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2010年12月26日 (日)

新しい音楽プロモーション考の大半は「神話」であり「絵に描いたモチ」である

昨日うちの奥津恵の今年最後のライブが終了した。実は奥津のプロジェクトを始めるときに従来のメジャー的なプロモーション方法ではない方法で、アーチストのインキュベーションを行なってみようと考えスタートしてみた。

いわゆるロングテールな視点でインキュベーションができないかという仮説であり具体的には以下の内容になる

1. CDが売れなくなったら、ライブで稼げばいい

2. インターネットで音源を自由に聞かせるようにすれば自然に売れるようになる。

3. ブログやSNSを使用してファン層を広げることができる。

勿論従来の「タイアップ」等の古典的なプロモーション方法を完全に放棄していたわけではないが(実際5-6回ほどCM等のタイアップのコンペに参加しているー2-3回程最終選考に残ったことがあるが結果的にNGだった)、上記の3つの観点を中心に私なりにさまざまな「実験」をやってみた。

結論からいおう。少なくとも上記3つのみインキュベーションを行なうことはほぼ不可能である。twitterやSNSを見ていると上記3つの方法さえやればアーチストはやっていけるはずだ、などという言質がいまだに多いが実際にやってみればいかにそれが非現実的な方法であるかがわかる。

まず1.CDが売れなくなったら、ライブで稼げばいい」 という観点、先日NHKラジオに出演した時にも視聴者からそういう意見が出たが、マドンナのように黙ってても武道館クラスの会場を満員にできる超ビッグアーチストならともかく、その辺のインデイースのアーチストがたとえ一年365日全部にライブをしたとしてもたぶんアーチストがそれで食っていくのはほぼ不可能であろう。現場経験から実際にどういうものか説明しよう。

まず「ライブでCDがどんどん売れる」というのは幻想だ。いや、確かにCDは売れる、但しそんな100枚、200枚もライブで、しかも毎回売れるわけではない。うちの奥津が一回のライブで一番売った枚数は14枚、 あるインデイースアーチストで50枚売ったという話を聞いたことがあるがそれは寧ろ例外である。たいていの場合ライフハウスクラスでは売れてもせいぜい数枚程度である。それもライフハウスのノルマを達成した上での話しで、仮にノルマを上回る動員数があったとしてもチャージバックなんて微々たるものだから、それで「食っていく」レベルには到底届かない。何よりもノルマを達成しなければ例えCDが売れても赤字になってしまうのだ。そして年300回以上ライブをしたところで(これ自体かなり非現実的だーやっているバンドもあったようだが毎年こんなに体力が続くはずがない)300回全部にノルマを達成するなど、よほどコア層が多数いるアーチストでないと不可能だ。また仮にそれが達成できたにせよ、諸経費等を考えればそれで「食っていく」レベルまで稼ぐのは極めて難しい。紙の上では可能であるように思う人がいるかもしれないが現実はこうである。

但し
「ライブで稼ぐ」ことはできなくてもそれを通じて「コア層」を育てることは可能である。但しこれは全ての音楽ジャンルで可能というわけではない。もともとロックでいえばHM(ヘビーメタル) パンク クラブ系でいえば音響系(ノイズ系含む) ゴアトランス、ドラムエンドベース、アンビエント等々元々コアのファンで成り立っている音楽ジャンル、そしてアキバ系などは「コア層」を育てるのに非常に向いているジャンルである。これらに関しては「コア層」のファンを蓄積が比較的容易だしCDも売りやすい。

次の
「2. インターネットで音源を自由に聞かせるようにすれば自然に売れるようになる。」についてはもうこのブログで何回も書いたので改めて書く必要はないだろう。「ネットでコピーし放題にさせればプロモーションになる」というのは実は大嘘である。昔は私もそう思っていた時期があり、実際にそれをやってみたが結果は惨憺たるものだった。

実はネットユーザーの殆どは「タダだから聴く、タダだから見る」というユーザーであり、少しでも「有料」である部分を見せただけで9割のユーザーがその瞬間に退いてしまう。これは何回もいろんなことを試してみたがほぼ全てのケースで真実であり実感として感じたことである。この件は既に何回も述べたのでこれ以上は語らない。9割以上の人は「あ、タダでダウンロードできた、ラッキー♪」以上には考えないのである。認めたくない人もいるだろうがそれが現実である。

そして3. ブログやSNSを使用してファン層を広げることができる。」

これに関してはアメリカ、カナダ等では成功例がある。オバマ現アメリカ大統領などは無名の政治家だったのが「草の根」から大統領になった例だし、このブログでも書いたがYour Favorite Enemies のように従来のメジャー的なプロモーションによらずにBillboardチャートにランクインした例もある。

しかし日本でこれで可能かどうかについては別問題である。結論からいって日本のネット事情を見るにつけこれと同じことが日本で起きると期待するのは極めて非現実的である。それは日本のネットの言説が実質的に社会的マイノリテイによって支配されているという現実がある。(詳細は http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20101123/1290501330 をご覧下さい。)

勿論、中川淳一郎さんのいうウェブのバカと暇人 が多いのは何も日本だけの事情ではないが、(アメリカも負けず劣らずひどい) ただしアメリカでは日本のようにウエブ論壇が固定していないし、健全的で賢い人たちが集まるサイトも存在するため、アメリカでは「草の根」ツールとして機能している面もある。しかし残念ながら日本のネット事情はそこまで成長していないのが現実だ。賢い人分別のある人の影響力が日本では少なく、社会的マイノリテイによってウエブの言説が支配されているという意味で極めて不健全である。梅田望夫氏の「日本のウエブに失望した」発言はこうした状況を見た上での発言である。

従ってこれも「少なくとも日本では」非現実的といわざるを得ない。

つまり私が数年前に論じた「ロングテールな」観点からのアーチストインキュベーションの挑戦事実上敗北に終わったと認めざるを得ないのだ。

ということで来年から奥津恵のプロモーション方針を根本的に戦略を見直します。今さらですがITだけで革命なんて起きないですね。少なくても日本においては

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2010年12月23日 (木)

クリスマスソングとクリスマスのその他雑学トリビア

はい、明日はクリスマスイブですねえ。 日本ではすっかり彼氏、彼女とのデート+α(!?)の日と化していますが、私も経験がありますが独身の方には厳しい(!?)シーズンかもしれません。

まあ家族がいればいるで、子供のプレゼントで頭を悩ます時期なんでまあ一長一短ですね。不況で会社の業績も良くないのに散財しなければならず頭が痛い(^^::)

せっかくなんでクリスマス、ことにクリスマスソングに関するトリビアについて書きましょう。皆さんどれだけご存じですか?

