Kyoji "metanature"
i-tunesでも好評配信中!!
i-tuneページを表示するにはお客様のPCにi-tunesとquicktimeがインストールされている必要があります。 i-tunes及びquicktimeのダウンロードはこちら





« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月26日 (水)

音楽マーケットは両極化する?ー世界最大級のジャズ専門店「diskunion JazzTOKYO」

世界最大級のジャズ専門店が開店 CD、LP在庫10万枚
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011012601000454.html

昨年11月、「世界最大級のジャズ専門店」をうたい文句に開店した東京・お茶の水の「diskunion JazzTOKYO」。新品・中古のCDからLP、DVD、書籍まで、ジャズに関する膨大な商品を一堂に集めた店内は壮観だ。

 ビルの2階、約330平方メートルの売り場に新品CD約1万5千枚、中古CD約2万枚、LP約2万枚が並ぶ。在 庫を合わせれば約10万枚。平日の午前中からお客さんが続々来店し、熱心にお目当てのものを探すさまは、音楽ソフトをダウンロードすることなど想像もしな かったひと昔前をほうふつとさせる。

 「本当に音楽を好きな人たちは、デジタルだけでは飽き足らず、今もパッケージ(CDやLP)を買っています」と 話すのは、ディスクユニオンでお茶の水ソウル/レアグルーヴ館と新宿ジャズ館の統括責任者を務める塙耕記さん。団塊世代を中心とした昔からの顧客の中に は、1枚10万円以上のLPを買う人もかなりいるという。店頭には35万円以上の値段が付いたLPもあった。

 店名に「お茶の水」ではなく「東京」を冠し、英語表記にしたのは、海外からのお客さんを意識したため。

                                               

私はジャズも結構好きなんだがお茶の水は結構家から遠いためまだ一度も行っていない。音楽不況とかういわれて久しいがこの「diskunion JazzTOKYO」は高い人気を誇っているという。

まあ団塊の世代、それ以上が多いというからある程度納得。おそらくこの店に行く人の大半は配信ダウンロードなどをしない人たちだと思う。しかしだからといって彼らを「時代遅れのアナクロ」と決めつける向きがあるとしたらそれは短絡的な見方といわざるを得ない。

私は「アナログ」の良さもある程度経験してきた世代だからいうが、正直いってデジタルの音ばかり聞いている若い人にも是非騙されたと思って聴いて欲しいと思う。確かにデジタルに比べてSN比は悪いが、高音から低音の音の伸びと豊かな音質はデジタルでは絶対に出ない音である。はっきりいってこの良さがわかってしまうととたぶんmp3の音なんて聴けたもんじゃない、と思うはず。

実際CDが誕生して長いが結局アナログ盤は絶滅どころか最近ではクラブ系、ブートレグ系でしっかり生き残っている。ドラムエンドベースの低音の伸び、ヒップホップの強力なキックはCDで出すのは限界があるからだ。スクラッチにしてもやはりアナログの方が当たり前だがやりやすい。実際クラブ系のみならずアナログ盤自体の復権の傾向はあちこちで見られる。

diskunionの方もおっしゃっていたが「本当に音楽を好きな人たちは、デジタルだけでは飽き足らず、今もパッケージを買っています」というのはアナログ時代を経験した私だからよくわかる。最近は良い音を良い音楽の再生環境で聴くという機会が本当に少なくなってきたが、最近秋葉原の「コイズミ」(コイズミ無線)でスピーカーの試聴会とかに来る人が増えているという情報もあるようだし、まだ昔の「オーデイオマニア」的人種が復活の兆しがあるのかもしれない。

勿論こういう人たちを「マニア」と決めつけるのは簡単だが、この傾向と最近の配信の動向を見るにつけ音楽のマーケットはこれから両極化する可能性が高い、ということである。J-pop等に三文程度の価格しか払わないで配信のみで済ます人たちと、何万円出してもいいから名盤をアナログ盤で楽しみたい、良い音楽良い音質のためにはお金を惜しまない人たちの両極化である。だから本物を良さを知っている人たちのみを対象に付加価値をつけて音楽を売る、という戦略はこれはこれでアリである。

またこれからの音楽文化の復権ということを考えるとこういう人たちを大事にしないといけないと思う。なぜなら消耗品でない音楽の良さ、音質の良さというものを理解している人たちだからだ。その良さを何とか次世代に伝えることができれば、と考えている。

はっきりいって今時のポップスがこういうところで扱われるなんてことはないだろう。少なくとも今のJ-popにはみんな三文程度の価格しか払わないのかもしれない。というのもその程度のクオリテイしかない、消耗品程度の価値しかない、と思われているから。それはここ数年の状況を見れば明らかだ。

はっきりいってJ-pop「名盤」なんてないよな。日本の誰々のアーチストのアルバムは名盤で永久保存版、というのはあまり聞いたことがない。最近のは特にそうだ。今FM等でパワープレイされている曲で10年後大事にされる、なんてことはないだろう。おそらくカバーされるなんてこともたぶんない。 もし「違う、こういうのがある」、というものがあれば教えてください。

