捧ぐ"
この曲は大野がセプテンバーコンサートでしか演奏しない曲です。

次は 「君の笑顔を見てみたい」です。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、二番の歌詞を間違えて一番を続けて歌ってしまいました。 正しい歌詞はi-tunesで聴くことができますので、よろしかったらダウンロードしてみてください。

http://itunes.apple.com/jp/artist/id314176779

これで恒例のセプコンが終了してしまいました。何か終わってしまうと個人的には寂しい思いがしますが、911で犠牲者になった人、そして大震災で家族を失った人には終わりが来ません。平和と復興への祈りは続きます。

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2011年9月 8日 (木)

FMラジオの今後の可能性ーネットとの連動

昨日FM戸塚 83.7MHZの10月編成に関してのパーソナリテイーミーテイングがFM戸塚の本社で行なわれた。

番組に関する紹介とかパーソナリテイーの心構えといった内容だったが、興味深かったのは今回64年ぶりに放送法が改正され、それに伴いコミュ二テイFMとはいえ、社会的責任が大きくなった(新しい放送法でいう「基幹放送」という位置づけになった)ことが報告された。

FM戸塚を始めとする多くのFM局が現在インターネットのサイマル放送(同時放送)を始めたことによって表面上既存のラジオといわゆるネットラジオの差はなくなったかのように見える。しかしネットラジオと既存のラジオと根本的に違うのは放送免許が総務省から交付される、という点。そうネットラジオは誰でもできるが、既存のラジオを立ち上げるには免許が必要なのだ。

実はこのたった一点の差が両者を決定的に違うものにしている。
そして不思議なことではあるが、その
放送免許というリアルなメデイアがあることによって不思議に「社会的信頼」、「安心感」というものをどこかに与える。

インターネットではそれを既得権益という枠組みにはめ、忌み嫌う風土がある。
既存のラジオ=マスゴミといった決め付け的な言質が2ちゃんとかに飛び交う。勿論最近のマスメデイアの一部の報道には本当にひどいものもあるし、マスメデイアの報道の内容も信頼感が落ちている。

しかしながらネットでは
いまだに既存のメデイアよりネットの方が優れている、とかネットを中心とした新たなシステムは既存のメデイアやシステムを凌駕するといった類の言質でないと納得しない人間が少なくない。

そうした観点は根本的なところを見逃している。

それは 
リアルがあるからこそバーチャルがある、 という点

そうインターネットは所詮バーチャルでありサイバー空間での話に過ぎない。、実はネット小僧で「俺はテレビなんて見ないし興味ない」などといっている奴に限ってブログを見たらテレビで話題になっていることしか書いていなかった。などということが少なくない。アメブロでFCでも芸能系、社会系、テレビ番組等の記事を書いたものがアクセスの上位を占めている。これはネット小僧がどんなに否定しようが紛れもない事実である。

よく考えれば当たり前の話である。バーチャルがリアルを超えるなんてことはありえないし、ポストモダン論者がいう、シュミラークルがオリジナルをクオリテイで超える、なんてこともありえない。にもかかわらずネットではいまだにそういう類の話が大真面目に論じられている。冷静に考えれば本当にばかげた話である。

今回FM局の幹部といろいろ話ができたことは有意義だった。ラジオは斜陽産業とか旧態依然の産業とかいう人がいるが、それだけに彼らの危機感は相当なものである。今回のサイマル放送(同時放送)が実現(これは特にコミュ二テイ放送にとっては悲願だった)したのも業界団体がJASRACやレコ協に粘り強く交渉してようやく実現したものである。(特にレコ協はこの導入に関して終始消極的で本当にしぶしぶやっと了承したという感じだった)

業界が衰退してもいまだに危機感らしい危機感を示さず、従来の方針に固執しているどこかの業界とはえらい違いだと思った。ラジオはもはやもうかる産業とまでは行かないかもしれないが、彼らなりに必死である。

こんな言い方をすると私がネットを否定しているかのように勘違いするおバカさんが時々いるのでいうが、とんでもない。いくら
サイマル放送(同時放送)があったとはいえ、ラジオは本当に聴かれなくなっている。特に若い世代のラジオ離れは深刻である。