・教会のクリスマスソングには「讃美歌」と「聖歌」がある。

教会の歌=讃美歌と考える人が多いようですが、実は一般にプロテスタントを中心とする「西方教会」の歌は「讃美歌」、カトリックやギリシャ正教、ロシア正教等の「東方教会」の歌が「聖歌」で両者は同じではありません。「聖歌」はグレゴリオ聖歌に代表するように古代、中世から存在し、「讃美歌」の大半は比較的最近(ルターの宗教改革以降)の作られたもので、我々が良く知っている「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」は「讃美歌」になります。但し近年カトリック側もプロテスタント系の曲を多く採用するようになっており、讃美歌の曲集に「聖歌」のタイトルが付けられていたり等、両者の区別に本質的な差異は無い場合も出てきています。各教派の編集の基準も多様化していますので、上記の「讃美歌」「聖歌」として扱っている場合もあります。

・「讃美歌」と「聖歌」にはまだ著作権がある場合がある。

勿論殆どの讃美歌、聖歌は著作権消滅曲ですが、実は日本の場合「訳詞」があり、その「訳詞」の著作権がまだ消滅していない場合があります。ことに日本語の歌詞で歌う曲を扱う時は注意が必要です。消滅曲だからといって安心していると著作権でひっかかる場合もあります。

・「ジングルベル」は本来はクリスマスソングではない

えーっ と思うでしょう?(笑) でもジングルベルのオリジナルの歌詞をよく見てください。実は「クリスマス」という文字はどこにもないんです。一部の日本語の訳詞に意図的に「今日は楽しいクリスマス♪」と入れて無理矢理クリスマスソングにしていますが、オリジナルの歌詞にはそれがありません。元々この歌は「ソリに乗ってる 楽しい♪」という歌で、本来はソリの歌なんですね。ソリに鈴をつけるのは北欧では普通なので、そのソリがサンタクロースを連想させる、ということでいつのまにかクリスマスソングにされてしまったんですね。ですからこの曲、無理矢理クリスマスソングにされてしまった、というのが本当のところです。

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ーさて、ここまではクリスマスキャロルに関してのトリビア、次はクリスマス一般に関するトリビアです

・カトリックには本来クリスマスツリーはない

実はクリスマスツリーの起原は諸説あり>1419年にドイツのフライブルクでパン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾った。この記録が、クリスマスツリーをクリスマスに飾る行為が最初とされていますが、一方では宗教改革のルターがドイツの森に無数の精霊が宿るのを見て、それがモミの木で無数に光っているように見えたため、もみの木に飾りをつけたのが始まり、という説もあり、どちらかははっきりわかっていません。

いずれにせよ起原がドイツであることと、宗教改革の動きにそって広まったことから長い間旧教であるカトリックではクリスマスツリーを飾りませんでした。最近でこそカトリック系も飾るようになりましたが、まだスペイン、南イタリア等厳格なカトリック的な風土があるところではクリスマスツリーを飾らない地域もあります。

厳格なカトリック教徒にとってクリスマスは神聖なものであり、厳かな気分で過ごすというのが普通で、日本のように恋人たちのデートやホテルでの宿泊などとんでもない、というのがそういった国の風潮です。

・そして何よりもイエスキリストの本当の誕生日は12月25日ではない(!!)

これは割りと有名な話なのでご存じの方も多いでしょう。実はこの時期になるとキリスト教原理主義者の団体が「聖書がうんたらかんたら」という押し付けがましく、かつうざったいアナウンスを渋谷の交差点で行なったりしていてとても不快な気分にさせられますが、もし彼らがイエスキリストの本当の誕生日が12月25日でない、ということを知らなかったとしたらこれはいかがなものでしょうか?狂信というのは恐ろしいです。しかも最近アメリカでもヨーロッパでも原理主義勢力の影響力が強くなっているというのは懸念すべき事態です。

イエスキリストの誕生日は1月7日という説と4月7日という説もあり正直わかっていません。しかし12月25日というのはヨーロッパの原始宗教であるミトラス教の聖なる日であり、キリスト教はそのミトラス教「融合」する形でヨーロッパ各地に布教されていったという事情もあるようです。そのためいつのまにか12月25日がキリスト教の聖なる日となったようです。

あと意外に知られていませんが、イエスキリストは何とイスラム教においても「聖人」となっています。イスラム教の場合は預言者(ナビー)の1人としてキリストを受け入れているわけですが、元々キリスト教も、イスラム教も。ユダヤ教も「旧約聖書」を出発点とした宗教で源流は同じ宗教なんですね。 だからキリストがイスラム教の中でも聖人であるのは何の不思議もないんですね。なのにあんなに血で血を洗う争いを何世紀を続けているという事実、これは悲しいし、愚かしい話だと思います。

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まあそんなこんなでクリスマスを1人で過ごしたってそんなどうってことないですよ(笑)
もともと日本人は「クリスマス」を口実として騒ぎたいだけの人が多いですから

というわけでみなさん ステキなクリスマスを!!  メリークリスマス!!

