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2011年8月16日 (火)

音楽業界私なりの結論4-日本人は「音楽」を買わない、「シチュエーション」を買う人が多い

さてシリーズが長くなったので過去3回の記事をやや乱暴に短くまとめますと

1.音楽業界が衰退したのは音楽を「消耗品」として売ってきたから、また「音楽配信」は本質的に情報やコンテンツを「使い捨て」にし、その価値を下げる方向にベクトルが動くのでCDに完全に取って代わるものではない。ネットへの情報は宣伝や告知に特化すべき

2.メジャーレコードや大手事務所に所属したところで安泰ではない。結局は自分で道を開き自立心を持たないとこの世界では生き残れない。

3.インターネットは確かに安価に告知できるメデイアではあるが過剰な期待をかけては必ず失敗する。またネットでまことしやかに信じられている「音楽無料論」や「ライブで稼げばいい」論は一般的には非現実的である。あくまで基本的にはリアルなプロモーションをメインにすべき

まあこれだけでかなり既存のネットの論調と大きく違うものだとは思いますが、これからはその音楽を売る話になります。しかしここでマーケテイング系のネット論壇(もし論壇といえるようなものがあるとすれば、ですが)の人からみれば邪道といえるバイヤーに対する問題点について考えたいと思います。先日あるマーケテイングの専門家に音楽業界の衰退にはリスナー側にも問題があるといったら烈火のごとく怒られましたが、実は音楽を「消耗品」として売らざるを得なかった背景は日本のリスナーにも問題があります。この傾向はアメリカ、ヨーロッパではそれほど顕著ではありません。ですからこの話は日本のマーケットに特化した話になります。

実はここだけの話、私はいわゆるネットマーケテイングとかアメリカ経済学のキャズム理論フリードマン経済学などを論じる人たちを基本的に信用していません。(笑) なぜそうなのかをここで説明しますととてつもなく長くなりますので割愛しますが、基本的には理論先行の頭でっかち、データ偏重の傾向が強く何よりも彼らの分析は数字のみで「人間」というものを全く見ていないように感じるからです。ですからこの人たちの論調を見ても現状を定量的には分析できていても定性的には分析できていないように思います。とある知り合いが「ネットマーケテイング」「アメリカの経済理論」ばかり読むと人間がどんどんバカになるから程ほどにしている」といっていたんですが、私はこの人に正直いって同意せざざるを得ません。

さて、前置きが長くなりましたが実は日本の音楽マーケットは欧米のマーケットの特質と大きく違う点があります。しかしこのことは日本の音楽業界を再建する上で避けて通れない問題です。しかもこれが日本の音楽業界再建に関して大きな足かせになる可能性があります。その特質とは

元々J-popというのは一般庶民にとって単なるコミュニケーションツールに過ぎなかった、という点です。勿論純粋にアーチストを支持した音楽ファンもいるにはいましたが実際そうではない人たちがJ-popのメインの購買層となった、という背景があります。具体的に説明しましょう。

1990年代、音楽業界がわが世の春を謳歌していた時代に売れていたCD、音楽とはドラマやCMのタイアップ曲だったりカラオケで歌いやすい曲だったりしました(ヒット曲がカラオケで歌われるのではなく、カラオケで歌われる曲がヒットした)。特にいわゆるトレンデイドラマ全盛の時は若者であれば「誰もが見るもの」であり、そのため「みんなが聞いているから」というのがCDや音楽を買う理由となっていました。つまり日本人の大多数にとって音楽はそのための単なる道具に過ぎなかったのです。音楽はコミュニケーションのネタであり、関係性を築くための道具であり職場や学校その他で「孤立しないための」道具に過ぎませんでした。

つまりここで見えてくるのは音楽を文化として享受するのではなく、音楽の周囲にあるシチュエーション(ドラマのタイアップ、カラオケetc etc) を享受するためのものに過ぎなかったという点です。もっと平たくいえば音楽を楽しんでいるのではなくシチュエーションを楽しんできたのです。つまりここで見えてくるのは日本人の多くは「音楽」を買っていたのではなくシチュエーションを買っていたという構図が見えてきます。

これは日本独特の構図といってもいいかもしれません。欧米にもタイアップのようなものはありますが、かなりアーチスト側で規制しています。よくも悪くもテレビに情報を流すという点では欧米は慎重になるんですね。それは自分たちの音楽が「文化」であるという意識があるからだと思います。

これというのも欧米では音楽のファンダメンタルズがしっかりしているからですね。アメリカの白人はカントリー、アフリカ系アメリカ人はR&B イタリアはカンツオーネ、フランスはシャンソンというファンダメンタルなルーツが存在します。勿論これらの音楽は大きく混ざったりしていますし、ラップ系のアーチストがハードロックとか、などということは珍しくありません。しかし大元のところではファンダメンタルズは健全に機能しています。

しかし日本には残念ながらそういうものはありません。だから音楽のルーツ、とかファンダメンタルズとかいってもリアリテイを感じない人が多いんですね。プロとして仕事をしている人の中にも相当数そういう人がいます。(特に若手の人に)

ちなみにIT系のポストモダン論者はその現象を「ルーツ」というものが意味をなさなくなった証拠だと分析しますが、それは音楽の表面的な部分しか見ていないと思います。もっといいますと音楽の発展の歴史をつぶさにみればその分析がいかに的を得ていないものかがわかります。といいますのはそもそもカントリーというのはアイルランド系移民の音楽とスペイン系のギターが交じり合って育った音楽だし、R&Bというのは当時奴隷だったアフリカ系の人たちがアフリカの音楽とヨーロッパの音楽を合体させてできた音楽だからです。つまり新しい音楽というのは絶えず違った音楽の遭遇、交じり合いでできて新たなルーツ音楽になるのです。それは音楽の歴史とその音楽語法を分析すれば自然にそういう結論になっていきます。

私はこの考え方を後程応用させたいと思っていますが、それは後程述べます。残念ながら日本には少なくとも現在は音楽のファンダメンタルズが存在しないのです。しいて言えば演歌ということになってしまいます。ちなみに日本の地方都市では演歌の世界はきちんと機能しているのがわかります。J-popよりよっぽど機能していますね。ただ私自身のフィーリングとして演歌はちょっとNGなので私自身は別なものをファンダメンタルにしたいですが..

長々と書きましたが要は日本人は音楽をそれほど好きではない、好きなつもりになっているだけ、といわざるを得ない部分があります。

勿論心の底から音楽を愛している人も少なくありません。ですが残念ながら社会の多数派とまでは行っていなかったのです。

でもなかには「アーチスト」を心から愛している人たちはいます。音楽業界の犯した最大の過ちはそういう人たちを大事にしなくなったというのも大きいです。そういうコアなファンー確かに数の上では決して多くはないかもしれませんが、まずはそこから音楽業界再建の道を始めるしかないんじゃないでしょうか?

しかし何よりも我々音楽を作る人間が決意を新たにして、新しい音楽の創造に励む必要があります。それはまだ日本にできていない日本人の音楽のファンダメンタルとなりうる音楽を作り上げるという命題です。簡単ではありませんがこれが結局一番大きいです。

最後の項でそれを述べます

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