いずれにせよ「二束三文程度の価値しかない消耗品の音楽」「名盤」として高いお金を払いたくなる音楽、とこれから両極化するだろう。私自身はどちらの音楽を目指すか、それはいわなくともわかるだろう。後者を目指すに決まっている。


|

2011年1月20日 (木)

KAT-TUN側がボーカロイド楽曲の『影響があった事実』を認める 

個人的な事情だが実はいったん頭の中を空っぽにしようと思っていたので、「ネットの時間を最小限にして頭の中を整理したい」と思っていた矢先だったのだが、今朝たまたまブログのアクセスをチェックしたら普段とは桁違いのアクセスがあったことに気づいた。

原因はこれらしい。
■KAT-TUN側がボーカロイド楽曲の『影響があった事実』を認める 「事実を認めて頂き然るべき処遇をして頂く」             

ご存じの方も多いと思うが実は昨年の12月のこういう記事を書いた。

■KAT-TUNのボーカロイド曲盗作騒動に見る制作体制の御粗末ぶり
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/12/kat-tun-3543.html

「影響があった」となどという回りくどい言い方をしているが、上の私の記事で両者を比較しているのでどうにも「言い逃れ」ができなくなった、ということかもしれない。両方聴けば誰の眼にも明らかだからである。

上記の記事を書いた手前、これに関して何か書かなければ、と思ったがもともとが呆れた内容なので「やっと認めたか」としかいえない。現在制作スタッフが大変なことになっているのは想像にかたくない。というかこれどう考えてもプロの仕事じゃないだろ?

何よりも怒りを通り越して呆れるのはプロがどシロウトの曲を盗作した事実に関して何とも思っていないこと。これじゃ日本の音楽制作スタッフがアマチュアになめられても仕方ない。一応プロレベルで仕事している自分としては恥ずかしいとしかいえない。

「円満に解決」はおおいに結構だが、それでは今回の問題の本質を解決したことにはならない。現在の音楽の制作体勢、特にコンペの体制が本質的に機能していないことが今回の事件で明らかになった。それと全部他人まかせ、スタッフの問題意識の欠如、さまざまなことが重なって今回のことが起きた。ここの部分を徹底的に洗い直し制作体制を根本から見直すことから始めないと再発防止にはならないだろう。

何よりもコンペが当たり前になったことでプロの作曲家を尊重する風土、音楽のプロに対して敬意を微塵も払わない風潮が音楽界、芸能界にすっかり定着してしまった点が大きな問題だ。制作される音楽の質がますます低下し、音楽を百均の消耗品のごとく使い捨てにするのが当たり前になった業界。この風潮に対して何の疑問も持たないレコード会社のスタッフ。それら全てをもう一度0から見直すべきだと思う。音楽業界の再建はまずそこから始めないといけない。CDが売れないとか違法コピーがどうのこうのという以前の問題だ、


|

2011年1月18日 (火)

アップルのS ジョブズCEOが病気で休養

米アップルのスティーブン・ジョブズ最高経営責任者(CEO)は17日、従業員に電子メールを送り、病気のため休養することを明らかにしました。

Appleのスティーブン・ジョブズCEOが療養休暇入り
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1101/17/news109.html

まあいろいろと議論はあるだろうけどi-tunesを始めとした現在の音楽配信のインフラを作った最大の功労者の1人といえるでしょう。またi-phoneを始めとするスマートフォンの流れについてはここで説明するまでもないと思います。

確か昨年はすい臓ガンの手術を行なったことを発表したし、その前にも心臓疾患がある等健康にさまざまな問題を抱えながら激務をこなしてきたようです。一日も早い回復をお祈り申しあげます。

ちなみにスティーブン・ジョブズから従業員宛のメールの日本語訳だそうです。

http://www.gizmodo.jp/2011/01/post_8338.html
 


|

2011年1月16日 (日)

音楽プロモーションに関する「机上の空論」廃棄のすすめ

とりあえず企画関係がメドが立ったので先日の記事が結構アクセスがあったのでその関係でもうひとこと書かせていただく。

音楽業界が低迷してもう12年以上になり、これは日本だけではないが世界的に音楽の文化が危機的な状況にある。昨年のJ-popの年間チャートを見れば純粋な意味でのミュージシャンは1-2人しかベスト20にいなかったし、「世界のロックの都」といわれるイギリスでも純粋にロック系のアーチストが年間チャートベスト10に入ったのがわずか3人というありさま。音楽文化が危機的な状況にあるのは日本だけではない。

またそうした背景とともにインターネットの普及に伴い従来とは違う新しいプロモーション方法ができるのでは? という議論がネット草創期から沸騰し一時は音楽業界が低迷しているのはインターネットをうまく活用していないからだ、などという言説がまことしやかに流れた。
それで私自身もだいたい10年前くらいからインターネットを利用したさまざまなプロモーション方法、いわゆるロングテールな観点からの音楽のマーケテイング、アーチストのインキュベーションなどあらゆることにおいてさまざまな試行錯誤を行なった。