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2010年12月20日 (月)

NHK「私も一言!! 夕方ニュース」出演

本日NHKのAMラジオ ラジオ第一の私も一言!! 夕方ニュースに出演しました。テーマは「2010CD売上ランキング AKB48・嵐 ベスト10独占 ~音楽の明日はどうなる?~」と題して音楽業界とオリコンの年間ランキングのシングルが「嵐」「AKB48」の2アーチストに事実上独占されている異常事態を元に昨今の音楽業界の問題について論じました。

オリコン記事「AKB48がシングル1、2位独占…TOP10はAKB48と嵐の2組のみ」
http://www.oricon.co.jp/news/rankmusic/83085/full/?from_todaysnews

オリコン年間シングルチャート
http://www.oricon.co.jp/music/special/2010/musicrank1220/index02.html

 

まあ番組でも発言しましたが、雰囲気的には何となくわかってはいましたがいざデータとしてみるとやはり驚きであると同時に、これは事務所、プロデユーサーの戦略の勝利といえるかもしれません。

あともう1つ特筆すべきはベスト20の中にAvexのアーチストが1人もいない、という点でしょうか。これは異変といってもいいかもしれないですね。これに関してはいろいろと思うところがあり、個人的には実は予想されたことなんですがこの件について詳細に発言すると影響が大きすぎるのでここでは触れません。

とりあえず正味1時間弱出演しましたが、結構それでも時間ってないもんですね。あっという間でいいたいこともかなり時間の関係でいえませんでした。

今回の番組のサイトです。  http://www.nhk.or.jp/hitokoto-blog/1000/

この番組では視聴者のメールや掲示板も公開しています。書いている内容はだいたい私が予想した範囲の内容の発言でした。

https://cgi2.nhk.or.jp/hitokoto/bbs/form2.cgi?cid=1&pid=5251

実はラジオは何だかんだいってもまだAMラジオの方が視聴率が高いです。NHK第一の場合、北海道から沖縄、そして離島まで全ての地域で視聴可能で、TBSラジオ(平均1.2-15%)、ニッポン放送(平均1^1.3%)の次の視聴率を誇ります。つまり少なく見積もっても100万人位の視聴者がいるということを考えて、かねてから視聴者にお願いしたかったことで番組を締めました。実はこれだけはどうしてもいっておきたかったからです。

それは

「地上波のテレビやキー局で流れている音楽が世の中の音楽の全てではありません。

実は見えないところでよい音楽がたくさん隠れています。CSやインターネットサイトを捜せば、目立たないところによい音楽をたくさん見つけることができます・

どうか騙されたと思って、そうしたところからあなたの好きな音楽を捜してみてください。きっとあなたの好みの音楽を見つけることができると思います」

番組スタッフ側にはよい印象を持たれたようですが、実際に視聴者の方はこの発言をどのように受け止められたんでしょうか? そちらの方が気になります。

NHKに行ったのは本当に久しぶりですが、実は今考えているある企画もNHKがらみになる可能性があります。結構NHK関係で何回か仕事もしていますので、比較的私はこの3文字に縁があるのかもしれません。結構久々なんで少し疲れたかな(^^;)


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2010年12月19日 (日)

小澤征爾、カーネギーホールで奇跡の復活!! スタンデイングオベーション

小澤征爾、カーネギーホールで完全復活! 奇蹟のライヴが早くも1月に緊急リリース!
http://www.cdjournal.com/main/news/ozawa-seiji/35770

まさしく日本の誇る音楽家である。

私事だがまだ父親が健在だった頃、地元のパルテノン多摩大ホールで小沢征爾の新日フィルの演奏を聴きに行ったことがある。クラシック好きだった父親と今となってはいっしょにいった最後のコンサートとなってしまった。もっと良質なクラシック音楽のコンサートにいっしょに行けばよかったと今となっては後悔している。演奏曲目は確かヒンデミートの「画家マティス」があったように記憶しているがあとのプログラムは覚えていない。しかし十分に楽しめた演奏会だった。とかく「教科書通り」にしか演奏しない音楽家が多いクラシックの演奏家の中で、遊び心も加えた小沢の演奏はやはり一味も二味も違った。一流の演奏家というのはやはりそういうものだろう。

今回のカーネギーホールでブラームスの交響曲第一番を選んだというのは何かわかるような気がする。この曲はブラームスの中でも人生の転機となった作品で、「交響曲」に対する思い入れが人一倍強かったブラームスが満足しうるクオリテイの作品にするまで七転八倒した心境が現れている作品である。最後はベートーベンの「歓喜の歌」を思わせるテーマ曲で自分の中の大きな壁を越えることができた喜びを表現している。(そのためこの曲はベートーベンの第十番交響曲とも呼ばれるーいい意味でも悪い意味でも、だが)

癌という病気を克服という「壁」を乗り越えこれから新たな人生を力強く歩んでいく、という小沢征爾の決意の表れだと捉えたい。おそらくその思いもあって病みあがりにも関わらず力強い演奏だったことは想像に難くない。この演奏は是非聴いて見たい。

カーネギーホールは観客総立ちのスタンデイングオベーションだったという。自分に力を与えてくれる演奏かもしれない。


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映像&クリエイター業界"クリスマス交流会久々の参加

さて、来年に向けての作曲活動で映画、劇伴関係を今後強化していこうということで今年は特に映画や映像関係の交流会で人脈を広げるべく、この関係の交流会に参加してきました。その関係で既にいくつかの映像関係プロジェクトに参加することができましたが、ここしばらく予定が合わなかったり等で出席できませんでした。7-8月の多摩川河川敷以来4ヶ月ぶりで「映像&クリエイター業界"クリスマス交流会」に参加しました。

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映像業界も音楽業界に負けず劣らず厳しい経済環境ですがそれでも新しい人脈を開拓しようと動きは続くべきだし、続かないと将来はないと思います。その意味ではこうした催しを定期的に開いていただいている幹事さんたちには感謝の念でいっぱいです。

