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2010年11月20日 (土)

J-popに関する一考ー「売れセン」という概念放棄の勧め

さて、これから事務所の録音ブースの工事が来週始まり、それと同時に本来の本職である作曲の方の作業をしなければなりません。内容はまでいえませんが「自主作品」の着手も開始し、あとこれも内容はまだいえませんがとある「社会事業」にからみで曲を2曲ばかり作らなければならなくなりました。 また私は原則としてコンペには参加しないんですが、なりゆきで不本意ながら1つあるコンペに参加せざるを得なくなってしまいました。本当は弊社のアーチスト奥津恵をある映画のテーマソングのオーデイションを受けさせるのが目的だったのですが、やるといってしまった以上やらないわけにはいきません。(でも正直気分が今一つ乗らないのでコンペに通すのは難しいかな、とも思います).. 

そんなこんなでやることが多いのはありがたいんですが、やはり最大のエネルギーを注入するのは「自主作品」の方になります。良質な音楽であると同時に遊び心もたっぷり入っている。そんな音楽の構想ではっきりいって「人のやらないこと」(少なくとも私が知っている範囲ではまだ誰も私が今やろうとしていることは誰もやってません)をやろうとするのは楽しいですね。音楽業界は「売れセン」という言葉にがんじがらめになっていつのまにか人がやらないことをやってはならない、という雰囲気ができてしまっています。私はそれを打破しないといけないと思っています。

そこでこの「売れセン」というものを考えて見ましょう。音楽業界で「売れセン」なる言葉が出てきたのは私の記憶に間違いなければだいたい1990年頃からだと思います。いわゆる音楽業界がこの世の春を謳歌していた時代で、現在の惨憺たる状況を見ればまさに夢のようです。

この「売れセン」というものは本当のところ何でしょうか?

実はこれ結構誤解している人が多いです。よくR&B が受けたから同じような感じのR&B の曲を作ることが「売れセン」だと誤解する人がいますが、実はそんな単純なものではありません。二番煎じ、三番煎じ等の、コピーに限りなく近いもの出せば必ず売れる、などというほどマーケットは単純ではありません。(実はレコード会社のプロデユーサーでも「売れセン」というものをよく理解せず二番煎じ、三番煎じを出せばよいと勘違いする人間も少なくありません。)

これはあるスタイルの音楽ーR&B ならR&B  ユーロビートならユーロビート系のサウンドがミリオンセラーになったら、その音楽のサウンド、歌詞等を徹底的に分析し「何が受けたのか」というエッセンスを取り出し、同様な傾向で少し趣向が違う音楽を作る、というメソードを行なうことです。つまり音楽というものをマーケットの観点からスタテイックに、冷酷なほど分析し、「データベース化」し、その「データベース」のコンビネーションをどう作るか、というコンセプトメーキングを行ないます。これはサウンド、アレンジは勿論ですがJ-popの場合特に歌詞に重点がおかれます。

つまり今時の10代ー20代はどういうメロデイラインを好むかーそれこそ「ここのフレーズは上げ、ここのフレーズは下げ」などという細かい部分を徹底的に構成します。詞でしたら「今の女のコが好むギミック、いいまわし、それこそ恋愛相談から占い等のデータまで徹底的に分析し、それらをコンシーブした上で歌詞の内容が決められます。この作業は私が大学で専攻した「情報理論」に基づく作曲、作詞作業そのもので、音楽の作品を作るのではなく音楽の「製品」を作るプロセスです。その「データベース」に基づいて作曲、作詞作業を行うことを「売れセンの音楽を作る」ということになります。

この作業を徹底的に行なったのがご存じAvexなんですが、実はこれを始めたのはAvexではなくビーイングの長戸さんですね。Avexは長戸さんのメソードを徹底的に質と量で市場に攻めていったわけです。