だからこそバーチャルなツールも多く導入しないといけない。幸いにしてネットにはfacebook,、twitterを始めYou tube , U-stream等殆ど無料で使えるツールがたくさんある。タダで使えるんだからこれは使わない手はない。

要は1つのリアルなメデイアをベースにどれだけこうしたツールを使って最大限の効果を得ることができるか、と考えるのが重要なのだ。リアルをベースにネットツールを使って可能な限り広げる努力をする。勿論権利を配慮しての話だ。当たり前だが

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2011年9月 7日 (水)

【台風12号】那智勝浦町の被害と熊野那智大社

台風12号 県内各地で暴風雨、洪水 土砂災害警戒続く 和歌山
http://bit.ly/plJk7N

  もう20年も大昔の話ですが、この辺りへフィールドレコーデイングに行きました。当時発売されたばかりの立体音響が録音できるダミーヘッドマイク”アーヘナコプフ"を使って森の音、せせらぎの音等の自然音の録音にいったことがありました。 とてもいいところだっただけに大変心を痛めています。

今年は本当に大きな災害が多いですね。フィールドレコーデイングとはスタジオ屋外の音を録音する作業のことをいいます。私の初期の環境音楽の背景にある鳥の声、せせらぎ、波の音はこの那智勝浦地域でフィールドレコーデイングで録音されたものを主に用いています。当時はサウンドエンジニア2人、レコード会社のプロデユーサーと私4人で那智勝浦から山間の川湯温泉の地域まで行きました。この辺りは原生林が多いところで自然音の録音には持って来いの場所でした。特に川湯温泉は大塔川から温泉が湧き出てきて天然の露天風呂が存在する地域で、とてもよい思い出があります。鮎の塩焼きも食べられるほど水も綺麗でした。その川湯温泉も大きな被害に見舞われたようです。

 ■世界遺産・熊野那智大社にも土砂 http://bit.ly/rg5hZe

世界遺産の熊野那智大社も大きな被害で土砂に相当埋まったようです。ここでは那智の滝の音を録りに行きました。もっとも滝の音はダミーヘッドマイク”アーヘナコプフ"を使ってもピンクノイズのようにしか録れませんでしたが...

現地は道路や鉄道も寸断され復旧に必要な物資や機材の輸送もままならないようです。この辺りを行った人ならわかりますが山からすぐに海になるくらい平地が少ないところです。道路も山や海沿いに作るしかない地形なんですね。

復旧には相当な時間がかかってしまうようです。今年は大震災もありましたし災害が多い年です。もうこれ以上ないことを祈ります。

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2011年9月 5日 (月)

Freddie Mercury 生誕65周年

今日は偉大なアーチスト、Freddie Mercuryが生きていれば65才目の誕生日に当たる。
今年は没後20年にもなり、何となくその情報を聞いて感慨を新たにした。

私も「ロックオーケストラ」「オーケストラアラカルト」なるコンサートでQueenの曲をオーケストラとバンドでアレンジをしたコンサートを行なったが、今思うと余興の域を出ていないかもしれない。次の映像を見たらやはりFreddie Mercuryの替わりはFreddie Mercuryしか勤まらないのがわかる。

突然の訃報から20年、改めてフレデイの冥福を祈らずにはいられない。

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2011年9月 4日 (日)

人間の五感は元々アナログである。そのことが忘れられている気がする

台風が来て今朝方早朝に地震、本当に気分的に落ち着かないし今日は日曜日ということもあるので、久々にアナログレコードでクラシックを聴いた。
なんとシンフォニーを二曲聴いた

・ベートーベン交響曲第五番ハ短調「運命」 
  ブルーノワルター指揮 コロンビア交響楽団

・ブラームス交響曲第四番ホ短調
 ヘルベルトフォンカラヤン  ベルリンフィルハーモニー

ワルターの「運命」は歴史的な名演といわれる名盤で、個人的にはフルトヴェングラーの第五番より好きである、カラヤンの演奏は演奏の良さというよりはその録音方法、サウンドを楽しんだ。

アナログ盤は確かに針のパチパチという音はするが、やはり音の伸び、広がりは全然違う。特にストリングスの音はやはりCDとは全然違う。ソフトシンセの弦は確かに以前と比べかなりリアルにはなったが、このアナログ的な伸びのある音はさすがに出ない。