今回もテレビ、劇団関係の方は多かったですが映画関係者は少なかったように思います。実は先日Sさんからの話ですと映画業界借金の山で大半がつぶれそうだ、という情報があります。映画というのは音楽と違い桁違いにお金がかかりますし絶対に1人ではできないものですからね。まあこれから映画や映像音楽に特化しようとしている自分としても心配ではあります。

余談ですが何とあの伝説の俳優「早川雪州」のお孫さんがおられました。知らない人のため「戦場にかける橋」で日本軍の大佐を演じ、日本人として始めて「アカデミー助演男優賞」にノミネートされた方で日本人初のハリウッド俳優といってもいいかもしれません。お爺さまの伝記を執筆中で将来は映画化したいとお考えのようです。私自身も大好きな俳優でしたので是非実現して欲しいものです。できればその時に制作に関わりたいですね。

あと現在私が構想している作品ですが、実はNHKの教育とタッグを組もうと考えています。実は幹事の1人がNHKの教育の番組制作をしている人で、その方に今考えている企画の一端をもらしてみました。 非常に興味を持ってもらいすぐにサンプルが欲しいといっていたので感触としても「行ける」と思いました。年末年始この制作に明け暮れることになるでしょう。

会場はジャズトリオ(途中からジャズギターが加わる)の演奏でジャズスタンダードナンバーを演奏していましたが、こういうのは聴くより自分で演奏したくなりますね。そういえば最近人前でピアノ弾いてないなあ。

まあとにかく今の時代、映像のコンテンツを中心に動いていますし映像である以上必ず何らかの形で音楽が必要になりますから、今後そちらの方に特化した動きを引き続き強めていきたいと考えております。


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2010年12月17日 (金)

月曜日NHKラジオにて「音楽業界」についてのコメンテーターとして出演します

先ほどNHKのラジオセンターのデイレクターの方よりご連絡いただいてNHKの平日午後五時からオンエアの「私も一言・夕方ニュース」に出演することになりました。
http://www.nhk.or.jp/hitokoto/

テーマは「音楽業界」でどうも私のブログを見て私に白羽の矢をあてたもようです。

NHKですので、せっかくですからこの際洗いざらい云ってしまおうかなとも思ってます。

5年前くらいから音楽業界に対して警鐘を鳴らしていたんですが、業界人の大半は私のいうことに耳を傾けるどころか、脅迫すら行ないました。
あれから状況はどんどん悪くなっているんですが、まだ今に至っても考えを改めようという動きは見られません。
ただ、そうはいっても業界の現状を危惧し応援していただいた業界関係者の方もおられましたのが救いではありますが、

私が出演するのはNHKのAM総合ラジオ午後5時半頃に出演する予定です。

よろしければ聞いてください。
http://www.nhk.or.jp/hitokoto/


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2010年12月15日 (水)

相変わらず曖昧な「性的描写」の定義と危険な規制強化

既にご存じの通り 都条例改正案:本会議で可決され、 性的描写の規制強化が始まった。

■都条例改正案:本会議で可決され、 性的描写の規制強化
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101216k0000m040042000c.html

当然ながら出版業界、漫画家を始める表現者は反対を表明した

都青少年条例:出版労連が抗議声明
http://mainichi.jp/enta/book/news/20101216k0000m040093000c.html

都青少年条例:「今後も反対」出版倫理協議会
http://mainichi.jp/enta/book/news/20101216k0000m040094000c.html

 

前にもこのブログで書いたように何をもって「猥褻なのか」の定義が曖昧である点を指摘していたが、ここで都側の定義を引用すると

「刑罰法規に触れる性的行為の中でも特に反社会性が強い強姦(ごうかん)、児童買春や、民法で婚姻が禁止されている近親者間の性交などを当然なことのように描いたり、全編のほぼ全てをこうしたシーンの描写に費やしたもの」

だそうだ。これで問題ないと思っている方はやはり表現の可能性を理解していない人たちである。この定義でもれっきとした文学的な作品でも容易に規制の対象に入れられてしまう可能性がある例をこれからお見せしよう。

例えば民法で婚姻が禁止されている近親者間の性交などを当然なことのように描くストーリー」という点。これだと次のような漫画作品があったとしたら規制の対象作品に加えられてしまう可能性がある。というか規制される可能性が高いといっていい。

例えば古代エジプトの王族では兄妹間の婚姻がごく普通に行なわれたが、仮に誰かがこの古代エジプトでの兄妹のラブストーリーを描いた、セックスシーンも豊富に描かれていた漫画があったとしよう。この場合どんなに文学的なストーリーとして組み立てても上記の定義では「猥褻な性的描写」の表現という範疇に入ってしまうだろう。(実際「王家の紋章」という漫画では登場人物に姉と弟の恋愛物語のストーリーがある)

もっといえば古事記の衣通姫 ~いそとおしひめ」允恭天皇の長男で実の兄と軽の太子との恋に落ちた古事記の中でももっとも美しく切ないラブストーリーだが、これは「有害図書」ということになるのだろうか? もし誰かが衣通姫と軽の太子とのロマンチックでエロチックな恋愛ストーリーを書いたとしたら記の定義だと民法で婚姻が禁止されている近親者間の性交などを当然なことのように描くストーリー」なってしまう。規制の対象になってしまう可能性が高い。

まだまだある。「源氏物語」「ギリシャ神話」など古典文学を題材にしたり、同性愛を描いた漫画は対象になるかという質問に「基準を超える性的な描写があるかで判断される。」というが「基準を超える性的描写」とは何か? あまりにも曖昧である。「源氏物語」などエロチックに書こうと思えばかなりかけるし実際登場人物の光源氏と紫の上とのやりとりにはかなりきわどい表現もある。「ギリシャ神話」ビーナスなど殆ど裸で登場している。