しかし前にも書いたがうまくいったものはほとんどなかった。

先日Twitter関係で津田大介氏と議論した時にやはり予想通り議論がかみあわなかったが、津田氏の著書自体には私自身異論がある部分もあるが、まあ他のITジャーナリストと比較の上ではまだバランスが取れている方だと思う。

ただ、津田氏が著書の中で音楽を無料にすることによってブレークした「成功例」を揚げ、だからこそ無料化も有効だ、というのはやはり違和感を感じる。津田氏の「成功例」を大きく分けると二種類あると思う。

1.ビッグアーチストが「戦略的」に無料公開してファンを弾き付けるプロモーション戦略、

2.新人アーチストが大規模なライブに、youtube等にたまたま露出して(その中には偶然中継があった等良い偶然がいくつも重なった)ブレークした例。

1.は云ってみればデパートやスーパーがよくやるお客を呼び寄せるための「出血大サービス」と本質的に同じである。そのことによってコンサートやグッズ販売をする戦略(先日の坂本龍一の無料USTも基本的には同じ)と、そして2の例は私にいわせれば「たまたま偶然」が重なって「たまたま無料戦略が成功した例」である。つまりいずれも私にいわせれば「特殊な例」ーたまたま成功した例ーの範囲を超えているとは思えない。

先日の記事でインターネットでいまだにまことしやかに伝わっている多くの議論はこの「成功例」によって誤った認識、誤ったイメージを結果的に広めてしまったことを問題視した。そして私はそれは大きな間違いである、と書いた。つまり下記のような認識である。

1, インターネットでコンテンツを無料でコピーし放題にすれのが最良のプロモーション方法である。

2.CDが売れなくてもライブで稼げばいい。それでミュージシャンはやっていけるはずだ。

3.インターネットは低価格でプロモーションでき、そのうちマスメデイアを凌駕する影響力を持つはずだ。

まだまだあるがこうした私に言わせれば極論、暴論がインターネットではあたかも正論であるかのように伝わっている実際津田氏の支持者の中でも上記の3つの項目を正しいと信じている人間が多いように思う。ネットにそういう雰囲気があるからこそ先日の記事メリデイアンローグが無料化システムを打ち出しアーチストに参加を呼びかけた。メリデイアンローグには悪いが成功するとは到底思えないし参加するアーチストもそれほど多くないであろう。特に最近は数年前と違って「ネット万能論」「ネット礼賛論」を真に受ける人間はネットのみかけとは裏腹にそんなに多くない。(というかいまだにそんな妄言を信じ込んでいる人間がいること自体が驚きだが..)

厄介なことに上記の3項目はあたかも正論であるかのように伝わっているために、一見頭の上ー机上やPC上では充分可能なことであるかのように思われやすい。しかしはっきりいわせてもらうが上記の3項目は全て机上の空論である。たまたま「特殊な例」が成功したからこれが正論であるのように主張するのはおかしい。もういい加減上記3項目のような机上の空論を廃し、もっと現場の現実的な観点から現在の音楽業界をどう立て直すかといった議論の仕方をすべきである。何どでもいうが私は上記の3項目のようなことを5年前からやってことごとく失敗している。そして今冷静に考えていかに自分が非現実的であったかについて恥じている。

インターネットが完全にマスメデイアに完全にとって変わるなどというのは戯言に過ぎない。だいたいそんなことを主張すること自体インターネットというメデイアの本質を理解していない証拠だ。なぜならインターネットはその本質からして「パーソナル」なメデイアであって「マスメデイア」ではない。だからインターネットとマスメデイアを比較すること自体本来おかしいのである。

ただ、津田氏が著書の中でTwitterがらみでのインターネットで非常に当たっていることを云っているのでそれは引用しよう。この言質は私は評価する。

Twitterはマスメデイアの情報を補完するものである」

インターネットの本質はまさにそれである。便利なツール、マスメデイアにない情報を補完するツール。そしてそれ以上でも以下でもない。音楽のプロモーションについても全く同じである。だから過剰な期待をするのはおかしいのである。

|

2011年1月13日 (木)

音楽の「無料」提供論についてのネットでの論調について

ちょっといろいろあってしばらくブログ更新ができませんでした。今年は割りとこのくらい間があくことがあるかもしれません。しかし先日Twitter関係で津田大介氏とちょっとやりあった(というほどでもないか)のでそれに関する記述はしておいた方がいいでしょう。

きっかけはメリデイアンローグの公式ページのこの記事から
http://meridianrogue.com/pc/oas.html

まあ要はアーチストのファンを増やすために自分の作品を「無料公開する」という話ですが、私はこの実験をすでにもう5年前から実施しているので「たぶんうまくいかないよ」といった類のつぶやきを行いました。
当然ながらそれを支持する人と批判的な人に分かれましたが(概して音楽、ミュージシャン関係は批判的)その一環で私が最近よく当ブログで書いている「コンテンツをコピーし放題にすればプロモーションになる」などというのは大嘘、という書き込みに津田氏が反応したのが発端です。
まあこの主張は津田氏の主張と相容れないのはわかっているけど、ネットユーザーのかなりの層が「コンテンツをコピーし放題にすればプロモーションになる」という私に言わせれば「神話」に過ぎない見解を支持するには理由があります。それは一応「成功例」があるからででそれは津田氏の著書に書いているRadioheadPrinceの例です。

