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2011年4月28日 (木)

J-pop滅亡宣言

震災とかいろいろありましたが、とにもかくにもGWが来ました。

まあ私のこのブログはいわゆる音楽業界の表通りを歩いている業界人、業界人で残り少ない甘い汁を吸っている人たちからは極めて評判の悪いブログになってますが(笑) 今日は連休前というわけではないですがまたかなり過激で刺激的なタイトルにしました。

まあ私は日本の音楽業界の万年野党みたいなものかもしれませんが..まあそれはさておいて... 今日は日本の音楽界を再生するためにはかなり過激なことを考えないともはや駄目だという結論に至りました。例によってまたかなりの長文なので興味ある人だけ後半を読んでください。

まあ私はもう6年くらい業界の将来を憂い、さまざまなことを書いてきましたがもうはっきりいって絶望感しか日本の音楽業界に対して持っていません。

先週のオリコンチャートもチャン・グンソクがオリコントップを飾っているのを見てももう既に日本の音楽界はもはや事実上韓国や台湾のアーチストに完全に負けています。そして以前も話しましたが昨年の年間オリコンチャートはAKBが独占という誰が考えても異常事態。

そして1998年を皮切りに12年連続の右肩下がりの業界、一向に止まらない業界リストラや再編成の嵐。こうした状況にも関わらず、危機感のかけらも持っていないレコード会社やプロダクションの関係者たち。

私はもうだいぶ前からこういう人たちに何かいうのも疲れてしまいました。だって云っても無駄だもの。

こうして考えるうちにJ-popの現場がどうなっているかを改めて考えると3つのことに最近気がつきました。

1.低レベル化した制作現場

最近音楽業界がここまでひどくなったのは業界の元々あった体質も確かにあります。しかし結局はプロデユースするコンテンツのクオリテイも業界衰退の大きな原因ではないか、と
感じるようになりました。例えば記憶に新しいこのブログで一時凄まじいアクセスがありましたが、Ka-tunの盗作騒動
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/12/kat-tun-3543.html

ど素人の曲を盗作しても気づかない、なんとも思わない制作体制、

デイレクター連中は曲をそんなに聴いていないし、どの曲が一番いいか、きちんとした判断する能力もない、というのがばれてしまった。私がコンペに参加するのをやめたのはコンペに提出しても果たしてきちんと聴かれているのだろうか、きちんとしたコンセプトを持って採用しているのか甚だ疑問だったわけです。今回の事態はその制作体勢のお粗末さをまさに露呈しました。

(尚、掲示板等で誤解している人がいるようですが、あの 記事はKa-tunを責めているのではなく、制作スタッフを責めているのですKa-tunは寧ろこの件では被害者といっていいです。)

こんなプロとして恥ずかしいことが起きる、ということ自体ちょっと前では考えられませんでした。

2.頭でっかち理論で「音楽」をしなくなった作曲家たち

そしてもう1つ、最近特にJ-pop作曲現場の最近の考え方で妙な考えがあたかも正論であるかのように広まっています。

それは「現代ではもはやルーツの音楽の存在など無意味な存在になっている」という考え方。これはいわゆる主に>東浩紀氏の「動物化するポストモダン」の理論から「すべての文化が「データベース」に解体される。データベース同士も価値中立的なものと考えられます、そのためもはやルーツの音楽なんてものはもはな何の意味もなさない」という考え方です。

実はこの「データベース」を元に主に90年代中頃からいわゆる「ヒット曲」の殆どは作られていたことをご存じでしょうか? これあるスタイルの音楽ーR&B ならR&B  ユーロビートならユーロビート系 のサウンドがミリオンセラーになったら、その音楽のサウンド、歌詞等を徹底的に分析し「何が受けたのか」という点を「マーケテイング」の観点から徹底的に分析し、同様な傾向で少し趣向が違う音楽を作る、というメソードを行なうことです。つまり音楽というものをマーケットの観点からスタテイックに、冷酷なほど分析し、「データベース化」し、その「データベース」のコンビネーションをどう作るか、というコンセプトメーキングを行ないます。これはサウンド、アレンジは勿論ですがJ-popの場合特に歌詞に重点がおかれます。こういうメソードで音楽を作ることを「売れセン」の音楽を作るといい、音楽は作品ではなく「製品」として作られます(あえて創られますという漢字は使いません。使いたくもないです)

その結果、どういうことが起きたか? といいますとJ-pop好きな子はExileが本物のR&Bだと思い込んでいる人がかなりいます。つまりどういうことかというとJ-popの「R&B風のデータベース」で作られた音楽を聴いたからそれによって自分がR&Bの全てを理解している、と錯覚してしまい「ニセモノ」を本物と思いこまされている現象がおきているのです。例えば音楽でブルースは12小節で構成されているという基本中の基本を知らないし知る必要もない、基本中の基本を知らなくても「データベース」は全て相対化、しているからそんなことを知らなくても自分はR&Bの全てをわかっているなどという大勘違いが当たり前のように行なわれています。これは私が以前警鐘を鳴らした現代の情報社会の「わかったつもり症候群」にも通じているのですが残念ながら最近の若者にこういう人間が少なくないんですね。

つまり「体や心」で音楽をやっているのではなく(それも思いっきり頭でっかちの)」で音楽をやっている、これを突き詰めるとどうなるか、おそらくこの音楽手法のデータベースの組み合わせでできる可能性があるのは例えて云えば「ノリのないロック」「即興のないジャズ」風のポップスだったりする可能性が高いといえます。

これははっきりいって食べ物でいえば、食品添加物の塊のような食品を「本物の料理だ」といって出しているようなものです。日本人の大多数はそういった音楽に耳を毒されている傾向がはっきりいって強いと思います。

私はそんな音楽は聴きたくないし、作りたくもない。しかし皆さんのよく知っているいわゆるJ-popと呼ばれる曲のまあ全部とはいいませんが、まあ7-8割はこういう作られかたをしているといっても過言ではありません。

私は最近の視聴者はそろそろそれに気づき始めたのではないか、と感じています。そりゃどんなに味オンチな人でも食品添加物の塊のような食品を食べ続けたらげんなりするはずだし体にも悪い。それが最近のオリコンチャートにも反映されているように思います。

はっきりいいます。こんな音楽はそもそも文化なんて呼ぶのもおこがましい。単なる消耗品以外の何ものでもないと思います。それがJ-popというものの本質であり実態です。残念ながら..