このように表現とはさまざまなケースが考えられるだけに一義的には決して決められない。そして何よりも恐ろしいのは上記の定義による「表現狩り」が推進されてしまうことである。こうなると漫画家を始めとする表現するアーチストの活動を極端に制限してしまう可能性が高い。(特に最近この手のものに異常なほど執念を燃やしかねない「ヒマ人」が多いことからも大いに懸念される)

都青少年条例:民主「世論」に配慮 出版業界、根強い反発
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101216k0000m040091000c.html

賛否を決めるために開いた10日の民主の総会では、明確な反対論も出たが、「世論への対応も必要」「妥協せざるをえない」など消極的な賛成が相次いだ。反 対してきた民主の若手都議は「執行部は統一地方選で『民主はあんな漫画を擁護するのか』と有権者から指摘される事態を懸念していた」と明かす。

有権者から指摘? 「声無き多数派?」  全く意味がわからない。具体的にどういう人たちなのか?声すら揚げない連中が一体何をしゃべっているというのか? 例えしゃべっていたとしてもそれが本当に社会の多数派なのか? 一部のノイジーマイノリテイと混同していないか?

今回の都の議会の決定は表現の自由という憲法が保障している基本的権利に対する重大な挑戦であり、「表現狩り」を推進するものとして重大かつ厳重なる抗議を表明する。何よりも日本が世界に数少なく誇れる「漫画」という文化を破壊する可能性が高い条例案であるといわざるを得ない。

ちなみにこの法案を推進した石原都知事はこんな発言をしている。(twitter経由)

石原都知事が、「大連立すればいい。みんなで渡れば怖くない。消費税も憲法改正も」と記者会見で。この男の真意は、結局そこにあるということ。

http://twitter.com/#!/kou_1970/status/14505496950087680

なんでこんな人間があんなに支持されるのか理解できない。リコール活動を起したいぐらいだ。


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2010年12月12日 (日)

「音楽業界が衰退しているのは買いたい音楽がないから」について

久々に音楽業界の現状の話について書きましょう。

このブログは今まで音楽業界の衰退の現状等について、さまざまな観点から論じてきましたが実はこの関係の議論を展開する際に前から少し気になっている議論があります。

それは

「CDが売れないのは曲がよくないから、買いたい音楽がないから」

という議論です。

確かに以前私はこういう記事を書いたことがあります。

音楽業界衰退の原因は「音楽の消耗品化」が主原因
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/04/post-8706.html

これはいわゆる「メジャーレコード」のマーケテイングに特化した議論について述べたものです。
しかし実際現代の世の中にある全ての音楽が「消耗品化」にされているか、といいますと

違います。

実は目立たないですがいい音楽は世の中にはたくさんあります。
特に最近のインデイースのアーチストの作品を見ますとはっきりいって今「メジャー」といわれているアーチストの作品より遥かに高い質の音楽を発表しているアーチストがたくさんいます。

しかしいわゆる「メジャーレコード」の殆どが地上波テレビのタイアップとかキー局でのオンエアとか非常に一般の人に目に付きやすい形で露出されているのに比べ、インデイースのアーチストの作品はなかなか地上波には現れません。そのため一般の人になかなか目につきにくいのです。

それは海外のアーチストの作品も同じです。いわゆる超メジャーのアーチストなら地上波に流れますが、そうでないアーチストはなかなか目に付きません。

そのため 地上のテレビに露出されている音楽が世の中の音楽の全てであるかのように錯覚している人が非常に多いように思います。

しかしもう一度いいますがそれは誤りです。

しかしそういうアーチストの作品はネットは勿論のこと、CSやケーブルでのMTV サウンドシャワーといった放送局では見ることができます。地上波に流れているものだけが世の中の音楽の全てではないのです。

こういうことを云うとまた「昔がよかった」論者のように決め付けられてしまいますが、昔は何か面白い音楽がないか、自分で捜しにいきましたね。昔のデイスクユニオンとかに入り浸ったりとか、 今は情報過多のせいか自分から情報を捜すという行為がすっかりなくなってしまっているような気がします。情報が与えられるのが当たり前、という感覚で殆どの人がいるような印象を持っています。実際「世の中にいい音楽がない、買いたい音楽がない」という人に限って自分から音楽を捜そうという発想を持っていない人が多いような気がします。それこそネットだけでなくMTV サウンドシャワーとかをチェックしようという発想すらない人が殆どですね。

しかしせっかくですからちょっと今までとは違う音楽のチャンネルで音楽を捜してみる、ということをされてみたらいかがでしょう?

ちなみにインデイースに関してはお勧めのサイトがいくつかあります。騙されたと思って覗いてみられてはいかがでしょう。もしかしたらお気に入りの音楽がみつかるかもしれません。

Vibirth
http://www.vibirth.com/

Monstar FM
http://monstar.fm/

CD baby
http://www.cdbaby.com/






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坂の上の雲ー正岡子規の凄まじい芸術家の生き様

坂の上の雲が先週から始まりました。本来は私のもう1つのブログで書いていることなんですが、今日は正岡子規の死を描いた関係で子規の凄まじいまでの芸術家魂について書きたいと思います。

それにしても香川照之の演技はすばらしいです。龍馬伝での岩崎弥太郎も何ともいえない存在感を出していましたが、坂の上の雲での正岡子規の演技は圧倒されました。そして芸術家としての正岡子規の生き様についていろいろ考えるところが出ました。

正岡子規は結核から脊髄に結核菌が入る脊椎カリエスを発症していたとされ、最後はドラマでも描かれていたように殆ど寝たきりの状態だったようですが、逆に病床に付してから創作活動が活発になっている点が特筆すべきです。そして自らの病について述べながらも作品には悲壮感も暗い影もなく、自らを客観視している観もあります。だからその作品には何か人を動かす要素があるのかもしれません。