しかし実はこれが大きな問題なのです。

というのはこれは超ビッグネームがあくまで一時的な戦略としてインパクトを与えるためにあえてやっただけの話。だから「特殊な例」なのです。「あのアーチストの音楽が無料」ということに大勢のネットユーザーが反応して成功した例なのです。

しかしこの「成功例」は同時にネットユーザーの中に大きな誤解と誤った認識を植えつけました。

つまり「この成功例があるから全てのアーチストが同じことしても成功するはずだ」という考え、イメージが一人歩きしてしまった感があります

それが音楽に関するコンテンツビジネスに関して誤った認識を結果的に広めてしまったように思います。音楽に限らない話ですが基本的にコンテンツビジネスは権利ビジネスなんですね。だからクリエーターは自分の作品のロイヤリテイで食べていくしかありません。

しかしこの「成功例」が広まったためにそれを放棄せよ、などという雰囲気がネットで非常に強くなってしまったのが問題です。この「成功例」はその主張の根拠だったりします。

津田氏の本は確かによく調べてみますが、津田氏が上記の2件以外に上げた「成功例」を詳しく見ますと、「無料化」以外のさまざまな要素ー私に言わせれば偶然ーが重なったために起きた「成功例」のように思います。つまりどれも特殊な例の範疇を出ていないように私には見えます。この特殊な例があるために「音楽をネットで戦略的に無料にするのは有効」といった誤ったイメージがネットですっかり定着してしまった感があります。あたかもこの「成功例」が一般法則であるかのように考える人が結果として非常に多くなったような印象があります。

津田氏は著書の中でこの「成功例」一般法則であるとは云っていない、と本人から直接伺いました。確かに津田氏の著書にはどこにもそう書いてありません。

ただ、

ネットユーザーの中のかなりの割合の人がこの「無料化」が一般法則であるかのように受け取っているように私には見えます。RadioheadやPrince, マドンナ、リリー・アレンやマイ・ケミカル・ロマンス、アークティックモンキーズがこのやりかたで成功したのだから全てのアーチストが同じことしても成功するはずだそういうイメージが何となく一人歩きしている感じがしています。

しかしここで声を大にしていいます。

それはとんでもない間違いです。

現場経験した人間の実感です。

勿論レコード会社や作家が「自主的に」無料化することに関しては、戦略としては否定するつもりはありません。人がすることですからそれにはとやかくいいません。

しかしそれをあたかも「絶対やらなければならないこと」であるかのように云うのは全く別の話です。今ネットでは確実にそういう雰囲気があります。

最近の音楽業界に関する議論、特にネット内での議論ですが、私自身非常に違和感を覚えるのは音楽業界のシステムやその他モロモロについて机上やPC上のみで考えた議論が多すぎるように感じます。実際の動きは机やPCで起きているのではなくリアルな現場で起きているのです。そろそろそういった机上の空論の類に終止符を打ちたいと思っています。

それにしても津田さんとちょっとtwitterでやりとりしただけで私の公式サイトにとてつもないアクセスが集中していることに気づきました。ネットの有名人とやりとりするだけでこういう影響があるんですね。

しかし別に津田さんがどうこう、ということじゃないんですが1つの問題としてネット論壇がある特定の人間に偏っているのが日本の問題だと思います。中川淳一郎さんがいう ようにネットの中で「格差」が起きている。極端にいえばリアルの世界とは別の既得権益になりつつある。アメリカのネットにもいろんな問題がありますが、日本と違うのはネット論壇が一定の方向に偏っていないことですね。ネットの問題を指摘しただけで袋だたきに遭うどこかの国と違います。そこがアメリカと違うところだと思います。

| | コメント (0)

2011年1月 7日 (金)

新春音楽コラム2-音楽配信のクラウド化とDRM入りデジタルCD規格化の提言ー音楽業界を救うために(またまた長文)

実は昨年のAmazonがDRMフリーによる配信サービス開始に伴い以下の記事を書いたが

■音楽配信に関する一考ーDRMフリーのAmazon配信開始に鑑み
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/11/drmamazon-1ea0.html

そもそもAppleのジョブスがDRMの廃止が理想的 という発言を発端に世界的に音楽産業でDRMを廃止する動きが加速したのだが、ここで誤解してはならないのはジョブスがアーチストや著作権の管理を放棄せよ、という意味で発言したわけではないということである。

■:著作権管理にはメリットなし!? 欧米で広がるDRMフリーの音楽配信

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070921/282670/

最近私もさまざまな調査でようやくわかってきたのだが、実はそもそもDRMがネット内での権利保護のツールとして殆ど機能していない、という実態がある。どういうことかというとネットスラングで以下のような言葉が若者の間で流行っておりすっかり定着しているという。