いわゆるポストモダン論ばかり読んでいるとものごとの表面的な部分にばかり目がいって本質をあまり見ていないことが多いと思います。つまり私は音楽業界を立て直そうとするならまずJ-popそのものを否定、破壊するしかない、という結論にいたりました。「音楽のポストモダン」とかシュミラークルとか頭でっかちな音楽議論はもうたくさん。音楽の原点に立ち返り何が人の心を動かす音楽かをもう一度追及すべきだと思います。

平たくいえば、プロのミュージシャンたち全員に言いたいのは。

ちゃんとした音楽をやろうよ。きちんと地に足のついた音楽を

ということです。そのためには既存のJ-pop的な音楽の作り方を完全に否定するしかない、というのが私の結論です。

3.日本人は音楽が好きなのではない、音楽をめぐる「シチュエーション」が好きなだけ。

さて、視聴者のことをネガテイブに書くのはいかがなものか、という意見もあると思いますが、しかし残念ながら事実は事実として書かなければなりません。

実は元々J-popというのは一般庶民にとって単なるコミュニケーションツールに過ぎませんでした。勿論純粋にアーチストを支持した音楽ファンもいるにはいましたが、音楽業界はそうではない人たちをJ-popのメインの購買層にしました。理由は簡単でその方が人数的に圧倒的に多いからです。

従って1990年代中頃までは昔売れていたCD、音楽とはドラマやCMのタイアップ曲だったりカラオケで歌いやすい曲だったりしました(ヒット曲がカラオケで歌われるのではなく、カラオケで歌われる曲がヒットしたのです)。特にいわゆるトレンデイドラマ全盛の時は若者であれば「誰もが見るもの」であり、そのため「みんなが聞いているから」というのがCDや音楽を買う理由となっていました。つまり元々日本人の大多数にとって音楽はそのための単なる道具に過ぎなかったのです。音楽はコミュニケーションのネタであり、職場や学校の中での関係性を築くための道具であり「孤立しないための」道具に過ぎませんでした。

つまりここで見えてくるのは音楽を文化として享受するのではなく、音楽の周囲にあるシチュエーション(ドラマのタイアップ、カラオケetc etc) を享受するためのものに過ぎませんでした。もっと平たくいえば音楽を楽しんでいるのではなくシチュエーションを楽しんできたのです。はっきりいってこういう音楽の楽しみ方しか知らない人は本当の意味で音楽が好きなのではありません。

しかしこれは日本独特の文化の事情があるためです。つまり実はそもそも日本には最初から音楽文化といえるものはないのです。そんなものは明治の始めに殆ど捨ててしまいました。

というのもアメリカやヨーロッパの音楽も表面的にはカントリーやR&Bの語法がさまざまな形で混ざり合っているように見えます。しかしそのルーツ部分は健在です。それはグラミーの映像を見たってわかります。アメリカの白人にはカントリー黒人にはR&Bソウルというルーツがファンダメンタルとしてきちんと存在しており、また機能しています。

私は日本にはそうした「ルーツの音楽文化」がそもそもないため(強いていえば演歌)、「ルーツの音楽」というものがそもそもリアリテイとして感じないールーツの音楽といっても実感がわかないーという極めて不幸な状況下に日本はあります。従って先ほどの「ポストモダン論→売れセン」などという考え方の方が多くの業界人を始め視聴者の間ですら「リアリテイを感じるように見えてしまっている」のではないか、と考えます。

勿論心から音楽を愛する人もいるにはいます。しかし残念ながら社会の少数派といわざるを得ません。圧倒的多数は音楽を「好きなつもり」になっているだけで実は心底音楽文化を愛しているわけでは残念ながらありません。繰り返しますが単に音楽をめぐる「シチュエーション」が好きになっているだけです。

本来なら70年代フォークや昔の歌謡曲あたりがそのルーツ、ファンダメンタルを担わなきゃいけないと思いますが残念ながらそこまでなりきれていない、これは日本の音楽産業がそうなるのを阻んだといってもいいかもしれません。

以上の3つの部分を見るにつけわたしはもうJ-popなる音楽は寧ろ滅亡した方が音楽文化のためであるという「J-pop滅亡宣言」をここで行ないます。なぜならもうこんな音楽には未来がないからです。

しかし新しいものは必ず生まれます。否定だけでは何も生まれませんが、次のステップに行くにはまず「否定」と「破壊」から始まります。織田信長が近世のあらゆるものを破壊したように..

そして音楽業界には絶望していますが、まだ日本人には絶望していません。

 

なぜならやはりいいものはいい、ときちんと理解し評価してくれる人たちはいるからです先日ドラマですがJin 仁が日本でも高視聴率を記録し海外80カ国放送が決定しているという例もあるように

いいコンテンツであればそれが適正な方法で広まれば必ずいい評価はしてくれる、ということができます。

先ほどの3つの理由の3は、ちょっとどうしようもないですが、1と2なら我々で改善できると考えます。

どうせ私は万年野党(笑) でも誰かがこういうことをしなければなりません。とにかく日本の音楽界のそういった面から私は決別しようと思います。


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