絶えず自分の死と向かい合わなければならない環境でありながら、そのことを不幸だとも思っていないたくましさを感じます。現代に住む我々はなかなか日常的に死と向き合うことはないですが、死が日常になると逆に人間は強くなるのかもしれません。

子規の最晩年の作品を見て最近の音楽に照らし合わせますと私はある偉大なロックアーチストの事実上の遺作を思い出します。それはQueenの"Made in Heaven"(1995)です。このアルバムが発表されたのは既にフレデイーマーキュリーの死後4年後で、残っていた録音を残りのメンバーがミックス、マスターしたもので殆どはフレデイーHIVの病魔に冒されてからのものです。しかしこのアルバムはQueenが出したアルバムの中でも最も明るい曲が収録されており、既に死と直面していたにも関わらず夢と希望にこのアルバムがあふれていることです。

極限状況にアーチストが置かれると逆に健常者の我々には想像もつかない力が湧き出てくるのかもしれません。勿論実際のMade in Heavenの録音現場は坂の上の雲における正岡子規のような凄まじいものであったことは想像に難くありません。

私はMade in Heavenの"I was born to love you"をオーケストラとバンドのために編曲したことがありますが、逆にこの曲から何かエネルギーをもらっているような感じでこの曲を編曲しました。正岡子規の門人であった高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫、長塚節は皆明治以降の文学運動で大きな力になっていきました。もしかしたら病床の正岡子規から何らかのエネルギーをもらったのかもしれません。

凄まじい生き様だった正岡子規 芸術家とはかくありたい


いよいよスペシャルドラマの第2弾が放送!3年がかりのドラマも佳境に!今のうちに前回の復習をしたり、ドラマの背景について知っておくと、より一層楽しめます。司馬遼太郎の原作も

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2010年12月10日 (金)

Wikileaksはまだ健全なジャーナリズムが存在している証しである。Wikileaksをサポートするための署名をお願いします

既にご存じの通りWikileaksの創始者ジュリアン アサンジ氏が逮捕されているが、それにしても日本のマスメデイアはアサンジ氏を「機密情報を盗んだ」とか「不正に情報を手に入れた」といったような伝え方をしているが、これは全く事実に反している。同じマスコミ人が健全なジャーナリズム精神を有している人間に対してこのような報道を行なうというのは信じがたいし、日本のマスコミには健全なジャーナリストはもはや残っていないという証拠かもしれない。

日本人はマスコミの報道を何でも鵜呑みにする人が多いしネットにもその手の書き込みが多いが、それは違う。マスコミの報道は全く正しくない。

まずジュリアンWikiLeaks逮捕直前に彼の故国オーストラリアの新聞にあてた投稿を読んでいただこう(訳:市村佐登美)

Don't shoot messenger for revealing uncomfortable truths(不都合な真実を伝えるメッセンッジャーを射殺しないで)

http://tokyobalearic.net/?eid=146#comments

1958年、アデレードの「The News」編集長兼オーナーだった若き日のルパード・マードックは、こう書いた。「秘密と真実を競わせたら真実が常に勝つ。それは避けようがない」

彼の論考はおそらく、父キース・マードックの暴露報道を受けてのものだったろう。彼はガリポリの海岸で無能な英国司令官らのせいで豪州志願兵の命が無為に犠牲になった事実を報じた。英国は彼の口を封じようとしたが、それで黙るキース・マードックではなかった。彼の努力はやがて功を奏し、壊滅的被害を出したガリポリの戦いは終わった。

あれから1世紀近く経った今、WikiLeaksも恐怖にもめげず果敢に、公表すべき事実を公開している。

僕はクイーンズランドの田舎町に育った。そこではみんな自分の思うことを明け透けに喋っていた。大きな政府は信用しない、用心して見張らないと腐敗するかもしれないから―そんな土地柄だった。実際、フィッツジェラルド審問前のクイーンズランドは、政府が腐敗まみれの暗黒の時代だった。政治家が真実を伝えるべきメディアに報道規制をかけるとどうなるか。それを示す何よりの証拠だ。

こうしたことは僕の体の中にずっと残っている。WikiLeaksはこうした価値を軸に据え、その周辺に創成された。インターネット技術を全く新しいやり方で活用しながら真実を報じる―この発想は僕がオーストラリアで授かったものだ。

WikiLeaks があみ出したのは、「科学的ジャーナリズム」という新しいタイプのジャーナリズムである。我々が他の報道機関と一緒に働くのは、人々にニュースを伝えるた めもあるけど、報じる内容が事実に間違いないんだよ、と証明するためでもある。科学的ジャーナリズムにおいては、ニュース記事を読んだその人が、記事の ベースとなる元の文書までクリックして見ることができる。こうすれば読み手は自分の目でニュース判断ができる。この記事は本当だろうか? 記者は正確に伝 えたのか? と。

民主主義社会には強いメディアが不可欠だ。WikiLeaksはその一翼を担う。政府を正直な状態にキープするお手伝いをするメディアのね。WikiLeaksはこれまでにもイラクアフガン戦争に関する厳然たる真実を白日の元に晒し、企業の不正をスクープしてきた。

<長いので以降は上記リンクから本文を読んでください>

本稿寄稿者Julian Assange氏はWikiLeaks編集長。

WikiLeaksは世界中の健全なジャーナリストが報道すべきなのに報道できなかった事実を伝えられる手段だった。各情報はそれぞれジャーナリストの良心に基づいて提供されたものである。決して不正に情報を盗んだものではないはずである。そして中には各政府の驚くべき不正が暴かれていた。その結果各政府が躍起になってこのサイトをつぶし、アサンジ氏が不正をしているかの報道を各マスメデイアに流させた。マスコミもその事情を百も承知していながら政府の片棒をかついでいるわけで、その面ではどの国のマスコミの報道もあまり信用できないことを今回の事態は明白にしている。アサンジ氏の直接の容疑は「婦女暴行(これもでっちあげの可能性が高い)」という絵に描いたような別件逮捕だが、今回の逮捕がいかに不当なものかおわかりいただけると思う。