つまり”情報弱者”ー通称”情弱(じょうじゃく)”という言葉だ

尚、この記事のため参考文献として以下のブログからかなりの引用をさせていただいた。著者には感謝の意を述べさせていただく

なぜデジタルコンテンツが売れないか?DRMがダメか

http://d.hatena.ne.jp/kawango/20101220


正直私も一瞬目まいを覚えたのだが、コンテンツ産業関係者が聞いたら卒倒する実態があるという。つまり

「コンテンツをきちんとお金を払ってダウンロードしてくれるお客様のことをネットでは情報弱者と呼んでいる。お金を払わずに違法コピーを探してきてダウン ロードするユーザは、ちゃんとネットの利用方法を知っている賢いひとたちを情報強者という。」

つまりわざわざお金を払ってダウンロードするひとはネットの利用 方法をしらない頭の悪いひとたちだから情報弱者、つまり馬鹿ということだ。コンテンツ産業はお客がお金を払ったら、まわりの友達とかに馬鹿呼ばわりされるような商品を一生懸命に売ろうとしているわけだというのだ。

なぜ、お金を払うと馬鹿呼ばわりされるか?それほどまで最近の若者はモラルがないのか?

実はそういう単純な話ではないようである。ここに今のネット内でのコンテンツビジネスの本質的な問題がある。

つまりどういうことかというと根本的な問題は、無料でダウンロードすると品質のいいものが手に入り、お金を払うと品質の悪いものをつかまされるというネットの現状にあるつまり違法、無料のダウンロードはCDをコピーしたものーwav, aiffであり、有料配信はmp3ファイルのDRM付き、当然ながら違法コピーの方が音質がいい。

もう1つの問題は有料配信で購入しても現状の販売方法だとユーザの所有欲を満たすことができないことだ。例えば従来のCDパッケージだとクルマの中で聴くにしても、ウオークマン等で歩きながら聴くにしても、MDに自分だけのプレイリストを編集するにしても、CDを1枚買ってパッケージコンテンツはCDのようにお金を払うとコンテンツが自分のものになるという感覚を与えられるが、配信になると携帯で着うたフルを購入しても携帯を機種変更するともう使えなくなる。パソコンでダウンロードする場合は別に買わないとダメ。パソコンを2台もっているひとは両方のパソコンで音楽を聴くためには別々に買わなければいけない。等などユーザーがコンテンツを「所有する」という実感が配信にはない。それなら例え違法コピーでも友人から無料でダウンロードさせてもらった方がいい、

こういった事情で違法コピー 無料ダウンロードが後を絶たないのだ。これらは著作権法の改正で摘発を仮に受けても実質罰則もないし、抑止効果は殆どないといっていい。

そして何よりもDRMは局所的にコピーを不可能にしているだけで、DRMのかかっていない違法データが流通している状態では、正規ユーザをかえって虐めているだけで、違法ユーザにはなんの意味もないという点である。そしてPCとネットというデータを自由に加工流通できる装置がこの世の中に存在する以上、それを制御しようとすれば世の中のすべてのPCとOSにコンテンツの保護機能をつけるのを義務づけて、そうでないPCからはインターネットへ接続できないようにするぐらいしないとダメである。

ジョブスが云っていたのはまさにこの実態であり、DRMは全く権利保護のツールとして機能していない、ということを云いたかったのである。つまりお金を払った人を満足させる仕組みをつくらないとそもそもコンテンツビジネスは真に機能しない。そのためには現行の音楽ビジネスのプラットホームを根本から考え直さないといけない、ということである。

ではその対策は? 

皮肉なことに音楽産業がいまだにこだわっているCDパッケージがそもそも違法コピー、違法ダウンロードの温床になっているという実態がある。そのためそれらを根絶するには現行のCDのありかたそのものを根本から考え直さなければならない。そのためにはまずCDパッケージについて重大な決断をしなければならない。考えられる選択肢は次の3つである。

選択肢1.CD、パッケージの販売そのものを断念する。

これはおそらく殆どの音楽産業関係者は反対するだろう。そして私も条件付ながら反対である。なぜならアーチストのファンというのはそのアーチストの「モノ」というものを欲しがるものなのである。つまりファンを維持するにはファンの「所有欲」を満たさないといけないのだ。よく音楽配信が出たためにもはやパッケージは無用の長物などと主張する人がいるが、そういう人たちの殆どはおそらく特定のアーチストのファンになった経験がない人たちであろう。少しでもそういう経験があればそういう発想にはならない。
但し、何が何でもCDを売らなくてはならない、という時代は終わったと思う。CDもアーチストの数ある商品の中の1つに過ぎなくなったことは確かである。そのためかつてのようにミリオンセラー連発なんてことはないだろう。

選択肢2.DRMを埋め込んだ音楽ファイルによる新しいCDプラットホームの作成

根本的な問題として現行のCDが簡単にPCの中にDRMもつかないまま入り、そしてネットに好き勝手に広がってしまう点が問題である。それを阻止するにはCDのwav aiffDRMを組み込んだファイル変換をあらかじめするしかない。簡単にいえば現行のDRM入りのi-tunesのようなものをCDのプラットホームにすればいいのである。i-tunesならばmp3だけでなく wav aiffmpeg4形式に変換しそこにDRMも組み込める。新しいプラットホームというだけで二の足を踏む人もいるだろうが、殆ど既存の技術で簡単にできるものなのでそれほど開発コストもかからないだろう。DRMがユーザーの利便性を損ね、「所有欲」を損ねるのならば3-4回はコピー可能な緩めのDRMでもいいかもしれない。またDRMは仮にネットで拡散してもトラッキング可能なので誰が違法ダウンロードしたかもすぐにわかる。筆者としてはこの方法論を勧めたい。