カラヤンは演奏についてはいろんな人が言っているが他のクラシックと違うのは、他のクラシックは殆ど一発録りが多いが、カラヤンはそこにミキサーを導入した。まだマルチトラックなどという概念すらない時代に多チャンネル的なミックスを取り入れた。だから他のクラシックよりは音が厚いし、ブラームスはトランペットは二本しかいないはずなのにどう聴いても4本のトランペットが演奏しているように聴こえる。日常的にミックスをやっている自分としてはアナログのサウンドを聴きながらいろいろと考えるところがあった。

当たり前だがCDは耳の可聴周波数の上限といわれる20KHZで切っている。アナログは高い周波数帯まで音が伸びているわけだが、経験上人間は必ずしも耳だけで音を聴いているわけではない、ことが最近の研究でわかってきている。だからCDは確かにSN率はアナログレコードよりはるかにすぐれているが、音の豊かさという点ではCDは絶対にアナログにはかなわない。スペクトラムアナライザーという周波数分析の測定器を使えば両者の差は歴然としている。

そんなわけでデジタル側としてはそのアナログの良さに近づくべく様々な革新を行なった。そもそもCDの44.1KHZ 16bit というのはデジタル草創期の四半世紀前に決まった仕様でもはや時代遅れのスペックなのだ。

我々が録音に使うpro toolsは理論上は96KHZ 24bitまで可能だが、私は標準を48KHZ24bitにしている。これは今使っているデジタルミキサーO2Rの都合もあるが、実は一度だけ96KHZ 24bitで録音した経験の感想をいうと「いい音のような気がする」というレベルでしかなかった。勿論数字上はサンプリングは48KHZと比べ倍のサンプリング周波数ー分解能ーがついているのだが48KHZ24bitと比べ音が倍良くなったかというとこれはなかなか難しいところである。理由はわからないが、おそらく人間の耳の分解能の限界を96KHZ 24bitという数字は超えているような気がするのだ。

ちなみに時々勘違いする人がいるのでいうが48KHZとか96KHZというのはサンプリング周波数であって音そのものの周波数帯域とは全く違う。サンプリング周波数でいうのはアナログの音をピックアップ(サンプリングという)する周波数で48KHZなら48KHZの周波数で音をピックアップ(サンプル)する速さのことをいう。音そのもの帯域ではない。当たり前だがデジタルである以上48KHZだろうが96KHZだろうが同じ20-20KHZの周波数帯域であり当然ながらアナログの周波数帯域よりはるかに狭い。

ここで「分解能」といったのはサンプリング周波数が細かいほど音の「決めの細かさ」が高くなる、つまりわかりやすくいえば映像の解像度のようなものがよくなるだけである。それが96KHZの帯域だと人間の耳の分解能に限界がある可能性がある。少なくともとてつもなくいい音になったという印象は得ることはできなかった。(ちなみに64KHZだと確かにいい音という感じはする)

このことを見て思うのは、結局デジタルでどれだけ「数字上」いい音であるはずだというデータがあっても、実は必ずしも人間が実際に聴感上の感覚に正比例するとは限らない、という点。つまり忘れられがちだが人間の五感はアナログである、という点である。

情報社会の現代は得てしてデータ偏重ー数字が全てであるかのような議論に行きがちである。だが実際には最終的にそれを享受するのはアナログ的な要素を持つ人間である、ということも忘れられがちだ。デジタルは確かに便利だが一方で人間の感覚を退化させる方向性に誘導する危険性があるように思う。

勿論我々はもはやアナログ主体には戻れない。だがアナログをあたかも石器時代の遺物のように蔑む態度はやはりいかがなものかと思う。

アナログ的な音の良さ、それを再評価する社会も重要だと思う。音楽を単に聞き流すBGMとしてではなくじっくり鑑賞する、そんな風潮がすっかり途絶えてしまったことを感じている。(実は先ほどのアナログのシンフォニーを聴いているうちに家族からうるさい、といわれた(笑))

そしてそういう風潮も音楽文化、音楽産業が衰退している一因になっているような気がしてならない。

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