民主主義社会は健全なジャーナリズムが存在してこそ機能する。その民主主義社会から健全なジャーナリズムを消してはならない。アサンジ氏のいうように「不都合な真実を伝える」メッセンジャーを消してはならないのだ。

Wikileaksをサポートするための署名ができます。

http://www.avaaz.org/en/wikileaks_petition/97.php?cl_tta_sign=43fd10fea4ae36cc216091076eb0b970


ウィキィリークスを弾圧することに関わるアメリカ政府、その他の政府また企業へ

私たちはあなた方にウィキィリークスとその仲間への弾圧を直ちに止めるように求めます。

私たちはあなた方に民主主義の原則と表現、報道の自由を保証する法を尊重するように求めます。

もしウィキィリークス、それにウィキィリークスとともに活動しているジャーナリストたちが何らかの法を犯しているのであれば、彼らは法に基づき法廷にて追及されるべきです。彼らが法を無視した組織的な脅しにさらされるべきではありません」

To the U.S. and other governments and corporations involved in the crackdown on Wikileaks:

We call on you to stop the crackdown on WikiLeaks and its partners immediately. We urge you to respect democratic principles and laws of freedom of expression and freedom of the press. If Wikileaks and the journalists it works with have violated any laws they should be pursued in the courts with due process. They should not be subjected to an extra-judicial campaign of intimidation.

知り合いのジャーナリストが云っていた。

「情報をコントロールすることが力になる、そんな世界はもう止めにしたいです。

情報を共有することが力になる、そんな美しい世界をみんなで創っていきましょう。 」

全く同感である。


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2010年12月 9日 (木)

ジョンレノン没後30年に思う

さて、今さら云うまでもなく30年前の1980年12月8日 ジョンレノンが凶弾に倒れた。日本時間で午後一時に当たる。昨日は恒例に武道館でオノヨーコ氏がライブをやっていたが、20世紀が生んだ偉大な音楽家の1人の音楽も頻繁にラジオ等でオンエアされている。

イマジンの例を出すまでもなく、自らの生命を賭して音楽を通して平和と愛を歌った彼だがあれから30年、世界は良くなっただろうか? 「良くなった」と答える人はたぶん少ないだろう。

ジョンレノン「不穏分子」としてCIAに日常的に監視されていたのは有名な話だが、あれから湾岸戦争、アフガニスタン、イラク戦争と世界から戦火が絶える事がない。そもそもアメリカを実質的に支配しているのは軍産複合体であり、それは大統領ですら逆らえないシステムになっている。つまりアメリカは表向きは民主制をとっているが実質的には軍事政権といってもいいくらい軍産複合体の支配は凄まじい。そしてそれに逆らえばケネデイのような末路が待っている。アメリカにはかつて20年の暗殺のジンクスーテカムセの呪い(テカムセののろい、Tecumseh's curse)というものがあり、第9代ウィリアム・H・ハリソンの肺炎による死去からロナルドレーガンの暗殺未遂まで続いた。なぜかブッシュのバカ息子に対しては何も起きなかったがこれは軍産複合体に守られてきたからだろうか? いずれにせよアメリカ主導の戦争はジョンレノンの時代から収まるどころか拡大する一方である。そして最近の北朝鮮や中国に絡む一連のできごとも同様だ。寧ろ我々日本は世界でも最も危険な地域に位置しているといってもいいかもしれない。

そして音楽産業、音楽文化の状態ーこれはかつてないほどの危機的な状況であることはこのブログでも何回も述べてきたので今さらいうまでもない。その危機の原因は音楽産業側が原因になっている面も多分にあるが、音楽をタダで勝手にコピーするのが当然の権利といわんばかりの輩がネットに多いという厳然たる事実も問題だ。こういう連中は音楽文化を尊重し、アーチストに敬意を表する態度が微塵も見られない。

インターネットは確かに便利なツールであるが、一方では中川さんがいうとおりバカと暇人や一部のIT起業家ITギーグが実質的にネットの言説、論壇を支配しているというマイナスの局面もある。(そして残念ながらこの傾向は強くなることはあっても、弱くなることはたぶんない) そして今までリアルの世界では接蝕しないで済んだバカと暇人一般の社会常識が通用しない輩社会性0の人間等と遭遇してしまい、「荒らし」等の面倒臭いことに時間を取らざるを得なくなってしまうことも度々あった。こういう連中にかける時間は時間の無駄であり極めて非生産的な時間である。最近はネットの便利な面よりこういった負の部分の要素が目立つ。特にここ一年くらいは

ジョンレノンイマジンの世界を単なる「理想主義」と片付けるのは簡単だ。だが我々は時代をよくしようという志を捨ててはならない。おそらくジョンが今の社会の現状を見たら頭を抱えてしまうだろうが、この現状から少しでもよい方向に持っていく努力を放棄したら人類には未来も希望もなくなってしまうからである。

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2010年12月 1日 (水)

KAT-TUNのボーカロイド曲盗作騒動に見る制作体制の御粗末ぶり

KAT-TUNのオリコン1位の新曲がボーカロイド曲を盗作疑惑? 作者「うわっ…そっくりだ。ショックすぎる…」

http://getnews.jp/archives/87223

さて、有名曲の盗作騒動、というのは今に始まったことではない。しかし今までの多くは「メロデイのどこの部分とどこの部分が似ている」という程度のものであり、人の主観によって「何となく似ている、といえなくもない」というレベルだった。それで古くは服部克久氏と小林亜星氏の訴訟等もあった。(もっともこの泥仕合はJASRAC内部や作曲家団体の勢力争いという日本の音楽界のドロドロとした部分もからんでいたのは事実だーだから私は「作曲家協会」とか「作曲家評議会」とかの面倒くさいものには参加していない)