尚、これを機会に音質を16ビット、44.1KHZという仕様から音質を上げるために最低でも24ビット 48KHZの高音質仕様に変換してもいいかもしれない。CDのデジタル仕様はデジタル草創期のものであり既に時代遅れになりつつある。現在殆どの録音現場では24ビット 48KHZ以上の音質でレコーデイングされているのでこの仕様に変換すればいい。これはまたパッケージとして売る場合にも付加価値がつくであろう。24ビット 48KHZの高音質をダウンロードするのは現行のネット環境では時間がかかるからである。筆者としてはこの点も勧めたい。

選択肢3.CCCDを復活させる

正直、自分で書いて笑ってしまった。これが消費者の反発をまねきそれにこだわった某レコードメーカーに対しては不買運動まで起きた。そのため一番非現実的な方法なのでこれ以上は触れない

このブログでも何回も論じているが、多くのIT関係者やITギーグが主張する「コンテンツをコピーし放題にすればプロモーションになる」などというのは大嘘である。それが大嘘であるという根拠は日本の既存の携帯のコンテンツビジネスを見ればわかる。いわゆるITジャーナリスト等が「日本の携帯は遅れている、日本の携帯市場はひどい」とかいっているが実は市場規模だけでみると音楽配信(着うたフル)、電子書籍ともに日本の収益率は世界最大かつ、ぶっちぎりナンバーワンであることを彼らは知っているのだろうか。そしてそれはコピーがPCの世界よりも難しい携帯コンテンツでほとんどの売上が発生しているのだ。それを考えてもコピー防止はコンテンツビジネスにとって重要だということは明らかだ。

但しその携帯も昨今のもスマートフォン化によりPCの世界と融合していっており、実はこのことによって既存の携帯コンテンツも打撃を蒙る可能性が高い。なぜならデジタルコンテンツでお金を稼ぐのが難しいPCのモデルが携帯側に流入するからである。だからそれを防ぐにはPCでのデジタルコンテンツの権利の管理方法を根本から考え直す必要がある。

そのためにはやはり現在のやりかたでのDRMを使わずにコンテンツがコピーされないような方法を考えるしかない。それには1つだけ有力な方法がある。それはテンツのクラウド化だ。コンテンツをサーバ側においてユーザには利用権を販売する方法だ。

デジタル社会の特徴として本物そっくりのコピーをいとも簡単にできてしまう、という点にある。そのため情報漏えいや情報管理が逆にかえって懸念材料になるわけだが、こういう時代ではデータのコピーに対してお金をとるという考え方を根本的に変える必要がある。サービスを利用する権利でお金をとる方式に変えなければいけない。そしてサービスを利用する権利をサーバ側に保存するという考えが大事だ。

クラウド化の最大のメリットはデータそのものはコピーできても、サーバ上に保存してあるサービスを利用する権利はコピーできないことだ。つまり仮に違法コピーしてもその違法コピーの「利用する権利」を購入しない限りそのファイルを開くことができなくなる。これはすでにモバゲーを始めとする携帯のゲームで採用されている。サーバ側に置いたサービス利用権そのものをコピーすることはほぼ原理的に不可能である。そのことによって権利者の権利も保護できるし、ユーザーの利便性も確保できる。たぶんこれに文句をいう人は「違法ダウンロードしたい」人たちだけだろう。 

これも全て既存の技術で充分対応できる。コスト的にはDRMをいちいちファイルに組み込むのと、クラウド化するのとどれだけの差があるのかは私は専門家ではないのでわからないが、そう極端にコストが違うとは思えない。(たぶんクラウド化の方が安いのではないか)

音楽産業としては「形」にこだわる輩が多いため「利用権を販売する」という発想が理解できないかもしれない。しかしコンテンツビジネスを発展させるためにはその発想に転換するしかない。

勿論これで全ての違法コピーが防げるとは限らない、残念ながら100%のセキュリテイなど存在しない。しかしこのことによって大幅に違法コピーが防げるだろうし、さきほどの”情報弱者”などという概念を確実になくすことが可能になる。

それにしてもコンテンツビジネスにおいてCDとのパッケージのビジネスと配信のビジネスが相反する関係になっていたというのは残念な事実である。そして皮肉にもパッケージが違法ダウンロードの温床であり、またデジタルで何でもコピーできてしまう環境がコンテンツビジネスの発展を妨げてきたことも悲しい現実である。

このブログは決して影響力のあるブログではないし、だいたい私の主張は音楽業界関係者からことごとく無視されてきたので今回の提言が真面目に受け取られるかどうかわからないが、誰かがこれを云わないと音楽コンテンツビジネスは良い方向に行かないのではないかと思い、新春早々長文を書いてしまった。

