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2010年9月29日 (水)

芸術性と商業性(大衆性)の融合した音楽

最近思うのだが、もともと私が音楽の道を志したのは「高い芸術性を持った音楽を創りたい」という思いからだった。勿論「音楽でもうけたい」などと考えなかったわけではないが、今でも自分の中にはそういったことを志向したい、というおもいがある。

しかし今自分がやっている仕事の内容を見ると愕然とする。

今音楽業界で「高い芸術性の音楽を」などといったら嘲笑と罵倒が待っている。そして音楽をあたかも百均で売る消耗品のように作り発売する。それが今の音楽業界の状況を作ってしまったといえる。

一般的にはこういうイメージはないが歴史に残る音楽の多くは実は「芸術性「商業性」の両面で成功している音楽である。モーツアルトは極貧の中で死んだというイメージが強いが実はかなりの年収を得ていたことが最近の資料でわかっているし、ベートーベンなどは現在の金額で億近い年収があったといわれる。例外といえるのはシューベルトだがそのシューベルトですら売春宿の常連だったというから、それなりに収入は得ていたわけだ。音大系の評論家は歴史に残る作曲家をどうしても極貧というイメージにしたいようだが、現実は違う。

今我々がスタンダードという名前の古典にしているジャズスタンダードナンバーにしても、60年代ー70年代ロックにしても興業的に成功したが「芸術性でも歴史に残る音楽であることはここでいうまでもない。

やはりいいものは当時から受け入れられそして現代にまで引き継がれている。勿論中には作曲家の死後に評価を受けたり、評価が変わったりというケースもある。しかしいずれも「芸術性「商業性(あるいは大衆性)」が融合した音楽であることは事実である。

これは日本に限ったことではないかもしれないが、そうした「芸術性「商業性」の両方の要素を入れることを忘れてしまったのが現在の音楽そのものの衰退の状況を生んでしまったのではあるまいか。

理想論と笑いたければ笑うがいい。だが私は自分の作品に「芸術性「商業性」の双方の要素が入っている音楽を創ろうと思う。それが音楽業界の再生につながるように思うからである。

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