また「パクリ」という言葉がある。これはあるメロデイの「おいしいところ」を取り他のメロデイの「おいしいところ」と組み合わせる、ということでこれは正直よく行なわれている。賛否両論がある手法だが、この「コラージュ力」にはそれなりの創意工夫もある場合がある。名前はいえないがある大御所的作曲家は「自分の曲は「パクリ」の芸術だ」といってはばからない人もいる。

しかし次の例はそのいずれにもあてはまらない。正直ここまでひどい例は私もちょっと記憶がない。

まず、「盗作された」と主張している巡音ルカオリジナル DYEをお聴きいただこう

次にKAT-TUN NEVER x OVER ~「-」 IS YOUR PART~をお聴きいただこう

わざわざ説明の必要はないと思う。

勿論実際巡音ルカオリジナル DYEの作者が告訴しないと「盗作」と法的には認定されない。またそのため作者は膨大な資料も用意しなくてはならないというハードルはあるが、それにしても制作の担当者がイントロまでほぼ同じ曲が存在している点を把握していないだけでそれはおおいに問題である。要はデイレクター連中が全然音楽を聴いていない、制作作業も他人任せ、という最近の業界の体質がこれを生んだ。

実はKAT-TUNのようなアーチストの曲は殆ど無数の作曲家のコンペから成り立っている。だいたいのケースは数百曲くらい集めるが、だいたいそんなに集めてまともに曲を聴いているか疑問だし、どういう基準で選んでいるのかもいつも不明確である。私は先日ある都合でやむを得ずコンペに曲を提出したが普通は原則としてコンペには参加しない。これはゴーストを強要される、という現実もあるし、何よりもそれを作るために作業的に無駄になる可能性の方が高い。

まあ普段はサラリーマンやっていて自分の曲が有名アーチストに採用されてヒットする、などという夢を追いかけたい人はそれでいいけど、我々みたいに仕事でやっている人間はそんなことをやっていた効率が悪すぎてとてもやっていけない。(なかには最初から「採用者」がいないコンペすら存在する)

何よりもこちらの曲を本当にきちんと聴いているか疑問だし、最後はスタッフ連中の単なる趣味で終わるケースの方が多い。何となく自分の曲が「弄ばれている」感じがするから私はコンペに参加しないのだ。今回はうちのアーチストのプロモーションの目的のためにあえて参加したが、結果は期待していないし、こういう特別な事情がない限り二度とやらない。

いずれにせよ何度も云うがここまでひどい例は私もちょっと記憶がない。「メジャー」の制作体勢の質はここまで落ちたか、といわざるを得ない。今「メジャー」の世界から優秀な人材、プロがどんどんいなくなっている。そのうちその辺りのシロウトよりひどくなるかもしれない。


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今年もあと一ヶ月ー工事終了に伴う雑感と今後の自分の方向性

もう11月が終わる。

例のエコポイントが来月から半分以下になることもあり昨日家のリビングルームのエアコン取替え工事が昨日終了し、これで4月から始まっていた我が家及び事務所の一連の内装、外向、及び防音ブース等も含め全ての工事が終了した。

今年は家のこと、そして親戚の成年後見の件(既に家裁から成年後見人としての審判は下り、順当に行けば今週中に登記が完了する見込み)と家やプライベート関係の件でずいぶん時間は取られてしまった。またここしばらくやってきた会社の事業に関して大幅の見直し、戦略の変更も余儀なくされた。その反面これから自分がやるべき方向、目指すべき仕事、作品について見えてきた面もあるので、これからはそれに絞ってやろうと思う。さらに今後の展開次第では、現在まだ中止するに至ってないプロジェクトのみなおしや終了の決断をしなければならない場合が出てくるかもしれない。

その意味では結果が出なかったもの、今後結果が出そうにないものをある程度見切りをつけ、軌道修正し新たな出発に備えなければならない。そのためには環境の変化も大切だ。だから今回家のリホームをかなり大胆に行なった。

また事務所のスタジオを整備したのも、制作における凄まじいほどのコストダウン要求を対応可能にし、ボーカルレコーデイングや音声、ナレーションコンテンツに関しては自宅で完全に納品レベルのクオリテイで制作可能になるようにした。これでかなりコスト的には強くなったと自負している。

そして私自身の今後のクリエーター、作曲家としての目指す方向性

いずれにせよ自分がクリエーターとして他者と差別化できる部分や、内容はいえないけど「まだ誰もやっていない作品」を具体的な形に来年はしなければならないと思っている。口あけて待っていても仕事なんか来やしない、自分で積極的にいろいろ働きかけて「仕事を作る」ようにしなくてはならない。そして日本の景気、経済状況がよくなる材料は残念ながら見つかっていない。それどころか国際情勢が景気に悪影響する懸念の方が多い。

今日本における情勢は厳しい。先日の北朝鮮の砲撃事件も、中国の尖閣問題にしてもああいう独裁国家が海外に対して強硬策をとるのは国内の情勢が深刻になっている証拠だ。北朝鮮の経済は実質破綻状況であり、キムジョンイルがいつまで軍を抑えきれるかわからない、という。中国は13億市場という幻想をいまだに持っている人がいるが、中国国内で同じ国かと目を疑うほどの貧富の差(実際には経済発展の恩恵を受けているのは中国全国民の3割程度といわれる)とチャイナショックの噂(実際にはチャイナバブルは既にはじけており、中国共産党が隠しているだけに過ぎない、という話がある)、日本を取り巻く情勢は懸念材料でいっぱいである。

最悪のシナリオはチャイナショックで世界的な景気低迷につながる点である。例えそれが起きても何とか吹き飛ばされずに生きていかなければならない。

その意味で環境を整備し、足もとを磐石にしたつもりだ。

これから再出発を行なおうと思っている。


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