音楽業界が低迷して長い。今年こそ流れが変わってほしいことを願ってやまない。




| | コメント (6)

2011年1月 5日 (水)

訃報 ミックカーン死去

かねてから癌で闘病中だった元 Japanのベーシスト、ミックカーンが日本時間1月5日未明 午前一時半に自宅で亡くなりました。まだ52歳でした、

治療費の件で募金運動もあり、みんなで支えようとしていただけにとてもとても残念です。
独特なノリを持ったベーシストでした。私の大好きなミュージシャンの1人です。

心からご冥福をお祈り申しあげます。

http://www.mickkarn.net/


|

2011年1月 4日 (火)

新春音楽コラム1ー音楽ポップス文化は事実上死んだ。文化としてJ-popを蘇らせるために(長文)

昨年末、ひょいとしたきっかけでNHKラジオ第一の私も一言!! 夕方ニュースで昨今の音楽業界について語る羽目になったが、友人だけでなく親戚一同や知り合いの知り合い等まで聞かれてさまざまなご意見をいただいた。その中で意外だったのは年配の人から「今の若い世代の音楽を否定していてよかった」などという反応が帰ってきて面食らった。私はそんなに保守的なことを云った覚えはないのだが、どうもそのように受け取った人は少なくなかったらしい。 いろいろ話をしてみると私の「J-popと比べるとまだ演歌の方が音楽文化として地に足がついた活動をしている」という発言がそのように受け取られたらしい。

確かに私自身は演歌関係者の知り合いはいるし歌謡曲系の仕事はしたことはあるが、いわゆるきちんとした正統派の演歌の仕事は今まで一度もしていない。ただ上記の発言は演歌系の活動の内容を見て特に地方でのアーチストの支持、支援はJ-popの人たちと比べると確固たる体制で運営されている現実を見た上での発言である。いうまでもないが演歌と比べてJ-popが劣っているなどという意味ではない。そんなことは思ってもいない。また私自身は日常的に演歌など殆ど聞かないし、その分野に作家として活動する可能性は殆どないといっていい。

ただこの現実はある面で深刻な問題をつきつけている。それはJ-popがメデイアその他で多くの露出があったとしても、果たして文化としてきちんと定着しているのか、という問題である。例えば先日のラジオ番組で話しが出た昨年の年間シングルチャートを見てみよう。

シングルチャート 年間 2010年 ベスト20

1. Beginner                      AKB48

2. ヘビーローテーション              AKB48

3. Troublemaker                  嵐

4.     Monster                                  嵐

5.   ポニーテールとシュシュ                AKB48

6.  果てない空                                  嵐

7.  Lφve Rainbow                             嵐

8.   チャンスの順番                          AKB48 

9.   Dear Snow                                   嵐

10. To be free                                    嵐

11.Love yourself

~君が嫌いな君が好き~                   KAT-TUN

12  桜の栞                                       AKB48

13. This is love                                    SMAP

14  また君に恋してる/アジアの海賊    坂本冬美

15  LIFE~目の前の向こうへ~            関ジャニ∞

16.  BREAK OUT!                               東方神起

17  Going!                                      KAT-TUN

18  Wonderful World!!                       関ジャニ∞

19  はつ恋                                           福山雅治

20  CHANGE UR WORLD                       KAT-TUN

これを見て何がいえるか? ベスト20Avex系のアーチストがいない、とか事務所の戦略の勝利(とりわけAKB48の)の成果ということもできるがやはり私が問題にしているのは、上記ベスト20の中で純粋に音楽で勝負しているアーチストが演歌系の坂本冬美しかいない、という点である。福山雅治も一応ミュージシャンではあるが龍馬伝を始めとした俳優という"副業"(といったら怒られるかな)でテレビに多く露出しているし、他は多かれ少なかれ芸能バラエテイ系の要素が密接にからんでいる。つまり芸能界との接点が多いという点だけがアーチストの重要なファクターになってしまっており、純粋に音楽だけまじめにやってますというアーチストは日本ではトップアーチストになれないことを意味している。

この現象は私はかなり深刻に受け止めている。はっきり云ってポップミュージックの世界としてはかなりヤバイ現象といわざるをえない。

これはなぜなのか? その答えは音楽業界の基本戦略にありこのブログでも何回も論じてきた。つまり音楽を文化としてでなく消耗品として売ってきたことが主原因である。

何よりも日本のポップスは本当に今日本人の生活に密着しているだろうか? 何度もいうがポストモダンで本物の音楽を知る意味がなくなったとか、さまざまな音楽の語法を組み合わせることで"本物"の意味がなくなったとかポストモダン論者はいうが、アメリカの白人系の音楽にはカントリーファンダメンタルな文化として存在しているし、黒人系にはR&B ソウルファンダメンタルとして存在している。勿論双方の音楽の要素はさまざまな形でミックスはしているが、大地の基礎部分ではまだこのファンダメンタルがきちんと根がはっている。