そしてそのメソードによる市場戦略はご存じの通りかなりの面で一時成功しました。「データベース」に基づいて作られた音楽を唯一の音楽体験になってしまう世代が存在することになり、それがこれからの音楽のありかたである、かのように考えるプロの人間も少なくありません。

しかし「データベース化」には限界があります。なぜならそれは表面的な組み合わせに過ぎず、いわばいろんなサウンドや歌詞をジグゾーパズルのように組み合わせるのと同じです。

今年の始め私はこういうコラムを書きました。

■新春コラムーいわゆるポストモダン時代のルーツ音楽の存在(例によって長文です)
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/01/post-7dcd.html

ここでは音楽のポストモダン論の観点から、「こうした「データベース」シュミラークル( オリジナル作品のコピー作品や「データベース」が生まれ繁殖し、オリジナル作品は絶対的な価値を失い、すぐれたコピー作品と同等になるーつまり何が本物で、何が本物でないか、ということが区別できなくなってくる)という観点からオリジナルの音楽=ルーツ音楽と考え、あらゆるジャンルの要素がばらばらに解体されて、R&Bのリズムでロック的なギターが入り、ラップをする、といういったような様相を帯びてきて全ての音楽が「ジャンルを構成する要素がばらばらデータベースに解体されるという考え方です。それによってルーツ音楽の価値というものが事実上意味をなさなくなり、全ての要素は相対的なものでしかない、という観点でこれはまさに「売れセン」の音楽の「データベース化」の基本コンセプトなわけです。

私はこれに関して異を唱えました。それは音楽手法のデータベースというのは単なる作曲技法のエクリチュールに過ぎず、それは単なる表面的なものであること。しかしその組み合わせで本当に「ノリ」とか「音楽の即興性」とか、もっといえば人間の魂のこもった表現できるものであろうか?という疑問を呈しました。ーつまり魅力」というものがデータベース化できるのか?ということである、できると考えている人がいるようですが文化というのはそんな単純なものではありません

ルーツの音楽は
「エッセンス」であり、それは「ノリ」とかリズム感とか、即興性、そして表現力そのものであります。それらは1テーク、1テークは「データベース化」は可能かもしれませんが法則化はほぼ不可能だと思います。つまりルーツの「エッセンス」を完全にデータベース化することは不可能である。ということができる。したがって音楽のデータベース化」をつきつめるとどういう音楽ができるか? できる音楽は「ノリのないロック」「即興のないジャズ」風のものになる。例えどんな流行っている音楽でもあなたはそんな音楽を聴きたいと思いますか? 少なくとも私は聴きたくありません。

実はそうした音楽の
データベースに基づく音楽の「製品化」されたサウンド、そういうものに消費者が飽きてきた。というのが音楽業界の本当の衰退の原因ではないか、と私は結論するに至りました、つまり以前もいいましたが音楽を「文化」ではなく、「消耗品」として音楽を売ってきた、それが消費者が音楽文化を大切にしようと意識をなくさせ、タダでコピーできるのなら買わなくてどんどんタダコピーしてしまおう、という行動に駆り立たせています。音楽産業は自分の「製品」「売れセン」「製品」にしたいと考えるあまり音楽を100均の商品などと同じような「消耗品」に自らしてしまったのです。

「消耗品」である以上「流行」が終わったらもはや「使い捨て」されるしかありません。そういう道を自ら選んだのが今の音楽業界です。

だから私はここで声を大にしていいます。音楽業界を本気で再生したいと考えているなら今すぐ「売れセン」という概念を捨てましょう。

そんなことできるわけない!!という声が聞こえてきそうです。なまじっかこれで大成功した体験があるだけにそう簡単に捨てられないと考える業界関係者が多いのはわかってます。あるいは私のこのひとことで、日本のJ-pop関係者の殆どを敵に回したかもしれません。

それでも音楽業界を再生するのであれば、この「売れセン」を捨てるしかない、と私は思います。また業界関係者から脅迫のメールでも来るかな (笑)


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