だが日本の音楽文化は残念ながら演歌以降、そういったものがないのだ

つまりJ-popは何ら音楽文化に新たなファンダメンタルを形成してこなかったのである。つまり私のJ-popと比べるとまだ演歌の方が音楽文化として地に足がついた活動をしている」という発言は演歌を賛美したのではなくJ-popの将来を憂えての発言なのである。

そして現代、情報(それも大半は「価値」があるようにみえて実はたいして価値のない情報である)ばかりが過多になり、そのことによってウェブ時代の音楽進化論 (幻冬舎ルネッサンス新書 ) に書いているように事実上 ポップスー大衆音楽が終焉を迎えてしまう、という点である。上記の年間 2010年 ベスト20の内容はそれを残念ながら証明してしまっている。それゆえこの現状は極めて深刻なのである。

上記のアメリカの白人や黒人の音楽事情を鑑みて一つだけ日本と大きな差が存在する。

それは日常生活に音楽がないことである。日常生活に音楽があるということはどういうことか? 別に着うたをダウンロードしたりカラオケにいったり、i-podで音楽を聴くことが生活に音楽があるということではない。それらは全てうわべだけのものである。それはもっと精神的に奥まで入り込んでいる音楽であり、酒を飲んだら自然に歌うもの、楽しかったら自然にでる踊り等我々の深層心理まで入り込んでいる音楽である。残念ながらアメリカの白人、黒人、南米系、ヨーロッパ系の人たちには全てそういった音楽が存在する。

しかし残念ながら現代の日本人にはそれがないのである。

そしてWeb時代に入り、うわべだけの情報のみで頭でっかちになり、断片的な情報、テレビを通したうわべだけの情報だけで全てを理解したという勘違いをしてしまう人間が増え、日常の中の実感として生活感が希薄になってしまう。共同体の概念はうすれ、人とのコミュニケーションが極端なほど下手になる。そうした傾向が音楽を始めとした文化の存続を極めて危うくしてしまう。

実際問題として音楽業界も新作ではなく昔の名曲のカバーを追う傾向が強くなっている。テレビ番組も過去のヒット曲ばかりを追う番組が増えた。新しくヒットソングが生まれたとしても、カヴァーされたりする事も少なくなった。今パワープレイされている曲が10年後も懐かしく、暖かく迎えられる可能性ははっきりいって極めて低いといわざるを得ない。70年代、80年代までのポップスはそれがあったにもかかわらず、だ。

つまり日本の大衆音楽、ポップス文化はもはや死んだも同然、といっていい

よってそういう事態を避けるためには演歌にとって変わる新しいJ-popが文化として定着する方法を考えるしかない。そのためには単にうわべだけのものではないJ-popが生活の中に定着した音楽として発展していかなければならない。今までのように百均の商品のごとく消耗品として売ってしまっては将来がないのである。それにはどうすればいいか。それはこれからの音楽プロデユーサー、クリエーターが真剣に考えるべき命題である。

これだけはいえる。現在の「メジャーレコード」には、もはやそれを実行するのは100%不可能である。もはやメジャーもインデイースも実質的に差がなくなった現在、彼らに期待するのは無理である。この状況から音楽文化を立て直すのは生半可ではないが次のことはいえるかもしれない。

1.とにかく「売れセン」という概念は捨てる

2.各クリエーターは自分にとっての音楽のファンダメンタルズは何かをもう一度問い直す。冷静に立ち返れば自分の頭の中に必ずあるはず。

3.これから自分のクリエートする音楽が日本人の生活、日本人の深層心理の中に定着しうるものであるか、どうか(つまり日本人の生活の中に密着する音楽になりうるか)

上記の3つを考える場合、寧ろネットとは可能な限り離れたところで考えるべきだろう。ネットはあくまでツールに過ぎない。そこで垂れ流される情報に惑わされるとかえって自分が見えにくくなる

ちなみに日本の中で殆ど唯一、音楽が生活に密着している地域がある、それは沖縄地方である、だから沖縄出身のミュージシャンの表現は本土と比べて説得力がある。案外彼らにこれからはリードしてもらうしかないのかもしれない。

| | コメント (0)

2011年1月 1日 (土)

謹賀新年ー新年最初の話題は日清のカップヌードルのCMのフレデイマーキュリー

    

       あけましておめでとうございます。

Geishunn

皆さん新年明けましておめでとうございます。

お正月いかがお過ごしでしょうか? 新年最初の話題ですが今年に入り日清のカップヌードルのCMに 今年没後20年(早い!!)になるクイーンのフレデイーマーキュリー「出演」しています。ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

I was born to love you に日本語で「I Love カップヌードル好きだもーん」と歌わせていますがこれたぶん「合成」ですよね? それともゴーストシンガーに歌わせているンでしょうか? だけどフレデイーと同じ声出せる人なんてそうそういるもんじゃないし...

次のような映像です..


 口の動きも合わせているところを見ますと、声も「合成」だとすると恐ろしく手間がかかっているCMですね。

それにしても今年で没後20年になるフレデイーマーキュリーがこんな形で露出するとは(笑&汗)


| | コメント (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »